第4章 光の回廊 7
七都は、セレウスとゼフィーアの館の屋根の上に座り、そこからぼんやりと景色を眺めた。
背後には、レアチーズケーキ色の建物をなだらかな山の形に並べた、町の建物の群れのてっぺん。以前、闇の魔王の円盤を追いかけて、上ったところ。
反対側の開けた空間の向こうには、あの遺跡の丘。屋根の下には、光に囲まれた中庭が見える。
中庭には猫が何匹か昼寝をしているだけで、セレウスやゼフィーアの姿はない。二人とも、既に部屋の中に入ってしまったのだ。
「ナナトさま。もしそこにおられるなら、ちゃんと元の姿にお戻りになって、それから現れてくださいませね。私たちにも見えるように。そういう状態では、私たちは、どうすることも出来ませんから。お願い致しますよ」
ゼフィーアは、七都が立っていた回廊――彼女にとっては、何もない空間に向かってそう呟き、そこから離れようとしないセレウスをせきたてて、部屋の中に入ってしまったのだった。
(相変わらず、ゼフィーアはゼフィーアだ。なんか、嬉しい)
七都は、くすっと笑った。
(はい。わかりました。そろそろ帰らなくちゃね。あなたたちの顔も見られたし……)
けれども、七都は溜め息をつく。
セレウスのことを思うと、気持ちが暗くなる。
(セレウス……。わたしが見えないのに、わたしを必死で探していた。あなたはやっぱり、わたしのことを……?)
改めて彼に問い直すこともない。
これまでのセレウスの七都へのすべての態度が、そのことを示しているのだから。
伝わりすぎるくらいに伝わってくる、彼の自分への思い。
セレウスは、七都のことを思ってくれている。
だからこそ彼は、七都の髪を入れたあの箱を、肌身離さず大切に身につけているのだろう。
そして、七都が帰るのをただひたすら待ってくれている。彼の一途さは、こわいくらいだ。
だから、つらいんだよね……。
七都は、澄んだ青い空を眺めた。長い鳥の羽根のような雲が、重なるように浮かんでいる。
わたしは、セレウスの思いに答えられない。
それが自分でわかるから、わたしのことを思っている彼を見るのが、とてもせつない。
セレウス……。
あなたは、永遠に片想いだと思う。
そう言いきれてしまうって、残酷かな。
確かに先のことはわからないし、遠い未来にでも、わたしの気持ちがあなたに向かうことがあるのかもしれない。
だけど、今の時点では言える。
わたしはあなたの気持ちに報いることは出来ない。
それは、あなたが人間で、わたしが魔神だってこと以外にも理由はあるの。
それはね。ごく単純な理由。
わたしがあなたに対して、根本的にそういう思いをどうしても持てないから……。
七都は、再び深い溜め息をつく。
もしわたしも、あなたにそういう思いを持てたなら……。きっとめでたし、めでたしなんだよね。
この世界に来るのも、もっと楽しくなるだろうし。
二人でいろんなところに出かけられるし。
指輪をもらったから、あなたに対して感じる<エディシルを食べたい>なんていうあの嫌な衝動も、たぶん今までよりは抑えられると思う。
何より、あなたは素敵だものね。
あなたのような男性を恋人に出来るなんて、すばらしいことだと思う。
あなたと一緒に歩いたら、みんな振り返るだろう。この世界でも、元の世界でも。
だけど、無理……。そうなれない。
わたしの心は、あなたに向かって動かない。
それはたぶん、あなたがわたしを受け止めてくれるには、危なっかしすぎるからかもしれない。
あなたは、屋根から飛び降りたわたしをしっかりと抱きとめてくれた。
きっとあなたはこれからも、そんなふうにわたしを守ってくれる。
でも、本当は……あなたは、自分のほうをわたしに受け止めてほしいって思っているでしょう?
あなたはわたしに、すがるような眼差しをいつも向けてくる……。
わたしのアヌヴィムになり、わたしに恋愛感情をずっと持ち続けることを、あなたは求めてる……。
それをわたしは魔神として、やはり見抜いてしまっている。
あなたが一途になればなるほど、わたしはあなたから逃げたくなる。
罪悪感を持ってしまうから。
あなたの気持ちに答えられないってことがわかってるから。
この先、あなたとお話するとき。笑い合うとき。あなたがわたしを見つめるとき。たぶん、心のどこかで感じてしまう。
ああ、この人はわたしのことを思ってくれてるんだ、でも、わたしはその気持ちに答えられないんだって。
ずっとずっと思うことになる。
そんなことを思わずに、もっと何も感じずに、氷のような心を持って平気であなたに接することが出来るなら、どんなにいいだろう。
「わたし、いつか、セレウスをアヌヴィムにしなきゃいけないのかな」
七都は、呟いた。
シャルディンは、そうすべきだと言ったが、ものすごく抵抗がある。
はっきりいって、いやだ。
シャルディンは、七都に対して恋愛感情のたぐいは、いっさい持っていない。
もちろん、大切に思ってくれているのはわかっている。だがそれは、七都を主人とする彼の愛情と敬意と義務。
それに、彼は七都をおちょくるが、彼はあくまでオトナだ。
年を取っているということもあるかもしれないが、オトナとして七都に接してくれている。
それだから七都も、彼に平気でキスしてしまえるし、裸を見られたのは不愉快だったとはいえ、それもあまり気にせずにすむ範囲内に収められる。
けれども、セレウスにそういう態度で接することは、到底出来ない。
セレウスは七都を恋愛の対象として見ているし、七都を求めているからだ。
だから、あなたにシャルディンのように接することは、無理……。
わたしが見つめたいのは、たぶん、明るい若草色の目ではなく、他の色の目なのだ。
すがるような危なっかしい目じゃなく、やさしく包みこんで、黙って見守ってくれるような、透明な目……。
そしてわたしがほしいのは、やみくもにわたしを求めて探す、熱くて震える手ではなく、穏やかに、そっと撫でてくれる、冷たいけれども温かさを中に含んだ手……。
七都は、チーズケーキの建物を振り返る。
そのはるか向こうには、七都が越えた山並みの線が、空との境界のところで紫色にぼやけていた。
この館から七都は、あの山をめざして出発したのだ。
そして途中、シャルディンに出会い、イデュアルに出会い、カーラジルトに出会い、キディアスにも出会った。
そしてもっと向こうには、魔の領域がある。
今、七都の体は、その光の都の水槽の中に漂っている。二人の魔王に見守られて。
戻らなくちゃ。魔の領域に。自分の体に。
でも、その前に。
シャルディンに会って、セレウスにも会えたんだから、次はやっぱり、彼にも会いたいな。
彼――。
魔神狩人をしている風の魔貴族。化け猫カーラジルト。白いグリアモスの伯爵さま。
猫たちには、自分が見えた。すると、大きな猫である彼にも、もしかしたら見えるかもしれない。
七都は、少しだけ期待してみたりする。
「だけど、何で箱の中の髪は、銀色になっちゃってたんだろ? やっぱり、普通の状態じゃないからかな。でも、きれいな銀色だった。今の髪の色もとても気に入ってるけど、あんな髪になれたら素敵だな」
七都は屋根から、ふわりと舞い上がった。




