穿天砲
墜落する龍型。
指揮官を失い、魔族は撤退を始めた。
それを見た兵士たちは勝利に沸く。
まだ、余裕のあるものは追撃を掛けたりしているけれど、これで、この戦いは終わったのだと誰もが安堵の笑みを浮かべている。
「やった。やったんだね、あたしたち」
喜びに満面の笑顔を浮かべる鈴音。
魔力の切れた彼女は、ニケに抱えられながらゆっくりと降りていく。
「……ん。ニケの頑張りがあったればこそ」
「……いや、活躍独り占めは駄目だよ」
「……ん。もちろん冗談」
そう言って、ニヤリと笑うニケ。
彼女にしても嬉しいのだろう。
大城のチームの一人を失ってはしまったけれど、少なくとも自分たちのチームは全員無事だった。それが、何よりも嬉しい。
「やりましたね」
「やったな」
天魔と浩太が、笑顔で待っていた。
「これで、出世街道まっしぐらだよ」
「あれ? でも倒したの、ニケじゃありませんでした?」
天魔が意地悪なことを言ってくる。
「でもでも、その布石を打ったのは、あたしだもん」
「じゃあ、その布石の布石を打ったのは、お兄さんですね。ナイス、お兄さん」
「そして、その布石を生むために、鈴音を、身を挺して庇ったのは俺だな。ナイスだ、俺」
「……ん。そして、結局とどめを刺したのはニケ。ナイスね、ニケ」
三人がそんなことを言ってくる。
「うっあ、こいつら最悪だよ」
鈴音はそう言いながらも、皆のいつもの調子に、思わず笑ってしまった。
天魔たちの笑い声が聞こえてくる。
アリスはそれを見ながら、自分の不甲斐なさを噛みしめていた。
結局、彼女は何もできなかった。
大亀型を壊したのは結局、命を賭した黒須の活躍だ。そして、龍型を倒したのは鈴音とニケ。
そこに、アリス自身は絡むこともしなかった。
ただ、仲間を犠牲にしただけ。
戦場によっては、活躍できないことも確かにあるだろう。けれど、自分ができると思ったことが何一つできなかった。
それが、アリスは悔しくて仕方ない。その性で、大切な仲間を一人、失ってしまったのだ。
黒須の死を、自分の性だと感じる彼女は、どうやって彼の死に報いるかを考える。
いや、そんなのは決まっていた。
黒須の分まで、魔族を倒して倒して、倒し続けることだ。
アリスはよく、彼のことを知らない。まだ、そこまで仲良くはなっていなかった。でも一つだけ、彼が望んでいることはわかる。
軍に入ったということは、黒須は魔族を倒すことを望んでいた。それだけは、確かなことだ。
だからアリスは――
「使えませんわ。本当に使えませんわ」
唐突に聞こえた女性の声に、アリスの思考は途中で止まる。それは、大亀型の上から聞こえた。
「まったく。結局、彼らの隠し持っている古代の兵器を見ることはできないなんて。……本当に使えませんわ。もしかしたら、これではわたくしが戦わなければなりませんの? ああ、そうなれば、たくさん死ぬでしょう。たくさん血が流れるでしょう。……まったく。これではわたくしが、殺すことを望んでいるようではありませんか」
そこに居たのは綺麗な女性だった。
空のように青く長い髪に優しげな顔立ち。そして、女性らしい蠱惑的な体にドレスを纏っている。
日傘を差した彼女姿、どこかの令嬢のようにすら見え、今まで魔族との戦争が行われていた場所には、あまりにも不釣合い。
しかし、彼女は人間ではなかった。違うのは彼女の下半身。ゆったりとしたスカートからは、白銀色の蛇の胴体が伸びている。
「な、何者なの、あなたは」
アリスの声に、やっと気づいたような反応をする女性。
「まぁ、丁度良かったですわ、人がいて。あなたは使える人かしら?」
「何者だと聞いている!」
アリスの怒鳴り声に、天魔たちも突如現れた女性に気付いたようだ。
