魔王
アリスが目を覚ますと、天幕が広がっていた。周りからは痛みに呻くような声が聞こえてくる。どうやら自分は、怪我人として天幕に集められてしまったようだ。
「あ、目が覚めた?」
ベッドを覗き込んできたのは、ニケのいたチームの一人。
「……鈴木?」
「鈴音だよ!」
どうやら間違っていたらしい。訂正したい気持ちはわからないでもないけれど、正直、寝起きにはうるさくて仕方ない。
「……私は生きているのね」
「まぁね。天魔には感謝するんだよ。命懸けで守ったんだから」
守られた。
その言葉を聞いて、自分がどうしてこんなところに居るのかを思い出した。
……そう、ティアマトとの戦いを。
アリスの体が震える。
あの時感じた恐怖も、同時に思い出してしまった気がした。
今思うと、どうしてあんなのと、まともに戦おうとしたんだと自分の愚かしさを呪いたくなる。
天魔が助けてくれなければ死んでいたことだろう。
あの時、どれだけ手を引いてくれた天魔に、安心したことか。
「……ふ、ふん。あ、あんな奴」
自分の思ったことが気恥ずかしくて、アリスはつい、悪態を吐いてしまう。
「……それより、ティアマトはどうなったのよ」
「ん? 最後に爆発したんでしょ?」
むしろ確認するように聞かれた。確かにあの時、鈴音よりもアリスの方が現場の近くにいた。もう、怯えきっていたけれど。
「……それで、ちゃんと死んだの?」
直前までに見たティアマトの強さに、アリスはティアマトの死を、中々信じられなかった。あんな化け物が、簡単に死ぬのだろうか?
「たぶんね。少なくとも皆そう言っているんだよ。まぁ、跡形もなく吹き飛んじゃったらしいから、死体は残っていないんだけれどね」
「……そう」
「でも、迷惑な話だよね。死ぬ時に爆発するって。喜んだ瞬間にあんな爆発に巻き込まれたから、正規兵の人たちも沢山、爆発に巻き込まれて、死んじゃったり大怪我しちゃたんだよ」
悲しそうな顔をする鈴音。その言葉を聞いて、今更ながらにアリスは思い出す。
「……そう言えば、大城たちは?」
最後に見たのは、ティアマトが生み出した龍型に襲われるところだった。
「あっ、……うん」
気まずそうな鈴音の様子に、ピンときてしまった。
「……死んだのね」
アリスは胸にぽっかりと、穴が開いたような気分を味わった。
ここに来てから、彼女が最も関わったのは大城だ。何かとお節介を焼いてくれていた彼の存在は、いつの間にか、彼女の中で大きくなっていたのだ。
涙が溢れそうになるのを感じる。こんな顔を見られたくない。そう思って顔を隠そうとすると、鈴音は力なく、首を横に振った。
「ううん。大城は、……大城は生きているよ」
「そう……なの?」
「うん。……でも、西条が……」
龍型に襲われたとき、大城にはまだ、身代わりの魔法の効果が残っていた。それによって、何とか生き残ることができたのだ。
けれど、西条は違った。
彼は既に、大亀型との戦いで、身代わりの魔法を消費してしまっていた。
「……そう。……西条が」
黒須の時と同じだ。
アリスの中に悲しさと悔しさが湧き起こる。自分が不甲斐ないばかりに、仲間が死んでいく。それが悲しくて悔しくて仕方がない。でも、恐怖を知ってしまったアリスは、前のように強くなろうとは思えなかった
「……私は弱いのね」
そう言ったアリスの瞳から、涙が溢れていく。
それは悲しくてなのか、悔しくてなのか、彼女自身にもわからなかった。
アリスが鈴音に肩を貸してもらいながら天幕から出ると、そこは訓練校ではなく、白山地方の基地だった。
どうりで天幕で寝かされていたわけだと納得はする。おそらく、重傷を負った者たちに、基地内の施設を使っているのだろう。
正規軍の基地にも建物の前にも、訓練用のグラウンドがあり、そこで訓練兵や正規兵が混じり合って、皆で喜びに騒いでいた。
それはそうだろう。龍型を倒し、更には人類にとっての最大の脅威である三魔将のうちの一体までをも倒したのだ。喜ばないわけがない。
でも、仲間を失った身としては、素直に喜んで、騒ぐ気にはならなかった。
「……不謹慎だと思う?」
鈴音が複雑な顔をするアリスを見て聞いてきたけれど、アリスにはどっちとも答えられなかった。
