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リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第五章 ガラス細工の針
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ガラス細工の針(4)

口の中で呟きながら、その理由について思考を巡らせる。初対面のメンバーに対して彼が怒る理由はない。対象者は間違いなく陽千香であるはずだ。自分は何か彼の気分を損ねるようなことをしてしまっただろうか。昼間は会えずじまいだったから、現実世界で何かしたとは考え辛い。だが界境世界ならどうかと考えても、これといって何も浮かんでこない。昨日の夜から先ほど合流するまでの間で彼にしたことといえば、傷の手当てをしたことと、フラットを介して伝言を伝えたこと、みんなを紹介したこと。たったそれだけだ。いったいどれが気に食わなかったというのだろう。手当てをしたことが、恩を売ったように思われた? 蒼真が目を覚ますまで留まらずに現実に戻ってしまったから、薄情に思われた? それともやはり、みんなに会わせようとしたのがいけなかったのだろうか。どれも悪いようにも思えるし、全部違うようにも思える。分からない。蒼真があれほど怒る理由になるとは思えないのに。

陽千香はすっかり姿の見えなくなった蒼真の後を追って走る。幸い、ここまでは良一に指示された範囲から外れることなく動いている。指示に(そむ)く気がないのであれば、このまま廊下沿いに走って行けばいずれは追い付けるはずだ。

渡り廊下から外へ出て体育館の脇をすり抜け、テニスコートが見えてきた辺りで再び蒼真の姿を見つけた。また見失う前にと速度を上げようとした時、蒼真の周囲に青白い火花が飛び散った。彼の目線の先には、校庭に佇む巨大な影がある。上半身しかない胴体を、大木を引き抜いて取り付けたような四本の巨腕(きょわん)で支えた怪物。首筋が焦げると錯覚するような威圧感は、それが支配格であることを物語っていた。

「志筑くん、ダメ!!」

陽千香の制止も聞かず、蒼真は校庭に向かって地を蹴った。瞬きの間に距離を詰めた彼は、空中に跳び上がって身体を(ひね)ると、雷光を(まと)った脚で悪魔の頭部を蹴り下ろした。不意を打たれてまともに食らった悪魔は、しかしさしたるダメージを負った様子もなく振り返ると、蒼真を睨みながら獣のような咆哮(ほうこう)を上げた。

支配格を見つけたら、まず仲間を呼ぶこと。中庭を出る前に、良一が提示したルールの一つだ。少人数で挑むには、支配格の力は強大だ。万が一の時もフォローし合えるよう、合流を優先するように言われていた。それを無視したうえ、陽千香の存在すら差し置いて一人で仕掛けてしまうとは、いくら蒼真でも無謀(むぼう)すぎる。

「リヒト、光を!!」

『はいですわっ!!』

陽千香の意を汲み、リヒトが上空高くに舞い上がっていく。彼女は校舎の三階に届こうかという位置で止まると、頭上に(まばゆ)い光球を生み出して、周辺一帯を強く照らした。光は僅かな時間で途切れてしまったが、集合の合図としてはあれで申し分ない。陽千香はリヒトをその場に残し、蒼真の方へ全力で駆け出した。テニスコートを経由してフェンスの扉をくぐり、蒼真に加勢すべく校庭へと踏み出していく。そこで目にした凄まじい戦闘の光景に、陽千香は思わず(ぼう)として足を止めた。

巨大な腕が、低い音を立てながら空を裂いて横切っていく。掠っただけでも骨を粉々にするであろう拳が、濛々(もうもう)と土煙を上げて地面を撃つ。近付くことすら躊躇(ちゅうちょ)するような悪魔の猛攻。その全てを掻いくぐり、雷撃の光が鋭く閃いている。頭を、胴を、四本の腕の間を縦横無尽に駆けながら、蒼真は悪魔の全身に青白い光を叩き込んでいく。一撃撃ち込まれるたびに悪魔の動きは鈍り、次の攻撃までの間隔が広がっていく。逆に蒼真のスピードは加速度的に跳ね上がっていき、もう目で追えるのは刹那に浮かぶ人影と光の軌跡だけになっていた。

あまりにも一方的だった。指一本触れさせることのないその攻撃は、まるで動かない木偶(でく)人形でも相手にしているかのようだ。悪魔が遅いわけではない。蒼真が速すぎるのだ。稲光の(はや)さで攻め続ける蒼真の前に、その悪魔はもはやなす(すべ)もなかった。

