第5章 二人の使者 9
「こちらに初めて来たご褒美に、抱きしめてくれる? アーデリーズ?」
彼女の冷たい視線に動じずに、ジエルフォートが微笑んだ。
「冗談でしょ。スウェン。あなたは、もう……。なんでまた、勝手にこちらに来ちゃうわけ? 私の了解も得ずに。扉のこちら側は、私、地の魔王エルフルドの領域なのよ。しかも正体を隠して来たんでしょ、その格好は」
「ジエルフォートとしてこちらに来ると、いろいろと面倒だからね」
ジエルフォートはアーデリーズの後ろに立った。
そしてアーデリーズの背中から、そっと両手を回す。包み込むように。
七都は、二人から離れた。
ジエルフォートさま、うまくやってね。そう願いながら。
「何の真似よ、これは?」
アーデリーズは、自分の肩に回されたジエルフォートの腕を見下ろした。
「きみが抱きしめてくれないから、私のほうから抱きしめることにした」
「は? いつもの挨拶なら、してあげるわよ」
「挨拶じゃない。ナナトに言われたんだ。きみを抱きしめてみたらって」
「あなたは……。ナナトに言われたから、こういうことをするの」
アーデリーズが眉を寄せる。どこか悲しげに。
「それは単なるきっかけだよ。前からこうしたいと思っていたさ」
ジエルフォートは、アーデリーズを強く抱きしめた。
七都は一瞬、アーデリーズがジエルフォートを張り倒したらどうしようかと思ったが、その心配はいらなかった。
アーデリーズは目を閉じ、そのままジエルフォートに体を預けるようにして、抱きしめられていた。
「スウェン。あなたは……。機械とか仕事にしか興味がないのかと思ってた……」
アーデリーズが呟く。
「いつもきみを見ていたよ。初めて会ったときから、ずっと。あぶなっかしいきみを、はらはらしながら、ずっと見ていた」
「スウェン……」
交わされる、口づけ。
それは、エディシルを食べ合う魔神族の軽い挨拶ではなく、恋人同士の口づけだった。
七都は、二人に見惚れる。
なんて美しいんだろう。今まで見た映画やテレビの映像の、どんなシーンよりもきれいだ。
二人の美貌の魔王たち。その二人が口づけを交わし合っている。
それだけではなく、彼らは、彼らの周囲の空間にも影響を及ぼしていた。
ジエルフォートは白。アーデリーズは金色。
オーラのような揺らめく光の色が、七都には見えた。
それらが二人を取り巻いて、交じり合う。彼らを引き立たせるように。
そして、互いを思う心が、そばにいる七都にも伝わってくる。
とても大切に思っている。相手へのその深い気持ち。
それは穏やかでもあり、激しくもあった。
やがて二人は抱き合ったまま、ごく自然に横たわる。
この二人は、このまま結ばれるだろう。
七都は彼らに見惚れながら、ぼんやりと思った。
その時、誰かが七都のドレスの裾をくいと引いた。
見下ろすと、ストーフィの丸い目と視線が合う。
「え? あ、そうか」
七都は、はっと我に返った。
そうだ。もちろん、こういう場合は遠慮しなければ。
いくら額に印を付けてくれたからといって、今のこの二人にとって、七都がここにいること自体が邪魔になるに決まっている。
わたしったら、何をじっと見ているんだろう。
七都は顔を赤らめた。
そしてストーフィを抱き上げ、部屋から出て行こうとしたのだが――。
何かにつまずいて、七都は派手に床に転んでしまう。
「ぎゃっ!!」
小さく叫んで、七都は上半身を起こした。
ストーフィは、七都がこけた拍子にはじけ飛んだが、見事なくらいにきれいに前転して、起き上がっていた。
何につまずいたんだろう?
足を何かにつかまれたような気がしたのだが。
床にたたきつけられるように、ぶざまに転んでしまった。
早くここから出ていかなければならないのに。
なにげなく自分の足元を見た七都は、ぎょっとする。
七都の足首に、白くてしなやかな手が、しっかりと絡まっていた。
アーデリーズの手だった。
「え……?」
アーデリーズが、七都を見上げていた。首筋にジエルフォートの口づけを受けながら。
明らかに七都の反応をおもしろがっているような表情が、その金の目にはあった。
「アーデリーズっ!!」
「あら、ナナト。別に出て行かなくてもいいわよ。なに気を使ってるの。ここは、あなたのために用意した部屋なんだからね。あなたがこの部屋の主なのよ」
アーデリーズが言う。
彼女の手は、がっちりと七都の右足をつかんでいた。
身動きもできないくらいに、強い力で固定されている。
「ちょ、ちょっと、アーデリーズ!!」
七都はアーデリーズの手を引き離そうとしたが、さらに彼女の手は七都の足首にくいこんだ。
出て行かなくてもいいって。
いったいどういう意味だよ?
「そこで座って、見ていたら?」
アーデリーズが、にやっと笑った。
「あなたも、恋人が出来たり結婚したりしたら、しなきゃならないことなんだから。しっかり見ときなさいよ」
ななななんてことを言うんだ、この人はっ!!!
七都は、助けを求めるようにジエルフォートに訴えた。
「ジエルフォートさまっ、アーデリーズがこんなことを言うっ!!!」
ジエルフォートが、口づけを中止して、七都を見上げる。
だが、彼のムーンストーンの目にはいたずらっぽい光が宿り、口元にはアーデリーズと同じような笑みが浮かんでいた。
「おや。私も一向に構わないよ。後学のために見ていたらいい。ナナトは、異性に告白したことがないようだからね。当然、こういうことのやり方も知らないだろう?」
そう言うなりジエルフォートは、アーデリーズへの口づけを再開した。さっきより激しくなっている。
信じられない。
かあっと顔が熱くなる。
どういう感覚をしてるんだ、この人たちはっ。
理解不能だっ。
「結構です、まだ早いですっ! 邪魔者は消えますっ! お二人だけでごゆっくり、お過ごしくださいっ!!」
「あなたもゆっくり過ごしたら? ここで、私たちと一緒に」
アーデリーズが言う。
相変わらず口元には笑いが浮かんでいたが、やがてそれは、恍惚としたものに変わっていく。
七都は、扉のほうを向いた。
「そ、そうそう、わたし、ジエルフォートさまの幼なじみさんとやらに会わなければっ。ずっと待っててくれてるみたいですから。だからね、アーデリーズ。はなして。はなしてってば!!!」
アーデリーズがいきなり手を広げ、七都を開放する。
「あっ……!」
七都はそのはずみで、再び床に転倒してしまった。
だが、今度は素早く起き上がる。もう足は自由だ。
ストーフィが、扉を開けてくれていた。
七都は、その隙間から廊下へ走り出る。
勢いよく扉が閉まったあと、アーデリーズとジエルフォートは見つめあい、微笑みあった。
「だめじゃないか、コドモをからかっちゃあ、エルフルドさま。ナナト、もうほとんど泣きそうだったぞ」
ジエルフォートが、笑いながら言う。
「あなたこそ、ジエルフォートさま。いい加減にしなさい」
そして二人は遠慮なく、長い口づけをかわし合った。




