ガラス細工の針(6)
「嫌われちゃったみたいなんです、志筑くんに」
最初の一言を口に出してしまうと、後は蛇口を捻ったようだった。黙ってこちらを見つめている良一に向かって、陽千香は震える声で語り続けた。
「ウザいって言われちゃいました。偽善者だって。戦力欲しさに、親切なフリして近付いたって思われたみたいで。……確かに、最初はそうだったかもしれません。最後の仲間を見つけたい一心で、ちょっと怖いって思いながら近付いて……でも、志筑くんが悪い人じゃないってことにはすぐに気付いたんです。繰り返し会いに行くうちに、もっとちゃんと話せるようになりたいとも思い始めて。やっと少し打ち解けてくれたと思ったのに、何でこんなことになっちゃったのか、全然分からないんです。志筑くんを怒らせた理由、いくら考えても思い当たる節がなくて。あはは、それだけ無神経ってことなんでしょうか……謝りたくても、何を謝れば良いか分からないなんて、酷い話ですよね」
はぁっ、と残りの息も吐き出すと、陽千香は暫く沈黙した。良一は何も言ってこない。膝の上に揃えた手をぎゅっと握り締めて、陽千香は最後に弱音を零した。
「……どうしたら良いのか、分からないんです……」
机の上に水滴が一粒落ちた。せっかくずっと我慢してきたのに、これで全部台無しだ。俯いてきつく目を瞑ると、さらに数滴雫が落ちた。涙が流れるに任せていると、良一が小さく息を吸う音が聞こえた。
「"したこと"じゃなくて、"しなかったこと"はない?」
「え……?」
涙も拭わず顔を上げると、良一は優しげな、それでいて真剣な表情でこちらを見ていた。
「綾藤さんとの付き合いはまだ短いけど、人を傷付けるような子じゃないってことは知ってるよ。綾藤さんに覚えがないなら、きっと志筑君の方が何かを誤解してるんだ。そんなに悩んでも心当たりがないって言うなら、したことが誤解の原因じゃないんじゃないかな。志筑君にしなかったことはない? もしくは、してあげられなかったことは?」
「……しなかったこと……」
口の中で呟いて、陽千香はもう一度先日のことを思い出す。陽千香が蒼真にしたことは、傷の手当てと、伝言と、仲間達の紹介。しなかったことは――
「……会えなかった」
そうだ。会えなかった。仲間に誘った次の日に、直接会って話せなかった。もし話せていたらどうなっていたのだろう。昨夜と同じようにいきなり罵倒された? 違う。きっと蒼真はこう訊ねてきたのではないだろうか。どうして助けたんだ?と。
陽千香が会いに行かなかったから、蒼真はその答えを自分で出さなければならなかった。そして蒼真は、自分から信じるという選択ができるほど、他人に気を許してはいなかった。たった一つのすれ違いが、陽千香の想いを反転させてしまったのだ。
良一が言った。
「答えが出たなら、ちゃんと話しに行った方が良いよ。志筑君が許してくれるかどうかは、分からないけど……でも、このまますれ違いっぱなしになるよりはずっと良いと思う。やった後悔より、やらなかった後悔の方が後に響くって言うしね」
「……はい」
陽千香は頷いて、涙で濡れた目元を拭った。良一の近付いて来る気配に目を向けると、顔の前に差し出されたポケットティッシュが見えた。
「ハンカチの方が絵面は良いけど、映画みたいに都合良く新品を持ってたりしないからね。こんなので悪いけど」
呆気に取られながらポケットティッシュを受け取って、それを見つめること暫し。何だか急におかしくなった陽千香は、半分泣き顔のまま笑い出してしまった。
「え……何? どうしたの?」
「ごめんなさい、せっかくカッコイイ場面なのに、そんなこと言うから何かおかしくって……っ」
悲しかった涙が、笑いの涙に上書きされる。せっかく受け取ったティッシュを使うのも忘れて笑い転げる陽千香に、良一は「そ、そんなにおかしかったかなぁ……」と参った様子で頭を掻き混ぜていた。
やがて笑いが収まった頃、陽千香はようやくティッシュを一枚取り出しながら言った。
「ありがとうございます。おかげでいろいろすっきりしました。この後、会いに行ってみます。……ホントは、ちょっと怖いけど」
またあの目で見られたらと思うだけで、辛くて堪らない。それでも会って話さなければならない。たとえ誤解だとしても、自分の行いが蒼真を傷付けたことに変わりはないのだから。
陽千香の憂いが晴れたのを見届けて、良一が安心したように微笑んだ。再びこちらに背を向けて、自分の作業を再開した彼を横目に、陽千香は半分に折ったティッシュを鼻に押し当てたのだった。




