第6章 銀の城の舞踏会 3
廊下の突き当たりにあるテラスの扉が大きく開け放たれ、その向こうに、鈍い銀色に光る小型の円盤が浮かんでいた。
地の都の闇に包まれた景色に浮かぶその乗り物は、巨大な竜か何かの卵のようにも見える。
ジュネスは円盤を背景にし、薄紫のマントをなびかせて、七都を待っていた。
青を基調にした衣装が、よく似合っている。
マントの襟元には、黒いダイヤのような大粒の宝石。その縁飾りも、透明な宝石を垂らした見事なものだった。
飾りが風に揺れて、澄んだ心地のよい音をたてている。
この人も、かなりのイケメンなんだよね。きらきらがとても合う。
七都は、改めて思った。
ジュネスは、近づいてくる七都を魅入られたようにじっと見つめた。挨拶も忘れるくらいに。
七都は、ジュネスに向かって腰をかがめる。
「ジュネス、今回は、お招きありがとうございます」
「いえ……。光栄です。あなたのようなかわいらしい方を我が城にお呼び出来て」
七都は、ジュネスが差し出した手に、自分の手を重ねる。
ジュネスは、七都をゆっくりとテラスにエスコートした。
「あ、すごい。銀色のUFOだ」
「ゆーふぉー……ですか?」
ジュネスが、困ったように七都の真似をした。
「なんでもない。こちらの話。で、これに乗ってくの?」
「ええ。光の都は地の都の隣なので、すぐに着きますよ」
銀の円盤の扉からは、円盤と同じ色のタラップがテラスの床へと伸びていた。
「素敵。わたし、一度UFOに乗ってみたかったの」
「ユーフォー」
ジュネスが、今度は正確に七都が口にした単語を発音する。
「あ、忘れていいから、その言葉。でね、これ、もしかしてジエルフォートさまがつくったの?」
「いえ。あの方がエルフルドさまと一緒におつくりになる乗り物は、もっと素晴らしいですよ」
ジュネスは、円盤の中に七都をいざなう。
円盤の内部は、簡素なつくりだった。
真ん中に、盛り上がった低い階段のような台。それは、バルコニーのような手摺り付きの柵で囲まれている。
壁は三百六十度窓になっていて、外の景色が眺められた。
そして台の前あたりにも、真下を眺められるように、床が円形に切り取られ、厚いガラスがはめられていた。
窓の周囲は蔓のような縁飾りで覆われ、操縦士らしい魔神族の男性が一人、植物の茎が絡み合うように見えるシートに座っている。
ジュネスは七都を台の上に立たせ、七都の隣に寄り添った。
すぐに二人の周囲に、薄い緑色の、バリヤーのようなものが降りる。
「これは……?」
「この乗り物の強い揺れから、我々を守ってくれます」
ジュネスが答える。
「安全ベルトのバリヤー版か……」
「アンゼンベルトノバ……?」
再びジュネスが、もごもごと呟きかける。
「いちいち真似しなくてもいいですからっ」
七都はジュネスと一緒に、変わって行く窓の景色を眺めた。
円盤の窓の景色は、たちまち人口の光がきらめく闇色の空間から、静寂が支配する白い砂漠の風景へと変化した。
その砂漠もすぐに遠くなり、円盤は、ラベンダー色から瑠璃色に変わりつつある空を上昇する。
やがて砂漠は消え、代わりに、光の都のガラスの積み木のような建物の群れが現れた。
真上から見下ろすと、それらはびっしりと、寄り集まったカテドラルクォーツのように地上に張り付いている。
円盤は、水晶の建物の間を縫うように飛んでいる機械たちの流れに乗り、ゆるやかに進んだ。
そして、ある一つの建物に近づいて行く。
「あれが、私の住む城です」
ジュネスが言う。
「お城?」
七都は、手摺りを軽く両手で握りしめ、その建物を見つめた。
塔のような透明な建物の一区画に、銀色に輝くものがあった。
それは、小さな城――。
銀の外壁に、尖った屋根が重なり合う。
その輪郭は、ガラスの板の向こう側にあった。
ガラスの建物の中に城が閉じ込められている。まさしくそういう形状だ。
「すごい。ガラスの箱の中に、銀のお城が入ってる!」
七都は、叫ぶ。
「おもしろいですか?」
ジュネスが、はしゃぐ七都を眺めて、笑った。
「だって、お城って、だいたい山の上っていう固定観念があるもの。ビルの途中にあるなんて。しかも、ガラスの中に入ってるし」
「一応、あれも山ですけれどね」
「建物の山ね」
銀の城の入り口あたりのガラスは、すべり出し窓のように大きく開いていた。
