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訓練校の日常

 訓練生たちの日常は早い。

 週に一度の休みの日以外、朝起きてからまず、運動場を五キロ走らされる。

 入ったばかりの頃はきつかったものの、毎日の習慣として一か月もこなしていると、何気に慣れてくるものだ。すでに一年以上の時を過ごしている今、天魔としては余裕すら感じる。

 まぁ、朝から走ることに、ダルさを感じてしまうのは変わらないけど。

「そういえば、浩太は昨日、最後まで合流しませんでしたね」

 僕は隣を走る浩太に話しかける。

「今更かよ! まぁ、模擬戦が終わって戻ったら、ニケとアリスの凄さしか話してなかったからな。……俺の方は、最初の不意打ちは上手く行ったんだ。けど、もう一人はひたすら遠くから、攻撃を仕掛けてきてな。中々近づけなくて苦戦した」

「へぇ。負けたんですか?」

「負けてねぇよ! ……まぁ、勝ってもいないけどな」

 苦々しそうな顔をして言う浩太。

 どうやら、ニケたちと同じように、引き分けてしまったようだ。

「くっそ。障害物のない平地だったら負けなかったつぅの」

「それがわかっているから、相手は森の中で浩太の相手をしていたんでしょう? なら、森の中で戦わされた時点で、浩太はしてやられたんですよ」

「ちっ。お前なんて戦うのが面倒だからって、大城と賭けをしたらしいじゃねぇか。ヘタレが」

「ふふん。平和主義なだけですよ。おかげで、大城と友達になりましたよ」

「知らねぇよ! ……それに、友達になるんならアリスにしとけよ。その方が、色々と役立つだろう? 一応、アクエリアのエリートなんだから、仲良くしておけば将来、あの国の遺跡を探索させてもらえるかもしれないぜ」

「むむぅ。確かにそれは、魅力的ですね。……でもお兄さんとしては、あのアリスって子を、あまり好きにはなれないんですよ」

「……ニケの件か?」

「ええ、そうです」

 模擬戦が終わった後、アリスはニケに向かって、悪魔の一族め、と言ったのだ。

 確かに、アクエリアの人間は、差別的にクロノアの人間を嫌っているのは知っているけれど、目の前で大切な仲間がそう言われたのだ。天魔としては、許せるものではない。

「お前って、本当に差別とか、そういうの嫌いだよな」

「ん? 浩太は好きなんですか?」

「別に好きってわけではないけど、……まぁ、差別する気持ちがわからないわけじゃねぇからな」

「うわっ。浩太もそっち側の人間ですか。バンバン戦争をして、気に入らない奴なんか死んじまえとか思っている人間のクズですか。……親友だと思っていましたが、人間関係、見直す必要がありそうですね。お兄さんは残念です」

「それはこっちのセリフだ。いきなりクズ扱いしてくんじゃねぇよ。別に、わからないでもないって言っただけで、差別を肯定しているわけじゃねぇ」

「そうなんですか?」

「……ああ。そうだよ。……例えば、……俺はまともに話せない子供が苦手だ。何を考えているか、まったくわからないからな。……同じような理由で、知的障害者も苦手だ。だから俺は正直、この二つの存在とはできることなら、関わりたくないと思っている。……もちろん、死んじまえなんて思っちゃいないが、苦手だって気持ちを持ってしまっている時点で、言うなれば差別だろう?」

「……まぁ、そうかもしれませんね」

「俺は、差別心なんてものは、多かれ少なかれ、誰の心にでもあると思っている。問題はそれを、表に出さないように理性的に過ごせるか、じゃないか?」

 天魔が嫌っている差別は、今、浩太の言っていた苦手意識が、エスカレートした形なのかもしれない。

 例えばアリスのようなアクエリア人たちは、肌の色が違うクロノア人が、自分たちとは違ったものに見える。そして、見た目も違うのだから、考え方も違うのだと思い込んだということだろう。

 そしてそれが、両者の不理解に拍車をかけたと言える。

 人はたいてい、理解できない者を嫌い、恐怖する。そして、恐怖は簡単に敵意へと変わることだろう。

 その結果が、この大陸全土で行われた戦争だ。

 だから天魔は、差別が嫌いだ。

 でも、浩太から言わせれば、その差別の根っこである、苦手だと思い区別してしまう気持ちは、誰にでもあるということだろう。

「……つまり、いつまでも差別はなくならず、争い事もなくならないってこと?」

「まぁ、そうだな。けど、魔王が現れる前の戦争なら、なくなる可能性もあるとは思うぞ」

「そうなんですか?」

「ああ。今のような同盟が続いていけば、否が応にでも、お互いのことがわかってくる。今は無理でも、時を重ねて世代を重ねれば、……例えば天理やアクエリア、クロノアの間で、普通に結婚するような時代になれば、人種間の戦争なんて、馬鹿らしくて、やってられないだろう?」

「……確かにそうですね。……そっか。それは、希望ですね」

「まぁ、そんな時代になるまで、この同盟が維持できるかが疑問だけれどな」

「維持できるよう、お兄さんは頑張りますよ」

「まぁ、俺も今更、人間同士で戦争なんてしたくないからな。その為に必要なことがあったら、できうる限り協力してやるさ」

 今、天魔たちは訓練生でしかない。彼らが国のあり方をどうにかできるとすれば、遠い未来のことであり、二人がその時、どのようになっているか、わかりはしない。

 それでも、協力を約束してくれる浩太。

 もしかしたら、彼としては軽い気持ちの約束なのかもしれないけれど、天魔はそれでも嬉しく思う。

 良い友達を持った。こういう人がいるからこそ、例え苦しくとも、希望を持って頑張っていけるのだと天魔は思う。


 悪魔の一族。

 ニケとしてはクロノアの人が、アクエリアの人にそう呼ばれているのだと知ったのは、兵士になってからだ。

 兵士になるまでは自分の住処で這いつくばるように生きてきたので、他国の情報なんてものが、入ってくるわけもなく、初めてその話を聞いたとき、外国は怖いところなんだと思ったものだった。

