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第二九章 「第二次日本海海戦 後編」

日本国内基準表示時刻12月19日 午後5時38分 日本海北方海域


 ASM-2空対艦誘導弾の最大の特徴は、ラムジェット方式の推進システムの他、アクティブ‐レーダーホーミングと画像識別システムを併用した誘導システムにある。前者は先代ASM-1に比して飛翔距離を格段に延長させ、後者の導入は命中精度及び対妨害性を飛躍的に向上させた。攻撃機は敵艦の対抗策の及ばない長距離から攻撃をかけることができ、ただ誘導弾本体のみの自律航法能力と画像データによってのみ目標へ向かうASM-2は、敵艦の用意するあらゆる防御策を無効にし、そしてそれは敵艦のもっとも脆弱な部分をピンポイントで狙うことすら可能にする。


 航空自衛隊三沢基地から荒天を冒し、勇躍戦闘海域に到着したF-2A四機より放たれたASM-2は16発。それらは初期にはASM-1と同じく慣性航法によりレーダー策敵の不可能な超低空を舐めるように飛翔する。そして搭載するホーミングレーダーが目標の艦影を捉えた直後に急上昇し、敵艦の防御体制を攪乱するべく上昇下降を繰り返すホップアップ飛行に入るのだ。


 「ミサイル多数!……急速に接近中!」


 ローリダ軍のオペレーターが異状を察知したときには、時は既に遅かった。レーダー波の及ばない超低空から急速に出現し、緩急自在に機動する敵のミサイルを対空レーダーは補足できず、手動による対空砲の応射もまた不可能だった。事態を察したヴァルミニウスの怒号も、もはや何の効果も持たなかった。


 混乱と戦慄―――――


 最後の上昇―――――ASM-2の画像誘導システムは、その瞬間に喰らうべき艦隊を捉える。それも、目標識別アルゴリズムにより一発ごとに各個の目標を狙うように制御され、各艦の最も脆弱な艦橋や機関部を集中して狙うようにそれらはプログラムされている。


 位置は、ほぼ直上。


 加速―――――画像誘導システムの電子の視界の中で、急速に迫り来る敵艦の中央。


 驚愕と恐怖に引き攣る幕僚の表情。


 命中―――――艦の中央に、そして艦橋部に吸い込まれた光の矢。


 最初に光が生まれ、そして轟音が海原一帯に響き渡る。


 「…………!?」


 着弾したASM-2は13発。多くの眼前でローリダ艦隊の半分が艦橋や機関部に被弾し、その戦闘能力の過半を失った。


 『――――駆逐艦「フルド」浸水! 戦闘不能!』


 『――――巡洋艦「キノ‐ラディ」弾薬庫に火災! 被害、依然拡大中!』


 『――――駆逐艦「ハ‐ブル」通信途絶!』


 旗艦「レ‐バーゼ」は被弾こそ免れたものの、それは艦の誇る防御システムの成果ではなかった。偶然に目標より外れたが故に、だが艦内はむしろ被弾した以上の衝撃を艦橋にもたらしたのかもしれなかった。「レ‐バーゼ」の指揮通信システムが威力を発揮し、友軍の損害状況を刻々と報せだしたのは、このような場面ではもはや皮肉としか言いようが無い。


 「何が起こったというのだ……!?」


 唐突とも思える奇襲……それ以外の想像を艦隊の幕僚たちは為しえなかった。著しく選択肢を奪われた索敵手段と、ASM-2の射程の長距離なるがゆえに、彼らは自らを一瞬にして苦境に落とし込んだ元凶が、戦闘機によるものであるとは考えられなかったのである。


 むしろ――――ニホンの戦闘機にそのような能力と装備があるという発想すら、彼らには浮かばなかった。

 従って――――彼らはこの攻撃を彼らの「常識」に従い、彼らの知らない位置に展開した敵艦によるものだと判断した。


 では――――敵艦は何処にいる?


 「水平線上への索敵を厳にせよ……!」


 顔色一つ変えず、ヴァルミニウス提督は命令した。当の彼は内心でその有効性に疑問を持っていたが、それこそが艦隊を襲った混乱を収拾する唯一にして最善の手段であることを彼は知っていた。指示さえ与えておけば、部下はそれに傾注するあまりに恐怖と混乱を忘れるものだ。


 だが――――


 彼らの知らない新たな脅威は、衝撃の直後に再び、彼らの知らない空から押し寄せようとしていた。




 日本国内基準表示時刻12月19日 午後5時45分 日本海北方海域


 機窓の狭い円形から広がる密雲は、ほんの少し前まで水平線上を覆い尽くさんかのようなその勢いを失おうとしていた。だが未だ衰えぬ暴風を受けながらも、P-3C哨戒機八機から成る悌団は一糸も乱れぬこと無くその重厚な空の布陣を維持し続けていた。


