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第2章 地の底の貴婦人 6

「ナナトさま。突っ立ってないで、おじぎを!」


 キディアスが七都のドレスの襞を引き、小声で叱るように言う。


「え? あ……」


 七都は、ぎこちなく頭を下げる。


「今さら挨拶なんていいわよ。びっくりして当然よね」


 アーデリーズ、もとい地の魔王エルフルドが言った。


「魔王さまって……男性だとばかり……」


 七都が呟くと、アーデリーズは不満そうに口を尖らせた。


「何で? 誰が魔王は男性でなければならない、なんて決めたのよ? 七人全員が女性だったこともあるらしいわよ」

「だって……エルフルドって……何となく男性っぽい名前だし……」


 七都は、もごもごと言葉を飲み込む。


「そうかもね。私自身もあまり好きな響きじゃないわ」


 彼女が笑う。


「この屋敷の皆さんは、あなたをそのお名前では呼んでませんでしたよね。皆さん、あなたをアーデリーズって……」

「私の本名よ。エルフルドっていうのは、代々受け継がれてきた地の魔王の名前だわ。リュシフィンやシルヴェリスの名前も同じよ。この屋敷では、私をエルフルドと呼ぶことは禁止してるの」


 だから、『アーデリーズさま』と呼んでいたのだ。ラーセンも、ラーディアも。

 ナイジェルもきっと、ナイジェルというのが本名で、そして七都に正体を隠して、わざわざ本名を教えてくれたのだろう。

 けれども、考えもしなかった。

 地の魔王は女性で、アーデリーズだったなんて。

 イデュアルは、ヒントをいっぱい残してくれていたのに。


<エルフルドさまは、美しい。あんなに美しい方は、見たことがない。あなたは勝てないわよ――>


 それは、エルフルドさまが女性だから。

 確かに彼女は、怖いほどに美しい。女性の成熟した魅力で溢れている。

 彼女が男性ならともかく、同じ女性として未熟な今の七都には、もちろん勝ち目はない。


<エルフルドさまと踊るのは、少し難しいかもしれないけれどね――>


 それも当然。

 二人とも女性なのだから、どちらかが男性のパートをしないと、踊れない。


<イデュアル。あなたは、エルフルドさまの恋人なの?――>


 あの質問に対して、イデュアルが笑って、七都をはたいたわけ。


<あなたはエルフルドさまの恋人なのですか?――>


 アーデリーズが、その質問に、お腹を抱えて笑ったわけ。

 当たり前だ。エルフルドは女性で、アーデリーズ自身のことなのだから。


<いやーね。そんなわけないじゃない。ナナト、あなた、何かとんでもない勘違いしてなあい?――>


 イデュアルの笑い声が、頭の中に響いた。


 してたよ、イデュアル。

 エルフルドさまは、てっきり男性だと思い込んでた。

 この世界の魔王さまって、女性もいるんだね。

 そして、石の椅子に鎖で繋がれたあなたに会うために処刑場にやってきたのは、この人なんだ。

 あなたを助けられないことを何度もあやまって、抱きしめてくれたのは、このアーデリーズだったんだね。


 アーデリーズは、静かに七都に近寄った。


「あなたに最初から私の正体を明らかにしていたら、まともにお話してくれないと思ったの。他の魔神族と同じようにね」

「それが当たり前の反応かと存じます」


 ラーセンが言った。

 アーデリーズは、彼を一瞥する。


「そうね。でも、楽しかったわ。わずかな時間だったけど。でももう、あなたの態度も、きっと変わってしまうわね」


 アーデリーズは、少し寂しそうに呟く。

 あの砂漠でのお茶会に妙な緊張感が漂っていたのは、やはり彼女が魔王だからなのだろう。

 お茶会で魔王と同席するなんて、普通の魔神族ならば、それだけでぴりぴりするに違いない。

 あの二人の魔貴族は、強制的にお茶会に参加させられて、魔王である彼女に神経をすり減らし、常に顔色を窺っていたのだ。

 七都がお茶会への参加を断った途端、その場が凍りついたのも、おそらくそのせいだろう。

 そして、彼女がずっと『あの人』という三人称を使って表現をしていたのは、実は彼女自身のこと。


<そこまで人間に似てしまったのは、あの人の不幸よ――>

<暗くて息が詰まるからって、お城には全然寄り付かないわ――>

<あなたと入れ替わっていたらよかったのにね。あなたがあの人の体で、あの人があなたの体だったら――>


 それは全部、自分のこと……。

 この世界になじめない体をひきずって昼間の砂漠をさまよい、憂さを晴らしているのは、彼女。

 別の世界から無理やり連れてこられたのも、彼女自身。

 そして、彼女の額にあったという魔王の口づけのあとが消えたのは、おそらく、彼女自らが魔王になってしまったから。

 もう、守ってもらう必要がなくなったからなのだ。


