魔法猫と弟子の始まり
言葉をしゃべる猫は薬屋の店主でもあるのです。
とある王国のとある街。森が近くにあり、森から川が流れるその土地は、周囲に畑が広がる肥沃な土地だ。
本来ならそんな土地は争いの場になりやすい。
しかし、王都にも程近く、王都の兵士による巡回が不定期ながらある為、盗賊が出る事は少なかった。
そんな平和な街だが、森の奥深くに魔獣が住み着いている為、完全には安全とは言えない。
その魔獣は、己の領域に足を踏み込む者を許さぬが、外に出る事はほぼ無い。
魔獣の領域は川の始まりにある湖周辺、そこらに近寄らなければ、森の恵みを得る事はできる。
もっとも、あまりに五月蝿くしていると、魔獣に襲われる為、盗賊が潜む事も無い、ある意味安全な森だった。
その森を一人の少女と一匹の猫が歩いていた。
少女は10を少し越えたくらいだろうか?
長い茶色の髪を首元で縛り、ズボンを履いている。足元の靴はしっかりとした革靴だ。
服装はあちらこちらにつぎはぎがあるが、要所要所を革で補強した物だ。森を歩くには問題は無い装備だろう。
背中には籠があり、幾つかの薬草や果物が入っていた。
「お師匠様、こちらで良いのですか?」
少女が猫に話しかける。
「ええ、こっちに行けば森の魔獣の棲家、間違いないわ」
猫が気楽に答える。その声は妙齢の女性のようだ。
その言葉に少女はすごく嫌そうな顔をした。
「お師匠様、森の魔獣の領域に入ると、一瞬で殺されると聞いたのですけど、大丈夫ですか?」
猫は少女を見上げた。
「だから、仁義を通すのよ。先に顔を見せておけば、喰われないわ」
「く、喰われるのですか?」
少女の顔が引き攣る。
「基本的に魚が好きだけど、肉もいける口ね。だから、侵入者は遠慮無く食べて、たまに警告代わりに頭部だけ街に向けて放り投げるのよ」
「あー、なるほど・・・」
少女はずり落ちてきた背の籠を背負いなおす。
「領主様のお屋敷に叩きつけているのですね」
「そうそう、前回は物見の塔の上部が壊れたのよね、貴方見たの?」
猫が顔を上げた。
「はい、お師匠様。小さかったですけど、覚えてます。大人達が森の魔獣の怒りだと言っていました」
「まあ、間違ってないわね」
そんな話をしていれば、獣道の先が明るくなる。
森の中心にある湖に出た。
湖は広く、陽光を受けてきらきらと輝いていた。
「ここ、ですか」
「ええ、ここね」
少女は何かを感じた。ソレは何か判らない、が、警戒すべきものだ。
身体を硬直させ周囲を見回す少女の様子に、猫は満足そうに頷いた。
と、途端、上空より風が吹く。
「なんじゃなんじゃ、魔法猫か」
しゃがれた声が響き、水面に降りた存在があった。
それ、は、巨大な鳥だった。
大人の身長ほどある巨大な白い鳥が長い首を伸ばし、少女と猫を見下ろす。
その瞳は黒色だが、その中で炎がちらちらと蠢くかのようだった。
「ひぃ」
少女は思わず一歩下がる。
巨大さもある、だが、それ以上に異質を感じその異質に怯えた。
「ほほうほほう、此度の弟子は中々見所があるようじゃあるようじゃ」
巨大な白い鳥は黄色のくちばしをカタカタと鳴らす。
「ええ、大白鳥、久々にそちらの方向に才能がある弟子よ」
猫の声は自慢が含まれていた。
「ふむふむ、なるほどなるほど、よし覚えたぞ。その弟子のこの森での庇護を引き受けよう引き受けよう」
巨大な白い鳥は首を上下に振る。
「ほら、自己紹介しなさい」
猫の言葉に少女は慌てて背中の籠を降ろし、頭を下げた。
「初めまして、大白鳥様。魔法猫であられるキャキャン様の弟子、サージャです、よろしくお願いします」
やや声はひっくり返った所もあったが、少女はそう言いきった、言い切れた。
「ほほうほほう、なかなかの胆力、ふむふむ、良かろう良かろう」
巨大な白い鳥の声は機嫌が良い。
「ではでは我は戻ろう戻ろう、またじゃ魔法猫よ」
「ええ、また」
巨大な白い鳥は羽ばたく、と、ふわりと身体を浮かせ飛び上がった。
そして、湖の対岸へと飛んでいった。
「ふわぁぁぁぁ」
少女はぺたり、と座り込む。
「さあ、サージャ、これでここらの薬草を取る事ができるわ、さくさく教えるわよ」