 アリスに悪魔の一族と言われて、そう思った時のことを思い出し、表情に出すことなく、内心で笑った。

 外国を怖いところだと思ったそんな自分が、今では外国の学校に居るのだ。そして、ここで過ごす毎日を、とても気に入ってまでいる。

 勉強をして、何かを知るのは楽しいし、訓練で、強くなっていくのも楽しい。

 天魔たち、仲間とふざけ合うのも好きだ。

 そして何より、天理の食事は、本当に美味しい。

「相変わらず、すげぇ食うよな、ニケは」

 午前の座学の授業が終わり、食堂で仲間たちと昼食を取っていると、浩太が呆れたように言ってくる。

「……ん。食べれる時に、食べる」

 幼い頃はひもじい毎日を送っていたので、いつか、食べられない日々に戻ってしまうんじゃないかと怖くもある。だから、食べられる時に、できるだけ食べておきたいという気持ちになるのだ。

 ……まぁ、単純に食べるのが好きというのもあるのだけれど。

「でも、そのちっちゃい体に、良く入るんだよ。……はっ。もしかしてそれが、ニケの強さの秘密?」

 真実に気付いてしまったという顔をする鈴音。

「……ん。そう」

 ニケは適当に答えた。

「そっか。そうなんだね。じゃあ、あたしもいっぱい食べなくちゃだよ」

「太りますよ」

 天魔の言葉に、鈴音は泣きそうな顔をする。

「うぅ。……で、でも、ニケは太ってないんだよ。きっと、午後の授業の運動をすれば、きっと大丈夫」

「たぶん、ニケは太りにくいんだと思いますよ。ね? ニケ」

「……ん? 太るって何?」

「うわっ! この人、今まで体重を気にしたことないみたいなんだよ」

 そういえば、気にしたことがないな、とニケは思う。

 良く、他の女子が身体測定の時に、自身の体重に一喜一憂をしているけれど、今までニケは、今の身長になってから体重が変わったことがないので、その感覚が良くわからない。

「……というか、どうやって太るの?」

「はぐふっ!」

 何故か、ボディーブローでもくらったように、お腹を押さえる鈴音。

「くはは。なんだ? 鈴音、太ったのか?」

 からかうように笑う浩太の視線に、鈴音は羞恥に顔を真っ赤にさせる。

「うるさいよ、浩太! まだだ。まだ負けんよ」

「……ん? 何に?」

「ニケにそう聞かれている時点で、勝負にすらなっていないじゃないですか」

 呆れる天魔。

 鈴音は必死そうに何かないかと視線を彷徨わせている。

「……あ、あたしは太っていないんだよ。そう。成長期だよ、成長期。……そう。あたしはニケよりも女性らしい体をしているんだよ」

「ふぅん」

「ほぉ」

 天魔と浩太。男性二人の視線が鈴音に向かう。まるで、何かを推し測るような視線に、鈴音は狼狽える。

「え? ……いや、……ちょっと。そんなに見つめられると、恥ずかしいんだよ」

「なんつぅか、尻デカすぎねぇか?」

「浩太のバカァ!」

 顔を真っ赤にして、怒鳴る鈴音。

「まぁまぁ。ああいうのを安産体型って言うんですよ。きっと、元気な子供が産めますよ」

「天魔のアホゥ! こ、子供って、何言うかな」

 同じく怒鳴りながらも、鈴音はもじもじとする。子供と聞いて、天魔との子でも想像でもしてしまったのかもしれない。

「……ん。スズが羨ましい」

 ニケはポツリと呟いた。

「え? 何で?」

「ニケはちっちゃくて子供っぽい」

 自分の体形を見た、ニケの本心からの言葉だった。

 彼女は、大きくなればもっと背が伸びて、大人の女性らしくなるものだと思っていたのだ。けれど、すでに身長の成長は止まってしまっている。

 彼女としては身体測定を行うたびに、体重よりも身長で一喜一憂させられる。いや、最近では憂鬱になるばかりだ。もっと大人っぽくなって、女性っぽくなれば、自分を見る目を変えてくれるだろうか? ニケはそんなことを思いながら天魔をちらりと見た。

「勝ったんだよ」

 どうやら鈴音は、ニケに羨ましがられるのが勝利目標だったようだ。嬉しそうにはしゃいでいる。

「人の身体的特徴を侮辱するのは、どうかと思いますよ」

「まったくだぜ。最低だな」

 そう言って、もっともらしく頷く二人。

「あたしに太ったとか言った奴が、何言ってんだよ!」

 鈴音の言葉の方が、正論だった。

 ニケたちのではない笑い声が上がる。

「あはは。楽しそうだね。葛木の班は」

 見れば、大城が親しげな笑みを浮かべて近づいてきていた。

「大城じゃないですか。君も食事ですか?」

「うん、そうなんだ」

 天魔と大城が友人同士になったというのは、既にニケたちは聞いていたので、この二人のやり取りを、別段不思議には思わなかった。

「良かったら、一緒に食べませんか?」

「是非にって言いたいところだけど、後から仲間たちも来るんだ。……だから、遠慮しておくよ」

 そう言った大城は、ちらりとだけニケを見た。

 彼の仲間の中にはアリスがいる。大城がニケたちとの同席を促しても、きっとアリスは断るのだろう。嫌味の一つでも言って。

 そうなるのが目に見えているから、少しでも嫌な気分にさせないようにと、配慮してくれたのかもしれない。

 クロノアの黒色人という、この国とは違う人種であることから、自分事を嫌う者がいることを、ニケは知っている。けれど、それでも大城のように気遣ってくれる人もいることだってわかっているのだ。

 だからニケは、嫌いたい人がいるのならば嫌えばいいとすら思う。

 その代わりに、人種なんか関係なく、自分を大切に思ってくれる人がいるのなら、その人と仲良くなればいいのだ。なので、ニケは特にアリスの事なんか気にすることなく、食事を楽しむ。