「あら? 怒鳴るだなんて、品のない。……まぁ、よろしくてよ。礼儀正しい淑女としては、人に頼む前に自己紹介くらいはするものですわよね。わたくしは魔王様にお仕えするティアマト。人は、三魔将なんて呼んでいるみたいですわね」
「……さ、三魔将」
鈴音が息をのむように声を上げた。
しかし、アリスは怯むことなくキッと睨みつける。
「魔王の幹部ね」
「幹部なんて、そんな仰々しいものではありませんわ。わたくしは、魔王様のただの忠実なしもべ。魔王様の望むことなら何でもしますの。例え死ねと言われたとしても、それが魔王様の望みであるのなら、わたくしは喜んで死にましょう」
ティアマトと名乗った三魔将は、まるで憧れの人を語る乙女のような顔をして言った。
「なら、魔王が人を殺せというから、お前たちは喜んで人を殺すのね」
アリスは噛みつくようにそう言うと、彼女は愛らしく小首を傾げる。
「あら? 魔王様はそんなこと、望んでいませんわ。けれど、魔王様の目的のためには、必要なことだから、仕方がありませんの。全ては、魔王様の言う通りにしない、人間たちが悪いんですの」
「……人間が悪い? ふざけないで!」
そう言って光の翼を展開し、物凄い速さで斬りかかるアリス。
けれど、ティアマトは日傘の先端を彼女に向けたと思ったら、そこから強力な魔力弾を放って、アリスを撃ち落した。
成す術もなく吹き飛ばされるアリス。彼女の魔導スーツは白くなる。
「くぅ」
立ち上がるアリスに、ティアマトは呆れた顔をする。
「そんなに死に急ぐことはありませんの。今日のわたくしは、戦う気はありませんわ」
「……戦う気がない?」
「ええ。わたくしは、あなたたちに頼みがありますの」
「頼み……だと?」
アリスは歯を食いしばる。
まるで、自分は敵ですらないと馬鹿にされているような気分だった。
そんな彼女の心情など気付かずに、ティアマトは続ける。
「ええ。明日の正午、わたくしはあなたたちの基地を占拠しますわ。だから、あなたたちは指揮官に伝えてくださらないかしら? その前に、全員で逃げ出してください、と」
「……ふ」
怒りに戦慄かせるアリスの口から、音が漏れる。
「ふ?」
なんだろうかとティアマトは、きょとんとした顔をする。
「ふ、ふざけるな! 誰が、魔王の手先の言うことなんて聞くか。私が今、あなたを殺してあげるわ!」
アリスは怒りを爆発させてそう叫ぶと、再度攻撃を仕掛ける。
怒りに身を任せているように見えて、先程よりも考えてはいるのだろう。光の翼でジグザグに飛びながら、魔力弾の狙いを定めさせないように撹乱し、距離を詰めていく。
「死に急ぐことはありませんと忠告はしましたのよ」
ティアマトはそう言うと、青い髪を束ね、幾本もの伸縮自在な槍にする。そして、その槍はまるで蛇のように、アリスの身に襲い掛かった。
「アリスを助けなくちゃ」
ティアマトの槍の攻撃に、近づくどころか追い詰められていくアリスを見て、鈴音が言った。彼女たちには突如現れた女がなんなのかわからない。けれど、三魔将だと言っていたのは聞こえた。
「助けなくちゃって、鈴音は魔力が切れているだろうが」
浩太がそう言うと、彼女は悔しそうに俯いた。
「……ん。なら、ニケが行く」
そう言って前に出ようとするニケの腕を、天魔が掴んで止めた。
「ニケも、魔力が尽きかけています。無茶ですよ」
ニケにしても、龍型を倒す時に、相当な魔力を練りこんでいたはずだ。それに、彼女は今まで天魔のチームの中で、一番矢面に立って戦っていた。長く戦えるような魔力は残っていないはずだ。
「……でも、このままだとアリスが死ぬ」
ニケはアリスに酷いことを言われたことがあるというのに、本気で彼女の身を案じている。そんなの彼女に、天魔は優しい笑みを浮かべる。
「お兄さんが行きますよ」
「天魔が?」
「お兄さんは、身を守ることに関してなら、ニケよりも優れていますからね」
