表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/72

第4章 光の回廊 14

「え?」


 七都が訊ねると、母は怪訝そうな表情をした。

 何を言い出すのかしら、この子は。

 そう言いたげで、対応に躊躇している。そんな感じだった。


「あ、何でもないの。気にしないで」


 よかった。あの夢の女の子はお母さんじゃない。それは確かみたいだ。

 七都は、安堵した。

 母は、真珠色を帯びた銀の目で、七都を間近から見つめた。そして、訊ねる。


「ヒロトは、元気?」


 ああ、その質問には、きっといろんな意味が含まれている……。

 そう思いながら、七都は答える。その質問に対する答えだけ。


「うん。仕事は忙しそうだけど、元気だよ、お父さん」

「あなたには、新しいお母さんがいるの?」


 母は、回りくどくなく、ずばりと聞いてきた。

 それもまた、もちろん別の質問も兼ねているのだ。

 ヒロトは再婚したの? 新しい奥さんがいるの? その人と七都はうまくいってるの? みんなで仲良く、幸せに暮らしているの?

 七都はためらったが、正直に答える。


「いるよ……」

「そう……」


 消え入りそうな声だった。

 その口元にも、消えそうな淡い微笑みが浮かんでいた。

 七都のほうが悲しくなる。弱い風のようなその声が、心に真っ直ぐ突き刺さる。


「やっぱり、再婚したんだ」


 彼女が呟いた。


「再婚するように勧めたのは、お母さんなのでしょう? お父さんがそう言ってたよ」

「だって、ヒロトひとりじゃ、あなたを育てられないもの。でも、まさか本当に再婚するとは思わなかったけど。ほんっとヒロトって単純なんだからっ」


 彼女はそう言って口をとがらせ、すいっと横を向く。

 な、なに?

 トラブルの素を含ませたような、今のその発言は!?

 七都は、思いっきり気分を害した幼い少女のような、母の横顔を眺めた。

 彼女はすぐに七都の様子に気づき、無理やり微笑みを浮かべる。


「だいじょうぶよ、ナナト。そんな心配そうな顔をしないで」


 だいじょうぶって……。

 何がだいじょうぶなの?

 今さらあの家に戻ったりしない。そんなことをしたら、あなたの家庭が壊れてしまう。だから、私は何もしない。

 なので、だいじょうぶ?

 それとも、再婚したってことを聞いても私は平気。取り乱したりしない。だいじょうぶ……。

 その両方?


「お母さん。今でもお父さんのこと……」

「もちろんよ。永遠に愛しているわ」


 母が答えた。


 お母さん……。

 お父さんも、お母さんをまだ愛してるよ。

 新しいお母さんのこと、『お母さん』だなんて、わたしに呼ばせない。

 その人との間に子供を作ることも、断ってる。

 お母さんは、お父さんにとって、たったひとりの人なの。

 死ぬ間際にお母さんが会いに来てくれる……。

 それを最終的な楽しみにして、お父さんは日々の現実を暮らしてる……。

 そのことを教えてあげたい。とても。

 けれども、それを今ここで言ったら……。

 七都は、唇をしっかりと閉じた。噛み締めるぐらいに。

 やっぱり、言えない。

 そのことを聞いたら、きっと母は嬉しいに違いない。

 けれども、だからといってどうすることも出来ないのだ。

 別の世界で暮らす父と七都を思う彼女の心に、さらに深い憧憬を刻むことになるかもしれない。

 それは結局、母を苦しませることになってしまうかもしれないのだ。

 それとも、言ったほうがいいのだろうか。

 愛する人にまだ思われている。その人が、今の伴侶に理不尽でエゴな犠牲を敷くくらいに。

 それを知ったほうが、ここで生きている母の、心の支えになるのだろうか?


「あなたを一緒にこちらの世界に連れてくるかどうか、悩んだの」


 母が言った。


「こちらに連れて来たら、いつもあなたに会えるもの。あなたを直接育てられなくても、風の城にあなたを預けておけば、あなたを常に見守ることが出来る。でも、あなたをヒロトのもとに残すことに決めた。あなたまでいなくなって、ヒロトに私たちのことをすっかり忘れられたくなかったから。だって、やっぱり魔神族は、あの世界では現実的な存在じゃないものね」


 たしかにそうかもしれない。

 二人ともいなくなっていたら、現実に埋もれている父は、そのうち、妻も子供のことも夢の中のことだったと思い込むようになったかもしれない。二人が自分のそばにいた、という確実な証がなかったとしたら……。

 そして、七都はその証なのだ。母が父に残した彼女の存在の証……。


「でも、あなたをこちらに連れて来なくてよかったと思うわ。やさしい、いい子に育ったわね、ナナト。ちょっと頑固で、優等生っぽいところもあるけど。いったい誰に似たのかしら」


