Dear My Brother(1)
最後の一撃に悪魔が倒れるのを見届けると、陽千香は重いため息を吐いた。支配格を討ったにも関わらず、周囲の誰も喜びの声を上げようとしない。その沈黙に耐えかねたかのように、貴則がいつになく不機嫌な声で口を開いた。
「そろそろ話してくれても良いんじゃないのかい? 時間稼ぎのザコ狩りにはもう飽き飽きだよ」
陽千香は面を上げて振り向くと、仲間達の顔を順に見渡した。貴則に良一、圭介と、そしてあやめ。もう一人の姿は、あれ以来ずっと見ないままだ。
蒼司と会ったあの日を境に、蒼真は学校に来なくなった。連絡を取りたくても、電話もメールも応答はなく、SNSに至っては既読すら付かない有り様だった。残る手段は界境世界だけだったのだが、結局こちら側でも彼に会うことは叶わなかった。蒼真は界境世界への接続を拒否しているらしい。御使いの力でもこれ以上は干渉できないと、フラットが悲しそうに話していた。
蒼真がいないせいだろう。蒼司の方もあれから姿を見せておらず、陽千香達は夜ごと悪魔を倒しては、虚しい気分を抱えたまま現実世界に戻ることを繰り返していた。
ある程度事情を知っている陽千香はともかく、他のメンバーが事態の進展のなさに苛立ちを募らせるのは無理からぬ話だった。これ以上現状維持するわけにもいかず、陽千香はとうとう覚悟を決めた。
「……分かりました。全部お話します……私が知る限りの、志筑くんのこと」
手近な教室に入り込んで腰を落ち着け、いったいどこから話せば良いのかと思案する。暫く迷った末、陽千香は頭の中を整理しながらゆっくりと話し始めた。
「まず、あの夜に出会った男の子のことから……彼は、志筑蒼司くん。志筑……蒼真くんの、双子の弟です」
「そういえば、何度か"兄貴"って言葉を聞きましたね……蒼真先輩、弟なんていたんだ……」
圭介の言葉に頷いてみせながら、陽千香は続けた。
「数日前、現実世界の蒼司くんに会わせてもらったんです。彼は市内にある病院で、意識不明のまま眠っていました。事故かって訊いたら、志筑くん、こう言ったんです……"俺がやった"って」
陽千香の言葉に、漣のような動揺が走る。口を開くのを躊躇うようにして、良一がおずおずと訊ねてくる。
「まさかとは思うけど……あの時見せられた動画やお芝居って……」
良一の台詞の続きを察して、陽千香は頷いた。
「志筑くんの過去、なんだと思います。小学生の頃、二人でサッカークラブに通ってたって聞きましたから。ケンカの原因も、蒼司くんの事故の状況も、志筑くんから聞いた話と一致します」
「じゃあ、志筑君は本当に……」
陽千香の口から語られた言葉に、良一はそう呟いて押し黙った。当然だろう。たとえ夢の中であっても、あんな場面を見せられたのでは。陽千香の瞼にも、まだ鮮明に映像が残っている。少年の頭の周囲に広がる赤黒い血溜まり。事故とはいえ、知り合いが人を傷付ける様を見るのが、あんなにショッキングなものだとは思わなかった。
「……事故じゃ、ないですか。ただの……」
沈黙を押し退けるようにして、あやめが声を絞り出した。
「わざとやったわけじゃないのに……あんな風に責めるなんて……」
「……わざとじゃなければ許されるのかい?」
その声に、陽千香は思わず顔を跳ね上げた。
「志筑くんには何の落ち度もなく、弟クンが恨みに思うのは筋違いだ、とでも?」
「久我先輩……」
突き放すように意見を述べたのは貴則だった。教室の後ろの方に立って腕を組んでいた彼は、眼鏡の奥に怜悧な瞳を光らせながら言う。
「別に志筑くんが悪いと言ってるつもりはないよ。芝居の内容が事実なら、事故だというのにはボクも異論はない。でも、人間の心なんてそう冷静なもんじゃない。弟クンが恨むには充分な理由だよ。悪魔はそれに付け込んだんだろう。願いは志筑君への復讐……悪魔が作った偽物でなく、本物が目の前に現れたとなれば、直々に出向いて目的を果たそうとするのは頷ける話だ。志筑君不在のボクらに興味を示さないことも、それで筋は通ると思うけどね?」
確かに貴則の言うことは一理ある。だが、その考えを肯定するには、陽千香にはまだ引っ掛かることがあった。
「蒼司くんの事故は小六の夏、今から五年近く前です。蒼司くんが事故のことを恨んでいたなら、今頃になって悪魔に目を付けられるのは、ちょっと変だと思うんです。それに、蒼司くん言ってました。志筑くんが自分のことを探してくれて嬉しいって……恨んでた相手に、そんな風に言うでしょうか? 私、蒼司くんの願いが復讐だとはやっぱり思えない……あんなことして志筑くんを傷付けたのには、別の理由がある気がするんです」
そう言ったきり黙り込んだ陽千香の耳に、ふぅ、と小さなため息の音が届いた。これ以上は議論が進まないと思ったのだろう。眼鏡の蔓を押し上げた貴則は、頭上に浮かんでいたレイヴンの方に視線で合図を送りながら言った。
「いずれにせよ、当人達から話を聞けないことには、現状を打開する方法はなさそうだね。だったらボクは当分の間、悪魔を倒すことだけに専念するよ……それしかやれることもなさそうだからね」
退屈そうな響きを打ち消すかのように、大きな風船の音が鳴った。貴則の姿が掻き消えたその近くで、レイヴンが肩を竦めつつ破れた風船を放り捨てていた。
貴則の残した台詞を頭の中で反芻しながら、陽千香は蒼真の顔を思い浮かべる。今頃どうしているのだろう。
助けになりたいと思ったのに、肝心な時に支えられずにいる。悔しさに拳を握りながら、陽千香は細い吐息を漏らしたのだった。