「……でも」
心配するようなニケや鈴音。
「大丈夫ですよ。ちゃんと戻ってきます」
そう言って、二人の頭を撫でる。
浩太を見れば、彼は肩を竦めていた。
「まぁ、戻って来なかったら、お前の秘蔵のエロコレクションは、寮の男どもに分配しとくから、安心しろ」
「やめて! 何その、気の遣い方。死んだ後に、あいつ、こんな趣味だったんだとか、絶対に思われたくないんですけど」
「それが嫌なら、絶対帰って来いよ」
そう言ってニヤリと笑う浩太。
彼なりの、励ましだったようだ。
「ああ、もう、帰ってきますよ、絶対に」
天魔は苦笑しながらそう言うと、アリスに向かって飛び立った。
「また、邪魔が増えましたの?」
天魔に気が付いたティアマトは不満そうな顔をすると、髪の槍がさらに増えて襲い掛かってくる。
彼は最大出力で魔法障壁を張って、いつも通り防ごうとする。けれど、ティアマトの槍は魔法障壁にぶつかると、ねじ込むように貫いてくる。
「マジですか」
天魔はゾッとした気持ちで、なんとかその槍を避ける。
今まで、魔法障壁が貫かれたことなんてなかった。
例え龍型の攻撃であろうと、しっかりと魔力を込めれば、防げるんだという自信があったのだ。
なのに、ティアマトの槍は易々と貫いてくる。障壁を破るために動きが一瞬止まるけれど、完全に防ぐことができないのだ。
三魔将。決してその実力を侮っていたわけではないけれど、桁が違うのだと思い知らされた気分だ。こんなのを相手にしていたら、命がいくつあっても足りないだろう。
魔法障壁の力を過信するのは危険だと判断した天魔は、光の翼の魔力を高め、アリスのようにジグザグに飛ぶことを選ぶ。
しかし彼はアリスのように器用に飛ぶことはできない。なので、その分の隙を、魔法障壁でフォローしながら、なんとかアリスに近づこうとする。
その時だった。
横から魔力弾が放たれ、それがティアマトに当たった。
けれどこの魔将には、魔力弾程度では傷すらつけられないのか、魔力弾を放った大城と西条に、憐れむような視線を向ける。
彼らは、天魔がアリスに近づこうとしたのを見て、援護しようとしたのだろう。けれど、それは、してはいけないことだと、相対する天魔にはわかってしまう。
「逃げてください大城! 西条!」
天魔は叫ぶのだけれど、二人はアリスと天魔を助けようと必死なのだろう。射撃をやめようとはしない。
ため息が聞こえた。
それは、ティアマトのしたものだった。
「愚かですわ。人間は本当に愚かですわ。勝ち目のない無謀な戦いを挑み、そして、何かを失わない限り、自らの愚かさに気付かないのですもの」
憂いに満ちた表情でそう言った後、ティアマトが腕を振るって何かを投げた。それは、彼女の蛇の部分が持つ鱗だった。それはあっという間に巨大化したかと思うと、龍型へと姿を変える。そして、大城と西条を襲いかかった。
「大城! 西条!」
アリスは助けに行こうとするけれど、その行く手を、ティアマトの槍が阻む。
「あなたたちが苦労して倒した龍型ですけれど、あんなものは、わたくしの鱗の一つでしかありませんの。わかってくださいましたか? 圧倒的な力の差を」
場違いなほど、優しげな微笑みを浮かべるティアマト。彼女の鱗は何百とある。もしも、あれが全て、龍型に変じることができるというのなら、勝てるわけがない。
「アリス! ここは引いてください」
「いやよ! 敵の魔将がいるのよ。それを、むざむざ逃すことなんて、出来るわけがないじゃない」
「ですが、今のあなたじゃ、ティアマトには勝てません。ここに居ても、無駄死にです。それに、このままだと大城たちが死んでしまいますよ」
「……うぅ」
天魔の言葉に迷いを見せるアリス。