 母は笑った。


「魔の領域で育ったら、今のあなたにはなっていない。もしこちらで育っていたら……」

「人間のエディシルを何の抵抗もなく食べてしまえる、恐ろしい吸血鬼になってたってことでしょう?」


 七都は、呟いた。

 ちょっと意地悪も入っているかもしれない。少しだけ母を困らせたかった。

 だけど、魔神族は魔物だ。人間にとって。

 吸血鬼だってことも事実だ。


「そうよ。そういうことだわ。だから、あなたを人間として育てたかった」


 母は、七都を真っ直ぐ見つめた。


「お母さん。わたしは人間のエディシルを食べられない。人間として育ったもの。だけど、魔神族のわたしの体はエディシルをほしがってる。そうしないと、生きられない……」


 七都は、訴えるように母に言った。


「そうね。その矛盾が、あなたを今、そんな状況にしてしまってるのよね……」


 母はつらそうに七都の怪我を見つめ、目を逸らした。


「あなたは、人間でもあり魔神族でもある。わたしはあなたが人間として育つことを望んだけれど、これからはあなたが決めればいいわ。ゆっくりとね」


 魔神族か人間か。いずれどちらかを選ばなければならない。

 人間との混血であるナイジェルもアーデリーズも、七都にそう言った。

 そして彼らは結局、魔神族であることを選んだのだ。アーデリーズは、自分の意思に反してそうせざるを得なくなったとはいえ。

 母は手を広げて、七都を覆った。

 生身の母の感触はなかったが、何かあたたかいものを感じて七都は目を閉じる。


「お母さんは、なぜ家を出ていったの? それにここはどこ? お母さん、いつもここにいるの? ここに住んでるの?」

「ええ。私はいつもここにいるの。そして、魔の領域にあなたがいる限り、あなたを見守っていられるわ。私がここにいる理由は幾つかあるけど、そのひとつは償いのため……」


 母が答える。


「償い?」

「風の魔王は罪を犯したわ。その罪は償わなければならない」

「それは、何代か前のリュシフィンが風の都を壊滅させたという、そのこと?」


 七都が訊ねると、母は頷いた。


「たくさんの同族を死なせてしまった。それだけじゃなく、他の一族の魔王さまたちも巻き込んで、消滅させてしまった……」

「水の魔王さまと、地の魔王さま……?」

「そうよ。でも魔神族は、だからといって風の一族を恨んだり、後ろ指を差したりはしない。そういう種族だから。だけど私は王族として、自分の幸せに浸って、のうのうと暮らしてはいけなかった。だからヒロトと別れ、あなたを置いて、ここに来たの」

「お母さん……。わたしも償わなきゃならない? 風の王族として?」


 母は首を振る。


「いいえ。私がもう、ここにいるから。あなたはあなたの生きたいように生きればいいの。この世界ででも、あなたの生まれ育った世界ででも」

「だけど、お母さん……。ここで、たったひとりで寂しく、昔のリュシフィンの罪を償ってるの? そんなの、ひどいよ。罪を犯したその張本人のリュシフィンはどうしたの? 死んじゃったの?」

「そうね。そのリュシフィンさまは、今は存在しないわ。だけどナナト、私は一人じゃないのよ。ここにはお友達もいるわ。寂しくなんかないの」


 母は、金色の髪の少女を見る。少女は微笑んで、頷いた。


「それに、魔の領域の中なら、いつだって自由に行動できる。あなたが中にいれば、会いにも行ける。ただ、あなたが元の体に戻ってしまったら、私の姿は見えなくなってしまうでしょうけどね。これまでのように、接触は出来ると思うわ」


 母は包み込むように、七都の頬に手を添える。


「ナナト、もうお帰りなさい。自分の体に。ここは本来、あなたが来られるところじゃないのよ。どうやってここに来たのか知らないけれど……。光の都のあの水は、あなたを治してくれている。でも、あなたのほうも、内側から自分で治す意志を持たなければ、治るのが遅れてしまうわ。親としてはね、あなたの今の姿を見るのは、とてもつらいのよ。平静を装っているのが大変。もう限界よ……」

「うん……」


 七都は、こっくりと頷いた。


「お母さん、また会えるよね……」

「私は、いつもあなたを見守ってるわ。そのことを忘れないで」


 そして母は、七都からゆっくりと手を離した。

 七都は、自分が床に沈みこんで行くのを感じた。


「お母さん……!!」

「またね、ナナト……」

「お母さんっ!!!」


 七都は、氷の床を突き抜けた。そして、その下の緑の層の中に落ちていく。

 頭上に向かって、七都は両手を伸ばした。けれども、それはどこにも届かなかった。

 透明な床の上から七都を見下ろしている金と銀の二人の少女の姿は、緑に覆われ、やがて消えてしまう。



「あの子がナナトなの。かわいいわね。私も会いに行こうかしら」


 金の髪の少女が、呟いた。


 二人は、七都が吸い込まれた氷の床の上に立っていた。

 床は何事もなかったように静まり返り、その下には、大量の緑を底に従えた青磁色を閉じ込めている。

 緑の層の中に沈んで行った七都の姿は、どこにも見えなかった。


「でも、あの子。もしかしたら、いずれここに来ることになるんじゃない?」


 金の髪の少女は、にやりと意味ありげな微笑みを浮かべた。


「それを選ぶのも、ナナトの意思だわ……」


 ミウゼリルは床を見つめたまま、静かに呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=735023674&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