ヤマアラシのジレンマ(15)
結局戦闘のほとんどを蒼真に任せてしまいながら、校舎の中は一通り巡り終わった。支配格の姿はまだ見つかっていない。蒼真でも察知できないとすると、校舎の外にいるのかもしれない。
正面玄関から回り込んで校庭に出る。見渡す限りにそれらしい影は見当たらないが、どこかに潜んでいる可能性もある。注意は怠らないようにしながら校庭の中央まで歩いて行き、一帯の様子を窺う。
「……いないわね」
陽千香の呟きに、蒼真は沈黙で応える。彼の身体からは時折、周囲を探るように光の筋が立ち昇っていた。
「そういえば……志筑くんて、何の神子なの?」
興味本位で訊ねてみると、悪戯っぽい笑みを浮かべてフラットが代わりに答えた。
『ヒントはね~……ビリビリだよ!』
「ビリビリ? ……あ、分かった。雷!」
『ピンポーン! ひちかセイカイ!』
陽千香の答えに、フラットが小さな手を打ち鳴らした。言われてみれば確かに、彼の周囲に見える光は電流のそれに見える。目で追うのが難しいようなあの速さも、能力の性質によるものだとすれば得心がいった。
「私の能力は光なの。でも、まだまともに力を引き出せたことがなくて……使いこなせてるみんなが羨ましい」
『ふーん? 何でだろうね?』
首を捻るフラットに合わせて、陽千香も小首を傾げてみせる。他の仲間が揃ってからも、自分の能力は目覚めないままだ。あまり気にしないようにしてきたが、さすがにそろそろ心配になってきた。ちゃんと能力が使えていれば、もう少し蒼真の役にも立てたかもしれないというのに。
「剣を振るしか能がないから、戦闘では他のみんなより見劣りしちゃって……志筑くん強いから、一緒だと心強いわ」
そう言ってから、蒼真の方に視線をやる。蒼真と目が合うと、陽千香は思い切って訊ねた。
「私達に協力してって言ったら、やっぱり嫌?」
一瞬、蒼真の目が驚いたように揺れた。その微かな動揺はすぐに消え失せ、代わりに頑なな意思が顔を覗かせる。
「……馴れ合う気はない」
目を逸らしながら答えた蒼真に、陽千香は追い縋るように言った。
「でも、私にはこうして協力してくれてるじゃない?」
「……借りが、あるから」
短い沈黙を置いて呟く蒼真に、陽千香は首を振ってみせる。
「夕方会った時に言ったでしょ? あれは助けてもらったお礼。借りがあったのは私の方よ」
単純な貸し借りだけなら、蒼真はもう陽千香に関わる理由がない。たとえ僅かでも陽千香を信用してくれたから、こうして一緒に来てくれたのだと信じたい。
真っ直ぐ蒼真を見つめていると、彼の表情が不意に翳った。屋上で何度か見かけた、あの寂しげな表情。蒼真は躊躇うように視線を揺らし、やがて意を決したように口を開いた。
「……何で――」
全身に総毛立つ感覚が走ったのはその時だった。何気なく瞬きをして、次に目を開けた瞬間、視界の端にあり得ないものが映っていた。
巨大な眼が一つ。空間に忽然と現れたそれは、ぎょろり、と音がしそうな動きで陽千香の方を睨め付けると、周辺の空気一帯に強烈な殺気を膨らませた。
陽千香がそちらに顔を向けるのと、耳が舌打ちの音を捉えるのとはどちらが早かっただろうか。左肩に衝撃が走り、陽千香は転がるようにして地面に倒れた。攻撃にしてはやけに軽い。肩を押さえながら起き上がり、嫌な予感に慌てて視線を巡らせる。
「志筑くん!?」
視界の中に、ぬらりと異様な光が映る。海の上にぶちまけられた機械油のごとく、歪んだ虹色を纏った透明な触手。蛇の群れを思わせる動きで地を這っているその先端には、捕らえられた蒼真の姿があった。全身を絡め取られて身動きできないらしい彼は、絞め上げる圧力に苦悶の表情を浮かべている。
獲物を手中に収め、眼が奇怪な音を立てて嗤った。まるで蒼真が苦しむのを愉しむように、じわじわと触手に力がこもっていく。堪えきれずに声を上げた蒼真に、陽千香は弾かれるように地を蹴った。
「志筑くんを放してっ!!」
目視できる中で最も太い触手目掛けて斬り付けると、半ばまで裂かれたそれがのた打ち回りながら蒼真から離れた。だが、いったいどこから生えてくるのか、次の触手が入れ替わるように伸びてきて、再び蒼真の自由を奪いにかかる。次の一撃でそれを刎ね飛ばすも、触手はまるで無限であるかのように陽千香の周囲に蠢いていた。これではいくら斬ってもイタチごっこになってしまう。蒼真を解放するにはまとめて切り離すしかないが、陽千香だけではとても手数が追い付かない。
貴則かあやめのどちらかでもここにいてくれたら。いくら悔やんでも、二人の姿は今この場にはない。
「志筑くん……!!」
焦る陽千香が見やった先で、蒼真が細く目を開いた。表情は苦しげに歪めたまま、その眼光は射貫くような鋭さで悪魔を見据えている。がんじがらめにされた身体が青白い光を放ち、次の瞬間、強烈な電撃が触手を伝って悪魔を撃った。
自由の利かないはずの蒼真から思わぬ反撃を食らい、空中に浮かんだ眼が驚愕したように見開かれた。痙攣し、焼け焦げていく自らの触手を暫く眺め、やがて蒼真の方へ視線を定める。周囲の気温が下がったと錯覚するような悪寒に陽千香が身を震わせた刹那、悪魔は触手を高く持ち上げ、その先端を蒼真ごと地面に叩き付けた。
悲鳴すら出せなかった。触手から放り出され、力なく転がる蒼真の身体に視線を釘付けにしながら、陽千香は全身から血の気が引いていくのを感じた。どこか遠くの方で、フラットが蒼真の名前を呼んでいるのが聞こえる。何度も何度も繰り返し呼んでいるのに、蒼真はピクリとも反応しない。陽千香は引き寄せられるように蒼真の方へと近付くと、投げ出された腕に手を伸ばし、その指先にそっと触れた。陽千香より一回り大きな手は、校庭の砂にまみれたまま、動き出す気配すらもなかった。