 ターボフロップエンジンの重奏が雲海を乗り越え、一層に開かれたスロットルによりその響きは鋭角と余韻を高めていく―――――


 翼下に吊下した四基のASM-1C空対艦誘導弾は、それを運用する立場とはいえ目にする者に芯を震わせる程の緊張を強いる―――――


 ――――だが、戦闘海域に向かう布陣は、もはや彼らだけではなかった。


 P-3C編隊の発進後、同じく悪天候を突き最新鋭のASM-3空対艦誘導弾八基を搭載したP-1哨戒機が四機、八戸基地を離陸し、P-3C部隊の後を全速で追っている。ASM-3はASM-2を超える有効射程と超音速に達する飛翔速度を持つ対艦/対地兼用の新鋭誘導弾だった。航空自衛隊三沢基地の支援戦闘機隊も、先刻に当編隊を追い抜いていった第一波に続き新たに4機のF-2Aを発進させ、空からの迎撃陣は一層にその濃密さを増しつつあったのだ――――

 

 『機長……!』


 唐突にインカムにとどろく主操縦士の声に、海上自衛隊八戸基地所属のP-3C哨戒機の戦術航空士 綾瀬 税三等海佐は、動かしていた戦術情報表示端末のキューを止めた。


 「…………!」


 名を呼ばれると同時に目を向けた航空士席の小窓――――


 そこから臨む遥か向こうに円柱の如く立ち上る黒煙――――


 ただそれだけで、綾瀬三佐は主操縦士の志賀二等海尉が自分の名を呼んだ理由を悟った。


 敵か?……味方か? 少なくとも黒煙のずっと下方、自分が目を凝らす方角で戦闘が始まっているのは確かだった。


 ――――そして自分たちもまた、これからその戦闘の一部となろうとしている。先刻に消息を絶った僚機より敵艦隊の接近が報じられた時点で、八戸の哨戒機部隊の胎は決まっていた。哨戒機に各四発ずつのASM-1C対艦誘導弾を搭載し、統合幕僚監部の命令に先行して攻撃隊八機を上空に上げ待機させていたのである。


 同じように攻撃隊を発進させ、優速を生かしていち早く敵艦隊に攻撃をかけた空自のFS部隊はどうやら凄まじい戦果を上げたらしい。それを思えば綾瀬三佐としては一番乗りを逃し口惜しい気がしないでもなかったが、むしろ敵艦隊に止めを刺す栄誉を与えられたかたちとなったのは、望むべきところでもあったかもしれなかった。


 『――――機長、これより攻撃位置につきます!』


 緊張を隠さない志賀二尉の声、同時に意を決した綾瀬はインカムに声を上げた。


 「了解した。志賀二尉、レーダーをオンにしろ」


 『了解!』


 レーダースクリーンに映し出された敵艦隊の布陣――――


 兵器管制装置オン―――――直後にASM-1Cのシーカーが各個に目標を捉え、「ロックオン」完了の表示はレーダースクリーン全体を埋め尽くす。


 地表に獲物を見出した鷲の如くに獰猛な銀翼を翻し、P-3Cは雲海を抜ける。


 ぐんと横に傾く機体―――――


 重い操舵をトリム調整ダイヤルであやしながら、同じく重い操縦桿を押し下げる。旧型のP-3Cの操縦は、単に体力の勝負でもある――――だが、それが好きな者には堪らない。それは旅客機に匹敵する巨体をその持てる知力と体力を駆使し自在に操るという快感……!


 P-3Cの巨体が空を滑り、高度が見る見る落ち行くのを実感する――――


 期せずして機内を圧する低高度警報の電子音――――


 そのとき、P-3Cの機首に搭載された下方赤外線監視装置(DLIR)が洋上を遊弋する艦影を捉えた。それらは機内でレーダー画像を注視する第三対潜員(SS-3)の眼前に、明瞭な輪郭を持った影絵のような赤外線画像として映し出される。黒いヴェールの掛かった眼下に広がる海原の、鏡のような冷たさの中で、熱源を持ったそれらはその陣形の各所に綻びを生ぜしめさせながらも、明瞭な横隊陣を映し出していた。その中の先頭を行く、最も巨大で熱を持った艦影の中央部にステアリングドットを合わせながら、第三対潜員(SS-3)は叫んだ。


 『―――こちら第三対潜員(SS-3)。艦影を視認。目標多数!―――――』


 水平姿勢―――――完全に高度が下がり、攻撃コースに乗ったP3Cの機上を、緊張と静寂が支配する。


 「もっと高度を下げろ。レーダーに捕まるぞ!」と綾瀬三佐。


 『了解っ!』


 小窓からは、今にも衝突せんぐらいに迫る海原―――――通例の哨戒ミッションの傍ら、対艦攻撃訓練は何度もやった。いずれも共に訓練を重ねた練達の士ばかり……だから不安はなかった。


