楽園物語(仮)
正義は悪に勝ってメデタシメデタシ。……なんて甘っちょろい終演なんか夢ですよ。ユーメ。
実際はもっともっと黒く、どろどろとした血味泥な物語なんですよ。
サァ、本当の物語はどんなんでしょうね?
騎士と王女と残虐王が取り巻くこの話。
なにが“義”で、どれが“悪”なのか……それを決めるのは、アナタ、なのかもしれません。
はじめ、神は天と地とを創造されました。
地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてを覆っていました。
神は「光あれ」と言われました。すると光はどこからかあらわれました。神はその光を見て良しとされ、神はその光と闇とを分けられました。
神は光を昼と名付け、闇を夜と名付けました。
神はまた言われました、「水の間に大空があって、水と水とを分けよ」と。そうして神は大空らを造り、大空の下の水つまり海や川、上の水つまり雨、とに分けられました。
神はまたも言われました、「天の下の水は一ヵ所に集まり、かわいた地を現れよ」。神はかわいた地を陸と名付け、水の集まった所を海と名付けられました。
神は続けてこう言われました。
「地は青草と、種類に従って種を持つ草と、種類に従って種のある実を結ぶ果樹とを地の上に生えさせよ」。「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天の大空を飛べ」。
神は海の大いなる獣と、水に群がる全て動く生き物とを、種類に従って創造し、また翼のある全ての鳥を、種類に従って創造されました。神はそれらを見て、良しとされました。
神はこれらを祝福して言われました。
「生めよ、増えよ、海の水に満ちよ、また鳥は地に増えよ。地は生き物に従いいだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類に従っていだせ」
その言葉通り、神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這う全ての種類にしたがって造られました。
こうして、神は、天と地と、その万象を完成いたしました。
そんな中、神は一人の人を土の塵で造られました。
神はその人の為に、東のかた、エデンに一つの園を設けて、そこに人を住まわしました。
そして一人では寂しかろうと、神はもう一人の人を造られました。
それが森羅万象を創造された神の唯一の過ちであったというのに神は気付かれることはありませんでした。
とある世界。
その世界には大きく分けて二つの国がありました。
一つは幸せ、笑顔、そして正しき心が満ちた“義”の国。
一つは憎悪、犯罪そして悪き心が満ちた“悪”の国。
この二つの国は永い年月の間、酷く、辛い争いを繰り広げておりました。
“義”は己が正義の為に“悪”を討ち滅ぼさんと。
“悪”は己が不義の為に“義”を討ち滅ぼさんと。
互いに互いの信念、プライドのぶつかり合い、民を、兵を、己の身体も心も傷付け合い、殺し合い、争いは収まることを知りませんでした。
“義”の国を治めるは若くして国の主になりし美しき王女、名はイヴ。
対して“悪”の国を治めるは若くして悪人を従えし残虐王、名はアダム。
二つの国の王である二人は元は夫婦でありました。
しかし、神より禁じられた『善悪の実』を食べたことにより二人の関係は変わってしまったのです。
夫婦から敵同士となった二人の関係を知る者はこの世界にはおりません。
何故なら二人はエデンを追い出されてしまった瞬間から敵同士となり、争いを続けているからです。
絶え間なく続く争いに痺れを切らした残虐王アダムは部下に命令し、王女イヴを冥界へと牢獄してしまいます。
冥界に牢獄されてしまった王女イヴ。
ああ、我が国は終わりだ。皆、一人残らず残虐王に殺される。
王女イヴを失った“義”の国の人間は嘆き、そして哀しんだ。
だが、それは一時の間だけでした。
なぜなら王女イヴは冥界から助け出され、逃げ出すことが出来たのですから。
その王女イヴを残虐王アダムの危機から見事救ってみせたのは一人の若き騎士でした。
騎士の名はエデン。
騎士エデンはなんと“義”の国の生まれでなく、“悪”の国の生まれでもなく国を持たぬ者でした。
