第1章 砂の中の猫 4
それは、全く砂漠には似つかわしくない光景だった。
おそらくそれが似合うのは、色とりどりの花がたくさん咲く、手入れの行き届いた美しい庭。
あるいは、心地よい風と光に満たされた、どこかの屋敷のしゃれたテラス。
あるいは、垢抜けたインテリアでコーディネートされた、高級感溢れる明るい部屋の中だろう。
七都は、一応ごしごしと目をこすってみたが、それは消えなかった。
やはり砂漠の真ん中に、それは出現していた。
「お茶会……に見えるんだけど。どう考えても……」
七都は、呟く。
そこにあったのは、砂漠には似合わない、なごやかな光景だった。
白いテーブルと椅子が、砂の上に置かれている。
テーブルも椅子も、さりげなく彫刻の入った上品なデザインのものだ。
そして、席についているのは、全部で四人。いや、例の銀の猫ロボットも人数に入れるならば、六人だ。
メンバーは、たぶん魔貴族であろう人々が三人。内訳は、男性が二人、女性が一人だ。
そして、さっき円盤を抱え上げようとして腕が取れてしまった、チョコレート色の毛に黒いマントのグリアモス。さらに、銀の猫ロボットが二匹。
あの三匹もまた、魔貴族たちと同じテーブルについていた。
もっとも猫ロボットは全部同じで区別がつかないので、その二匹が円盤のそばにいた二匹と同じなのかどうかは、不明だ。
テーブルの上には、白い花が飾られている。そして、白いポットとカップ。さらに、お菓子のようなもの。
その量と種類からしても、食事会ではなく、お茶会なのだろう。
食事会となると、もっとずっと違ったシチュエーションになるに違いない。魔神族の食料は人間なのだから。七都としては、あまり想像したくもないことだったが。
七都は緊張しながら、お茶会の横を通る。
時々、穏やかな笑い声が聞こえる。
そして、陶器の触れ合う涼しげな音も。
漂ってくるのはコーヒーの香り。カトゥースだ。
いい香り……。
七都は、ふっと目を閉じる。
あのお茶会に参加して、カトゥースを飲めたら……。そしたら、もう少し元気になれるかも。
そんな思いが心に浮かんだが、七都はあわてて打ち消した。
いけない。無視しなくちゃ。
あれは、きっと幻。振り向くと消えている、砂漠の幻想だ。
それでも七都は、ちらっとお茶会のメンバーを観察してみる。
魔貴族の男女は、いずれも美しい人々だった。
宝石で髪や額を飾り、着ている服装も高価そうで、洗練されている。魔貴族の中でも、身分の高い人々なのかもしれない。
あのイケメンのうちのどちらかが、地の魔王エルフルドだったりして?
七都は思ったが、もちろん彼らをじっくり眺めることは出来ない。無視が鉄則だ。
さっきはちょっとムキになって、円盤を砂から引き上げてしまったけど、もう何もしちゃいけない。何もしない。
スルーしよ。
魔貴族たちはお茶を飲みながら談笑しているが、チョコレート色のグリアモスと猫ロボットは、黙って座っていた。機械なのだから、お茶は飲めないのかもしれない。
彼らは、全員が明らかに七都を見ていた。
そんなにあからさまな態度ではない。けれども、しっかり気にかけている、という感じだ。
たとえば、猫が無関心を装いながらも、耳だけはちゃんとこちらを向いている。そんな雰囲気。
そして彼らの間には、妙な緊張感が漂っていることに、七都は気づく。
何だろう、このピンと張り詰めたような、変な空気……。
もしかして、このお茶会のメンバー、表面的にはとても穏やかそうだけど、実は仲がよくない?