「……あたしも少し思ったんだよ。多くの人が死んだのに、こんな風に騒ぐのはどうかと思うってね。……でも、天魔が言ってたんだ。もしも自分が死んだ時、悲しさから、腫れ物に触るように言葉を詰まらせるよりも、皆であいつはこういう奴だったって騒いで、懐かしんでもらった方が嬉しいって。あたしはそれを聞いて、ああ、その通りだなって思ったんだよ。……だから、アリスも参加しないかな?」
「……私は」
アリスは躊躇ってしまう。
正直なところ、ティアマトが倒されたとわかっても、自分の弱さを知ってしまった今の気分で、単純に喜びに浸る気にもなれない。それに――。
「アリス!」
大城が、アリスの姿を見つけ、嬉しそうに手を振っている。
彼女の無事を、心から喜んでいるのだ。
そうなると、無視することもできず、彼女は大城のいる輪へと向かう。どうやら彼は、天魔たちのチームと一緒に居たようだ。たき火を燃やして、火の上に鍋を吊るし、皆でそれをついばみながら、話に花を咲かせていたようだ。
「……ん。アリスも食べる?」
そう言って、ニケがお鍋から具や汁を掬い、お椀に入れて渡してくる。
アリスはそれを受け取った。
野菜や肉が入っていて、口をつけると、あっさりしていたけれど、温かくてとても美味しかった。
「アリス、アリス。皆にさっきから、黒須と西条の話をしてんだけれど、俺の思い出話もそろそろ尽きそうなんだよ。アリスも、なんか話してくれないか?」
「……思い出話」
アリスは黙り込んでしまう。
皆は二人の死に悲しんでいるんだと思って、気遣うような視線を向けてくる。けれど違うのだ。アリスは確かに悲しかった。でも、その理由は、皆が思っているようなことじゃない。
「……私は、……私は、二人について、良くは知らないわ。……私は、彼らとあまり、仲良くはならなかった。彼らは、こんな私と仲良くしてくれようとしていたのに。こんな私のために、命まで懸けてくれたのに。……私は、私には」
黒須や西条について、語るようなことが何一つないのだ。同じチームだったのに。ともに命を懸けた仲間だったのに。それなのに、彼らについて、何も知らないことが悲しくて仕方ない。
「良い奴じゃんか、黒須も西条も」
「そうですね。お兄さんもさすがに、良く知りもしない人のために、命を懸けることなんてできませんよ」
「……ん。アリスはきっと、美人だから」
「そうだな。それだなきっと。美人を守るために、命を懸ける。男として尊敬するね」
「そう言えば、黒須も西条も、アリスのこと綺麗だって言ってたよ」
「やっぱ、そうなんですか」
そう言って、皆は笑い合う。
「ありがとうね、アリス」
鈴音が、皆の様子を驚いてみていたアリスに、そう言った。
「え?」
意味が分からず尋ね返すと、鈴音は優しい笑みを浮かべる。
「だって、黒須と西条のことを教えてくれたじゃん」
「私は、私は何も知らないって言っただけよ」
「そうだね。だから黒須や西条は、良くわからないアリスのことも信頼できるような、とても良い人たちだったってことが、わかったんだよ。ありがとう」
鈴音は、本当に優しげな笑みを浮かべてそう言ってきたのだ。
「……でも……」
反論しようとするアリスの頭を、天魔が慰めるように撫でてきた。
「アリス。確かに知らなかったことを、悲しむ気持ちはわかります。なら、それをぶちまければ良いんですよ。黒須や西条だって、せっかく命を懸けて助けた人が、悲しみに囚われて、沈み込んでいたら嫌でしょう? 少なくとも彼らは、普段のアリスを見ていて、君の為に戦いたいと思ったんですから」
「……普段の私」
アリスは、いつもの自分に戻れるだろうかと思う。
ティアマトと戦う前の自分は、プライドを支えに生きてきたと言っても良い。けれどあの時、アリスのプライドは折れてしまった。
今では、魔族と戦うと思っただけで震えが来てしまう。もしかしたら、このまま兵士の道を進むのも、難しいかもしれない。
ふと、アリスは思い出した。
二人が自分を、目標だと言ってくれた時のことを。
彼らがいつもの自分を見てそう思ってくれたのなら、守られた者として、戻らなければいけない。彼らが目標だと言ってくれた自分に。
「……すぐには無理かもしれないけど。……私、頑張るわ」
アリスはそう言って、無理やりにでも笑った。
黒須と西条に、感謝の思いを込めて。
「君らの中に、葛木天魔がいるって聞いたんだけれど、本当か?」
ニケはそう尋ねられたので、その聞いてきた男を見る。
服装と年をそれなりにとった顔から、訓練兵ではなく、正規兵だということがわかる。天魔は日野原基地から一人で逃げてきたということで有名だから、もしかしたら、その話を聞きつけてきたのかもしれない。
