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第5章 二人の使者 12

「ジュネス……!!」


 ジュネスは、七都の手を取って、唇を付けた。

 キディアスは、ああ、この人か、という納得した顔つきをして、彼の様子を見守る。

 キディアスに抱かれたストーフィは、<ダレ、コノヒト?>と言いたげに、キディアスと七都とジュネスを順番に眺めた。


「ああ、ジュネス。あなただったの……」

「ジエルフォートさまからあなたのことをお聞きして、来てしまいました」


 ジュネスが笑う。

 ジュネス――。 シャルディンの前の主人で、光の魔王の親戚。

 七都のことを心配し、一緒に魔の領域に行くことを申し出てくれた人。

 え。ちょっと待って。

 光の魔王さまの親戚ってことは……ジエルフォートさまを知ってるってことだよね?


「ジュネス。ジエルフォートさまの幼なじみって、もしかしてあなたなの? 幼なじみに協力してもらってこちらに来たって……」

「ジエルフォート……さま?」


 ラーディアが、怪訝そうな顔をする。


「そうです。扉の向こうの地の都に行きたいとおっしゃったので。私もあなたにお会いしたかったこともあり、二人で、ジエルフォートさまの使者として、こちらに来ることにしたのです」

「あ、あの……」


 ラーディアが、遠慮がちに声をかけてくる。

 七都は、彼女のほうを向いた。


「ごめんね、ラーディア。もうばらしちゃってもいいよね、ジュネス。彼女はエルフルドさま付きの女官で、ここの責任者なんだもの。知っておかなきゃならないと思う」

「そうですね。私も心苦しいです。この方をだますような真似をするのは」


 ジュネスが言う。


「どういうことですか?」


 ラーディアが眉を寄せた。険しい女官の顔になっている。


「つまりね。もう一人の、散策に出かけちゃったという使者の人は、ジエルフォートさまなの」


 七都が言うと、ラーディアは、両手で口を覆った。

 かなり驚いている。金色の目が、猫に負けないくらいに大きくなっている。


「ついでに白状しちゃうと……エルフルドさまのお相手は、ジエルフォートさまなんだよ」


 ラーディアは、大きく息をした。

 そして、たちまち自分を取り戻す。見事な切り替え方だった。


「そうなのですか。それは大変です。ジエルフォートさまをお迎えする準備をしなければ!」


 ジュネスは、首を振った。


「ラーディア。そういうことが、ジエルフォートさまはお嫌いなのです。どうか、ただの使者としての応対を。正体は内緒にしておいてください」

「でも、ジュネスさま。それでは、あまりにも……。私の立場としては、ほうってはおけません。私に何もするなとおっしゃられるのですか?」


 さすが女官をしているだけに、しっかりしてる。

 七都は、感心する。

 たぶんラーディアも、わたしとそんなに歳は変わらないだろうに。

 わたしには、とても女官なんて務まらない。


「お願い、ラーディア。ほうっておいてあげて。たぶんアーデリーズも、それを望んでいると思う」


 ラーディアにいちばん効くのは、アーデリーズのこと。

 七都はそう判断して、彼女に言った。


「アーデリーズさまも……?」


 ラーディアは、呟く。

 しばらく考え込んだ彼女は、やがてにっこりと笑った。


「そうですね。では、お二人には、これまで通り、ジエルフォートさまの使者として応対いたしましょう。でも、これはとてもおめでたいことですから、お祝いしなければ。アーデリーズさまのお好きなお菓子を作らせますわ。私は、これで失礼致します。皆様、どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」


 ラーディアは、踊るように優雅に挨拶をし、客間から退出した。



「お祝い? お菓子?」


 七都は、首を傾げて彼女を見送る。

 ジエルフォートさまとエルフルドさまは、もうこれで婚約したってことになるの?


「つまり、お二人が結ばれたので、それをお祝いするということです」


 キディアスが、七都に説明した。


「そういう風習があるんだ」

「はい。もちろんシルヴェリスさまとナナトさまのときも、お祝いさせていただきますよ、盛大に」

「キディアス……っ」


 七都は拳を握りしめ、ひゅん、とキディアスめがけて突き出した。

 キディアスはストーフィを抱いたまま、片手で難なくそれを受け止める。

 ジュネスが唖然として、その様子を見つめていた。

 あ。まずい。目が点になってる。

 七都は、握った拳を背中に隠した。そして、取りあえず笑ってごまかす。


「いえ、これは、ちょっとした遊びというか、じゃれあいというか……」

「ナナト。ずいぶん元気になられましたね」


 ジュネスが、微笑んだ。


「この前会ったときと比べて、見違えるようです」


 彼は、まぶしそうに七都を見つめる。


「ジュネス。ごめんなさい。あなたのせっかくの申し出を断ってしまって。本当にありがとう」

「いえ。あなたにもご都合がおありでしょうから。あのあと、あんなことを申し出てしまって、かえっていやな思いをさせてしまったのではないかと反省しました。たったひとりで風の城に行くこと。それが、リュシフィンさまがあなたに与えられた課題なのですね?」


