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世界の数

作者: 野太

ちょっとした不幸を回避する話です。

とても短い。






世界はそれを見ている目の持ち主分存在する。


どこかで読んだ本の一文を思い出して、溜息をついた。

こんな柄にもない思考に至った自分は、何ということもない、ありふれたただのOLだ。

今日だって寝坊して化粧も適当、朝ご飯も食べずに仕事に行った。

仕事は仕事で特に問題も無く終わったけれど、いつと通り上司は言わなくてもいい一言をつけるし、同僚はとても要領がいい。


嫌なことがあったわけではないけれど、平凡な1日は時にマイナスだ。

退屈だ、億劫だとどこかで感じてしまう。

何もないということは不幸なのだ、と思わせるものがある。

家に帰ったら後は眠るだけ、起きたらまた仕事に行くだけ。

その繰り返しがひどく辛く感じられた。



(贅沢なんだろうなあ)



何も無いということは恵まれている。

仕事をクビになったわけでも、家族を喪ったわけでもない。

事故にも遭っていないし、人間関係もそれなりに持続している。

それなのに何故、不幸だと誤解してしまうのだろう。


少し肌寒くなってきた風が余計にそう思わせる。

街路樹がカサカサと揺れると、葉っぱまで降ってきた。



「あっ…」



遠くで声がして目を向けた。

スーツの男が何かを追いかけている。

先を辿ると、どうやら先ほどの風が悪戯し、彼の書類を掠め取ってしまったようだ。

その必死な表情を見ると、随分大事な書類らしい。


例えばこういうことだ。

このまま書類がどこかへ飛んでしまったら。

水溜りに落ちたり、自転車に轢かれたら。

汚れて破れた書類は、本来の書類の役目を果たさなくなってしまう。

もしくは。

書類が飛んでいった先の道路に飛び出した男性が事故に遭ったら。

書類を損傷したことで仕事をクビになってしまったら。


彼の1日は最悪だ。

何も無い1日では無くなった。


何も無いけど何だか不幸な自分と、

遠くの今から確実な不幸が迫っている彼。


それを対比して、成る程、とどこか呑気に考えてしまう。



(世界はそれを見ている目の持ち主分存在する)



同じ世界で同じ生体活動で生きている筈の彼と自分は、それでも見ている世界が違う。

単調で退屈な何事もない世界と、風に巻かれた書類から崩れ落ちて行く脆い世界。

自分が彼なら「ああ、何でこんなことばかり」と嘆くだろう。

「あの時風さえふかなければ」と恨むだろう。

生きている世界は同じなのに、見ている世界が違うから起きることだ。

それを寸分の違いも無く理解することは、きっと不可能に違いない。



「やめなよ」



風が止む。

歩道の終わるギリギリで、書類は地面に横たわり、「早く拾って」と言わんばかりに落ち着いた。

彼はホッとした顔でそれを回収する。

その先の水やりをする花屋とも、後ろから結構なスピードで迫っていた自転車とも一切交わることなく、彼は彼の世界で重要な書類を取り戻した。


恐らく立場を交換しても、世界は違うものになる。

長く生きている分、何事もないことが有難いと知っている年上のスーツ。

書類が逃げ出しても、風を止めるか向きを変えるかするだけの話で終わる、ありふれた思考のOL。



「…ありがとね」



止まってくれた風に小さくお礼を言った。

風はまたふきはじめる。

スーツは歩き出した。


やっぱりコンビニによってスイーツでも買おう。

ありふれたOLが、ちょっとだけお手伝いができたことを祝おう。

そしてかのスーツが無事に1日を終えられたことを祈ろう。

何でもない退屈な1日が報われたのだから。





世界はそれを見ている目の持ち主分存在する。


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