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第三章 「将星たち 後編」

ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻10月1日  午前11時30分 旧首都キビル郊外 ルビア山山頂部


 徒歩で登れば30分ほどで登頂可能な山を、傍目から見れば緩やかに縛り付けるように通された螺旋状の広い山道を地上車は進んでいた。山道を歩いていた現地人が車とすれ違うたびに顔を引きつらせて端へ寄って道を譲った。


 垂直に伸びた木々の、幾重に渡る連なりが真上から差し込んでくる真昼の日光を遮っていた。そうした環境が醸し出す山地独特の冷気が、少しだけ開け放たれた窓ガラスから車内に侵入してくるのがわかった。


 ローリダ植民地軍の所属を示すナンバープレートはここでは最強の通行証明といっていい。ノドコールに限らず、ローリダ共和国の支配下に置かれた国でそれが通用しない場所、道はほとんど無いと言える。植民地によってはこのナンバーの車に出くわした場合現地人は無条件で道端にひれ伏さねばならない所もあるほどだ。


 かつては聖地として山頂に大地の神を祭る神殿が置かれ、ノドコールの人々の信仰を一心に集めていたルビア山も、ローリダによる統治下に置かれ、ローリダの国教たるキズラサ教以外一切の信仰を禁止されるようになった現在。「悪魔崇拝の象徴」たる聖殿は焼き払われ、キズラサ教布教の拠点たる「聖殿」の建設計画が進捗していることを車内のミヒェール‐ルス‐ミレス国防軍参謀中尉は知っていた。吹き込んでくる山地の冷気に飽きたかのように彼女が窓を閉めるのと、前席で運転を担当する兵士が口を開くのが同時だった。


 「中尉殿、まもなく山頂に到着します」

 「わかりました」


 形の良い、花びらのような唇から開かれた抑制された口調が、聞く者に育ちの良さを感じさせた。


 車が、山頂に到達した。鬱蒼と茂った山道から一転して開けた山頂に出来ている人だかりを、ミヒェールは怪訝そうに眺めた。神殿が焼き払われて以来、いかなる形であれ、現地人によるここでの集会は禁止されているのだ。


 運転手の兵士は先に下りると、そそくさと後席に回ってドアを開けた。降り注ぐ日差しが、暗い山道に慣れた眼には少し厳しい。


 短い背、短めにカットしたくすんだ金髪、鈍く光る丸眼鏡……美形ながら冴えないそのような容姿から、ミヒェール‐ルス‐ミレスがローリダでも名門の貴族の家柄の出であることを想像出来る者はいない。ローリダ国防軍制式の野戦服の上に軍用コートを纏ったその姿が、ただで冴えない彼女の容姿と挙作をいっそうどん臭いものとしていた。が、そのような姿から彼女がローリダ国防軍の最高学府たる参謀大学校主席修了の俊英であることを想像出来る者もまた皆無である。


 兵士は、その場で待たせた。


 なだらかな丘陵を登って歩くのは、軍人たる彼女にとって苦ではなかった。ただ、山頂から刺すように注がれる現地人の視線が、彼女に不満にも似た不快感を芽生えさせた。


 ――――そう、彼女は不満だった。現在の境遇に。


 ローリダ国防軍の一線級士官は誰であれ軍職にある内少なくとも一度は植民地における勤務を義務付けられる。軍人としての栄達を目指して未だ抵抗運動冷めやらぬ植民地での勤務を熱望する者もいれば、出自からすでに輝かしい、安定した将来を保証されているが故に本国を離れた勤務を疎ましく思う者もいる。ミヒェールはどちらかと言えば後者のほうだった。


 彼女が軍人を志望したのは別にその果敢なイメージに憧れたのでもなく、軍内での栄達を目指したわけでもなく、ただ好きな歴史の勉強を続けたいというその一心からであった。当時籍を置いていた女学校から大学の女子特別科に進む方法もあったが、そのような「あからさまな」方法ではやたらと有力貴族との縁談を勧めたがる両親を説得できなかったし、こと男女間の格差是正に関して閉鎖的な学会にあまり期待をおいていなかったという理由もある。軍の戦史研究室にでも身を置けば、そうしたしがらみから離れて自由な研究生活が出来るというものだ。彼女が軍を選んだのにはそういう打算にも似た理由があった。


