その10
ぐう、と腹の虫が鳴った。超、意外だった。オガとの飲み会以来、生理的欲求とは無縁になったとばかり思っていた。
そういえばオレ、味覚を失ったんだっけ。それから記憶がヤバいことになって……もう、いろいろ大変なことになってます。
「これ、食べます?」
坂本さんがオレにキットカ○トをくれた。チョコレート菓子だ。
「……あ、すみません。いただきます」
堪えられないほどの空腹ではなかったが、オレはそれをもらって食べることにした。味覚を失ったままなのか試したかったからだ。
うまっ。
キットカ○トはふつうに美味しかった。味覚は正常に機能している。
途端に世界が現実味を帯びてきた。これは夢じゃない……とすれば、オレらはガチで遭難していることになる。
「美味しかったです。……あ、ごめんなさい、最後の1個だったんじゃないですか」
「気にしなくていいです。それより、助かる方法を考えないと」
「そうですね。下手に動き回るのも危険だし。かと言って、ここにジッとしていたら夜になってしまう……」
だいぶ陽が傾きはじめていた。鬼火はどうなったんだって話ですよ。夜になったら、また現れるのか?
あまり期待はできなさそうだ。3枚のお札をはじめ黒塚さんにまつわるものは、すべて夢、もしくはオレの脳内のできごとと考えたほうがよさそうだ。
そのとき。
「あ、よかった見つかった。急にいなくなるから心配しましたよ」
茂みのなかから男性がひょいと顔を出して言った。オレは彼をしっていた。安達ガハラ氏だった。
「安達さん……」
「安達? イヤだなあ蛍田さん。ボクは本名非公開だって言ったじゃないですか。オレンジハイタワーって、ペンネームで呼んでくださいよ」
「いやいやいや……完全に安達さんですよね」
安達氏は答えずに、茂みのなかへ引っ込んでしまった。
逃すものかと坂本さんが、ものすごい勢いでおなじ茂みに突っ込んで行った。まるで猪みたいだった。
オレも猪……じゃなかった彼女にならって茂みのなかに入った。したらば。
いきなり世界がひらけた。川岸にオレらはいた。2秒まえまで大草原のなかにいたのに、その真横が川だったなんて信じられるか?
坂本さんと安達氏、そしてもうひとり、背の高い女性がいた。その女性をオレはしらなかった。
「こちらの女性は?」
オレは安達氏に聞いた。すると彼は肩をすくめた。
「マジですかあ。これはアレですね、プチ神隠しと言いますか……。記憶が飛んじゃったみたいですね。おふたりとも、ですか?」
安達氏はオレと坂本さんの両方に聞いた。
「……はい」
坂本さんがさきに認めた。助かりたい一心で、なりふりかまってらんない、という感じだった。
「そうですね、記憶があいまいです」オレは言った。「あなたは安達さんじゃ、ないんですか」
「さっきも言いましたがボクはオレンジハイタワーで、本名は非公開です」
めんどくせえ。何ゆえこの男はシラをきるのか。なにかの作戦だろうか。




