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第三一章 「業火」

ローリダ国内基準表示時刻12月22日 午前6時17分 本土南東部 ダルトラント空軍基地


 東方より雲々の重なりを超えて投げかけられた曙光の朱が、巨大な繭を思わせる格納庫より牽き出されたばかりの銀灰色の鵬翼を、眩しく照らし出していた。ただ一面にコンクリートの地面のみが広がる駐機場までその巨体は誘導され、そこで整備員の手により開かれた爆弾倉扉の、そのまた内側に啓かれた空洞が、おそらくはこの国で最強の破壊力を持つ物体を胚胎する瞬間を待ち構えていた。


 そして、鵬翼を駆るべき男たちは、未だ繭の中にあって従軍司祭の説教に聞き入っていた。


 「――――キズラサの神は言われた。汝ルフェルス、この世に在る邪なる全てを平らげし者。汝ルフェルス、この世に在る我が意に背きしをなべて戮せし者。汝ルフェルス、この世に在る我が僕を守るを全うせし者……我、汝に無限の祝福と永久(とわ)の安息を以てこれに報いん―――――」


 ルシフェル伝―――――それは「聖典」の一章。


 ルシフェル伝―――――それは唯一神の意思の体現者にして、最も忠実なる僕たる古の勇者の言行録。


 キズラサ教においてこの章の朗読は、あるいは壮途に赴く者を称揚する意味合いを持っていた。


 「――――我、神の第一の(しもべ)にして、神より悪魔の掃滅を委ねられし者なり。我神の目となりて地上に悪魔を見、我神の刃となりて悪魔の胸に()を突き立てん――――」


 説教の進むにつれ、老境に達した司祭の頬は、あたかも赤子のそれのように紅潮し、声は外見にそぐわない美しさを以てそれを格納庫の一帯に響き渡らせていた。説教に耳を傾ける男たちの、演壇を見上げる目からも一切の惰弱と緊張が消え、それらは発露される勇気と攻撃への強い意思に座を譲っていくのだった。


 「――――キズラサの神は言われた。我は天地を創りし無二の父なり、天地を統べし唯一の主なり。我より他の神を崇めることなかれ。我と偽りの神を並び立たせることなかれ。()を為す者我が子に非ず。即ち悪魔なり――――」


 ――――その間、「物体」は、専用の牽引車に曳かれ、慎重な運転を経て爆撃機の胴体下に達した。


 「物体」を運んできた牽引車の運転手、そして爆撃機の下部で「物体」を待ち構えていた武器員の何れもが、上下に繋いだ真白い防護服を纏い、顔前面を覆う防毒面は、彼らから表情すら奪っていた。そして防毒面の下の彼らの素顔もまた、間近に目にする「物体」を前に、一切の表情をも失っていた。

 

 ローリダ共和国―――――我々の気高く、そして勇ましい自由と神の国は、危機に瀕していると、この基地の誰もが考えていた。


 それは実際には正しかった。神聖なる国土より遥かな東方に、忽然と出現したニホンという名の脅威。彼らは12月8日の開戦からわずか二週間の内に共和国の、ひいてはローリダ高等文明の誇る最新兵器の悉くを圧倒し、陸に、海に、そして空に飽くことなき進撃を続けている。「赤竜騎兵団」の敗北に代表される地上戦の完膚なきまでの敗北。もはや短日時での回復の適わぬ空軍の壊滅。無敵を呼号した「白獅子艦隊」の敗走――――それらを予測しえた者は、この神に祝福されし共和国にはほとんど皆無であったはずだ。その結果として現在、彼らを止める鍵は、もはやローリダ共和国国内に――――それも極秘裏のうち――――に五本の指を出ぬ数だけ存在し、保有されている「物体」――――――「神の火」にかかっていた。


 共和国空軍 戦略航空軍 第781爆撃飛行連隊に所属するロドム-775戦略爆撃機「エイラ‐ノヴァ」に、ローリダ本土南端に位置するダルトラント島の空軍基地への進出が命ぜられたのは、先日の夕刻に差し掛かろうという時間帯であった。それも、飛行連隊長セシルス‐デ‐ガ‐カミルス大佐以下、全飛行要員の内練達の士を選りすぐったたった一機のみの「指名出撃」である。彼らとともに目標上空へ進出を果たすこととなったその一機の爆撃機に、愛称として冠せられた「エイラ‐ノヴァ」とは、連隊長カミルス大佐の前任の連隊長の母親の名から取ったものであった。


 排気タービン過給機と緊急加速ロケットを搭載した複列空冷エンジンが四基、それらに動力を得た六翅の二重反転プロペラと、角度のきつく幅の広い後退翼……数的な面で共和国空軍の主力であるルデネス-10型に輪をかけて巨大な胴体の上に、先述したそれらの形容を与えれば、ロドム-775の外見をほぼ言い当てたことになる。構造、性能の面でもルデネス-10型の上位に位置し、もっぱら長距離の索敵、哨戒任務に当たることを期待して少数が調達されたロドム-775には、秘密にされながらももうひとつ、かつ最も重要な存在意義が与えられていた。


 ―――――それは、「神の火(ヴァルダ‐フィア)」の運搬手段としての存在意義である。


 それが目標上空に解き放たれるまでロドム-775の、ルデネスのおよそ三倍の搭載量を持つ爆弾倉を仮の宿りとする「神の火(ヴァルダ‐フィア)」は、ローリダの国防政策の闇の部分の象徴であり、対外において行使する軍事力の担保でもあった。「神の火(ヴァルダ‐フィア)」により戦勝の悉くを安堵させられることとなったからこそ、共和国ローリダは国外の勢力に対し強硬な姿勢をとることができていたし、その存在が共和国の対外膨張策を根底から支えていたといっても過言ではない。だが、「神の火(ヴァルダ‐フィア)」の使用を国家の指導層に容易に決断させるほどの雄敵は、「転移」以来一度として現れることは無かった……そう、これまでは。


 ―――――だが現在、その雄敵がスロリアには現に存在している。

 

 説教は、自身の吐いた言葉にその精神の深奥までを酔わせた司祭の口により、こう結ばれた―――――


 「―――――我、天界における唯一の神なり。我『天界の炎』を用いて地の(よこしま)なるを滅ぼさん。我汝らを地に放ち、討魔の征途に赴かせん……! 汝ら勇者に、神の祝福あらんことを……!」


 そして男たちは席を発ち、出撃準備を終えた「エイラ‐ノヴァ」へと赴く―――――



 「――――全乗員へ、こちら機長、準備完了次第報告せよ」


 計器類が見渡す限りを埋め尽くし、レバーやコック類の雑草のごとく林立する操縦席に腰を下ろした後、機長カミルス大佐はインターコム越しに告げた。まさに、スケジュールに則りこれから通常の飛行訓練でも始めるかのように……


 「――――爆撃手、準備よし」

 「――――通信手、準備よし」

 「――――航法士、準備よし!」

 「――――機関士、準備よし」

 「――――尾部銃手、準備よし……!」


 彼らの他、機長と副操縦士を入れて乗員は七名、その巨体に比して、ロドム―775はその操作に関し省力化が徹底している。乗員全員の準備が整ったのを確認し、カミルス機長はニーパッドに貼り付けたチェックリストを捲り始める……これもまた、何時もの風景。


 「交流変換機……起動」

 「発電機……切断」

 「自動操縦装置……起動」

 「燃料ポンプ……起動」

 「ブレーキ……異常なし」

 「燃料切替……異常なし」


 その後に続く、細々とした操作と確認……それを重ねるうち、自身がこれよりこの国の未来を決する重要な任務に就くのだという重い感覚が、明確な輪郭を以て頭をもたげて来る――――離陸に臨むための全てを平穏と抑制の内に終え、カミルス大佐は無線機に呼びかけた。