 ……が、少し当てが外れた。


 渋る両親を説得し、入学試験を経ずに貴族階級専用の特別採用枠を使って士官学校に身を置くこととなった彼女は眼が悪いということ、外見が冴えないという点を除いては「模範的な優等生」で通った。学業成績は優秀であり、特に戦史の分野、更には戦略分析の演習においては周囲の男子学生はもとより教官までも驚かせるほどの結果を示した。また、学校で課される体育競技や練成訓練も一通りやってのけてこちらの点でも国防軍士官として水準点にあることを示した。彼女が士官学校を同期の卒業生中四番の成績で出たのは、別に授業で示された才幹において彼女を上回る学生が上に三人も存在したからではなく、ただ学業以外の、実技や体育の成績が士官候補生としてとしてあくまで「水準点」であったからに過ぎない。実際、卒業後に彼女のみが「参謀大学校受講予定者」として士官学校内勤務の名の下で予備学習を行っていたことからも彼女の優秀さがわかるというものだ。通例では士官学校卒業後最低三年の実務経験を積んでからでないと参謀大学校への入学資格は与えられないのだから、これは異例の取り計らいといえた。


 確かに、こうした異例の措置の背景には、名門貴族の令嬢としての面も持つミヒェールに対する軍上層部の格段の配慮とも取れる面もあるであろう。だが、難関といわれる参謀大学校入学試験を一回で突破し、更には国防軍史上最年少での主席卒業を成し遂げたのは明らかに彼女の実力だった。


 彼女にとっては、たんに知識の手慰み物にしか過ぎないような戦略分析や机上演習の作戦案が、彼女より年齢も階級も、あまつさえ軍人としての経験も上のはずの教官たちに高い評価を受けているというのは、拍子抜けする性質のものであった。その一方で、優秀な人材が育ちつつあることに喜んだ上層部は、その「人材」に経験……というより経歴を付けさせることを考え付き、本人の与り知らないところで実行に移したのである。


 それが、降って湧いたようなスロリア方面軍への赴任であった。役職は参謀見習である。名称こそ輝かしい未来に溢れていそうなものだが、実際の仕事は平時の幕僚間の連絡係、もしくは現地で行われる作戦演習や机上演習における幕僚の補佐といったところだ。要するに参謀とは名ばかりの役職なのだが、これを参謀見習と称した最初の人間は結構頭がいいと内心ミヒェールは思っているのだった。


 では、肝心の参謀達の能力がどれ程のものなのかというと……ミヒェールは嘆息を禁じえない。酒宴の席で演説を打ったり滞りなく酒瓶を揃える事には巧みでも、地図を睨みつつ作戦遂行への進言をしたり補給に腐心したりすることに関しては素人同然の連中の、ある意味寸劇にも似た遣り取りを遠巻きに眺めるたびに彼女は幻滅と失望にも似た感情を揺り起こされるのだった。それでも戦闘で勝っていけるのは当の相手が装備や戦術面で自軍より遥かに劣勢であるからに過ぎない。


 否……例外もいた。彼女がこれから会おうとしている男が、まさにそうであった。


 「ホーラ、私の勝ちだ」


 転んだサイコロは、かつては神殿のあった広場でサイコロ賭博に興じる現地人に混じった赤い軍服の勝利を示していた。


 不平と悪態とともに軍帽に投げ込まれる現地の金貨、そして軍票にミヒェールは形のいい眉を顰める。軍票はともかく、金銀などの貴金属を現地人が持ち歩くことなど、ローリダの施政下に置かれたこの街では禁じられていた……信仰の妨げになる。あるいは……文明化の程度の遅れた劣等種族に、貴金属の所持という「文明人の行為」など時期尚早という理由で。


 「もう一回だ! もう一回!」


 胴元らしき男が言い、サイコロを投げ入れた鉢を振り上げた。これを都合三回繰り返し、出た目の合計を当て合うのだ。単純なルールだが、関わる当人達の表情は切実だった。職のない彼らにとって、今日の勝ち負けは自身のみならず家族の食い扶持にも掛かってくるからだ。


 「私はこれだけ掛ける」


 と、軍人は金貨三枚を投げ入れた。占領政策の影響の一環として、インフレ気味の現地の物価でもこれだけで麦一ヶ月分を買える。大佐の階級章をそのままに下賎な賭博に興じる青年に、内心で烈しい怒りを覚えざるを得ないミヒェールだった。青年が単に何の取り得もない無能な軍人ならば、彼女は即座にこの軍規違反を上級の司令部まで通告したことだろう。