 「電子整備員(IFT)! 敵艦の索敵波はどうか?」


 『索敵波、異状なし。このまま突っ込んでください』


 と、電子整備員のたのもしい返事。

綾瀬は微かに苦笑を覚える。


 『目標捕捉。距離100浬……! 機長、発射許可を……!』


 「もう少し、もう少し距離を詰めろ!」


 小窓に掛かる水滴―――――風圧に晒され、それは瞬時の内に後方へと流れ行く。


 『目標まであと90!』


 「全弾発射!……上昇しろ!」


 『発射……!』


 ASM-1Cの弾体はP3Cの主翼を四発一斉に離れ、そして海面スレスレでそのエンジンを点火した。


 同時に―――――


 各機より放たれたSSMは計32発――――――




 日本国内基準表示時刻12月19日 午後5時49分 日本海北方海域


 ローリダ艦隊にとっての災難は終ってはいなかった。


 ASM-1Cの電波高度計は悪天候下でも有効に機能し、ラムジェットエンジンで推進する弾体を滑るように目標へ導いていく。ついには慣性航法の導くまま、艦隊のレーダーの捕捉出来ない超低空で接近した対艦誘導弾の一群は、ローリダ艦隊がそれらの接近に気付くより早くシーカーにその艦影を捉え、個々の目標までの相対距離20海里を切った時点で一斉に上昇し、命中までの回避航法に入ったのだ。


 そして――――


 新たな刺客を見出したのは完全に活躍の場を封じられた電子の目ではなく、見張り員の覗く双眼鏡だった。


 それは察知こそできても、著しく対応を狭められた至近距離―――――


 「敵ミサイル第二波接近中! 距離10リーク!」


 悲鳴に近い語調で告げられた10リークという距離は、ローリダ艦隊にとってその持てる防御オプションを殆ど奪われたのに等しい近距離でしかなかった。対空ミサイルの照準を合わせるにはあまりに接近し過ぎており、そして艦砲で応戦するには敵のミサイルは速く、その動きはあまりに予想を超えていた。


 波濤を乗り越え、黒い艦影に迫り来る光弾―――――


 艦影を朱に飾る凄絶なまでの対空射撃―――――


 それは期せずして、ローリダ艦の死化粧となる――――


 「…………!?」


 着弾―――――それも同時多数。


 駆逐艦「アルゲロ」は二基のミサイルに接近され、一発が艦尾に命中、もう一発が艦橋に命中し、艦長以下司令部を文字通りに全滅させた。海自の艦船のようにCICを持たず、艦の指揮系統が艦橋に集中するローリダ艦にとって、艦橋への攻撃は致命的な打撃となった。


 巡洋艦「キノ‐ルグ」は艦首砲塔に一発が命中。弾頭は隔壁を貫通して爆発、艦の弾薬庫へと誘爆し艦首を引き裂いた。亀裂から浸入した海水と連鎖的な延焼により、艦の戦闘力は一瞬にして失われ、そこに再び飛び込んだもう一発が後部砲塔に命中、再び弾薬庫に誘爆した「キノ‐ルグ」は直後大爆発を起しその巨体をたちまち荒れる海原に沈めていく……老朽化の進んだ巨艦にとって、それは耐えるにはあまりに重い打撃となったのだ。これら2隻を含め攻撃第二波により9隻の艦船が撃沈され、7隻が戦闘能力を完全に喪失した。


 旗艦「レ‐バーゼ」もこうした攻撃より例外では在り得なかった。


 艦そのものの航行には何等影響を及ぼすことはなかったが、一発のミサイルが索敵レーダー、兵器管制アンテナの林立する艦橋マストを直撃し、最新鋭を誇ったはずの旗艦は一度の被弾により、最強と謳われた策敵システムの大半がその機能を喪失したのである。



 損害状況は、すぐさま艦橋のヴァルミニウスにも知らされた。


 「…………!」


 動揺を隠せない幕僚達を他所に、ヴァルミニウスは顔色も変えることなく報告を聞いた。顔色を変えない指揮官を、幕僚達は血色を失った顔もそのままに注視する。彼らの蒼白な顔は、まさに万策尽き、縋る寄る辺を提督以外に失った彼らの内心を雄弁なまでに物語っていた。自ずと集中される視線の前でも超然とし艦橋に立ち続ける提督の表情を占める無表情……だが表面では冷静なるがゆえに、提督の内に秘めるそれは幕僚たちの研ぎ澄まされた感覚に明瞭なまでに語りかけてくる。


 退路は、すでに絶たれた。


 全滅覚悟の進撃か、それとも降伏か……重大な決断を提督と彼の幕僚は迫られようとしていた。

それを、敵の攻勢に直面した艦隊の将兵は、固唾を呑み見守っていた。


 そして―――――


 「敵の主力艦隊を見ずして万策費えるか……」


 そこまで言って口を噤み、ヴァルミニウスは通信士官を省みた。


 「本国海軍本部へ打電……我が艦隊ニホン軍の痛撃を受け戦闘能力の過半を喪失しつつあり。撤退許可を求む……以上だ」


 「何を仰いますか閣下? それでは我が海軍の名誉は……!?」


 「名誉と将兵の生命と、貴公らは何れが大事か……もはや結果は見えておる」


 それに主席幕僚が食い下がろうとしたそのとき―――――


 「提督閣下!……入電です!」


 「…………?」


 「発信は……信じられない……ニホン軍です」


 「内容は……?」


 テレタイプの文面に目を通すうち、通信士官の顔から血色が引いていった。


 「我々と交渉をしたいと言っています」


 「交渉だと……?」


 幕僚達は、互いに顔を見合わせた。


 交渉とは、負けている側に許された唯一の権利――――それがローリダ人の思考であった。


 その権利を無視し、あるいは踏み躙り、彼らは勝利していった。


 それは、相手が到底共に文明を騙るに値しない「蛮族」なればこそ許された文明人の「特権」―――――


 だが今は、状況が違うのではないか?


