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第二六章 「再び、ふたり……」

スロリア地域内基準表示時刻12月17日 午前8時13分 スロリア中部


 「―――ブラヴォ‐ワンよりイヌワシへ、これより戦闘地域上空――――」

 『―――イヌワシ了解。前進観測班(FO)ビッグアイに交信を切り換える――――』

 『―――こちらFO(ディスイズFO)ビッグアイ。ブラヴォ全機へ(ブラヴォ)諸君らは当方の(ユーアーアンダー)指揮下に入った(マイコントロール)これより攻撃(マークユア)目標を指定する(ターゲット)目標はポイント(ユアターゲットイズ)3-24(P-3-24)。2-9-5へ針路を取り(ステア2‐9‐5)目標上空(アプローチトゥー)に進入せよ(ユアターゲット)

 「―――ブラヴォ‐リーダー了解(ラジャー)。これより進入点(IP)通過――――」


 晴れ渡った空だったが、眼下は見渡す限りの雲海。それでもF-15EJの下方監視赤外線(DLIR)は、地上の状況をほぼ正確に捉えていた。


 MFDマルチファンクションディスプレイの照準輝点は、PKF機甲旅団の追撃を逃れ、南西方向に戦場離脱を図らんとするローリダ軍機械化部隊の車列を、その全容はもとより空襲に右往左往する敵兵の影まで明瞭に捉えている。さらには、赤外線監視装置により得られた情報はHUDにまで反映され、降下角と投弾のタイミングまで数値化してパイロットの眼前に指示してくれる。


 そうした電子の眼の導くまま、北条 智三等空佐率いるF-15EJ支援戦闘機の四機編隊は、一斉に機首を下げ、肉眼では見えぬ目標へ機体を指向させていた。一機につき500ポンド通常爆弾が16発。合計64発のそれらを適切なタイミングで解き放ち、目標に叩き込めばすべては終る……そして攻撃編隊は北条たちの背後に続々と列を為している―――――


 地上戦の大勢は決した。


 遡る事午前七時未明。東方から進撃を続けたPKFはローリダ軍の最後の防衛線を突破し、その連携を完全に分断したのである。そして防衛線を突破され、組織的な戦闘力を失ったローリダ軍将兵に、逃げ延びるべき途は失われたかに見えた。


 ―――――そして北方。


 阪田PKF総司令官の叱咤の下、いち早く前進展開を終了したのは第71機甲旅団に属する特科大隊であった。G-STARSによる目標捜索と、いち早く戦線に到達したOH-1偵察ヘリによる航空観測(AOP)の下、MLRSの隊列が鋼鉄の豪雨を降り注いだ。対人対装甲兼用のロケット弾の着弾は撤退を開始したローリダ軍にとって文字通りの痛撃となり、発射第一波だけで1000名近くの将兵と、戦禍を逃れた膨大な数の装備が戦場の塵と消えた。そこに追及してきた多目的中距離誘導弾(MPMS)装備の対戦車隊もまた展開を完了し、精密無比な攻撃により、残存兵力をその射程外から次々と撃破していく。


 ――――上空。


 敗勢に追い込まれたローリダ兵にとって、空を圧する回転翼の迫り来る様は、文字通り破滅の到来を意味した。編隊を組み低空を飛来するAH-64DJおよびAH-1Sの一群。さらには増援として護衛艦隊より駆り出されたSH-60K……対戦車ミサイルやロケット弾を満載した彼等が、地上に見出した獲物に向けその「荷物」を投射し飛び去った後には、地上にはもはや何も残らなかった。ローリダ兵の中にはそれらのローター音が迫るだけで、防衛線をかなぐり捨てて逃走を図る兵すら出る始末だったのである。彼らにはこの空の脅威に対する装備も、組織だった戦闘力ももはや残されてはいなかった。


 それらの攻撃により啓開された進撃路を、73式装甲車や96式装輪装甲車、そして軽装甲機動車に搭乗した普通科部隊が快速で通過する。抵抗の烈しく、突破に困難の予想される拠点を空自と特科による徹底的な打撃で叩き、一方でG-STARSによって露見した薄弱な防衛網を大部隊を以て瞬間的に突破し、敵中への浸透を図る戦術を多用することで、PKF普通科戦闘チームはローリダ軍の防衛線を切り崩し、各個に撃破していったのだ。