 ……だが、彼女にはその意思がなかった。


 一回……二回……そして――――


 「四……!」


 男の賭けは、当たった。再び悪態とともに投げ入れられる貨幣で、佐官を示す羽飾りに彩られた軍帽が埋まるのに時間は掛からなかった。


 「では、私はこれで失礼」


 座から腰を上げた大佐を、胴元が怒鳴りつけた。


 「そんなっ……酷いよ旦那」

 「勝負は時の廻り合わせのもたらすもの。私はそろそろ潮時のようだ」


 そう言いつつ、銀貨一枚を大佐は指で跳ね上げた。弾かれた銀貨は回転しながら数秒の空中散歩の後、慌てて手を広げた胴元の手元に見事な着地を見せる。


 「参加料だ」


 嬉々とする胴元を尻目に、男は軽い足取りで歩き出した。着ている服はローリダ国防軍の高級士官の制服ではあっても、その仕草の端々からは、洗練された武人の挙動というより線の細い、華奢な学者の卵のそれを思わせた。その上に階級は大佐!……よほどの軍功を上げたか、軍上層部の度を過ぎた贔屓でも期待しない限り、あの若さであれほどの階級は先ずあり得ない。そしてミヒェールは、今日の彼の栄達が、前者にその要因の大半を負っていることを知っていた。だからこそ内心では一層、彼のあの振る舞いを看過できない。


 「あ……」


 先程から遠巻きに彼の挙動に眼を光らせていた女性士官を認め、青年は顔を強張らせる。勝利の余韻は、長くは続かなかった。


 明るめの金髪を撫で付けると、青年士官は言った。


 「分け前が欲しいというのなら、気兼ねすることはないぞ」


 階級に似合わない、陳腐な言い訳にも聞こえた。そんな青年の弁解を無言のまま、ミヒェールは一回の咳払いを以て打ち砕く。


 「あなたには、栄えある共和国国防軍士官としての自覚が無いのですか?」

 「そんなもの、端からないさ」

 「……司令部へお急ぎ下さい大佐。車を用意して御座います」


 ミヒェールの抑揚に乏しい、冷たい一言など、意に介さないかのように、ロートは大欠伸とともに空へ向かって背伸びした。その態度は、どう見ても栄えある国防軍軍人のそれではなかった。むしろ悪戯を見咎められ、不貞腐れた少年のそれと形容した方がいいのかもしれない。それ以上に彼女にとって疑問なのは、この外見や立ち居振る舞いでは軍人と言うには程遠いこの男が国防軍随一の逸材とされており、誰憚ることのない歴戦の勇士であるということだった。


 センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロート大佐というのが、彼の名であり、階級であった。現在二八歳。このまま順調に軍功を重ねれば、三十を出ずして将官になるのは確実とされている。


 ロートは国防軍士官学校を出ていない。本来教師志望で、師範学校に席を置いていたこともあった彼はある些細な事情で志望を絶たれ、家庭も経済的にも裕福とは言い難かったが故に、学費の殆ど掛からない教育の場として軍隊を選んだ。当然一兵卒からの志願入隊で、長居する気など塵ほどもなかったのだが、その後に続く内外の事情が、彼をして軍隊社会で生きるべく仕向けたと言えるのかもしれない。


 入隊の翌年。ロートは給料の倍増という、およそ国防に身を捧げる立場としてあるまじき動機で一般公募の幹部候補生養成科程に要領よく名を連ねることに成功し、国防軍少尉に任官した。動機が動機だけに卒業成績は決して優秀とは言えず、可もなく不可もない……と言ったところか。むしろ凡そ軍人としての自覚に欠ける言動はこの頃から幹部学校の教官連の間で問題になっていたらしく、任官して最初に配属された本土駐留の歩兵連隊時代の上官の、彼に対する心象もまた悪かった。暇さえあれば官費で調達した歴史書や教育書を読み漁り、将校クラブでも同僚と打ち解けることなく、カウンターの端っこに居座りミルクティー一杯で時間を潰していた(彼は下戸だった)……部下の下士官兵の間では、「話のわかる小隊長殿」として相応の畏敬の念を抱かれてはいたのだが。


 ロート自身はこのまま本土にとどまり、教育部隊において新兵の教育係を勤めることを望んだ。辞書的な意味での徴兵制が有名無実化したローリダ軍では、農奴出身の新兵の増加に起因する文盲率が高まっており、彼らに軍隊生活に必要な最低限の読み書きを教える上で、ロートのように教職に関して若干の経験のある人材は少なからぬ需要があったのである。軍内における栄達など、初めからまったく興味はなかった。


