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第6章 銀の城の舞踏会 2

 アーデリーズが、七都の初めての舞踏会のために用意してくれたのは、赤いドレスだった。

 奥行きのある、落ち着いた深い赤。気高さを感じさせるような、真紅のドレス。

 ドレスの表面には同じ赤色のビーズが散らされ、黒のレースのような飾りが、胸のあたりとウエストに上品に付けられていた。

 まとってみると、少し大人っぽくて着こなせないかもしれない、などと感じた不安が、たちまち吹き飛んでしまう。

 ドレスの落ち着いた赤は、七都の肌の色や目の色、髪の色を引き立て、黒い飾りは、七都の持つかわいらしさとあどけなさを増幅してくれていた。


「かわいい。なんてかわいいドレス!」


 七都は鏡の前で、くるりと一回転してみる。


「ほらほら、じっとして」


 そばで見ていたアーデリーズが、注意した。

 七都が鏡の前におとなしく座ると、すぐに侍女たちが七都を取り囲む。


「ありがとう、アーデリーズ。とても素敵!」

「当たり前よ。私が選んだんだから」


 アーデリーズが腕組みをして、笑う。

 侍女たちは、アーデリーズの指示に従って、まず七都の髪のセットにかかる。

 ふわりとした渦巻くような形に髪を上げ、その下からは、細かい三つ編みが垂らされる。

 三つ編みには小さな宝石の粒も一緒にたくさん編みこまれたので、髪が揺れるたびに、きらきらと輝きそうだった。

 それから、結い上げたところには、宝石の羽根を持つ、金色の豪華な蝶の飾りが留められる。

 額には、真珠で出来た輪。輪の中央には、透き通ったピンク色の宝石。

 そして七都の首には、緑色の大粒の宝石がメインの、襟のような首飾りが巻かれた。

 そのあと侍女たちは、七都の顔に薄く化粧を施し、最後に真っ赤な紅を差してくれた。

 侍女たちが、溜め息をついて、七都を眺める。

 一気に七都のファンが増えたかもしれない。


 七都は、自分の姿を鏡に映してみる。

 なんて素敵。正真正銘のお姫さまだ。

 けれども、あまりにも似合いすぎる、真紅のドレス。

 かわいいけれども、どこかダークな雰囲気の、黒の飾り。

 そして、白すぎる肌と、不吉ささえ感じさせるような、艶めいた緑がかった黒い髪。

 紅を引いたせいで、いつもよりも赤く、濡れているような雰囲気の唇。

 さらに、照明とドレスのせいで、普段よりもずっと赤く見える目。

 ぞっとするような妖艶さが、確実に漂っている。

 人間から見ると、恐ろしい魔物の姫君。魔神の美姫。

 食料は人間。人間の生体エネルギーを食べて、数百年生きる、吸血鬼の一族の姫だ。


「だいじょうぶよ」


 アーデリーズが、七都の憂鬱を舞踏会のことが原因だと勘違いして、言った。


「そんなに大きな舞踏会じゃないみたいだしね。お客だって、ジュネスのごく親しい人たちだけみたいよ。踊れなくったって、間違えたって、転んだってだいじょうぶ。ジュネスの友達なら、みんな口が堅そうだから。これは、ラーディアが言ってたことだけど」

「うん……」


 七都は、アーデリーズに笑ってみせる。


「きれいだわ。どこに出しても恥ずかしくないお姫様ね。最初会ったときの、砂だらけのあなたとは大違い」

「砂だらけにしたのは、あなたでしょ」


 七都が言うとアーデリーズは、ふふっと笑った。


 侍女が一人、足早に部屋に入ってくる。


「ナナトさま。ジュネスさまがお迎えに来られました」

「あら、早いのね。もうちょっとあなたを見ていたかったのに」


 アーデリーズは、七都を軽く抱きしめる。


「楽しんでおいでなさい、風の姫君。どうしても雰囲気的にいやだったら、合わないって判断したら、すぐにでも帰って来ていいからね」

「そういうわけにはいかないよ、アーデリーズ。そんなことしたら、ジュネスを困らせることになっちゃうじゃない」


 アーデリーズは、七都の頬を撫でた。


「ナナトって、本当におりこうさんね。見習いたいわ。じゃ、行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 七都は、彼女にお辞儀をした。キディアスにたたきこまれた、完璧なお辞儀だった。

 アーデリーズは深く頷いて、満足そうに微笑む。


 七都が侍女のあとについて部屋を出ると、キディアスが廊下に立っていた。

 彼は、きらびやかな衣装をまとっている。

 銀の糸で刺繍がされた白いマントの下には、黒の上着。宝石で出来た帯をたすきのように胸にかけ、額には、いくつもの宝石がはめこまれた輪が輝いている。


「これは、お美しい」


 キディアスが、七都の全身を素早くチェックして、言った。


「あなたもね。とても素敵。で、こんなところで何してるの?」

「ラーディアさんを待っているのですよ。今、支度をされておられますから。こういう準備は、ご婦人方はとても時間がかかるのですよね。男は手持ち無沙汰です」

「もうジュネス、来ちゃったよ。あなたたちも一緒に行くんじゃないの?」

「ナナトさまは主賓ですので、どうぞお先に。我々は後から参ります」


 キディアスはそう言って、丁寧に頭を下げる。それから七都をじっと見た。


「不安なのですか? ドレスに似合わぬ、そのしかめっ面は?」

「だって、こういうの、初めてなんだもの。ひとりで放り出されたら、とても不安だ」

「だいじょうぶですよ、私が教えてさしあげたのですから。イデュアルさんもね。ナナトさまは、覚えるのが大変お早い。少し驚きましたよ」

「うん。わたし、なんとなく、昔踊ったことがあるような気がする。そんな奇妙な感覚をずっと持ってるの。イデュアルとあの城で踊ったときから」

「ご先祖の記憶ですかね。お母さまの、あるいはおばあさまの記憶。それを受け継いでおられるのかもしれませんね」


 お母さんも、舞踏会で踊ったのかな。

 おばあさまも?