「……そうですか。それは残念。では、食事は次の機会にでも。……そう言えば大城は、今月の月刊遺跡は読みましたか?」

 天魔はこのまま別れるのもつまらないと思ったのか、大城に尋ねた。

 月刊遺跡は、軍事に機密に関わらない範囲内で、遺跡のことについて書かれた雑誌だ。遺跡兵ではなく、昔からいる考古学者によって書かれているらしい。その取材の切り口は、古代の技術力ではなく、過去の歴史を追い求める形なのだとか。

 ニケは、天魔がその雑誌を愛読していているのを知っていた。

「ああ、読んだよ。なんでも、新しい遺跡が見つかったんだってね。確か、南の夕頑地方の森の中だとか」

 どうやら大城も読んでいるようだ。彼は仲間たちが来るまでの間、暇をしてはいたようで、遺跡話に花を咲かせ始める。

「……ん。天魔嬉しそう」

 ニケは大城と話しながら楽しげに話す天魔を見て言った。

「まぁ、そうだろうよ。俺たちはあんまり、遺跡の話に乗れていたわけでもないからな」

「天魔って本当に、遺跡が好きだよね」

「そりゃ、遺跡兵が夢だとか言っているくらいだしな」

 浩太は珍しく、茶化す様子もなく微笑んだ。

 戦わなければならないこの世界で、少しでも夢を持つことは尊いことだ。

 ニケは考える。

 自分も遺跡に関しての知識を得るべきではないかと。

 そうすれば、今よりももっと、親しげに天魔と話せるのではないだろうか。そして今、大城に向けているような嬉しそうな顔を、自分にも向けてくれるかもしれない。

 そうしたら、ニケも嬉しい。

 彼女は天魔が好きだった。

 その思いが、異性に対する好きなのか、友達としての好きなのか、生きることに必死で人を好きになった経験の少ないニケには、どちらなのかわからない。けれど、天魔が好きだという気持ちは、間違いないと思う。

 ニケがこの訓練校に来た時、彼女は不安だった。

 前にも述べた通り、彼女は外国を怖いところだと思っていた。

 訓練校の生徒たちにしても、ニケが来たばかりの頃は、黒色人を見るのは初めてだったのだろう。

 どう接していいのかわからなかったようで、ニケはただただ孤立していた。

 そんな時、彼女の噂を聞き、話しかけてくれたのは天魔だった。

 彼はニケが孤立しないように積極的に話しかけ、グループになっての行動でも、それとなく、ニケが話しやすいようにと声を掛けてもくれた。その天魔の働きのおかげで、今では他の生徒たちも、ニケと普通に話してくれるようになった。

 そして、ニケは思うのだ。

 もしも彼がいなければ、今の人間関係を築くことなんてできなかった。そして、この訓練校の生活を、楽しいだなんて思うこともなかったとも。

 だからこそ、ニケは天魔に感謝している。そして、好きなのだ。

 ここに来て、初めて優しくしてくれた人だから。


「何をしているの、大城」

 天魔と大城の話に割り込むように、声を掛けてきた人がいた。

 その顔に、ニケは見覚えがあった。昨日見たばかりの人だ。

「……アリス」

 ニケはポツリと呟く。

 この訓練校には、アクエリアからの生徒が他にも多くいる。けれど彼女は、その誰よりも綺麗だと思う。

 そして強い。

 ニケの呟きに、アリスはこちらを見てくる。昨日の戦った相手だと気付いたのだろう。

 金色の長い髪を苛立たしげに掻き上げ、せっかくの綺麗な顔をしかめる。

「……悪魔の一族。なんであなたがここに?」

「……ん。ニケはそこで大城と話している天魔の仲間だもの」

 ニケの言葉にアリスはちらりと天魔を見るけれど、興味なんてないのだろう。すぐに睨みつけるような視線を戻してきた。

 自分は何かしたのだろうかとニケとしては思わずにはいられない。

 この訓練校のアクエリアの人と話したことくらいあるけれど、こんなに敵意を向けられたことはない。アリスが自分の気持ちに正直すぎるのか、それとも以前、クロノアの人間に、何かされたことでもあるのだろうか?

「悪魔の一族。もう一度、もう一度私と勝負しなさい。今度は、あなたがどんなに卑怯な手を使おうと、完膚なきまでに、叩きのめしてあげるわ」

「……ん? 卑怯?」

 ニケは首を傾げる。

 アリスと戦った際、彼女としては正々堂々と戦ったつもりだ。卑怯な手なんて、使った覚えはない。

「だってそうじゃない。あなたが卑怯な手を使いでもしない限り、私が苦戦をするわけないもの」

 高飛車な物言い。

 アリスは、アクエリア軍ではエリートと言われる部隊に居たらしい。

 彼女には自信と誇りがあるのだろう。

 だからこそ、ただの訓練生、しかも、潜在的に敵視しているクロノアの人間に苦戦したことが信じられず、そして、許せないのだろう。そして、信じられないのなら、納得する理由が必要となる。そこでアリスは、ニケが何がしかの卑怯な手を使ったと考えたのかもしれない。

 しかし、卑怯な手を使ったと思われるのは、一生懸命戦ったニケとしては不本意だ。なんというか、自分の努力が馬鹿にされているような気がしてならない。

「……ん。ニケは正々堂々戦った」

 ムッとした気持ちで言い返す。するとアリスはそれを鼻で笑う。

「ふん。正々堂々? 悪魔の一族が正々堂々なんて笑わせるわ」

「……ニケは、クロノアは、悪魔の一族なんかじゃない」

「なら、なんだというの? あなたたちの肌の色は黒いじゃない。それはまるで、闇に潜む生き物のようじゃない。例え人と同じ姿をしていようと、悪魔でなくて何だというのかしら?」