彼女一人であれば、意地を貫き通そうとしたかもしれない。けれど、大城たちのことを持ち出され、自分の意地に、他の人を巻き込んでいいものかと迷ったのだ。
しかし、それが動きにまで出てしまった。
彼女の動きが鈍ったところを見逃さず、ティアマトの槍がアリスを襲う。
「くっそ」
天魔はアリスの前に割り込み、槍の一撃を代わりに受ける。その威力はとんでもなく強く、アリス諸共吹き飛ばされる。
天魔の着ていた魔導スーツが白くなる。身代わりの魔法が切れたのだ。
身体強化の魔法も切れて、羽のように軽く感じた体が、今は泥沼にいるように重く感じる。
槍の衝撃と、地面に叩き付けられた痛みに天魔は顔をしかめながら起き上がる。
アリスも同じように起き上がっている。けれど、彼女の表情は冴えない。
肩を打ったのか、彼女は痛そうに押さえていた。
もう、まともに戦えないだろう。
ティアマトは悠々とした様子で近づいてくる。
このままでは殺されてしまう。
天魔はこの状況を何とかしようと必死で考える。
まだ、自分には魔力がある。決して戦えないわけではないのだ。問題は、全くと言っていいほど勝機が見えないこと。
いや、勝つ必要はない。アリスを連れて逃げられるだけで良い。
しかし、どうやって?
ティアマトが本気で攻撃を仕掛けてくれば、一人でも怪しいというのに、アリスを連れて逃げることなんて、まず不可能だろう。
……見捨てるしかない?
天魔は自分の考えを否定するように、頭を横に振る。
そんなのは駄目だ。
もしもそれで逃げ切れたとしても、自分で自分が許せなくなる。
少なくとも今は、訓練兵の葛木天魔として、必死に生きるのだと決めている。
諦めない。
天魔は自分の心を奮い立たせ、ティアマトを睨みつける。しかし、彼女は動きを止めていた。
「まったく。思った通りに進みませんわ」
ティアマトは周囲を見て言った。
アリスも視線を巡らせてみれば、その意味が分かった。
いつの間にか正規兵が集まって、ティアマトに魔銃を向けている。彼らは魔族の死骸で身を隠しながら近づいたのだろう。
それによって、ティアマトを包囲することに成功したのだ。
指揮官の龍型が倒されたのに、それでも 激しい戦いが行われていることに気付いた正規兵が、駆けつけてくれたのだ。
「……もう、いいですわ。やり方を変えましょう。先ほど言った通り、人間は失わなければ気付かない愚かな生き物のようですし、……ならば、一度失いなさい。そしてその後に、わたくしの言葉を、聞き入れなさい!」
ティアマトが鋭くそう言った瞬間、鳥肌が立つのを誰もが感じた。それは、絶対強者としての言葉。誰もが弱者として恐怖を感じずにはいられない。
正規兵たちが恐怖に耐えかね、一斉に銃撃を行った。まるで光の雨のように、魔将に向かって降り注ぐ。その光、一粒一粒には、膨大な魔力が練りこまれていて、相当な威力を秘めていることが想像できる。
例え、大亀型の龍型を超える強固な甲羅であろうと、これだけの攻撃を受ければ、瞬く間に倒されているだろう銃撃の嵐。
しかし、ティアマトは持っていた日傘を、差すと同時に展開した魔法障壁で全ての攻撃を、雨粒を防ぐかのように軽々と防ぎきってしまう。
そして、魔力弾の雨をやり過ごした彼女は威圧感を一気に高めると、蛇の部分から鱗を飛ばし、何十という数の龍型を生み出した。
龍型はすぐさま、正規兵に襲い掛かる。
そして、周囲に広がる怒号や悲鳴。
龍型は基本的に、一人の兵士がまともに戦えるような相手ではない。
中には過去、一人で正面から、龍型を倒したという猛者もいないではなかったが、そんな人間が都合よく居るわけもないし、現れたのは一体どころではない。
正規兵は苦戦どころか、僅かな反抗を見せるのがやっとで、虐殺されていく。
こんなものは、既に戦いなんかじゃない。
アリスは自分の体が震えるのに気付く。
