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リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第三章 赤いキノコは食べられるか?
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赤いキノコは食べられるか?(7)

最初に飛び掛かって来た一体が、何の前触れもなく目の前で両断された。その残骸が床に落ちるよりも早く、次の一体が縦半分に割れて、後続の蜘蛛の波に呑まれていく。押し寄せる悪魔の群れは、しかし陽千香達に指一本触れることもできず、断末魔とともに消えていくのだった。

「ほら、どうしたんだい? 掛かっておいでよ」

声と同時に、最前列にいた数体がまとめて胴を薙ぎ払われる。体育館の床に()けて沈んでいくそれらを目に映しながら、陽千香はすぐ傍に佇む貴則の力に言葉を失っていた。

格が違う。そう表現するしかないほど、その戦い振りは圧倒的だった。その場から一歩も動かずに次々と悪魔を倒していく様は、まるで魔法でも使っているかのようだ。

貴則の様子に気を取られていた陽千香のすぐ背後で、ぎぃ、と耳障りな悲鳴が聞こえた。慌てて振り向けば、そこには袈裟懸けに切られた蜘蛛の姿がある。ひやりとそれを見る陽千香に、貴則が嗤って言った。

「あんまりぼぉっとしてると危ないよ。全部がボクを狙ってくるわけじゃないからね」

「……はい」

返事をするのがやっとだった。陽千香が剣を構えている間にも、すぐそこにいた悪魔が一体、また一体と切り刻まれて融けていく。陽千香は剣の柄を強く握り込みながら、乾いた咽喉で声を絞り出した。

「久我先輩……先輩の能力って……?」

貴則は答えた。

「そうだねェ……ヒントくらいあげようか。吸血鬼の特徴と言ったら、キミは何を思い浮かべる?」

「きゅ、吸血鬼……?」

場違いな問いかけに、それでも陽千香は自分の記憶を引っくり返して答えを探す。よく言われるのは、十字架やニンニクが苦手だということだろうか。太陽の光や、川のように流れる水もダメだったように思う。あとは鏡に映らないとか、影がないとか――。

「……あれ?」

思考の途中で、ふと気付いた。貴則の足元。リヒトの光に照らされて、影ができているはずのそこには、空白の床が広がっている。自分の足元にはあるそれが、何故彼だけ存在しないのか。

悲鳴とともに、また一体悪魔が地に倒れた。融けて消えていく悪魔を見た陽千香は、はっとなって周辺の床に視線を走らせた。悪魔達の足元を()って素早く動く"何か"を視界に捉えた時、その正体を表す単語が陽千香の口を突いて出た。

「……"影"……」

貴則が口の端を一段高く吊り上げた。地の底から何かを呼び覚ますように、右腕を身体の脇にかざす。

「正解。よくできました」

くく、と嗤いながら言った貴則の手元が歪んだ。水面に石を投じたように波紋を描くそこから引き抜かれたのは、闇から削り出したような深い漆黒だった。光を呑み込む(つや)消しの長柄(ながえ)。三日月を思わせる湾曲(わんきょく)した刃。黒曜石(こくようせき)の装飾が怪しく煌めく、死神の象徴。

貴則が大鎌の柄の先で床を叩くと、また次の悪魔を屠り終えた影が、瞬時に彼の足元に戻って来た。単なる影に戻ったように見えたそれは、貴則本体の動きを無視して、背後から襲いかかろうとした一体に大鎌の一撃を振るってみせる。影が切り裂いたのは、飛び掛かってきた蜘蛛の影。(はさみ)を入れた布のように断たれた影が(きり)のように消滅すると同時、実体の蜘蛛が頭から二つに割れて地に落ちる。

「ボクの能力は"影"。自分の影を使って相手の影に干渉し、影に起こった出来事を本体に反映させる力だよ。ボク自身の影は武器にも盾にも変幻自在、手足より自由に動くんだ。目の前の刃には警戒できても、影にまで注意を払う奴はそういない。たとえ警戒してみせたところで、同じように影を操れでもしない限り、ボクの刃をかわすことはできない。至極単純な仕掛けさ。こいつらには理解できないだろうけどね」

