第6章 銀の城の舞踏会 1
「それで? 踊れるようになったの?」
七都がキディアスとのダンスの練習を終えて戻ると、部屋には、まだアーデリーズがいた。
テーブルの上には、カトゥースのお茶のセットとココア色のビスケットのようなものが山盛りにされ、アーデリーズはそれにぱくついていた。ラーディアが言っていた『お祝いのお菓子』なのだろう。
「うん。なんとか二曲目も、踊れるようになったと思うけど……」
七都は、椅子にドスンと座る。
もう、くたくただ。
キディアスのレッスンは、イデュアルよりもはるかに厳しかった。
イデュアルは同性で年齢も近かったので、やりやすかったかもしれない。少なくとも感覚は、七都と似ていたはずだ。
けれども、キディアスは異性。男性側から見た女性の踊り方を七都に要求した。
しかも、姫君としての、気品のある優雅な踊り。
おまけに、イデュアルよりも文句と小言と指摘が多い。
『間違えましたね』
『そこは違います』
『手の動かし方が、明らかに間違ってます』
『何度言えばわかるんですか』
『そうではなくて、こうです』
『反対に回りましたね』
『はあああ……』(溜め息!)
彼に何か言われる度に、自己嫌悪になり、気分が沈んで行く。
水の壁から得たエディシルのおかげで、体のほうはあまり疲れを感じなかったのが救いだった。
練習は、屋敷の誰も来ない廊下で行われた。
ラーディアが付けてくれた、アヌヴィムの演奏係が二人。
彼らはギターのような楽器と横笛を演奏してくれたが、何度も同じメロディーを同じところから奏でるはめになった。
それでもいやな顔はせず、どちらかというと、七都とキディアスのやりとりを楽しみながら演奏しているようだった。
いつのまにか来ていたストーフィ一体だけを観客にして、二人はその広い空間で何度も弧を描いた。
気の遠くなるような時間が経過し、数えられないくらいの叱責をキディアスから受けたあと、やっと彼は七都を解放してくれた。
何とか形になったと判断したらしい。
彼のきびしい基準に合格したのだから、まあまあ、見栄えよく踊れるようにはなったのだろう。
「アーデリーズって、何曲ぐらい踊れるの?」
「さあ。三十曲くらいかしらね」
アーデリーズが、お菓子を食べながら答える。
「すごい……」
「少ないほうよ。ここにいたら、体を動かすことって、それくらいしかないしね」
ダンスは、一曲にひとつ。
七都の元の世界のダンスとは違い、別の曲で同じものを踊れる、というわけではない。
似たものもあるらしいが、全部それぞれ覚えなければならないということだった。
つまり、やっぱり、フォークダンスだ。
豪華で優雅で、複雑で、ちょっと雰囲気の違うフォークダンス。
七都は、踊りながら、改めて思った。
「ナナトも食べない? これはカトゥースを固めて作ったものだから、あなたにも食べられると思うわよ。他にもアヌヴィムはいろいろ作ってくれたんだけど、残念ながら、あとは全部人間の食べ物なの」
七都は、お菓子をひとつ、つまむ。
やはり、どう見てもビスケット。ハンドメイドっぽい素朴な感じの、チョコレート味。
七都はぱくりと一口かじってみたが、かじった途端、それは口の中で綿菓子のように溶けてしまった。
あとには、カトゥースの香りが残る。
ビターテイスト。甘さはないが、すっきりとした味わいだった。
最初想像したような、ビスケットの、かさかさぱさぱさした食感は皆無だ。
「うん、おいしい。オトナの味って感じ」
七都が感想を述べると、アーデリーズは、くすっと笑った。
機嫌がいい。
目覚めたときにそばにジエルフォートがいなくても、別に問題はなかったらしい。
「よかったね、アーデリーズ」
七都は、彼女に言った。
「え?」
「ジエルフォートさまのこと……」
「ああ……。ありがとう。あなたがいろいろと骨折ってくれたみたいね」
「ううん。だって、二人とも思い合ってるってわかったから。ちょっとつついてみただけ」
「スウェンが言ってた。女の子にあんなこと言われたのは初めてだって」
アーデリーズは、くすくすと笑う。
「でも、わたし、ちょっと反省してるよ。かなり年上の人に、しかも魔王さまに、いろいろ批判的なこと言ってしまったかもって」
「楽しかったみたいよ。だからあなたの額に印をくれたんでしょう」
「ねえ。アーデリーズ」
「ん?」
アーデリーズはお菓子のかけらを口に放り込み、穏やかな金色の目で七都を見た。
「ジエルフォートさまと結婚するの?」
アーデリーズは、七都の質問に、声をたてて笑う。
「なんでそう短絡的なことになっちゃうわけ?」
「だって……」
愛し合っている男女がいれば、当然結婚して、ハッピーエンド。
そうなってほしい。そうでなければならない。
それは、いろんなおとぎ話や本や映画やドラマで培われてきた、女の子としては当然の感覚だ。
「魔王同士の結婚はね、難しいの。お互いに背負っているものが大きすぎる」
アーデリーズが言った。
「そうなの?」
