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第5章 二人の使者 10

「おちょくられた。子ども扱いされて、からかわれたっ……!」


 七都は、よろよろと廊下の壁にもたれかかる。

 ストーフィが気の毒そうに、だが、どことなくおもしろがっているように、七都を見上げた。


「わたし、魔王さまたちにからかわれても、平然として動じず、それでもってセンスよく返せるようになりたい……。もちろん、満面の笑みで」


 七都は、呟く。


「こんなところで、いったい何をされているのやら」


 背後から、聞き慣れたテノールの声がした。

 振り返ると、キディアスとラーディアが立っていた。

 二人は、きっちりと行儀よく座った二匹の猫のように、廊下の真ん中に並んでいる。


「あ。いえ、別に。その……」


 七都は、呼吸を整える。


「ナナトさま。おきれいですわ。真珠がよくお似合いになって……」


 ラーディアが嬉しそうに、そして、うっとりとして言った。


「ラーディア。ごめんね。相当心配かけたよね」


 七都が手を取ると、彼女は、はにかむ。それから彼女は、きりりとした女官の顔になった。


「ナナトさま。光の都からの使者の方々がおいでです。ナナトさまに面会したいとのことなのですが……」

「うん。聞いた。会うよ」

「しかし今、使者は一人しかいませんよ。二人来たはずなのに」


 キディアスが、少し腹立たしげに言う。


「もう一人は、この屋敷の中を散策に出かけたとか。全く、どういう使者なんだか。常軌を逸している」

「キディアス。ジエルフォートさまだよ」


 七都はキディアスに近づいて、ささやいた。ラーディアに聞こえないように。

 ジエルフォートは正体を隠してここに来ているのだから、もちろん、彼女にはばれないようにしなければならない。


「はい?」


 彼は、冬の海の暗いブルーの目で七都を見下ろす。


「もう一人の使者は、ジエルフォートさまなの!」

「……!!」


 キディアスは、大きく目を見開いて、絶句した。


「使者の方々には、アーデリーズさまもご一緒に会われるとのことです。ところで、アーデリーズさまは、まだナナトさまのお部屋に?」


 何も知らないラーディアが、訊ねる。


「え。ああ、うん。わたしの部屋にいるんだけどね……」


「では、お呼びして、お召しかえを」


 ラーディアが、七都の部屋の扉を開けようとする。


「ああっ、入っちゃだめ!!!」


 七都は慌てて、彼女を止めた。

 もちろん、今、彼女を部屋の中に入れるわけにはいかない。

 ラーディアは不思議そうに首をかしげて、七都を見る。


「えーと、その。アーデリーズ、今、眠っているの。そっとしておいてあげて」


 七都は言ってしまってから、後悔する。

 もっとましな説明理由を思いつけなかったのだろうか。

 自分の頭をごん、と思いっきり殴りたい気分だった。


「椅子に座ったまま、眠っておられるのでしょう? 先程、そうされると言っておられました。このままここで少し眠ると。でも、ナナトさまがお目覚めになったら起こすようにと言われておりますので」


