表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第四章 ヤマアラシのジレンマ
PR
22/74

ヤマアラシのジレンマ(3)

弁当箱に詰まっているプチトマトを箸の先でつつきながら、陽千香は今日何度目かのため息を零した。

「……どうした陽千香? 箸が進んでないみたいだけど」

「ん? うん、ちょっとね」

塩鮭の身をほぐしながら訊ねてくる有紀に、曖昧に返事を返す。

考えていたのは昨日の放課後、屋上でのこと。あの時、何だか無性に怖くなって咄嗟に逃げ出してしまったが、一晩経って冷静になってみると、少年に悪いことをしてしまったと後悔していた。

タチの悪い上級生に絡まれた陽千香を無傷で帰してくれたのに、礼の一つも言わずに逃げてしまったのは、我ながら随分な態度だったのではないか。

陽千香は暫く迷ってから、隣で弁当を食べていた奈緒に訊ねた。

「ねぇ奈緒、知ってたら教えてほしいんだけど……うちの学年で、めちゃくちゃケンカの強い金髪の男子って言ったら、誰か思い当たる人いる?」

屋上で見た彼の上履きの色は、陽千香と同じ学年であることを示していた。いかに人脈の広い奈緒といえど、さすがに不良達との付き合いはないだろうが、同じ学年の中でなら心当たりくらいあるかもしれない。

陽千香の問いかけに、彼女は数回瞬きの後、怪訝そうな顔をして答えた。

「知ってるも何も、うちのクラスにいるけど」

「……へ?」

思わぬ答えに目を見開くと、奈緒は唐揚げを頬張りながら顎をしゃくってみせた。

示された先には、長いこと使われた形跡のない机がある。陽千香はクラスの名簿を頭に思い浮かべ、座席と見比べながら消去法でその席の主を特定する。

「……もしかして志筑(しづき)くん?」

「ふぉう」

まだ口の中に唐揚げが残っているのだろう、奈緒が間の抜けた発音で肯定した。

志筑(しづき)蒼真(そうま)。教室ではほとんど見かけた覚えのない、学年でも屈指の問題児だ。あまりにも顔を見せないので、陽千香は同じクラスであることさえすっかり忘れてしまっていた。卵焼きを箸で切り分けていた明美が、陽千香の唐突な質問に不思議そうに首を傾げる。

「志筑くんがどうかしたの~?」

訊かれて、どう答えたものかと返答に詰まる。まさか先日の出来事を素直に報告するわけにもいかない。そんなことをすれば、この後半日くらいは有紀の説教を食らうハメになってしまう。陽千香は頭をフル回転させて、それらしい言い訳を(ひね)り出した。

「この前、怖そうな先輩達に絡まれてるのをたまたま見かけたの。先生呼ぼうか迷ってるうちに、あっという間に返り討ちにしちゃったんだけど……同じ学年なら廊下ですれ違うかもしれないし、気を付けておいた方が良いのかなー……なんて」

「あんた……よく巻き込まれなかったね? そういう連中は放っとけば当人同士でカタ付けるもんなんだから、変にお節介焼かなくて良いんだよ」

陽千香の嘘を真に受けて、有紀が心底呆れたような口調で言った。

「志筑くん、ケンカ強いって有名だもんね~。先生達も怖がってるくらいだし……」

有紀の言葉に頷きながら、明美も微かに眉を寄せる。噂くらいなら、陽千香も以前に耳にしたことがある。上級生相手に(かす)り傷一つ負ったことがないケンカの申し子とか何とか。いくら何でも尾鰭(おひれ)の付きすぎだと思っていたが、自分は昨日、まさにその様を目の当たりにしてきたのだった。

「けどさぁ、志筑君て自分からは吹っ掛けないって聞くよ。いつも周りから売られるばっかりだって」

「売るのも買うのも大差ないでしょ。毎回相手ボコボコにしちゃうんだから、狂暴なのは間違いないんだし」

「まぁ、そうなんだけどさ~」

有紀と奈緒のやり取りを聞きながら、陽千香はおとがいに手を当てる。狂暴。その単語に対する違和感。不良達を一瞬で叩きのめしてしまった姿は確かにちょっと恐ろしかったが、昨日出くわした三年生達と違って、誰かれ構わず突っかかってくるようなタイプではなかったように思う。暴力にしても、相手を痛めつけているというよりは、必要だから振り払うといった感じの、ある種の素っ気なさが感じられた。自分からは吹っ掛けないというのが本当なら、こちらが刺激するような真似さえしなければ、話くらいは聞いてくれるのではないだろうか。

陽千香は教室の壁にかかった時計を見上げた。昼休みが終わるまで、まだ暫くの猶予(ゆうよ)がある。食べかけの弁当を片付け始める陽千香に、奈緒が目を丸くして訊ねた。

「え、何? 陽千香どっか行くの?」

「うん、ちょっと用事思い出しちゃった。みんなはゆっくり食べてて!」

呆気に取られた顔でこちらを見ている三人をその場に残し、陽千香は教室を後にした。

すぐ近くの階段から三階に上がり、廊下を進んで南東の階段へと向かう。屋上まで続いている階段はここだけだ。最上段を上りきり、目の前の金属扉と暫し睨み合う。深呼吸して緊張を追い払うと、陽千香はいよいよ扉のノブに手をかけた。錆びた金属の音が響き、その先によく晴れた青空が広がった。

少年は昨日と同様、フェンスの向こう側に座っていた。扉の開く音に気付いたのだろう、肩越しに振り向いて陽千香の姿を認めると、ただでさえ険のある目元をいっそう鋭く(すが)めてみせる。陽千香はごくりと唾を飲むと、なるべく自然な動作で彼に近付き、その背中に声をかけた。

