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過去と現在が入り交じっています。
“※”の後ろに付いてる名前がそこでのサイドとなっています。
*雪紀飛那*※神田隆博*那俄性史維*《過去》
<公園>
ギコ、ギコ……
少女は一人だった。一人で俯いたままブランコに座っていた。
「一人なの?みんなは?」
“みんな”と付けたのはここでこんな時間に遊ぶのは特定された子供だと知っていたからだ。今は学校の時間。学校から遠いこんな場所で遊ぶ子なんてほとんどいない。
遊んでるとしたらこの公園の近くにある“児童施設”の子供ぐらいだ。“児童施設”には学校に通うというシステムが存在せず、孤立状態にあった。故にそこで働く職員達は教職の免許と心理カウンセリングの能力を持ち有能な人たちばっかりだった。そこに俺にとってたった一人の家族、神田寧音も含まれていた。
だが、“児童施設”(そこ)から抜け出すのはまたある特定の子供だった。
「今はお昼寝の時間なの。藍加ちゃんと一緒に抜け出してきたんだけど…藍加ちゃん…いつの間にかいなくなってて」
俺はやはりと思った。彼女も特定の人間、“藍加ちゃん”に連れてこられた子供だった。
“藍加ちゃん”…一青は両親を亡くし、神田寧音に育てられた子供だった。だから、必然と母親から会わされた。時には夕食を自宅で食べたりして関わり合いが増えた。それからはちょくちょく会い、幼なじみの史維を紹介したら一目惚れされたというわけだ。その後は史維と一緒に一青を待っていたり、迎えに行ったりしていた。今だってその途中だったのだ。
「…じゃあ、一緒に遊ぶ?」
一青とは今日は別の公園で待ち合わせしていた。一青が連れてきたのなら何故手を離したのだろうか。どう見ても初めて外に出てきた子のようなのに。俺は放っておくことが出来なくて手を伸ばした。
「ううん。藍加ちゃんを待っとく。早く戻らないと先生に怒られちゃうから」
そう言いながら彼女はゆっくりと顔を上げた。正直言って可愛かった。ただ、瞳が暗くて心を誰にも開かないそんな印象がとれた。
「たかひろー?」
「あ……」
史維とはこの公園の入り口で待ち合わせをしていたから入り口におらず、わざわざ姿を見つけて走ってきたのだろう。
「お友達は大切だから早く行かないとダメだよ」
彼女は暗い瞳のまま俺と向こうから駆け寄ってくる史維を交互に見た。
ぱたぱたっ
「……その子…だれ?」
史維は立ち止まると同時に彼女がさっきしていたように俺と彼女を交互に見た。その時一瞬だけ彼女が微笑んだ。だが、それは作り物で瞳はそれとは反対に全く感情を映しては居なかった。
「えっと……」
俺は先ほど会ったばかりで名前も知らない彼女のことを何と説明しようか悩んだ。だが、その間に彼女が、
「いって。」
そう、か細く放った。それは史維にも聞こえたようで、頷いた。
「なあ、早く行かないと菓子無くなるって」
そう言いながら史維は俺の腕を引っ張りながら元来た道を歩いていった。最後に見た彼女はまたあの作り物の微笑みを浮かべて手を振っていた。
*白川雪*※神田隆博*《現在》
<学校・廊下>
「倒れたって……大丈夫か?」
白川が体育中に倒れたと聞いた。と言ってもそんなに大事ではなかったようで保健室には行かず、体育中は見学していただけだったらしい。
「大袈裟だなぁ…ただの立ち眩みだって言ったのに」
立ち眩みでも一般的には倒れるまでは行かないはずだと思う。倒れるということは体に不調があったということだ。
「……この頃何か悩みでもあるのか?」
そして、それは気づいてはいないということだ。だとしたら、悩みがあるとしか考えられない。
「ううん、ちょっと探しものをね」
考え事ではなく、探しもの?よくわからない。最近、あいつが転校してきてぐちゃぐちゃしてたから白川のちょっとした変化に気づかなかった自分に苛ついた。前までならばすぐに気づいて対策を考えていたのに。やっぱり転校生のせいで混乱しているのだろうか?
