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リンクリングトラウム  作者: 田川 竜
第三章 赤いキノコは食べられるか?
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赤いキノコは食べられるか?(3)

中庭にやって来た陽千香を出迎えたのは、貴則ではなかった。

金色の短髪に黒装束。レイヴンと名乗ったその御使いの()で立ちは、他の御使い達を見た後では随分と珍妙(ちんみょう)に感じられた。荒っぽい口調も相まってやんちゃな印象を受ける彼と貴則の組み合わせは、とてもアンバランスに感じられた。

『よォ、ノリ。連れてきたぜ』

レイヴンの声の先に視線を向ければ、そこには貴則が待っていた。一足早く案内されたのであろう、良一と圭介の姿もそこにある。

『……綾藤陽千香。また遅刻か』

低い声で呟いて、半眼を向けてきたのはロベルトだ。先日釘を刺されたばかりだというのに、今日も陽千香が一番最後になってしまった。

「ご、ごめんなさい……」

「まぁまぁロベルト、ちゃんと全員揃ったんだから」

取りなす良一に対し、ロベルトはツンとそっぽを向きながら鼻を鳴らす。圭介とミレイがやれやれと首を振ってみせ、そんな陽千香達のやり取りを、貴則はいつもの薄い笑みを浮かべて観察しているのだった。

「さて、それじゃあ始めようか」

貴則が声を発したのを契機に、各々が表情を引き締める。いよいよだ。この後の陽千香達の成果如何(いかん)によって、貴則が協力してくれるかどうかが決まる。

「それで、私達はいったい、何をすれば良いですか?」

陽千香が訊ねると、貴則は切れ長の目を細めながら嗤った。

「その前に、いくつか確認しておきたいことがあるんだ」

「確認したいこと?」

首を傾げる陽千香に、貴則は言った。

「界境世界の仕組みについて、キミ達は考えてみたことはあるかい?」

「界境世界の仕組み、ですか……?」

言われて、陽千香はおとがいに拳を当てる。正直に言って、あまり真剣に考えたことはない。

悪魔に取り憑かれた宿主の、夢の世界だということは知っている。この世界では、宿主が望めばどんな願いでも叶えられる。悪魔は願いを叶える代償に宿主の魂を喰らい、それが長く続くにつれ、宿主の実体は衰弱していく。夢という幻を利用した、一方的な悪魔の契約。それが界境世界だ。

「それなら、この世界がいくつもの階層によって構成されていることは知ってるかな?」

「ええ、知ってます。私達が入り込んだこの世界も、無数にある階層の一断面なんですよね?」

界境世界には、迷宮のごとき断面が無数に広がっている。御使い達は、幾重にも存在する断面のいずれかに神子を呼び寄せるが、基本的に悪魔の支配下にある領域を自由に選択することはできない。だからこそ神子は、引力によってお互いを引き寄せ合うのだ。

「基礎知識は合格。ここからは応用だよ」

陽千香が界境世界について知り得る全ての知識を話し終えると、貴則は満足そうに頷いてから先を続けた。

「キミも言ったとおり、この世界はいくつもの断面によって成り立っている。それらは全て、夢の主人公たる宿主のために用意されたものだ……時にキミは、この世界のどこかで宿主を見かけたことはあったかい?」

「……いいえ」

陽千香は首を振り、良一と圭介の方へ目を向けた。どうやら彼らも会ったことがないらしい。お互い顔を見合わせた後、陽千香と同じように首を振る。

「何故だと思う?」

貴則の問いに、無言で眉をひそめる。確かに妙だと思ったことはある。ただ、御使い達がそれを気にしている様子はなかったし、一度悪魔に遭遇してしまえば、そんなことを気にしている余裕はなくなってしまっていた。