 ――――東方。


 激闘の末、イル‐アム谷の防衛に成功した空中機動旅団と西部方面普通科連隊に、司令部より下された命令は、文字通りの反攻命令だった。いち早く戦力の再編成を終えた部隊は輸送ヘリコプターに分乗、敵の退路を断つべくすでに機動を開始している。


 ――――その北方。


 奇襲とでも表現すべき空挺団の展開は迅速に完遂され、森林と山地を利用し強固な橋頭堡を形成した彼らの前に、敵は予想通りに出現した。現在空挺団は地形を生かし、敵増援の遅滞作戦を優位に進めている状況だ。


 ――――再び、戦域上空。


 ――――HUDに投弾タイミングを告げるシグナルが出現した瞬間、北条は眦を決した。


 『――――投下(ナウ)!』


 精巧無比なトス爆撃――――兵装投下ボタンを押し、上昇―――――重力の抵抗に抗いながらやや機首を引き続け、高度が30000フィートに達した瞬間、地上から目標の指示を行ったFOの弾んだ声を聞く。


 『――――全弾命中。援護感謝する!――――』

 「お安い御用だビッグアイ。帰還する(RTB)!――――」


 そのとき―――――


 『――――注意(コーション)! 方位2-7-0より敵編隊と思しき機影(エイトボギー)が接近中(ツーセヴンゼロ)。八機……!』

 「ブラヴォ了解(ラジャー)……隊長機(リード)より全機へ、ACM準備(スタンバイ)!」


 来た!……反射的に操縦桿の策敵モード変換ボタンを押し、空対空モードに切り替わったHUDは、データリンクによりAWACSから送信された敵位置の方向を指示する。いち早く優位な位置に達するべくラダーを踏みゆっくりと旋回に入る間も、彼我の距離は縮まっていた。


 「…………」


 酸素マスク内で反響する呼吸の音を聞きながら、HUDを睨む。自衛用に四発搭載するAAM-5短距離空対空誘導弾のシーカーは、迫り来る敵影を未だ捉えるには至っていない。逸る心を抑えてレーダーレンジを小刻みに調整する内、MFDのレーダースクリーンは雁行編隊で飛来する三機の敵影を明瞭に映し出した。距離は70nm(ノーティカルマイル)、高度は16000フィート、進行方向からしてこちらには気付いてはいない。


 大きく旋回し、敵機の背後を取った。


 さらに詰る距離……


 「――――捕捉した(コンタクト)30度左(スリーゼロレフト)距離30マイル(レンジスリーゼロ)……」

 『――――注意(コーション)! 六時上方よりシックスオクロックハイ二機接近(ツーバンディッツ)!……回避せよ(ブレイク)!』


 何!?……


 空中警戒管制機(AWACS)からもたらされる驚愕。それに突き動かされたかのように背後を振り向いた北条のイヤホンに轟くけたたましい電子音――――それは、後背よりレーダー照射されたことを報せる警告の響きだった。



 捕捉!――――――レーダースクリーンのブラウン管は、夢にまで見た敵機の機影を映し出していた。


 フルフェイス上のヘルメットのイヤホンには、レーダーが敵機を捕捉したことを示す良好なトーン。


 「発射……!」


 先日に到着したばかりのゼラ‐ラーガのコックピットより、エイダムス‐ディ‐バーヨ大佐はレーダースクリーンより眼を離さず、次の瞬間には中距離空対空ミサイルの発射ボタンを押した。


 振動……主翼下より白煙を曳き勢い良く飛び出す空対空誘導ミサイル……狙われた敵機に回避のしようなどあるはずが無かった――――こちらがうまく敵影をレーダーに捉えている限りは―――――ミサイルは放物線上の軌道を白く曳き、目に見えぬ距離にいる目標へと、一直線に向かっていく。


 勝利を確信すると同時に、バーヨは離陸する前より胸に抱いていた怒りを未だ昂ぶらせていた。それは有能な敵に対する敵意以上に、自身を含め無能な味方に対する隔意の方が、多分に含まれていた――――



 最初からゼラ‐ラーガを投入していれば、このようなことにはならずに済んだのだ……!