「探しものって…倒れるほどに大事なことなのか?」
「だから、心配ないって。ちょっとフラついただけだから、心配ありがとね」
そう言って白川は笑っていたが、その笑みには疲れが浮かんでいて少し痛かった。そこまで無理して探すものとは何なのだろうか?自分よりも大事なもの?そんなことはあるのか?
「………何を探してるんだ?」
そう言うと、白川は困った顔をしながら答えた。
「えっと……ごめん、あまり他人に言えないことだから無理かな」
他人に言えない悩みなんてヒトはいくらでも持っていると思う。だから無理に話してほしいとは言えない。でも、それでも頼ってほしかった。
「…分かった。けど、もう無理はするなよ?」
「うん、ありがとね」
そう言ったのに結局白川は、階段から落ちて足を打撲した。幸い大事には至らなかったらしいので、ゆっくり休めば大丈夫だろう。あいつを目撃したやつによると、階段の上で顔を真っ青にさせてしゃがみ込んでいたらしいが、思考を切り替えるように立ち上がって事故が起きたらしい。あいつは保健室にいるようだが、俺は行く気はない。用事がないときにあいつの教室に行かないように俺には入る資格も白川の友達の目高さんにも合わせる顔もないから。
*※白川雪*目高沙実*
<学校・保健室>
「ほんっとに心配したんだからねー!階段から落ちたって聞いたときは心臓が止まるかと……」
私はあの日お母さんに言ってアルバムを見た後、恐らくお母さんに引き取られる前に撮ったのであろう集合写真を見て酷く慌てた。写真に写っている子供全員と、先生の名前が全部書かれた紙を見て転校生の名前を見つけたときは愕然とした。
転校生と直接話したことはない。気付かれただろうか?たまが、自分は顔をうっすら覚えてるだけで仲が良かったのかどうかさえ思い出せない。そもそもどうしてお母さんに引き取られる以前の記憶がほとんど無いのだろうか?
お母さんにはそのことについて何かを隠してるという感じは全然無かった。お母さんが知らない何かが施設で起こったからそのせいで記憶がないのだろうか?あるいは、頭を酷く打って失くした?だけどそれだったらお母さんが知らないはずはない…
写真を見てもあまり何も感じない。ただ、ちょっとだけ不安が寄せた。それは記憶が無いことに関してではなくて、施設そのものに対する不安…
私はその日、施設名と住所に電話番号をメモしてアルバムを閉じ、元の場所に戻しておいた。施設に居た時のことを思い出そうと念じてみるが、何にも思い出せない。全てに靄がかかって思考がぐちゃぐちゃしてきたところで、家政婦さんに夕食が出来たから下りてくるように言われた。
あれから既に一週間が過ぎた。だが、記憶に関しては全く思い出せなかった。施設のことについてもっと調べようと思ったが、そこに見てはいけない何かがあるのではないかと思い、怖じ気づいてネットで施設名を検索をするという一番簡単な方法を考えないようにしていた。
そして今日寝不足で体育中に倒れてしまった。沙実はちょうどその日は用事があって体育が終わってから学校に来たので、そのことを知らない。ついでに言うと、保健室に来たときも私の方が驚いたぐらいだ。だって、今日は家庭の事情で午前は丸ごと来れないと言っていたから。恐らく、早めに終わって学校に来たが、私の姿が見えないので誰かに聞いたら階段から落ちたと言うことを聞いて保健室にすっ飛んできたのだろう。
沙実は私にとってとてつもなく大切な友人だ。お節介なことも多いが、全ては私のためで私が隆博と別れて酷く落ち込んでいたときもずっと慰めてくれた。しかも、隆博ことをそこまで嫌悪してるわけでもないという私のことをとっても考えてくれてるのだ。
「大袈裟だって。怪我も大したこと無かったし…平気だよ」
階段から落ちてしまったのも、体育中に倒れたのも直接の原因は寝不足で、そんな風に心配してくれることが少しだけ痛かった。これ以上周りに心配をかけないためにも、自分の記憶に大きな一歩を加えようと思う。
「悩み事は何?探しもののこと?階段から落ちるくらい体の具合を崩してんだから、もう探すのは後にしてよね」
私は沙実に少しだけ探しもの……つまり、お母さんに引き取られる前の記憶について話していた。と言っても“幼い頃の記憶があやふやで少し調べてる”と結構誤魔化したけども。だって、沙実はすぐに私の不調を見つけてしまうから、何なら言ってしまった方が余計な詮索をされないかな?って思ってのことだった。
「尋問みたい…探しものはまだ見つかってないけど…今日頑張ってみるつもり」
不安や恐怖は拭えてないけど、過去の記憶はいつか絶対に役立つようなときが来るはずだ。そのために、今日ネットカフェで調べようと思った。
「頑張るって何を?……じゃなくて!今日はまっすぐ家に帰る!いい?」
「…え、でも……」
ふと、思った。そういえば保健の先生はどこに行ったのだろうかと。私が座ってるのはドアに近いベッドの上でカーテンは半分だけ引かれている。だが、私達以外に人がいる気配がなかった。しかも、保健室では一般大声を出すことがはばかれ先生達は必ず注意するはずだ。じゃあ、本当に私達しかいないのだろうか?