「こ、こんにちは」

少年は応えなかった。まるでネコ科の動物が警戒している相手にするように、身動(みじろ)ぎもせずこちらを睨み付けている。陽千香は少年の敵意に気付かない振りをしながら続けた。

「昨日は、逃げ出しちゃったりしてごめんなさい。ケンカなんて見たの初めてで、いろいろびっくりしちゃって、その……」

一度言葉を切り、フェンスを挟んで少年の隣に座り込む。

「助けてくれて、ありがとう。あなたは、ケガとかしなかった……?」

訊ねる声に、やはり返答はない。だが、陽千香に害意がないことだけは伝わったようだった。少年はついと視線を外し、最初と同じように空の方を向いてしまった。自分から積極的に関わろうとする意思はなさそうだ。陽千香は構わず話し続けた。

「あの……志筑くん、よね? 二-Aの。私、同じクラスの綾藤っていうの。二年に上がったばかりの頃に、何度か教室で見かけた気がするんだけど……覚えてないわよね」

彼は答えない。ただ、睫毛(まつげ)だけが頷くように下を向く。

「顔を見たの随分前だから、私も昨日咄嗟に誰だか分からなくて。友達に訊いて、ようやく同じクラスだって思い出したの。教室に来ないと思ったら、いつもこんな所に来てたのね」

始めの緊張は、口を開くたび薄らいでいった。蒼真は何も答えてはくれなかったが、一方で陽千香に何かしようとする素振りも見られなかった。やはり奈緒が言っていたことは本当なのだろう。こちらが危害さえ加えなければ、過剰に警戒する必要はなさそうだ。陽千香は少し肩の力を抜くと、昨日から気になっていた質問をぶつけてみた。

「ね、どうしてそんな所に座ってるの? 落ちたりしたら大変よ……?」

言葉の合間に、蒼真の表情を(うかが)い見る。色素の抜かれた髪に陽の光が透けて、微かに光っている。空に向けられた眼差しは、どこか寂しげにも見えた。

何を見ているのだろうか。陽千香は蒼真の視線の先を追って上空を仰いだ。薄い水色の中に、細い雲がいくつもなびいて筋を描いている。のんびりしていて安らげる風景だったが、これを見るためにわざわざこんな所にいるとは思えなかった。

視線を地上に引き戻し、再び蒼真の方を見る。と、視界の中に違和感を感じた。何かと思って見てみれば、フェンスの向こう側に白い何かが落ちていた。ほんのりと銀を帯びたそれは、まごうことなき神子の証だった。

陽千香は目を見開いて蒼真の横顔を凝視した。まさか彼が最後の一人なのだろうか。自分もそうだとこの場で名乗り上げれば、界境世界で合流できるかもしれない。陽千香はスカートのポケットに手を突っ込み、急いで自宅の鍵を取り出した。キーホルダーの先に繋いだ自分の羽根を見せようとして、目に入った光景に愕然とする。

ない。羽根がない。キーホルダーの先端に付いた金具が緩んで、その先に取り付けてあったはずの羽根が外れてしまっている。慣れない手付きで四苦八苦しながら作ったものだったから、何かの拍子に落としてしまったのかもしれない。

あまりの事態に真っ青になりかけた陽千香だったが、ふと目の前に落ちている羽根に見覚えのある金具が付いていることに気が付いた。フェンスが邪魔で手元では確認できないが、間違いない。それは陽千香が落とした羽根だった。

蒼真の持ち物ではなかった。一瞬期待してしまっただけにがっかりしたが、羽根を紛失するようなことにならなかっただけ良しとしなければならない。陽千香は安堵の息をつきながら、フェンスの隙間に手を差し込もうとした。が、網目が狭くてとても向こう側には届かない。角度を変えてみたり、地面と金網の隙間から手を伸ばしてみたり、いろいろ試したがどうにも難しそうだった。

陽千香はちらりと蒼真の方を見やった。彼は相変わらず空に目を向けたまま、陽千香には見向きもしないでいる。陽千香は少し迷ってから、結局蒼真に声をかけた。

「あ、あの、志筑くん……ちょっと、お願いがあるんだけど」

蒼真は顔を上空に向けたまま、目の端で陽千香の方を見た。陽千香はフェンスの向こうに人差し指だけを突き出して、羽根の方を示しながら言った。

「それ、取ってもらえないかしら……?」

蒼真の視線が、陽千香の指先を追って羽根を捉える。少し風が出てきているのだろうか。羽根の綿毛の部分がふわふわとそよいで揺れている。金具の重さがあるとはいえ、万が一にでも飛ばされたら大変だ。陽千香は胸の前で手を合わせて蒼真に頼み込んだ。

「大事なものなの、お願い……!」

蒼真はこれ見よがしにため息をつくと、羽根の方に手を伸ばした。握り込むようにして羽根を拾い上げると、大儀そうに立ち上がってフェンスをよじ登り始める。彼はほとんど足音も立てずに着地すると、羽根を掴んだ方の手を陽千香の方に差し出してきた。両手でお椀を作ってその下にかざすと、軽い感触とともに羽根が手の中に納まった。

「あ、ありがとう……」

礼を言う陽千香に、蒼真は興味なさそうな一瞥(いちべつ)を向けると、そのまま無言で歩き出してしまった。彼の行く先には屋上の扉がある。さすがにちょっと干渉しすぎただろうか。鬱陶しがられてしまったのかもしれない。

「さ……騒がしくしちゃって、ごめんねっ」

彼の背に向かって声をかけたが、もちろん返答はなかった。錆びた扉の閉まる音を見送ると、陽千香は小さく息をついて、手の中で揺れている羽根を見つめた。気が付けば、スピーカーが昼休みの終わりを告げていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