 それに、同時期に扶養すべき被保護者を得たことが、彼の本土勤務への指向を一層強めた。事故で死んだ長兄に、当時一二歳の一人娘がいたのである。彼にとって姪に当たるその少女の名はリュナと言った。父の死後、確たる身寄りを持たなかったリュナの面倒を、当時未だ一介の「貧乏士官」に過ぎなかったロートが見ることになったのだ……とは言いつつ、家事の一切に関し全くの無精者だった彼の家庭に関する一切は、一週間の内にこの若干一二歳の少女の掌握することとなってしまったわけで、ロート自身にとっても毎日のように官舎で暖かい食事を食べられるようになったことは、嬉しいことではあった。あとは教員のツテが見付かるまで、「平和な」本土勤務が続けば言うことはない。


 だが、「勇敢、剛健、強壮」というローリダ国防軍軍人の理想像からは程遠い彼の素行が、彼のその後の針路を決した。安穏としていられる本土から一転し、中尉に昇進したロートは、意に反して、と言うより半ば懲罰的に銃火の交錯する植民地獲得戦争の最前線へ送られることとなったのである。


 ……が、皮肉なことに前線での経験が彼の隠れた才能を一気に開花させた。他の追随を許さない指揮官としての才幹と、天性とでもいうべき抜群の用兵能力をこの青年は備えていたのだ。もっとも彼がそのことを自覚するのに合計二十回余りの実戦経験と勝利が必要だったが、その頃には彼はすでに大尉の最短在任期間を半年も更新し、全軍で三番目に若い少佐になっていた。前二者が純然たる士官学校出身者であり、軍内の閨閥に連ねる者であることを勘案すれば、これは異数の出世と言ってよかった。


 かくして、二年後――――かつては厄介払い同然で本土から前線への赴任を命ぜられた中尉は、西方の都市国家ザマルデ‐ガント攻略戦で戦局の転換に寄与する抜群の戦功を上げた恩賞として、一時休暇と共和国国防軍軍人の最高の栄誉である元老院名誉勲章を得るべく本土に帰還したときには、国家の英雄として全国民の歓呼を以て迎えられる気鋭の中佐となっていた。


 ……が、ここで彼は一つの「伝説」を残した。ローリダ国防軍における栄達を目指す者なら誰もが熱望して止まない元老院名誉勲章。それも国家の最高指導者にして軍の最高司令官たる執政官自らの手で胸に懸けられた元老院名誉勲章を、彼は事もあろうに質に入れてしまったのである。国家功労者に与えられる勲章をすんなりと受け入れてしまう質屋も質屋だが、その勲章を何の未練も示さずに手放した英雄の神経の程を誰もが疑った。


 たとえ他者に愚行と謗られようと、ロートにはロートなりに正当な理由があった。質に入れた勲章と引き換えに得た金を、勲功によって支給された一時金も上乗せし彼は戦争孤児の救済目的に寄付したのである。軍の威信を軽くあしらうかのような彼の行為に対し、始末書の代わりに孤児院の子供たちから寄せられたお礼の手紙の山を前にしては、軍上層部といえども追及の矛を収めるしかなかった。


 「勲章で飯は食えないが、それで飯を食わせてやれる人間がいるのなら、一人でも多くの人間に飯を食わせてやるのも、また一興」


 と彼が言ったかどうかは知らないが、勲章を質に入れたその晩。彼は家でささやかな祝杯を上げた。被保護者たる姪リュナの作ってくれたシチューを肴に。街の酒屋で買ったやや値の張るワインを一杯「だけ」傾けたのだ。それが彼のささやかな贅沢であり、最上のご褒美だったのだ。


 凱旋の後、今後の希望を聞かれた彼は当初の希望通り、教育畑に進むことを望んだ。これまでの国家に対する貢献度合いから、当然彼は自分の希望がかなえられるものと思っていたが、それは彼にとって意外な形で裏切られた。参謀大学校への入学を命ぜられたのである。それも無試験で。


 本来なら栄転といってもしかるべき処遇ながら、国防教育の最高峰たる参謀大学校に身を置くこととなるや否や、不平屋という彼の持病はいきなり再発を見せた。講義をすっぽかして街中に繰り出すことも二三度ではなく、軍事上の理論展開を廻って教官と深刻な対立を見せたことも一度や二度ではない。その度に彼は実戦経験もないくせに机の上でしか通用しない教条的な軍事理論に拘泥する教官を論破し、参謀大学校内部における人望を加速度的に狭めていった。