少し、ニケは迷う。
日野原基地での出来事は、あまり触れられたくないことのような気がしたのだ。今まで聞かれることがあると、天魔はいつも困った顔をするのだ。
でも今日、天魔は言っていた。
死んだ者の話をすることは良いことだ……的なことを。なら、日野原基地だって、彼にとっては、話しても良い事ではないのだろうか。
ニケは頷いて天魔を指差した。
天魔は自分が指されたことに気が付いて、近づいてくる。
「どうしたんです?」
「……ん。このおじさんが、天魔に用があるって」
「用?」
天魔は不思議そうに、男を見る。それに対して正規兵の男は、懐かしげな顔をしている。
「君が天魔か。大きくなったね。見ただけじゃ、誰だかわからなかったよ」
「……え?」
「あはは。まぁ、流石に覚えていないかな。まぁ、君が小さい頃のことだしね。前に私は、日野原基地に配属されていたんだよ。その時、葛木さんとこにお世話になってね。君とも何度か遊んだことがあったんだよ。日野原基地があんなことになって、……それでも天魔が無事だったって聞いたときには嬉しくってさ。今、ここの訓練兵になっているって聞いて、少しでも会えたらって思っていたんだ」
そう笑みを浮かべながらも、その男の人は、ポロポロと涙を流す。この人は本当に、天魔の無事を喜んでくれているのだ。
「あ、あの、すみません。……覚えてなくて」
天魔は少し、困ったような顔をしてそう言った。
彼としては、心配されたことは嬉しくても、覚えていないことが気まずいのだろう。
「良いんだよ。無事でいてくれたらそれだけで」
少し遠目で見ていたニケは、良かったと思う。
これで、天魔も覚えていてくれてれば、最高だったかもしれないけれど、そんなのはないものねだりの贅沢だ。
どんなに会いたくても会えなくなるのに比べれば、無事だったことに喜べている。それだけで、十分なことだ。もしも覚えていないのなら、これからゆっくりと思い出していけばいい。
そんな風にニケは思う。
「あれは、どうしたの?」
見知らぬ男と天魔のやり取りが気になったのか、鈴音が聞いてきた。
「……ん。あのおじさんは昔、日野原基地に居たんだって」
ニケがそう言うと、それだけで鈴音は納得したようで、嬉しそうに頷いた。
「昔の天魔って、どういう子だったんだろうね」
「……ん。気になる。……あのおじさんに聞いてみようか?」
「あはは。そうだね。……でも、今はソッとしておくんだよ」
鈴音は、ニケが聞きに行こうとするのを、止めるようなことを言ってくる。それではまるで、空気も読まずに聞きに行こうとしているみたいではないか。……まぁ、そうしようとしていたんだけれども。
ニケは黒い笑みを浮かべて頷いた。
「……ん。スズじゃないから、そんなことしない」
「えぇ? あたしがしないでおこうって、言ったんだよ?」
鈴音が文句を言ってくるけれど、ニケは笑ってやり過ごした。
「……ん。何をしているの?」
ちょっとした宴も終わり、疲れた皆が眠る中、天幕の外で一人、夜空を眺めていた天魔にニケは尋ねる。
「ああ、ニケ。ここでの生活を思い出していたんですよ。……うん。楽しい思い出です」
まるで遠き日の思い出のように懐かしむ天魔。それを不思議に思いながら、ニケは聞く。
「そう。……良かった?」
「ん? 何がです?」
「さっきのおじさんに会えて」
「ああ。……そうですね。お兄さんの方も覚えていれば良かったんですけどね」
「んふふ。天魔が困っていた」
あのおじさんと話している間、珍しく気まずそうな顔をする天魔を思い出して、ニケは笑う。
「まぁね。でも、仕方ないですよ。あの人と出会っていたのは、お兄さんは幼かった頃のことのようですし、人はどうしても、忘れてしまう生き物ですから」
「……ん。でも、ニケは天魔のことを忘れない」
「あはは。ありがとうございます。……お兄さんもニケのことは忘れませんよ。お兄さんは、ここでニケたちと仲間になれてよかったです。……そう、良かった」
そう言って、微笑む天魔。けれど、その中には悲しさもあるような気がした。心配になって、ニケは言う。
「……ん。まるで居なくなるみたい」
「あはは、そんなことはないですよ」
そう言って笑うのだけれど、どこか嘘くさく感じる。ニケは自分の胸がざわつくのを感じた。本当に天魔はいなくなってしまうのだろうか?
