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第3章 白の研究室 1

 扉の向こうは、白い光に包まれていた。

 七都は、まばゆい光の中で何度も瞬きをする。

 キディアスの緊張が、手袋を通して微かに伝わってきた。

 彼もまた自分なりに分析しているのだろう。

 ここはどこなのか。魔の領域の中なのか、それとも異世界なのか。


 その白い空間に慣れてくると、次第に周囲の状況が見えてくる。

 そこはどこかの広い部屋の中のようだった。

 七都たち一行は、その部屋を見渡す階段の踊り場のようなところに立っていた。

 背後には、たった今通ってきた闇色の扉がある。

 部屋の天井は高く、大きな明り取りを通して、光が大量に射し込んでいた。

 よく見るとそれは明り取りではなく、人工の照明のようだ。

 透明のガラスの奥に青味を帯びた白い光が灯り、光とガラスの間には、水が入っているような質感があった。

 水槽が天井に嵌めこまれている。そういう雰囲気だ。

 時折、水が波打っているのか、銀色の細かい泡が生まれ、きらきらと光った。


 部屋の中には、いろんな雑多なものが置かれていた。

 あふれるくらいに物が乗せられた、たくさんの台、棚、テーブル。

 椅子の上にも、取りあえずという感じで物が乗せられている。

 棚に入りきれなくて、あちこちに積まれている四角いものは本だろうか。

 そして、さまざまな形をした立体。透明な管のようなもの。コードのようなもの。

 ありとあらゆる形の、七都にとっては完璧にわけのわからないものが、部屋の中に雑然と積み上げられていた。

 アーデリーズとグリアモスは、ゆっくりと階段を降りる。

 七都とキディアスも、彼らのあとに続いた。


 下に降りると、部屋の中に雑多に置かれているものの詳細がわかってくる。

 いろんな形をした立体は、どうやらそのひとつひとつが機械のようだ。

 豪華な仕切り、もしくはオブジェのように見えるものは、それ全体が何かの装置らしい。

 何本ものガラスの管がのたくり、金属の幾何学的な形が、その一角の空間を遮っている。

 テーブルの上には、文字が無造作に書きなぐられた薄いプラスチックの板のようなものが散らばり、床には本らしきものが、足の踏み場もないくらいに積まれていた。

 ところどころアクセント的に置かれているのは、金色や銀色の金属の歯車、幾何学模様を描いた基板、パズルのような機械の部品だった。

 これは、きっとあれだ。七都は思う。

 典型的な科学者の研究室、もしくは実験室。

 それもあまり几帳面でない、ざっくばらんな性格の。

 血液型だったら、A型とかじゃなく、たぶんB型。

 この散らかし方は、そんな感じ……。

 で、奥から出てくるのは、真っ白いばさばさの髪に変な眼鏡をかけ、白衣を着た天才科学者のおじいさん。

 つまり、マッドサイエンティスト。

 絶対そうだ、この状況。


 明るい部屋の奥から、誰かが近づいてくる。

 その人物は白い衣をまとい、白髪で、眼鏡をかけていた。


(やっぱり、出た……)


 七都は、その人物を凝視する。

 その人物は、白い部屋の中で動く、白い影のように見えた。

 髪も白いし、着ているものも白なので、部屋の中に溶け込んでいるようだ。

 けれども、七都が思い描いたマッドサイエンティストとは、多少イメージが違っていた。

 その人物が身にまとっているのは、七都が元の世界でよく見かける医者や理系の人々が着る白衣ではなく、古代ローマの市民の服装をもう少し動きやすくしたような感じの白い衣装。