 結果として、彼は通産一一度目の論争の末に上官侮辱の廉で参謀大学校を放校処分となった。それでも免職にならなかったのは、やはり過去の華麗な軍歴のなせる業だろう。そして彼は大佐に昇進し、再び追われる様に国外はノドコールの植民地軍司令部に、司令官付きの高級参謀として転勤となった。ここに、ローリダ国防軍史上稀な「参謀大学校未修了」の参謀が出現したのである。その肩書きは決して名誉ある響きではなかった。


 たとえ最前線に「島流し」(当人談)になったところで、傍目には肩身の狭い彼の境遇は変わり映えしなかった。回される仕事は殆どなく、司令部要員の過半を占める士官学校の学閥からは疎外され、作戦会議の席においても大して意見を求められない。赴任先で彼を待ち構えていたのは、いわば飼い殺しにも等しい一種の「冷遇」だったのである。まともな神経の持主――――少なくともミヒェール――――には、それは耐えられないことだった。


 ……だが、果たして当人にその自覚があるかどうか――――


 山を下りたばかりの車内。後席のロートをミヒェールは見遣った。当人は手と足を組み、すでにぐっすりと寝入っていた。彼女の視線の先の青年の寝顔に、まさに遊び疲れた少年のそれが重なった。彼と同年代の高級士官ならここキビルにも数多いたが、彼と対する時にだけ、聞かん気の強い子供に対しているような印象を感じてしまうのは何故だろう? そしてそれは彼女にとって、満更悪い感情ではないのだった。


 この青年は酒が飲めないのをいいことに司令部や植民地総督府主催のパーティーには顔を出さず、軍務を他所に現地の各所に出かけては物見遊山に耽っている。彼が立ち入る先と言えば、決まって占領下にある市街の、現地人が多く集る区域。そこで彼は現地の異種族と大いに語らい、ものを飲み食いし、週末は丸一日、封鎖された図書館や資料館に入り浸っては、ローリダの主観で言うところの「唾棄すべき遅れた文化」に積極的に接している。現地種族によるテロを恐れて市郊外の一等地に閉鎖的なコロニーを形成し、滅多に街中に近付かない上層部の連中と比べ、この青年が相当の勇気の持主でもあることは明らかだった。噂によれば、反ローリダ的な抵抗組織でさえ、この「不思議なローリダ人」のことを知っており、その人格に敬意を払う余りに襲撃リストから外しているということだった。


 それは元々歴史の勉強をする目的で軍人を志してきたミヒェールにとって、羨望を禁じえない生き方であるはずだった。自分が司令部の雑務や連絡、資料作成などに余計な時間を費やしている一方で、閑職にあることを逆手にとって日々を趣味と興味に消化している人間がいる。その男は士官学校の学閥に属さず、学校での成績も決して良好とは言えないのに、自らの才幹のなせる業か天運の采配の故か順調すぎるほどに武勲を重ね、今や押しも押されぬ国家の英雄!……むしろ彼に対する羨望と同様に嫉妬を感じている自分の存在もまた、ミヒェールは知っていた。


 だからこそ、彼に対する態度も冷たくなろうというものだ。そしてそれすらも意に介さないかのような彼の態度には、一層煩悶が募るというものであった。


 車は市の中央道を抜け、とある美術館―――というよりかつては美術館だった建物―――の前に差し掛かった。ローリダによる「解放」以来、この手の文化施設は破壊されるか閉鎖され、只朽ち果てるに任せるかのどちらかの道を辿っている。


 「停めてくれ」


 突然の声に、ミヒェールが指示を出す間も無く車は止まった。手ずからドアを開け、入り口へと歩を進めるロートを、ミヒェールは呼び止めた。


 「大佐、どちらへ……?」


 ミヒェールには無言のまま、微かに微笑みかけると、ロートは入り口に立つ警備の兵士に近付いた。慌てて背を正す兵士に、ロートが何かを握らせているのをミヒェールは見た。

すぐにロートは戻り、車は再び走り出した。


 「大佐は何をなされておられましたか?」

 「うん……ちょっとした慈善活動を、ね」


 慈善活動?……ミヒェールが心中でその単語を反芻している内、車はかつては王国だったこの国の中枢ともいうべき王宮の、壮麗な敷地に差し掛かった。そこに、「植民地」ノドコールの駐留軍司令部が置かれていた。


 現地種族の反乱勢力の襲撃を恐れて敷地内に設置された検問所は、ここ数ヶ月の間に倍に増やされている。鉄条網と土嚢に彩られたちょっとした要塞とでもいうべき検問所は、ローリダの占領下に置かれてもなお王国としての矜持を保ち続けるこの場を、その無骨さと威圧感で緩慢に侵食しつつあった。


