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第2章 地の底の貴婦人 3

 チリン……。


 音が聞こえる。

 チリンンン……。

 何だろう。

 澄んだ、鈴の音のような。

 ……猫の鈴?

 違う。

 何かとても小さな固いものが、ガラスのような入れ物に落ちるような音だ。

 チリーン。

 何かわからないが、でも、とても心地のいい音。

 チリン、チリン。

 音は、一定のリズムではない。

 遅くなったり、早くなったり。

 誰かがとても気まぐれに、陶器の壷の中にガラスのビーズを落としているような、そんな音……。

 七都は、音を意識しながら、長椅子に横たえた体をゆったりと伸ばす。


 ラーディアは、七都をさらに屋敷の奥にある一つの部屋に案内してくれた。

 割と広い部屋だったが、調度品がバランスよく置かれ、部屋の中のものは、すべてがきちんと整えられている。客間かもしれなかった。

 窓はぴったりと閉じられていたが、壁に描かれた明るい風景画が閉塞感を感じさせない。

 そこで待つように言われて、七都は長椅子に座った。途端に眠気が襲ってきて、七都は背もたれに体を預ける。

 ラーディアは、テーブルの上に冷たいカトゥースのお茶をそっと置いて、部屋から出て行った。


 いい気持ち……。

 久しぶりに髪も体も清潔になった。

 少し緊張が残っていて気だるいけど、それもまた悪くはない。

 このままずっとこうしていたい。

 こういうきれいな格好をしたまま、この屋敷の中で、長椅子に寝転がって。

 ほんと、なんてゴージャスなんだろ。


 チリン。

 音は続いている。

 いったい何の音なんだろう?

 チリリン……。

 一応確かめなきゃ。

 とても近い場所から聞こえるし。

 何かインテリア雑貨の音かな。風鈴みたいなのとか。そういう音の鳴る時計とか。

 そんなのがあるなんて、気づかなかったけど。

 確認したら、またうとうとしよう。アーデリーズが来るまで。


 七都は、眠い瞼を無理やりこじあけた。


「え……?」


 真正面に、銀色の物体があった。

 あの猫ロボットだ。

 砂漠のお茶会で、アーデリーズにストーフィと呼ばれていたものと同じかどうかはわからない。

 だが、あの時テーブルに座っていたのと同じように、今も部屋のテーブルの上に行儀悪く座っている。

 猫ロボットの周りには、七都の荷物があった。

 メーベルルの剣、セージにもらった胸当て、ゼフィーアが用意してくれたアヌヴィムの銀の輪、そして、元の世界で見張り人にもらった猫の目ナビ。

 衣類もきちんとたたまれて、テーブルの上に置かれている。

 猫ロボットは、七都の荷物の一部分にでもなったかのように、荷物の真ん中の位置に無理やり収まっていた。

 部屋の景色が凝縮されて、銀色の体の表面に映っている。

 そして七都は、その猫ロボットが何かをくわえていることに気がついた。

 赤と銀色の小さなものだ。見覚えがあるような気がする。

 猫ロボットと七都の目が、合う。

 ロボットがくわえていたものは、あっという間に、そのぽっかりと開いた口の中に飲み込まれた。

 途端に、さっきまでのあの軽い澄んだ音とは別の音が鳴り響く。


 カラーン……。


 その音と同時に、七都は飛び起きる。

 眠気は、完全に吹っ飛んでいた。


(イデュアルの指輪?)


 猫ロボットは無表情なオパール色の目で、自分の至近距離に瞬間移動してきた七都を眺めた。


「い、今飲み込んだの、わたしの指輪でしょっ?」


 猫ロボットは答えない。

 多少、七都の剣幕におののいているようには見える。


「何で飲み込んじゃうの? 出しなさいっ!!!」


 七都は猫ロボットの両肩をつかみ、揺さぶった。

 カランカランと音がする。指輪が猫ロボットの体の中で転がる音だ。

 そして、チリンチリンという、たくさんの小さな何かが奏でる音も。


「この音は、なに? 指輪じゃないよね、この音……」


 いやな予感……。

 七都は、テーブルの上に無造作に転がっている透明なものを見つけて、愕然とする。

 それは七都にとって、とても大切なものが入っているはずの入れ物だった。

 血止めの薬――。

 カーラジルトが避難所で、薬箱から取り出して、七都にくれたもの。

(姫サマ!! 絶対ニ、薬ハ、飲ムコト!!!!!)

