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第5章 二人の使者 6

(今の笑い方って……)


 七都は鏡を放り出して、上半身を起こす。


 白い影――。

 それは、真っ白のフード付きマントをまとった、背の高い人物だった。

 透き通ってはいない。やはり、そこに現実に存在しているものだ。

 眠っているアーデリーズを眺めて、少し首をかしげるようなポーズ。

 フードの中からは、雪と氷で出来たような白い髪が、ふわりとこぼれ出ていた。

 その人物は、ゆっくりと眠っているアーデリーズに接近して行く。


「ジエルフォートさまっ!!!」


 七都が叫ぶと、白いマントの人物は、驚いたときの猫のように飛び上がった。


「な、なんだ。起きていたのか」


 振り返ったその人物は、七都がよく知っている人だった。

 ジエルフォート。

 アーデリーズが『スウェン』と本名で呼んでいる、白い髪の光の魔王。

 ジエルフォートはフードを取り、逆立った髪を丁寧に撫で付けた。

 七都は、会釈する。ベッドの上なので、あまり本格的には出来なかったが。

 もっとも、まだ正式なお辞儀の仕方はキディアスに習っていないので、実は会釈みたいなものしかできない。


「ジエルフォートさま。あの扉を通って、地の都に来られたんですね?」


 七都が訊ねると、彼は頷いた。


「初めてこちらに来た。アーデリーズには断るようなことを言ってしまったが、きみのことが気になったしね」

「ありがとうございます」


 七都は、再び頭を下げる。


「だが、私がこちらに来るとなると、何かと騒ぎになるのでね。たまたま幼なじみが訪ねてきたので、協力してもらった。ジエルフォートの使者として……ただの魔貴族として、こちらに来たってわけ」

「お忍びってことですか……」


 七都は呟く。

 ジエルフォートは、にっこりと笑った。


「楽しかったよ。今もちょっと、この屋敷の中を散策してきたところ」

「でも、あのう。エルフルドさまに知られたら、怒られるんじゃ……」

「たぶんね」


 彼は、あっさりと認める。


「エルフルドさま、よく眠っておられますね」


 七都は、アーデリーズを見つめる。

 彼女は深く眠っているようだった。ジエルフォートの気配にも、七都たちの会話にも全く気づいていない。


「ずっときみのことを心配していたからね。きみが水槽の中にいる間、ほとんど眠っていなかった。安心したんだろう」

「そうなんですか……」


 ごめんなさい、アーデリーズ。心配かけて。

 きっと自分のせいでわたしが大量出血したって思ったんだよね。

 七都は、眠っている彼女にあやまった。


「ナナト。気分は?」


 ジエルフォートが七都に訊ねる。


「とてもいいです。なんだか、生まれ変わったような気分です」

「そう。それはよかった」


 けれども、ジエルフォートは眉を寄せる。


「ナナト。確かに今のきみは、エディシルに満たされて美しい。気分もいいだろう。空腹感もまだないはずだ。だが、それはいつまでも持たないよ。きみはエディシルを取ることを拒否しているらしいが、そういうことを続けていてはいけない」

「やっぱり、カトゥースとか蝶ではだめってことですよね」

「ああいうものはね……」

「わかってます。お菓子とかデザートみたいなものだってこと」


 ジエルフォートは、大きく頷いた。


「長い間そういうものでごまかしていると、どういうことになるか知ってる?」


 ジエルフォートが、七都の顔を覗き込んだ。


「病気になってしまう……?」


 七都が答えると、彼は首を振った。


「きみの体は、きみの意思を無視するようになる。ある日突然、暴走するんだ」

「暴走?」

「きみのその透き通った赤い眼は、闇に閉ざされる。人間やアヌヴィムはおろか、魔神族に対してさえ、エディシルを求めて襲うようになる」

「自分を見失うと……?」


 イデュアルのように?

 風の都を壊滅させたという、何代か前のリュシフィンのように?

 七都は、穏やかな、けれども真剣な眼差しのジエルフォートの目を見つめた。


「きみは魔力が強いようだからね、風の姫君。きみが暴走して、そのまま元に戻らなかったら、とてもやっかいなことになる。我々魔王は、それなりの対応をしなきゃならなくなるんだよ。たとえきみが、別の一族の姫君でも。たとえリュシフィンがどんなにきみをかばっても……」

「あ……」


 あの石畳の処刑場。

 魔神族が魔神族を処刑するための、あの場所。

 あの恐ろしい石の椅子を七都は思い出す。


「処刑されてしまうんですね。イデュアルみたいに……。わたしは太陽には溶けないから、きっと別の方法で……」


 ジエルフォートは七都を抱き寄せ、安心させるように頭を撫でた。


「だいじょうぶだよ。きちんと普通に食事を取っていれば、そういうことになはならない」

「きちんと食事……。わたしにはそれが無理なんです……。人間のエディシルを奪うなんて……」

「無理でも取らなきゃならないよ。アヌヴィムから、少しだけエディシルをもらうことから始めてみればいい。グリアモスでもいいけどね」


 アヌヴィム……。シャルディン? セレウス?

 グリアモス……。ナチグロ=ロビン? カーラジルト?

 彼らからエディシルをもらわなきゃならないの?

 彼らの生体エネルギーを常食にするの?

 そんなの、そんなの……。

 やっぱり、無理かもしれない、ジエルフォートさま……。

 七都は、うなだれる。


「ところで、私の幼なじみが、きみに面会を求めているんだけどね。会ってみるかい、姫君?」


 ジエルフォートは、話題を変えた。


「面会? ジエルフォートさまの幼なじみ……ですか? わたし、光の都に知り合いはいませんが……」

「向こうはきみを知ってるみたいだけどね」


 ジエルフォートは、七都に手を差し出した。


「隣の居間で話をしよう。アーデリーズを起こしてしまうから」

「そうですね」


 七都は、ジエルフォートの手に自分の手を乗せた。

 ジエルフォートは七都の手を包み込み、やさしくベッドから起こしてくれる。

 やっぱり、ジエルフォートさま、いい人だよね。

 ちょっとおっかなくて危ないマッドサイエンティストなんて思ってたけど。

 本当に魔王さまって、素敵な人ばかりだ。

 ナイジェルもアーデリーズも、ジエルフォートさまも……。

 七都は、ジエルフォートにエスコートされながら、改めて思った。

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