第6章 銀の城の舞踏会 4
「どなたでしたっけ」
「お屋敷に初めてお見えになったナナトさまのことを、どこの誰ともわからぬ者などと、申し上げてしまいました。お許しを……」
アーデリーズの屋敷でそういうことを言ったのは、たった一人しかいない。
七都は、まさかと思いながらも、その名前を口にした。
「ラーセン侯爵!?」
若者は、気まずそうに、頷く。
七都は呆気に取られて、彼を眺めた。
そうだ、そういえば、彼だ。
この金色の目は、確かにあのラーセンの目。
だが、七都が知っているラーセンは、初老で、白髪の男性。体格も違う。身長も雰囲気も違っているような気がする。
「本当にラーセンさん? いつもと全然……」
「エルフルドさまのご命令です。ナナトさまと踊るには、これくらいの年齢の姿でないと合わないと。そうおっしゃられて……」
七都は、アーデリーズがラーセンに厳しく申し付けて困らせている様子を想像し、思わず笑いそうになる。
「ありがとう。とても素敵。もちろん、こういうあなたのほうが、わたしとしては話しやすいし、踊りやすいと思います」
「やはり、そうですか……」
ラーセンは、小さく溜め息をついた。そういう表情も、年若い男性らしく、かわいげがあって麗しい。
ラーセン侯爵も、やっぱりイケメンだったんだ。だって、やっぱり、魔神族だものね。
七都にじっと見つめられ、ラーセンは恥ずかしそうに目をそらした。
「まったく。常に忠告してるんですがね。若い姿のほうが、ご婦人方には受けがいいと」
グランディール卿が言った。
「そうですよ。我々としても、こういう姿をしてくれるほうが、誘いやすいし、遊びやすいのに……」
と、エクト卿が続ける。
「でも、あなたは、いつものあの姿が好きなのよね?」
七都が訊ねると、ラーセンは大きく頷いた。
「じゃあ、きょうだけこの姿で、わたしと踊ってくださいます? ラーセン侯爵?」
「もちろんです、ナナトさま」
ラーセンは七都の手を取り、人々の輪の中に七都をエスコートした。
七都は、突然若返って美青年となったラーセンと一緒に踊り、それからグランディール卿とエクト卿とも、一曲ずつ、楽しく踊った。
何度も繰り返して踊るうちに、さらに上手に踊れるようになって行く。それが手に取るようにわかって、七都は嬉しかった。
もう怪我も治ったので、体は自由に動く。疲れないし、妙なけだるさもない。
しかも、一緒に踊ってくれている相手は、全員超イケメンなのだ。
元の世界のアイドルだって、外国の人気俳優だって、彼らには決してかなわない。まるで夢の世界に住んでいるような、美しい人たち。
そういう男性たちが、今目の前に、こんなに近い距離のところにいて、踊っている。微笑みかけてくれながら。
確かに人間からすれば、彼らは魔物であり、吸血鬼でもあるわけだが、その事実もまた、妖しげで艶かしい雰囲気を彼らに加味しているかもしれなかった。
そして、彼らが身につけているのは、輝く宝石。豪華な衣装。
もちろんそれは、信じられないことに、七都自身が現在まとっているものでもある。
頭上には、天井に浮かぶシャンデリア。バックには、ゆらめく金色の光。闇の中に輝く光の結晶の群れとなった都市を映す、大きな窓。
なんと幻想的で、楽しい時間であることか。
「もう一曲、踊りませんか?」
差し出される、三人の魔貴族たちの手。
七都は、パートナーたちと笑い合いながら、永遠のように繰り返される心地よい二曲のメロディーに乗って、踊り続ける――。
「それにしても、遅いよね」
七都は、三人と二曲ずつ踊った後、窓際に移動して、休憩を取った。
グランディール卿が七都に、グラスに入った冷たいカトゥースのお茶を持ってきてくれる。
カトゥースは、踊った後の体に、すうっと溶けるように染み渡っていった。
七都の視界には、口づけをかわしている魔貴族たちも見えた。エディシルを食べ合っているのだろう。
「ラーディアとデフィーエ伯爵ですか?」
ラーセンが訊ねる。
「うん。やっぱり、いくら怪我が治ったからといったって、早く来てくれないと。キディアスと踊る頃には、疲れて、ちゃんと踊れなくなってるかも。彼に文句言われながら踊るの、やだもん」
