赤いキノコは食べられるか?(5)
――ザンッ!
横薙ぎに払った剣の刃が、飛び掛かろうとした悪魔の両腕を刎ね飛ばした。攻撃の手段もろとも身体の一部を失い、空中で体勢を崩した悪魔の額を、良一の正確な射撃が射貫く。断末魔を残して塵と化す悪魔にほっとしたのも束の間、新手の悪魔がすぐ後ろから現れる。
「鬱陶しいってのっ!!」
叫ぶと同時に、圭介が巨大な氷塊を振り下ろす。悪魔は圧し潰される寸前で避けるも、ハンマーから噴き出す強烈な凍気からは逃れられず、足元を氷で封じられてその場から身動きできなくなる。
「やあぁっ!」
気合とともに振るった剣が、悪魔の脳天から一直線に地面へ落ちる。真っ二つに斬られた悪魔は、肺から空気を絞り出すような奇妙な音を最期に、光となって散っていった。
「なるほど。連携は見事と言っておこうか」
空中をたゆたう光の粒子を眺めながら、貴則はいつもの薄い笑みで嗤った。こちらが必死になって戦っている間、彼は相変わらず武器も出さずに突っ立っているだけだった。陽千香達を見定めようとしているのは分かっているのだが、こう温度感が違うと何やら釈然としないものがある。
「ちょっと久我センパイ、ボーっと見てないで少しは手伝ってくださいよ!」
顔合わせで失敗して以来、早くも貴則とのそりの合わなさを発揮している圭介が、早速彼に噛み付きに行く。不機嫌も露わな圭介に対し、貴則の態度は見た目には穏やかなものだった。
「もちろん、やるべきことはやるさ。ほら――」
ザクッ。背後から聞こえた音に振り向くと、そこには胴の中ほどを切り裂かれ、地に倒れ行く悪魔の姿があった。
「――キミ達の討ち漏らしは仕留めておいたよ。満足だろう?」
「む、ぐぐぐぐ……」
やり返された圭介はぐうの音も出ない。貴則は態度と裏腹に、言うことやることがえげつない。相手が圭介だから余計にそうなのだろう。いずれにしても、この二人は見ていて本当に危なっかしい。
「ふ、二人とも、こんな所でケンカなんてしないで!」
「ケンカするほど、とは言うけどなぁ……」
必然的にフォローの役回りとなるのは陽千香と良一なのだが、良一は二人のことはどこか諦めている節がある。もっぱら気を揉んでいるのは陽千香ばかりとなり、余計な体力を消耗してしまうのだった。
「それにしても……何だか気持ちが悪いねェ」
「? 何がです?」
貴則の漏らした呟きに、陽千香は頭を傾げた。貴則はちらとこちらに視線をよこした後、何事か考え込むような仕種を見せる。
「……悪魔の気配とは違う気がしたんだけどねェ」
「え?」
訊き返す陽千香には答えず、貴則はくるりと背を向ける。気のせいかな――と、そんな呟きが聞こえたような気がした。
「それにしても久我君、君の能力っていったい何なんだ? そろそろ教えてくれても良いと思うんだけど」
再び歩き始めた貴則に続きながら、良一が問いかけた。陽千香も、ずっとそれが気になっていた。武器も構えず、相手を切り裂く謎の力。始めは風の能力かと思っていた。風であれば、目に見えずともカマイタチのように悪魔を裂くことができるのではないか、と。だが、それなら風の流れや音を五感で感じることはできるはずだ。彼の場合、そんな気配すら感じさせずに悪魔を屠ってしまうのだった。
「そうだねェ……教えてあげても良いけど、もう少し後に取っておこうか。もし当てられたら、金一封でも出すかもしれないよ」
冗談交じりにはぐらかされてしまい、陽千香は唇を尖らせる。圭介ではないが、そんな風に言われると対抗心が頭をもたげて、何が何でも当ててやりたくなる。
校舎二階を一通り巡り終え、そろそろ下へ降りようかという時だった。先頭を歩いていた貴則が、急にその場で足を止めた。陽千香は慌てて立ち止まったが、その後ろから付いて来ていた圭介が間に合わず、玉突きとなって貴則の背中にぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい! 圭介くんも大丈夫?」