 たぶん七都よりも長いであろうストレートの美しい白髪は、後ろで一つに束ねられている。

 背が高いので、ゆったりと歩く様は妙に優雅に見えた。その姿も歩き方も、確実に老人のものではない。

 そして、顔の面積を大きく陣取っている眼鏡は、その人物の持つ白い優雅な雰囲気をぶち壊すような、分厚い縁の、くすんだ鉛色をした奇妙な物体だった。

 お世辞にも、おしゃれだとかクールだなどとは決して言えない。

 無骨でいかつい機械っぽい眼鏡だ。


「やあ、アーデリーズ」


 その人物が、にっこりと笑った。

 若い男性の声。よく響く低音だ。

 眼鏡が独自の世界を作っている状態なので、その笑顔も漫画っぽく、どこかユーモラスに見えた。


「スウェン。仕事よ」


 アーデリーズが言う。

 その人物が、何気に七都とキディアスを眺めた。

 七都は、思わずキディアスの背中に隠れ気味になる。

 背の高い人にしげしげと見下ろされるのは、何となく苦手だった。特に今の体は身長が低いので、よけいに圧倒され、そう感じてしまう。

 それにあの眼鏡。ドン引きだ。


「だめよ、怖がらせちゃ」


 アーデリーズが、その人物を軽めに睨んだ。


「別に、怖がらせるつもりはないんだけどね」


 その人物が、眼鏡をはずす。

 眼鏡の下から現れたのは、溜め息が出そうになるくらいの魅力的な目だった。

 銀色の睫毛に囲まれた、ブルームーンストーンのような目。

 乳白色の半透明な目の中に、薄い青が溶けている。

 目の上には、形のいい白い眉。鼻も唇も、完璧なほどに整っている。

 年の頃は、二十代後半くらいだろうか。

 もちろん何百歳なのかもしれなかったが、外見はその年齢に見える。

 美しい魔神族の若者だった。


 きれい……。

 ナイジェルよりきれいかも。もしかして、アーデリーズよりもきれいかも……。

 七都は、その若者に思わず見惚れた。

 マッドサイエンティストのおじいさんじゃなくて、魔貴族で超美形イケメンの、マッドサイエンティストかな。

 この人が、たぶんグリアモスの義手と義足をつくった人。

 そして、アーデリーズが描いた絵をもとにしてストーフィをつくり、つくったストーフィをとめどもなく、アーデリーズに送ってくる人なんだ。

 だけど、アーデリーズのこと、本名で、しかも敬称なしで呼んだよね?

 この人、いったい……。

 七都は、隣のキディアスが必要以上に緊張していることに気づく。

 なに、この固まり方。

 キディアス、また、ボワボワの猫状態?

 七都はキディアスの手をぎゅっと握りしめてみたが、キディアスは全く無反応だった。


「アーデリーズ。この人は……?」


 七都は、アーデリーズに訊ねてみる。


「ナナトさまっ!!」


 キディアスが、叱るように叫んだ。

 そして彼は、丁寧に腰を落とし、頭を下げる。

 キディアスと手を繋いでいる七都も、彼に引っ張られ、必然的にお辞儀をすることになった。


「キディアス、この人、誰? 知ってるの?」


 七都は小声で、キディアスにささやく。


「耳を……!」


 キディアスが、深い冬の海色の目を真正面に立つ魔貴族のほうに泳がせる。だが、彼は決して頭を上げようとはしなかった。


「耳?」


 七都は、その魔貴族の若者の耳を見上げた。

 彼の左の耳に付けられているのは、金のイヤリング。

 耳の下全体を覆うような涙形だ。涙形の表面には、複雑な紋様が刻まれていた。

 その材質、色、輝き。さらに、それがかもし出す独特の妖しげな雰囲気。

 見覚えのあるものだった。

 あれはアーデリーズの首飾りと同じもの。ナイジェルが耳にしていたリングと同じもの。

 あれは、魔王の冠が形を変えたアクセサリー――。

 ということは……。

 この人、もしかして、魔王……?

 アーデリーズやナイジェルと同じ……。

 七人の魔王のうちの一人?


「彼は、スウェン」


 アーデリーズが言った。


「もっとも、そう呼んでいるのは、私だけみたいだけどね」

「そうだね。みんなからは、ジエルフォートと呼ばれる」


 白衣の若者が笑った。こぼれる歯が真珠のように輝く。見るものがときめくような、爽やかな微笑み。

 ジエルフォート。ジエルフォート?

 どこかで聞いたような名前……。


「光の魔王、ジエルフォートさまです!」


 キディアスが、七都にささやく。

 そうか。ジュネスが口にした名前だ。

 光の魔王ジエルフォート。七人の魔王の一人。


(やっぱり、魔王さまなんだ)


 アーデリーズが魔王なのだから、当然、他の魔王と親しくったって不思議はない。

 光の魔王さまは、理系の超美形イケメンで、天才科学者で、マッドサイエンティストなんだ……。

 七都は、その若者を見つめた。

 彼は、七都の視線を真っ直ぐに受け止めて、七都に近づく。


「ふうん。これはまた、美しい少年少女を連れて来たね。アーデリーズ、きみが誰かを連れてくるなんて、珍しい。実においしそうだ。私としては、もう少し成長している姿が好みなのだが、こういう年齢の子も悪くはない」


 ジエルフォートは、七都の透明なワインレッドの目を覗き込んだ。そして、七都の頭と髪の間に手を滑り込ませる。

 あっという間だった。

 七都の唇には、ジエルフォートの唇が重ねられていた。


(こ、このマッドサイエンティスト! いきなり何をするっ!!!)


 七都は、手を握りしめる。

 だが、相手は魔王さまだ。ユードのときのようにはいかない。

 平手打ちも拳骨も、厳禁だ。キディアスに怒られるどころじゃ済まない。

 七都は唇に力を込めて固く閉ざし、さらにその上に歯をかぶせて防御した。



 ジエルフォートは、ゆっくりと七都から唇を離した。

 どことなく、唖然としているように見える。

「驚いたな。きみは私に抵抗し、私を拒否するんだね」

 キディアスが、頭を抱えた。

 アーデリーズが、あははっと笑う。

「たとえ魔王さまでも、いやなものはいやだ!」

 七都に見据えられて、ジエルフォートは、ますます唖然としたようだった。

 キディアスも、ますます頭を抱える。

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