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リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第五章 ガラス細工の針
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ガラス細工の針(7)

会う前に蒼真が帰ってしまうようなことがあれば、もう取り返しが付かない。授業放棄を覚悟した陽千香は、体調不良で保健室に行くと(いつわ)り、五限目を欠席する旨を友人達に送信した。水道水でたっぷり冷やしたおかげで、鏡に映る自分の顔はいくらかマシな状態に戻っている。目元の赤みがまだ少し残っているが、遠目でちょっと見たくらいでは気付かないだろう。小さな気合を一つ、陽千香は手洗いを後にして屋上へと向かった。

金属扉を前にして膝が震える。蒼真のあの目とあの声が、先に進むことを拒むように何度も脳裏に浮かんでくる。陽千香は頭を振ってそれを払うと、いよいよドアノブに手を伸ばした。扉の隙間が広がるにつれ、吹き込む風が強くなる。開け放った先の青と緑に目を細め、陽千香はその人の傍へと歩き出した。

フェンスの向こうの崖っぷち。人一人が立つのがやっとのその幅に、少年は一人で座っていた。陽千香が近付いても振り向きもしない彼の背後に立ち、二人を(へだ)てているフェンスの網目に指を掛ける。蒼真の心の中にできた壁は、きっとこれよりももっと分厚くて高い、石造りの壁なのだろう。それこそ、お互いの会話すら(はば)んでしまうような。そんな壁を越えて、陽千香の声は届くだろうか。

たとえ届かなくても、言わなければならない。それが陽千香を信じようとしてくれた彼に対する、最大限の誠意だと思うから。

「そのままで良いから、聞いてくれる……?」

囁くように言った声に、冷ややかな沈黙が返ってくる。胸に刺すような痛みが走ったが、陽千香はそれを押して先を続けた。

「昨日は、嫌な思いさせてごめんなさい。志筑くんの気持ちも考えずに、無理やりみんなに会わせたりして……今さら遅いかもしれないけど、すごく後悔してる。

「志筑くん、始めはただ睨み付けてくるだけだったのに、最近少し話してくれるようになったでしょう? 私のこと、ちょっとは信用してくれたのかなって思って……だったら、他のみんなとも仲良くやっていけるんじゃないかなって、勝手にそう思っちゃって……向こうで会えた時は、本当に嬉しかったの。だから、すっかり勘違いしちゃった……。

「私に、ハメられたって言ってたでしょう? あれからずっと、何度も考えてみたけど、やっぱり私分からなかったの。謝りたいのに、志筑くんを傷付けちゃった理由がどうしても分からなくて。でも、ある人に言われて、やっと分かった。中庭で待ってる、なんて一方的に伝えておいて、私……志筑くんの返事、聞かないままだったのね。

「全部言い訳になっちゃうから、屋上に来なかった理由は言わない。でもこれだけ言わせて。私が志筑くんのところに来てたのは、戦力欲しさなんかじゃない。もちろん、仲間を探してたのは本当。途中から、志筑くんがそうじゃないかって思い始めてたのも本当。でも私、志筑くんと会ってるうちに、あなたのこともっとちゃんと知りたいって思うようになってた。悪ぶっていつも一人でいる理由とか、こんな危ない場所に座ってる理由。時々……寂しそうな顔で空を見上げてる理由も。仲良くなれたら、いつか話してもらえると良いなって思ってた」

そこで一度言葉を切ると、陽千香は震える息を吐き出した。自分のささやかな望みは、もう叶うことはないのだろう。込み上げるものを抑え込んでから息を吸い、さらに続ける。

「だから、ちゃんと謝りたかったの。たとえ許してもらえなくても、私がそう思ってたことだけは、知っておいてほしくて。……なんて、もう信じてもらえない、よね」

陽千香が話し終えても、蒼真は背を向けたままだった。ここからでは表情を見ることができず、彼が陽千香の言葉を受け取ってくれたのかどうかも分からなかった。

それでも、言いたかったことは言えた。どこか吹っ切れたような気持ちになりながら、陽千香は最後に改めて謝罪の言葉を口にした。

「傷付けちゃってごめんなさい。それから……あの時庇ってくれて、ありがとう。もう、ここへ来るのは……やめにするね」

フェンスから手を離して(きびす)を返し、真っ直ぐ金属扉の方へ向かう。落ち着いたと思っていた感情の波が、蒼真から一歩離れるごとに乱れていく。堪らなくなって駆け出すと、走る勢いのまま扉に飛び付き、滑り込むようにして校舎に入った。扉を閉める瞬間、蒼真がこちらを見ていたような気がしたが、確かめる気にはなれなくてそのまま階段を下り始める。三階の廊下で立ち止まりかけ、期待している自分に気付いて脚の回転を速める。

――追いかけて来てくれるわけないじゃない。

逃げるように一階まで駆け下りて息をつき、行く宛に迷った末にスマートフォンを取り出す。有紀達三人に六限もサボることを告げ、次いで良一にメッセージを送る。

『言いたいことは全部言えました。相談に乗ってくれてありがとうございました』

余計なことは何も書かなかったが、何となく、良一には全て分かってしまうような気がした。自分にとっては辛い結果に終わったが、良一のおかげでこれ以上の後悔はせずに済んだ。してしまった分の後悔は、時間をかけて癒していくしかない。

スマートフォンから顔を上げた陽千香は、乱暴に目元を(こす)った後、居場所を探してとぼとぼと廊下を歩き始めた。

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