第5章 二人の使者 11
ラーディアは、小さな部屋に七都を案内した。
そこには美しい花の装飾で囲まれた大きな鏡があり、壁にはその一面に、棚や引き出しが作りつけられてあった。
化粧室のようだ。いつもは、アーデリーズが使っている部屋なのかもしれない。
キディアスとストーフィも入ってきて、扉の前に立つ。
ストーフィはキディアスの腕の中に、既にそこが定位置であるかのように、ちんまりと収まっていた。
ラーディアは、七都の髪を丁寧に梳き、上品な香りのする花の香油を塗ってくれた。
それから髪のサイドを少しすくって、くるくると巻き上げる。
そこに彼女は、虹色に輝く貝と真珠を組み合わせた髪飾りを留めつけた。
「素敵、ラーディア。人魚姫みたい」
七都は、はしゃぎたくなる気持ちを抑えて、鏡を覗き込む。
「ニンギョ……ヒメですか?」
ラーディアが困ったように、七都の言葉をあやふやに反復した。
「ナナトさまは時々、ナナトさまが来られた世界の、我々には意味不明なことをおっしゃられますから」
ストーフィを抱いたまま、七都の様子を後ろから眺めていたキディアスが解説する。
「まあ。そうなのですね。ああ、そうそう。この髪飾りも、それから首飾りも、水の都から取り寄せたものなのですよ」
ラーディアが、キディアスのほうを振り返り、微笑んで言った。
「水の都?」
七都は、鏡の中に映っているキディアスを思わず見つめる。
「キディアス。水の都って、名前の通り、水というか、海があるの? で、真珠の養殖やってたり、お魚が泳いでたりするの?」
「確かに海はありますが、真珠も作っておりませんし、魚も泳いでおりません。一部の区画を、個人が趣味や研究として、そういうふうに使ってはおりますが」
鏡の中のキディアスが答えた。
「なんだ。え、じゃあ、この真珠はどこから……?」
「別の世界ですよ。魔神族の宝石は、すべて別の世界から持ち込まれたものです。さまざまな世界へ訪れる魔神族は、そこに存在する、あらゆる美しい宝石を集めてくるのです」
「だから人間は、その宝石をほしがるの」
「そういうことですね。人間と取引をするためにも、そのような宝石は、とても重要です」
「取引。アヌヴィムか……」
魔法ではなく、宝石を得る代償として、彼らは魔神族に自分の生体エネルギーを与えるんだ……。
そういうアヌヴィムもいる。あるいは、魔法でも宝石でもなく、武器を得る代償として。
ゼフィーアだったろうか、そんな説明をしてくれたのは。
「アヌヴィムだけではなく、いろんな取引に使えますからね。外部の人間の世界にも、魔神族が必要なものはあります。アヌヴィムの食料や衣料を揃えるためにも必要ですし、彼らの世話をする下男下女にも賃金は支払わねばなりません」
キディアスが言った。
「つまり、お金の代わりなんだ」
「そうですね。人間たちは宝石を常に高い値段で買ってくれます。ゆえに魔神族は、人間のお金には困りません。もちろん魔神族間でも、宝石の取引は頻繁に行われますしね」
それからキディアスは、鏡に映る七都の髪飾りをじっと観察した。
「案外その真珠は、ナナトさまが来られた世界から持ち込まれたものかもしれませんね。真珠の産地は限られていますから」
七都は、落ち着いたやわらかい光を放つ、その宝石を眺める。
そんなふうに言われると、妙な懐かしさを感じてしまう。
真珠……。月のしずく。人魚の涙。
なんてしっとりした、魅了される輝きなのだろう。
そういえば、果林さんの誕生石は真珠で、七都の父からプレゼントされたという真珠のブローチを、大切にしていた。
「わたしの世界から来たものだったら、とても嬉しい……」
七都は、呟く。
「でも、ナナトさまの額には、真珠よりももっと貴重なものが、また増えていますね」
ラーディアが、七都の額を遠慮がちに眺める。
「あ……」
七都は、額を押さえる。