攻撃は、悪魔の絶命とともに終わりを迎えた。力なく地面に倒れ込み、校庭の白い砂を巻き上げた悪魔の巨体を、蒼真は無感情に見上げていた。恐る恐る近付いて行った陽千香に視線を移すと、蒼真は凍り付くほど冷ややかな声で言った。

「満足か?」

「……え?」

何を言われたのか分からず、陽千香は戸惑ったまま訊き返した。

「苦労して引き入れた奴が使い物にならなかったら困るもんな」

「……志筑くん? 何言ってるの?」

淡々と、淡々と。抑揚のない蒼真の声が、毒を含んだ雪のように陽千香の心臓に降り積もっていく。雪から()け出したその毒は、拍動(はくどう)に合わせて身体中に拡がり、陽千香の神経を緩やかに麻痺させていく。押し寄せる不安に耐えながら蒼真に対峙していた陽千香は、ふと面を上げた蒼真の目を見て、とうとう呼吸を詰まらせた。

そこにあったのは圧倒的な不信感。初めて屋上で会った時に向けられた視線よりも、さらに拒絶の色を濃くしたそれは、敵意にも似た鋭さで陽千香の全身を貫いた。言葉を失っている陽千香に対し、蒼真はさらに言い(つの)る。

「随分なお人好しだと思ってたら、とんだ勘違いだ。まんまとハメられた。抵抗してやろうかとも思ったけど、面倒だからもうどうでも良い。お望みどおりに手伝ってやるよ。その代わり、もう現実世界で俺の周りをうろつくな」

「ね、ねぇ待って……さっきから何言ってるのか分からないの。ハメられたって……私、志筑くんの気に(さわ)るようなこと何かした……?」

陽千香が訊ねると、蒼真は針のような視線で陽千香を見た。嫌悪すら(にじ)むような表情を浮かべ、吐き捨てるような口調で答える。

「大した根性だな。まだごまかす気か? 戦力欲しさに近付いたくせに、白々しすぎて反吐(へど)が出る」

「……あ……」

明確に陽千香を攻撃する言葉に、口元を押さえて黙り込む。目頭に込み上げてくるものを必死に堪えていると、(とど)めを刺すように蒼真が言った。

「お前みたいのが一番ウザいんだよ。この偽善者」

言われた瞬間、周りの時間が凍り付いたような気がした。頭の芯が真っ白になって、思考が何もまとまらない。スプーンで攪拌(かくはん)されているかのごとく視界が回り、自分が今、立っているのか座っているのかもよく分からなくなってくる。溶けかけのアイスクリームのように崩れていく五感の中で、心臓だけが引き()るような痛みを訴えている。聞き覚えのある声が遠くから響いてくるのを辛うじて認識し、陽千香はその声だけに意識を向けることにした。

「陽千香先輩、大丈夫ですか!?って……あれ? 悪魔は?」

「もしかして、もう倒しちゃったのかい? つまらないねェ、せっかく来たのに」

「ま、窓から大きな影が見えましたけど……あれ、二人だけで倒しちゃったんですか? すごい……」

「志筑くんの姿が見当たらないみたいだけど、どこに行ったんだ? 綾藤さん、知ってる? ……綾藤さん?」

「陽千香先輩、呼ばれてますよ? ……先輩?」

「……何か様子が変だねェ」

「か、顔色も悪いみたいですよ……?」

「先輩、大丈夫ですか? 先輩ってば」

地面が揺れる。ぐらぐらしている。誰かが自分に呼び掛けて、肩を揺すってくれている。

心配をかけてはいけない。いつもどおりに振舞わないと。笑え。ワラエ。

「……大丈夫……ちょっと、疲れただけだから……」

「あ、喋った! 良かったぁ……」

「合流優先って言ってあったのに……だいぶ無茶したんじゃないか? 顔が真っ青だよ……」

「消耗してるなら、もう現実に戻った方が良いんじゃないかい? 支配格を倒したんなら、ここに留まる理由もないしねェ」

「……そうですね……そうします……」

答えてから、自分の肩に止まっているリヒトに向かって呼び掛ける。小さな応答の後、視界の端に白い何かが映し出される。

『じゃあ……いきますわよ』

いつもと違って元気のないリヒトの声に続き、風船が弾ける大きな音が耳に届いた。全身から力が抜けて、意識がどんどん遠のいていく。全ての感覚が薄れていく中で、心臓の痛みだけがはっきりと残っている。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。答えの見つからない問いかけを最後に、陽千香の意識は途絶えた。

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