どうでもいいことだったが、七都は何となくそんなふうなことを想像してみる。
七都は、彼らのテーブルがある場所を、何事もなく無事に通り過ぎた。
奇妙なお茶会は、視界から消えてしまう。
七都は深呼吸をした。
そして、念のため、振り返る。
やはりお茶会の場所には、砂の平地しかなかった。
七都の体から、力が抜ける。
もういい加減、やめてほしい……。
ずっと続くのかな、こんなのが。
退屈しのぎにはなるけど、どっと疲れる……。
けれどもすぐに、前を向いて歩く七都の唇から、幾度目かの溜め息が漏れる。
またか……。わかっていたけど。
再び、お茶会をしている人々が、砂漠に現れていた。
相変わらず、なごやかな雰囲気だ。
猫ロボットの一匹が、足をぶらぶらさせてテーブルの上に腰掛けている。
「ストーフィ、お行儀が悪いわよ」
テーブルのそばを通り過ぎるとき、七都の耳に女性の声が聞こえた。
きれいな落ち着いた声だ。
おそらくお茶会メンバーの魔貴族の女性だろう。
少女の声ではない。もっと年上。二十代半ばくらいだろうか。
(ストーフィっていうんだ、あの銀猫ロボット)
七都は、前方を見つめながら思う。
だが、テーブルに乗っかっている猫ロボットの名前がそうなのか、それとも猫ロボットを総称してそう呼ぶのかは、もちろん定かではない。
七都は、脇目も振らずに、お茶会の横を通り過ぎる。
通り過ぎたあとも、そのまま七都は砂の上を歩き続けた。
もう振り返る気にもならない。消えていることは確実だ。何の気配も感じない。
引き続き歩いていると、さらにまた七都の進行方向に、例のお茶会が現れる。
しつこいなあ。もちろん、無視だ。
テーブルの上に座っていたストーフィは、今度は黒いマントのグリアモスの膝に乗っていた。
そして、お茶会の雰囲気が先程とは微妙に違うことを、七都は感じる。
もう誰も笑っていなかった。
ぴんと張り詰めた空気に、さらにぴりぴり度がプラスされている。
お茶会のメンバーは、全員、黙りこくったまま座っていた。
猫ロボットとグリアモスは最初から喋ってはいなかったが、さっきは確かに機嫌よく座っていたような気がする。だが今は、困ったような様子だった。身の置き場がない、というような。
七都は構わず、その横を通って行く。
通り過ぎても、もちろん振り向かない。
彼らが消えているのはわかっているのだから。
七都は、うつむいて歩いた。
けれども、ふと顔を上げると、やはりあのお茶会が目の前で繰り広げられている。
雰囲気は、さらに悪くなっていた。
魔貴族たちは、凍りついたように動かない。
グリアモスとストーフィたちも、頭上の太陽の光をただ反射する、金属の人形になっている。
怒っているのだろうか。
もしかして、わたしがずっと無視しているから?
全員が、通り過ぎて行く七都を見ていた。
それまでのように、遠慮がちに、さりげなくという状態ではない。
七都が移動するのに合わせて、彼らの目と頭もゆっくりと動いて行く。
彼らの目のレンズには、確かに七都の姿がしっかりと映っていた。
全部の目に、冷たく見据えられているようだ。
魔神族の透明な目にも、グリアモスの銀青の目にも、猫ロボットのオパール色の丸い目にも。
うわ。いやだな。
なんか、ムカつかれてる……?
このお茶会も、カーラジルトが言っていた『妙なもの』なのだろうか。
そしてカーラジルトは、これも最後まで無視し通したのだろうか。
彼なら、簡単に無視できちゃったかも。
たとえ猫ロボットが砂漠で何をしていようと、お茶会の人たちにどんなに睨まれようと。
その冷静さ、分けてほしい……。
七都は、本気でそう思う。
今回も無事に、七都はお茶会のテーブルの横を通り過ぎた。
七都は顔を上げ、ラベンダーの空とその下にまだ果てしなく広がる、白い砂漠を眺める。
だが、ほっと安堵した途端――。
「そこの旅の少女!!!」
は、話しかけてきたっ!
