ガラス細工の針(15)
現れたのは緑の芝生に覆われた道。どうやら河原の土手のようだ。夕暮れの淡いオレンジ色が差す中を、一人の少年が歩いて来る。
『あるところに、一人の男の子がいました』
小さな子供が読み上げるような、可愛らしいナレーションが響く。
『男の子には、仲の良い双子の弟がいました』
少年の後ろから、姿かたちのそっくりな少年がもう一人走ってくる。こちらが弟なのだろう。サッカーで遊んできた帰りなのか、手にはサッカーボールを抱えている。彼は兄の後ろで足を止めると、怒ったように眉を吊り上げながらコミカルに飛び跳ねてみせた。
「待ってよ兄貴!」
ナレーションと同じ声が、ほんの少し声色を変えて少年の台詞を読み上げる。弟の声に、兄の方が振り返った。
「何だよ、怖い顔して」
「何だよじゃないよ! どういうことだよアレ!?」
『弟が怒っている理由を、男の子は分かっていました。男の子は言いました』
「仕方ないだろ。学校の授業、付いていけなくなってきてるんだよ。サッカーなんかより勉強しなきゃ」
「嘘つきっ!」
『弟の言葉に、男の子はムッとして訊ねました』
「嘘つきってどういう意味だよ?」
「知ってるんだからな、こないだのテストの点数! 勉強困ってなんかいないクセに、何でこんなタイミングで辞めたりするんだよ!?」
『男の子は、弟の質問に答えることができませんでした。一緒に通っていたサッカークラブ。夏に控えた最後の試合を前にして突然辞めてしまったのには、人に言えない事情があったからです』
「コーチに言われたんだろ!?」
『弟はさらに言いました』
「みんな言ってるんだぞ!? 兄貴が急に辞めるなんて言わなかったら、アイツは絶対選ばれなかったって!」
「……そういう言い方やめろよ。コーチが悪者みたいじゃんか」
『弟の言っていることは本当でした。サッカークラブのコーチには、二人と同じ学年の息子がいました。コーチは、最後の記念に自分の子を試合に出してあげたい一心で、その子と仲良しだった男の子のところにこっそり相談しに来ていたのです。優しかった男の子は、コーチの頼み事を断ることができませんでした。けれど、もう試合に出られないということを知っていて、そのままクラブにい続けることもできなかったのです』
「最っ低だよ! 俺との約束破ってまでヒトのこと優先するとかどうかしてるんじゃないの!?」
「うるさいな、もう決まったことなんだから良いだろ!」
『男の子はそう言って弟に背中を向けました。弟を残したまま歩き出そうとすると、突然後ろから何かがぶつかり、男の子は転んでしまいました』
「痛ってぇ……何するんだよ!?」
『ぶつかってきたのは、弟でした。振り返って弟を睨み付けると、弟は泣きそうな顔をしてこちらを見ていました』
「何でそんな平気そうな顔してんだよ……約束したじゃんか!」
『男の子は立ち上がりました。擦り剥いたのでしょうか、短パンから覗いた膝小僧がジンジンと痛んでいました』
「……仕方ないだろ、今さらどうしようもないんだから。ワガママ言うなよ」
「兄貴の嘘つきっ!」
『そう言うと、弟はもう一度、男の子に飛びかかって来ました。男の子は弟の手を掴んで必死に抵抗しましたが、脚が痛くて上手く力が入りません。男の子は突き飛ばされて、今度は手の平を擦り剥きました』
「いい加減にしろよ! コーチの気持ちだって分かるだろ!?」
「うるさい! 嘘つきっ!」
『弟はまるで聞く耳を持ちませんでした。立ち上がろうとする男の子に、またしても掴みかかろうと手を伸ばしてきます。ポカポカと一方的に殴ってくる弟にだんだん腹が立ってきた男の子は、ついカッとなって弟を突き飛ばしてしまいました』
「やめろって言ってるだろっ!!」