 ジュネスが訊ねた。


「まあ、そんな感じです……」


 七都は、曖昧に返事をする。

 課題を出してきたのは、リュシフィンじゃなくて、猫なんだけど。


「結局あなたは、私が申し出なくても、おひとりで魔の領域に来られたわけですし、驚くべきことに、あの水の装置を使われて、お元気になった」

「ジュネス。あなたが言っておられたのは、ジエルフォートさまの研究室にある、あの水槽のことだったんですね」

「あの装置の存在は、光の魔神族の間でも伝説化していて、実際使われることはほとんどありませんが、私はこの目で見ましたからね。瀕死状態であの中に入れられたジエルフォートさまが、回復していくのを」


 ジュネスが言った。


「子供の頃、グリアモスに襲われて、お父さまに放り込まれたって……。ジエルフォートさまが話されてました……」


 七都が言うと、ジュネスは頷く。


「私は、水の壁の中を流れて行く彼をずっと追いかけました。とても不思議な光景でね。今でもよく覚えていますよ」

「体から抜け出したジエルフォートさまの姿って……あなたは見えましたか?」


 七都は、訊ねてみる。


「いいえ。残念ながら。その姿が見えたのは、ジエルフォートさまの父上だけだったみたいです。父上が見えなかったら、そんな話、誰も信じなかったでしょうね」


 やっぱり、ジュネスにも見えなかったんだ。

 幽体離脱した姿を見える人と見えない人の違いって、何なんだろう……。


「もしかして、水槽から出てきたジエルフォートさまに口づけをしました?」


 七都が訊くと、ジュネスは明るく笑う。

 この人、とても素直に笑うんだ。

 七都は、彼の笑顔を眺めた。

 人を見下した感じでもなく、冷たい感じでもなく、何の屈託もなく、本当に心から笑う。

 この人もまた、とてもいい人なんだろうな。

 シャルディンも、そう言ってたけど。

 あの方は、魔神族にしておくにはもったいないくらいのいい方ですよって。


「しましたよ。何度も。水から引き上げられた彼は、この上もなく美しく、エディシルに満ちていましたから。そういえばあなたも、エディシルに満ちていらっしゃる。とても美しい」


 ジュネスのネイビーブルーの目に見つめられて、七都は思わず後ずさった。

 彼は、あははっと笑う。


「あなたにはしませんよ、そんなこと。ご安心を」


 それから彼は、幾分憂いを含んだような、真面目な表情をした。


「また口づけの印が増えましたね、ナナト。四人の魔王さまに愛されていらっしゃる姫君。あなたは、シルヴェリスさまの婚約者だそうですね」


 婚約者?

 七都は、溜め息をつく。

 いつのまにか、婚約者ってことになってる。

 ジエルフォートさまだな、そういうオーバーなことをジュネスに言ったのは。

 七都は、嬉々として頷いているキディアスを横目で軽く睨んだ。


「婚約はしてません、まだ」


 あ、『まだ』なんて言ってしまった。

 再び嬉しそうなキディアスと目が合い、七都は再び彼をちらっと睨む。


「そうなのですか。少し安堵しました。魔王さまのご婚約者と踊らせていただくのは、やはり気が引けますからね」


 ジュネスが言った。そして彼は、魅力的なポーズで首をかしげ、七都に訊ねる。


「それで、踊れるようになりました?」

「少し……。たぶん、一曲だけなら踊れます。地の魔貴族の、公爵令嬢の女の子に教えてもらいました」

「十分です。私がここに来たのは、あなたにお会いしたかったから。そして、あなたをお誘いするためでもあります」

「誘い?」

「もうすぐ私の誕生日なのです」


 ジュネスが言う。


「あ、それは、おめでとうございます」

「ありがとう」


 誕生日……。

 ジュネスって、いくつになるんだろ。

 きっと、何百何十何歳。ジエルフォートさまがそうなのだもの。その幼なじみってことは。

 年齢を聞くのって、失礼なことなのかな。

 取りあえず、やめておくほうが無難かも。

 七都は、何となく判断する。


「それで、その祝いの会があるのですよ。ぜひあなたにも出席していただきたいのです。そして、私と踊っていただきたい」


 ジュネスが言った。


「それ……。舞踏会ってことですか?」


 七都の質問に、ジュネスが微笑んで、大きく頷いた。

 七都は、あせる。

 舞踏会!!

 その言葉の重みと華やかすぎるイメージに、床の下に沈んで行きそうになる。


「そそ、そんなの無理です。絶対、無理! 舞踏会なんて出たことないし、一曲しか踊れないしっ」

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