 既に敗勢が覆せない局面にまで来ていることを、バーヨは冷静に感じ取っていた。


 そもそも緒戦、あの奇襲で空の傘が失われた瞬間から全ては決していた。自軍の制空能力を一掃し、空の脅威を排除したニホン空軍は何時でも、何処に対してでも意図したとおりの爆撃を行うことが出来た。その結果として地上軍の連絡網は各所で寸断され、指揮系統はニホンの地上軍を迎え撃つ前から破綻してしまった。


 その次に訪れた衝撃は、ゴルアス半島を巡る空海の戦闘だった。装備、規模とも最強を呼号した植民地艦隊は侵攻してきたニホンの海軍を前に僅か一戦で壊滅し、海軍の支援に出撃した空軍もまた、ニホン艦隊の強固な防空網と強力なニホン空軍を前に敗退を重ね、消耗していった。ニホン空軍は自軍より遥かに優秀な装備を持っていることは勿論、あたかもこちらの意図と位置を事前に知り尽くしているかのように優位な場所から迎撃し、ローリダ空軍の誇るレデロ-1を赤子の手を捻るかのように撃墜していった。強力な電波妨害により地上に残存していた防空監視網からの支援も侭ならない上に、それすら電波を出した途端ニホン空軍の精密無比な爆撃で沈黙させられてしまう。


 そして我が地上軍の直面したニホン陸軍の戦闘力は、自軍の戦前の予想をはるかに超えて強力で、その兵士の練度もまた高かった。彼らの機甲部隊は、昨夜の内に共和国陸軍の切札たる赤竜騎兵団まで粉砕し、今や共和国陸軍全軍を粉砕しようかという勢いだ。南下途上でその赤竜騎兵団と別ルートを取ったロフガムスの率いる増強機甲旅団が、事実上の最後の希望であったが、それはほんの一時間前に脆くも潰えることとなった。彼らの進撃路には本来何等それを妨げるものは無いはずが、ニホン人……大胆で勇猛なあの連中は、一軍をまるごと上空から落下傘で送り込むことで、その困難を解決してしまったのだ!……突然に出現したニホン軍の伏撃を前に、ロフガムス旅団は少なからぬ損害を出し、未だ主戦場に参入することが出来ないでいるのだった。



 そして――――


 『―――――大佐、君に名誉挽回の機会を与える』


 先日、増援の新鋭機と共にバーヨの元に届いた空軍総司令部からの通信を、バーヨは社会の不条理に接した青年そのままの表情で聞いた。もう少し、彼らが冷静な判断力を発揮し、主戦場たる地上にまとまった空軍戦力を投入させることができさえすれば……現在のような惨状を防げたかもしれない。例え地上軍が苦境に陥ったとはいえ、彼らの戦場からの離脱に関してもまた、いくらかの助けにもなれたはずだ。


 だが……それも今となっては詮無いことだろう。戦況判断に関する錯誤は、自分もまた犯しているのだから。全ては我々の無知と偏見から生じ、そうした錯誤は有るべき結末へ我々を導こうとしている。


 それでも……


 『―――――新鋭機を率い、ニホンの蛮族どもよりスロリアの空を奪回するのだ。この上は、命など惜しむまいな?』

 「…………!」


 責任の放棄、あるいは押し付けとも取れる言葉を耳に入れた瞬間、間欠泉のごとく込み上げる怒気に拳を震わせるバーヨがいた。


 何故、おれなのだ? 


 かかる悲劇の責任は、我々全員に、平等に課せられるべきではないのか?