 「キズラサより管制塔へ……我、発進準備完了」

 『――――こちら管制塔。キズラサ離陸を許可する。高度3000まで上昇後、交信帯を7に切り替えよ』

 「キズラサ了解……」


 離陸が許可されるのと同時に、大佐には操縦席の窓から外の様子を確認する余裕が生まれていた。飛行場の周辺、作業用の交通路を走る燃料車、牽引車、そしてクレーン車。格納庫と飛行場司令部との間を慌しく行き交う人員。管制塔のテラスから壮途を見守る将兵……それらに視線を巡らせるうちに一切の雑念が消え、ハーネスや通信ケーブル、酸素マスクとで座席に固定された自らの身体が、地上の指示に従って空を飛ぶ巨大な機械の一部と化していくのを覚える。


 副操縦士のアレヌス‐ファ‐デレス大尉がコントロールパネルに手を伸ばし、程なくして第1エンジンが覚醒の振動を奏で始める。それから後は早く、矢継ぎ早に起動されたエンジンが、飛行場一帯に金属と炎の調和により生を享けた重奏を響かせるのだった。


 「発進……!」


 ブレーキを解くや、滑走を始め誘導路に入る巨体……巨艦ですら一発で完全破壊する大型爆弾の1.5倍の重量を誇る「神の火(ヴァルダ‐フィア)」を抱えているにも拘らず、滑り出しは至って順調だった。

 主滑走路に出て一気に加速し、主脚タイヤがアスファルトを擦る音が消えるのと、ロドム-775が機首から完全に浮き上がるのと同時―――――


 「緊急加速ロケット点火……!」

 「フラップ角30……スロットル開度80」

 「トリム起動……!」


 ――――ときに、ローリダ国内基準表示時刻12月22日 午後6時37分。


 コールサイン「キズラサ」こと、「エイラ‐ノヴァ」は、飛び立った。


 彼女の向かう先に現出するものが何か、この世界、そしてこの時点で知る者は、未だ両手の指の数を出てはいない。

 



ローリダ国内基準表示時刻12月22日 午前6時45分 首都アダロネス 第一執政官官邸


 「――――報告します。『キズラサ』、只今発進いたしました……!」


 昇り始めた朝日が執政官官邸の巨大な窓に、その光のお零れを注ぎ始めた頃。ギリアクス‐レ‐カメシス第一執政官は秘書官からの報告により、自らの重大な決断が具体的な形を持ち始めたことを知った。


 窓から広がる木々、その枝から緑がすっかり消えた木々に目を凝らすにつれ、一国の最高権力者たる彼は、この世界で彼一人にしかできぬ決断を為し、そして彼がこの世で縋る事ができる唯一の存在を意識する。


 神よ……日ごろその片鱗すら出すことの無い真摯さを、苦渋に満ちた表情で瞑った瞼の裏に押し込み、第一執政官は自らの決断をもてあまし続けていたのだった。もはやニホン軍の完全に制圧するところとなったスロリア。その破壊力と使用後の影響力ゆえ共和国において執政官しか使用を裁可する権限を持たされていない「神の火(ヴァルダ‐フィア)」は、これをあの蛮族どもの魔手から約束された地を解放し、スロリアの支配権を確保するための最後の手段となるはずであった。


 「あとどれくらいで、爆撃機はやつらの上空に到達するのだ?」


 窓辺に佇み、カメシスは言った。背後を顧みることなく問いかけた先で、ドクグラム大将をはじめとする軍の高官が方卓を囲んでいた。作戦の推移を見守るべく官邸に入りつつも、着席したときから立場にそぐわない沈黙を守っている彼らのいずれもが、険しい視線をこの場における彼らの唯一の主人に注いでいた。


 「六時間であります。執政官閣下」

 「戦果は保証できるか?」

 「スロリアのニホン軍はおそらく、跡形も無く焼き尽くされ吹き飛ばされるでしょう。その後には死と荒涼のみしか残りませぬ」

 「ニホン軍の迎撃は……?」

 「ご安心を執政官閣下。奴らは交渉の間、一兵たりとも部隊を動かさぬことを約束しております」

 「そうか……!」


 カメシスの大きな口元に、微かな綻びが宿る。


 地上における最強最悪の兵器を、それも生の人間に対し使うという感覚などカメシスはもとよりこの場の誰もが持ち合わせてはいなかった。神の意思の赴くままに、地上を侵略し汚す悪魔を「神の火(ヴァルダ‐フィア)」を以て滅ぼす……むしろそう思わなければ、彼らの良心は恐るべき殺戮の教唆という呵責にかなりの間、否永劫に渡り苛まれることとなろう。彼らニホンの蛮族が、自身を我々ローリダ人と同じ位置に並び立つことができる人間であると信じている限り、それは真に人間たる我らローリダ人が浸け込むべき陥穽であった。神に択ばれしローリダ人にとって、彼らに楯突く敵はいかなる存在であれ打ち滅ぼすべき悪魔であり、彼らに対等という表現を使うことなど、決してあってはならぬ暴挙なのであった。


 そこに先日のうちに外交交渉の特使として慌しくアダロネスを発ち、治安の急速に悪化したノドコール首都キビルに到着するや、今朝の四時に再びノイテラーネへ向かったルーガ‐ラ‐ナードラのことなど、執政官の脳裏には配慮を示す余地すら存在してはいなかった。いくらニホン人が捕虜を得ているとはいえ、我々にとって交渉など時間稼ぎの手段でしかない。真意を知らされること無く、捕虜奪還という純粋な使命を信じて敵地に赴いた彼女がそれを理解していないのは、まさに幸いというものであろう。


 「神よ……我が決断を祝福し給え。我が決断に永劫の栄光を以て報いたまえ……」


 窓から差し込む光に目を細め、微かに喉を震わせ、カメシスはその胸中で神に祈った。同時に優雅さとは程遠い勢いで重厚なドアが開かれ、血相を欠いた秘書官がカメシスの許に駆け込んできた。


 「執政官閣下!……急報です。ノドコールで大規模な反政府暴動が発生いたしました」

 「現地の判断で対処すればよいではないか? 何のための総督府か!?」

 「それが閣下……」


 語尾を震わせる秘書官の報告に、カメシスの紅潮した顔から、鮮やかなまでに血色が退いていく―――――




ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻12月22日 午前7時51分 首都キビル 植民地総督府


 総督と呼ばれ、つい先日までこの地に王の如く君臨していた青年は、屈辱にも似た感情に肩と唇を震わせながら、彼の居城の最上階から拡がる混乱を見下ろしていた。「聖典」に描かれた背徳の街の荒廃ぶりを天界より睥睨し、怒りに身を震わせる創造主のごとき神々しさなど、もはや彼からは失われていた。


 市の各処より立ち上る黒煙は、最初に反乱の発生した8月の頃に比して、数と勢いを遥かに増していた。耳を澄ませば、高層ビルの最上階より、大きく隔たれた大地から上がる苦渋と怨嗟の声を聞くこともできるように思われたが、今更ながらそのような声に耳を傾けるほどの寛容さを、この貴族出身の青年は持ち合わせてはいなかった。