猫の言葉に少女は慌てて立ち上がった。
「は、はい、お師匠様、よろしくお願いします」
「こちらよ」
猫は湖に近寄りと、ひとつの草を鼻でつついた。
「まず、これね。これは発熱時に飲ませる薬に使うのよ」
「は、はい」
少女は慌てて近寄ると猫の隣に座り、真剣な瞳でその草を観察する。
猫はそんな少女を見て、満足そうにしていた。
●
この街での名物は、森の魔獣と街の魔法猫だ。
どちらも長寿な事もまた、有名だ。
魔法猫はその名の通り、魔法を使う猫だ。挙句に薬師でもある。
しかし、猫の手で薬を作る事はできない、その為、定期的に弟子を取り、その弟子に薬を作らせていた。
弟子がひとり立ちする事もある、そのまま死ぬまで魔法猫とともにある事もある。
つい最近、弟子となったのは、親を失った小さな少女だった。
孤児院に預けられた少女が弟子入りするのに、本人の意思は無かった。
何故なら、その孤児院で使う薬を魔法猫が格安で売っていたからだ。その恩義がある為、孤児院の者は有無を言わさず少女を弟子として差し出した。
当の少女といえば、親を失ったばかりであり、めまぐるしい変化についていけない状態だった。
気がついたら魔法猫の家に引き取られ、姉弟子に世話をされていたという感じだった。
「姉弟子様」
少女の言葉に中年の女性は笑う。
「トーリャさんか、おばさんでいいのに」
「でもぉ」
少女は困ったように姉弟子を見る。
「うちの子より小さいんだから、気にしなくて良いんだよ」
その言葉に、魔法猫は喉を鳴らした。
「まあ、どちらでも良いよ、私の事はお師匠様とお呼び」
「はい、お師匠様」
少女は素直に頷く。
「トーリャ、ある程度育つまで、貴女の家で育てなさい、今なら家に余裕はあるでしょう?」
「判りました、サージャは6歳でよかったよね?」
「はい、6歳になりました」
少女はコクリと頷く。
「うちにはね、16歳の娘と14歳の息子と10歳の息子が居るんだよ。娘は嫁に行ってしまって、上の息子は家具職人のところに弟子入りしてて家に居ないんだよ」
「そうなんですか」
親を失ったばかりの少女はその直後の経験からか、大人びた対応をする。
その事を姉弟子は僅かに憐憫を覚えた、だが、そこが気に入られた所かもしれない、と、思い直す。
「で、手のかかる息子が一人だけど、そろそろどこかに弟子入りする頃なんだよ。だから、遠慮せずうちで寝起きしな」
「あの、旦那さんは?」
「旦那は兵隊だよ」
「そう、なんですか」
少女はコクリと頷く。
「ふふふ、女の子と暮らすのは久々だから、楽しみだね。男はダメだね、家が汚くなる一方で」
「そう、ですか」
少女はそう言いながらも少しホッとした様子だった。
魔法猫は猫らしく、ぐぃっと伸びをした。
「じゃあ、しばらくはトーリャの家で生活をしながら一緒に通いな。トーニャ、家のほうで読み書き計算は教えておくのよ」
「判りました、お師匠様」
魔法猫は満足そうに頷く。
こうして、少女の生活が始まった。
●
満月の夜、少女は魔法猫と一緒に薬屋で一夜を過ごす事になった。
沢山の薬草の匂いの中、少女は調合室にある椅子に座らされていた。
魔法猫は机の上に座っている。
「さて、サージャ、私が魔法猫と呼ばれているのは、魔法を使えるから、それは知っているわね」
「はい、お師匠様」
魔法猫は頷く。
「トーリャは私と契約する事で魔法を使える。お前も私と今夜、この場で契約をするの」
「契約ってなんですか?」
疑問はすぐに質問するようにと言われている、少女は初めて聞く言葉に首を傾げた。
「契約、それは、私とお前を繋ぐ物。それがあれば、お前が嫁いだとしても私との繋がりは切れる事は無い。ただし色々問題があるわ」
「問題?」
「それは難しい事、でも、もう少し大きくなって、色々と判るようになったら教えてあげるわ。今は私と契約する事で正式な弟子となり、私を通じて魔法が使えるようになる、それだけ覚えておきなさい」
「はい、お師匠様」
少女は大人しく頷いた。
「では、契約を、私は呪文を唱えた後、お前の指を噛み、血を飲む。お前は静かに指を出していれば良い」
「はい、お師匠様」