「…き、雪!」
「え?」
「聞いてるの?」
「…ねえ、先生は?」
「先生なら入れ違いになったよ?慌てて出て行っちゃったから」
それならどうして一言声をかけてくれなかったのだろうか?私は先ほど連れてこられたばかりで、寝ているわけでもなかったのに。
「そうなんだ」
「とにかく、今日は寄り道しないで帰って体を休ませる!」
「はーい、…心配ありがとね」
決意は変わってなかったが、ゴネても仕方ないのでそこは素直にお礼を言っておくことにする。
「そんなの当たり前でしょ。……でも大した事じゃなくて本当に良かった…」
*※那俄性史維*一青藍加*神田隆博*《過去と現在》
<学校・教室>
昼休み。俺は昼食をとった後連日あまり眠れなかったのもあってか深い眠りについていた。
藍加はそれに気づき、自分の席で窓の外を見ていた。
-回想-
「ねえ、今日は…飛那いないの?」
その場所は前によく遊んでいた公園で最近はこの公園で変質者が出たとかで子供がここで遊ぶことはなくなった。
だが、施設から抜け出してくる抜け道によく使われるのを知っていたため、藍加ちゃんと待ち合わせの場所に使われていた。
最近、隆博が藍加ちゃんとよく一緒にいて俺は新人だという飛那と会っていた。だが、昨日ぐらいから飛那とは会えてない。だから、藍加ちゃんに訊ねたのだが…
「……史維は私のこと好きだって言ってくれたよね?どうして飛那ちゃんのことが気になるの?」
藍加ちゃんは明らかに怒っていた。だが今は見て見ぬ振りを決め込む。今は藍加ちゃんのことよりも飛那のことの方が俺の中では大きくなっているからだ。
「どうなんだ?病気とかじゃないよな?」
今俺の背は藍加ちゃんを軽く越えており、見下ろしていた。俺はそう、不安な顔をして訊ねたが、藍加ちゃんはより一層怒ったようだ。
「知らない。わざわざ毎日顔を見合わせるほど仲が良いわけでもないし。気になるなら、“欲しがりや”さんに聞けばいいじゃない」
“欲しがりや”さんとは藍加ちゃんより少し背が低くて目つきが悪い、少女のことだ。本名は知らないけど、外…つまり施設内から出るのを嫌い、藍加ちゃんに連れられてきたときは彼女の唯一好きなトンネルに行ってみんなでかくれんぼしたりしていた。
何故そういう渾名なのかは分からない。聞いたことはないけど、きっと何か意味があるのだろう。
「そいつだってここ最近全く遊びに来てないじゃないか」
最近遊んでいたのは専ら飛那か、藍加ちゃんだ。それ以外の施設の子供と遊んだ記憶はない。
「だって、あの子ここ最近飛那ちゃんと遊んでるみたいだから。暇がないのよ」
俺は藍加ちゃんが言いたいことが今一つ分からなかった。飛那のことを見てないと言えば、次は見てるような台詞を言って…
「とにかく、史維は飛那ちゃんのことなんて気にしなくていいのよ」
「それを言うなら一青もだ。毎日口を開けば飛那のことばかり。今日は飛那のことなんて忘れよう」
隆博、いつからいたのか俺と藍加ちゃんのいる場所の間に入ってきていきなり話しに加わった。でもおかしい。確か隆博は飛那のことが好きだとか言っていた気がする。だけど、最近藍加ちゃんとも2人っきりで会ったりしてるから隆博はあのタラしなのかもしれない。
最近の藍加ちゃんも分からないけど、それにも増して隆博の考えていることも全然分からなかった。
**♥**
その日は藍加ちゃんは物凄く気分が高かったと思う。だからあんなことがあっていきなり卒倒したのだ。
飛那がいなくなってもう1ヶ月。わざわざお別れを言いに来てくれたのは嬉しかったし、その時した“未来の約束”も果たしたいと未来に希望を持った。だが、やっぱり飛那と会えないことはとても寂しかった。だから、藍加ちゃんと居てもほとんど上の空で藍加ちゃんもそれを察したのか俺を放置して隆博とばかり話を盛り上げている。上の空だったが、耳には声が届く。ただそのまま通り抜けていくだけで。