 ――――そしてそれゆえに、若き総督は反乱の勃発を見過ごす形となった。


 ――――そしてそれゆえに、キビルは今や、何時止むとも知れぬ混乱と衝突の只中にあった。


 発端は、ひとつの風聞だった。


 それによると、こともあろうにニホン軍はすでにノドコールに侵攻し、複数の村落が彼らに「解放」されているというのだ……! 総督府の支配下で極端なまでに視聴が制限されているラジオやテレビ回線、そうした厳重な電波管制を縫って唐突に飛び込んできたそれらの情報の多くが、現地の反乱勢力の地下放送局の声明に基づくものであり、事実は何ら確証が取れてはいなかったが、彼らにとっての「解放軍」たるニホン軍の接近と快進撃は、ローリダの圧制下に喘ぐ現地の人々に、確かに何がしかの希望とともに行動の原動力をも与えていたのだった。今回の風聞が現地種族の独立への闘志を喚起し、今回の突発的な、だが大規模な反乱へと繋がったのはもはや自明の理と言えた。


 青年―――――植民地ノドコール総督デルフス‐リカ‐メディスにとって、もはや彼の胸中は生涯で初めて負わされた屈辱と向けどころのない怒りの住処と化していた。為す術なく総督府最上階に位置する執務室の窓辺に立ち尽くし、眼下の惨状に胸を焦がしつつ、青年は自己をここまで追い込んだ過去を思った。かかる事態の責任の全ては自分にはなく、見通しを誤り、本来彼自身の命令で彼の王国たるノドコールの治安回復に当たるべき駐留軍の大半を東方への進撃に引き抜いた本国に、それらは科せられるべきであった。そこに開戦時、功を逸るばかりに当の現地軍に強硬なまでに前進を無理強いし、彼自身の手駒を壊走の淵にまで追い遣った自身への悔悟は一片たりとも含まれてはいなかった。


 現在、ノドコールで彼が動かせる兵力は二個旅団相当のわずか3000余り、それも彼の膝元たるキビルに集中配置させているわけではない、それらの軍部隊はすでに、各地で同時多発的に勃発する暴動への対処のため細切れにされ分散してしまっている。それ以外には民族防衛隊と植民者からなる民兵2000名と、ローリダに忠誠を誓う現地人治安部隊が3000名いるが、装備や練度から勘案して到底実戦には使えるものではない上に現地人はまったく信用が置けず、事実反乱の空気は彼らの間からも強まっていると聞く。


 もし、このようなときにゴルアス半島方面からニホン軍が越境して来ればどうなるか……それを考え、戦慄したのはメディス総督だけではなかった。ゴルアス半島方面には、どう少なく見積もっても二個旅団相当のニホン軍が展開し、彼ら半東北部からさらに北上しローリダ軍主力の包囲網の一翼を担っている。スロリア中部の地上戦が終息し、連携の制約を解かれた彼らがいち早く西方へ取って返しこちらに向かって来ればどうなるか? 各地に分散した上に装備、練度でもすでに壊滅した主力に著しく劣るノドコール方面軍など、彼らの圧倒的な攻勢を前に文字通り瞬殺されてしまうであろう。そしてメディス自身は……


 「……おのれ蛮族め!」


 声にならない声で、メディスは呻いた。単にニホン軍や報復に燃える現地種族に捕らえられ、殺されるだけなら未だいい、彼は生命を失った上に植民地を失陥させた初の総督、という汚名を背負い、その栄誉ある家名は忽ちのうちに地に堕ちるであろう……総督は死を恐れなかったが、名誉と矜持とを失うことに対しは過度なまでに神経質であったのだ。


 「―――――総督閣下……総督閣下?」

 「…………!」


 側近に背後から呼びかけられ、メディスは血走った眼差しを以てそれに応じた。総督の鬼気迫る形相に色を失い後退りする側近、だが彼は意を決し彼の仕える青年に具申する。


 「閣下、植民地軍に救援を要請しておきました。閣下には速やかに屋上にお上がり頂き、救援の回転翼機をお待ち下さい」

 「貴様!……何を言っているのだ?」

 「閣下、ここにいるのは危険です。暴徒の数は圧倒的なのです。総督府も間も無く彼らの土足に踏み躙られるところとなりましょう」

 「蛮族などに屈服などできるか!」

 「屈服ではございませぬ閣下、場所を移動していただきたいのです。反乱鎮圧の指揮をお執りになるための……」


 途端、総督は言葉を失い、少しの沈黙の後に漸くでそれを振り絞る。


 「ここは……危ういのか?」

 「警備指揮官によれば間も無く最終防衛線を突破され、暴徒は一階に達するものと……」

 「何と……!」


 両目を瞑り、総督は声を荒げた。再び――――恐る恐る――――眼を開いた先、地上では総督府ビルの周囲を取り囲むように配されていたバリケードの一角が群集の奔流に崩れ、征服者への怒りに燃える人々を彼らの征服の象徴へと突入させた。炎上する駐留軍の車両。応戦空しく逃げ場を失い、群集に取り囲まれ私刑の応酬に跪く植民地軍兵士……総督府陥落の決定的な瞬間と同時にそれらの光景を目に入れたとき、メディスの目の奥で何かが弾け、そして切れた。


 「……救援機は、植民地駐留軍司令部に行くのか?」

 「はっ……」

 「わかった……救援機を待つとしよう。それと……」

 「…………?」

 「本国に報告しろ。ノドコールは失陥の危機にあり……とな」

 「失陥……でございますか?」


 戦慄に染まる顔もそのままに問う側近に、メディスは蒼白な表情もそのままに頷いた。その蒼白の中に漂い出す狂気を、側近は見たように思った。




ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻12月22日 午前9時17分 首都キビル郊外 植民地駐留軍総司令部


 「――――報告します。メディス総督閣下、たった今総督府を離れこちらへ向かっております」


 その瞬間、これまでそれと全くに無縁であった総司令部に、安堵の帳が下りたかのようであった。だが、それも一時的な感慨でしかない。


 主戦域たるスロリア方面における地上戦の、ローリダ軍の敗北はすでに決したものの、当のニホン軍は停戦交渉に伴う一時停戦命令を律儀に守り、未だノドコールに足を踏み入れていないことは、各地からもたらされる報告によりすでに明らかになっていた。だが今現在ノドコールは、そのニホン軍を迎えずして、失陥の危機に瀕しようとしている……!


 植民地の失陥――――それが何を意味するかは、植民地駐留軍司令部に詰める一通信兵ですら容易に理解できた。ローリダはその版図を失うことは勿論、これまでノドコールに築き、注ぎ込んできた一切の経済的権益と資産をも失い、それは軍事的敗退以上に計り知れない打撃を本国にも与えることであろう。

 もはや持てる手を打ち尽くした……といった風に、ナタール‐ル‐ファ‐グラス植民地駐留軍総司令官はすでに用を為さなくなった戦況表示台を呆然と見詰め続けていた。事実、打てる手は何処の引き出しを開いたところですでに失われていた。この場で出来ることといえば、少ない兵力を最大限に生かすべく現在各地で多発している暴動反乱に対処する策を練り、鎮圧部隊に的確な指示を与えることぐらいであろう。だがこの場の男性の誰もが、そのための意思と権限の行使をはなから放棄してしまっていた。


 ……したがって、もはや前線と化したノドコール国内の治安維持に関する命令は、一切がこの場の唯一の女性で、最年少の参謀たるミヒェール‐ルス‐ミレス中尉の取り仕切るところとなっていた。そしてミヒェールはこれらの作戦に関し完璧ともいえる手際を示した。正面から暴徒と対峙せず、暴動の思想的指導者及び現地種族の知識人の身柄を反ローリダ勢力の手の及ぶ前に先手を打って確保し、彼らの身柄を取引材料として反乱勢力との交渉及び一時停戦に持ち込む当たり、彼女の手腕は軍人というより行政官のそれを思わせた。その一方で、現地軍に対するメディスの不信から植民地政府の行政官にその一切が仕切られた肝心の首都キビルの反乱鎮圧作戦は、ただ高圧的な弾圧に徹した結果として文字通りの破綻を見たのだが……