「……別に、肌が黒いだけで、闇の中で生きているわけじゃない」

「どうだか」

 アリスの中の凝り固まってしまった偏見には、ニケの言葉は通じないのかもしれない。

「いい加減にしてくれませんか?」

 突然、天魔が話に割り込んできた。

「……何よ」

 アリスはそこで、天魔を初めてまともに見たかもしれない。

 天魔は優しげな笑みを浮かべてはいる。けれど、付き合いのあるニケたちからすれば、その笑みはどこまでも嘘くさい。彼は完全に苛立っているとわかる。

「ニケはお兄さんたちの仲間なんですよ。それを悪魔の一族だなんて侮辱するのは、いい加減にしてくれませんか?」

「ふん。悪魔の一族を、悪魔の一族と言って何が悪いのかしら?」

「……悪魔の一族ですか。……正直なところ、僕はアクエリアの方が、そうなんだと思っていましたよ」

「何を言っている?」

「だって、そうじゃないですか。唯一神エトとかいう神の名の正しさを伝える為、考えのそぐわない者を殺そうとするんですよ? そんな、人を殺すことを正しいなんていう神様は、少なくとも、邪神の類だと思いますけどね。そんなものを真剣に信じる君たちは、邪神の使いじゃないんですか?」

「我らが神、エトを侮辱するの! この異教徒が」

 顔を真っ赤にして怒るアリス。

 アクエリアの人間は、エトに対する信仰が深いという。クロノアでも、アトラ神の信仰があったけれど、神に縋る余裕すらなかったニケは、特に信仰と言われてもピンと来ない。

 神様とは、そんなに大切なのだろうかと首を捻ってしまう。

 むしろ、ニケにとっては天里の信仰の方が、わかり易いくらいだ。

 天里では、水には水の、大地には大地の、火には火の神がそれぞれいるのだと言われている。また、昼を照らす太陽や、夜を照らす月、規模はそれらに比べると小さいが、大きな山などの、人に比べれば遥かに強大な存在に対しても、神として奉るのだ。

 そして、天里にとって神とは完全ではなく、善なる存在でもない。時に津波や地震などの災害を起こす、邪なる存在でもあると考えている。

 つまり天里の信仰は、それが善か悪かは関係なく、力あるものに向けられているということだ。

 今の天里の宗教学者の問題は、魔王を神として奉るかどうかだという話だともいう。

 なので、天里の信仰はアクエリアのように神の教えは絶対のもの考えるのとは違い、むしろ、神は荒ぶるものなので、少しでもそうならないようにと祈り尊ぶものなのだ。

 ……まぁ、悪く言えばご機嫌取りをすると言ったところだろうか。

 正直、天里の人たちの神への信仰の気持ちはその程度だ。神を恐れてはいても絶対のものだと妄信しているわけでもないので、例え神を馬鹿にされても、彼らは窘める為に叱るかもしれないけれど、決してむやみやたらに怒り出すことはない。

 むしろ、相手が言っていることが正論だった場合、そうかもしれないと頷くくらいの柔軟さがあるのだ。

「先に仲間を侮辱したのは君でしょう?」

「エトと、このクロノアの女が、同じくらいのものだというの!」

「ええ。むしろ、お兄さんにはニケの方が大切ですよ」

 天里の人間である天魔にとっては、アクエリアの神にしても、多くいる神の一柱くらいにしか思っていないのだろう。彼にとって、居るかどうかもわからない神よりも、仲間の方が大切なのだ。

 それをはっきりと言う天魔に、ニケはむず痒いような嬉しさを感じてしまう。それに対して、アクエリアの信仰を絶対と考えているアリスは、信じられないという顔をする。

「あ、あなたは。エトをどこまで馬鹿にするの」

「……ふむ。別に馬鹿にする気はありませんよ。……ただ、お兄さんの家族や友人は、アクエリアの軍人に殺されました。皆、優しくて良い人でしたよ。その死を良しとする神なんて、敬愛できるわけがないでしょう?」

 天魔の淡々とした言葉。ニケとしては、天魔のそう言った過去を聞いたことがなかったので驚いた。それは鈴音や浩太にしても同じようで、一様に驚いた顔をしている。

 訓練校には、魔王の被害者は多い。それは、魔王への恨みを糧にして、恐怖に耐えて戦えるからだ。

 けれど、当時の戦争の被害者が、訓練兵に志願することは少ない。それどころか五年前、他国と協力すると決まった時、辞めて行った者も多かったという。恨みを持つ者と、手に手を取って戦おうとは思えないのだろう。

 アクエリアへの恨みとも取れる言葉。それを言われたアリスは、特に狼狽することなく、むしろ怒りを収め、嘲笑うような顔をする。

「……なるほど。戦争での恨みを晴らそうというわけね」

「いえ。正直、戦争には色んな思惑が重なり合っているでしょうから、その時、子供でしかない君を恨む気はありません。……ですが、大切な仲間を侮辱されて、黙って見過ごせるほど、寛容でもないんですよ」

「……あくまでも、そのクロノアの女の為だと言い張るのね」

「ええ。なので、彼女に謝ってください」

「誰が、この――」

「アリス!」

 大城が、アリスが何か言おうとするのを押しとどめる。

「何よ、大城」

「さっきのは君が悪いよ」

「何を」

「今、三つの国は同盟関係にあるんだ。例え、君が個人的に嫌っている国があったとしても、君は敬意を持って接しなければいけない。君は国の代表として、この天里に来ているんだからね。これ以上、君がクロノアの彼女のことを貶めれば、それこそ、外交問題にだってなりかねない。君に、それだけの責任が背負えるのかい。アクエリアの恥さらしとして、生きていく覚悟はあるのかい?」