誰もが答えを返せずにいる中、時間切れとでも言うように貴則が口を開いた。

「ここからは一部、推測も混じるけどね。ボクは、ボクらが今いるこの断面は、宿主が見終わった古い夢の世界なんじゃないかと思ってるんだよ」

「古い夢の世界……?」

オウム返しに問うと、貴則はさらに言った。

「界境世界は宿主の願いを叶えるために、悪魔によって創られる。言い換えれば、ここは宿主の夢の舞台と考えることもできる。それなのに、主役であるはずの宿主がどこにも見当たらないのは何故か? 答えは単純、もうここにはいないからさ。場面が変わったんだよ。主役が出てきて台詞を言う場面は終わり、今は悪魔が跋扈(ばっこ)する背景だけが残っている。ここは抜け殻さ。役目を終えて廃棄された世界なんだ。廃棄された世界はやがて積み重なって層を成し、宿主の姿を覆い隠す……かくして巨大な迷宮の出来上がりってわけだ」

「宿主自身によって作られる迷宮か……久我君の言うとおりだとすると、悪魔がわざわざ用済みの世界を放置してるのは、やっぱりオレ達みたいな外部からの侵入者を警戒してるからなのかな?」

疑問を呈した良一に、貴則は答える。

「それもあるだろうけど、恐らく副次的なものだろうねェ。それが目的なら、もっと警備は厳重でも良いはずさ。本当の目的はもっと別にあるんだ。例えば……より効率良く魂を喰い荒らすため、とかね」

「どういうことです……?」

眉をひそめた圭介に、貴則は続けた。

「知ってのとおり、悪魔は本質的に人間を苦しめることを目的としてる。契約のために界境世界なんてものを提供してはいるけど、それが全て悪魔の力によるものだと思うかい? ……違うね。世界を形作るのは悪魔の力だとしても、世界を構成する材料は宿主から調達するんだよ。悪魔は魂を削り取って宿主から引き剥がし、()ねくり回してこの世界を創ってる。用済みになった世界は雑魚どもに割り当てられ、骨の髄までしゃぶり尽くされる。まるでライオンの食べ残しを漁るハイエナみたいだよ。全くもって効率的で無駄のないシステムだ、そう思わないかい?」

陽千香は(かす)れた声で訊ねた。

「ちょ、ちょっと待ってください。その理屈で言うと……私達が倒してきた悪魔は、全部、ハイエナってことになりませんか……?」

貴則は、頷く代わりに目を細めた。

「何番手でありついた連中かは知らないけどねェ。同じ残飯でも、最初と最後じゃ食える量は違うだろうから。実力主義なんだろうねェ……そう考えると、悪魔の社会も結構世知辛いと思わないかい?」

冗談のつもりなのか、貴則はそう言い終えて咽喉を鳴らした。陽千香を始め、他の三人は黙り込んだままだ。笑えるわけがない。彼の言葉が示しているのは、つまりこういうことだからだ。

宿主に近付けば近付くほど、悪魔は強力になっていく、と。

『界境世界は悪魔の領域だからよォ、オレ様達も正確なところは分からねェんだ。でも、コイツの言ってることは概ね正解だぜ。ったく、理屈っぽい相棒だとは思ってたけどよ、オレ様からちょっと情報聞き出しただけでここまで辿り着いちまうんだから、最近の人間は恐れ入るぜ』

空中で胡坐(あぐら)を組んでいたレイヴンが、どこか自慢げな笑みを浮かべながら言う。優秀な相棒を披露できてご満悦、といったところなのだろうが、貴則を肯定する彼の言葉は、陽千香達の気分を一層重くするだけだった。

「さて……講義はここまで。いよいよ実践に移ろうか」

そう言うと、貴則はおもむろに()を進め、すぐ近くにあった部屋の扉の前に立った。鴨居(かもい)に掲げられたプレートに目をやれば、そこには"警備員室"の文字が刻まれていた。

「この世界は階層構造だと言ったけど、それぞれの断面が完全に独立してるってわけでもないようでね。稀に断面と断面を繋ぐ、接合面のような場所があるみたいなんだよ。ボクは便宜(べんぎ)的に"接ぎ目"と呼んでる。接ぎ目はこの世界の時間軸を隔てる扉だ。古い層からより新しい層へ。それを繰り返していけば、いずれは宿主へと至る道になる……キミ達は見るのは初めてかい? 気に入ると良いけどね」

ガラリ。音を立てて開いた扉の向こうから、(あか)い光が零れてくる。夜の闇の中では異質なその色に戸惑っていると、扉の脇へと身を引いた貴則が、顎をしゃくって合図してきた。見てみろ、ということか。