少女はコクリと頷くと、右手を差し出した。
「ダメだね、お前は、もし、大きな怪我だったらどうするの? 右手が使えないと不便でしょう。そういわれたら左手をだすのよ」
「あ、はい、判りましたお師匠様」
少女は左手を差し出す。
「そう、それでいいわ、さあ、黙ってみていなさい」
魔法猫はそう言うと、不思議な言葉を詠う。
少女はその言葉を静かに聞いていた。詠うたびに世界がキラキラと光る。その姿に見惚れていた。
魔法猫もキラキラと光る、そして、少女の左手薬指を口に咥えると、牙を突きたてた。
「ぅん」
少女は痛みを感じ震えた、が、言われたとおり静かにしていた。
魔法猫は指を舐め、血を舐めた。
そしてまた、詠う。
少女はキラキラとした光が魔法だと認識した、認識できた。
「さあ、これでお前は私の弟子になったわ」
その言葉に素直に頷けた。
「はい、お師匠様」
「じゃあ、さっさと寝るわよ、寝床は奥の部屋のを使うと良いわ」
「はい」
少女は魔法猫に連れられ、奥の部屋に入る。
そこ、は、居心地の良い部屋だ。何もかもが優しい作りをしている。
フカフカの布団は魔法猫の寝床でもある。
少女はその布団に入る、と、魔法猫は布団の上に丸くなった。
「おやすみなさい、お師匠様」
「ええ、おやすみなさい、我が弟子」
少女の本当の意味での弟子入りはこの日だった。
●
数ヶ月後の満月の夜、少女は薬屋に泊まる様に言われた。
また、何かあるのだろうか、そう思いながら、少女は緊張していた。
契約をした時のように、夜、調合室にある椅子に座る。
魔法猫は同じように、机の上に座った。
「さて、一通り魔法を覚えたわね」
「はい、お師匠様」
少女は魔法猫に向かって頷く。
少女は小さな火を呼び、僅かな水を呼び、小さな風を起こし、僅かな土の形を変え、小さな光の玉を呼び出し、小さな闇を作れるようになっていた。
「ふむ、1年もかからずにで覚えれた、と、やはり、優秀ね」
魔法猫は溜息をついた。
「あ、あの、優秀ではダメなのでしょうか?」
必死に覚えた少女は心配そうな顔をした。
「いいえ、そうでもない、そうでもある、説明するわ」
魔法猫の言葉に少女は真剣な顔で頷いた。
「魔法ってのはね、己の身体の中にある力を使っているの」
「体の中?」
少女は思わず身体を見る。
「その魔法を使える力を持つ者は、極々僅か、とても珍しいのよ」
「お師匠様みたいにですか?」
「そうね、後は魔獣や魔術師と呼ばれる者。魔法はその力を使い行う、その回復する量は極僅か」
「極僅か、どれくらいですか?」
少女の言葉に魔法猫は頷く。
「良い質問ね。回復する量はそれぞれ違うのよ、私ならお前に教えた呪文を10回使うくらいなら平気ね」
「そうなのですか」
「さて、お前と私は契約により繋がっているわ、あの契約は私の魔法の力、魔力を貸すという契約なのよ」
その言葉に少女は魔法猫をじっと見た。
「貸す?」
「そう、そうね、煮炊きをする為には薪に火をつけないとダメよね」
「はい」
「私は薪で、お前は火打ち石。火打ち石で火をつけようとしても、薪が無ければ駄目でしょう? それと同じ事よ」
「そうだったのですか」
なるほど、と、少女は頷いた。
「さて、私の中には魔力があるわ、その魔力を使い切るほど魔法を使うと、どうなると思う?」
「どうなるのですか?」
「私は死ぬわ、その瞬間に」
「え?」
少女はびっくりした顔で魔法猫を見た。
「私のような者、魔獣、魔術師、全て、魔力を使い切れば程なく死ぬのよ」
「そ、そうなんですか!! お師匠様は大丈夫なんですか!!」
「だから、お前たちには小さな魔法しか教えてないでしょう、小さな魔法なら何千と唱えても死なないわ」
「ああ、そうなんですね」
少女の安堵する様子に、魔法猫は目を細めた。
「さて、ところが」
魔法猫はニンマリと笑った。
「お前にも魔力がある、つまり、お前は魔術師になれるの」
「ええええ!!!」
少女は椅子から転げ落ちた。
そんな少女を面白そうに魔法猫は見ている。
「6歳になるまで、魔術師と出会う事が無かったから、魔術師にならずにすんだ、と、良かったわね」
「そ、そうなのですか?」