「もちろん、今までそういう例がなかったわけじゃないわよ。でも、うまくいかないことが多いみたい。側近たちの間で、いろいろな問題が起こったりしてね。後継者問題もね。だったら、別にこのままでもいい。結婚なんかしなくても、彼にはいつでも会えるわ。扉一枚隔てているだけだもの。いつも一緒にいられる……」
「なんか、ジエルフォートさまも、似たようなこと言ってた。あなたが眠っている間に、わたしに会いにきてくれたの。あなたにはいつでも会えるけど、わたしに会うのはこれが最後かもしれないからって。そのあと、そのまま帰っちゃったみたいだけど」
「そう……」
アーデリーズは、ふっと溜め息をつく。
「彼が言いそうなことね。でも、起きたとき、ひとりぼっちだったので、ちょっとだけ悲しかったわ。たとえこの先、毎日会えるってわかってはいても」
ああ、やっぱり……。
そんなもんなんだ……。
ジエルフォートさま。
何かメッセージ残しといてあげるとか、マントを体にかけておいてあげるとか、花を置いといてあげるとか、してあげたらよかったかも。
でも、出来そうにないか……。
しそうなキャラじゃなさそうだものね。
「だけど、そういう人だから。そういうのもスウェンらしさなのよ」
「うん……」
ジエルフォートさまのすべてを受け入れて、愛しているんだね、アーデリーズ。
七都は、そんなアーデリーズを、ちょっぴりうらやましく思う。
そういうふうに自分を抑えて誰かを愛せるって、すごいことかもしれない。
その時、扉がたたかれ、ラーディアと侍女が入ってきた。
侍女は、新しいカトゥースのセットをテーブルの上に置く。七都の分を持ってきてくれたようだ。
七都はお礼を言って、入れてもらった熱いカトゥースを飲み、もう一切れお菓子をつまんだ。
「あなたが舞踏会で着る衣装、選んでおいたから。宝石も」
アーデリーズが言った。
「ありがとう。そうしてくれると思ってた」
「だから、行くことにしたんでしょ?」
ふふっと彼女は笑う。
七都は、頷いた。
だって、あなたに選んでもらったら、センスがいいに決まってるもの。
「ね。アーデリーズ。あなたも一緒に行かない? 舞踏会」
七都は、アーデリーズに言ってみる。
「冗談でしょ」
アーデリーズが、七都を睨んだ。
「ああいうのは、魔貴族の退屈しのぎの娯楽よ。絶対に行かないわ。雰囲気も好きじゃない」
「だって、三十曲も踊れるじゃない」
「単に、教養と常識として踊れるだけよ。そもそも魔王は、誰も舞踏会なんて行かないの。スウェンも行かないって言ったでしょ? ハーセルだってサーライエルだって、舞踏会に出たって話、聞いたこともないわ。何かのお祝いの席で、たまたま舞踏会が付属でくっついてるときも、ただ見てるだけ。決して踊ったりしない」
「そうなんだ……」
じゃあ、ナイジェルも舞踏会には出ないのか。
ナイジェルと舞踏会で一緒に踊るなんてことは、出来ないのかな……。
「イデュアルは、魔王さまと踊りたがってたよ」
七都が言うと、そばに立っていたラーディアが、はっとして顔を上げる。
「そうね。そういうのが、魔貴族の女の子たちの夢みたいだから。でも、ほとんど不可能な夢よ。魔王はみんな、舞踏会なんて興味ないし、嫌いなんだから」
「でも、わたし、アーデリーズがきれいに着飾った姿、見たいな」
七都は、相変わらず質素なキャミソールっぽい服装の彼女を見つめる。
髪を結って、宝石をいっぱいつけて、豪華なドレスをまとったら、どれくらいきれいなんだろう。
絶対、見てみたい。
「では、新年の挨拶においでなさい、風の姫」
アーデリーズが言った。
「新年? 挨拶?」
「新年のお祝いの時には、さすがに正装しているわ。かなり豪華よ。思う存分、見るといいわ」
「新年なんて……。まだずっと先でしょ?」
「そうね。半年以上先だわ。待ちくたびれるわね」
「たぶんね……」
それからアーデリーズは、ふとラーディアのほうを向いた。
「そうだ、ラーディア。あなたが明日の舞踏会に出るといいわ。私の代理として」
「私が……ですか?」
突然言われて、ラーディアは、彼女に似合わず、慌てふためいたようだった。
「あなただって魔貴族の姫君なんだから、舞踏会くらい出なくちゃね。それに、ジュネスとかいう舞踏会の主催者の、あのもうひとりの使者……。彼とは親しく話していたそうじゃない? 気に入ったの?」
ラーディアは、うつむいて、顔を赤くする。
「決まりね。あなたの分のドレスと宝石も用意しなきゃ。キディアスと一緒に行くといいわ。ジュネスはナナトを迎えに来るから。もちろん、ジュネスとも踊ってもらいなさいね」
キディアスとラーディアより、やっぱり、ジュネスとラーディアのほうが雰囲気的に、似合うな。
七都は、嬉しそうにしているラーディアを眺めて、思った。
キディアスには、いったいどういう女の子が合いそうなのか。
七都は、カトゥースを飲みながらいろいろと考えてみたが、まるっきり、想像もつかなかったのだった。