父が死に、敵を討つんだと兵士の道を選び、そして、才能と努力で誰もが注目するような実力になった。実際、何度か魔族との戦いを経験したけれど、自分はちゃんと戦えるんだと、戦いに喜びすら感じていた。
仲間を失うこともあったけれど、その悲しみや怒り、そして悔しさは、自分が強くなるための糧としてきた。
戦いにも魔族にも、恐怖なんか今まで感じたことはなかった。
でも、今初めて、戦場を、そして魔族を、怖いと思った。
恐怖に縛られ、戦場で一人、ポツンと立ちすくむアリス。
その腕が突如引かれる。
「逃げますよ、アリス」
必死の形相でそう言った天魔。
彼の腕も震えている。今、この状況を、アリスと同じように怖いと思っているのだろう。それでも、アリスを助ける為、自分を奮い立たせて、腕を引いてくれていた。
アリスは何も答えることもできず、天魔に引かれるまま走り出した。
「そうか。やはり魔将が現れたか」
緒方司令はその報告を受けて頷いた。
当初の魔王軍の侵攻。それは、正規軍だけでも対処はできるものだった。……その分、苦戦を強いられたかもしれないが。
しかし、緒方司令は訓練兵の投入をも決定した。
もちろん、訓練兵には防衛の戦いであれば、身を投じる責務はある。だがそれは、余裕もなく、死力を尽くさなければならない防衛線の為の責務だ。本来であれば、正規軍だけで対処できるのであれば、訓練兵の投入はされない。
戦いに慣れていない者が戦場に立っても、余計な犠牲が増えるからだ。
それは、将来的なことを考えれば、大きなマイナスとなる。
もしかしたら、未熟さ故に犠牲になった者の中には、将来的に、とてつもない活躍ができた者もいたかもしれないのだ。
この訓練兵の投入は正に、その芽を、潰すようなものだった。
それを理解しながらも、緒方司令が訓練兵を戦いに投入したのには、もちろん理由がある。
この戦いに余裕を持って勝つためだ。
ここに古代遺跡がある以上、魔王がそれを知ってしまえば本気で潰しに来るだろう。
そして、現れるのは魔将の内の一体。
そうなれば、今度は訓練兵も必ず投入されることになるだろう。ならば、最初から訓練兵にも戦わせて、その時のために、正規軍にも戦力の余裕がある状態にしておきたかったのだ。
「戦況は?」
緒方司令の問いに、通信兵が答える。
「不利です。魔将一体だと思われたのですが、奴から四十五もの龍型が現れました」
その報告に、緒方司令は厳めしい顔に、厳しい表情をはりつかせる。
やはり、魔将は規格外に強いようだ。正規軍に少しくらい余裕があろうと、大した障害にならないのかもしれない。
「……だが、撤退は許さん。できうる限りの力を持って、魔将の足止めをさせろ」
「はい」
通信兵はすぐさま、緒方司令の言葉を正規兵に伝える。
「緒方司令」
遺跡兵の隊長が声を掛けてきた。
「準備はできたか?」
「はい。穿天砲を地上へと上げ、準備も出来ています。あとは、狙いを定めるだけです」
「そうか。よし、後は、なんとしても足止めをさせろ。そうすれば、我々の勝ちだ。……そう、人類が初めて、魔将を倒すのだ」
なんだろうかと、逃げながらも天魔は思う。
正規兵たちの動きが、明らかにおかしい。ティアマトの強さは誰もが知るところとなり、襲い掛かる龍型にしても、とてつもない強さを持っている。
なのだから、もっと慎重に、逃げながらも相手の隙を突くような、空間を大きく使った戦い方をしても良いと思うのだ。
しかし皆が皆、その場を動かずに戦っている。
一度避ける為に身を引いたとしても、同じところに戻ってくるのだ。それは、決死の覚悟で挑んでいるようにも見えるけれど、本当に死を賭した戦い方ならば、その場にとどまる意味も分からない。
それはまるで、ティアマトをそこから先に行かせないようにしか見えない。
……行かせない?