 ―――――それでも、バーヨはその日の朝、本国から駆けつけた精鋭を引きつれ、同じく本国より進出した新鋭機の操縦桿を握り、昇り行く朝焼けに向かい飛行場の滑走路を駆け抜けた。軍人としての責任と若い使命感とが、青年を身を引いて久しい大空の戦場へと駆り立てていったのだった。


 全てを、空軍戦闘機パイロットとしての誇りに賭けて―――――


 全てを、強力なニホン空軍にぶつけるべく―――――



 ――――イヤホンのトーンは、ミサイルが順調に敵機へと向かっていることを示していた。


 そして機を操るバーヨもまた、誘導を順調ならしめるべくレーダーを調節しながら敵影を追尾している。この命中まで目標をレーダー照射し続けなければならないという点こそが、どちらかと言えば古典的な格闘戦を好むバーヨの、この機を敬遠する理由の最たるものであったが、つぼに嵌れば敵機の攻撃範囲外から絶大な戦果を上げることが可能なのであった。


 ミサイルの目標への接近を伝えるトーンの間隔が一気に狭まり、そして途切れた。

眼前に浮かぶ丸い、小さな火球。


 バーヨは胸を高鳴らせた。ミサイルが命中したのか?


 ……否、違う。


 レーダーは相変わらず、前方を旋回する敵影を捉えていた。それがバーヨには信じられなかった。命中していない?……何故?


 直後、レーダー画像が乱れ、そしてスクリーンの中で蠢く全てが漂白の中に消えた。


 電波妨害か!……バーヨは歯噛みする。これで自慢の誘導ミサイルは使えなくなった。頼れるものは赤外線誘導式の小型ミサイルと機関砲、そしてゼラ‐ラーガ自体の高性能のみだ。


 だが!……バーヨはほくそ笑み、スロットルを叩いた。誘導ミサイルが使えることの他、ゼラ‐ラーガはローリダ空軍の保有する全ての戦闘機を凌駕する加速力、上昇力、そして運動性を持っている。単機の格闘戦に入ってもニホンの戦闘機と互角に戦える自信がバーヨにはあった。そして彼自身、引き連れた列機にも手練を選んである。


 「…………!」


 回避に入った敵戦闘機の機影が、すでに目に入る距離だった。そしてバーヨは、その敵機が放ったミサイルにより、前方を飛ぶ味方機二機が同時に四散するのを見た。


 「ばかな……!」



 レーダーに照射されるや否や、咄嗟に放ったチャフへと敵機のミサイルが誘き寄せられるのを確認したとき、北条の腹は決まった。

 HUDに浮かび上がった二個の矩形は、AAM-5のシーカーが前方を飛ぶ二機を捉えたことを示していた。


 「ブラヴォ‐リーダー、フォックス‐ツー!」


 続けざまに放ったAAM-5近距離空対空誘導弾は敵機二機に回避の暇すら与えず、目標の回避経路にいち早く回りこんで機影を貫き爆発した。赤外線誘導と画像誘導とを併用した追尾システムと緻密な追尾機動プログラム、そして優秀な機動力を持つAAM-5の為せる荒業だった。同じく列機の放ったAAM-5もまた個々の目標を追尾し、前方を飛ぶ四機の敵機は瞬時の内に空から掻き消えた。


 『―――後方より敵機!』


 後席の松浦二等空尉が声を荒げた。彼が起動させたECMの効果か、あの小うるさい警告音は既に消えていた。


 スロットルを前方に押し込む―――――アフターバーナー。


 急上昇――――急激な加速。


 追尾できない!―――――上昇に転じた敵機を追うバーヨの額に、焦燥が宿る。

 しかも敵機の向かった先は太陽の方向――――これでは熱線追尾ミサイルを撃つことなど、不可能。

 北条とバーヨ……二人は同時に、互いの相手が熟練なることを悟る。


 意を決し、バーヨも上昇―――――全開にしたスロットル。


 深まる焦燥――――ついていけない!……機体の性能は敵の方がいい。


 『――――ミサイルに追尾されている!』

 『――――助けてくれ!……回避できない!』


 絶叫の途中で途切れた交信……味方が全て撃墜されたことをバーヨは悟った。


 愕然――――このゼラ‐ラーガを以てしても、ニホンの戦闘機には抗すべくも無い!