 総督の身柄安堵の報に続き、各所からぼつぼつ上がり始める反乱勢力からの停戦受諾の報……だがそれは彼女自身の指示によって効果を発揮したものではあっても、彼女自身の策ではなかった。厄介払い同然で前線に派遣され、本国と植民地軍の無謀な戦争指導を拒否した結果、今や国家の裏切り者とされたセンカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートより、前線からただ一度だけ送付された一通の報告。その中で彼は今次の地上戦の敗北とノドコール国内の混乱を予想し、国内の反乱への対処策を提示していたのだった。グラス大将をはじめ幕僚連中には全く見向きもされなかったこれらの報告を、ただミヒェールのみが食い入るように読み、いざ反乱勃発の段になって実行に移したのに過ぎない。


 一時間後、警備兵が総督の到着を告げ、逃げ込むように司令部に入室したメディス総督はノドコール国内を表示した戦況図に目を通し、全ての事情を察するや声を荒げた。


 「何だこの戦況は……?」


 と、メディスはグラス大将を睨み付けた。蒼白な顔もそのままの将官連に、メディスはさらに声を上げる。


 「何故叛徒どもと取引せねばならぬのだ? 植民地軍は何を考えている? 指導者の身柄を確保しているのなら直ちに処刑し、暴徒どもに見せしめるべきであろうが!」

 「お言葉ですが閣下、彼我の戦力差をお考え下さい。ここで武断策に出ては、我々はニホン軍と戦う前にノドコールを失ってしまいます」

 「…………!」


 眼前に進み出た一人の女性士官を、総督は訝しげに見詰める。それに気圧されるミヒェールでは、もはやなかった。眼前の一士官の醸し出す、一歩も惹かない空気に圧倒されたのは、むしろ総督の方であったのかもしれない。


 「ノドコールは神が我らローリダ人に保有し、支配することを運命付けた土地だ! 何を恐れる必要があるか?」


 直後、ミヒェールの眼鏡が硬質の光を放ち、飛び出した言葉は瞳の煌きと併せ総督を内心で狼狽させた。


 「あなたは……何て愚か者なの!?」

 「何……?」

 「本当に神様が支配を保証しているのなら、はじめから反乱など起こるはずがないわ……!」

 「…………」

 「でも、現に反乱は起こっている……私たちは間違っていたのです。戦争、植民地、異種族支配……その全ての面で……その結果として、私たちは全てを失おうとしています。私たちはいい加減、目を覚ますべきです。もはやニホンとの戦争はできないし、これ以上反乱鎮圧の目処も立ちません。それでもなお、あなたは暴君たるに徹しようというのですか?」

 「貴様……!」


 議論に退路を立たれ、肩を怒らせながらミヒェールに歩を進めようとしたメディスを止めたのは、通信兵のもたらしてきた電文であった。


 「閣下……本国より通信が入っております」


 憤懣に満ちた顔をそのままに、メディスが顎を杓った。無言の命令に促されるまま、震える声で読まれ始めた電文の内容が広まるや、薄暗い総司令部はたちまち恐慌にも似た驚愕に支配されていった――――




ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻12月22日 午前9時17分 ノドコール北方上空 ローリダ空軍爆撃機「エイラ‐ノヴァ」


 『――――こちら航法士、最終変針点まであと一分……!』


 報告を聞くや、十分前より部下に装着を命じた酸素マスクの中で、カミルス機長は溜めていた息を吐き出した。

 ここからが正念場だった。ノドコール領空に差し掛かるこの空域に設定された変針点を越えれば、「エイラ‐ノヴァ」は目指す目標まで直線コースを取ることになる。その途上、一体何が待ち構えているかわからない。一時停戦を謳ってはいるものの、あの卑怯なニホン人がいかなる罠を自分たちの針路上に潜ませているか知れたものではなかった。行程はまだまだ長く、かつ厳しい。



 与圧の効いた機内は、一万レーテという高空で排気タービン過給機による高速巡航を続けていても、地上の室内にいるのと同じ暖かい空気を葉巻状の密閉された空間の中で潤沢に廻らせ続けている。その中で、最後の変針点に差し掛かるまでの三時間余りの時間を、「エイラ‐ノヴァ」の乗員たちはお茶を飲んだり、カードに興じたりと普段と変わらぬ方法で過ごしてきた。自分とその部下以外に何者も存在しない天球の高みから、ただ純銀の絨毯の広がりを眺めながら、カミルス機長は彼と彼の部下を待ち受ける近い未来を思った。


 ただ一発で、十平方リークの大地に存在する全てを悉く無に帰すことのできる「神の火(ヴァルダ‐フィア)」、たとえニホン軍が如何にこちらより優れた兵器を持つとはいえ、こいつの破壊力は彼らのそれに数倍するだろう。「神の火(ヴァルダ‐フィア)」によりニホン人―――――あの忌むべき蛮族の蒙る被害は、これまで我々が受けてきた被害をはるかに超え、二度と我らの神聖なる土地を侵そうなどと分不相応な考えを起こすことはあるまい。


 ――――そしてかかる事態の責任は、我々偉大なる共和国ローリダにでは無く、我らをここまで追い詰めた彼らに帰せられるべきなのだ……!


 そのとき―――――


 『――――最終変針点まであと十秒。』

 『――――こちら通信士。戦略航空軍司令部より入電……』

 「報告しろ」

 『――――はっ……ですが……』と、通信士の声には躊躇いすら感じられた。

 「どうした?」


 カミルスは、聞きながらに報告を促した。


 『針路変更です。針路1-4-4より2-2-3に修正。投下目標は―――――』

 「…………!?」


 意外な、かつ衝撃的な目標変更に、我が耳を疑ったのはカミルス機長だけではなかった。




ローリダ国内基準表示時刻12月22日 午前9時20分 首都アダロネス 第一執政官官邸


 「報告します。『キズラサ』針路変更しました……!」


 空軍総司令部よりの報告が、官邸会議室のさほど広いとはいえぬ空間にもたらされた直後、壮途への期待は完全に場を押し潰さんばかりの苦渋に席を譲った。


 「メディス……あの痴れ者め……!」


 カメシス執政官は毒付いた。足元の火を消すためとはいえ、今しがた切り札の使い先を変える決断を下したときに抱いた憤懣が、執政官の胸中では未だに燻り続けていた。同じように、ここから数千リークを隔てた先で事態を悪化させたノドコール総督に対する憎悪以上殺意未満の感情を抱かなかった者はその場に皆無といっても良かった。


 「誤算だったわ、元々無能であることは知っていたが、あれほどまでとは……!」


 一人の閣僚が、恐る恐る言った。


 「キビルを一時放棄するわけにはいきませぬのか? スロリアで勝利を収め、あくまで我らが奪回するまで、一時的に叛徒どもの手に委ねるという手もよいのでは?」

 「ならぬ……!」


 ドクグラムが声を荒げた。


 「キビルを失うのは、ノドコールを失うのも同じこと。キビルを失陥した暁には叛徒はさらに勢い付き、鎮圧になお時と労を要することとなろう。ニホンへの再攻勢も控えておるというのに、後方での反乱の長期化は好ましくない」


 「反攻」――――その名詞を借り投ぜられた一石に、俄かにさざめく驚愕。それに対する反応は、意を決したように疑問を呈した一人の将官の声となって驚愕の源となったドクグラムに帰ってきた。


