第2章 地の底の貴婦人 15
「あ。グリアモスさんの機械の手足と、それから、ストーフィをつくった人のところ?」
「そうよ。この屋敷からは遠いところなんだけどね。すぐに行けるわ」
アーデリーズは、矛盾したことを言った。
ストーフィが、七都のドレスの裾を踏みつける。
七都は危うく、アーデリーズを巻き込んで倒れそうになった。
何とか足を踏ん張って、傾く体を支える。アーデリーズも、七都の肩を素早くつかんでくれた。
「な、何するのっ!!」
七都は振り返ってストーフィを睨んだが、銀の猫ロボットは相変わらずの無表情で、あさっての方を向いていた。
「連れてけってことでしょ」
アーデリーズが笑う。
「もちろん、そんなアピールしなくったって、連れてくよ。きみはまだわたしの薬を飲み込んだまま、出してくれてないんだもの」
七都は、ストーフィの片腕を握って持ち上げる。
アーデリーズは、アヌヴィムの輪と猫の目ナビを付けたストーフィを興味深げに眺めた。
「おもしろいことして遊んでるのね、ナナト。独創的だわ」
アーデリーズが、感心したように言った。
「違うよ。これはわたしがやったんじゃなくて、この子が勝手にわたしの持ち物を身につけて……」
「そんなはずないんだけどね」
と、アーデリーズ。
「え?」
「ストーフィは自分の体を飾ったりしない。そういうふうにつくられていないもの。私も結構長い付き合いだけど、そんなことするストーフィ、見たことないわ」
「……」
だって、わたしじゃないもん……。
七都は、右手にぶら下がったストーフィを見下ろした。
オパール色の目の表面に、ブルーの光が波のように渡って行く。
まずい……。
まるでそう思っているかのように。
「きみ。ちょっとブキミなんですけど……」
七都が呟くと、今度はオレンジ色の光が、ストーフィの目の表面を拭うように走って行った。
七都に『ブキミ』などと言われて、明らかに気を悪くしたように見えた。
アーデリーズと七都が部屋を出ると、扉の横にラーディアとグリアモス、そしてキディアスが、並んで立っていた。
キディアスは、アーデリーズに丁寧に挨拶をし、それから七都に手を差し出す。
またエスコートしてくれるらしかった。
七都は、キディアスの手袋をはめた手のひらに、自分の手を乗せた。
そして、キディアスの様子が違っていることに気づく。
彼の肌は輝くばかりに艶を帯び、瞳も磨かれた宝石のように澄んでいた。青黒い海色の底まで見通せるくらいに。
もともと紅かった唇は、さらに赤味を増している。血を含んだかのような妖しさだった。
さらに彼を覆っているのは、余裕のある満たされた雰囲気。エディシルがその体の表面から、匂い立つようだ。
「キディアス……。さっきより、ずっときれいになってる……」
七都が呟くと、キディアスは微笑んで、感じよく会釈した。
「何せ二人分いただきましたからね。こんなにたくさんのエディシルを食べたのは、久しぶりですよ」
「そう。よかったね」
七都は、ちょっぴり皮肉を込めて、キディアスに言った。
キディアスにエディシルを提供した二人のアヌヴィムは、今頃寝込んでいるかもしれない。
ほんと、キディアスが手袋をはめてくれてて、よかった……。
素手だったら、指からエディシルを無意識に取っちゃってたかもしれない……。
七都は、改めて思った。
アーデリーズはグリアモスと腕を組み、先に立って廊下を進んで行く。七都とキディアスの後ろには、ラーディアが付いた。
やがてアーデリーズは、たくさん並んだ扉のひとつの前で止まった。
そこに連なる他の扉と同じ、黒い金属製の扉だった。
何本かの線と葉のような模様が、ごくシンプルに刻まれている。
「この中に、その人がいるの?」
七都が訊ねると、アーデリーズは首を傾げる。
「ここじゃないんだけどね。この向こうにいるわ」
再びアーデリーズは矛盾したことを言って、扉に手を当てる。
(もしかして、このドア……)
七都は、ストーフィが胸にかけている猫の目ナビを思わず見た。
ナビの透明なドームの中で、長方形が動いている。金と銀の長方形。
重なり合って行く、二つの四角――。
同じだ。うちのリビングの、あの緑のドア……。
あのドアを開けたときと同じ四角が、ナビの中に浮かんでいる。
じゃあ、この扉も、どこか別の世界と繋がってるってこと?
ナビの中で、二つの長方形がぴったりと重なり合った。
「入るわよ」
アーデリーズが、振り返る。
扉がひとりでに、音もなく開いた。
何の躊躇もなくごく当たり前に、アーデリーズとグリアモスは扉を通って行く。
七都は、キディアスの手を握りしめた。
キディアスは、七都の緊張を受け止めるように、しっかりと七都の手を握り返す。
七都はストーフィを抱え、アーデリーズのあとに続いて、扉の向こう側に入った。
ラーディアがお辞儀をして見送ってくれるのが、扉が閉まる前にちらりと見えた。
「ラーディアさま!」
扉が閉まった後、侍女のひとりが小走りに駆けてくる。
彼女の手には、透明な小さな瓶が握りしめられていた。中には薄紫の丸い粒が入っている。
「血止めの薬です。やっと見つけました。申し訳ありません。すっかり手間取ってしまいました」
ラーディアは、その瓶を侍女から受け取った。
「今、行ってしまわれたところよ。間に合わなかったわ。でも、薬を飲み込んだストーフィも同行していることだし……。それに、ナナトさまが薬を飲まなければならない時間までは、まだかなりあるもの。だいじょうぶよね」
ラーディアと侍女は、七都たちが消えた黒い扉を見つめる。
「ナナトさま。必ず、遅くならないうちにお戻りくださいね。時間までに薬をお飲みにならなかったら、大変なことになってしまいます……」
ラーディアは瓶を両手で包み込み、不安げに呟いた。