 全滅の淵に追い込まれ、交渉を必要としているのは、我々ではないのか?


 そして勝っているのは……敵ではないのか?




日本国内基準表示時刻12月19日 午後6時08分 東京 防衛省中央指揮所


 「――――重ねて問うが、総理の同意は得ておられるのですな?」


 「……そうじゃなきゃあ、命令は出していない。実を言えば、無理を言って同意してもらった」


 「……そんなことだろうと思いました。貴方らしい」


 『――――「はまゆき」よりSH-60J、発進しました』


 オペレーターの報告。戦術情報表示ディスプレイに出現した輝点は、一直線に行動を停止した敵艦隊へと向かっていた。それに目を細め、今しがた到着したばかりの藤堂海幕長が、感慨深げに呟いた。植草紘之 統合幕僚長の大胆とも無謀とも付かない提案。それが謹厳実直を以て知られる海幕長を内心で驚愕かつ困惑させ、彼の城たる海上幕僚監部から此処へと導いた。


 「それにしても、大胆ですな」


 「そうかな……?」


 植草はといえば、肩肘をついたままぼんやりとディスプレイを見詰めている。まるで人事であるかのような態度だが、敵にとって意外な形で停戦を提案した全ての責任は、この広大な指揮所においては彼一人にあった。それが藤堂には内心で可笑しい。


 ……それでも硬い表情を崩すことなく、藤堂海将は言った。


 「ところで幕僚長……」


 「ん……?」


 「侵略者に対し、交渉しようという気を起こした理由をお伺いしたい」


 「藤堂さんは、『甲陽軍鑑』って本を知ってる?」


 「書の名前こそは聞いたことがありますが、内容はちょっと……」


 「その中に曰く、『戦の勝ちは十のうち五、六分を以て上とせよ』だ。もう勝負はついている。これ以上は戦闘じゃない。虐殺だ」


 「…………」


 「全艦撃沈なんて……そんな勝ち方、その時はそれでいいかもしれないが、将来的には禍根を残すだろう」


 「それは国防の任にあたる者の思考ではありませんな。別の種類の人間が考えることです」


 そう言いつつ、藤堂は苦笑する。自分の言葉に納得を覚えるのはおかしいが、確かにこれは軍人の仕事ではない。政治家のような……こちらよりずっと上等な立場に立つ人間の仕事であるはずだ。いくら「戦闘」に関する全ての権限と最良を与えられているとはいえ、これからやろうとしていることは幾らなんでも越権というものではないのか?……懸念にも似た藤堂の言葉に、植草は口元を少し綻ばせる。


 「だが……幸か不幸か我々は軍人ではない。自衛官だ。自衛のために、軍人が取り得る以外の手法をとる余地はあるさ」


 植草が言うのと、オペレーターが、ヘリが敵の旗艦に接触を果たしたことを告げるのと同時―――――




日本国内基準表示時刻12月19日 午後6時08分 日本海上空


 『敵艦隊上空に到達……敵旗艦よりの信号をキャッチ――――』


 航空士からの報告に、護衛艦「はまゆき」艦長 帆立(ほだち) 昇 二等海佐は殆ど視界の塞がった舷窓に目を細めた。数時間前より大分勢いの衰えたとはいえ、荒れ狂う海原の空を掻い潜るようにしてSH-60Jは進んでいた。さながらそれは、宙に浮かんだ小舟であった。だがその小舟は海原にある以上に不安定で、乗り込んだ者を一層の緊張へと誘う。


 「機長、もう少し高度を下げられるか?」


 上下左右に揺れる機内で、必死気味に身体を支えながら、帆立二佐は言った。直後に発言を少なからず後悔したが、それはもはや詮無いことだった。


 『―――やってみます』


 機長たる操縦士 池上一等海尉は飛行時間3000時間超のベテランだが、その彼ですら応答の端々に隠しきれない緊張の程を覗わせている。それほど此処の空は飛行に適した環境とはいえない。素人目にも、それは判る。強風に翻弄され、不快に揺れる最新技術の粋を尽くした哨戒ヘリの機内が、乗り込んでいる男たちには針の筵のように思えてくる。そして悪天候は、自らの領域を冒すこの不快な闖入者から翼を奪う機会を今か今かと待ち構えている。


 ローターの回転音を落とし、ゆっくりと、SH-60Jは高度を落とし始めた。


 次第に啓け行く眼下のどす黒い海原――――


 烈風の豪腕に尾部を抑えられ、ともすれば水平方向に自転しかけるSH-60Jを、池上と彼の副操縦士はフットバーを踏み、テイルローターの回転数を上げつつ必死で支える。操縦席計器盤中央にある人工水平儀、方位表示端末の放つ緑色の光が、今では肉眼には眩しい時間帯に入っていた。急速に迫り来る暗闇に、研ぎ澄まされた肉眼は殆ど用を成さず、今や計器の刻む数値を頼りに姿勢を維持し機を飛ばしている有様だ。