彼が居なくなる。そう思うだけで、胸が押しつぶされるような気持ちになる。天魔が居なくなった日常。それを想像しただけで、全てが色褪せて見えてしまう。
天魔のことがこんなにも好きなんだと、ニケはどうしようもなく自覚した。
失いたくない。
そう思って、ニケは天魔の服の裾を掴んでいた。
「ニケ?」
不思議そうに首を傾げる天魔。
「……本当に? 本当に天魔は居なくならない?」
泣きそうな顔をして見上げるニケ。
「……本当さ」
そう言いながらも、そんな彼女の顔を、正視できないというように顔を逸らす天魔。理由はわからない。でも、天魔は本当にいなくなろうとしているのだと、ニケは気付いてしまう。
「……そう。……じゃあ、もし。……もしも居なくなる時は、ちゃんと教えて」
「……ええ」
天魔はそっぽを向きながらも頷いた。
魔族が襲ってきてから二週間が経った。
訓練兵にも教官にも死者が出たので、体制を立て直すのに時間がかかっているようで、授業も行われず休みが続いている。この期間を利用して帰省する者もいたけれど、鈴音はなんとなく残っている。
彼女のチームの中で、両親が健在なのは鈴音だけで、そうなると、仲間に気を遣って中々帰省に踏み切れないのだ。
……まぁ、皆は余計な気を遣うなとか言ってきそうだけれど。
今日は実家から色々と送られてきたので、仲間たちに分けようと、鈴音は大きな段ボール箱を重そうに抱えながら、食堂に向かう。
食堂に行くと、浩太とニケ、それに、よく行動を共にするようになった大城とアリスがいた。
「皆、早いんだよ」
「まぁ、授業ないと、暇だしな」
浩太が肩を竦める。
「……ん。やることない」
同意するようにニケも頷いた。自由な時間がひたすら続く長い休みに、時間を潰すような遊びのネタもなくなり、完全に暇を持て余している。普段の訓練漬けの弊害が、こんなところに現れていた。
「あれ? でも、天魔がいないんだよ」
「ああ。たぶん天魔は、いつものように穿天砲を見に行ってるんじゃないかな?」
大城は苦笑するように言うと、アリスが呆れたようにため息を吐く。
「本当に飽きないわね、アイツ。……まぁ、私も気にはなるけれど、遠くからしか見えないじゃない」
ティアマトを倒した穿天砲は、あの戦いが終わった後に発表された。
ここの地下には古代の遺跡があって、穿天砲が眠っていたらしい。調査の結果、今の技術では量産が不可能だということだ。それでも魔将を倒した威力は、これからの世に、絶対必要なものであり、死守しなければならない……的なことを、緒方司令が言っていたことを思い出す。
古代の遺跡が好きな天魔としては、少しでも見ていたいものなのだろう。
「そう言えば、大城も好きなんじゃなかったっけ? 遺跡」
「好きですよ。……でも、俺は兵器とかはあんまり。どちらかというと、遺跡から見える歴史が好きなんだよ。天魔は、遺跡に関してなら、全てに興味があるみたいだけど」
「そうなんだ?」
疑問形で頷く鈴音。
「良くわかってねぇぞ、こいつ」
浩太がからかうように笑ってくる。
「そういうこという奴には、お裾分けしてあげないんだよ」
「お裾分け?」
首を傾げるアリス。
「……ん。スズ様のお裾分けは偉大」
「うわっ。ニケがあからさまな媚びを売ってやがる」
「あはは。んっとね。あたしのお母さんが、色々と送ってくれたんだよ。果物とかお菓子とか。友達の分けなさいねって、結構たくさん。だから、皆にお裾分けをしているんだよ」
そう言って鈴音は段ボールを開ける。
言った通り、箱いっぱいに果物とお菓子が入っていた。
「もう、配んのか? 天魔がいないけど」
「まぁ、天魔の分は残しとけば良いでしょ」
「……ん。いない奴が悪い」
「ここに残す気がない奴がいるぞ」
浩太がニケを指差してそう言うと、皆が笑う。
「なんだこれ?」
だいたいお裾分けのお菓子や果物を分け終わり、浩太が段ボールの底にあった大きな本を取り出す。
「ん? なんだろう?」
鈴音もその本には見覚えが……あった。
よく見れば、アルバムだ。
「うっわ。何で、そんなとこに。確かにお母さんに送ってとは言ったけど、何でお菓子の箱に入ってるんだよ?」
「知らねぇよ。お前の母さんの茶目っ気だろ。友達と一緒に見なさい的な」
そう言ってパラパラとめくりだす浩太。
「だだだ、ダメだよ、見ちゃ! どんな恥ずかしい写真が載っているか!」
「……ん。それは面白そう」
「そうね」
ニケとアリスが珍しく、意見を合わせる。
「食いついちゃった!」
鈴音は絶望的な声を上げる。
彼女はなんとか止めようとするけれど、三人の実力行使を前に、呆気なく弾き飛ばされる。
「……龍型以上の絶望感なんだよ」
三人が面白そうに見ているのを、まるで処刑台に立つ前のような面持ちで、鈴音は顔を伏せて耐えている。
「送ってくれるように頼んだって話だけど、何でだい?」
大城は三人の暴挙に苦笑しながら聞いてくる。
「……あ、うん。……天魔が言ってたじゃん。昔の悲しいことを腫れ物に触れるように避けるよりも、思い出してくれた方が、亡くなった人は嬉しいみたいなことを。だから、そうしてみようかなって思ったんだけれど、……大失敗だったよ」