 別れる前に彼とした、大事な約束。

 だが、七都が飲まなければならないその薬の瓶は、空っぽだった。

 中に入っていたはずの薄紫の透明な丸い粒は、どこにもない。

 まさか……。

 頭の中が、真っ白になっていく。

 七都は、猫ロボットを激しく揺すってみた。

 指輪の重い音と一緒に鳴っている、たくさんの小さな軽い音。

 これ……。血止めの薬だ。

 夢見心地で聞いたあの不規則な澄んだ音は、猫ロボットが薬を飲み込んで、それがお腹の中に落ちる音だったのだ。

 七都は、瞬時に理解する。


「飲んじゃったの? わたしの薬も?」


 猫ロボットは、決まり悪そうに、七都を眺める。

 もちろん、そう思えただけかもしれない。

 七都は、空になった瓶を拾い上げる。


「一粒も残ってない……。全部……全部飲んじゃったわけ?」


 ああ、どうしよう。もう、泣きそうだ。

 こんなことって……。

 七都は、再び、がしっと猫ロボットを両手でつかんだ。


「あ、あなたね。わたしを殺す気? あの薬を飲まないと、わたしは傷口から大量出血して、死んじゃうんだよっ!!!」


 七都は、猫ロボットを乱暴に揺さぶった。

 指輪のカランカランという音と、薬の粒のチリンチリンという音が、むなしく響く。


「何で飲んじゃうのっ!! 出しなさいっ。今すぐ!!!」


 七都は猫ロボットの両足をつかみ、ひっくり返した。

 機械だというのに、拍子抜けするように軽い。

 七都は、猫ロボットを逆さまにしたまま上下に振ってみたが、飲み込んだものを出してくれそうな雰囲気ではなかった。

 口があるはずの場所は固く閉ざされ、こうなったら絶対に出してやるもんかという、ひねくれた意思さえ感じられるような気がする。

 どうしよう。

 どうやったら、出してくれるんだろう。

 あれがないと、とても困る。

 困るなんて、生やさしいものじゃない。命にかかわる事態だ。


「なんてことするのっ!! 出してよっ!! 早く出しなさいってば!!!」


 七都はさらに乱暴に、まるで大きめのシェーカーかマラカスであるかのように、猫ロボットを振った。

 猫ロボットの体は、どこか悲しげでむなしいその音を、七都の腕の動きに合わせて激しく奏で続ける。


「ちょっと。そこの風の魔神族のお姫さま」


 背後から、声がした。

 七都が猫ロボットの足をつかんだまま振り返ると、アーデリーズが腕組みをして立っていた。 


「虐待するの、やめてくれる? その機械猫、結構繊細なんだから」


 アーデリーズが金色の目で、じろりと七都を見据える。

 アーデリーズは、お茶会のときとは違って、結っていた髪を下ろしていた。

 赤く美しい髪がやわらかく肩を覆い、さらに腰へと伸びている。

 髪を結っていたときよりも、少女っぽい雰囲気だ。

 クリーム色のふわりとしたドレスが、スタイルのよいその体を包んでいた。

 首には、先程とはデザインの違う見事な金の飾りが輝き、耳と額には琥珀色の宝石が光っている。


「この猫、わたしの大切な指輪と薬を飲み込んじゃったんです!!!」


 七都は、アーデリーズに訴える。


「ああ、そうなの」


 アーデリーズが微笑んだ。幾分あきれたように。


「だいじょうぶよ。見慣れないものがあったら、必ず分析して調べるの。納得したら出してくれるわよ。私もよく新調した装飾品を食べられてしまうわ」

「出してくれるって、それ、いつですか」


 七都は、まだしつこく猫ロボットを逆さにして持ったまま、訊ねた。


「夜になるまでには、返してくれるんじゃないかしら」

「夜になるまで……」


 前回薬を飲んだのは、確かキディアスと決着をつける前。真夜中だった。

