第2章 地の底の貴婦人 13
「冗談じゃないっ……!!」
七都は、叫ぶ。
「私は、誰のエディシルもいらないから! だから、あなた、帰ってもいいよ。そんな顔しないで。自分のエディシルを魔神族に食べられないんだから、よかったじゃない」
「よくないですよ、ナナトさま」
キディアスが言う。
「彼はアヌヴィムなんです。エディシルを魔神族に提供するのが、彼の仕事です。そして今は、ナナトさまにエディシルを食べていただくということが、彼の言いつかった役目です。だから、あなたは彼のエディシルを食べなければなりませんよ」
「遠慮しとく」
「そういうわけには参りません」
キディアスが、厳しい表情をする。
「このまま何もしないで彼を帰してしまうと、彼が罰を受けることになるやもしれません」
「そんな、無茶苦茶な」
「無茶苦茶なことをしているのは、食事を蝶とカトゥースで済まそうとするあなたのほうだと思いますけどね」
キディアスは、冷ややかに七都を見た。
「第一、彼をここによこしてくださったエルフルドさまに対して礼儀を欠く、ということにもなりますよ。よい機会ですから、この際アヌヴィムからエディシルを食べてみられては? やり方がわらかないというのであれば、私がご指南致しますよ」
「してくれなくてもいい。食べませんから」
キディアスは、溜め息をついた。
「あなたは、魔神族にエディシルを食べられるのがいやじゃないの? 苦痛じゃないの?」
七都は、少年に訪ねた。
「とんでもないです。殺されるわけではありませんし、痛みなどもありません。どちらかといえば、私は好きです」
この子……M?
七都は、穴のあくほどその少年を眺めた。
「エディシルを取られるとき、ある種の快感がありますからね」
キディアスが言った。
「あ、それは、わたしも、グリアモスに食べられたとき、感じたけど……」
「人間は、もっと感じるようですよ」
キディアスは、にやっと笑う。
「あなたは、なぜアヌヴィムをしてるの? あなたも魔法使い?」
七都は、再び少年に質問する。
ゼフィーアとセレウスは、先祖からのアヌヴィムの家系。彼らの目的は、魔法を得るため。
シャルディンは、自分の意思じゃない。子供の頃さらわれた。
じゃあ、彼は?
「私の場合は、お金です」
少年が答えた。
「お金?」
「私がここにいることで、私の家族は豊かな生活を送れます。父の借金はなくなり、病気の母には、よく効く高い薬を買ってやれます。弟や妹は、学校に行かせてやれます。家族たちは広い家で、何の不自由もなく、幸せに暮らせるのです」
「でも、あなたの家族は、あなたがアヌヴィムになったって知って、本当に幸せ?」
少年は、心外だという顔つきをした。
「私はアヌヴィムになりはしましたが、今、不幸ではありません。だから私の家族が負担に感じる必要など、微塵もありません」
「不幸じゃないんだ……」
「これは、私が自分で選んだ道です。それに、アーデリーズさまも、魔貴族の方々も、とてもおやさしいですから」
少年は、にっこりと笑った。
「風の姫さま。あなたもおやさしいのですね。私のことを心配してくださる。あなたも、人間の血を引いておられるとか。でも、心配もお気遣いも不要です。どうぞ、私のエディシルをお取りください。でなければ、私は下がれません」
「あなたの言葉は、とても嬉しい。でも、ごめんなさい……」
七都は、くるりと少年に背を向ける。
「では、今回は、私が代わりにこの少年のエディシルをいただきましょう」
キディアスが言った。
「ナナトさま、それでよろしいですか?」
「うん……。彼がいやでなければ……」
「伯爵さまには、お部屋のほうに、少女のアヌヴィムが控えておりますが……」
少年が言う。
「もちろん、そちらもいただくよ。きみからもらった後にね」
キディアスが、とても魅力的に微笑んだ。
それからキディアスは少年に近づき、肩に手を回す。
よく慣れたようなさりげなさ。そして、優雅な仕草だった。
「ナナトさま。いったいあなたは、いつ、どこで、誰から最初のエディシルをお取りになるのか。とても興味がありますね」
キディアスが少年を抱きしめたまま、七都に言った。
「変なことに興味持たないでよ」
七都は、キディアスを睨む。
キディアスは軽く肩をすくめ、少年の顎に手を添えた。
少年は恍惚とした表情を浮かべ、キディアスの腕の中にうずめられてしまう。
七都は、唇を合わせる二人を遠慮がちに、しばらく眺めた。
やっぱり、キスにしか見えない……。
でも、キディアスは、食事してるんだよね。
とても嬉しそう、キディアス。
ご馳走だもの。きれいで、若くて、生きのいい人間の少年――。
でも、結局のところ、魔神族は吸血鬼なんだ。
人間の生体エネルギーを食べて、生きている。
たとえ相手がアヌヴィムで、食べられることを了承していたって、人間にとっては、おぞましい魔物であることには違いがない……。
そのまま二人を観察しているわけにもいかず、七都は所在なげにテーブルのほうを向いた。
ストーフィが、きちんとたたまれていたメーベルルのマントをぐしゃぐしゃにしていた。
マントを肩に羽織り、頭には七都がゼフィーアからもらったアヌヴィムの銀の輪をはめている。胸には猫の目ナビをかけていた。
長すぎるマントをひきずった、ロボット猫の王様のようだ。
「なーにやってんだか……」
七都は、くすっと笑って、再び椅子に体を横たえた。
「お腹もいっぱいになったし、カトゥースもいただいたし、少しお昼寝しようかな。あまり寝る気にもなれないけど……」
背後からは、少年の溜め息に似たうめき声が、少し耳障り気味に聞こえてくる。
「キディアス。なんかちょっと、エロいんですけど……」
ちらっと振り返ると、食事中のキディアスと目が合った。
真っ黒の目。闇のかけらが二つはめられたような――。
七都は、ぞっと身震いする。
その目が、少し閉じられた。どうやら七都に会釈したらしい。
七都はキディアスたちから目をそらした。
相変わらずの、魔神族の恐ろしい暗黒の目。
闇が弾いて、その内側には何も見えない。感情も、知性も、理性も。
そして、それは、わたしも確実に持っているのだ……。
ふと気がつくと、ストーフィが七都の腕の上によりかかっていた。
アヌヴィムの輪と猫の目ナビは、付けたままだ。
「あれ? いつのまに」
よじ登ってきたのか?
まさか瞬間移動?
「一緒に寝る?」
ストーフィは黙ったまま、七都にくっついた。
その仕草は、本物の猫そのものだった。
「きみ、金属ですべすべしてるから、あまりさわり心地よくないね。ふわふわの毛が付いてたらよかったのに」
七都が言うとストーフィは、気を悪くしたかのように、じっと七都を見つめた。
仕方ないよ。こういうふうにつくられたんだから。
文句なら、つくった人にどうぞ。
まるで、そう言いたげに。
もちろん、やはり、そう思えただけなのかもしれない。ストーフィは、あくまで無表情なのだから。
「でも、ほんのりとあったかい。温度低めの湯たんぽってとこかな」
七都はストーフィを抱きかかえ、頬をくっつけた。
ストーフィの滑らかなあたたかさが、眠りを誘ってくる。
背後で行われているキディアスの食事の気配も、やがて、眠りにたゆたう意識の外側に溶け去って行った。