まるで、お客たちを精一杯歓迎しているかのように。
円盤は窓の間から、空中に向かってその扉を開けている銀の城の玄関ホールへと滑り込む。
円盤から降りると、そこはすべてが金色だった。
アーデリーズの屋敷ほどに天井は高くはないが、黄金色と白金色に輝く蜂の巣のような形のシャンデリアが、いくつも下がっている。
廊下の両側には、青黒い空間をその向こうに映したような、鏡のような滑らかな壁が続いていた。
床は、黒い湖のように澄んでいる。七都たちが歩くと、水紋のような白い波が、模様となって描かれて行った。
「この城は、私の祖父が別の世界にあったものを気に入って、まるごとここに運んだのです」
ジュネスが説明した。
「ですから、他の魔貴族の屋敷とは、少し雰囲気が違っているかもしれませんね」
「わたしには、この世界の建物はそれぞれ全部、雰囲気が違って見えます。何もかもが目新しくって」
七都が言うと、ジュネスは頷く。
「あなたは別の世界から来られたばかりですからね。今のその感覚をどうか大切に。見慣れてしまうと、何も感じなくなります。どんな素晴らしい景色も、当たり前になってしまいますから」
やがて廊下の突き当たりに、大きな扉が現れた。翼のような彫刻の入った、重々しい扉だった。
七都は、思わず立ちすくむ。
この向こうは、おそらく、舞踏会が開かれる会場。
あっという間に急上昇した緊張感で、体が固まってしまう。
「不安に思われる必要はありません。なに、出席者は、二十人くらいですよ。すべて、私が幼い頃より知っている身内ばかり。私の誕生日の前祝いと、あなたの歓迎会ということで、集まった者たちです。あなたのお知り合いも何人かお呼びしていますし」
「キディアスとラーディアのことですか?」
「いえ、他にも……。少しでも心強くなっていただければ嬉しいのですが」
七都は、ジュネスの手をしっかりと握りしめる。
ジュネスは、大きく頷いた。
「では、参りましょう」
扉が開く。
その空間もまた、金色の大洪水だった。
金色の光の中に、人々の影が淡く浮かぶ。
目が慣れてくると、それが、美しく着飾った人々だということがわかってくる。
たくさんの溜め息、それから拍手が起こった。
人々は七都に見惚れ、感嘆しているのだ。それを素直に示してくれている。
七都とジュネスは、拍手の中を広間の真ん中まで進んだ。
七都は、ジュネスと一緒にお辞儀をする。
ジュネスは客人たちに簡単な挨拶をし、七都を紹介した。
「風の王族のナナト姫さま。リュシフィンさまの血に連なる、大切なお方です。風の城に発たれる前に、光栄なことにこの城にお迎えすることが出来ました」
人々が、ざわめいた。
まあ、風の魔神族の姫さま?
風の王族の方におめにかかれるとは……。
では、いずれは、リュシフィンさまのお妃さまに?
いや、シルヴェリスさまの正妃になられるそうだ……。
そんなささやき声が聞こえてくる。
もうそんな噂が広まってる……。
七都は幾分うんざりしたが、無理やり微笑んで、人々の顔を見渡す。
きれいな人たち。
宝石が、きらきらと輝く。
みんな笑顔だ。でも、見知らぬ人たちばかり。
もちろん、全員魔神族。
しかも強力な魔力が使えて、いつも暇を持て余し、魔王の悪口さえ、噂の中で軽々と口にしてしまう魔貴族たち。
いけない、雰囲気に呑まれては。
わたしは風の王族の姫君なのだ。
ゼフィーアと別れるときも、注意された。
頭を上げて、背筋を伸ばして。
にっこりと笑っていよう。
リュシフィンに会ったときに、光の魔貴族の舞踏会に出たって、胸を張って報告できるように。
やがて七都は、人々の中に、知っている顔を見つける。
金色の目の、地の魔神族が二人。
その二人は、砂漠で会った男性たちだった。
アーデリーズと一緒に、お茶会をしていた魔貴族だ。
確か、グランディール卿と、エクト卿と言った。月の目の魔貴族と羽根の髪の魔貴族。
彼らもまた、この前よりもさらに派手で、きらびやかな衣装を身につけている。
だが、彼らに挟まれて立っている、三人目の人物――。
その男性は、七都には見覚えはなかった。
彼もまた、両脇の魔貴族に負けず劣らずの美しい若者。
銀の髪に淡い金色の目。彼も、七都に親しげに微笑みかける。七都を知っているようだ。
誰だろう?