「……やっぱりいるね」
「え?」
ぶつけた鼻を押さえながら訊き返すと、振り返った貴則は鋭い目付きで嗤っていた。
「足音が一人分多い」
貴則の台詞に、三人は弾かれたように周囲を警戒する。近くに悪魔がいる時特有の、うなじがひりつくような感覚はない。少なくとも、即座に自分達に危害を加えられる位置に悪魔はいない。だが何か、それとは異なる気配が近くに潜んでいることに気が付いた。誰かがこそこそとこちらの様子を窺い見ているような。先ほどから貴則が気にしていたのは、どうやらこの気配であるようだ。意識を集中させて大元を辿っていくと、廊下の端の壁向こうに気配の主がいるようだった。陽千香が無言で指を差すと、貴則が短く相棒の名を呼んだ。
「レイヴン」
『おっしゃ、任せな!』
威勢よく応じたレイヴンは、翼を数回はばたかせると、突如地面に向かって急降下した。床にぶつかるかと思いきや、その姿は水に沈むかのようにとぷんと消えてしまう。驚いて見ている陽千香達の前で、残された影だけが滑るように床を走って行き、やがて廊下の角まで辿り着くと、地面から勢いよく現れた彼が大声をあげた。
『誰だっ!?』
「ひゃぁぁぁっ!?」
甲高い悲鳴と、何かが地面に落ちる重い音。咄嗟に脳裏に浮かんだのは、驚いた女の子が尻もちをついているイメージだった。
そんなことより、今の悲鳴を聞いた陽千香には、一つ確かめたいことがあった。
「……ねぇ、圭介くん。今の声、どこかで聞き覚えがある気がするんだけど……?」
「……ええ、僕も思いました。知り合いの誰かに似てる気がします」
頷いた圭介は、警戒を解いて悲鳴の聞こえた方へ歩き始めた。怪訝そうな顔をしている三年生二人はとりあえず置いて、陽千香もその後を追いかける。
先に着いた圭介は、どうしたものかという表情で、床にうずくまった"それ"を眺めていた。隣に立った陽千香に対し、何とも形容しがたい困惑の視線を投げてくる。
圭介にも負けない小柄な体躯に、頭を覆うか細い腕。その隙間から覗いている、印象的なハーフツイン。顔を合わせたのは一度だけだが、不思議と記憶には残っている。圭介の教室の前で会ったクラスメイトの少女、名前は確か……。
「あやめちゃん……こんなところで何してるの?」
うずくまって震えている少女の傍らに座り込むと、呆れた口調で圭介が問うた。
『あン? 何だ、チビ介の知り合いか?』
「チビって言うな! ……村崎あやめちゃん。学校のクラスメイトだよ」
目を丸くして訊ねるレイヴンの無礼を即座に正しつつ、圭介は少女の代わりに答える。後から追いついて来た良一と貴則にも紹介すると、事情を訊ねるべく再び彼女の方に向き直った。
「あやめちゃん?」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいっ!」
あやめは何がそんなに怖いのか、顔も上げずにひたすら「ごめんなさい」と繰り返している。
「……あやめちゃん。ごめんなさいばっかりじゃ何も分からないよ」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「……埒が明かないねェ」
壊れたラジオのように謝り続けるあやめに、貴則はうんざりした調子で呟いた。
「何だか面倒くさいことになったね……キミ、クラスメイトなんだろう? 何とかしなよ」
「そんなこと言ったって……」
むくれた顔で応える圭介だが、実際彼女にどう対処すれば良いか分からないのだろう。頭を掻き回しながら、あやめに困ったような視線を投げている。見かねた陽千香は、あやめの隣に座り込み、彼女の顔を覗き込むようにしながら声をかけた。
「謝らなくて大丈夫。びっくりしただけで怒ってなんかいないわ。だから落ち着いて話してみて、ね?」