「今日、施設に来て○○周年記念のプレゼントを貰ったの!」
あの養護施設は他と変わってる、と俺は思う。隆博の母ちゃんが働いてるからあまり言ったことはないが、なんとなく藍加ちゃんの話の中で思った。何が変なのかは言葉に出来ないが、とにかくどこかがおかしいのだ。
「どんなの?」
「ヘアゴム、スッゴく可愛くて…佐伯鈴とは色違いなんだって」
「…その子のこと嫌いじゃなかったっけ?」
「嫌いだけど、双子みたいなものだからこの件については素直に喜ぶことにしたの」
史維「ふたご?」
俺はふと気になって言葉が先に出た。二人は俺が話を聞いてないと思っていたらしく、目を丸くしていた。
「…史維、聞いてたの。上の空は治まったの?」
史維「ふたごってどういう意味?」
俺は頭を空っぽにしたまま、目の前に映る問題についてただ何も考えず質問を繰り返す。
「その子のことが嫌いな理由ってそこにあんのか?」
その時藍加ちゃんが少し難しい顔をしていたのを知る者は居なかった。それは一瞬のことだったからだ。
「佐伯鈴とは大体同じ境遇で同じ日に今の施設に入らされたの。実家に住めなくなった日も担当してくれた先生も同じで私が佐伯鈴の一つ年下だったんだけど背格好も大体同じで怯えた目もしていたから担当してくれた先生からはあなたたちは今日から双子なのよって唐突に言われたの。その先生だいぶ年行ってたから逆らう事なんて出来ないって思ったからそれを受け入れた。」
隆博「そして一緒に成長していったから“双子のようなもの”って言ったんだな」
俺は何故藍加ちゃんがあの施設に住んでいるのかは知らない。だが、飛那のことを唐突に思い出していた。飛那は父親に捨てられたらしい。それも直接聞いた訳じゃなくて何となく察しただけだったけど。家族から置き去り、或いは家族を目の前で無くすのはどういった思いなんだろう。幸せに育った俺には理解できないことだ。
「まあ、簡単に言えばそういうことね。」
史維「そうなのに嫌いな理由は何だ?」
「それは簡単よ。血を分けた兄弟じゃないから。それに性格も合わないし、毎日のようにお互いの悪口を言い合っていたし」
きっと血を分けた兄弟であってもお互いを憎み合う兄弟は存在するだろう。と言っても俺には兄弟はいないけれど。
「………」
「それとねっ、今日は寧音先生ちで夕食を食べるから」
「あぁ、分かった。楽しみにしてる」
「うん!」
幼なじみは何て薄情なんだろう。どうして飛那はこんなつに恋をしたのだろう。
**♥**
──────………
隆博が泣いている。目の前で立派だったはずの建物がパチパチ音を立てながら炎に包まれていた。
ここはちょうど施設の裏口で、藍加ちゃんがいつも抜け道に使っている場所でもあった。藍加ちゃんは呆然としてただ俺のシャツを掴んだままソレを見ていた。
隆博の腕を掴んでいるのは施設の先生らしく、俺はパトカーや救急車、消防車が来る頃には火は消えていた。
雨が降ったのだ。俺はびしょ濡れになってもなおその場に立ち尽くしていた。
“火事”“放火”という言葉が頭にいつまでも響き続けた。次に目が覚めた場所は見知らぬベッドの上だった。辺りを見回してみる、すぐにそこが病院だということは理解できたが、何故自分がそんなところにいて、今まで眠っていたのかは分からなかった。
というより、アレを思い起こすのに数十秒かかった。
俺は入院着のまま、ベッドから降り裸足のまま廊下に出た。廊下は騒がしかった。