 「くっ……!」


 苦悶とともに、バーヨは機首を転じた。


 空の戦場の真っ只中で、運動エネルギーを失うことへの恐れが、彼にそれをさせた。


 そして――――それが勝負を分けた。

 

 「敵機!……離れます!」

 「…………!」


 松浦二尉の声を聞くのと、反転降下に転じるのと、同時。


 「ウァ……!」


 嗚咽にも似た気合……下腹部、両足を締め付けるGスーツの桎梏に、歯を食いしばって耐える。


 蒼空の蒼から雲海の白へと、眼前の世界が急変する。


 ハイスピード‐ヨーヨー ―――――敵機の黒い機影をキャノピーの片隅に捉えながらイーグルは急上昇から急降下に転じ、そして攻守は目まぐるしく逆転する。


 再びアフターバーナー ―――――雲間に逃げ込もうとする敵機へ距離を詰める。


 「…………!」


 驚愕―――――逃れたはずの敵機は、背後にまで迫っていた。


 振り切れない!……バーヨはあらためて、敵機の性能の良さに舌を巻く。


 再び、F-15EJのHUDに現れるシーカー……否、距離を詰めすぎたことを察し北条は舌打ちする。


 「…………!」


 ガン-モードに切換――――それにより生じる一寸の間。

そこに、バーヨが逃れる隙が生じる。


 上昇―――――追尾。


 スロットルレバーに篭る力――――F-15の推力は圧倒的だ。逃れようとするローリダ機にみるみる追い縋り、円形の照準点は上昇する敵機を完全に捉えた。


 北条は眦を決する。


 「発射(ナウ)……!」


 咆哮―――――20mmバルカン砲の放った一連射は敵機の左主翼に命中し、紙細工のように引き裂いた。

 衝撃!―――――均衡を奪われたゼラ‐ラーガはスピンし、やがてはその運動エネルギーの全てを失った。


 負けた?


 このおれが、負けた?


 絶望は一瞬で消え、薄れ行く意識の中にバーヨは安寧を見出す。


 致命傷を負い、分解の始まった機体……それにバーヨは感謝する。


 短い間だったが、良く戦ってくれた……皹の入り、いまにも機体より剥がれ落ちんと震えるキャノピーからは、彼等が支配し、守ろうとしたスロリアの大地が緑の連なりを広げていた。


 それを呆然と見遣りながら、バーヨは考える……おれを倒したニホン人は、はたしてどんな奴だったのだろう?


 思い返せば妙なものだ。


 これまで我々はニホン人を不倶戴天の敵とし、彼らに戦いを挑んだのに、その自分はこれまで一度として彼等がどのような顔をし、どのように考えるのかを知ろうとも思わなかった。

 ……そして現在、それらを知るまでもなく自分はニホン人に倒され、こうして最期を迎えようとしている。

 そのことに、バーヨは軽い後悔を覚えた……終わりは、すぐ傍にまで迫っていた。


 さようなら……大地。


 ――――直後、焔がゼラ‐ラーガを包み、それが乗り手の命とともに消え去ったあとには翼は完全なる(むくろ)となる。


 「…………」


 バルカン砲の一撃に四散し、脆くも崩れ行く敵機の姿を、その上空から北条と松浦は見守っていた。そして二人の眼前でそれが焔と化し、そのまま地上へと飲み込まれていくのを目の当たりにしたとき、敬礼とともにそれを見送っている北条がいた。

 

