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第1章 砂の中の猫 5

 七都は、深々と一礼した。そして、くるりと向きを変えて、歩き出す。

 だが、一歩踏み出した途端、七都の体は何か硬いものに押し付けられた。

 ラベンダーの空が、ふわっと目の前で流れるように移動する。

 七都の足の下に、あの白い椅子があった。

 はっと顔を上げると、お茶会のメンバーが今までよりも高い位置から、そしてとても近い距離から七都を眺めている。

 七都は、強制的に席につかされていた。


「まあ、世話の焼けること」


 貴婦人がにっこりと、とろけるような笑みを浮かべて、言った。

 両隣の男性二人も、さわやかすぎる笑顔を七都に投げかけてくる。

 グリアモスとストーフィたちも、ほっとしたような様子を見せていた。七都の錯覚かもしれなかったが。

 だが貴婦人のその微笑みは、たちまち消滅し、険しい顔立ちになった。

 赤味がかった金の目が、きらっと光る。


「無視するにも程があってよ」


 彼女が、少し怒ったように言った。

 すると、この一連の『妙なもの』は彼女の仕業なのか?

 消えては現れる猫ロボットもグリアモスも円盤も、そしてこのお茶会も?


(そっちこそ、おちょくるにもほどがあるけど)


 七都は、透明な赤紫の目で、貴婦人を見つめ返した。

 また、その場の空気が凍り付いている。


「思いがけない親切は、素直に受けるものよ」


 貴婦人が言った。そして彼女は、七都を見てくすっと笑う。


「ま、こわい顔。そういう顔もかわいいけどね。別に取って食べようなんて思ってないわよ」


 グリアモスが、カップにカトゥースのお茶を注いだ。

 熱い湯気とコーヒーの香りが、七都の鼻孔をくすぐる。

 ラベンダーの空を映した銀の腕が、七都の前に伸びた。グリアモスは、白い陶器のカップを七都の前に静かに置く。


「ありがとう……」


 七都は、彼にお礼を言った。

 グリアモスは無表情だったが、その薄青い銀の目と針の瞳は、あたたかい眼差しだった。


「さ、召し上がれ。言っとくけど、毒は入ってないわよ」


 貴婦人が言う。

 七都は、両手で熱いカップを包み込んだ。

 そのあたたかさと香りは、気持ちをリラックスさせる。

 喉がからからに渇いていることに、七都は改めて気づいた。

 もちろん元の世界の体とは多少違ってはいたが、そんな感覚だった。

 体がこの飲み物を欲しがっている。ともあれ、それは確実だ。

 七都はカップに唇をつけ、あっという間にカトゥースを飲み干した。

 空になったカップを見て、魔貴族たちはあきれたような笑顔を七都に向ける。

 だが、そのことで、お茶会の空気は随分なごんだようだった。


「もう一杯、いかが?」


 貴婦人が訊ねた。


「……いただきます」


 七都が遠慮がちに答えると、グリアモスが二杯目のお茶を注いでくれる。

 七都は二杯目のお茶を、今度はゆっくりと味わって、半分ぐらいまで飲んだ。

 久しぶりに摂取したエディシルが、じんわりと体の隅々――爪の先にまで巡っていくようだった。


「風の魔神族ね……」


 貴婦人が呟いた。


「やっと捕まえたわ。いつも風の魔神族は無視して行ってしまうもの。ストーフィを見た途端、いきなり消えるとか、白いグリアモスに化けて一目散に走り去る、とかね」


 白いグリアモス……。それ、たぶんカーラジルトのことだ。