『どんっ。弟の身体が、土手の坂道の方へ傾いていくのが見えました。弟は踏みとどまろうとしたようでしたが、何かに躓いたのか、そのまま仰向けに倒れていきます。ごんっ。重たいものが地面に落ちる音。弟は、倒れたきり起き上がってきませんでした。不安になった男の子は、弟の様子を見るために、土手の下を覗き込みました』
カメラのアングルが変わる。土手の正面から二人を映していた構図から、少年の一人称へと。土手の下を覗き込むような角度で固定されたカメラが、その先に映っているものにズームを当てる。
アスファルトで舗装された階段の途中で倒れ、目を閉じている少年の姿。頭の周辺に、赤い色彩が広がっている。水彩絵の具をぼかしたような淡い色合いが、かえってグロテスクに感じられた。
響き渡る救急車のサイレン。奇妙な劇は、そこで唐突に終わりを迎えた。
『めでたし、めでたし』
ナレーションの声とともに下りてきた幕が、倒れた少年の姿を覆い隠していく。完全に幕が下りたところでシークバーが右端に到達し、この動画の終了を告げた。
「……何だったんでしょう、今の……?」
呆気に取られたような表情で圭介が呟いた。
「子供向けの絵柄にしては……随分殺伐とした内容だったね……」
良一の戸惑った声に、あやめも困り顔で首を傾げている。
「ボクにはさっぱりだねェ……わざわざ指名されたんだから、キミは何か心当たりあるんじゃ……志筑君?」
おとがいに指を添えながら呟いた貴則が、言葉の途中で不審そうに眉をひそめた。他の面々の視線がそちらに集まるのに合わせ、陽千香も蒼真の方に向き直る。
顔色が青く見えるのは、パソコンの光のせいだけではないだろう。血の気を失った表情の中で、大きく見開かれた目が落ち着きなく揺れている。怯えるように呼吸を震わせ、食い入るように画面を見つめる蒼真の様子は、誰がどう見てもただ事ではなかった。
「志筑くん? ね、ねぇ、どうしたの……!?」
声をかけながら蒼真の肩に触れる。瞬間、蒼真はびくりと身体を震わせながら後ずさった。すぐ後ろに設置されていた机にぶつかり、大げさなくらいの音が鳴り響く。
彼の異常な怯え方に誰もが絶句する中、陽千香は端末の画面に目をやった。
――この動画?
蒼真は明らかにこの動画のせいで動揺している。他のメンバーにとってはただの奇妙なアニメーションに過ぎなくても、蒼真にだけ通じる何かがあるはずだ。
――待って。さっきのって確か、"双子の兄弟"って……。
蒼真と蒼司。その符号は偶然なのだろうか。以前病院で蒼司のことを打ち明けてくれた時、彼は何と言っていた? 小学六年生の時、二人でサッカークラブに通っていたと言っていなかったか? クラブを辞めたことが原因でケンカして、それが事故に繋がったと――。
「志筑くん……今のって、まさか……」
――ピンポンパンポーン……
言いかけた言葉を遮って、教室のスピーカーから場違いなメロディが流れ始める。
――二年A組、志筑蒼真君。二年A組、志筑蒼真君。至急、体育館までお越しください。繰り返します……
「志筑くんっ!?」
放送を聞くなり、蒼真が弾かれるように駆け出した。教室を飛び出した彼を追うべく、陽千香は机の間を縫って走る。
「陽千香君!」
扉をくぐる直前、珍しく強い調子で貴則に呼び止められ、足を止める。蒼真を追いたい気持ちを抑えて振り向くと、貴則は猛禽類のように鋭い目線をこちらに向けて訊ねた。
「キミは何か知ってるんだね? いったいどういうことだい?」
「っ……!」
答えられずに唇を噛む。陽千香もまだ確証を持っているわけではない。それに、たとえあれが真実だったとしても、陽千香が勝手に語って良い内容ではない。
「……分かりません、まだ。今はとにかく志筑くんを追わないと……!」
そう答えた陽千香を、貴則は暫く見定めるように睨んでいた。だが、やがて頭を振って小さく息を吐くと、眼鏡の蔓を押し上げながら言ったのだった。
「話を聞くのは後にした方が良さそうだね。行こう、今の彼を一人にするのは危うそうだ」