そう言って貴則は、流し目で蜘蛛の群れの方を見た。ぴたりと貴則に寄り添っていた影が、瞬きより速く地を滑り、悪魔達の命を刈り取っていく。

ここへきて、悪魔達はようやく貴則が脅威であることを悟ったようだった。闇雲に仕掛けてくることはせず、慎重に隙を窺うような動きを見せ始める。貴則は嗤った。

「虫のくせに相手の隙を窺うなんて知恵があるんだねェ。でも足元ばかり見てるのは、やっぱり賢いとは言えないな」

言い終えた刹那、これまでずっと同じ場所に留まっていた貴則が動いた。流れるように間合いを詰めると、手にした大鎌を横薙ぎに一閃する。数体の蜘蛛を切り捨て、その勢いのまま螺旋(らせん)を描いてさらに数体を仕留める。貴則の接近に気付いた蜘蛛が飛び掛かろうとしたその時には、既に影の刃が足元から彼らを切り刻んでいた。

蜘蛛の大群に囲まれた状態で、貴則の余裕はなお揺るがない。足元からは影の刃。正面からは実体の刃。彼の攻撃から逃れるには、そのどちらをもかわしきらねばならず、蜘蛛達は混乱したままどんどん数を減らしていく。

「……強いとは思ってたけど、ここまでとは思ってなかったかな」

ふと横合いから声がして振り向く。そこには引き攣った笑顔を浮かべた良一が立っていた。

「反則です……あんなの敵いっこないですよ」

眉間に皺を寄せた圭介が、吐き捨てるように言って俯く。その隣では、フルートを抱えたあやめが不安そうな目で陽千香の方を見やっていた。

きっとこの場の全員が、同じことを考えているのだろう。自分達は、貴則のテストには合格できない。四人揃っても、彼の実力には到底及ばない。

陽千香はとうとう構えを解き、剣の切っ先を地面に下した。悔しさに唇を噛みしめながら、未だ悪魔達の中心で舞い続ける貴則を見る。戦いが終わったら、彼は無慈悲にこう言うだろう。落第だ、と。実力の違いに打ちひしがれ、陽千香達は押し黙ったままその場に立ち尽くしていた。

事態が変わったのはその時だった。貴則を取り囲んでいた蜘蛛の群れが、突然全ての攻撃行動を止めた。不審げに眉を寄せる貴則を放置し、壁際に()っている糸を伝ってぞろぞろと天井へ引き上げて行く。

「……何だ? 悪魔達、いったいどうしたんだ……?」

「きゅ、急に逃げて行っちゃいましたね……」

周囲を見回しながら、良一とあやめが呆然と呟く。何だろう、酷く嫌な予感がする。天井の蜘蛛の巣を睨みながら陽千香が剣を構え直そうとした刹那、圭介の頭から顔を出したミレイが、普段からは想像できない緊迫した声で叫んだ。

『貴則、避けて!!』

「っ!」

貴則が地を蹴った直後、大気を押し退けるような重い音とともに、黒い塊が天井から降って来た。貴則が立っていた辺りの床一面を覆いつくしたそれは、体育館中に張り巡らされたのと同じ黒い糸。再び天井を見やった陽千香の目に、(とげ)の生えた巨大な脚が映った。

――ギチギチギチギチギチギチ……

耳障りなその音は、"そいつ"の口元から発せられていた。先ほどまで相手にしていた蜘蛛達の、優に数倍はあろうかという巨躯(きょく)。針のような毛に覆われた身体からは、八本の長い脚が伸びている。般若(はんにゃ)の面を思わせる顔には爛々と光る眼が複数付いており、耳まで裂けた口元から、鋭い牙が覗いていた。

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