「あはは。まぁ、こうなるとはね」
大城は笑いながらも、気の毒そうに言ってくれた。
「なぁ、鈴音」
「なんだよ!」
「キレんなよ。それより、お前って、天魔を連れて、実家に帰ったことがあるのか?」
「え? 何で?」
意味が分からず、鈴音は首を傾げる。
「……ん。天魔が写ってる」
「そうね。少なくともここは、訓練校じゃないわね。小さな子と遊んでいるし」
「どれ?」
全く身に覚えのないことを言われ、鈴音も皆が言う写真を見てみる。
そこには、今と変わらない天魔と遊ぶ、幼い自分が写っていた。
食堂に一向に現れようとしない天魔を、鈴音たちは探すことにした。
鈴音は思い出したのだ。
あの写真は、近所のお兄ちゃんと遊んでいた時のものだった。
そう、天魔お兄ちゃんとだ。
鈴音は彼を見て、雰囲気が似ていると思ったけれど、似ているどころか、全くの瓜二つだった。そのあまりの酷似ぶりは、他人のそら似で通すには、あまりにも無理がある。むしろ、天魔が年を取らずにいたという方が、しっくりくるくらいだ。……まぁ、そっちもあり得ないことではあるけれど、天魔お兄ちゃんの年齢は生きていれば二十五だから、若作りすれば、……ぎりぎり可能な気もする。
けれどそうなると、年を誤魔化していた理由がわからない。
だからすぐにでも、天魔に確認したかった。
本当に同一人物なのか。それとも、奇跡的な確率でただのそら似なのか。
彼の部屋を先に尋ねたのだけれど、誰もいなかった。
「まだ、穿天砲の方じゃないか?」
浩太の言葉にそうかもしれないと思って、今度はそちらに向かう。
いつも、天魔が覗いている高台にはいなかった。
「どこ? どこに行ったんだよ」
「もしかして、穿天砲を見張っている兵士の人たちに、見せてくれって頼みに行ったとか?」
大城が首を傾げながらそう言うと、ニケは頷いた。
「……ん。あり得る。天魔は無駄に、行動的なことがある」
「じゃあ、そっちに行って、聞いてみましょう」
穿天砲へと続く山道へと向かう。
そして、山道に辿り着くとすぐに、鈴音たちは異変に気付く。
穿天砲へと続く道の前にはいつも、遺跡兵が見張りとして立っている。なのに、今日に限って誰もいない。
「何かあったのかな?」
「もしかして、天魔の奴。誰もいないのを良いことに、穿天砲へと向かったのかしら?」
アリスが眉間に皺を寄せる。
もしもそんなことをすれば、厳罰ものだ。
「……ん。そこまで馬鹿じゃない……と信じたい」
ニケは自信無さそうに言った。
「つまり、あり得ないことじゃないってわけだ。……どうする?」
浩太は皆に尋ねる。
ここを踏み込めば厳罰だ。入ったかどうかもわからない天魔の為に、そんな危険を冒すのは、普通ならあり得ない。
「……ん。ニケは行く」
そう言ったニケは、何か焦っているようだった。それを感じたからか、鈴音もなんだか嫌な予感がした。
このままでは、天魔に会えなくなるんじゃないか、と。
「……あたしも行ってみるよ。……天魔が心配だし」
「ったく、馬鹿かよ。仕方ねぇな」
浩太は諦めたようにため息を吐いた。
「……ん。皆で行けば怖くない」
「……仕方ないわね。……せっかくできた友達だもの。これくらいの危険なら、一緒に行ってあげるわよ」
「おぉ。珍しくアリスが素直だよ」
鈴音がそう言うと、顔を赤くするアリス。
「うるさい。……大城はどうするの?」
「……うん。俺も行くよ。皆が行くならね。あわよくば、遺跡も見れるかもしれないし」
「……ん。打算的」
ニケの言葉に皆は苦笑する。そして、五人は山道を登っていく。
鈴音たちは山道を登りながらも、一向に遺跡兵には出くわさなかった。それが返って、不気味な気がした。念のため、周りを警戒しながら進むのだけれど、何かを恐れているように、動物や虫の音もしない。
「……見えてきたんだよ」
道の先に見える穿天砲に鈴音がそう言った。
「何があるかわからない。気を付けよう」
大城の言葉に、皆が頷こうとした時、笑い声が聞こえた。
「ふふふ。警戒するのは良いですけれど、遅すぎますの」
「誰!」
アリスがそう鋭く問うと、地面に穴が開き、そこから優雅な仕草で人影が現れた。いや、彼女は人ではなかった。
青い髪に美しい顔立ち。そして、蛇の下半身。
誰もが彼女の姿を見て、恐怖に顔を引きつらせる。
「……ティ、ティアマト」
アリスが震える声で呟いた。
そう、そこには、死んだはずの魔将、ティアマトがいたのだ。
「な、何で。死んだはずだよ!」
鈴音はそう叫んだけれど、誰も、答えられるはずがなかった。ティアマト自身を除いては。
「んふふ。さすがに穿天砲の一撃をまともに受けては、わたくしも無事ではいられませんので、あの時、逃げさせてもらいましたの」
「逃げただって? どうやって。話じゃ、まともに受けたってことじゃないのか?」
「まともに受けたのは、わたくしの殻ですの」
「……殻?」
