表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/72

第8章 風の扉 1

 窓の向こうの風景は、相変わらず、闇の中にぶちまけた輝く宝石のようだった。

 夜が明けたというのに、地の都の居住区は、厚い砂の層のさらにその下にある暗黒に包まれている。

 太陽の光がここに届くことはなく、地の魔神族たちは機械が作った冷たい光を灯して、日々を暮らしているのだ。

 アーデリーズが息を詰まらせるのも、わかるような気がした。

 けれども、このはるか上の砂漠に出れば、朝の太陽が魔の領域のラベンダー色の空に輝いている。

 魔神族が浴びても、何の害も及ぼさないように加工された太陽の光が、白い砂漠に降り注いでいるだろう。


 七都は、居間のテーブルの上にきちんとたたんで置かれてあった旅の衣装に着替えた。

 ゼフィーアが用意してくれた衣装を身につけると、昨夜の赤いドレスを着ていた姫君の面影は、すっかりなくなってしまう。

 エクト卿が口にした、『少年のよう』な姿。

 メーベルルの剣をつけ、セージがくれた胸当てをつけると、さらに凛々しい雰囲気が加わる。


「あれ?」


 旅の衣装のセット。

 最後に残ったのは、ゼフィーアがくれたアヌヴィムの銀の輪だった。

 それも、テーブルの上に、きちんと置かれていたものの一つだ。


「これ、ストーフィが付けていたのに?」


 扉がたたかれ、ラーディアと侍女が一人、入ってくる。

 侍女が掲げていたカトゥースのいい香りが、部屋に広がった。

 彼女たちのあとから、ストーフィが十体くらいついてきて、わらわらと部屋の中に散らばる。

 じっと立ち尽くすストーフィもいれば、椅子に座るもの、じゃれあいをはじめるもの、窓に走り寄って景色を楽しむものなど、その行動はさまざまだ。

 そのどれかのストーフィが、アヌヴィムの輪を付けていたストーフィなのかもしれない。

 七都の血止めの薬とイデュアルの指輪を飲み込み、ずっとそばにいた、あのストーフィ――。

 だが、七都には区別はつかなかった。

 全員、同じに見える。違うところが全くない。


「ねえ、ラーディア。わたしのアヌヴィムの輪をはめていたのって、どの子?」


 七都が訊ねると、ラーディアは困ったような顔をする。


「わたしにもわかりませんわ。輪をはずしてしまったら、みんな同じですもの」

「そうだよね……」


 油性マジックとかで、顔にラクガキでもしとけばよかったかな。眉毛とかヒゲを描いたりして。

 七都は思う。ここに油性マジックがあれば、の話だったが。


「ストーフィ!」


 七都が試しに呼んでみると、部屋にいたストーフィ全員が、七都のほうを振り返った。

 もちろん、みんな同じ顔、同じ無表情。銀色の球形に真ん丸いオパール色の目、とがった耳だった。

 七都は、肩をすくめる。

 ストーフィたちは七都には何の興味も示さず、すぐに各々の行動に戻ってしまった。


「お別れを言いたかったのに。あのストーフィが、ここにいるのかさえもわかんない」

「きっと、ストーフィには伝わってますよ」


 ラーディアが慰めた。


「あのストーフィ。他のストーフィとは、どこか違ってるような気がしたんだけどな」

「そういえば、単独行動が多かったですよね。ストーフィたちが普段しないような行動を取っていたような……」


 だが、それもまた、結局謎のままだ。

 自分はこれから風の都に出立するのだから。それに、ストーフィをつくった本人(もちろん、マッドサイエンティストのジエルフォートだ)さえわからないような素振りだったのだから。