「は、恥……」

 アリスは顔を朱に染める。けれど、それ以上、感情的に何かを言うことはできず、悔しそうに顔を伏せる。

 大城の言うことは、どこまでも正論なのだ。

 裏でどのような思惑があるかはわからないけれど、各国は協力をしようとしている。それは間違いのない事実であり、どの国の方針でもある。

 ならば、その国に付き従う人間。それも、アクエリアという国自体の印象を与えてしまいかねない、訓練兵の代表としてやってきたアリスが、国の方針に逆らうようなことをするのは、アクエリアにとって、マイナス要因でしかない。

 それも、国際問題にまで発展すれば、確実にアクエリアは、その分の代償を取られかねないものだ。

「……ニケと言ったわね。……悪かったわ」

 苦虫を噛み潰したような顔でそう言ったアリス。

 自分の感情を押し殺しているのが、ありありとわかる。

「ごめんね、ニケ。それに葛木も。ここは俺の顔を立てると思って、許してくれないかな?」

 フォローするように大城もそう言ってきた。

「……ん。ニケは構わない」

 そもそも、ニケ自身はそれほど腹を立てていたわけではない。ムッとはしたけれど、代わりに天魔が怒ってくれたので、彼女としてはどうでも良くなってしまった。

「……まぁ、ニケがそう言うのなら、お兄さんがごちゃごちゃ言うべきではないですしね」

 天魔は肩を竦めて言った。

「ありがとう」

 そう笑顔で言って、大城はアリスを促すように、テーブルから離れていった。

 これ以上ここに居ても、余計な争いが生まれそうだとでも思ったのかもしれない。

「なんつぅか、感情的な奴だったな、アリスって」

「そうだね」

 今までことの成り行きを黙って見ていた浩太と鈴音が言った。

 まさにその通りだとニケは思う。

 彼女は感情的であり、そして、アクエリアという国が、心酔するほどに好きなのだろう。

 だからこそ彼女は、国や国教のために容易く怒り、そして、その国のために必死で感情を押し殺す。

 ニケは正直なところ、クロノアという自分の国があまり好きではなかったので、彼女の愛国心が、奇妙なものに思えて仕方なかった。


「まったく。なんなのよ、あの男は」

 アリスは腹立たしくて仕方なかった。

 彼女はただ、プライドの高さとニケに対して敵愾心から、攻撃的な言葉が出てしまっただけだった。

 まぁ、確かに自分でも、言葉が悪かったとは思う。

 けれど、途中から話に割り込んできた男。

 優しそうな笑みを浮かべながら、淡々と丁寧な言葉で、人を怒らせるようなことを言ってくるのだ。

 本当に腹立たしい。

「むしろなんなのは、俺の方が言いたいよ。ニケと再戦したかったのなら、普通に誘えば良かったのに、なんであんなに敵視しているのさ」

 呆れたように言う大城。

「……むぅ。突然だったからついよ、つい。……仕方ないじゃない。クロノアは悪魔の一族だって言われて育ったんだから」

「だからつい、攻撃的な言葉が出ちゃったと?」

「そうよ。悪い?」

「……悪いよ。自分で間違ったと思ったんなら、途中で謝ればいいのに、何でより攻撃的になるのさ」

「……うぅ」

 痛いところを突かれたというように、アリスは顔をしかめる。

 正直なところ、アリスは途中で言いすぎたと、自分でも気付いていたのだ。

 ニケに、正々堂々と戦ったと言われた時、彼女は自分が何を言ったのかに思い至った。

 もちろんアリスは、ニケが卑怯な手を使っただなんて思っていない。

 むしろ、あれは模擬とはいえ、何でもありの戦場だ。どんな手段を使ったとしても、互角に戦えた時点でそれはもう、彼女の実力と言える。

 だから、そのことに気付いてアリスは気まずく思い、それを誤魔化そうと鼻で笑い、より一層、高飛車に振る舞った。

 ここに来てから、色々と世話を焼いてくれていた大城は気付いていたようだけれど、他の人たちは初対面だ。そんな彼女の心の機微を感じ取ることなんてできなかっただろう。

 大城あたりはアリスのことを不器用な人だというのだけれど、あの場に居た人には、性格の悪い女にしか見えなかったはずだ。

「……わ、悪いのはあの、天魔とかいう男よ。あいつが私を怒らせたから、引っ込みが更につかなくなったんじゃない」

「そうは言うけれど、彼はとても仲間想いだってだけだよね。むしろ、あれだけニケを侮辱したんだから、怒るのは当然だよ。正直、怖かった」

「……怖い? あの男が?」

「そうだよ」

「でも、大城の方が強いでしょう。接近戦は人並みだけれど、遠距離からの射撃なら、私以上なんだから」

 大城の射撃の腕は本当に凄い。プライドの塊とも言えるアリスが、彼の射撃の実力に関しては認めざるを得ないほどに。

 アリスは実のところ、大城とはここに来る前から知り合っていた。

 五年前、各国が同盟を敷いてから、訓練兵同士の交流戦が、何度となく行われている。そこには、各国ともに侮られないようにと、腕の立つ訓練兵が選ばれ参加している。

 アリスも大城も、その交流戦に何度か参加した経験があるのだ。そして、交流戦が終われば、その後交流会も行われるので、彼女は大城とも話している。

 たぶんその縁もあって、今回、彼のチームに入れられたのだと思う。

 しかしだ、アリスはあの天魔という男を知らない。つまり、交流戦にも選ばれないような男というわけだ。そんな男を、大城が怖がる理由がわからなかった。

 不思議そうな顔をしていると、大城は苦笑する。

「昨日の模擬戦で、空を飛んで近づいてきた人がいたでしょう?」

「ああ。あの魔力の無駄遣いね。まぁ、その性でニケに接敵されたわけだし、囮としては見事だったと思うわね。戦力を一つ、消耗したかいはあったんじゃないかしら?」

「なんで、一つ消耗したって思ったんだい?」

「え? そんなの当然じゃない。あれだけの魔力を使ったのよ。きっと魔力は底を尽いていて、空を飛ぶことや魔銃を撃つことはおろか、接近戦用の武器を使えるかも怪しいんじゃないかしら?」