 副操縦士の笛吹 二等海尉が言った。


 『――――機長!……航学時代の計器飛行訓練を思い出しますね!……自分はエリミネート寸前で切り抜けました!』


 『――――仮にも客を乗せてるんだぞ。冗談は後にしてくれ。それにしても……』


 池上は苦々しく語を噤んだ。


 『――――朝霞の学生さんも無茶な注文をする……!』


 そのとき――――


 『敵艦視認! 二時方向!―――――』


 機首センサーを通じた赤外線画像に、目指す艦影を認めた航空士の嘉瀬 一曹がインカムに叫んだ。


 絶句――――


 もはや戦闘の術を奪われ、海上で漂うばかりの敵艦の変わり果てた姿を、はっきりと目視できる高度だった。黒煙を吹き上げ、炎に包まれる敵艦の艦影、中にはその巨体を荒れる海面下に殆ど没し、傍目にも完全に戦闘力、または船としての機能を失ったことがはっきりと判るものすらあった。


 「……すごいな」


 と、傍らに座る「はまゆき」砲雷長 小菅 丈三等海佐が唸った。航空攻撃の威力を前に、言葉もないという風であった。


 「難儀なもんだ……」


 帆立二佐は力なく呟く。


 「これだけの艦隊を再建するのに、どれくらいのカネと時間がかかるだろうな……」


 それに、小菅三佐が応じようとしたとき、池上機長が声を上げた。


 『敵の旗艦を視認!……』


 「…………!」


 巨大な艦であった。「はまゆき」よりは遥かに巨大であることはもちろん、全長だけなら「あかぎ」型ヘリコプター護衛艦にも見劣りはしていなかった。艦橋や煙突、レーダーマストといった艦上構造物は大きく、かつ背が高い。武装の数もまた多く、その種類も多彩であるように帆立二佐には思われた……だがその重厚さが、波浪の上では姿勢制御にむしろマイナスに働いているようだ。その点では、敵艦隊が日本近海に進出してきたのは賢明な策とは言えなかったのかもしれない。


 「まるで……一昔前のロシアの軍艦みたいですね」


 と、小菅三佐が言った。軽く頷き、帆立はインカムのスウィッチに指を充てた。


 「機長、我々を下ろすスペースはあるか?」


 『艦長、飛行甲板らしきものを視認……いま誘導灯と思われる明りが点きました』


 同時に安堵を覚え、帆立と小菅は互いに顔を見合わせ苦笑した。最悪の場合強風に揺られながらのロープ降下をも、二人は覚悟していたのだ。


 「降りれるか?」


 『どうでしょう……ベアトラップも無いようですが……まあやってみます……!』


 言うが早いが、ヘリが緩やかな旋回に入ったのを、帆立たちは身体に感じた。吹き付ける横風に揺れる機体――――風の影響を一層強く受けるまでに、哨戒ヘリの速度は落ち、高度は下がっている。池上二尉とて内心では必死だ。操縦桿とトリムスウィッチを握る右手、コレクティブレバーを握る左手、さらにはフットバーを踏む両足に神経を集中させ、風の吹き付ける勢いとタイミングを読み、飛行甲板への進入コースを修正していかねばならない。


 不覚にも、高鳴る鼓動――――


 舌打ち――――


 接近して初めて気付いたことながら、飛行甲板は予想外に狭い……目視で得た事実が、ベテランの機長を焦燥させる。コレクティヴレバーをミリ単位で下げ、指先の動きだけでブレードのヒッチ角を修正し、操縦桿のトリムボタンで機の降下角度を修正する。それだけの操作に全神経を集中したところで、この荒天下、気象の気紛れにより何時浮力を失い、敵艦に叩きつけられるか判ったものではなかった。


 『着艦まで5メーター……3……着艦いま!』


 衝撃!……決して小さくはない。だがその後には限りない安堵が訪れた。


 『着艦しました。艦長!』


 「…………」


 帆立の関心はすでに、飛行甲板前方の、ヘリコプター格納庫に立つ複数の人影にあった。一様に外套で身体を多い、異国の回転翼機を取り巻くようにして見守る人だかり―――――彼らこそが、帆立二佐が初めて目にしたローリダ人だった。


 風雨に耐えながら敵艦に一歩を記した帆立たちの前に、一人の高級士官らしき男が進み出た。帆立より頭一つ背が高く、年齢の程はずっと若く見えた。


 「巡洋艦『レ‐バーゼ』副長、グラティス中佐です。本艦への来訪、歓迎する」


 「護衛艦「はまゆき」艦長、帆立です。貴方がたの総司令官にお会いしたい」


 「案内しよう……こちらへ」


 とは言いつつも、自分たちを取り巻くように目を凝らす艦の乗員の手に握られた小銃を、帆立たちは見逃してはいなかった。小菅にいたっては、腰に提げた護身用の拳銃にさり気無く手を触れ、彼と彼の上司にとっての最悪の事態に思いを巡らせる。