「お腹がすいたわ。ラーセン、食事の用意をさせて。ああ、あなた方二人にも付き合ってもらおうかしらね。風の姫君と、水の伯爵。用意が整ったら、おいでなさい」


 彼女はくるりと向きを変え、部屋から出て行く。

 そのあとをラーセンと兵士たちが追いかけるように続き、やがて扉が閉まった。



 部屋の中には、七都とキディアスだけになる。

 ただ、テーブルの上に相変わらず行儀悪く座ったストーフィが、相変わらず無機的なオパール色の目で、七都とキディアスを見つめていたが。


「エルフルドさまに気に入られていらっしゃるのですか?」


 キディアスが訊ねた。


「そうみたい」

「それは、まずい状況ですね。やはり私が申し上げたとおり、拉致されてしまったわけではないですか。ここに長居は無用です。早めに出立致しましょう」

「キディアス。もしかして、まだわたしについて来ようなんて思ってる?」

「もちろんです。風の城までお供しますよ。あなたは砂漠を歩いて渡っておられたようですが、私の魔力を使えば、風の都へは一瞬で行けますから。なにしろ、ここの隣ですからね」


 この人と一緒に、風の都へ? 冗談じゃない。

 七都は、キディアスを睨んだ。


「なんであなたまで風の城に行かなきゃいけないの?」

「リュシフィンさまにお会いしなければなりません」

「なんでよ?」

「あなたのご家族がリュシフィンさまならば、お会いするのが当然でしょう。そして、正式に申し入れて、お願いしなければ。あなたを正妃として、シルヴェリスさまにくださるよう……」


 七都は溜め息をついた。

 は……。まだ言うか。


「ナナトさま。あなたは、リュシフィンさまとはどういう……?」

「知らない。大おじさまかなんかじゃないの」


 七都は、そっけなく答える。


「あなたがリュシフィンさまの許婚などでないことを願うばかりです」


 キディアスが、真剣な顔をして呟いた。


「あのね、キディアス。だいたい結婚なんて、まだ早いよ。わたしは元の世界に帰るんだから」

「では、ご婚約だけでも。あなたのお歳で婚約というのは、珍しいことではありませんよ」

「それも、まだ早いと思う。わたしの常識ではね。わたしとナイジェルは、まだ付き合ってもいないんだもん」

「ここは、あなたの育った世界ではありません。この世界独自の常識があります」

「でも、わたしは、わたしの常識を優先させるから」


 キディアスは、諌めるように七都を見つめる。凍った海の藍色の目で。


「その常識は、この世界では命取りになりますよ」

「だけど、魔神族の常識なんて、わたしには受け入れられない」


 そのとき扉がノックされ、ラーディアが入ってくる。


「デフィーエ伯爵さま。お召しかえを。こちらへどうぞ」

「では、ナナトさま。後ほど」


 キディアスは頭を深く下げ、七都に挨拶した。そして、部屋から出て行く。


 七都は、軽く深呼吸をしたあと、長椅子に座った。


「エルフルドさまと、もっとお話したいな」


 七都は、呟く。

 アーデリーズは、七都自身と重なるところがある。

 人間と魔神族の混血であるということ。

 その狭間で思い悩んでいるということ。

 しかも彼女は、自ら望んだわけではなく、無理やりこの世界に連れて来られたのだという。

 地の魔王になったのだって、もちろん彼女の意志ではないに違いない。

 どれだけ悲しく、やりきれなく、苦しい思いをしてきたことだろう。

 イデュアルを連れ帰った城主ランジェは、周りの環境の変化を受け入れられなくて、心が壊れてしまった。

 アーデリーズは、心が壊れないよう、必死に自分を保っている。どこか痛々しい。

 砂漠で旅人をおちょくるのは、きっとストレス解消の為なのだろう。

 時々ヒステリックっぽくなったり、投げやりでどことなく醒めているような感じがするのは、人間としての未来をあきらめざるを得なかったからなのかもしれない。

 七都に好意を持ってくれているのも、自分と同じように、七都が人間の血を引いているから、という理由が大きいに違いないのだ。

 また、地の都に来てもいいかな。エルフルドさまとお話しに。

 イデュアルのことも話さなくてはならないし。

 あの窓のないお城にも、連れて行ってもらおう。

 七都は、思う。

 エルフルドさま。いえ、アーデリーズ。

 あなたが心配するほど、わたしのあなたに対する態度は、変わらないと思います。

 だってわたし、この世界の常識にも、魔神族の常識にも、欠けてるんだもの。

 でも、取り敢えず今は、キディアスを撒く方法を考えなくちゃ。

 あの人と二人旅で風の都に行くなんて、絶対にいやだ。


「ねえ。どうやったら彼を撒いて、風の都に行けると思う?」


 七都は、目の前のストーフィに訊ねたが、もちろん銀の猫ロボットは黙って七都を眺めるだけで、答えは返ってはこなかった。

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