つまり、足止めだろうか?
だけど、足止めして何の意味があるのだろう?
大型砲が頭に浮かんだけれど、ティアマトは既に、正規兵の放った嵐のような銃撃すら防ぎ切ったのだ。今更、大型砲の一撃で、どうにかできるとも思えない。
その時、天魔は空気が変わった気がした。
「……なんだ?」
彼は立ち止まり、その空気が変わった方向を見た。
「ど、どうしたの?」
アリスは天魔が急に立ち止まったので、怯えながらも不思議そうに尋ねてきた。
どうやら、それを感じ取ったのは、天魔だけのようだ。
いや、彼だけではなかった。
ティアマトも気付いたように視線を向ける。
それは、平原の先に見える山。
白山地方の基地がある方向だ。
そこに、今まさに強大すぎる魔力が現れた。
「使うようですわね」
ティアマトの目が、今までになく真剣なものになる。
それは正に、敵を睨むような視線。
「さぁ。あなたがたが掘り起こしたものが、如何ほどの力か、見せてもらいましょうか!」
そう言うと、ティアマトの上半身にまで、下半身を包んでいた蛇の鱗が広がっていく。
そして、彼女は人の姿をした蛇となる。
気の弱い者ならば、彼女の敵意と強大すぎる魔力にあてられて、気を失っていたかもしれない。
多くの龍型を生み出した時以上の威圧感を持って、彼女は待ち構える。
そして、次の瞬間、空は穿たれた。
まるで、空を両断するような黒い光線が、ティアマトに迫る。彼女は魔法障壁を全力で、光線に向かって幾重にも重ねて展開し、黒い光線を防ごうとした。しかし、世界が割れるような音を響かせながら、ティアマトの魔法障壁が次々と破壊されていく。
彼女は段々と近づく光線に、初めて焦りの表情を見せる。けれど、魔法障壁に全精力を向けているので、その場から動くことも出来ないのだろう。
周りで戦っていた正規兵にとっては、攻撃をするチャンスと言って良い。けれど、彼らにしても、圧倒的な力のせめぎ合いに、動くこともままならない。
だが、そんなことをしなくても、決着はつきつつあった。
黒い光線は着々と近づいていき、衰えを見せることはない。対して、ティアマトの張った魔法障壁は、もう、残り少ない。
「……まだ。……まだですわ!」
ティアマトは自分の体を支えるように蛇の尾を地面に突き刺すと、生み出した龍型を、自分を守るように呼び寄せる。
魔法障壁が完全に破られ、次に妨害したのは龍型の壁。
しかし、大亀型ほどでなくても、驚異的な装甲を持つ龍型の体が、黒い光線に触れた瞬間、物凄い熱量にドロリと解けた。そして、何十と存在した龍型の壁をも貫き、魔将であるティアマトの体すらも穿った。
世界が静寂に包まれた。そんな錯覚すら覚えるほど、皆が息を呑む。
人類が、未だ勝ち得たことのない三魔将の内の一体。
ティアマトの体の真ん中に、大きな穴が開いている。
天魔将がこれほどの傷を受けるところを見たことは、誰もなく、だからこそ、誰もが思ったのだ。
これで果たして死んでくれるのだろうか?