 巨大な艦体に似つかわしく、広々とした通路へ帆立たち二人は通された。彼らを先導するように歩く副長は、来客に関心を払わないかのように帆立たちの眼前で黙々と歩を刻む。その二人から数歩後れ、武装した乗員が続いている。


 そう……彼らは明らかにこちらに信頼を置いていなかった。


 艦橋司令室へと通じるエレベーターに入ったとき、グラディス副長は言った。


 「ニホンの海軍には、どれほどの伝統がおありか?」


 「6、70年といったところでしょうか」


 グラディスは嘆息する。


 「……時の流れとは非情なものだ。300年の伝統を誇る共和国海軍が、100年にも伝統の満たぬ新興海軍の前で、斯くの如き醜態を晒すことになるとはな……」


 困惑気味に、帆立と小菅は顔を見合わせた。こうしている内にもエレベーターは彼らを艦橋へと運び、彼らを艦隊の主へと引き合わせる―――――



 「――――挨拶はいい。用件を言え」


 周囲を幕僚と思しき男たちに取り巻かれた、顎鬚と鼻っ柱を横断する傷痕の強烈な、魁偉な大男――――それが、帆立と小菅が敵艦隊の司令官に抱いた第一の印象だった。そして同時に抱いた、見るからに


 「話のわからない男」という印象もまた、瞬時の内に的中した。


 「我々の最高司令官、内閣総理大臣 神宮寺 一閣下の、あなた方に対する要請を伝えに、参上いたしました」


 「要請だと……?」


 ヴァルミニウスは顔を曇らせた。彼と彼の幕僚達は、てっきり降伏の勧告に彼らニホン人が訪れたものと信じていたのである。


 「そうです。要求ではありません」


 きっぱりとした口調で、帆立は言い、続けた。


 「これ以上の攻撃は我々の本意では無い。一日の猶予を与える。領海外へ退去し、本国へ帰還して頂きたい。その間の安全は保障する――――これが、要請の内容です」


 「降伏の勧告ではないのか?」


 帆立は首を横に振った。「違います」


 「信じられん……!」


 その後に起こるどよめき……ヴァルミニウスこそ超然としてはいたものの、その嶮しい眼つきから驚愕の光は隠せなかった。


 「……ホダチ艦長と言ったな。我々が撤退するまでの間、安全を保障すると言っているのだな?」


 帆立は頷いた。


 「もし、拒否すればどうするというのか?」


 帆立てはトランシーバーを取り、何事か囁いた。そして艦橋の窓を指差した。


 「外を御覧下さい」


 艦橋より一歩を踏み出し、促されるがままに鉛色の空を見上げた先―――――何処からともなく出現し、翼端灯を瞬かせながら高速で低空を飛び過ぎる鋭角的な戦闘機の黒い機影に、幕僚たちの表情が凍った。それは搭載するミサイルすら目視できる低空―――――その瞬間、彼らは自軍をこれほどの危機に追い込んだ元凶を一瞬で察知する。


 「あれで我が艦隊を攻撃したのか?」


 ヴァルミニウスの問いに、帆立は頷いた。


 「全て実弾を搭載しておりますし、第二波、第三波も控えています」


 「……では、お前たちの命運はどうなる?」


 「……それは、あなた方次第です。我々としても、もとより死は覚悟の上だ」


 「…………」


 ヴァルミニウスは無言のまま、ニホン海軍の士官を見詰めた。厳と柔……全くに趣の異なる両者の視線の交差が十秒近く続いたとき、ヴァルミニウスは納得したように少し頷き、言った。


 「……わかった、お前たちの要請とやらに従おう」


 どよめき、抗弁しようとした幕僚を、ヴァルミニウスは眼光で制した。


 「貴官らが口を差し挟むことではない。責任は全て、本職にある……!」


 通信士官に要請受諾を打電させた後、ヴァルミニウスは帆立に言った。


 「しかし解せぬ……何故に攻撃をかけ、我々の殲滅を図らなかった? 情けか?」


 帆立は首を傾げた。


 「小官には総理や幕僚長のお気持ちは理解しかねますが、これだけは言えます……我々日本人は、無用の戦を何よりも嫌います。彼我の戦力が隔絶しているのなら尚更のことです」


 「そうか……」


 それに対し、ヴァルミニウスがさらに口を開こうとしたとき、通信士官が本国からの音声通信を告げた。受話器を取ったヴァルミニウスの耳元に、海軍参謀長ギルメス-ダ-コーティラス上級大将の怒声が飛び込んできた。だがヴァルミニウスとて、それで心胆を萎縮させる男ではなかった。


