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第2章 地の底の貴婦人 9

 七都がその名前を口にした途端、キディアスが表情を変えて、七都を見上げた。


「シルヴェリス? 右手を失ったの? そういう話は、地の都には届いていないようだけど」

「私を助けようとして、魔神狩人と戦ったんです。それで、その魔神狩人に右手を太陽にかざされて……」


 七都は、口ごもる。

 キディアスは、ものすごい顔をしていた。苦痛を途中で無理やり止めてつくった仮面。そんな雰囲気だ。


「それで右手を?」


 アーデリーズは、溜め息をついた。そして、言い放つ。


「馬鹿じゃないの、シルヴェリス。簡単に自分の体を失うような真似をしてしまって。何と愚かなのかしら。魔王の資質を疑うわね」


 そういう言い方をされると、身も蓋もないけど……。

 七都は、ちらっとキディアスに目をやった。

 キディアスは、うつむいている。両手の拳が固く握りしめられていた。

 自分の主君の悪口に、平静でいられるわけもないか……。

 アーデリーズに抗議も出来ないらしい彼を、七都は少し気の毒に思う。


「たかが魔神族の少女ひとりのために、自分の腕を犠牲にするなんて。馬鹿みたい」


 アーデリーズが言った。

 そして彼女は、赤味がかった金色の目で七都を見つめる。


「つまりあなたはシルヴェリスにとって、それほど大切な存在ってこと? それで額に口づけの印があるの?」

「彼が私のことをどう思っているのかは、直接彼に確かめたわけじゃないので、実際のところはわかりません。キディアスは、身近な立場からの推測で、そう受け取っているみたいですけど」

「へえ。それで彼の側近は、あなたが風の王族だってことを知って、正妃にしようと付きまとってるってわけなのね」


 アーデリーズが、にやっと笑う。

 キディアスは、彼女の視線を上手によけた。


「で? ナナト。あなたはシルヴェリスのこと、どう思ってるの?」


 アーデリーズが訊ねる。


「わたしは……。大切に思いたいです、彼を。彼への感情を大切に育てて行きたいって思ってます」

「ふううん、そおお。すると、まだ相思相愛の大恋愛中ってわけでもないんだ。まあ、あなたがどういう動機かなんて、私には関係ないけどね。だけど、ナナト。あなたはね。今、とんでもないことをしているのよ」


 アーデリーズが言った。


「え?」

「魔王に願い事をしているの。あなたは、今」


 アーデリーズが、口元に冷たい微笑を浮かべる。

 その場の空気が凍りついていた。誰も動かない。キディアスも、ラーセンも、ラーディアも。

 侍女たちは彫像のようになり、グリアモスとストーフィも、ただの機械の固まりとなった。

 七都は、アーデリーズに対して、初めて恐怖らしきものを感じた。

 何かひんやりとしたものが、体の表面を覆っていく。

 アーデリーズの妖しい金の目が、七都を真っ直ぐ見据えている。

 七都は、その目を見つめ返した。

 だが、意識をしっかり抱きしめていないと、そのまま後ろに倒れそうだ。

 それくらいに、強い、炎のような視線……。

 それがゆっくりと七都の全身に絡み付いてくる。

 そう。彼女は魔王だ。単に、ちょっと性格に問題のある、きれいなお姉さんでは、決してない……。


 七都は倒れないよう、足に力を込め、しっかりと床に立つ。

 アーデリーズは、眉を寄せた。


「なんて身の程知らずの生意気な子なのかしら。機械の腕をつくれ、ですって? この私に? いったい誰に向かって言ってるのよ」


 もしかして、彼女を怒らせてしまったのだろうか。

 どうしよう。どうやってなだめたらいいのか。

 キディアスもラーセンもラーディアも、誰一人として、口を差し挟もうとはしない。

 七都がアーデリーズに願い事をした時点から、そんな気はなくしたようだった。

 魔神族にとって、魔王に自分の願いを申し出るなどということは、それ自体が大それた行為であり、許されないことでもあるに違いない。

 七都は、掟を破ってしまったのだ。

 誰も助けてはくれない。自分ひとりでこの場をおさめなくちゃならない……。

 七都は彼らの様子から、そのことを悟る。


 だが、アーデリーズは、七都としばらく見つめ合った後、にっこりと笑った。


「あなたは私の正体を知ったというのに、今までと同じように、私の目を覗き込んでくるのね。恐れ気もなく。なんてきれいな赤い眼なのかしら。ますます気に入ったわ」


 ナイジェルも同じようなことを言っていた。

 七都は、思い出す。


<きみは、魔王とわかっても、ぼくとちゃんと目を合わせてくれるんだね……だいたい魔神族はみんな、ぼくの正体がわかると、目も合わせてくれないから>


 魔王と目を合わすこと。目を見ながら話をすること。

 それも魔神族のタブーなのかもしれない。

 けれども、周りのすべての魔神族からそういう態度を取られたら、魔王さまだって寂しいだろうし、やるせないだろう。

 だからナイジェルも、愚痴っぽく、七都にこぼしたに違いないのだ。


「で、ナナト。もし私がシルヴェリスの右手をつくるとして。あなたはその代償として、私に何をくれるの?」


 アーデリーズが訊ねた。


「代償……ですか?」

「まさか、ただでやってくれ、なんてことは言わないわよね? そこまで図々しい礼儀知らずだとは思いたくはないけど?」


 アーデリーズが、くすっと笑う。

 七都の皮膚の表面を、さらに冷たいものが通り過ぎていく。

 正直、何も考えてなかった……。

 気がついたときには、口走っていたのだから。

 ナイジェルの義手――。

 グリアモスが付けているなら、ナイジェルも付けられるかもしれない。

 太陽に溶けてしまったというのも、全く同じ状況だ。

 機械の精巧な腕なのだから、本物と同じように動くだろう。

 ナイジェルも、不自由なく、今までと同じような生活が出来る。

 それに、美しい義手だし、きっとナイジェルに似合う。

 カトゥースのお茶で作った変な義手なんかより、よっぽど……。

 そういうことだけしか考えつかなかった。

 後のことなんて、何も……。

 七都は、後悔する。

 もっとよく考えてから。冷静にいろいろ判断してから。

 それからお願いすればよかったのかな……。


「わたしは、何も持っていません。あなたに差し上げられるようなものは、何も……」

 七都は呟く。

「あら。そんなことはないわ。あるじゃない、あなた自身が」と、アーデリーズ。

「わたし自身……?」

 そしてアーデリーズは、とろけるくらいの魅惑的な笑顔を七都に向けて、こう言った。

「私は、ナナト、あなたがほしいわ」


 七都の体が、一瞬、硬直した。

 意識がすうっと遠くなるのを、七都はかろうじて繋ぎとめる。

 アーデリーズの金の目が、魔力で満たされた宝石のように、妖しくきらめいていた。口元には、淡い微笑み。

 何かされている?

 七都はテーブルに手を突いて、体を支えた。

 足がふらつく。エディシルが、減っている。

 体の外に出て行ってる……?

 七都は、自分の体の表面から、エディシルがゆっくりと、銀色の薄い煙のようになって抜けて行くのを感じた。


 七都は顔を上げ、アーデリーズを見据える。

 彼女だ。彼女にエディシルを取られている。

 手も触れていないのに? そして、こんなに離れているのに?

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