「ラーディアは、エルフルドさまの代理で出席致しますからね。エルフルドさま御自ら、ラーディアの飾り付けをしていらっしゃるのかもしれませんよ」
「そうだね。きっと彼女、ラーディアを前に座らせて、芸術家らしく、ああでもないこうでもないって、顔をしかめながら、やってたりして」
「ああ、おいでになりましたよ」
エクト卿が、窓の向こうを指差した。
七都は、グラスを握りしめたまま、彼が指し示した方向を眺める。
水晶の都市の上から、真珠色に光るものが降りてきた。それは、流れて行く他のたくさんの機械の中では、一際目立った存在だった。
「竜……?」
七都は、その物体を見て、呟く。
それは、虹色の光をまとった黄金の巨大な生き物だった。
長い角のある頭。オレンジ色の両眼。背びれは薄青く透き通り、長い尾の先にも薄青いひれが、透明な団扇のようにくっついている。
そして、その体をびっしりと覆っているのは、黄色や紫に微妙に変化していく、たくさんの鱗。
それは、七都がアニメや童話や小説の挿絵で見た架空の動物――竜……ドラゴン――によく似た生物だった。
ただその顔は、竜というよりも猫っぽく、猫の頭に角を生やしたようなもの。そう形容したほうが近いような気がする。
竜は、宙をダイナミックに、そして優雅に泳ぎながら、次第に銀の城に近づいてくる。
「あの竜、機械?」
七都が訊ねると、ラーセンたちは同時に頷いた。
「ジエルフォートさまとエルフルドさまがおつくりになった機械の乗り物ですよ。いつもは、エルフルドさまが使っておられるものです。ラーディアはエルフルドさまの代理なので、あれを貸してくださったのでしょう」
「すごいっ。本物の竜みたい。機械だなんて思えない」
エルフルドさま。ジエルフォートさま。
ほんと、あの二人、尊敬しちゃう。あんな素敵なものがつくれるなんて。
大写しの巨大な竜が、窓の外を横切った。窓は一瞬、金色と虹色の光に包まれる。
「お二人、到着されたようですね」
ジュネスが七都を振り返って、微笑んだ。
やがて、扉が静かに開く。
その開かれた空間の真ん中に、ラーディアが立っていた。
青味を帯びた、濃い緑色のドレス。
それは、彼女の金色がかった栗色の髪とよく合っていた。
その長い髪は形よく結い上げられ、黄色と薄い緑の宝石でつくられた、いくつもの花が飾られている。
額と耳、そして首にも、トパーズのような黄色の宝石が輝いていた。
宝石の縁飾りやブレスレット、ドレスの縫い取りは、金色。彼女の金の瞳に、よく映える。
ラーディアは、いつもよりさらに大人っぽく見えた。だが、落ち着きのない、困ったような表情をしている。
聞くところによると、彼女も初めての舞踏会。しかも、地の魔王エルフルドの代理としての出席なのだ。
やはり、極度に緊張しているのだろう。
「ラーディア、素敵!」
七都は、人々の感嘆の溜め息の中に、自分の声を混ぜ込んで、叫ぶ。
そして七都は、ラーディアの隣に立っている人物に目をやった。
けれどもその人物は、そこに立っているはずの人物ではなかった。
(あれ? キディアスじゃない?)
ラーディアをエスコートしていたのは、華奢な若者だった。
長い金色の髪を無造作に肩に垂らし、白銀色のマントをまとっている。
顔には、笑っている猫の仮面。仮面の両眼は、赤い炎が燃えているようだ。
それは、七都を守るためにユードにエヴァンレットの剣を浴びせられ、太陽に焼かれて消えてしまった、あの女侯爵が付けていた仮面だった。
「メーベルル!?」
七都は、目を見開く。
そんなはずはない。彼女がここにいるなんて。
彼女はもう、いないのだ。彼女の体が灰になって溶け去って行くのを目の前で見てしまった。
後には、彼女が身に付けていた剣や鎧しか残らなかった。
あの記憶は事実。彼女がよみがえることは、永遠にない。
けれども、ラーディアの手を取っているその人物――。
その体の、男性にしてはやさしすぎるライン。やわらかいその雰囲気。
この人は、女性だ。
七都は、直感する。
それに、メーベルルと同じような身長、細身のすらりとした体格。まばゆい金色の髪もよく似ている。
まあ、誰かしら? あの仮面の方は?
素敵な方ね。
地の魔貴族の方?
貴婦人たちが、ささやいた。