 『――――私だ。ヴァルミニウス提督、何故前進しない? 蛮族を前に臆したとでもいうのか!?』


 「退避は忠勇無双なる海軍将兵を危機より守るための、これは方策である。海軍参謀長閣下におかれては、何を余迷い言を仰っておられるのか?」


 『――――提督、気は確かか? そこに蛮族の片割れがいるのなら何故捕虜にしない?』


 その瞬間、ヴァルミニウスの目が怒りに煌いた。


 「蛮族?……そのようなもの、此処には存在せぬ……!」


 文字通りに受話器を叩きつけると、ヴァルミニウスは帆立二佐に向き直った。


 「見苦しいところをお見せした。貴官らの用件は我が胸中に入った。後顧なく貴官の艦へ戻られよ」


 「提督の勇気に、敬意を表します」


 踵を返し、艦橋から退出しようとする帆立二佐を、ヴァルミニウスは呼び止める。


 「……待て、未だ貴官の階級を聞いていなかったな」


 二人は互いに向き直った。


 「海上自衛隊 護衛艦『はまゆき』艦長。帆立 税 二等海佐であります」


 「ローリダ共和国海軍中将にして、今次遠征艦隊司令官のロヴトス‐デ‐ラ‐ヴァルミニウスである。任務ご苦労であった」


 敬礼……この時初めて、自らの意図が通じたことを帆立は悟った。


 ――――飛行甲板から再び浮上し、帰路についたSH-60Jの機内で、小菅三佐は帆立二佐に聞いた。


 「艦長はあのとき、本当に死ぬのを覚悟していらしたのですか?」


 「小菅三佐はどうだった?」


 「勿論自分は……」


 と言いかけたところで、笑いを噛み殺している帆立に小菅は気付いた。


 「…………?」


 「敵さんの大将を見たとき思ったよ。あの男は、人質なんてとるようなタマじゃないってね……むしろ提督はあんな状況でも、おれたちを試してやがったのさ。おれと小菅三佐が、真に信用するに足る海軍軍人なのかどうかってね」


 「では……我々は……」


 「こうして生きて帰れてるんだ。辛うじて合格ってところじゃないか?」


 清々しい微笑と共に、帆立はすっかりと暗くなった眼下へと目を転じた。その先に居並ぶ艦外灯の瞬きは、今しがた彼らが飛び立った巨艦より発せられていた――――――


 ――――暗く冷たい空の彼方へ遠ざかり行く回転翼機の発する光に、海将は何時までもその嶮しい眼差しを注いでいた。勢いこそ弱まったとはいえ、艦体に吹き付ける風雪は決して弱いものではなかったが、それとて提督の強靭な体躯と意志を挫く力を持たなかった。


 「提督……」


 部下の呼びかけに、ヴァルミニウスはゆっくりと振り向いた。今後を思い、晴れない顔を浮べる幕僚を、ヴァルミニウスは鼻で笑う。その笑みには彼らしくない自嘲の響きがあった。


 「想定外だった……この世界に、あれほどの男達がいるとは……」


 「提督は、これで宜しかったのですか?」


 部下の問い掛けには、切実なまでの不安があった。このような形で「敗北」したことに、部下の将兵たちは内心で納得と安堵こそ覚えても、本国は黙っていないであろう。戦況に対して何ら便宜を図らなかった癖に、体面を傷つけられたという怒りの赴くままに、彼らがヴァルミニウスに無分別な罰を与える可能性は十分すぎるほどあった。


 ヴァルミニウスは笑った。再び自嘲気味な、かといって決して陰性の笑いではなかった。


 「本国のやつらに何がわかる……神に裁かれるべきはニホン人ではなく、これまで散々虚偽に満ちた敵情を垂れ流し続けたアダロネスの政治屋どもではないか」


 「…………」


 そこに、通信士官よりの報告――――


 『「クル‐ヴィナ」より報告。南西方向よりニホン海軍の艦艇接近中』


 「まさか……追撃する気でしょうか?」


 困惑気味に外へ視線を凝らす部下に、ヴァルミニウスは言った。


 「いや……我等の退避を見届けるつもりなのだろう――――」


 思考を廻らせるように一瞬黙り、提督は続ける。


 「――――我等を騙まし討ちにする気なら、もう撃っている」


 ――――何時の間にか嵐は過ぎ、鏡の如き平穏さが海原を支配している。


 ――――時に12月19日 午後8時30分。日本海における戦闘は終了した。




日本国内基準表示時刻12月19日 午後9時47分 東京 総理官邸


 幅の広い矩形の液晶を支配する暗灰色と、画面中央のベロシティベクターに睨まれた艦船の黒い影――――


 会議室のモニターは、護衛艦の搭載するヘリコプターより電送されたローリダ軍艦船の暗視画像を鮮明に映し出していた。もと来た途を北へと辿るその何れもが傷付き、その進度は生まれ出た赤ん坊のように覚束ない。