音楽が始まる。
魔王たちが七都に演奏してくれたのと同じ、琴のような楽器。そして、縦笛と横笛。四人編成の楽団だった。
彼らもまた、ジュネスの知り合いらしい。
今まで人々に混じって拍手してくれていたのだが、突然集まって楽器を手に取り、演奏を始めたのだ。
「あ、この曲。キディアスに教えてもらったダンスの曲だ」
七都にとってその曲は、もう飽きるほど聞いて、口ずさめるようにもなったメロディーだった。
「では、踊れますね。確か二曲踊れるようになったのでしたね?」
ジュネスが訊ねた。
「うん、何とか」
「では、その二曲を交代で演奏してもらいましょう。そうしたら、相手を替えて、ずっと踊れるでしょう?」
「え、そんなっ。二曲だけをずうっと繰り返すってことですか? そんなの、他のお客さまに対して失礼なのでは……」
「気にしなくていいですよ。そういうのも、みんな面白がりますからね」
ジュネスが笑って、七都に言う。
やっぱり、もう少しレパートリーを増やしたほうがいいかもしれない。
アーデリーズみたいに三十曲踊れなくても、せめて五曲とか……。
七都は、思った。
「では、踊っていただけますか、ナナト」
ジュネスは丁寧に頭を下げ、七都に向かって手を差し出した。
「あなたと踊れるのも、きょうが最初で最後かもしれない。あなたが元の世界に帰ってしまって、もうこちらに来ることがなかったら。そして、あなたが魔王さまのお妃さまになってしまわれたら……もう二度とあなたと踊ることはないでしょうからね」
ジュネスが、紫がかったネイビーブルーの目を翳らせて、七都を見つめた。
「わたしは、またあなたと踊りたいです、ジュネス……。またこの銀のお城で……」
未来のことはわからない。
けれども七都は、今は本心からそんなふうに思う。
「ありがとう。そう言っていただけると、とても嬉しいですよ」
七都はジュネスと手を繋ぎ、昨日うんざりするくらいに聞きながら踊ったそのメロディーに、体を委ねた。
体はメロディーに勝手に反応し、自然に動き始める。
七都とジュネスは、きらびやかな人々の輪の中心で、踊った。
キディアスはまだ到着していなかったが、彼がもしこの場にいたら、何度も機嫌よく頷いてくれるような、完璧な踊りを踊れたと思う。
メロディーとリズムに合わせて、七都はくるくると舞った。
ジュネスは、七都をしっかりと支え、軽やかに踊る。
キディアスよりも、やさしい動作。
キディアスは、きびきびと動く。けれどもジュネスは、滑らかで、ゆったりしている。ふうわりと七都を受け止める。春風のように。
曲が終わると、再び拍手が起こった。
七都とジュネスの踊りを褒めたたえる拍手だった。
二曲目――。
七都がイデュアルと踊った懐かしい曲が始まり、人々はそれぞれパートナーを見つけて、笑いさざめきながら、踊り始める。
「踊ってさしあげたらよろしいですよ。あなたのお知り合いだとか」
ジュネスが、三人の地の魔貴族を指し示して、言った。
七都は、三人の前に立つ。
三人は、丁寧に挨拶をしてくれた。
「グランディール卿。エクト卿……」
「見違えましたよ、ナナトさま」
「砂漠でお会いしたあなたは、少年のようでしたが……」
二人は微笑んで、七都に話しかける。
そして、三人目……。
黙って立っている、まばゆいくらいの銀の髪と、満月の光のような、金色の目の魔貴族――。
「あの、あなたは……?」
「やはりおわかりになりませんか……」
美しい若者は、困ったような顔をした。