「知っています? 蛇は脱皮をする生き物ですのよ。ですからあの時、尻尾を地面に突き刺し、そこから逃げ出しましたのよ。……まぁ、残った殻が恥ずかしいので爆発させてもらいましたが、こうしてわたくしは元気でいますの。安心してくださいませ」
そう言って、ティアマトはにっこりと笑う。
五人にとっては絶望的な状況だった。
今は魔導スーツすら着ていない。持っている武器は、動物に襲われたときの為の、携帯用の小型ナイフくらいだ。更に言えば、完全に武装したとしても、このティアマトに勝てる気すらしない。
皆が皆、自分の死を思い、息を呑む中、彼女は不敵に笑う。
「別にそんな、緊張することはありませんわ。別に、他の遺跡兵のように、取って食おうというわけではないのですから」
ティアマトの言葉に、誰もが理解してしまった。見張りのはずの遺跡兵がいない理由に。彼女は地面の中から現れた。完全に気配を消して。
もしも、それをちゃんと奇襲として使えば、例え正規の兵士であろうと、皆に危険を知らせることもできずに殺されてしまうだろう。
「……私たちを、どうする気?」
恐怖に震えながらも、生来の意地っ張りからか、アリスが気丈にも尋ねる。
「逃げ出さなければ、ご案内しますわ」
「……案内?」
「ええ。魔王様のところへ」
天魔は終わってしまうのかと悲しい気分になる。
この三年、葛木天魔として過ごした時間が、終わろうとしている。
最初はただの思い付きだった。
日野原基地。
滅ぼした街で、天魔という同じ名の少年の死を知った。その時、天魔は思ったのだ。これから彼のふりをして兵士となれば、この国の軍の動きが、今よりもわかるんじゃないか、と。
天魔にとって、天里は危うい国だった。この国に存在する遺跡の数はあまりにも多く、そのどこに、危険な兵器が埋まっているのかわからないのだ。
今、隣にある穿天砲のように。
だから、兵士という立場になれば、軍がそういった物を発掘した時に、情報が入るだけでなく、近くに居られる可能性すらあると思ったのだ。
そして、今回の企みは上手くいったと言える。
……まぁ、探り出すために、少しばかり無茶をしてしまったけれど。
葛木天魔に扮したのは、間違いではなかった。
天魔はそう思っている。
……そう、結果だけを見れば。
誤算があるとすれば、ここが、あまりにも居心地が良すぎたことだ。
昔の知り合いである鈴音に出会い、その友人の浩太と出会い、そして、転入生のニケと出会った。
彼女らとの出会いが、あまりにも居心地が良すぎて、天魔は半ば、魔王なんてことが、どうでも良くなっていた。
それに気づいた天魔は、激しく自分を責めた。
そう、天魔は魔王なのだ。
人の悲しみと憎しみを、一身に受ける悪の権化。
そんな自分が、居心地が良いからと、安穏と暮らすのは、堕落でしかない。
今までしたことを考えれば、それは決して許されないことだ。
だから天魔は今回、強硬手段に出た。自分が、居心地のいい場所から抜け出す戒めとして。
「……君らは、僕を憎むべきなんだ」
天魔はそう言って、やって来た鈴音たちを見た。
ティアマトに案内されて行った先で、魔王として紹介された天魔を見て、鈴音は決心したように尋ねた。
「……魔王は、……天魔……お兄ちゃんなの?」
「思い出したんだね、鈴音。……そうだ。その通りだよ。僕は君の近所に住んでいたお兄さんさ。魔王が生まれたあの日、アクエリアの飛翔船によって、僕の家族や友人が殺されたあの日、僕は人間の醜さと残虐さを見た。だから僕は、魔王になって、復讐すると誓ったんだ。全ての人間にね!」
彼はそう強く宣言した。
そう、宣言だ。天魔としてではなく、魔王としての。
しかしそれを、鼻で笑う者がいた。
「はっ。何言ってやがんだ、こいつ」
浩太だった。
「どういうことかな、浩太?」
「何が人間に復讐だ。てめぇは結局、自分の街を滅ぼした人間が憎いんだろう? なら、復讐するんなら、そいつらだけにしとけばいいんだ。何でそこで全ての人間になるんだよ。人間が醜いからってか? そんなの、お前が憎んだ人間よりも、達が悪いじゃねぇか」
「ふん、達が悪くて当然だ。僕はもう人間じゃない。魔族と同じ体を持った魔王だ。この怒りと憎しみは、全ての人間を滅ぼさない限り、止まりはしない」
「ふざけんなよ、天魔。いつもの胡散くせぇ、ですます口調はどうしたよ? てめぇが一生懸命、魔王のふりをしてんのはわかってんだよ」
「……ん。天魔は嘘が下手」
ニケは浩太の言葉に同意するように頷き、あっさりそう告げた。
けれどそれは、ここにいる皆の意見だと、鈴音は思った。
「……いや。これでも本当に魔王なんですけどね」
天魔はそう呟いて苦笑する。
「魔王様。物凄い悲しそうな顔をしながら、悪そうなことを言っても、効果はないと思いますの」
ティアマトの言葉に、天魔は情けない顔をする。
「……僕、そんな顔していました?」
「ええ。していましたの」
「……そうですか」
天魔の口調までいつも通りに戻ってしまっている。唯一違うのは、自分のことをお兄さんと言わないくらいだろう。
……お兄さん。
鈴音は思い出す。