 「ドクグラム大将は、この期に及んで未だニホンへの反攻を考えておられるというのか?」

 「当然。ここで戦を止めれば、今次の戦役は文字通りにローリダ民族の敗北として列国に銘記されよう。それが如何に重大なことか賢明なる執政官閣下にはおわかりのはず」


 ドクグラムはそう言い。上席の執政官へ視線を注いだ。その彼の鷲のような眼差しの先で、執政官はテーブルに組んだ手元を凝視しながら、くぐもった口調で声を絞り出した。


 「……交渉は? 交渉は後どれくらいで始まるのだ?」

 「現地時間で昼近くになると思われますが……どうかなさいましたか?」

 「そうか……予定時刻に近いな」


 腹立たしげに鼻息を吐き出したカメシスに、ドクグラムが語りかける。


 「執政官閣下……」

 「何じゃ? ドクグラム」

 「無念です。この期に及び、まさか蛮族相手の交渉に期待をかけねばならぬとは……」

 「『神の火』使用という前提が崩れた今、仕方があるまい。それにしても……!」


 カメシスは目を瞑り、再び声を絞り出した。


 「ニホン人め、ここまでやるとは……!」




ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻12月22日 午前11時37分 首都キビル郊外 サント‐フュラエル大聖殿


 堂内は薄暗く、拝殿に積み上げられたように聳える蝋燭の揺らぎが、広大な堂内の一角のみにか細い光の手を延ばしていた。


 「司祭、まもなくお時間です。急ぎませんと……」


 聖堂に最後の祈りを捧げるサフィシナ‐カラロ‐テ‐ラファエナスの背後から従者が呼びかけてもなお、聖殿の主たる彼女は微動だにせず、礼拝の姿勢を崩してはいなかった。礼拝の最中、まる三分間にわたり薄い唇で声にならない何かを唱えたとき、彼女はようやく顔を上げ、背後に控える従者を顧みずに言った。


 「子供たちは……?」

 「すでに……準備を整えさせてございます」

 「……ならばよい」


 そこまで言って、サフィシナは上を仰ぎ、多角形に穿たれた巨大な天窓へ目を細める。天空より差し込む光を受け容れるその瞳の中に、迫り来る破局を恐れる要素など、一片として無かった。


 神は……偉大なるキズラサの神は、我ら敬虔なるキズラサ者に祝福ではなく、さらなる試練をお与えになったのだと、サフィシナは思っていた。


 戦争の大勢はすでに決し、その帰趨はサフィシナの予想――――というより信仰に基づいた確信――――を大きく裏切るものであったが、それに心からの失望を覚える彼女ではなかったのだ。偉大なる神は遥かなる天界から彼女とローリダ民族の行為を見守り、彼らが真に正しき途を歩み、永劫の安息を得るための最善の標として、今回の敗北を与えたのだと信じていたのは、何もサフィシナだけではなかった。

――――だからこそ、いま現在足元にまでひたひたと迫り来る破滅を受け容れる心の準備を、彼女はすでに為していたし、これから彼女が為そうとすることを神の試練として受け容れ、成し遂げる決心もまた、静かに終えていた。


 一時間前に、キビルに居住する全ローリダ市民に対し、市中央からの退去命令が出ている。キビル近郊に属するサント‐フュラエル大聖殿もまた、このような混乱下では例外ではなくなっていた。午前中、聖殿の中庭は暴徒の手から逃れたローリダ市民たちで膨れ上がり、暴徒の包囲網を突破し救援に到着したばかりの植民地軍が、彼らを空港や港湾へ誘導するための移送作業に取り掛かっていた。それは瞬く間に所定の作業を終了し、聖殿に残るはもはやサフィシナを始めとする僅かな聖職者と、サフィシナの「生徒」のみとなっていた。


 ゆっくりと腰を上げ、サフィシナは従者に目配せした。


 従者と警備の民族防衛隊兵士が外で控えていた十数名の「生徒」たちを連れ、拝殿の前に並ばせた。ここに連れてこられて未だ一週間も経ていない子供たちは、そのいずれもがローリダ人ではなく、そして彼らからはとっくに感情が消えていた。さらに奇妙なことには、背丈からしてサフィシナの腰にも及ばない子供たちの誰もが、白一色の法衣に全身を包んでいた――――


 ―――――それは、ローリダでは死者の衣服とされていた。


 「神よ……万能にして全ての父たる神よ……」


 サフィシナの薄い唇が震え、祈りの言葉を拝殿に心地よく響かせた。それは「聖典」にある、これより神の御許に召されゆく者を慰撫し、送る詞――――


 「―――神よ、この者をあなたの御許に委ねます。願わくは、永遠の安息と栄光を彼の行く先に与え給え。この者をして、地上に在る一切の苦界より解き放たせ給え――――」


 自己瞑想の世界に、自らの意識を沈めたサフィシナ、その前で他の司祭の強制するままに礼拝の姿勢を取らされる子供たちの傍らでは、灰色の制服に身を包んだ民族防衛隊の兵士が、小銃の膏桿を引く無機的な響きを立てていた。そして、度重なる信仰への強要の末、精神を萎縮させることで自らの境遇を受け容れた子供たちから、自発的に死から逃れるという選択肢はすでに失われていた。


 「偉大なる神よ―――――」


 サフィシナが、その最後の詞を唱えようとした、まさにそのとき―――――


 「神の御前である。控えぬか……!」


 聖職者の詰問の先には、聖堂への入り口を塞ぐように一人の人物が立っていた。共和国国防軍の士官用野戦服に均整の取れた体躯を包み、その顔は目元から下半分が、緑色のマフラーに覆われていた。それは、味方であるはずが、正面から接する者に極地に身を置くような緊張を強いる人影――――


 開口一番、士官は言った。


 「子供たちを今すぐに、安全な場所へ移動させて頂きたい」

 「何……?」

 「司令部のご命令です」


 司祭の疑念にも、男はただそれだけを言った。現実に意識を戻したサフィシナが、顧みざまに険しい眼光を男に注いだ。


 「司令部?……あなた方に我らへの監督権はない。去りなさい……!」

 「……違う。PKF司令部だ」

 「……!?」


 驚愕――――それに急かされるまま小銃を構えた兵士が、直後に一閃した雷鳴のごとき銃声と同時に胸や頭部から鮮血を噴出し昏倒した。彼らが銃を執るより圧倒的なまでに早く、士官の手に握られていた見慣れない形状の拳銃に、その場の生者全員の視線が集中する。


 「あなたは……!」


 あまりに常人離れした銃裁きに、サフィシナは視線を凍らせた。男は無言のまま帽子とマフラーを取り、その下からは現れた顔は、明らかにローリダ人のそれではなかった。


 「ニホン人か……」

 「……さあ、親元に帰ろう」


 男の呼びかけに、子供たちはただ沈黙と無表情とを以て応じた。直後にサフィシナの口元に宿る笑み。だがそれすらに心を動かされる御子柴禎 二等陸佐ではなかった。


 「私と子供たちとでは、偉大なる神への愛と忠誠によって結ばれています。子供たちの親の向かう先は、地獄しかありません。しかしこの子達は違う……この子たちには、キズラサ者たるに相応しい来世が待っているのです……この子たちがあなたのような異教徒と同じ途を歩むことは、決してありません」


 御子柴は、言った。


 「君たちは、自分の親を置いて天国に行けるのか? 君たちにとって親とは、その程度のものなのか? 自分の親も救えない神に、縋る意味があるか?」

 「…………」

 「自分の言うことが……わかるな?」

 「…………!」


 サフィシナは、我が目を疑った。子供たちは申し合わせたように一斉に彼女の許を離れ、眼前の野戦服姿の男へと向かったのだ。僅かな時間の流れの内に、これまで積み重ねてきた全てを否定されて呆然と立ち尽くし、瞳に狼狽すら浮かべる彼女に、御子柴は厳かに言い放った。