それはつまり、この世界には本来ならば存在しない筈の“中立”というものでした。
だからでしょうか、騎士エデンには何故人同士が争いをするのかが今一つ理解できていませんでした。
そんな騎士エデンに王女イヴは言いました。
「どうか、どうか私達“義”の国を、“義”の民をお助けくださいまし」
騎士エデンはその言葉に頷くのでなく言葉を返しました。
「何故、貴女方は争うのですか」
「それは私の治める国が“義”で残虐王が治める国が“悪”だからです」
「こちらが正義で、あちらが悪だと言うのですか」
素朴な疑問が騎士エデンの口から発せられ、それを聞いた王女イヴは言いました。
「ああ、貴方は白いのですね。白く無垢で、まだ何が“義”で何が“悪”かを理解されてませんのね」
―――なんて、綺麗な方なのでしょう。
そう、微笑んだ王女イヴは騎士エデンの手を両手で包み、軟らかく、ゆっくりと、言いました。
「騎士エデン、私を“悪”から救ってくださりありがとうございます」
「王女様、勿体ない御言葉でございます。自分はただ、自分の心に従ったまで。」
「ならば私が貴方に“義”とは何か、“悪”とは何か教えて差し上げますわ。ですから、どうか私の、いいえ私達“義”の国の共に戦う剣となってはくださいませ」
王女イヴの真剣な眼差しに騎士エデンは心打たれ、頷きました。
「このエデン、身も心も王女様に捧げると今この場で誓いましょう。我が剣は貴女様を護る剣であり、貴女様の美しき心を惑わす憂いを見事斬り捨ててみせましょう」
―――必ずや、貴女様を傷付けた残虐王の首をここに。
騎士エデンは床に片膝をつき、王女イヴの手にそう誓いの口付けをしたのでした。
こうして、騎士エデンは王女イヴの元で共に“悪”と戦う“義”の者となりました。
王女イヴは毎晩のように騎士エデンに言いました。
「私達が“義”で、残虐王が“悪”なのです」
「はい王女樣」
純粋で、穢れを知らぬ騎士エデンは王女イヴの言葉を信じて疑いませんでした。
騎士エデンが“義”の国に加勢したことを切っ掛けに王女イヴが率いる“義”の軍は瞬く間に“悪”の軍を蹴散らす強軍となりました。
その争いの中、剣を握り戦う騎士エデンはある“悪”の兵の声を聞きました。
「こ、の“悪”の手下めっが…あっ、」
「……あくの、てした?」
この時、己の一太刀で力尽きた“悪”の兵の言葉が騎士エデンには理解できませんでした。
何故ならば己が仕える王女イヴが“義”であり、今斬り捨てた男は残虐王の手下であり“悪”なのだから。
なのに、騎士エデンの耳には、先程の戦闘が終わった今も、その男の言った言葉が離れませんでした。
――もしや、自分はなにかを見落としている?
騎士エデンがそう思った瞬間、彼の手に自分より一回り小さな手が触れました。顔を見ずとも騎士エデンには、それが王女イヴの手だと分かりました。
「私の剣。顔色が優れませんが大丈夫ですの。まさか、どこか怪我でも」
「ああ、王女様。自分なら大丈夫です。ただ少し、考え事をしてまして」
「まあっ、一人で考えて悩むなんてダメですわ。私の剣、どうか貴方の主たるこの私に相談なさって?」
騎士として王女に誓いをたてたあの時のように、王女イヴは手を包み言いました。騎士エデンはどうしたものかと悩み、やはり、と首を横に振りました。
「いえ、今考えている自分の悩みは貴女様の憂いになるでしょう。心優しき我が王女、貴女様に影など似合いません」
「…エデンそれは「気にするな」とおっしゃってるの」
「そのとおりにございます。貴女様には光の方が似合います」
「……ならば、その光のためにも、早く“悪”を討ち滅ぼさなくてはなりませんね」
そして、王女イヴはこの言葉を口にするのです。
「私達が“義”で、残虐王が“悪”なのですよ、」
―――私の剣。
剣と呼ばれた騎士エデンにはその言葉を信じるしか他にありませんでした。
「はい、王女様。必ずや、残虐王の首をここに。」
ですが、戦えば戦う程、騎士エデンの心に段々と疑問が浮かび上がってきます。
本当に自分は“義”なのか、本当に目の前の“悪”は“悪”なのか。
その戦いの最中、騎士エデンはあることに気が付きます。
―――なぜ、“義”と名乗る自分達が平気な顔で人を殺している?