 「嫌いだな……ここは」と、ロートはポツリと言った。

 「滅多な発言はお控えになった方が宜しいかと」


 警備の兵士に伴われ謁見の間へと通じる大回廊を歩く度に、ロートとしては自軍の軍規の厳正なることから程遠いことに暗然とせざるを得ない。かつては壮麗な彫刻と金銀宝石の装飾で飾り立てられていたであろう回廊は、キビル侵攻作戦時に王宮内に乱入した共和国軍兵士や民兵によりその悉くが略奪され、未だ荒廃するに任せるがままとなっていた。


 しばらく歩く内、開けた場所に出る。そこがかつてはノドコール国王が隣国や遠方より来たりし使者を接見し、王室の重要な儀式を執り行う場としても使われていた謁見の間であった。

 その中央の、一段高い場所に置かれていたであろう玉座。金銀宝石にその表面を覆われ、彩られた玉座も今はない。今や元老院議員の末席に加えられたノドコール解放の「英雄」クラタタス‐デウ‐エドリクサス自らの手により「戦利品」として持ち去られ、共和国の首都アダロネス郊外にある彼の豪邸の、膨大な数の美術収蔵品の一つに加えられてしまったからだ。


 「アルヴァク‐デ‐ロート大佐、参上致しました」


 総司令官執務室に隣接する将官用会議室へと続くマボガニー製の重厚なドアを潜れば、忽ち鼻につく嫌悪感に苛まれるロートがいた。「招かれざるはみ出し者」の入室に、一斉に冷たい視線を注ぐのは、ぶら提げた金モールや勲章も眩しいノドコール駐留軍の将官や高級士官。だが、彼等が軍服の装飾と階級章につり合う人格の持主であるかは甚だ疑問だ……その思いを抱いているという点では、ロートとミヒェールには一致があった。


 上座にでんと腰を沈めたノドコール駐留軍総司令官ナタール‐ル‐ファ‐グラス大将が、嘲弄するような眼差しもそのままに口を開いた。


 「……いち高級士官、それも無任所の身分で遅参か。戦場で神経のずぶどさも培ってきたようだな? ロート大佐」

 「ついでに、勲章も頂きましたよ。後生大事に……というわけには行きませんでしたが」


 途端に、髪量の少ないグラスのこめかみに青い筋が走る。激発しそうになるグラスを制するように声を上げたのは、駐留軍保安参謀のリタテル‐ル‐ホージ大佐だった。


 「貴公には、妙な趣味がおありのようだ……口に出すのも憚られる副業で稼いだ小金を、美術館の維持に寄付なされておるとか」

 「ええ……蛮族に対するちょっとした憐憫ですよ。私なりのね」


 と、グラスの了解を得ずに与えられた末席に腰を下ろしながら、ロートは言った。誰もそれを咎めないのは、誹謗の対象ではあっても、やはり彼の共和国に対する貢献度に皆が一目置いているからなのだろう。将官の副官や他の参謀補佐の士官と同じく隅に控えていたミヒェールは、はっとしてその瞳をロートに向ける。


 ホージは続けた。軍功によってではなく、富豪の父の尽力のお陰で、ロートと同じく若くして大佐となった彼が現在やるべきことは、この圧倒的な競争者を、この機会に徹底的に貶め、自分の「英才ぶり」をこの場の全員に印象付けることであったのだ。


 「だが、現地種族と交わっての賭博とは……感心しませんなあ」

 「情報収集の一環です。どこぞの保安隊はこういう市井の内情収集より、市民より通行料を巻き上げることにご執心であらせられる様なので。使える情報は自ら集めに行くしかない」

 「何だと、貴様!」


 ホージは目を向いてテーブルを叩いた。彼の目論見が、ロートの見事な切り返しの前に破綻したことを、ミヒェールは悟った。


 「不毛な応酬はもうよい」


 と、ホージを制したのは、駐留軍参謀長のノイアス‐ディ‐ファティナス中将だった。傍に控えていた副官に、資料の配布を促すと、ファティナスは一同へと向き直った。


 「早速議題に移りたい。過日、共和国国防委員会は重大な決定を下した。即ち、スロリア東部への再進撃である」


 そこまで言って、一同の反応を確かめるようにファティナスは彼らを見回すようにした。果たして、皆の反応は―――――反応を期待するまでもない若干一名を除き―――――彼の予期したとおりであった。配布された書類を手に、感嘆の声を漏らす者。眼を見開き、発言の主を見直す者……反応に満足したように頷くと、ファティナスは続ける。


