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第5章 二人の使者 2

 ラーディアは、扉に鍵をかけて閉ざし、そばにいた侍女を振り返る。


「さ。行きましょう。また明日の今頃、鍵を開けに来なければならないわ」


 侍女は頷いて、半透明の薄紅色をした鍵を受け取った。

 鍵は花の形をしていて、若い貴婦人が身につける装飾品のようにも見える。


 二人は、ずらりと並んだ同じ黒い扉を、改めて眺めた。

 その扉の一つを開いて、今しがた、アヌヴィムの一団が中に入って行ったところだった。

 アヌヴィムたちは食料や衣服など、生活に必要な物を確保する必要があるため、定期的に魔の領域の外に出かけていた。

 その扉が人間たちの住むどのあたりに通じているのか、ラーディアは知らない。知る必要もないことだ。

 自分は一生、この魔の領域から出ることがなくてもいい。ラーディアはそう思っている。

 魔の領域から出て太陽の直接の光にさらされると、一瞬にして体が灰となり、溶けてしまう――。

 幼い頃から、何度も大人たちから繰り返し聞かされた、気のめいる恐ろしい話……。

 そんな危険を冒してまで、外に出たいとは思わなかった。

 アヌヴィムたちは、一日たったら、また扉を通って帰ってくる。それまで扉には鍵がかけられる。

 ラーディアは、その扉の鍵の管理を任されているのだ。


 黒い扉は、廊下を挟んで両側に同じ間隔で続いていた。

 アヌヴィムたちが使うのは、その中のただ一つの扉。ラーディアが仕事として鍵をかけたり開けたりするのも、その扉だけだった。

 残りの扉は、すべてアーデリーズが自分専用に使っている。

 アーデリーズは、時々扉を開けて、散歩に出かけていた。

 扉の多くは、魔の領域のどこかではなく、人間たちの住む外部の世界に繋がっているらしい。

 アーデリーズが帰るのを避けている窓のない城には、代々のエルフルドが使っていた扉が何階にも渡って、無数にあるという。アーデリーズさえその数は把握出来ていないようだった。