七都は、びくんと首をすくめ、思わず立ち止まった。
声は、男性のものだった。
テーブルについている二人の魔貴族の男性のうちのどちらかだ。あるいは、もしかしたらグリアモスかもしれない。
よく通る低めの声だった。
七都はしばし固まったまま、砂漠に立ち尽くす。
待って。落ち着こう。冷静に考えよう。
あれは幻影だ。これまで通り。
声だって、当然、幻聴。
だから、もちろん、振り返ったら全部消えている。今まで通り。
何の心配も不安もいらないはず。
けれども、七都の背中はたくさんの視線を感じていた。
それに、凍りついたような不気味な空気はそのままだった。
テーブルの全員が七都の次の行動を冷たく観察している。そんな張り詰めたような雰囲気――。
気のせいだ。
きっと後ろには砂の丘と空しかない。
ずっとそうだったもの。
七都は、思いきって振り向いた。
そしてその状態のまま、再び固まってしまう。
お茶会は、消えてはいなかったのだ。
うそ……。
こんなの、ルール違反だ。卑怯だ……。
七都は、まだしっかりと砂漠の中に残っている、その光景に愕然となる。
もちろん、そんなルール――七都が振り返ったら、その光景は消えてしまわなければならない――などいうものは存在しないし、卑怯だなどと思ってしまうのは、全く七都の勝手だったのだが。
お茶会のメンバーは、全員七都を見つめていた。
魔貴族三人の透き通った冷たい目は、金の混じった氷のようだ。
グリアモスと猫ロボットは、はらはらしているという様子で、七都を眺めている。
もっとも彼らは基本が無表情な人型猫とロボットなので、そう見えるのは、やはり光の加減か七都の思い過ごしかもしれなかった。
「だめよ。そんな怒ったふうに話しかけたら。おびえてるじゃないの」
魔貴族の女性が言った。
先程、ストーフィを注意した女性だ。
同性の七都でさえ、うっとりするくらいの美しい女性だった。
鮮やかな紫のドレスを着て、銀の縫い取りのある白いベールを肩にかけている。首には幾何学模様が刻まれた金の首飾り。
艶のある赤い髪は形よくまとめられ、薄い緑の宝石がたくさんはめこまれた飾りが、髪の美しさをさらに引き立てていた。
ゼフィーアやセレウスも赤い髪だが、その貴婦人の髪は、彼らよりも黄色がかったブロンズレッドだ。
貴婦人の両隣の席に座っている男性たちは、濃い緑の衣装と白い衣装をまとっていた。
髪は、固めの髪質の銀色と、羽根のようなふんわりした髪質の、銀に近い白。
魔貴族たちは三人とも金色の目だったが、それぞれ濃淡は違っていた。
貴婦人の目はオレンジ色に近い金色。男性たちは、月のように薄い金色、それに銀色に近い金色。
イデュアルの目も金色だったので、金の目が地の魔神族の特徴なのかもしれない。
「旅のお嬢さん。お茶でもいかがですか?」
七都に声をかけてきた男性――羽根のような白い髪と月の目の魔貴族が、再び七都に話しかける。
今度は丁寧に、とてもやさしく。口元には微笑みが浮かんでいる。
「そう。それでいいわ」
貴婦人が、満足したように言った。
そして彼女は七都に、にっこりと笑いかけた。
「どうぞ。あなたの席も用意したわ。この砂漠を渡るのなら、召し上がって行かれたら?」
七都は、誰も座っていない椅子を見下ろした。
最初はストーフィが座っていた席だ。
今、そのストーフィは、グリアモスの膝に乗っかっている。七都のために席を空けてくれたらしい。
だが、七都は躊躇した。
素直にこのお茶会に参加したら、どうなるのだろう?
カトゥースは飲めるだろう。今の七都にはありがたいものだ。
まさか地の都に入っていきなり砂漠だとは思っていなかった。
この砂漠にはカトゥースの花も咲いていないし、今のところ蝶の群れもやっては来ない。
このまま砂漠を歩いて旅するには、非常にまずい状況になるかもしれなかった。
テーブルの上には、カトゥースのお茶に加え、何か焼菓子のようなものもある。
それは、魔神族が普通に食べているお菓子なのかもしれない。
だったら、当然、人間の食物は受け入れられない七都にも食べられるはずだ。
とはいえ、席についてしまったら、それだけで済まないような気がする。
このお茶会のメンバーは、七都がお茶を飲み終わったからといって、果たしておとなしく見送ってくれるのだろうか?
見送ってくれずに、どこかに連れて行かれたら?
最悪、旅は中止。風の都にも到着できなくなる。
そんな状況に陥ってしまったら……?
親切心で言ってくれているなら、そんなふうに疑うのは、もちろんとても失礼なことだ。
だが、これがカーラジルトの言っていた『妙なもの』なら、無視しなければならない。
お茶会に参加するなんて、とんでもないことになる。
そもそも太陽が苦手な地の魔貴族が、こんなに高く上がった太陽に照らされて、砂漠の真ん中でお茶会なんて、どう考えたっておかしい。
お茶会だけではなく、猫ロボットにしてもグリアモスにしても、その行動パターンは変だった。
わざとらしく七都の前に繰り返し現れたり消えたり。意味もなくずらっと整列したり、釣りをしたり。
円盤だって、なぜわざわざ砂漠に斜めに刺さっている? なぜ変なタイミングで、砂の中から出てくる?
明らかに七都を意識しての行為だ。
地の魔王エルフルドのちょっかいかもしれない。警戒しなければ……。
「お誘い、ありがとうございます。でも、ごめんなさい。先を急ぎますので……」
七都が誘いを断った瞬間、さらにお茶会の雰囲気が悪くなった。
全員が、黙って七都を見据える。
魔貴族三人が、揃って眉をわずかに寄せた。
もしかして。ううん、もしかしなくても、大ヒンシュク?
仕方ないよ。このお茶会、絶対おかしいもの。