誰もが動き出すなと祈りながら、ティアマトを注視する。
そして、変化が起こった。
ティアマトの穴の開いた場所を中心に、彼女の体が崩れていく。
パラパラと、鱗が砂のように落ちていき、体は穴の開いた場所から二つに折れて、完全に崩れ落ちた。
そして、周りが勝利を確信して歓声を上げた瞬間、崩れたティアマトの体を中心に、巨大な爆発を起こした。
ティアマトの敗北で戦いが終わった。
人間は喜びに沸いている。
魔王はその様子を背に、ジッと見つめていた。
黒い光線の出た山の上を。
ここ数年、警戒し、求めていたものが、あそこにある。
それを知っても、喜ぶ気にはなれなかった。
場所がわかったのなら、後は奪うだけだ。そして、それは容易くできるだろう。なんなら、今日中にも。
……それでも、喜ぶ気にはなれなかった。
あれを奪うということは、終わりを意味する。
今の自分の、嘘だらけで、それでも楽しかった日々が。
どうしてこうなってしまったのだろうかと、魔王は思う。
けれど、その理由を知っているのは、誰よりも、自分自身だった。彼は選んで魔王になったのだから。
魔王が、魔王として生まれ変わった日。
あの日が正に、魔王にとっての始まりの日だった。
魔王が生まれた日、僕の家が燃えていた。
飛翔船によって落とされた爆撃によって、燃え上がってしまったのだ。
腕に軽い火傷を負ったものの、僕は奇跡的に無事ではあった。
でも、運が良かっただなんて思わない。思えるわけがない。
飛翔船の最初の一発が、僕の家に落ちたのだ。そこには、避難のために荷造りをしていた両親がいた。
もしも最初の一発目でなければ、ちゃんと避難をし、無事だったかもしれない。そんなことを思ってしまうと、自分の運が良かったとは思えないし、思いたくもない。むしろ、なんなら両親と共に死んでいれば、こんな悲しみを覚えずに済んだんじゃないかって、考えてしまう。
それでも、生きているのなら死ぬのは怖い。
僕は一人で、避難場所へと向かう。
いつも穏やかだった町は、怒号と悲鳴で埋め尽くされている。
赤ん坊の泣き声が聞こえた。その声は先程から、場所を移動しようとはしない。つまり、動けずにいるのだ。
僕は思わず、そちらに向かう。
両親は助けられなかった。
だから、少しでも多くの人に助かって欲しい。
そう思ったのだ。
どの家から聞こえるんだろうか?
必死になって走り回り、あの家かと当たりを付けたところで、その家に爆弾が落ちた。
つんざくような破壊音。
僕は衝撃に思わず伏せた。そして、起き上がった時には、倒壊した家の中で、確かに聞こえたはずの赤ん坊の泣き声が、聞こえなくなっていた。
何で、何でこんな残酷なことができるんだろうかと、僕は泣きながら思った。
戦争は非道だという。
けれど、そんな非道な戦争が起こしているのは、人の意志だ。
つまり、人は非道なのだろうか?
それでも僕は、親や友人を通して知っている。
人が非道なだけじゃないことを。
愛すべきところもあることを。
兵士をやっていた父も、兵士になってしまった友人も、決して悪人ではなかった。むしろ、大切なものを守ろうとする人であった。
けれど、そんな彼らも、他の国ではこの町と、同じようなことをしてきたのかもしれない。
僕は結局、人を憎みきることも、許すことも出来なかった。
それに、どちらにしても僕は無力だった。そして、無力なものは結局、決めたとしても、何も選び取ることはできないのだ。
赤ん坊を守りたいと思ったところで、何もできなかった今のように。
だから、僕はまず、力を得ることを選んだのだ。
人の体を捨て、魔王の力を得ることを。