 「そういうことだ……所詮、子供の純真な心は曲げられない」

 「……あなたに、我らの信仰の何がわかる?」

 「子供の犠牲なくして成り立たないような信仰に、何の意味がある?」


 そこまで言って、御子柴は子供たちを外へと促した。喜色を取り戻し外へと駆け出していく子供たちを黙って見送り、踵を返し後に続こうとする御子柴の背中に、サフィシナは込み上げる激情の誘うままに拳銃を向けた。


 「……やめておけ」

 「…………」

 「その中の一発は、俺に使うべき弾丸じゃないはずだ。違うか?」

 「…………!」


 御子柴の言葉は、明らかにサフィシナの機先を制した。完全に血色を失った唇を震わせ、彼女は言葉を搾り出した。


 「あなたは……悪魔か? それとも神か?」

 「国のためなら……俺は神にも悪魔にもなるさ」


 サフィシナを顧みず、ただそれだけを、御子柴は言った。

 

 一切の人影の消え去った聖殿の外では、一両のトラックが待っていた。子供たちはすでに荷台に身を潜め、聖職者の法衣に身を包んだ部下と軍服に身を包んだ部下とが、御子柴を待っていた。彼らのいずれも敵の策源たるノドコールへの浸透を果たし、混乱に陥ったキビルへ侵入した陸上自衛隊 特殊作戦群の隊員だった。


 「すぐに出発だ。急いで乗り込め」

 「あの司祭を、処置しなかったのですか?」


 と、ハンドルを握る軍服姿の部下が言った。助手席に身を滑り込ませながら、御子柴は応じた。


 「彼女なら―――――」


 一息つき、御子柴は続ける。


 「……手を下すまでも無い。もう死んだも同じだ」


 パアァァァァァァ……ン!


 銃声……走り始めたトラックの運転席から、はっとしてその源たる聖殿を見遣る部下。


 「…………」


 御子柴はといえば、混沌と破壊に侵食されつつある街道を睨みながら、ただ声にならない声で呟き続けていた。


 ―――神よ、この者をあなたの御許に委ねます。願わくは、永遠の安息と栄光を彼の行く先に与え給え。

 ―――この者をして、地上に在る一切の苦界より解き放たせ給え。


 トラックは予め択んでおいた安全なルートを巧妙に抜け、戦乱の都を脱していく―――――




ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻12月22日 午後0時38分 首都キビル


 キビルはもはや征服者の手を離れ、市民の手に戻ろうとしていた。


 それは決して平穏な奪回ではない。征服者の弾圧に対する抵抗は、文字通りに街を流血の巷に変え、荒廃した街を火と血で鮮やかに彩っている。その間を掻い潜るように市内各所では勢いづいた民衆と、脱出の適わない鎮圧部隊との衝突が頻発し、装備だけは立派でも少数でしかない植民地軍は、奔流のごとき大多数の反乱軍の攻勢を前に、さながら荒波に翻弄される小船のごとく苦闘を強いられていたのだった。


 ――――遡ること午後〇時、反乱軍はついにキビル中央の植民地総督府の正門を突破し、喊声と銃火とともに総督府内に雪崩れ込んだ。少数の、それも郊外への脱出命令を受けて浮き足立っていた警備部隊に、決死の防戦などもはや不可能であった。治安部隊のマシンガンに薙ぎ倒されても、怒涛のごとく立ち向かってくる民衆。振り上げられる角材や鉄棒が防ぐ術を失った治安部隊員の顔面をしたたかに痛打し、衝撃に倒れ込んだ隊員の顔を、腹を、そして胸を暴徒は容赦なく蹴り上げ、踏み潰し絶命させた。奪われた銃器は反乱軍の手により生き残りの隊員、そして文官に向けられ、破壊の咆哮が忽ちに一帯を劈き、その数だけ殺戮が進行し、征服者は彼らの築き上げた栄光と威厳を失っていった。


 ―――――母都市奪回を目指して戦う暴徒には、拠り所が在った。


 それは、突如遥かな東方より現れ、各地で無敵を呼号するローリダ共和国国防軍を撃破しているという「解放軍」。


 彼らはスロリア中部の戦闘で、ついにローリダの機甲軍団をも壊滅させ、その先鋒はすでにノドコール国内に到達しているという。


 その彼らが、現在ここキビルにまで進撃を続けている―――――


 ――――風聞であるに過ぎなかったが、それこそが、この突発的な叛乱の求心力であり、原動力となっていた。それらに突き動かされるままノドコールの民衆は征服者に反旗を翻し、そしてキビルは彼らの手に戻ろうとしていた。


 完全に反乱勢力の手に陥ちた総督府の最上階。そこに掲揚されたままになっていた共和国国旗が乱暴な手つきで引き摺り下ろされる。直後に火が放たれ、その光景は遥か地上でうねりと化し蠢く群集に一層の熱狂を与えるのだった。


 それらの熱狂から取り残されたかのように、誰一人いない、うらぶれた静寂の漂い続ける裏道を歩く親子の姿―――――


 その子供の、幼い眼前に飛び込む、炎上する装甲車。乗員が脱出したのか、それとも車と運命をともにしたのか……子供にはさすがにそこまで考えが及ぼうはずもなかった。むしろ、それを考える暇もないほど、被征服者たる子供とその両親は今日までを貧しい生活に追われ続けていた。


 ――――だが、それも今日で終わる。


 両親が引く荷車で、こんもりとした山を作る穀物の袋を、子供は微笑ましげに見遣った。すでに市内から脱出したローリダ人商人の豪邸から、半ば略奪同然で手に入れたものだった。それを為したのは彼らだけではなかった。争乱は皮肉にも、略奪という形であれ、被征服者たる彼らに征服者に奪われたものを取り返す機会を与えていたのだ。たとえその奪われたものが、真に彼ら個々の持ち物ではなかったとしても――――


 その点では、庶民たる彼らは反乱の首謀者たちと東方より迫り来る「解放軍」に感謝をしていた。征服者は去り、かつての自由と繁栄に満ちた時の復活を、混乱と荒廃の中に身を置いてはいても、住民の多くが確信して已まなかったのである。


 「…………」


 両親と帰路に着く歩を不意に止め、少年は空を仰いだ。

同時に少年の目はそこに何かを見出し、そして囚われた。


 「…………?」


 蒼を背景に伸びる四条の飛行機雲……それは子供にとって怖気を奮うぐらいに鮮やかに、かつ空の一点に生きているような躍動感を持って広がっていた。立ち止まった息子の様子に気付いた両親が、同じく歩を止めて上空を仰ぐ、だが彼らはすぐに見るのを止め、互いに顔を見合わせる。


 「あれ……なに?」


 口では疑念を呈しつつも、自分の書いた絵に感銘を覚えるかのように、子供は空に描かれた一種の紋様に目を奪われ続けた―――――




ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻12月22日 午後0時40分 首都キビル上空


 暗号名「キズラサ」こと、「エイラ‐ノヴァ」は、一万レーテに及ぶ空間を隔て蒼穹を進んでいた。


 その胎内に抱いた「荷物」を、雲一枚隔てた下方の、区画の行き届いた街並みに解き放つまで後戻りはできないことは、この時点で確定した。


 飛行方位指示器と基地との交信により目標上空まで誘導された「エイラ‐ノヴァ」の乗員に、もはや一切の自由意志は存在しなかった。進撃のうちに醸成されたピクニックさながらの和やかさは、戦場を目の当たりにした緊張に取って代わり、報告の声からも一切の感情を奪っていた。