 「作戦発起日時は12月8日。わが軍の最終目標はスロリア東端の都市国家ノイテラーネである。本土からの増援がキビルに集結する予定は11月初旬。その時期を待ち、我々は再度攻勢に出る。目標完遂予定日時は12月末。予定通りに行けば、我々はノイテラーネからニホン本土を睥睨しながら新年を迎えることとなろう」

 「増援……?」


 と、訝しげに眉を顰めたのは、第26師団長のエイギル‐ルカ‐ジョルフス中将である。軍歴にあること30年余り。年季と相まってその用兵手腕は熟練の極致にあると評されている。大きな鷲鼻と顔中に刻まれた幾重もの皺が、戦歴の豊富さを伺わせた。


 「増援など、待つに及ばぬ。現にわが軍は過日のスロリア戦でも連戦連勝。ニホンの蛮族どもを撃破して見せたではないか。中途に暴動さえ勃発しなければ、ノイテラーネまで侵攻できたというものだ……!」


 と、ノドコール植民地警備部隊の責任者たる保安部長のディスラス‐ガ‐ダーリア少将を睨みつける。歴戦の将の烈しい眼光に竦み上がる少将を庇うように、ファティナスは言った。


 「そう怒るものではない。現に戦力の再編成が必要な局面ではあったし、民族防衛隊の中には終盤で敵の反撃を受け、少なからぬ打撃を受けた部隊も出たと聞く。戦闘の停止は不可避のものであったと考えるのは本職だけではない」

 「だが、増援は必要なかろう」

 「増援は、国防委員会の意思にあらず。ティル‐ティタールの意思である」

 「…………!?」


 その途端、全員の視線がグラスの巨躯に集中した。ロートですら、議論の応酬を他所に見入っていた資料から眼を離し、発言の主に眼を細めたものだ。


 彼には珍しく、ロートは進んで手を挙げ、発言を求めた。


 「……で、その増援部隊の内訳をお伺いしたい」


 「増援部隊は近衛軍団を中心に三個歩兵師団、一個機甲師団で構成される。こちらに到着すれば、ニホンの蛮族駆除に圧倒的な威力を発揮することとなろう」


 「機甲師団だとぉ……?」


 嘯くように言ったのは、第57師団長 グラーフス‐フ‐ラ‐ティヴァリ少将だ。


 「機甲師団なぞ、ローリダの何処を探しても一個しかないではないか。国防相閣下におかれては、かわいい娘婿に華を持たせてやるおつもりと見える」


 「ティヴァリ少将、滅多なことを言うものではない」と、ファティナス。

 「大体、目ぼしい敵もいない今、最新鋭のガルダーン戦車を何処で使うのか? スロリアに根菜畑でも拓く気か?」


 ティヴァリの品の悪い冗談に、一部が同調し、笑った。だが彼の言葉には意味がある。共和国最新鋭で、未だ共和国唯一の機甲師団「赤竜騎兵団」にしか行き渡っていないガルダーン戦車など、弱小の相手を前にした現下のスロリアでは使い所が無い。投入するだけ無駄である。


 ティヴァリたちの嘲笑を無視するかのように、ファティナス参謀長は資料を捲った。


 「……さて、作戦発起時における各軍との連携であるが、先ず空軍の爆撃、攻撃航空団が払暁を期して敵前線へ進撃、これに打撃を与え、わが陸上軍の侵攻を支援する。迎撃に上がるであろう敵戦闘機は数が少なく、また存在してもその性能、搭乗員の技量共にわが軍より遥かに劣悪なものと考えられる。従って空軍は制空専門の戦闘機はなるべく必要最小限に止め、爆撃機や攻撃機戦力の充実を優先するとの意向だ。

 海軍はキビル、スメシア、ファルヴァ等各主要港を出撃した潜水艦隊が南スロリア海に展開、通商破壊及び邀撃に出るであろう敵艦隊に当たる。一方、大型水上艦を主力とした打撃艦隊はスロリア北方に展開し、海上輸送路の防衛及び地上目標に対する艦砲射撃を以て地上軍を支援する手筈となっている」

 「質問……」

 「ロート大佐か、何かね?」

 「赤竜騎兵団及び、同じく近衛軍団隷下部隊の指揮系統についてお伺いしたい。それらの部隊は作戦発起の際、全てグラス閣下の指揮下に置かれると理解して宜しいのか?」


 ロートの質問に、グラスは咳払いした。共和国国防軍でも最高クラスの練度と装備を持ち、待遇においても優遇されている近衛軍団は、法規上では国防委員会の監督を超越し、元老院の直轄下に置かれている。