 勇敢で、腕のいい敵機だった。おそらくパイロットとしての技量は自分より上だったのに違いない。惜しむらくは相手が悪すぎたのだ。


 北条は思った。


 もし地上に在って、彼とともに顔をつき合わせることとなったならば、あのローリダ人とは同じ戦闘機パイロットとして仲良く付き合えたような気がする。


 それを思ったとき、北条の目元に、湿ったものが宿った。


 『――――ブラヴォ‐リーダー、こちらイヌワシ、全機の離脱を確認。無事ですか?』

 「こちらブラヴォ‐リーダー、機体、乗員ともに異状なし。これより帰還する(RTB)……!」


 「一機撃墜」の報告を、北条はしなかった。


 「…………」


 上昇間際に目を転じた地上。


 北条の隊に続けて進入を果たした友軍の攻撃機が、その上空を縦横無尽に飛び交っていた。これまで北条たちが空戦をしていたことなど嘘のように―――――


 ――――その友軍機の遥か下方の大地で、北条が倒した敵機が守ろうとしていたはずの敵地上軍は、間断ない爆撃を前に、もはや逃れようの無い死に瀕していた。




スロリア地域内基準表示時刻12月17日 午前8時37分 スロリア中部 イル‐アム北方


 「テッ……!」


 森の茂みより放たれた光弾は、一直線に草原を掻き分け、ローリダ軍戦車の車体側面を貫通しそこで炸裂した。


 01式軽対戦車誘導弾の威力は凄まじい。軽量ながらその破壊力の高さは勿論のこと、赤外線画像誘導方式の弾体は、一度狙った目標を決して外すことはなく、発射後の迅速な射点変換をも可能にする。軽装甲機動車と73式小型トラックは戦車以上の軽快さで射手を移動させ、緩急自在な一撃離脱戦法は、伏撃に陥った形となったローリダ軍部隊を見事に翻弄していた。


 遭遇、それに続く戦闘開始からすでに20分――――巧緻を極めた敵の伏撃を前に戦車、装甲車を含めて消耗が相次いだ結果。ロフガムス‐ド‐ガ‐ダーズ中佐の率いる機械化部隊は、その組織的な戦闘力の過半を喪失している。部隊の連絡は小隊単位、あるいは分隊単位で寸断され、前進はおろか後退すら不可能な状況に陥っていたのだ。


 何故、敵はこのような場所にまで進出できたのだ?


 彼自身、自動小銃を構えて居所の定かではない敵に応戦しながら、ロフガムスは自問自答を繰り返していた。彼の座上する戦車は、いち早く敵の対戦車砲により大破し、炎上した指揮戦車より脱出を果すことが出来たのは彼と他一名のみであったのだ。大破した戦車の周囲に応急の防御陣を形成し、ロフガムス自身もまた銃をとって戦うしか途は残されていなかった。


 先行した偵察隊によれば、ニホン軍はなんと上空より輸送機で装備と兵士を落下傘降下させ、その場で橋頭堡構築を成し遂げてしまったのだという……もしそれが事実であるのならば、ニホン軍の戦術が我が軍のそれより巧妙であることは勿論、現在我々が相手にしているそのニホン軍もまた、よほどの精鋭部隊であろう。


 ……ならば、相手にとって不足はない。


 そう考えたのは、ロフガムスだけではなかった。



 『――――こちら7分隊。当該地点の掃討を完了。指示を請う。送れ――――』

 「――――こちらテング、了解した。お前らより一キロ南で5分隊が有力な敵歩兵と戦闘中。手を貸してやれ」


 手早く交信を終え、PKF陸上自衛隊第一空挺団 スロリア派遣隊指揮官 橘 行人三等陸佐は、傍に従う指揮所要員に移動を促した。彼を入れて総勢五名の指揮所要員を載せ、軽装甲機動車は茂みから勢いよく荒れ野へと駆け出した。散発的な銃撃こそ受けたが、キューポラに陣取る銃手がぶっ放すM2重機関銃により、それらは瞬く間に制圧される。その間も橘三佐は車内で交信を続け、指揮下の各分隊に指示を出し続けた。


 「このままいけば、勝てそうですね」


 と、声を弾ませる部下を、橘三佐は睨み付けた。恐縮する部下に彼は言った。


 「敵さんに勝ち逃げを許す度量があれば、希望は持てるだろうな……」


 わずか300名程度の、それも軽装備の部隊で、戦車まで保有している敵の機械化部隊を撃破できるという妄想など、橘ははなから抱いてはいない。こちらに出来ることは敵の進撃を足止めし、友軍がその戦略目標を達成するその瞬間までこの状態を継続させることである。敵の機先を制し、敵が望まない場所に戦線を構築すること。辞書的な意味でのそれのみを、空挺団は求められている。