 そういえば、今まであまり考えたことなかったけど……。

 お母さんの両親……。

 つまり、わたしのおじいさまとおばあさまって、健在? 風の都にいるの?

 風の都にいるのなら、会えるよね、もうすぐ……。


「私たちも、すぐに参りますから。第一、ジュネスさまがおられるではないですか」


 キディアスが、七都を元気付けるように言う。


「うん。そうだね。じゃ、先に行って、待ってるから」


 七都は行きかけたが、ふとキディアスを振り向いた。

 キディアスは、美しい猫のように首をかしげる。


「ナイジェルって、踊れるの?」

「もちろんです。ナナトさまよりは、お上手だと思いますよ」


 キディアスが、笑って答えた。


「あなたが彼に教えたの?」


 キディアスは、もちろんです、と言いたげに頷いた。


「シルヴェリスさまと踊りたいですか?」

「踊りたい。でも魔王さまって舞踏会に出ないってアーデリーズが言ってた」

「今魔王さまになっておられる方々の多くは、そういうものには興味がないということでしょう。その方の性格にもよりますよ。案外リュシフィンさまは、舞踏会がお好きかもしれませんし」

「ナイジェルは?」

「存じません。でも、楽しそうに踊られますよ。何ならナナトさま、誘ってみられては?」

「一緒に舞踏会に行こうって? そうだね。機会があったら、言ってみる」

「機会なら、いつでもお作りしますからね」


 にーっこりと、キディアスは笑う。

 キディアスって。

 ナイジェルの話をすると、機嫌がいいんだから。


「ねえ、キディアス。わたし、あなたの妹さんより、赤が似合うと思うんだ」


 七都が言うと、キディアスは、きょとんとした顔をする。


「はい、そうですね? よくお似合いですよ。妹には赤よりも、もっと淡い色が似合うと思いますが?」


 キディアスにそういうことを確認してみる自分に、七都は少し自己嫌悪を感じてしまう。

 真っ赤な花のようなドレスを着て、ナイジェルのベッドに横たわっていたアルセネイア……。

 対抗心なんて持たなくていいのに。

 ナイジェルが慕っているのは、わたしなのだ。彼女じゃない。


「じゃあね、キディアス。またあとで踊ろうね」


 キディアスは、再び丁寧に頭を下げた。慇懃無礼に見えるくらいに。

 七都は侍女に案内され、赤いドレスを引きずって、廊下を歩く。




 七都が出て行ってすぐ、慌てふためいた侍女が、部屋に飛びこんできた。


「アーデリーズさまっ!!」

「何事?」


 アーデリーズは眉をひそめ、金色の目で侍女を眺める。

 侍女は彼女にまともに見据えられ、思わず目をそらした。

 いつもならラーディアに報告するのだが、そのラーディアは舞踏会の準備で、ここにはいない。直接アーデリーズに報告するしかないのだ。

 侍女は、あせってひざまずく。


「あ、あの……昨日の使者の方が、光の都と繋がる扉から……」

「スウェンが?」


 アーデリーズは、溜め息をついた。


「また、びっくりさせるようなことをしてくれるのね。昨日に引き続き、予告なしのご登場? ジュネスが舞踏会にかかりきりで暇だから、遊びに来たのかしら。仕事に行き詰まったとか、屋敷の散策がまだ足りなかったとか……」

「ずいぶんなことをいろいろと考えてくれるもんだね」


 ふいに、アーデリーズの後ろで声が響いた。

 アーデリーズは、振り返る。

 部屋の真ん中に、長いマントをまとったジエルフォートが、白い煙のように姿を現した。

 侍女たちが、息を呑む。いきなりフードを取ったその使者の、まぶしいくらいの美しさに圧倒されて。


「スウェン!」


 アーデリーズが叫ぶと、ジエルフォートは、にっと笑った。


「きみに会いに来たかった、という理由じゃだめなのかい?」

「スウェン……」


 ジエルフォートはアーデリーズの手を取り、いとおしく頬に押し当てるようにして、唇を付ける。

 彼に会うのは、昨日のあの時間以来。

 自分の体が、意識もしないのに熱くなる。まだ新しい、あの時の甘い記憶を思い出してしまう。

 アーデリーズは、浮き上がりそうになる自分の気持ちを押さえつけた。

 いけない、侍女たちの前だ。

 平静を装わなくては。


 どなたかしら? この方は?

 アーデリーズさまのいい方?

 そうよ、きっとそう。

 あんなに嬉しそうにされておられるもの……。

 侍女たちが、静かな波のように、控えめにざわめく。


「でも、正直なところ、それだけが理由じゃないんだけどね」


 ジエルフォートが言った。


「なんですって?」


 アーデリーズは、いつものように彼を睨んだ。


「怒らない、怒らない。一番の理由は、きみに会いたかったからなんだから。ところで地の魔王エルフルドさま。お願いがあるのだが……」

「なんでしょうか、光の魔王ジエルフォートさま」


 それから二人は、挨拶の口づけを軽くかわす。

 侍女たちは、アーデリーズが口にしたその名に驚愕し、あるいは頬を染めて、その光景を遠慮がちに眺めた。

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