そう言って微笑んでみせると、あやめが俯けていた顔をほんの少しだけ上げた。暫くそのままおどおどと視線を彷徨わせていたが、やがて両腕の防御姿勢を解いて陽千香の方へ向き直る。
「私のこと、覚えてる?」
陽千香が問いかけると、あやめはこくりと頷いてみせた。
「は、はい……この前、圭ちゃんと一緒に、廊下でお話してました……」
「二年の綾藤陽千香っていうの。よろしくね」
陽千香は自分に次いで、良一、貴則の二人と、それぞれの御使いのことを簡単に紹介した。
「あやめちゃんは、どうやってここまで来たの?」
「あの、その……みなさんの後を追いかけて……こ、声かけなきゃって何度も思ったんですけど……」
話しているうちに、あやめの声は段々尻すぼみになっていく。内容もいまいち要領を得ず、どうしたものかと首を捻っていると、どこからか穏やかな声が陽千香の疑問に答えた。
『現実世界での皆さまのやり取りを、たまたま聞いてしまったのだそうですよ』
驚いて見回すと、あやめの肩口にいつの間にか小さな人影が座り込んでいた。緩くウェーブのかかった金の髪を背に流し、身体の前で上品に手を組んでいる女性。他の御使い達に比べるといくらか年嵩に見えるその外見からは、大人の品格が漂っていた。
『図書室の前でお話をされていたでしょう? 通りがかりに立ち聞きしてしまったんです。悪気はないので、許してやってくださいな』
「は、はい。あの、あなたは……?」
『申し遅れました。私はキキョウ、あやめさんのパートナーです』
そう言って、キキョウは優雅に一礼した。金の髪が、夕陽を受けてきらきらと輝く。
『この断面へは圭介さんとの縁を辿って来たのです。以前、陽千香さんとお二人で話されているのを見かけて以来、もしかしたら……という予感はあったそうですから』
なるほど、と陽千香は納得した。陽千香が圭介と出会った時と同じだ。陽千香は気付いていなかったが、圭介が察して合流して来てくれた。
「いつから私達に付いて来てたんですか?」
キキョウの態度に、自然と口調が改まる。キキョウは答えた。
『ほとんど最初から。陽千香さんがレイヴンに案内されていくところを追いかけて行きましたから。物陰に隠れて、貴則さんの見事な講釈も、皆さまの戦い振りも、全て拝見しておりました』
「何か見られてる気がすると思ったら……全部キミ達か。気に入らないね」
呟いて薄く嗤う貴則に、キキョウは困ったように微笑んだ。
『申し訳ありません。なにぶん、あやめさんの人見知りが激しいもので……私から勝手にご挨拶するわけにもいかず、失礼をいたしました』
「そ、そんなことより、今こうしてここにいるってことは……あやめちゃん、僕達と一緒に来てくれるってこと?」
やや食い気味に訊ねる圭介に、キキョウが頷いた。
『そのつもりで、こうして参ったのです。ね? あやめさん』
「は、はい……」
キキョウに促され、控えめながらあやめも頷いてみせた。ゆっくりとその場に立ち上がり、俯き加減に面々の顔を見渡しながら言う。
「わ、わたしなんかじゃ、お役に立てないかもしれませんけど……その、ご迷惑じゃなかったら……」
「仲間が増えるっていうのに、迷惑なもんか! 歓迎するよ、よろしく村崎さん」
明るく言って、良一が手を差し伸べる。あやめは驚いたようにそれを見つめ、そして恥ずかしそうに握り返すのだった。
圭介は言わずもがな、陽千香ももちろん異論はないが、問題は貴則だ。彼は呆れたような表情を浮かべながら、明後日の方に目を向けている。陽千香は訊ねた。
「久我先輩も、それで構いませんか……?」
「別に? ボクのテストは、人数に左右されるものじゃないからねェ。好きにすれば良いんじゃないかな」
その返答に、とりあえずほっと息をつく。今の時点で、仲間になる約束を破談にされることはなさそうだ。こうなったら、あやめを加えた四人で何とかこの断面を攻略し、貴則に実力を示さなければ。
「さ、話が終わったならそろそろ行くよ。早くしないと夜が明ける」