 けれども、やっぱり、このお茶会に参加してはいけなかったのではないのだろうか。他の風の魔神族のみんなが無視しているのだとするなら。

 七都は、少し後悔する。

 とはいえ、カトゥースのお茶はおいしかったし、毒も入っていなかった。

 単に親切に基づいた、魔貴族の暇つぶしとかなのかもしれない。


「アーデリーズさま。このお嬢さんは……」


 銀の髪と月の目をした魔貴族が、七都の額をじっと見つめながら、何かを言いかける。

 『アーデリーズ』と呼ばれたその貴婦人は、わかってるわよというふうに、軽く彼を睨んだ。

 どうやらこの魔貴族たちは、七都の額の印に気づいているようだった。当然その意味もわかっているのだろう。

 だとすると、妙なことは仕掛けてこないに違いない。

 七都は、額に口づけの印を残してくれた二人の魔王に感謝する。


「風の都に行くの? たった一人でこの砂漠を越えて? リュシフィンさまは、迎えに来ては下さらないの?」


 彼女が七都に訊ねる。

 七都は、頷いた。


「一人で来るように言われています」


 アーデリーズは、ふっと溜め息をつく。


「それが風の魔神族のやり方なのかしらね。まあ、わけもわからず、別の世界から無理やり連れて来られて、気がついたら風の城の中、なんてことよりましかしらねえ」

「え?」


 七都は、真正面の席に座っているアーデリーズを思わず見つめた。

 この人、私が別の世界から来たってこと、知ってる?


「あなた、人間の血を引いてるわね」


 アーデリーズが言った。オレンジに近い金の目が、じっくりと観察するように七都に注がれる。


「父が別の世界の人間です」


 七都が言うと、魔貴族の男性たちが、ほほう、という感じで七都を眺める。

 グリアモスと猫ロボットも、同じように七都を注視した。

 全員にしげしげと見つめられて、七都はまた固まりそうになる。


「エルフルドさまと同じということですね」


 羽根のような銀白の髪をした魔貴族がにこやかに言ったが、すぐにアーデリーズに睨まれて、ばつが悪そうに黙ってしまう。


「あなたがたは、地の魔神族ですか?」


 七都は、アーデリーズに訊ねた。


「そうよ、風の魔神族のお姫さま。どうぞお見知りおきを。私はアーデリーズ。それから、グランディール卿に、エクト卿」


 月の目の魔貴族と羽根の髪の魔貴族は微笑んで、七都に軽く会釈した。七都も頭を下げる。


「わたしは、ナナトです」

「ナナト? 変わった名前だこと」

「あの……。平気なんですか?」


 七都が訊ねると、アーデリーズは訝しげな表情をする。


「何が?」

「太陽です。地の魔神族って、魔神族の中で太陽がいちばん苦手だって聞いたんですが」

「魔の領域は、太陽から守られているわ。中にいる限り、だいじょうぶ。そう認識しているのは、他の魔神族と全く同じよ。ただ、精神的なものかしらね、苦手っていうのは」

「精神的なもの?」

「昔……。遠いはるかな昔のことだけどね。魔神族がこの世界にやってきた頃の、とても古い話よ。ここで大きな事故が起こったの。その時、とてもたくさんの地の魔神族が命を失った。太陽に焼かれてね。それ以来ここは砂漠となり、地の魔神族も闇の中に暮らすようになったわ。地の魔神族にとって、太陽は忌むべきもの。忌むべきものの下には、基本的には出ない。たとえ魔の領域の中であろうとね。太陽が苦手だと思われてるのは、そういうことね」