 それなら、間に合うかもしれない。

 七都は、少しだけ安堵する。


 だが、猫ロボットが夜までに必ず薬を出してくれるという保証はないし、それまでに七都の胸の傷から血が溢れ出ないとは、決して言い切れない。


「ストーフィに食べられてしまったのは血止めの薬ね? この屋敷にも血止めの薬ぐらいあると思うわ。夜までに出さないようなら、ラーディアに薬を持ってこさせるから。心配はいらないわよ」


 アーデリーズが言った。


「ありがとうございます……」


 七都は、今度は、かなりほっとした。

 じゃあ、大丈夫かな。

 よかった。大ごとにならずに済みそうだ。

 七都は、猫ロボットをそっと長椅子の上に置いた。


「ごめんね。あせって、ちょっと乱暴に扱っちゃった」


 猫ロボットは、相変わらず表情のない目で七都を見上げる。


「この子、ストーフィって名前なんですか?」


「その子だけじゃなく、機械猫は全部その名前で呼んでるわ」


 アーデリーズが答えた。

 じゃあ、個別の名前じゃなくて総称ってことか。


「全部で何匹いるんです?」

「さあ? 数えてみたことないから、わからない。数えたってまた増えるしね。頼みもしないのに、とめどもなくそれを作って送ってくる人がいるから」


 作って、送ってくる人……。

 機械なんだから、当然これを造った人がいる。

 いったい、どういう人なんだろう。

 アーデリーズと、かなり親しいようだ。


「もっとも、この機械猫のもともとの図案を作ったのは私なんだけどね。それを実際に形にして仕上げる人が別にいるってこと」

 と、アーデリーズ。


「その人が、頼みもしないのに、とめどもなくストーフィをつくって送ってくるんですか? でも、じゃあ、この機械猫のデザインをしたのはあなたってことですね。すごい」


「私は、ただ落書きをしただけ。そうしたら、一週間後にはこれになって届いたわ。十二匹くらいまとめてね」


 ではその、アーデリーズが頼みもしないのにストーフィを送ってくるという人物は、アーデリーズの落書きを見ただけで、その落書きどおりの猫ロボットを造ってしまったということになる。

 それもまたすごい、と七都は思う。


「この機械猫は、どういう存在なんですか? 飲み込んだものを分析するのが役目?」

「何の役にも立たないわ。分析したって、結果を教えてくれるわけじゃない。自己満足してるだけ。単なる、機械で出来た愛玩動物みたいなものね。そのへんをうろうろしてたら、かわいくて賑やかで楽しいでしょ」


 つまり、ペットか……。

 なんか、納得できるような、できないような……。

 七都の視線を感じた猫ロボットが、小首をかしげて、七都を見つめ返した。


「それより、ナナト。よく見せて」


 アーデリーズが、七都のそばにさらに近寄る。

 彼女は七都をしげしげと眺め、満足げに頷いた。


「さっきは砂だらけの子猫って感じだったけど。美しいわ。やっぱり砂にまみれている宝石も、磨けば輝くってことね」


 砂だらけの子猫か……。

 子猫って言われるのは、三度目くらいかな。

 ゼフィーアと、キディアスと、そしてアーデリーズ。

 七都は、思う。

 そんなに子猫っぽいのだろうか。


「あの。この衣装、ありがとうございます。こんなにきれいなドレスと宝石、用意していただいて……」


 七都は、ぎこちなく頭を下げる。


「気に入った? なんなら、また別のに着替えてもいいわよ。飽きるほどあるから」


 アーデリーズが、おもむろに七都の胸の上にそっと手を置いた。傷の真上だった。

 七都はびくりとして、後ずさる。

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