 ラーディアは、扉に手を伸ばす。


「だめえっ!!!」


 七都は叫んだ。絶叫に近かった。


 ラーディアは、ますます不思議そうな顔をする。

 どうしよう。

 七都は、迷う。

 本当のことを言うべきなのだろうか。

 ラーディアには、耳に入れておいたほうがいいのかもしれない。彼女はこの屋敷を仕切っている女官なのだ。

 実は、散策に出かけたもう一人の使者は光の魔王ジエルフォートで、今、扉の向こうでアーデリーズと対面していると。

 本当は、『対面』なんてものではないのだけれど。


「ああ、そうですね。エルフルドさまは、そっとしてさしあげたほうがよろしいですよ」


 七都の様子を観察していたキディアスが、横から割り込んで、ラーディアに言った。


「今は、恋人との逢瀬を楽しんでおられるようですから」

「まあ、恋人と? そうなのですか?」


 ラーディアが頬を染め、はずむような声で言った。

 そうだ。エルフルドには、好きな人がいる。

 それは、地の魔貴族の令嬢たちの周知の事実。たとえその相手が誰であるか知らなくても。

 つまり、キディアスの短くて簡潔な言葉は、彼女を納得させるには十分だった。

 さすがはキディアス。

 もちろん彼は、慌てふためく七都から、部屋の中の状況を把握したのだ。

 七都がキディアスに笑いかけると、キディアスは、真面目でクールな顔をして頷いた。


「では、ナナトさまのお部屋には、当分誰も入らないように命令しておきますわ。ああ、アーデリーズさまの恋人ってどなたなんでしょうね。とても知りたいです」


 ラーディアが、うきうきして言った。


「近々わかると思うよ」


 七都は、呟く。

 電撃結婚ってことになるのかな、エルフルドさま。

 地の都全体がびっくりするよ。そのお相手にも、当然みんなびっくりだ。


「……ってことで、わたしだけで、その使者さんに会うから」


 七都が言うとラーディアは、夢見る少女から、しっかり者の女官に変身する。彼女は、ざっと七都を眺めてチェックし、そして言った。


「おぐしが少し乱れておられますね。すぐに整えましょう。こちらへ」

「うん、お願い。あ、キディアスも面会に同席してくれる?」

「もちろんです」


 ストーフィが、キディアスのマントの裾を軽く引っ張った。

 じろりとストーフィを見下ろす彼の目が、ストーフィのまんまるい目と合う。

 キディアスは軽く溜め息をつき、ほら、来いという感じで、ストーフィの手を無造作につかんだ。

 ストーフィは満足げに、キディアスの手にゆったりとぶらさがる。


「どうやらこの機械猫も、同席したいらしいですね」


 七都は、後ろを振り向いた。そして、片手でストーフィを荷物のように下げているキディアスをじっと眺める。


「キディアス。ストーフィを抱っこしてみて」


 七都が言うと、彼はすぐにリクエストに答えてくれた。

 だが、ストーフィを胸に移動させたキディアスを見て、七都は額に手を置く。


「やっぱり、ぜんっぜん似合わない……」

「はい?」


 キディアスが、眉を寄せた。


「いえ、何でもない」

「ナナトさま。なぜお部屋から出てしまわれたのですか?」


 キディアスが、眉をひそめたまま、言った。


「え?」

「お二人に、中にいることを許していただいたのでしょう?」


 七都は、はははっと乾いた声で笑った。


「遠慮するのが礼儀ってもんでしょう。何を言ってるんだか、キディアス」

「せっかくの機会に背を向けてしまわれたのですね。もったいないことを」


 七都は、キディアスを睨んだ。


「その感覚が謎だ。は? もったいない?」

「知識を得られる機会は、生かさなければなりませんよ」

「あれは、おちょくりだ。わたし、からかわれたの、魔王さまたちに」

「はずかしかったので、ごまかされたんですよ。まだ成人されていない方々には、教える義務がありますからね、我々年長者は」

「け、結構です。まだまだ早いです」

「早くはないですよ。では、ナナトさまが来られた世界では、そういうことはどなたが教えてくれるのですか? コウコウとやらですか? それともご家庭で?」


 キディアスが質問する。


「両方とも、きちんとは教えてくれない。明らかに避けてる」

「では、どこで?」

「大人になるに従って、自然に覚えるものらしいよ」


 どこかで聞いた無難な答えを記憶の中から探してきて、七都は口にした。


「自然に? ほおお。それはまた、便利な世界ですね」


 キディアスが言った。

 たぶん、それは自然じゃない。

 その表現は、堅物の大人が責任逃れをするためと、決まり悪さを取り繕うための言い訳だ。

 入ってくる知識は、今のところ、ませた友達のわけ知り顔な過激な話。

 もちろんその多くは、七都には意味のわからないことも多い。

 その友達が得た知識は、付き合っている年上の彼氏から。

 その彼氏の知識は、おそらく商業的な成人向けの媒体からということになるのだろう。

 しかも、その多くは、男性側から見た、歪められたもの。

 となると魔神族は、それに比べると、はるかに真摯で健全なのかもしれない。


「シルヴェリスさまも、まだお若いですからね。お二人とも、困られることになりませんか?」


 相変わらず、どこまでもクールなキディアスが言った。


「なんで相手がナイジェルって決めるんだよ」


 七都は、口をとがらせる。


「では、他にどなたがナナトさまのお相手だと? 元の世界の人間の男ですか?」


 キディアスが、おもいっきり眉をしかめた。そんなの決して許しませんよ、という表情だった。


「とにかくね、誰かに自分のことを決められたくないの。わたしのことは、わたしが決める」

「結構ですね。それでこそナナトさまです」

 キディアスが頷いた。


 先に立って歩いていたラーディアが、振り返る。

 彼女とは、かなり距離が離れてしまっていた。


「あ、ごめんね。すぐに行くから」


 七都は、小走りに彼女を追いかけようとする。


「ナナトさま。姫君はこういうところで、そういうふうに走ってはなりません」


 七都の後ろで、ストーフィを抱きしめたまま悠然と歩くキディアスが、注意する。 

 もちろん彼とストーフィは、七都が何度眺めても、ストーフィの銀色の無機的な材質以外、全然マッチはしていなかったのだった。

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