「普通ならそうだね。でも、葛木天魔は違うんだよ。例えどれだけの魔力を使おうと、彼が魔力を枯渇させたことはないんだ」

「……何よそれ。無限に魔力が使えるってこと?」

「うん。今までの模擬戦で、彼は魔力を尽かしたことがない。普通なら、馬鹿みたいな魔力の使い方をしてもね。だから彼は、今までの戦場で、一度もやられたことがないのさ」

「……そんなの、本当に卑怯じゃない」

 アリスの言葉に、大城は苦笑する。

「そうだね。彼は基本的に防御に徹する戦い方をするから、今までそんなには目立っていないけれど、もしも魔力を全て攻撃に回すような戦い方をすれば、誰よりも危険な相手だよ。少なくとも彼は、この学校の中で、最もポテンシャルが高いってことだからね」

 必ずしも魔力の強さが、単純に戦いの強さではない。けれど、それだけ有利であることに変わりはないのだ。

「彼には本当に底がないの?」

「まぁ、もしかしたらあるのかもしれないけれど、ちょっとやそっとじゃ、底を見ることはできないだろうね。噂では彼は、飛翔船を一人で飛ばしたって話だからね」

「飛翔船を!」

 アリスは驚かずにはいられなかった。

 彼女の父も乗っていた飛翔船。

 飛翔船は、比較的魔力の高い者が、数人単位で魔力を送り込み、そこでやっと飛べるものだ。だからこそ、それらの魔力を束ね上げ、指揮する立場であるパイロットという仕事は、とても名誉なものだったのだ。

「……嘘でしょ?」

 アリスとしては疑わざるを得なかった。

 もしもそれが本当ならば、数人がかりで使うような、大型の高出力兵器ですら、彼は使えるということになる。

「嘘じゃないよ。三年前、民間人だった彼が魔王に襲われていた日野原基地から、飛翔船で一人、逃げおおせたというのは有名な話だからね」

「一人?」

「ああ。日野原はこことは違って、町と隣接するようにあったんだ。だから、その町に住んでいた彼は、魔王の襲撃で家族を失い、命からがら基地の中に逃げ込んだんだ。けれどその時にはそこも、ほぼ全滅状態だったらしい。そんな中で、まだ無事だった飛翔船を見つけて、無我夢中で操縦したんだってさ。……まぁ、本人から聞いたわけでなく、あくまで噂でなんだけれど、その飛翔船に乗っていたのは一人だっていうのは、本当のことらしい」

「……そう」

 頷きながら、ふと、気になることを感じた。

「天魔はアクエリアの攻撃で、家族を失ったと言っていたわ。じゃあ、日野原で失ったという家族は何者?」

「……そう言えばそうだね。……でも、アクエリアとの戦争なんて、八年以上前の話だし、その時は少なくとも、葛木は八歳よりも下の子供だったんだろう? なら、日野原の家族は、里親なんじゃないか?」

「……里親。……そうね」

 戦争をしていた頃、親を亡くした子供なんていくらでもいた。

 彼は幸運にも、引き取ってくれた人がいたのだろう。しかし、その里親すらも、魔王によって奪われてしまったのだ。

 そう思うと、可愛そうな人だったんだと思う。

 アリスにしても父を魔王によって殺されたけれど、母はまだ健在だ。父だけでなく、母まで失っていたら、自分は気が狂うような悲しみを感じていただろうと思う。そして、天魔はそれを、二度も味わったということだ。

「……ん」

 少しくらい、優しく接してあげても良かったかもしれない。

 アリスがそう思っていると、大城が人の顔を見透かすような、半笑いの視線を向けてくる。

「同情したのかい?」

「ち、違うわよ。……まぁ、今回は私が悪かったわけだし、……その、少しくらいは謝ってもいいかなって、……思っただけよ」

「そうなんだ」

 大城はそう言いながらも、その顔にはやはり笑みを浮かべている。まるで、素直じゃないな、とでも言っているかのようだ。

 アリスはそんな彼に、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 それは傍から見れば、照れ隠しにしか見えなかった。

 このままだとからかわれ続けそうだと思ったアリスは、話題を変えようと試みる。

「そ、そういえば」

「ん?」

 聞く姿勢を示してくれる大城。けれど正直、いきなりのことに、話題なんて何一つ考えていなかった。

 アリスは何かないかと考え、自分の目的が思い浮かぶ。

 果たして、尋ねたところで真実を教えてくれるかはわからない。それでも、大城はこの訓練校で誰よりも付き合いが長い。もしも大城が隠そうとしても、質問した時の彼の反応で、わかることもあるかもしれない。

 彼女は何気なさを装いながら、瞳の奥に真剣さを隠して大城に尋ねた。

「この訓練校の近くに、遺跡があるって噂を、知っているかしら?」

 アリスの言葉に、驚いた顔をする大城。

 これは、当たりなのかもしれない。

「……何か、知っているの?」

「いや。模擬戦の時にも、葛木にそんなことを聞かれたから驚いただけだよ。……少なくとも、俺はそのことに関しては何も知らないよ。これは、天里の軍属としてではなく、アリスの友人としての答えだよ」

「……そう」

 アリスはズルい言い方だと思った。

 大城の答えは、友人だから真実を教えているとも取れるし、友人でありたいのなら、詮索をしないで欲しいとも取れる。

 アリスは迷いながらも、次の質問を考える。大城は葛木の名前を出していた。少なくとも、彼との会話についてなら、話しても構わないということなのだろうか?

「……天魔は、なんて言っていたの?」

「そうだね。彼もどこかで、古代の遺跡に関するものが、この地にあるって噂を聞いたみたいなんだ。それが何かは彼もわかってないみたいだから、古代の遺跡か、もしくは古代兵器って言い方をしていたよ」

「……古代の遺跡か、兵器……ね」

「葛木は古代の遺跡や、それに関するものが好きなんだ。僕と同じでね。だから、彼は持ち前の魔力の高さがあれば、遺跡兵器なんかに関われるんじゃないかって、期待していたのかもしれないね」

「……そうなのね」

 天魔の思惑が何かは知らないけれど、上手く行っていないということは、失敗したということだろうか?