すれ違う人は俺の様子に気付かない。俺は誰にも声をかけられることなく、一番騒がしい部屋へと足を踏み入れた。そこは先生や看護士がごった返していた。どうやら処置室のようだ。
微かに焦げたにおいがした。ここでも俺は誰にも声をかけられず、見知った顔のいる場所まで来た。
「たかひろ」
彼の名前を呼んだ。隆博は体を固定され、暴れられないようにされていた。隆博の目は虚ろだったが、隆博は俺を見てギョッとした。
「あのあと…なにがあったんだっけ」
俺はこの病院に来る前のことを思い出せなかった。だから聞いたのだが、隆博は答えてはくれなかった。そのかわり意味不明な言葉を残した。
「…おもいだすひつようはない。はやく、びょうしつにもどれ。たぶん、おれたちのなかではいちばんじゅうしょうだから」
目撃者の証言を元に俺が何故何日も病院を入院しているのかが分かった。
俺はあの火事を見たあと、狂った目つきで襲いかかってくる同い年くらいの少年に心臓を思いっきり刺されたのだ。理由は分からない。俺は串刺しにされてさらに刃物を抜き刺しされて病院に運ばれたのだという。だが、俺は既に救急車に乗った時点で心肺停止に陥っており、既に死んでたのだそうだ。
そのまま処置室で家族や隆博達と対面を果たし、俺の遺体はこの物静かな遺体安置所には似つかわしくない病室に運ばれ安置されていたらしい。
これもまた理由は不明だ。そのお陰で顔にあった布の意味が理解できた。
だが、そうなると今度は何故死んだ人間が生きているのかという話になる。俺は今、顔色は真っ白…つまり血液が脳に届いてないかのような顔で、目には光が宿っていない。唇は紫色で、どこからどう見ても歩く遺体だ。
だから、隆博も驚いたんだと思う。あれから藍加ちゃんには会えてない。俺は出歩くことに対して何もいわれない。あの、隆博と再会した日だって先生や看護士達はこちらには目も向けない。まるで、本当はそこには何もいないかのように。
だから、今日も病院の屋上に来ていた。
「……キミの意志は随分強いね。誰かと未来での約束をしたのかな?」
突然、空から声が降ってきた。辺りを見回すと反対側のベンチに喪服のように漆黒の服を着た少年が立っていた。
「……驚かないでおくれ。僕はキミに害を与える存在ではないのだから」
大分離れているにも関わらず、少年の声はまっすぐ己の耳に入ってくる。
「僕達は“魂を受け取る”存在。死に神と呼ばれることもある」
俺は寝ぼけているのかと思った。確かに、頭はいつまでもスッキリせず前よりはボーッとする事が増えたけれどもそれにしたって聞こえてくる言葉がファンタジックすぎる。
「………死に神って、あの死に神か?」
死に神というのは御伽噺に出てくる釜を持った骸骨が黒い服を着て死期の近い生の魂を狩るっていうあれのことしか頭には浮かばない。
「キミがどう認識してようと構わない。我々は“死に神”であることには変わりないのだから」
「…で、俺に何の用だ?」
「キミの魂は既に僕の手の中にある。だが、僕が天へ帰ろうとすると磁石のように引っ張られて帰れない」
……ファンタジックすぎる。訳が分からない。魂が心臓と同じ役割なのは分かる。
「つまり、キミの器は全く死を受け入れていないんだよ。魂だけが呆気なく死んでも器はそれに追いつかない。だから、魂と器が離れることが出来ないんだ」
内容は夢物語過ぎて、思考が吹っ飛んでいたが何度も繰り返される“死”という言葉に俺の現在の状況を訊ねてみた。
「簡略化すると、キミはこの世では既にあの世側の人ってわけ。つまり、幽霊」
死者─────?
俺には実感がわかなかった。それはそうであろう、頭で理解する前に死んだのだから。だが、突然死とは大概そんなものなんじゃないか?