 『――――こちら航法士。間も無く爆撃コース』

 『――――ダガーズ。後は任せる』

 『――――こちら爆撃手、了解。爆撃照準機起動。自動操縦装置機動……針路入力よし。高度保持よし。姿勢制御ジャイロよし――――爆弾倉開きます』


 この瞬間、機を掌る自動操縦装置は爆撃照準機に接続され、「エイラ‐ノヴァ」の巨体は、投下までの数十秒をたった一人の爆撃手ダガーズ少尉の預かるところとなる。「エイラ‐ノヴァ」の最大の任務――――爆撃――――を可能とするための全ての儀式――――手順――――を終えたのをその耳で見届けると、カミルス機長は彼の忠実な副操縦士に聞いた。


 「アレヌス……どう思う?」

 『はっきり言って……無念です』

 「同感だ……このような――――」


 そこまで言って、カミルス機長は語を閉ざした―――――何の知性もない蛮族どもに、高等文明の生み出した最強の利器を投ぜねばならぬとは!……任務に対する憤懣さとともにその言葉を飲み込み、機長は計器類とレバー類以外に何も遮るもののない前方に向き直る。


 ―――――そこに、さらなる爆撃手の報告。


 『――――こちら爆撃手。爆撃コース……投下まであと五秒……四、三、二……』

 『―――― 一……投下……!』


 爆撃照準機に付随するボタンが押され、遥か下方に広がる大地へ解き放たれた「神の火」は、決して戻ることの適わぬ刻を刻み始めた。


 ――――滑空。


 ――――落下傘起動。


 ――――減速。


 ――――所定の高度――――「神の火(ヴァルダ‐フィア)」が、その威力を発揮する最適な高度――――に達した瞬間、弾体先端に搭載された高度測定レーダーの、地表への反射を経て発せられた電気信号が信管の起動を告げ、次の瞬間に起爆装置より流された等圧の電流が、弾体の中枢たる反応物質を全周に亘って覆う起爆薬の均等な爆発を引き起こし、直後に発生した反応物質の爆発的なエネルギーの発散は、ほぼ一瞬にして弾体に封じ込められた悪魔を大地へと解き放った。


 「…………!?」


 ――――光、そして殺人的な爆風。


 ――――無形の衝撃波は、地上に建つ全ての建造物、文明、そして生物を押し潰し、薙ぎ払い、そして焼き尽くした。


 ――――立ち上る爆煙は薄い雲を貫き、圧倒的な量感を以て旋回に入る「エイラ‐ノヴァ」の乗員たちの網膜に焼き付けられる。


 『――――こちら「キズラサ」作戦終了……神は偉大なり……!』


 カミルス機長の報告とともにこの日――――


 神の名を騙る者により、一つの街が消え去り、地に解放を謳歌した多くの生命もまた消えた。


 ときに――――12月22日 午後0時43分。




ノイテラーネ国内基準表示時刻12月22日 午後1時50分 スルアン‐ディリ迎賓館(フラール)


 一時休憩に入ったとはいえ、ローリダ側の控え室では、身内の間で交渉時以上の激論が闘わされていた。


 「あやつらの要求など呑めるか……!」


 と、テーブルを叩きゴジェス‐リ‐サナキスは声を荒げた。


 「要求を呑めば……共和国はお終いだ。我ら交渉団は亡国の徒として後世の嘲りと憎しみを一身に受けようぞ!」


 それに対し、冷静な素振りの中にも苦渋を滲ませながらオルス‐ディガ‐ロスが言った。


 「もし呑まねばどうなる? その時こそ共和国の権威は地に堕ち、我らはさらに多くを失うであろう。これ以上を要求されなかったこと自体、僥倖というものではないか? それに奴らは、この先何度でも交渉の機会を設けると言っている」

 「蛮族の戯言を信じるというか? 貴様!」

 「では、貴公はどうするというのだ?」

 「そのための交渉ではないか。言論を以てきやつらと争い、徹底的に譲歩を強いるまでだ!」


 熊と栗鼠ほどに体躯の違う同僚に掴み掛からんばかりに、サナキスは怒声を張り上げた。ともすれば今後の交渉に影を投げ掛けかねない二人の遣り取りに恐々とする文官たちを尻目に、ルーガ‐ラ‐ナードラはといえば窓際の長椅子に腰を沈め、先刻の遣り取りを反芻していた―――――


 ―――――反芻の結果として、ナードラは思う。


 ―――――ニホン人の言うことは、正しい。


 だからこそ、それに反論できぬもどかしさに困惑を覚える此方がいる


 つまりは――――あまりに認め難いことだが――――我々には、正義が無い。


 その正義は我々の手を離れ、とっくに彼らの手の内に移ってしまっている。


 特に、彼らの要求した両国首脳の共同声明は、それが実現した場合その傾向を一層に促進するだろう。具体的には、世界はノドコール独立宣言にも等しいその声明を、文字通りローリダとニホン、両国の和解の何よりの証と看做すに違いない……つまりは、ローリダは結果的にノドコールを失うことになるのはおろか、ニホン敵視という、「解放戦争」の推進と並ぶ対外政策上の国是を自ら否定することになり、代わって「寛容なニホンに懐柔され、しまいには屈服した偏狭なローリダ」という構図が作り上げられてしまうことになるかもしれないのだ。


 そこまで読めぬ者―――――現在に効力を発揮しない和約を、現状に対する単なる先送りか口約束程度にしか捉えていない本国―――――は、間違いなくニホン人の提案を単なる妥協の産物と取り、ニホン人の提案に見境無く飛びつくに違いない。何故ならその本国自体、そのようにして弱小国に押し付けた盟約を何の躊躇いも無く破り、「解放」を推進してきたからである。当のノドコールに対してからかそうであった。


 だが……今度ばかりはどうか?


 もしこちらが一方的に協約を破れば、彼らはこれ幸いとあの圧倒的な軍事力でノドコールまで兵を進め、文字通りにノドコールを「解放」してしまうだろう。その瞬間、こちらは未来永劫にわたりスロリア支配の正統性を奪われることになる。それは共和国ローリダにとって、一会戦で十万単位の兵力を失う以上に大きな痛手となるであろう。


 ……では、どうするべきか?


 沈思の末に取り得る策は一つしかなく、それはすでにナードラの胸の内に生まれていた。


 「……徹底抗戦だ」


 たった一言だったが、直後、狂騒への道を一直線に進みつつあった部屋からはそれらが消え失せ、男たちはこれまでの自身の言行を忘れたかのようにこの場の唯一の女性に視線を集中させた。


 「特使に於かれては、今何と仰られた?」

 「何度でも言おう……徹底抗戦しか、途は無し」

 「…………!」


 愕然とする文官たちを前に、ナードラは平然と続けた。


 「この交渉の場において、ニホン人から見ればノドコールは我が版図に非ず。いわば人質である。ニホン人がどうしてもノドコールが欲しくば、いま現在の生きたノドコールではなく骸となったノドコールを渡してやればよい。彼らが真に信義と人命を重んじる種族ならば、我らの断固とした姿勢を前に動揺することもあろう。そして我らは、信仰により得た版図は決して離さぬという断固たる決意を、発言と行動とによってこの世界に示すしかない……!」