 そもそも本当に、古代の遺跡はここにあるのかも怪しい。

 アリスのこの情報は、アクエリアの情報部が得たものだ。その真偽はわからないし、情報部がガセを掴まされたという可能性は、皆無ではないのだから。

 難しいなとアリスは思う。


 訓練兵にとって、完全な自由な時間は、週に一回の休みくらいで、それ以外は夜の僅かな時間帯のみとなる。

 さっきまで訓練によって体を酷使していたというのに、遊びまわっている人は結構多い。

 魔石を動力として光る魔力灯に照らされて、グラウンドで球技に興じている姿が、校舎の廊下を歩いていると見て取れた。

 消灯時間までは教室が開放されているので、教室で友人たちと騒いでもいるのだろう。あちこちから笑い声が聞こえても来る。

 鈴音は教室を回りながら、天魔の姿を探す。

 普段は仲間内で集まって、馬鹿な話を興じたり、他のチームと交流を名目に、ゲームをして遊んだりするのだけれど、……偶にあるのだ。天魔が一人で、どこかに行ってしまうことが。

 そうなると、どうも天魔抜きで騒ごうという気にもならず、自然と解散してしまう。

 もしかしたら、このチームの中心は天魔なのかもしれない。

 お兄さんと仲間達。

 天魔の付けた馬鹿みたいなチーム名だけれど、案外、このチームの本質なのかもしれない。

 鈴音は、探している途中で出会った知り合いに、天魔が屋上に向かうのを見たと聞き、そちらに向かう。

 天魔を探しているのは、ただの好奇心。

 偶にいなくなる天魔。

 彼はいったい、どこで何をしているのだろうか?

 聞いてもいつもはぐらかされてしまうので、教えてくれないのならば探し出そうという、単純な考え。

 それに、彼に相談したいこともあった。

 普段は二人きりになれる機会は少ないので、見つけることができれば、相談するチャンスかもしれないとも鈴音は思ったのだ。

 これで見つけた時に、天魔が密かに作った恋人と、イチャイチャしているだけだったならどうしようかと思わないでもないけれど、まぁ、その時はその時だと彼女は考えることにした。


 屋上に出ると、真っ暗だった。

 空には星があるものの、今まで魔力灯に慣れた目は、中々慣れてくれない。

 その闇の中に、一人で立つ天魔の姿が見えた。

 彼の姿を見て、普通ならば安心感でも抱きそうなものだけれど、何故か、彼がそのまま闇の中に消えてしまいそうな、不安な気持ちになった。

 近づくと、天魔は空を見上げ、ぶつぶつと何かを呟いていた。

 通信機でも使っているのだろうかと思ったけれど、そんなものを持っている様子もない。

「……物凄く怪しい人だよ、それじゃあ」

「鈴音?」

 驚いた顔をして振り返る天魔。

「何してんの、天魔は」

「ん。……そうですね。屋上からの景色を見ていました」

 明らかに今、はぐらかそうとしている。

「ぶつぶつと、独り言を言いながら?」

 鈴音がからかうように言うと、天魔は苦笑する。

「一人で考え事をしている時、ついつい呟いてしまうことがありません?」

「ん~。まぁ、あるかもね。じゃあ、何を考えていたの?」

「……そうですね。……例えば、この学校には立ち入り禁止の場所が多くあります。鈴音はそこに、何があると思いますか?」

「たぶん、新兵器の工場か、遺跡なんだよ」

 鈴音が迷いなく言うと、天魔は驚いた顔をする。

「それは本当ですか?」

「あはは。知らないよ。……でも、立ち入り禁止ってことは、あたしたちに知られたくないものがあるってことでしょ? そうなると、外には決して知られたくない機密だって考えるのが普通だよ」

「そして、思い浮かぶ機密と言えば、新兵器の工場か、遺跡ってことですね」

「うん。そうだよ」

「なんていうか、鈴音にしては珍しく、頭を使った発言ですね」

「むぅ。それって遠まわしに、あたしのこと、馬鹿って言ってない?」

「違いましたっけ?」

「うあぁ。酷いんだよ。これでも、天魔に言われた通り偉くなろうと思って、苦手でも、真面目に勉強はしてるんだからね」

 そう言って、不機嫌だと表現しようと頬を膨らませる鈴音。そんな彼女を見て、天魔は苦笑する。

「はは、すみません。……でも、確かに鈴音の言う通りですね。あそこには、遺跡があるのかもしれませんね」

 そう言って、立ち入り禁止区域を見下ろす天魔。

 彼がいつも遺跡の話をする時の、目を輝かせる子供のような顔をしているのを予測して、鈴音は天魔の顔を覗き込むのだけれど、屋上から見下ろす彼の横顔にはどこか、憂いがあるように見えた。

「……んとさ。……ちょっと、真面目な話をして良いかな?」

「ん? 構いませんよ」

「……その、嫌な話になるかもしれないけれど、……天魔はアクエリアに家族を殺されたんだよね?」

「……ええ。……そう言えばアリスとの会話で、そんなこと、口走ってしまいましたね」

 彼は少し、バツが悪そうな顔をする。

「天魔は復讐したいとは思わないの?」

「……思いますよ。当然じゃないですか」

 彼の淡々とした答えに、鈴音は強い怒りを見た気がした。

「……やっぱり、そうなんだね。……あたしはアクエリアの攻撃で、仲の良かった人を何人か失いはしたけれど、家族は奇跡的に無事だったんだよ」

「それは、良かったですね」

 嬉しそうに言う天魔。

 彼の言葉は、皮肉に取ろうと思えば取れるものだけれど、少なくとも彼は、鈴音の家族の無事を、心から喜んでくれている。それが伝わった鈴音としては、思わず面食らった気分になってしまった。