床に座り込んだ少女は魔法猫を見上げる。
「ええ、そうよ。魔法使いなんてなったら、争いに借り出され、最後は魔力を使い切って死ぬ生き方ばかり、使い切らなきゃ長寿だけど、そんな魔術師は極々僅かね」
その言葉に少女は瞳を開いた。
「争い、盗賊狩りとか、ですか?」
「いいえ、もっともっと大きな事、そう戦争、沢山の人と人が殺しあうの。魔法使いはソレは上手に沢山の人を殺せるわ」
少女は真っ青になった。
「そ、そんな」
「ええ、そうね。でも、お前は私と契約したから、お前の中の魔力を感じても、私の魔力かお前の魔力か、誰も判らないのよ」
猫は機嫌良さそうに喉を鳴らす。
そのゴロゴロと言う音を聞き、少女は少し落ち着いた。
「さて、私がお前を引き取ったのは、魔力を持っていたから。私の作る薬は元々魔術師が作る薬だから、魔法を使わないと作れない薬があるのよ」
その言葉に少女は床の上に座ったまま居住まいを正した。
「どんな薬なのですか?」
「傷がすぐに癒える薬、病気がすぐに癒える薬よ。これが超絶お高い薬なのよ」
「あ、あれですね、すんごく高い薬ですね」
少女は思い当たったので頷いた。
「ええ、そう。それを税金として収める、と言うのがこの街で薬屋を続ける条件であり、猫なのに薬屋を相続できた理由ね」
「なるほど」
少女は納得した。
「最初は領主の手下に教えろって言われたのよ、でも、私、猫だから、気まぐれでしょう? 気に入った人間としか契約しないと伝えたのよ」
「はあ」
確かに魔法猫は気まぐれだ。
突然、アレが食べたい、コレを作ると言って、弟子達を慌てさせるのが常だ。
「そうして、気に入った人間と契約して、薬屋の弟子にしたわ。まあ、たまに魔力持ちをこっそり弟子にしたり、ね」
魔法猫はにんまりと笑った。
「私たちは魔術師と契約すると、魔術師が持つ魔力で普段使わない分を受け取れるのよ。すると、寿命が延びるわけ」
「えーっと使わない分なので、私は死なないのですね?」
少女が確認する。
「ええ、死なないわ、大丈夫よ。お前と契約したら、お前が死ぬまでは私は生きているのは間違い無いし、お前も魔力を無駄に使わなければ100年は生きれるわよ」
「おおー、すごーい」
思わず叫んでしまった。
「さて、覚えておく事は、お前は魔力があるが、あると言ってはダメ。魔法が使えるのは私の魔力を使っているから、良いわね?」
「判りました」
少女はしっかりと頷く。
「それで、本題。難しい、死にそうになる魔法だけど、教えれるわ、覚える?」
少女は床を見た。
「あの、お師匠様、その、それを覚えれば、火事を消せますか?」
その言葉に魔法猫は頷いた。
「ええ、お前の両親が死んだ火事を消す事はできるわ、でも、両親は戻らない、それでも良いの?」
「はい、お師匠様。もし、同じように火事になった時、私は命を助けたいです。私が死んだとしても」
少女は顔を上げた。その瞳に迷いは無かった。
「ええ、良いわ、教えてあげる」
そうして、少女は、魔法猫から魔法も習う事を選んだのだった。
●
15歳になった少女は、薬屋に住む事になった。
姉弟子は娘が産後の肥立ちが悪い為、孫の面倒を見る、と、言う事で弟子を止め、嫁ぎ先へ行ってしまったからだ。
「てか、お師匠様、私一人で薬草探しと調合と客商売をすると言う事なのですね」
少女は調合室で魔法猫と向き合う。
「ええ、そうね。まあ、客商売は私もやるから大丈夫よ」
カウンターには魔法猫のお気に入りの籠とクッションが置かれている。
そこで寝ながら客を待つのは、いつもの事だ、が――
「お客さんに薬を渡せませんよね?」
少女の言葉に魔法猫は頷く。
「後で配達に行けば良いのよ」
その言葉に少女はがっくりと頭を下げた。
「ふふふ、風を操って商品を引寄せて渡せば良いのよ」
「おおお、さすが、お師匠様、魔法猫です!!」
少女の言葉に魔法猫は機嫌良さそうに喉を鳴らした。
「今日からお前がこの店の店主、私はこの店の持ち主、さあ、役人の所に行って許可書の変更をしに行くわよ」
「はい、お師匠様」
魔法猫と少女の不思議な薬屋が始まった――続きはそのうちに、そのうちに。