「ジエルフォートさまの口づけの印……」
「いただいたのですか?」
キディアスが、溜め息をつく。
「うん。なんか、どさくさに紛れてもらったって感じだけど」
「すばらしいですね。四つ目ですか。しかし、シルヴェリスさまが気になさらないとよろしいのですが」
「気にするかも。彼、エルフルドさまの印も気になってたみたいだし」
「では、私がうまく説明しておきましょう」
キディアスが、にっこりと笑った。
七都は、鏡の中のキディアスの笑顔を見つめた。
カーラジルトとキディアス……。
二人とも同じ頃に出会って、同じ伯爵さまで、同じようにクールなんだけど。
カーラジルトは、笑わない。でも、キディアスは笑う。
時々ブキミっぽく、冷たく笑うけど、でも男の子のようにも笑う。とても魅力的に。
そこが違ってる……。
カーラジルト。わたしの化け猫さん。
いつかわたしに笑ってくれるかな。
七都は、もう一人の伯爵の、翡翠色の瞳を思い出す。
「ところで、あの使者は誰ですか? もうひとりが『あの方』だとするならば、残りのおひとかたは?」
キディアスが、いきなり笑顔を消滅させ、問い詰めるように七都に訪ねた。
「さあ……? まだ会ってないから」
「お部屋におられる方は、とても素敵な方ですよ」
ラーディアが言った。頬を赤らめている。
「そのようですね。侍女たちが、何やら騒いでいるようでしたから。彼は、ナナトさまのことを知っているとか。で、誰ですか?」
キディアスが、じろりと七都を見た。
「知らないってば。魔神族にそんな知り合いなんていないもの」
「でしょうね。ナナトさまがご存知の魔神族は、それほどいないはずです」
だって、キディアス。あなた、わたしをストーカーしてたもんね。
わたし自身よりそういうこと、よく知ってたりして。
身支度が終わった七都は、鏡の前から立ち上がる。
「では、ご案内致しますわ」
ラーディアが、化粧室の扉を開けた。
キディアスがストーフィを抱いたまま、黙ってさりげなく、手を差し出す。
七都はその黒い手袋の上に、自分の手を乗せた。
「どこで会うの? 謁見の間とか?」
七都が訊ねると、ラーディアがおかしそうに笑う。
「この屋敷には、そういう堅苦しいものはありませんよ。お城にはありますけれどね」
「ナナトさま。ここは、民家ですよ」
キディアスが、あきれたように言う。
ミンカって。ここが?
ここが民家なら、サイズ的には、うちはさしずめ鳥かごだ。
思わず、「鳥かごかぁ」と頭をかきながら苦笑している父の姿が浮かんだ。
「いちばん落ち着けそうな客間を選ばせていただきました。ナナトさまのお知り合いだそうですので、ごゆっくりくつろいで、お話をなさってください」
ラーディアが一つの扉の前で立ち止まり、手を上げる。
扉が、ひとりでに開いた。
そこは七都が使っている客間よりもさらに広い、ベージュと茶色を基調にしたシックな部屋だった。
壁には、どこかの異世界の風景らしき絵がかけられ、ガラスで出来た木のような大きなオブジェが置かれている。
中央には、深い葡萄色の椅子とテーブル。
そしてその前で、ひとりの人物が、丁寧に頭を下げていた。
白いフード付きマントの人物。
フードは下ろされ、赤銅色の豊かな髪が、渦巻くようにこぼれている。
七都はキディアスにエスコートされ、その人物の前に立った。
誰だっけ、この人。
でも、この髪の色、見覚えがある。
どこで見たんだったっけ。
「あなたが、使者さん?」
七都は、その人物に声をかけた。
「ナナト。約束を覚えていますか?」
その人物が頭を下げたまま、明るい声で訊ねる。
「え?」
「舞踏会で私と踊ってくださると。お約束いただきましたよね。踊れるようになりましたか?」
その人物が顔を上げる。
ネイビーブルーの目。薄紅色の唇。
七都に親しく微笑みかける、美しい若者。それは――。