 つい数時間前と違い、参集した閣僚達の表情にはすでに余裕があった。ただ内閣総理大臣 神宮寺 一のみが、両腕を汲み憮然としてその画像に見入っていた。


 「植草統合幕僚長、入室します」


 秘書官に先導され会議室に現れた植草幕僚長に、神宮寺は相好を崩し椅子を勧める。だがその笑顔が心からのものではないことを当の植草が最も弁えていた。


 開口一番、神宮寺は言った。


 「ご苦労だった。制服組の努力にこの神宮寺、頭が下がる思いである……」


 そこまで言った途端、笑顔は引き締まった、嶮しいものとなった。


 「……で、そろそろ潮時かね?」


 その場に臨席する桃井 仄 防衛大臣が、興味深げな視線で植草を凝視する。彼女に一瞬目配せした後、植草は切り出すように口を開いた。


 「スロリアの原状回復及び日本本土の防衛……事前に決定された任務はこれを全て完遂いたしました。これ以上の任務は、事前に想定されてはおりません。従って、我々自衛隊にはこれ以上の軍事行動を起こす計画及び余力はありません」


 「……うむ」


 神宮寺は頷いた。武力行使というオプションの可能性を提示する一方で、その限界をも提示し、皆に周知させることが軍事の専門家としての植草の、この場における役割であったのだ。だが、そのとき発言を求めた者がいる。連立与党 共和党に属する本多 栄太郎 外務大臣だ。


 「お待ちください……総理」


 「何かな。本多君」


 「こと国内の政権運営に関する限り、原状回復だけでも大きな成果であることは確かであります。ですが……総理にはもう少し大局的な視野からスロリア情勢を検討して頂きたい」


 「何が言いたいのかね?」


 「申し上げます。我が国の侵略者に対する断固たる姿勢、そして平和と自由を擁護し弱小国への支援を惜しまないという姿勢を諸外国へ知らしめるためにも、此処は思い切ってPKFをノドコールまで前進させるべきと私は考えます」


 「……何?」


 「スロリアのみならず、武装勢力の支配下にあるノドコールを圧制から開放するべきです。総理、ご決断を……!」


 「あんた正気か!?」


 と、声を荒げたのは財務大臣の森下 信雄だった。


 「作戦行動はもとより、事前の移動展開及び訓練等の準備に費やされた金額を外相はご存知か? これまでPKFには先年度防衛費の二倍近くの国費が投入されている。これ以上戦線を拡大すれば、来年には防衛費は予想GDPの三割近くに達し、近い将来には国債発行額も五倍に引き上げねばならなくなるだろう。財務省としては今直ぐにでも戦闘を終結し、スロリアからPKFを撤退させて頂きたいところである」


 「ここでスロリア開放という大義を放棄すれば、敵を利することは勿論、我が国の対外的な信用も失墜する。財務にはそれが安全保障上いかに危険なことであるのかご理解いただけないのか?」


 「本多君……」


 と、外相を制したのは神宮寺だった。気色ばむ本多に目を細め、彼は言った。


 「……それは、士道さんも同意見なのか?」


 それは「士道の意思なのか?」と尋ねたのにも等しかった。少なくとも閣僚の誰もが彼の言葉をそのように聞いた。外相もまたそう受取り、同時に自分自身の意思と立場とを無視されたように感じ、顔を曇らせる。


 「我等が党首もまた、同意見であります……総理。我が国はスロリアに正義を取り戻さねばなりません。我々の唱える正義は武装勢力のような独善ではなく、周辺国の認め、同意するところであります。ですがそれは永遠ではありません。時がたてば我々の正義は色褪せ、その根拠を失います。我が方に勢いがあり、武装勢力の脅威の明白なるうちに、正義は遂行されるべきです」


 「……いや、軍事力による解決には限界が見えている」


 唐突な発言の主に、一同の視線が集中した。彼らの視線の先に、蘭堂 寿一郎 官房副長官がいた。困惑気味の年長者達を前に、武官たる植草を除きこの場で最も若い閣僚に、神宮寺は言葉を投掛けた。そしてこうした形で話に口を挟む彼に、内心で安堵を覚えた神宮寺がいたことも事実だった。


 「では、方策でもあるのか。蘭堂君」


 「総理、私を現地に派遣して頂きたい」


 「向こうに行って。何をやらかす気だ」


 苦笑と共に、神宮寺は言った。一本気であるが故に時には党の統制に反駁し、波乱を起こす癖のあるこの青年を、神宮寺は苦々しく思いながらも決して嫌ってはいない。


 「武装勢力と、交渉します」


 「……!」


 絶句……一同の驚愕を収める様に口を開いたのもまた神宮寺だった。


 「交渉で何が得られる?……というより、現時点で交渉そのものが成り立つと君は思っているのか?」


 「交渉は成功させますよ……そして、我々が最終的に得るものは……」

 

 場の全員の反応を確かめるように蘭堂は口を閉じ、そしてそれは全身より漲る自信とともに再び開かれた。


 「スロリア及びノドコール全土よりの武装勢力の撤退と、それに伴う平和……!」


 断言するようにそう言った直後、蘭堂は口を歪めて静かに笑った。一方で、若き官房副長官から醸し出される圧倒的なまでの自信と自我を、神宮寺は感嘆とともに凝視する。それは若き日の神宮寺が、今更振り返るまでも無く確かに持っていたものだった。


 「大きく出たな……小僧!」


 神宮寺も笑った。あまりに趣の似た両者の笑みを、ただ桃井だけが興味深げに見詰めていた。





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