天魔お兄ちゃんは、幼かった自分と話している時だけ、自分のことをそう言っていたのだ。
『鈴音ちゃん。お兄さんと遊びましょうか』
『お兄さんはお腹いっぱいだから、このお菓子をあげますよ』
『泣かないでください。お兄さんが一緒に居ますから』
きっと天魔が、訓練校でお兄さんと自分を呼んだのは、鈴音を見て思わず言ってしまったからかもしれない。自分の事をお兄さんと。
浩太は埒が明かないと思ったのか、ため息を吐いた。
「……天魔。本当のことを話せよ。なんでお前は、魔王なんかやっている」
「言ったでしょう? 復讐ですよ」
「……まだ、そんなことを言うのか?」
浩太は天魔の言葉をまるっきり信じていない。……いや、ある意味信じているのだ。
天魔は、復讐心だけで関係のない人を殺すような奴じゃないと。
きっと、魔王として生きる天魔には、それだけの理由があるのだと。
そんな中、アリスは顔を青くしていた。
「……大丈夫かい」
大城が彼女の様子に気付いて、気遣うように声を掛ける。すると彼女は首を横に振り、天魔に決意したような視線を向ける。
「……天魔」
「なんです?」
「……私の父は、魔王によって殺されたわ」
「……そうですか。ならば、僕を恨めばいい。僕は魔王です。君のお父さんを殺したのは、僕ですよ」
天魔が淡々とそう言うと、アリスは泣きそうな顔をする。
「……そう。そうよ。……私は魔王を許さない。……そう思っていた。……そう思っていたけれど、……貴方の家族や友人を殺したのはきっと、……私の父なのよ」
アリスの告白に、その場の全員が凍り付く。
「……君のお父さんが、僕の家族を殺した?」
感情を殺した天魔が、彼女の言葉を確かめるように尋ねた。
「……そう。私の父が死んだ日。それは、魔王が現れた日なのよ。……天里に、飛翔船で攻撃を仕掛けに行った父は、現れたばかりの魔王によって殺された。……でも、天魔が復讐のために魔王になったというのなら、……天魔を魔王にしてしまったのは、……私の父だった」
「違う!」
天魔は、アリスの言葉を強く否定した。
「アリスのお父さんは悪くはありません。君のお父さんはただ、職務に忠実だっただけでしかない。……悪いのは、……悪いのは……」
「戦争だよ」
鈴音がそう言うと、皆が驚いたようにこちらを見てきた。
「前に言っていたよね。天魔が許せないのは、戦争をしようとする権力者だって。……でも、天魔は権力者だけじゃなく、戦争自体が許せないんでしょ? だから天魔は、魔王になった」
「……違います。僕はただ、人間が嫌いで――」
「なんで天魔は、憎まれようとするんだよ」
鈴音は天魔の言葉を遮って尋ねる。
「……憎まれようだなんて」
「……ん。ニケは言った。天魔は嘘が下手。特に、自分で迷っている嘘は」
ニケの指摘に、天魔は口を噤む。そして、諦めるように言ったのだ。
「僕は魔王です。……そして、君たちを騙していた。僕は、憎まれるべきなんです」
「はぁ? なんだそりゃ。騙していた罪悪感を、憎まれることで許してもらおうとでも思っているってのか?」
浩太は挑発するように言った。
「……だって。……だってその方が、君らだって楽じゃないですか。君らは魔王と戦う兵士です。それならば、魔王を憎んでしまった方が良いはずです」
やっぱり天魔は優しかったと鈴音は思う。結局、自分が悪者になって、鈴音たちの心の負担を減らそうとしていたのだ。
「ふざけるな! お前を憎むか許すかは、俺たちが決めることだ。お前が勝手に判断してんじゃねぇよ」
浩太の言葉は、ここにいる仲間たち全員の思いを代弁しているようだった。
「天魔。あたしはちゃんと知りたいんだよ。優しかった天魔お兄ちゃんが、どうして魔王になったのか。その真実を」
「……ん。ニケは魔王とか正直どうでも良い。大切なのは、天魔自身の事。だから、教えて」
鈴音とニケは、天魔をまっすぐに見つめる。
そして彼は、ため息を吐いてこう言った。
「……僕は、戦争が嫌いです。戦争では、人が平気で殺されるんです。その殺された人を、大切だと思う人がいるのに。……だからと言って、復讐も間違っています。その殺した人にだって、アリスのように、大切だと思っている人がいるんですから。憎しみをぶつければ、また、憎しみが返ってきます。それは永遠に続くイタチごっこでしかありません。……そんなのは、悲しいじゃないですか。……だから僕は、魔王になった」
「……戦争を止める為に……」
アリスはそう呟いた。
天魔が魔王になって、戦争はなくなった。各国に、戦争をしているだけの余裕がなくなったからだ。多大な犠牲が出たやり方ではあったけれど、魔王のおかげで、確かに戦争はなくなったと言える。
「なら、戦争が終わった今、何で天魔は、魔王のままでいるのさ」
大城はそう尋ねた。戦争を止める為ならば、目的は既に果たしているようにも見える。今のように、基地や町を襲う必要はないはずだ。
「……僕には夢があるんです」
「夢?」
大城は首を傾げて聞き返すと、それに天魔は頷いた。