そう、それは単純で、単純だからこぞ難しいことでした。
“義”とは道理、条理を指す言葉だ。それは即ち人間の行うべき筋道である。
なら、これは、今、自分がしていることは、人間の行うべき筋道か。否、全く持って違う。
これは“義”ではなく“悪”のする筋道ではないのか。
彼は、そう思っていました。
そして、矛盾に気が付いた騎士エデンは、その日戦いで剣を振るうのを止めました。
「私の剣、今日はどうなさったの。貴方が戦場で戦うことを放棄したと聞き、私はとても心配しましたのよ」
その日の晩。騎士エデンの元には今日も王女イヴがやって来ては綺麗な顔を痛々しく歪めて言いました。
騎士エデンは王女イヴの顔を見ずに、手で顔を隠して答えます。
「王女様。自分は今日の戦いで自分がしてきたのは間違いだと気が付いてしまいました」
「間違い?それはなんのことですの」
「前の戦場でとある“悪”の兵士の男が自分達“義”の兵を見て「悪の手下」言いました。自分にはそれが理解できず頭を悩ましました」
彼は手で顔を隠していますから王女イヴの顔は見えません。だが、空気で分かります。王女イヴは今、いつもと違う、怖い顔をしているであろうことが。
「ですが、数刻前、気が付いたのです。“義”とは道理、条理を指す言葉です。人間の行うべき筋道です。なら、なぜその“義”を名乗る自分達が人を殺しているのか、と」
ようやく、顔を出した騎士エデンの目に映ったのは、顔を歪め、己を睨む王女イヴの姿でした。
されど、それは一瞬でした。王女イヴはサファイアの瞳に涙を溜め、騎士エデンに泣きつきます。
「アア、嗚呼、エデン。私のエデン、それは嘘です。まやかしです。全てはあの残虐王の策略なのです。もうここまで来たんです。明日になればこの争いも終わります。お願いですエデン、あの野蛮で汚ならしい“悪”の者の言葉になど耳を傾けないで。貴方は私の言葉だけを聞いて、私の言葉だけを信じてください」
サファイアの瞳からポロポロと大粒の雫がこぼれ落ち、騎士エデンの衣服を濡らしていきます。
「エデン、私は貴方のことを、あの時、私を救ってくださった時から愛しています。心から愛しているんです。だから、だから、そんな哀しいことを言わないで」
「……………王女さ、!」
「んっ、」
王女イヴの手が頬に触れたかと思うと、王女は騎士エデンに口付けをしました。
それは、甘く、でもどこか危険を感じさせる、長い口付け。
「エデン、この争いは明日決着が着くでしょう。そして無事に終わりを迎えたら、私をどこか遠くに連れ去って。どこか、二人で暮らせる、誰にも見つからない静かな場所に」
―――私のエデン。
涙を溜めた瞳で見つめられた騎士エデンは、その王女イヴの言葉に頷けませんでした。
残虐王アダムは、その光景を遠い城から見ていました。
そのルビーの瞳には悲しみの色を浮かばせて、残虐王アダムはソッ…と瞼を閉じました。
「……イヴ、君は変わらない。何一つ、あの頃と変わってなんかないんだ」
苦しげに吐かれた言葉は誰の耳にも入ることなく、空へと消えたのでした。
閉じたようにソッと、瞼を上げれば、ルビーの瞳に映るのは騎士の男の口を、一方的に貪る妻の姿でした。
残虐王アダム、そう呼ばれる彼は―――――。
一夜明け、騎士エデンは再び剣を振るう為に戦場へと足を進めます。
王女イヴが言ったとおり、この争いは今日で終わるでしょう。
なぜなら、“義”が“悪”を全滅して、兵を確実に潰していったのですから“悪”の国にはもうまともに戦える兵士など残ってはいません。
残っているとするなら、それは年端もいかぬ幼子と、その母親か娘、もしくは年老いた者達だけでしょう。
だが、“悪”の国には悪人しかいないらしいから、そんな奴等はいないだろう。そう言った“義”の国の兵士達に、騎士エデンはズキリと胸の奥が痛くなったように感じました。
残す敵は、残虐王ただ一人。
兵士達の前に姿を現した王女イヴの声により、始まる。
「――これより、我が“義”の国は“悪”の国に終わりを告げに行きます。我が正義………とくと見せつけてきなさい!!」
「「「「オオオオオオッッ!!!!!」」」」
その掛け声を同時に“悪”の国に攻め入ろうとした、が、その“悪”の国唯一の出入口に、一人の若い男が出入口を塞ぐように立っていました。
手には一本の剣を持って。
「………やあ、奥さん。」
その者は、この世界でたった一人、ルビーの瞳をした、残虐王アダムでした。
瞳には相変わらず悲しい色があります。
「……君はまだ、続けるつもりか。まだ、俺達を“悪”だと言い続けるのか」
「残虐王アダム、貴方のような穢らわしい男と話すつもりなんかありませんわ」
「はは、穢らわしい、ね。それは君の方が相応しいんじゃない」
その言葉にカッとなった王女イヴは兵士に命令します。あの男が残虐王だと、だから殺せ、と。
でも、その命令は叶いませんでした。
「彼等ならとっくに死んでるよ」
残虐王アダムが剣をはらう仕草をすると、それを合図に“義”の国の兵士達は次々と倒れていきます。
残ったのは、残虐王アダムと王女イヴ、そして騎士エデンの三人だけ。
あまりのことに顔を青ざめた騎士エデンに残虐王アダムは語り掛けます。
「ねえ、騎士の君。君はなんでそこにいる」
残虐王らしからぬその質問に騎士エデンは戸惑いつつも剣を手に持ち答えます。
「…それはそちらが“悪”で自分達が“義”だからです」
「じゃあ質問を変えようか、君にとって“悪”とは、なに」
その質問に、騎士エデンは剣を握る力がさらに強くなりました。
「君にとってなにが“悪”?人を傷付けたから“悪”?人を騙したから“悪”?人から何かを奪ったから“悪”?それとも人を殺したから“悪”?でもさ、それって君も、そこの死んだ兵士もしただろ。“義”と名乗る君達も、“悪”の民をを傷付けて、“悪”の民を騙して、“悪”の民から国を奪って、“悪”の民を殺したよね?」
――それなら、君達も“悪”じゃないの?