「あ、じゃあ、さっき大きな石碑みたいなのを通り過ぎて来たんですが、あれはやっぱりその事故の……?」

「そう。慰霊碑。事故を忘れないために……」


 アーデリーズが静かに答える。

 その事故は、魔王さまが起こしたのだろうか。風の都のように? 七都は、ふと思う。


「刻まれている文字は名前ですよね? わたしには読めませんが」


 七都が訊ねると、アーデリーズは頷いた。だが、どこか寂しそうな、残念そうな顔をする。


「たぶんね。でも、古い古い文字だわ。私たちにも読めない。学者くらいでしょうね、わかるのは」


 アーデリーズが、お茶のカップに口をつける。


 沈黙――。


 グランディール卿もエクト卿も、喋らない。

 もちろん、グリアモスもストーフィたちも。

 アーデリーズは、カトゥースのお茶を一口飲んだあとも、やはり黙ったままだった。

 何となく、気まずい。何か話題はないだろうか。

 七都は、イデュアルのことを思い出す。

 そうだ。この三人、地の魔貴族なら、イデュアルを知っているに違いない。

 イデュアルのことはあまり知らなくても、彼女の父親のことは知っているだろう。公爵だったのだし。しかも、魔王さまの側近だ。

 七都は、左手を見下ろした。

 イデュアルにもらった指輪は、今七都の指にははめられていない。ポケットの中だった。

 砂漠を旅するうちになくしてしまってはいけないので、ポケットにしまったのだ。

 あの指輪を取り出して、イデュアルのことを聞いてみたら……?

 だけど、やっぱりだめだ。彼女のことは話題にはしないほうがいい。

 七都は思い直す。

 地の魔貴族の間では、イデュアルとその家族のことはタブーになっているかもしれない。イデュアルは地の魔神族にとっては、逃走した死刑囚であることに間違いはないのだから。

 だとしたら、指輪がトラブルの元にならないとは限らなかった。

 公爵家の指輪を持っていることで、変な疑いをかけられるかもしれない。


「あのう。何で旅人に、そのう……この猫さんたちを差し向けて、気を引こうとするんです?」


 七都は、別のことをアーデリーズに訊ねてみる。もちろん、それもぶつけてみたかった質問だ。

 本当は、<何でわたしたちをおちょくるんですか?>と憤慨気味に言いたいところなのだが、出来るだけやわらかい表現を七都は選んだ。

 グリアモスと猫ロボットは、『この猫さんたち』と七都が口にしたところで、いっせいに七都のほうを向く。


「気が紛れるでしょ? こんな何もない砂の地を渡って行くのだもの。退屈かと思って」


 アーデリーズが答えた。

 正直に、<気が紛れるというより、不気味なんです>とか、<うっとうしいから、よけいなお世話です>なんて言ったら、彼女はやっぱり怒るのだろうな。

 七都は思ったが、もちろんそういうことは黙っておく。せっかくなごみかけているお茶会の雰囲気をぶち壊す必要はない。


「でも、おもしろいからっていうのが、いちばんの理由かしら」


 アーデリーズが言った。


「おもしろい……ですか」

「旅人たちをからかうのがね。こちらをすごく気にしているくせに、ムキになって無視し続けようとするのだもの。その取り繕う態度がおもしろいわ」


(やっぱり、おちょくられてたんだ……)


 七都は、溜め息をつきたくなった。


「ナナト、そのお菓子を召し上がれ」


 アーデリーズが、微笑みながら言う。

 彼女の機嫌は、さっきよりは確かによくなっていた。

 ぎこちなくこわばったような微笑みが、やわらかい自然なものに変化している。七都のことを気に入ったのかもしれない。

 二人の男性魔貴族の態度からも、緊張感はある程度なくなっていた。それでも、ぴんと張り詰めたような何かが、二人には共通して存在していたが。

 グリアモスが七都の前に、焼き菓子が乗せられた皿を置く。

 ケーキをパイで包んだようなお菓子だった。こんがりとした焼き目がおいしそうだ。

 だが、見た目に反して、その香りはあまり魅力的ではなかった。

 何だろう、この不快感は……。

 七都は、そのキツネ色のお菓子を見下ろした。

 でもこれ、魔神族の食べ物だよね。

 魔の領域の外では、カトゥースぐらいしか摂取出来ないとしても、中ではいろんな食べ物があるに違いないもの。

 

「それにも、もちろん、毒なんか入ってないから。アヌヴィムが焼いていたのをもらってきたの」


 アーデリーズが、ためらっている七都に言う。

 七都は、少し変わった形のフォークを握りしめ、その焼き菓子を切って、突き刺した。

 そして、それをぱくりと一気に頬張る。


「う……!!!」

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