「キミはこの世に未練を持っている。それが果たされるまでは何が何でもあの世に行きたくはないという強い意志を」
“未練”と呼ばれるものに当てはまるとしたらそれは“飛那との約束”しか思い浮かばない。
そういえば、俺はどうしてそんなに驚いてないのか?“死”が怖いと知っていて、何故?どうしてこんなに呆気ないのだろうか。
「そんなキミに提案だ。“生まれ変わってはみないか?”死者がこの世に残り続けるのは限度がある。それに、死者がこの世で生きてゆくのはとても大変なことだ」
こいつ…
さっきから話が飛んでる気がする。もう頭の中はぐちゃぐちゃで訳が分からない。
「……那俄性くん?」
と、今度は横から透き通ったような女の人の声が聞こえてきた。俺はぎょっとして声の主を見た。そしたら、目をまん丸に開くほど驚いてしまったのだが。
「おや、彼のことをご存じで?」
「…息子のお友達なのよ」
その女性は、隆博のお母さんだった。だが、幾分か若く見える。しかも手には小さな子供の手を握って、体には数え切れない子供の躯が女性の体にしがみついているようだった。
「…そういう関係でしたか。それよりも数が増えてませんか?」
「ふふっ……よく言われるわ。でも、私は子供が好きだからこれでいいのよ」
「……あなたは子供達に愛されているんですね」
「あら、逆よ?私が子供達を愛しているの」
俺は隆博のお母さんが現れたことにより、意識が“死”から逸れた。俺はボーッとしたまま屋上のドアを開けた。
「…キミ、さっきの答だが…どうする?」
俺は無意識のままただ、“飛那”と呼んだ。元々“この世”に俺を縛り付けるのは“飛那との約束”だ。いつ果たされるかも分からない遠い未来の約束。
「…それがキミの答だね。キミは今から生まれ変わりの子。死から蘇った子だよ。ほら、みんなに挨拶しておいで」
死に神は微笑みながら新しい史維にそう言った。既に隣には誰もいない。史維は無意識下の中でただ死に神の言葉を受け止める。死に神が付けた新しい刻印がバクバク動く心臓の上で光っていた。
そして、史維は覚醒する。
自身のことについて何も理解していないままただ、彼の未練に翻弄され続ける。
**♥**
覚醒した史維は目を開けた瞬間に胃の中のものを溢れさせた。そのため自身の制服はもちろん、机、前の席のやつの椅子などと広範囲を汚した。声をいっさい出さなかったため、最初は気付かれてはいなかったが、ポツリポツリと気づきはじめすぐに一青が声をかけてきた。
幸い、覚醒直後の嘔吐のみで済んだため幾分かは状況を見れるようになってきた。今の俺は寝る前の自分とは違う。だから、俺はそれを報告した。
「ただいま」
ぴくっと、一青の背中が揺れた。そのまま俺は藍加ちゃんと小さく声を出す。すると一青は目をまん丸くさせ、突然抱きついてきた。
「史維!」
何度も名前を呼ばれる。周りに人はあまりいない。委員長が一人オドオドしながらこちらの様子を伺っている。
「なあ、隆博は記憶を失ってなかったのか?」
「あの…な、那俄性君」
俺は一体今どんな顔色なんだろう…委員長は心配そうに話しかけてくれてはいるが、俺は話を逸らしたくはなかった。
「なあ、施設を燃やしたやつと俺を刺したやつは同一人物か?」
委員長はボケッとしている。そりゃあそうだ、俺は今一青に話しかけているのだから。
俺はあまり犯人の顔は見ていない。覚えていることと言えば犯人の瞳が狂気にまみれていたって事ぐらいだ。獲物を真っ直ぐ捉えて突っ込んできた。もう少し冷静だったら冷静さを欠けていた犯人に刺されることはなかったかもしれない。あの時は目の前に広がる“赤”に目を繋ぎ止められて突っ込んでくる犯人に気付くのが少し遅れた。俺に出来たことは藍加ちゃんを突き飛ばすことだけだった。
犯人には既にまともな判断が出来なかったんだろう。獲物を間違えたことに気付かず、何度も呪いの言葉を吐き出して俺を滅多刺しにした。
血が飛び散って相手は冷静になったのか、突然カランと刃物が落ちる音がした。
だが、そこまでだった。俺の意識が保ったのは。そのあと何があったのかは知らない。ただ俺は一度死んだのだ。だから隆博はあの時酷く憔悴していたし、藍加ちゃんだってこっそり見たとき酷く虚ろだった。だが、結局俺は藍加ちゃんとそのあと会うことはなかった。
「………」
だが、一青は一度も俺の質問に答えないまま俺はまた意識を失った。