「天里の人間だろうと、アクエリアの人間だろうと、そして、クロノアの人間だろうと、皆が仲良く過ごせる世界にしたい。それが、僕の夢です」
「なら、もうなっているんだよ」
鈴音はそう言って、ニケとアリスを見る。
戦争は終わり、同盟が結ばれた。それは、各国が手に手を取り合っていると言える状態だ。だから今、大切な仲間として、天里の人間だけでなくクロノアとアクエリアの、ニケとアリスも、ここにいるのだ。
しかし、天魔は首を横に振る。
「その同盟はまだ、薄氷の上のものです。いつ砕けるかもわかりません。……きっと、魔王がいなくなれば簡単に砕けて、戦争はまた、始まってしまうでしょう」
「……そんなこと、……そんなことないかもしれないじゃん」
鈴音はそう言いながらも、自分の言葉の軽さを自覚してしまう。
もしかしたら、同盟は続き、戦争は起こらない可能性もあるだろう。けれど、それは限りなく低い可能性でしかない。
事実、天里は穿天砲の情報を隠していた。それは、魔王の目を誤魔化すためというのもあっただろうけれど、他国に奪われないためでもあったはずだ。
協力関係にありながら、隙あらば出し抜こうとしている現状を見れば、戦争が起こらないなんて言葉は、あまりに現実的ではない。
「……僕はそこまで、今の人を信じられません。だから僕は、全ての国の共通の敵となって立ちふさがり続けるのです。そうすれば、世界の憎しみは、魔王である僕だけに向かい、人同士の戦争は起こらなくなりますから」
「つまり天魔は魔王になることで、人の憎しみが連鎖しないように、君は憎しみを一身に受けているっていうのかい?」
大城はそう聞きながら、複雑な表情をする。それは、天魔の身を思っての、悲しみとか同情などの気遣った表情なのだろう。
天魔はそんな彼の優しさに笑う。
「うん。僕は、必要悪になったんですよ」
人の未来を想い、人の敵になる道を選んだ天魔。それはあまりにも、過酷な道だ。
「……天魔。そいつは、いつまで続くんだ?」
浩太は悲しそうな、そして、悔しそうな顔をしてそう言った。
彼も理解してしまったのだ。今、この世界には、人同士の戦争を起こさないために、魔王が必要だということを。
「わかりません。でも、浩太が言っていたじゃないですか。このまま同盟が続いていけば、否が応にでも、お互いのことがわかってくる。だから、今は無理でも、時を重ねて世代を重ねれば、……例えば天理やアクエリア、クロノアの間で、普通に結婚するような時代になれば、人種間の戦争なんて、馬鹿らしくてやっていられないって」
「……そうだったな」
「だから僕は、その時まで、魔王を続けるんです」
天魔はそう言って、穿天砲へと触れる。
すると、穿天砲は光の粒へと形を変えて、天魔の体へと吸い込まれていく。
「それが僕の、魔王としての全てです。これを聞いてどう判断するかは、皆に任せます。……いえ、最初からその判断は、皆のものだったんですね」
天魔は苦笑する。
「……なら、私は決めたわ」
アリスが天魔に近づいてそう言った。彼女の瞳は涙にぬれているけれど、とても強い視線を向けていた。
「アリス?」
「私は、魔王が憎い。お父さんを奪った、魔王が許せない。だから、魔族を倒す。倒して倒して、倒しまくって、……あんたの、抱える人の死を、少しでも少なくしてやるんだから」
アリスはそう言って微笑んだ。
魔王である天魔の目的は、人を殺すことじゃない。
彼の目的は、魔王が人類の敵だという印象を与えることだ。だから天魔としては、脅威さえ与えられれば、人の死は、少なければ少ない方が良いと思っている。
その為、先の戦いでティアマトは、人の死を減らすため、全員で逃げ出せと言ったのだ。
あの時の魔王の目的は、穿天砲だったから。
つまり、アリスが魔族を倒し、人を助けるということは、天魔が望んでいることでもあるのだ。だから天魔は、先の戦場でも遠慮なく魔族と戦っていた。
人を守るために。
魔王として人を殺し続ける彼は、決して、人の死を軽んじているわけではないのだ。
アリスにとって、父親が殺されたことは、許せることではないだろう。言葉通り、父親の死を許しはしないのだろう。
それでも、アリスは天魔のやっていることを、認めてくれたのだ。
「……ありがとう、アリス」
天魔は涙が出そうなるのを、慌ててこらえている。
彼は大きく息を吐き、皆の顔を自分の記憶に焼き付けるように見つめ、そして、満足したように頷く。そして、彼は別れの言葉を口にした。
「さよなら、皆。僕はもう、行くよ」
「……天魔」
誰かがそう呟くけれど、決して彼を止めることはできなかった。
彼が行ってしまう。
魔王として、自分の役目に殉じに。
そうなれば、もう二度と、会えないだろう。
鈴音は彼を引き留めようとする手を、なんとか押しとどめ、天魔に向かって叫んだ。
「天魔、……天魔お兄ちゃん! 私は絶対偉くなる! そして、少しでも早く、お兄ちゃんが魔王の役目を終えられるように、あたしは頑張るから! 頑張るから!」
一瞬だけ振り返った天魔の顔は泣きそうではあったけれど、それでも嬉しそうに笑っていた。