その7
なんだろう、この、世界が足元から崩れていくような不安な感覚は……。
オガとはかれこれ十年来のつきあいになる。かつては同僚としてともに働き、互いに職場が変わったあとも飲み友だちとしてかかわってきた。
その友人がオレの脳に送り込まれたダミー・プログラムだったなんて、はいそうですかと受け入れられるか。
「友人を失ったことはショックでした。けど、その彼が最初から存在しなかったなんて……」
うなだれるオレに、黒塚さんはあくまで声のトーンを変えなかった。
「気持ちはお察しします。ですが危機は目前に迫っているんです。あなたのパソコンが爆発した件を思い出してください」
「あれは夢だったんじゃ、ないっすか」
オレはすこし投げやりに言った。こうアタマのなかを引っ掻きまわされたんじゃ、たまんねーよ。
「姉が夢として処理したのです。たしかに、あれは物理的な爆発ではないですが、あなたの脳内への無差別な爆撃でした」
「……どういうことです」
「ダミー・プログラムが攻略されたということです。尾上也さん、いいえプログラム名『OGA』は、蛍田さんをカムフラージュするためのものでした。ですが、そのカムフラージュがかえって、あなたがそこにいると敵に匂わせてしまった」
「最悪じゃないですか。つまり、あれでしょ? 迷彩色が街中では、かえって目立つみたいなことでしょう」
オレの言葉に彼女は苦笑した。
「敵もさる者です。あの手この手で蛍田さんの大まかな位置を割り出し、当てずっぽうに撃ってきましたね」
「ちょっと……何なんですか。なんでオレがこんな目に」
そのとき。
パッリイイーーンというけたたましい音とともに頭上の街灯が破裂した。瞬間、世界が暗転する。
「きましたね。さ、ダッシュで逃げますよ」
黒塚さんは動じることなく言った。まるで停電になったときのお母さん対応だった。
「逃げるって、どこに」
対するオレは暗闇に怯える子どもだ。いや、誰だってビビるだろこの状況。
ぽっ、と目のまえが明るくなった。見ると黒塚さんの掌の上で小さな炎が踊っていた。
「2枚目のお札を使いました。鬼火です。この明かりが導く方向へ一目散に駆けてください」
駆けるだって? アラフォーのおっさんをナメるなよ……自慢じゃないが、10年以上走った記憶がないぞ?
だが黒塚さんは無慈悲だった。
さきに鬼火が動いた。動いたってゆうか、まるで発射された火の玉だ。それを彼女が猛追する。
なんちゅうスピードだ。カール・ルイスか。
ヤバい、おいてかれる。それは死を意味する。走りますよ……走ればいいんでしょう?
すると身体が浮いた。風のように疾く走れた。ひゃっほい、これは、ひゃっほいですよ。
不思議とぜんぜん疲れなかった。オレは調子こいて、黒塚さんどころか鬼火まで抜き去ってしまった。
これはマズいと思いスローダウンすると、鬼火がまた先頭になり、黒塚さんも追いつきオレと併走するかたちになった。
「気分は、いかがですか」
「最高っす! まだまだ走れたんスね……」
言いながらオレは、はたと気がついた。これは会話じゃない。こんな全力で走りながら、ふつうに喋れるわけがなかった。