 「ロート大佐。貴官はこの数ヶ月の内何を見てきた? 我々駐留軍は他国に優する装備を持ち、将兵の練度、士気ともに高い。今次の戦は駐留軍の戦であり、増援の連中はあくまで他の第三者と同じく観客であるに過ぎん。もちろん、観戦の暁には最も見晴らしの良い席を用意するがな……ことさら我等の監督外の近衛に我等がしてやれることといえば、それぐらいだ」

 「監督外……?」

 「そう、彼らはスロリアにありながら我等の指揮下にはない、だが当の我等も彼らを必要としてはおらぬ。だから戦闘の際は彼らには何もさせることはない。お解かりかな、ロート大佐」


 ファティナス参謀長の補足に、ロートは困惑したような表情で押し黙った。


 ……そして、恐らくロートがこの瞬間に抱いたであろう懸念と同じそれを抱いた者が、一同の中にもう一人いた。ミヒェールである。


 グラス総司令官の言葉を真に受ければ、いざ戦闘になった場合、前線には複数の指揮系統が現出することとなる。それはややもすると、味方間の連携を阻害し、有機的な戦力運用を妨げる結果に繋がる。そして仮に……ではあるが、対する敵の作戦行動が巧緻を極めた場合、最悪それは前線の崩壊に直結する――――


 ――――会議が終わり、散開する一堂の中で、重荷から解放されたような足取りで官舎へと戻るロートの後を、ミヒェールは小走りに追った。


 「大佐っ」

 「ん……?」

 「おかしいとは、思いませんか? 増援のこと……」


 ロートは嘆息しながら、ミヒェールを省みる。


 「そりゃあ、おかしいだろうさ……でもね……」

 「でも……?」

 「私だって、あの場では遠慮する途ぐらい心得ている」

 「…………」


 呆然とするミヒェールを尻目に、ロートは足早に総司令部の廊下を足早に歩いていく。




日本国内基準表示時刻10月1日 午後2時23分 東京 防衛省本庁舎



 「け、敬礼っ……!」


 陸将専用車ナンバーをつけた黒塗りの乗用車が、正門に備え付けられた検問を抜けた瞬間。衛兵は心臓を握りつぶされるかのような圧倒感を胸に、車の主に敬礼を送った。


 車から降りた男は、折り目正しい濃緑の常装にその力感溢れる巨躯を包んでいた。だが、外見とは裏腹にその足取りは若者のように軽い。


 擦れ違う武官が立ち止まり、圧倒的に階級が上である彼に敬礼を送る。一人一人を一瞥し、腕を振り上げて敬礼で応じる度、誰もが男の醸し出す迫力に気圧され、大人を前にしたかのような感銘へと陥れるのだった。


 そのまま窓口へと歩み寄ると、男は言った。


 「植草幕僚長を頼む」

 「アポは取られておられますか?」

 「阪田が来た、と言えば判る」


 男は、それだけを言った。窓口の係官が反射的に内線電話を取り、応答を促す。係官にそうさせざるを得ないほど、男の口調には重みがあった。


 「植草幕僚長は、大臣公室でお待ちしているとのことですが……」

 「……それで、よい」


 それだけを言い、男はエレベーターへと向かう。高速エレベーターは忽ち指定した階まで男を運んでいく。


 防衛大臣公室の窓口まで達したとき、秘書官が電話を取り、執務時間中の桃井長官へと繋ぐ。


 「阪田陸将が参られました」

 「お通ししなさい」


 と、受話器から桃井の弾んだ声が響く。ややあって通された先では、澄ました表情の桃井 仄防衛大臣と、植草が通された阪田 勲陸将を満面の笑みで待っていた。

植草が、言った。


 「阪田さん……来ると、思っていましたよ」


 阪田は、植草を一瞥した。


 「別に、あんたに頼まれて来たわけではない。わしは、わしの意思でここまで来た」


 桃井が、椅子から身を乗り出すようにした。


 「確認させていただきます。総司令官就任要請を、受けますか?」

 「……ご婦人の頼みなら、断れませんな」


 と、阪田は軍帽を脱いだ。その言葉に植草は苦笑した。


 「これが、この阪田 勲 最後のご奉公です」


 微かな笑みが、そのがっしりとした口元に浮かぶのを、植草は見逃さなかった。



 ……一週間後、防衛省は陸上自衛隊東北方面隊総監 阪田 勲陸将の任を解き、スロリアPKF総司令官就任の辞令を発することになる。




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