そう、残虐王アダムから言われた騎士エデンは、先程の力が嘘みたいに一気に力が抜け、カランっ、剣を地面に落としてしまいました。
残虐王アダムは騎士エデンを見つめて、言います。
「君は純粋だ。イヴが言ったから、君は信じた。信じて疑わなかった。でも君はそのことに気が付いた。なのに何故、まだそこにいる」
「…じ、ぶんは、」
「―――黙りなさい!アダム!!」
顔をさらに青ざめた騎士エデンの背後から、王女イヴは大声をあげました。
「エデン、あんな男の声など聞いてはいけません。耳を傾けてはいけません。あれは貴方を惑わす罠です!」
「騎士の君、そのイヴの言葉こそ君を惑わす言葉だ。君は純粋に“義”と“悪”を理解したこの世界の唯一無二の存在なんだ」
「エデン!!」
昨晩のように、王女イヴのサファイアの瞳には今にも溢れんばかりの涙があった。
それはまるですがるように。
それはまるで睨むように。
それは、まるで、呪うように、騎士エデンを見つめていた。
騎士エデンは迷っていました。
ここで、彼女の言葉に耳を傾けるべきなのか、それとも、彼の言葉に耳を傾けるべきなのか、を。
己の気持ちに従えば、王女との誓いを裏切ることになります。
ですが、彼女の誓いを護りたいと思う前に真実を、全てを知りたいと思う自分がいます。
――――嗚呼、ダメだ。
その考えが頭をよぎった、騎士エデンは今にも死にたい気持ちを抑え、王女イヴに言いました。
「……我が王女、申し訳ありません。今の自分には、何が“義”で何が“悪”なのか…分かりません」
「……エ、デン、エデン…?ま、って、どこに行かれるの、エデンッ、待って…!行かないで、私の傍にいてエデ……私のエデン!」
私のエデン。
それは自分を縛る呪詛のように騎士エデンは今更ながらに感じました。
スルリと、泣きすがり付いてくる王女イヴから離れると、騎士エデンは残虐王アダムの前に立ち、王女が、王女イヴがもっとも恐れ、聞きたくなかった言葉を口にします。
「貴方にとって、王女様が“悪”の存在なのですか」
「………ふっ、そう、かもしれないね」
「あ、ああ゛、あ゛あ゛あ、あぁああアア゛あああ、ああああ゛アアアあ゛ああ!!!!!」
いつもなら可愛らしい声を出す王女イヴの叫び声は、聞くに耐え難い断末魔でした。
――プツン、なにかが切れた音がしたかと思えば王女イヴは地面に倒れてしまっていました。
「王女様!?」
倒れてしまった王女イヴに駆け寄ろうとした騎士エデンの横を走り、王女イヴを抱き締めたのは残虐王アダムでした。
「…イヴ、なんで、君は……」
顔にかかったブロンドの髪を払いのけ、血色の悪い頬に触れる残虐王アダム。その光景は、愛する人を心から慈しむ男でした。
残虐王アダムが王女イヴを抱き締めたまま騎士エデンへ顔を向け、
「………すまなかった」
「…え、なん、のはなし、ですか」
「イヴ、妻の一時の感情で、君を傷付けた」
妻、残虐王アダムはそう言いました。
騎士エデンはその事実に空色の瞳を大きくさせました。
「…いや、正確には妻だった、の方か」
「それは、一体なぜですか」
「………全ての始まりはイヴが『善悪の実』に手を出しのがいけなかったんだ」
残虐王アダムは深い眠りに着いた妻だった王女イヴを見て、昔語りをします。
「神は、天と地を創造し、それから大空、陸、海、生きる物を造り上げた。そんな中、神は、自分と似たような姿をした人なる生き物を土の塵から造った。――――それが世界初の人類、アダム、つまり俺だったんだ」
騎士エデンはその話を黙って、静かに聞いていました。
「そのうち、神はエデンと呼ばれる園を造り、そこに俺を住まわせた。エデンの園には様々な果実があり、俺はただ一つの果実を食べてはいけないと言われた物以外は何でも食べていた」
「…その果実が」