 「…………」


 沈黙……それはもはや驚愕のみを表してはいなかった。驚愕によって引き起こされた静寂の中、場の誰もがナードラの毅然たる瞳に、希望と同意とを見出そうとしていた。



 ――――― 一方、日本側。


 交渉直後に日本本国からもたらされたある報告は、無形の落雷となって日本側交渉団に衝撃をもたらしていた。


 「それは……事実か?」


 椅子に身を沈めたまま、蘭堂は部下に言った。その表情に、陰性の変化は微塵も伺えなかったが、ぎょろりとした黒い目の奥は、狼狽の余韻をこれまでになく漂わせていた。


 「間違いありません。関連測定施設からの報告の上、衛星写真でも確認いたしました」

 「あいつら……何てことを!」


 誰かが語を荒げる。電送された現地上空の衛星写真、端末の中の矩形に広がる同心円状の荒廃の広がりに目を釘付けにしたまま、西原は言った。通常の爆撃によって引き起こされたものとは、素人目にも到底表現できないほど同心円は大きく、街全体を大地ごと文字通りに削り取っていた。

画像から一寸たりとも視線を逸らさず、西原は言った。


 「やはり……核兵器か?」

 「それは……観測結果を待ちませんと……」

 「PKFはどうしている?」

 「すでに空中警戒に当たる作戦機を増やし、地上部隊の制圧地域上空の警戒を強化しています」

 「そうか……」


 写真から目を離し、西原は蘭堂に向き直った。


 「蘭堂さん……どうする?」

 「我々の方針は変わらん。たとえやつらが向こうで何をやって、そしてここでどんなことを言おうともだ」


 ただそれだけを、蘭堂は言った。その言葉に込めた決意を維持できるかが、今後の交渉の課題となろう。


 ―――――だがそれは、何にも増して困難な命題となろう。




ノイテラーネ国内基準表示時刻12月22日 午後2時20分 スルアン‐ディリ迎賓館(フラール)


 「…………?」


 巨大なテーブルを挟み、再び向かい合ったニホン人の変化に気付いたのは、ナードラだけではなかった。

 代表を始め、全員が無表情……それが怒りを表すそれであることを察したのは、ナードラだけであった。


 「…………」


 何があった?……その疑念は蘭堂の第一声により晴らされた。


 「遡ること一時間前、一つの都市が攻撃を受け壊滅した」

 「…………?」

 「これはどういうことだ?」

 「何を言っているのか、計りかねるが……」

 「攻撃を受けた都市の名は、キビル……!」

 「…………!?」


 その瞬間、無形の金槌が自分の背を打ったかのようにナードラには思われた。そして彼女の明晰な感性は即座に事態を察し、彼女自身ですら思っても見ない言葉を引き出してしまう。


 「本国に照会する……少し猶予が欲しい」

 「知らされていないのか?」と、西原。


 無言のまま、ナードラは頷いた。外見では冷静さを保ってはいても、その胸中には無形の溶岩がうねりを生じ始めていた。


 そのとき――――


 「我が国の見解を、ここで明らかにしておきたい」


 傍らから上がった声を、ナードラは隔意溢れる目で捉えた。オルス‐ディガ‐ロスが、したり顔で口を挟んだのだ。


 「見解……?」

 「これは、反乱鎮圧のためのやむを得ざる対抗措置だ」

 「…………」

 「下等種族から成る反逆分子に略奪され、汚された街を、キズラサの神の都として復興させるための緊急避難的措置だ。キビルの件はお前たちニホン人の関与するところではない」

 「緊急避難だと…………?」

 「また……これは我らの断固たる姿勢の表明でもある。我らはお前たちにノドコールをむざむざと明け渡すようなことはしない。その寸土枯れ、住民の最後の一人に至るまで侵略者と戦い、我らの神への忠誠と共和政護持の意思を貫徹するだろう」

 「…………!」

 「納得頂けたならば、速やかに交渉に移りたいが……」


 あまりに場を弁えない部下の態度、それ以上に本国から事実を知らされなかった自分の立場に対する怒りから、ナードラはこのお節介を、ともすれば殴りつけてやりたい衝動にかられた。そして彼女の望む一喝は、彼女にとって、あまりに意外な方向から飛び出したのである。


 だが―――――


 「神にでもなったつもりか! 貴様ら!!」


 叩きつけられた拳はテーブルを割らんばかりの響きを立てて会議室を揺るがし、拳の主たる蘭堂は激情をむき出しに声を荒げた。


 「これは鎮圧ではない! 大量虐殺だ!……そんな方法の何処に、正義がある? あんたらの神は、あんたら以外しか救わないというのか?」

 「ニホン人もまた、罪も無いローリダ人を殺戮したではないか!? この罪こそ、真に問われるべきだ!」

 「少なくとも我々は、無抵抗の人間に無警告で攻撃を加えたりはしない! 貴様らのような卑劣漢と一緒にするな!」


 怒気の応酬では、サナキスやロスと言えど蘭堂には敵うべくも無かった。怒涛のごとき怒りの吐露を前に、やがては沈黙を強いられたローリダ側に、憤怒に染まった眼光を注ぎながら、蘭堂はさらに口を開いた。


 「……そんな馬鹿馬鹿しい論理を振り翳して、あんたらはわが国の国民を……そして海上保安官を殺したのか?」

 「…………」

 「……お前たちの和平への確約を信じた我々の河前首相は、お前たちの吐く自己中心的な教義に、無残にも殺されたというのか?」

 「…………」

 「……そんな悪魔のような神に、キビルの民は裁かれ地獄に落とされたのか!? 答えろ虐殺者ども!」

 「………!」


 神への侮辱、ひいては民族への侮辱!―――――それはナードラの両脇を固める二人を始め、ローリダ側交渉団全員を刺激した。サナキスは怒りを堪え切れずに椅子を蹴り立ち上がり、ロスは歯と殺意溢れる眼光を剥き出しに蘭堂を睨みつけた。だが、その程度で怯むような蘭堂ではない。


 感情の激しい吐露の後、息を弾ませながら蘭堂は言った。


 「ここであんた達に忠告しておく……神を騙る者はいずれ、別の神を掲げる者に滅ぼされるだろう。あんた達は、それでもいいのか?」

 「それは、お前たちも同じではないのか?」

 「我々は、この戦争を始めるにあたり一度として神の名を唱えたことは無い! いちいち神の名を出さないと戦争ができないのは、あんたらが自分の正義を内心で信じていない証拠だ! 違うか?」


 抗弁の仕様の無い難詰に、ただ愕然とするローリダ側、その彼らを尻目に蘭堂は立ち上がった。手元の書類をまとめ、目配せで部下に部屋からの退出を促す。背後のドアへ向き直る間際、蘭堂は最後に一座の中で、冷静にこちらへ向き合っていた唯一の人間たるナードラを見詰め、憤懣やるかたない口調で言った。


 「……この件に関し、ローリダ側の猛省と納得のいく説明を求める。それまで交渉は延期する」


 再交渉の機会に関するイニシアチブは、未だ日本側にある。その点に関し、蘭堂は立場上の優位を最大限に活用したといってよかった。再交渉の準備に向け浮き足立つローリダ側から生じた自然解散の空気に、議場が包まれ始めた頃、西原は同じく手元の書類を纏めていたナードラに語りかけた。


 「ミス‐ナードラ?」

 「何か?」

 「お尋ねしたいことがもうひとつある……詳細は未だ明確ではないが、攻撃は、一つの町を消し去るには過分な威力だと専門機関の判断を得ている。あなた方の攻撃は、最初からキビルを指向したものだったのか?」

 「…………」

 「あれは、街以外の何か……を攻撃するための手段ではなかったのか?」

 「ニシハラ特使……」

 「…………?」


 西原に注ぐナードラの瞳に篭るものを察し、西原は息を呑むようにした。


 「……あなたの疑念は、そのまま本国まで持ち帰ろう。これだけは確約しておく」

 「確約……?」

 「本国はともかく……私は嘘は言わない」


 そう言う緑の瞳には、純粋な怒りが宿っていた。それが、この場にいない誰かに向けられたものであることは、確かであるように思われた。





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