言われるままに扉に近付き、その向こう側を覗き込んだ陽千香は、先に広がる光景に言葉を失った。

朱い光の正体は、夕陽だった。空の低い位置から窓を抜けて差し込んだそれは、光よりむしろ影を強調するようにしながら、廊下の向こうの端までを点々と照らしている。等間隔で並んだ扉の鴨居には、数字とアルファベットの組み合わせが書かれたプレート。何処かで見たようなその景色は、普通教室区画の廊下に他ならなかった。

廊下には、制服を着た生徒達の姿がまばらに散らばっていた。廊下に立ち止まって談笑する者、友人に別れを告げて帰宅しようとしている者、慌てた様子で忘れ物を取りに走る者。一瞬本物と見紛(みまご)うばかりの彼らは、しかし身体が半透明に透けていた。口の動きや身体の仕種で、会話していることは分かるのに、音声の部分は欠落していて、まるで無声映画でも見ているような気分になる。

陽千香は一歩下がって、自分が今立っている場所を確かめた。警備員室に繋がっているはずの扉。その横には薄い笑みを湛えた貴則の姿。さらに視線を巡らせれば、背後に困惑した表情の良一と圭介が並んで立っている。

もう一度朱い空間に視線を投げた後、陽千香は貴則に向き直って問うた。

「久我先輩、これは……!?」

「最近見つけた接ぎ目だよ。いずれ探索しようと思って、レイヴンに座標を記憶させておいたんだ。まさかキミ達のテストに使うことになるとは思わなかったけどねェ」

「む、向こうに見えてるあの景色は何なんですか!? こっちと全然違うじゃないですか!」

焦ったような口調で問う圭介に、貴則は肩を竦めて答えた。

「言っただろう。継ぎ目の向こうは、より新しい層に繋がってるって。廃棄されてからの時間経過が少ないってことは、悪魔に喰い荒らされていない部分が多く残ってるってことさ。これは宿主が叶えた願いの残滓(ざんし)だよ。悪魔に喰い尽くされるまで続く、ほんの一時の幻だ」

そう言って、貴則は壁から背を離した。陽千香達の顔を順繰りに見回すと、眼鏡の蔓を押し上げながら言う。

「ここから先は、今までよりも危険な相手がうろついてる。裏を返せば、それだけ宿主に近付くってことでもある。……白状すると、ボクもまだ奥まで踏み込んだことはなくてね。様子見がてら、接ぎ目の境をうろついてみたのが精々ってところだ。キミ達には、ボクが奥に行くのを手伝ってもらうよ。キミ達の言うチームワークが、ボク単独の能力を上回るというのなら、結果がそれを示すはずだ。……出題は以上。質問はあるかな?」

くく、と貴則が嗤う声がする。その響きに、いつものような高慢さを感じないのは気のせいではないだろう。一目見ただけで格上と分かる実力を持つ貴則。その彼が、先に進むのを躊躇(ためら)うほどの危険度。彼は自身の限界を基準として、陽千香達の可能性を測ろうとしている。

陽千香の本気に、応えてくれている。

陽千香は後ろを振り向き、二人の仲間の顔を見た。それだけで思いが通じたのだろう、両者とも、迷うことなく頷きを返してきた。

「宿主を救うためには、どの道避けて通れないだろうからね。危険は覚悟の上だよ」

「ここまで来て、今さら怖気(おじけ)付いたりしませんよ。行きましょう、陽千香先輩!」

もしもこの場にいるのが陽千香一人だったら、足が竦んでいたかもしれない。二人の後押しに感謝しながら、陽千香は貴則に覚悟を込めた目線を送った。

「決まりだね」

口元に三日月を引き、貴則が嗤った。陽千香の脇をすり抜けて扉の正面に立つと、一瞬肩越しに振り向いてからその先へと歩みを進めて行く。

これでもう後戻りはできない。自分も足を前に踏み出しながら、陽千香は思った。本気で応えてくれた相手を、失望させるわけにはいかない。絶対に結果を出してみせる。その強い覚悟に、陽千香の拳は自然と硬く握りしめられていた。

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