「そう、その果実が『善悪の実』という赤く甘い香りのする果実。神はエデンの園に独りでいる俺を憐れんでか、ある日、俺の肉から対となる存在、女を造り上げた。それがイヴだ」
「……それで、」
「イヴは好奇心が強く、活発でエデンの園にあった果実を何でも食べていた。もちろん『善悪の実』だけには手を出すなと伝えていた………けど、イヴはそんな約束すら忘れて実に手を出したんだ。エデンの園に一つしか存在しない『善悪の実』に」
小さな声で語る残虐王アダムは残虐王と呼ばれる筈の残虐さなどありません。
「神はお怒りになった。イヴが実を取り食べたことに。神はイヴをエデンの園から追い出そうとした。だけどイヴはその神に逆らい、神を“悪”とし、自分を“義”とした。“悪”とされた神は瞬間、神から悪魔へと堕天してしまったんだ。その瞬間、イヴはイキイキと新しい遊びを見つけたと悦び、この世界に魔女として堕天した。」
「では、貴方もまさか」
「俺もイヴが食べ残した『善悪の実』を食べ、イヴを追ってこの世界に悪魔として堕天した。あんなアイツでも愛していたから」
王女イヴを抱き上げ、立ち上がる残虐王アダム。
「イヴは全て“義”と“悪”をつけ始めた。善ではなく義ってあたりがイヴらしいと思ったけど……イヴは神にしたような制裁を“悪”に加えたかったんだ」
だから“義”と“悪”の国が作られた。
たった一人の遊びのために、今まで平穏に暮らしていた世界の住人全員を巻き込んで。
「俺も、初めはそれでイヴが満足するならと喜んで残虐王アダムと名乗った。それも長くは続かなかった。“義”と“悪”に振り分けられた人間が耐えきれなくなった。人間は“義”を掲げ“悪”を滅し、“悪”は“義”を怨み妬んだ」
―――それからは君も知っているとおりだよ。
残虐王アダムによって苦笑混じりに語られた話は想像していたものとは違い、騎士エデンにとって単純で、だからこそあの問いと同じように難しいものでした。
残虐王アダムは自分の持っていた剣を、王女イヴを抱えたまま器用に騎士エデンに差し出しました。
「君は、道を踏み外さないでよ………神」
「……、っ!な、なんで」
「神は堕天し、悪魔になった。…でも悪魔へとなった神は数多の人を助け、純粋な人へと生まれ変わったんだ、と君を見て理解した。まあ、記憶は今戻ったみたいだけど」
―――なにより、その瞳の色が変わっていない。
「逃げたと思ってもいい。妻を止められなかった俺を責めればいい。俺はイヴを連れてどこか誰にも見つからない、静かな場所に行くよ。……この世界をよろしくお願いします」
残虐王と名乗っていた只のアダムは、王女だった只のイヴを連れて歩き出す。
「待ってください!最後に、聞かせてください。なぜ愛する人を冥界へ閉じ込めたのですか。今の貴方はそれで幸せになれますか」
「…イヴを冥界に牢獄した理由は一度イヴと二人きりで話がしたかったから。幸せになれるかは、分からない、けど
――――今度こそ、ちゃんと二人で生きてくよ。」
神で、騎士、だったエデンはその二人の背中を見えなくなるまで見つめていました。
これは、一人の若き騎士の葛藤を描いた物語。
これは、一人の若き騎士を惑わした王女の物語。
これは、一人の若き騎士に真実を伝えたかった残虐王の物語。
―――後、この物語を観た者はこの物語にこう名を付けました。
皮肉も込めて、『楽園物語』と。
『楽園物語』と名付けられた物語には、人々には知られていないちょっとした続きがあります。
後、二つに分かれていた両国の主が姿を消し、とある剣を携えし一人の若き青年が一つに纏めあげ、その者が生きて王を務めている間は争いのない世界にした。
その国は王となったその者の死後、その王の名から『エデン』と呼ばれるようになりました。
そして、『エデン』より遠く遠く離れた森に囲まれた地、そこにはとある若い夫婦がお互いを支えあい、仲睦まじく暮らしていましたとさ。