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リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第五章 ガラス細工の針
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ガラス細工の針(5)

ため息をつく気力すら湧かないまま、陽千香は一人薄暗い天井を眺めていた。

昼休み。何も知らない有紀達にせっつかれるまま教室を出た陽千香は、居場所を求めて三階の生徒会資料室に来ていた。放課後は仲間達が揃うこの場所も、今はただの物置の様相を(てい)している。普段は誰にも見向きもされない、歴代生徒会の成果の山。その中心で埋もれながら、陽千香は手付かずの弁当の包みを指先でつつく。屋上で一緒に食べて来いと言われて、形だけ持って来てはみたものの、どうやらこれは生ゴミとして処分するほかになさそうだ。

今朝目を覚ましてからずっと、陽千香は普段どおりに見えるように振舞い続けていた。おかげで誰にも陽千香の異変を悟らせることなく、また自分自身も余計なことに意識を向けることなく、この半日を過ごしきることができた。

だがこうして一人になると、途端に声が聞こえてくるのだ。はりぼての要塞(ようさい)を突き破り、波のように押し寄せるその痛みが、陽千香の心を何度も繰り返し削り取っていく。

――この偽善者。

そう言った時の、蒼真のあの目が忘れられない。怒りと、軽蔑と、失望を込めた氷の視線。いくら考えてみても、その理由に辿り着くことができない。陽千香の行動が蒼真を怒らせたことは間違いない。なのに、いったい自分が何をしたのかが、どうしても分からない。

知らないうちに目の端に涙がたまっていることに気付き、慌てて指先で(ぬぐ)い去る。誰に見られているわけでもないが、教室に戻った時に目元が()れていてはみんなに余計な心配をかける。特に有紀達には絶対にバレてはいけない。彼女達は今、陽千香が屋上で蒼真と過ごしているものと信じて疑ってすらいないのだから。

これ以上涙が出ないように、机に突っ伏して顔を腕に押し付けていたところへ、ガラリ、と扉が開く音が鳴った。すぐ近くから聞こえたようだが、まさか資料室ではないだろう。こんな所に用があるのは、神子の他は本職である生徒会のメンバーだけだ。

「……あれ? 綾藤さん?」

呼び掛ける声に、思わず顔を跳ね上げる。こんな所に用がある人達の、両方の条件を満たす人物が一人だけいることを忘れていた。

「……飛鳥、先輩……」

「昼休みに来てるなんて珍しいね。電気も点けずにどうしたの?」

良一は、言いながら入り口横の壁にある照明のスイッチに手を伸ばした。パチン、と小さな音に続けて、室内が明かりで満たされる。薄暗闇に慣れた目に蛍光灯の白い光はやや刺さり、陽千香は細かく瞬きをしながら目の奥の痛みが鎮まるのを待った。

「……お昼、ここで食べてたの?」

後ろ手に扉を閉め、部屋の奥に踏み込んで来た良一が、机の上の包みに目をやりながら訊ねてきた。まさか人がやって来るとは思わなかった陽千香は、咄嗟に上手い言い訳を考えることもできず、あたふたしながら答えた。

「せ、先輩は、どうして昼休みなんかに……?」

「前に、もうじき選挙があるって言ったろ? 企画運営は二年のメンバー主体でやるんだけど、ゼロから考えるのは大変だからさ。参考に、ここ何年分かの資料を引っ張り出しておこうと思って来たんだ」

質問に質問で返した陽千香の無礼を気にする様子もなく、良一は笑顔で答えて壁際の棚を指差した。陽千香は慌てて席を立ち、弁当の包みを抱えながら言った。

「だ、だったら、こんな所にいたらお邪魔ですよね。私、どこか別の場所に――」

「ああ、大丈夫大丈夫。資料の場所はだいたい分かるから、そんなに散らかすつもりもないし。綾藤さんが気にしないなら、このままここにいて良いよ」

両手で留めるような仕種をしながら、良一は陽千香に背を向けた。ラベルを頼りに棚のファイルを引き出すと、指先で内容を追いながら、目当ての資料を探し始める。

陽千香は迷った結果、お言葉に甘えてもう暫くここにいさせてもらうことにした。昼休みが終わるにはまだだいぶ時間がある。もう少し時間を潰してからでないと、有紀達のいる教室には戻り辛かった。

良一がファイルのページを(めく)る静かな音を聞きながら、ぼんやりと空中を眺めて過ごす。近くに人の目があるせいか、さっきのように余計な考えが頭をよぎることはなくなっていた。良一が来てくれて、却って良かったのかもしれない。無為な時間が、すり減った陽千香の心に短い休息を与えてくれていた。

「……志筑君と何かあった?」

「……え!?」

不意に問いかけられ、陽千香はドキリとしながら声を上げた。こちらに背を向けたままだった良一は、ファイルを閉じて棚に戻すと、気遣わしげな微笑を浮かべて振り返った。

「昨夜、様子が変だったから。中庭で別れるまでは普段どおりだったし、その後で何かあったなら志筑君かなって」

陽千香は暫く良一の目を見つめ、問いかけに答えることができないまま顔を俯けた。視界の外で、良一が慌てて手を振る気配がする。

「ごめん、言いたくなければ無理に言わなくて良いんだ。もし人に話して楽になるなら、と思っただけだから」

その気遣いに、押し込めていた感情が(うず)き出す。呼吸を止めて胸の痛みが落ち着くのを待ち、やがてゆっくりと息を吐くと、ほんの僅か気持ちが楽になったような気がした。顔を上げて良一に向き直った陽千香は、自嘲(じちょう)気味の笑みを浮かべると、空笑いに乗せて留めていた言葉を吐き出した。

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