 けれども、異世界へと繋がる扉は、その中には存在しない。

 魔の領域の中のどこかから、直接異世界に通じる道をつくることは、大昔から禁じられているのだ。


「この扉、全部どこかに通じているのですね」


 まるで廊下の真ん中に鏡を置いたように、シンメトリーになって奥まで繰り返されている扉――。

 それらを眺めて、侍女が呟いた。


「そのほとんどが、人間が住む外側の場所よ。アーデリーズさまは大丈夫でも、私たちがもし扉を開けて、そこが昼間だったら、たちまち体が溶けてしまう」


 侍女はラーディアの言葉を聞いて、身を震わせた。


「だから、アヌヴィムが使うこの扉を除いては、すべて、常に閉ざされているわ。誰も開けられないし、誰かが扉の向こうからやってくることもないの」

「でも、ラーディアさま。鍵がかけられていない扉が、たった一つだけあると聞きます」

「ああ、それは、光の都に通じる扉よ。アーデリーズさまが頻繁に使っておられるわ。ジエルフォートさまの仕事部屋と通じているとか」

「光の魔王さまのお部屋が、扉のすぐ向こうにあるのですか!?」


 侍女が、心配そうに言った。


 ラーディアは、侍女を安心させるように微笑んだ。


「ジエルフォートさまがこちらに来ることはあり得ないって、前にアーデリーズさまがおっしゃられてたわ。そんな気など、まったくお持ちでないのですって」

「お持ちでなくて、よろしかったです……」


 侍女が、ほっとした表情を浮かべた。

 だが、彼女の顔は、たちまち凍りつく。

 何げなく眺めた、無機的に並ぶたくさんの黒い扉――その中のひとつの異変を目の当たりにして。


「どうかして?」


 ラーディアが、鋭く訊ねた。


「あ……あ……」


 侍女はただ、指差すだけだった。黒い扉の隊列を。

 ラーディアは、振り返る。

 扉の一つが、大きく開いていた。

 他の扉とは明らかに違う角度で、それは整然と並んだ図形のような黒い隊列を乱していた。


 扉の中から、二つの白い影が、廊下に滑るように抜け出てくる。

 侍女がラーディアにしがみついた。

 ラーディアは、しっかりと自分を保ちながら、冷静にその白い影を凝視する。

 黒い扉が閉まり、二つの影は白い幽霊のように、廊下にふわりと浮き上がった。

 だが、そう見えるのは、二人とも白いフード付きマントで体を覆っているからであることが、ラーディアにはわかってくる。

 魔神族だ。

 ラーディアは、胸を撫で下ろす。

 彼らが出てきた扉は、鍵のかかっていない、光の都へと繋がっている扉。アーデリーズがよく使っている、ラーディアにもなじみのある扉だ。

 ということは、そこから出てきた彼らは、光の魔神族なのだろう。

 二人はラーディアたちに気づいたらしく、次第に近づいてくる。

 ラーディアは侍女に向かって、目で合図をした。

 しっかりしなさい。私たちは、この方たちの応対をしなければならないのよ。

 侍女は理解し、ラーディアの後ろに控える。


 ラーディアは、近づいてくる白いマントの魔神族を真っ直ぐ見据え、姿勢を正した。

 二人のマント姿の人物たちは、ラーディアの前で立ち止まり、丁寧に挨拶をした。

 ラーディアも挨拶を返す。魔貴族の娘として、優雅に、そして愛らしく。


「あなた方は?」


 ラーディアは、二人に訊ねた。


「光の魔神族です。ジエルフォートさまの使いの者」


 背の高いほうの人物が答える。

 よく響く、低めの男性の声だった。

 フードをかぶっているので顔はわからないが、わずかに覗いている唇から下のラインで、たいそう美しい人であることが推測された。

 二人とも、男性なのだろうか。

 もう一人は、マントの華奢なラインから、とても背の高い女性とも考えられる。闇の魔貴族のメーベルルのような……。

 ラーディアは、今はもういないあの麗人をふと懐かしく思い出した。


「光の魔王さまのお使いの方……。エルフルドさまに御用なのですね。ですが、エルフルドさまは、当分お客様には会われないと思います。申し訳ないのですが、しばらく……」


 アーデリーズは、先程帰ってきてから、すぐに食事を取っていた。その後は入浴の予定だ。

 彼らには、相当待ってもらわなければならないだろう。


「いえ。我々がお会いしたいのは、ナナトさまです。風の王族の姫君の」


 もう一人の人物が、ラーディアの言葉を遮った。

 その人物も、華奢なシルエットの持ち主とはいえ、男性のようだ。声は高めだが、彼の声もまた、静かな廊下に心地よく響く。

 ジエルフォートの使者は、二人とも美しい魔貴族の男性のようだった。


「もちろん、エルフルドさまにも、お目通り願いたいです。ぜひご挨拶を」


 最初に喋った人物が、付け足して言った。

 

「ナナトさま……」


 ラーディアは、さらに申し訳なさそうな表情をして、二人を見上げる。


「ナナトさまは、おそらく今は、お休みになっておられると思います。やはりお目覚めになられるまで、待っていただかなければならないのですが……」

「お待ちしますよ。一日でも、二日でも」


 低い声の男性が言った。笑っているようだ。彼は続ける。


「その間、我々にはぜひ、地の都を見物させていただきたいですね」


 隣の人物が、諌めるような感じで、彼をちらりと見た。


「ご希望でしたら、そのように手配はさせていただきます。では、お待ちいただくお部屋にご案内いたしますので、どうぞ」

「痛み入ります。ありがとう」


 二人は軽く会釈をして、ラーディアのあとに続いた。

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