「あ、うん。……でも、……だからなのか、あたしは復讐よりも、……みんなが仲良く、平和のままでいてほしいと思うの」

「だから、軍に入ったんですよね? 人を守るために。……それで、鈴音は何が言いたいんです?」

 優しく尋ねてくる天魔。

 普段は人のことを、浩太と一緒に馬鹿にしてくるのに、こういう真面目な時は、優しくて卑怯だと鈴音は思う。

「……その、……家族を失った人の悲しみの前には、平和を願うあたしの言葉は、ひどく軽くて、そして、無神経で馬鹿にしているように思われるんじゃないかと思っちゃうんだよ」

「……つまり鈴音は、自分の言葉が家族を失う悲しみを知らないからこそ言える綺麗事なんじゃないかって、不安なんですね」

「うん。まぁ、そうなんだよ。……それに、あたしは自分の言葉で、天魔を傷付けていたんじゃないかって」

 鈴音の言葉に、天魔は目を丸くし、そして笑い出した。

「はは。馬鹿ですね」

「……むぅ、馬鹿って。あたしは真面目だよ」

「だからこそですよ。お兄さんは鈴音の、偉くなって戦争や魔王を止めたいという言葉に、むしろ、喜んでいるんですよ」

「そうなの? ……でも、天魔はアクエリアの人たちが許せないんでしょ?」

「ん? 誰がそんなことを言いましたか?」

「だって、復讐したいと思うって」

「そう。お兄さんは復讐したいとは思いますよ。でも、お兄さんの家族が殺されたのは、アクエリア軍によってだけれど、悪いのは彼ら軍人ではないんですよ」

「え?」

「彼らは命令されていただけですからね。……お兄さんが許せないのは、アクエリアの人ではなく、戦争を起こそうとする権力者たちです。それは、アクエリアだけじゃないでしょう?」

「……そうだね」

 戦争状態は、どちらか一方が行っていたものではない。

 かつての戦争は、あまりにも長く続いたため、今では発端すら忘れ去られ、自国の利益のために行っていたと言って良いくらいだった。そんな戦争に、どちらかだけが悪いということなんて、ありはしない。

「それにね、鈴音。君の言う通り、各国が手に手を取り合った状態で平和にしたいというのは、他国を憎む者にとっては腹立たしいことかもしれません。事実、そう思う人たちは五年前、各国が同盟関係になったとき、軍を辞めていきましたからね。……でも、そんなのは気にしても仕方ないんですよ。何かを選択すれば、必ず反対をしてくるものはでてくるものですから」

「……うん」

 確かにそうかもしれない、と鈴音は思った。

 もしも自分が、今さら戦争を容認したところで、今度は戦争を嫌がるものにとっては、ふざけるなという話だ。

「それとも鈴音は、他の国が憎ければ、戦争をしても良いと思うんですか?」

「……思わないよ。……戦争は、悲しみや憎しみが増えていくだけだもん」

「そうですね。……確かに大切なものを奪われ、復讐に憑りつかれた者には、鈴音の言葉は綺麗事に聞こえるかもしれません。だからと言って、綺麗事が悪いなんてことはないんです。自分が正しいと思ったのなら、全てを敵に回してでもやり遂げるべきですよ。例えそれが、独善だと言われても」

 天魔の言葉に、鈴音は救われた気持ちになった。

 誰もが正しいと言ってくれる答えなんてない。人の感情は、数学や物理のように、決まりきった答えがあるわけじゃないのだから。

 それでも、何かを成し遂げたいと思うのなら、自分が正しいと信じて、突き進むしかないのだ。

 自分の言葉は綺麗事かもしれない。それでも、その綺麗事で救われる人がいるのなら、それは信じるに値する綺麗事だと鈴音は思う。

 彼女は思わず笑ってしまった。

「……ふふ。天魔は全てを敵に回してでもって言ったけれど、あたしは世界を平和にしたいんだよ。だから、全ての人が味方になってくれるように、頑張るんだよ」

「はは、そうですね。……お兄さんは、応援していますよ」

 そう言って、優しく頭を撫でてくれた天魔。

「……お兄ちゃん……」

 鈴音はなんだか、昔のことを思い出して、思わず呟いてしまった。

「ん?」

 よく聞き取れなかったのか、聞き返してくる天魔に、鈴音は慌てて誤魔化そうとする

「あ、あはは。何でもないんだよ。は、話を聞いてくれてありがとうね。天魔」

 そう言って、逃げ出すように屋上を出ていく鈴音。

 自分の顔は、恥ずかしさに真っ赤になっているだろう。

 近所に住んでいた優しいお兄ちゃん。

 幼い頃のことで、今では顔も思い出せない。

 けれど、その近所のお兄ちゃんが大好きだったことと、さっきの天魔のように、優しく頭を撫でてくれたことは覚えている。

 天魔と初めて会った時に親近感を覚えたのは、彼の雰囲気が、お兄ちゃんと似ているからかもしれない。

 鈴音は逃げ出しながら、そんなことを思った。


「……お兄ちゃん……か」

 天魔は走り去る鈴音を見送りながら、動揺しそうになる自分の心を抑えつける。

 彼女には、これから先も生き続けてほしい。

 そして、彼女の言う通り、世界が平和になってくれればどれだけ良いだろう。

 浩太が言っていた。

 この各国が協力する体制が続き、世代を重ねることで、今は仮初であろうと、本当の同盟国となるかもしれない。

 協力体制をとってから五年。

 浩太の言っていた時代になるには、まだまだ先は長く、そして険しい。

 天魔は夜空へと視線を戻す。

 その先にある未来を見据えるように。


 そして次の日、この白山地方に衝撃が走った。

 空に浮かぶ魔王の城。普段は姿を消して、どこにいるかもつかませないその城が、この白山地方の上空に現れた。


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