 七都は、侍女が入れてくれた熱いカトゥースを体の中に流し込む。

 テーブルの上には、携帯の容器に入れられたカトゥースも、いつの間にかさりげなく置かれていた。

 さすが、ラーディア。よく気がつく。果林さんみたい。

 七都は、感謝する。

 カトゥースを飲んでしまったあと、七都は立ち上がった。

 行こう。風の都。風の城へ。

 目的地は、この地の都の隣にある。

 きっとすぐにたどり着けるだろう。


「じゃあ、また会おうね」


 七都はストーフィたちに声をかけたが、それに反応してくれたストーフィは皆無だった。

 彼らはそれぞれ、彼らなりに忙しいらしい。

 じゃれあったり、景色を眺めたり。七都に注意を向けてくれるストーフィはいない。

 七都は、アヌヴィムの銀の輪をカトゥースの入った容器の紐にかけた。

 少しだけ寂しい気分を抱きしめて、七都は部屋から出る。


 廊下には、キディアスがいた。

 それから、グランディール卿とエクト卿、そして、美青年ではなく、元の中年の姿に戻ったラーセン侯爵。

 両手が機械の、あのチョコレート色の毛のグリアモスもいる。

 七都を見送ってくれるようだ。


「ラーセンさん。いつものあなたに戻っちゃったんだ」


 七都が言うと、ラーセンは、決まりの悪い表情をした。


「やはり、あの若い姿のほうがお好みですか?」

「だって、ゆうべの姿のほうが、わたしの歳に近いんだもの。親しみを感じても仕方ないでしょ?」


 グランディール卿とエクト卿が、ほら見ろと言いたげに、大きく頷いてみせる。


「でも、今のあなたも素敵だと思うよ。重みがあるし、威厳があるし、第一他の人が持っていない存在感みたいなのもある」

「そうでしょう? 若ければいい、というものではありませんからね」


 彼は言って、二人の若い美青年姿の魔貴族を睨んだ。

 七都は、その二人の前に歩み寄る。


「グランディール卿、エクト卿。また一緒にお茶会して、踊りましょうね」

「お待ちしておりますよ、ナナトさま」

「いつでもお誘いください」


 二人は、にっこりとさわやかに笑う。そして、丁寧に七都にお辞儀をしてくれた。


「行かれるのですね……」


 キディアスが、彼に似合わず、しんみりと言った。

 七都は、彼の前に立つ。


「うん。とうとうお別れだね。キディアス、ずっとわたしについてきてたものね」


 キディアスは七都に、手を差し出す。

 黒い手袋をしたその手のひらには、猫の目ナビが乗せられていた。


「ジエルフォートさまからです。中味を最新のものに入れ替えてくださったそうです」

「ありがとう。すっかり忘れてた」


 七都は、猫の目のペンダントを受け取り、いろんな角度から眺めてみる。

 けれども、もちろん外見は全く同じで、前と変わったところはなかった。

 七都はそれを首にかける。


「ジエルフォートさまに、きちんとご挨拶できなかったな。倒れちゃったから」


 彼にはいろいろお世話になったのだから、結局最後にエディシルをあげられてよかったかもしれない。

 七都は、思う。

 あの水槽に入ってなかったら、今頃ここにこうして立ってなんかいない。

 きっとあのまま死を迎えていた。そして体はすぐに分解して、消えてしまっただろう。

 七都は、ぞくっと身を震わせた。


「では、私からお礼を申し上げておきましょう」


 キディアスが言った。


「よろしく伝えてください、キディアス」


 それから七都は、キディアスに抱きついた。

 突然そういうことをされたので、キディアスが戸惑っているのがわかる。


「ナナトさま。王族の姫君は、他の一族の男性に対して、気安くこういうことをしてはいけません」


 固まったまま、キディアスが言った。


「わたしが、もしナイジェルと結婚とかしたら、同じ一族になるかもしれないじゃない?」


 七都は、くすっと笑って、抱きついたままキディアスを見上げた。

 キディアスは、冬の暗い海のブルーの目で、七都を静かに見つめる。


「キディアス。いいな。あなたはこれから水の都に戻って、ナイジェルに会うんだよね。そして、彼に抱きしめられる。彼の腕の中に」

「おかしな表現はやめてください。単なるお食事です」


 キディアスが言った。

 そして彼は七都の腰に、いきなりぐいっと手を回す。


「えーと。あなたこそ、他の王族のお姫様に、そういうことしていいのかな?」


 七都は、彼を睨んだ。


「最後に猫パンチ、おもいっきり受けてもらってもいーい?」

「このまま、水の都に行きましょう、ナナトさま」


 キディアスが真剣な顔をして、七都の目を覗き込む。


「そして、シルヴェリスさまに抱きしめられてください」

「キディアス、しつこいっ!」


 七都は、五十センチくらいの距離を瞬間移動して、キディアスの腕から逃れた。

 猫パンチは、取りあえずはやめておくことにした。今度会ったときに、また続きが出来るように。


「ナイジェルには改めて会いにいくって、何度も言ってるでしょうが」

「あなたのことですから、いつになるかわかりません」


 相変わらず真面目な顔つきのまま、キディアスが呟く。


「近いうちに、必ず行くよ」

「本当ですか?」

「本当。だってわたしも、彼に会いたいんだからね。生身で彼に会いたいの」

「それをお聞きして、安心しました。ほんの少しだけですが」


 キディアスが言った。


「では、ナナトさま。お気をつけて」

「うん。あなたもね。二人の魔王さまのお世話は大変でしょうけど、頑張ってね」


 七都が言うと、キディアスは慇懃に頭を下げた。

 キディアスはこれから、水の都のシルヴェリスのもとにエルフルドとジエルフォートを案内するという、魔貴族にとっては大変な役目を背負うことになる。

 しかし、きっと彼なら、難なくこなせてしまうに違いなかった。


「ラーディア。アーデリーズは? 彼女にも挨拶しなきゃならないのに、どこに行っちゃったの?」

「砂漠でお待ちになると。そうおっしゃっておられましたよ」


 七都の後ろに控えていたラーディアが、微笑んで答えた。


「砂漠で?」

「地上には、こちらから出られます。どうぞ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=735023674&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