 断続的に噴き上がる火柱……異なる方向より友軍の打ち込んだ二発の対戦車誘導弾が同時に命中し、一台の敵戦車を血祭りに上げた瞬間だった。その様子に、橘三佐は不機嫌な表情もそのままに吐き捨てる。


 「無駄弾を撃ちやがって、敵戦車を撃破しろとは言ってない。行動不能にしさえすればいいんだ」


 軽装甲機動車上部のM2機関銃が、再び乾いた射撃音を立てる。敵は指揮所の近くにも存在し、指揮所といえどその応戦に忙殺されている。それが始まりだった。こちらの居場所を察知されるや火線の量は一気に数を増し。至近弾を示す着弾の土煙の数もまた増えた。そして、そうした戦火に引き寄せられるように味方の普通科戦闘チームも続々と周辺に展開する。その中で対戦車砲を持った普通科隊員を、橘三佐は傍まで呼び寄せた。


 「目標はあの戦車だ。カール‐グスタフを使え」


 軽MATと違い無誘導の対戦車砲だけに、その照準は慎重になされる必要があった。キャタピラの擦れ合う音が迫り。待ち構えるこちらも胸中の鼓動が一層その間隔を狭め、心音も静寂の中でその大きさを増していく。


 「てぇっ……!」


 射手のヘルメットを軽くごつく。最初にバックブラストの硝煙が生まれ、次には弾体が噴煙の尾を曳き飛び出していく。


 命中!……カール‐グスタフは敵戦車の砲塔を捉え、炎に包まれた戦車は即座に沈黙した。

健在な最後の戦車が、敵の対戦車砲を前に炎上するのを眼にした瞬間、ロフガムスの腹は決まった。


 「この期に及んで、貴官らは不名誉なる生を望むまいな……!」

 それは、文字通りに覚悟への教唆であった。彼につき従う部下は、誰もが蒼白な顔もそのままに頷く。小銃に取り付けた銃剣。抜き放ったサーベル……その間も、敵兵の包囲網はこちらの気勢を圧殺するほどに、ひしひしと迫っていた。


 空を切る砲弾の滑空音!……それは次の瞬間には着弾した迫撃砲弾の上げる火柱となり、至近にいた兵士を吹飛ばし、即死させた。迫撃砲は装甲車両に対してこそその威力は減ぜられるものの、それ以外の車両や兵士に対しては絶大な効力を発揮する。場所を選ばず直上より降り落ちる砲弾を恐れるあまり、動けなくなる部隊が続出していた。続々と弾着する迫撃砲により、ロフガムス隊の突撃への意思は完全に削がれ、無傷でいられた者は一人としていない。


 「隊長……!」


 部下に肩を叩かれ、橘三佐は背後を振り向いた。背景の山麓を縫い、姿を現した六機のヘリコプター、そのいずれもがAH-64D!


 『―――こちらハヤブサ、注文を聞こうか。送れ――――』

 「ハヤブサ、敵の前線が見えるか? 送れ」

 『―――森林が邪魔して確認できない』

 「照明弾を敵上空に撃つ。そちらから確認し、下を掃射してくれ。送れ――――」

 『―――了解した!』


 一人の隊員が、信号弾を装填したカールグスタフを上空へ向けた。緩慢な速度で放たれた信号弾はどんぴしゃりに敵前線の上空で炸裂し、それはAH-64Dの赤外線探知システムにはっきりと捉えられる。


 『―――こちらハヤブサ、目標を確認した。掃射を開始する……!』


 迫り来るローター音。


 空挺団の上空で加速し攻撃態勢に入ったAH-64Dのスタブウイングが一瞬焔に包まれ、ロケット弾の矢束を敵陣に注ぎ込んだ。


 断続的に起こる弾着の爆発、爆風に舞い上がる木々、そして破片……人体。前方で今なお続いていたローリダ軍の抵抗は瞬時に潰え、掃射が完了したと見るや橘は部下に叫んだ。


 「あの拠点を制圧するぞ!」


 そう言うや否や、橘三佐は89式小銃を手に先頭を切って駆け出した。部下もそれに続き、軽装甲機動車からの機銃射撃が彼らの突撃を援護する。普通科隊員の放った89式小銃の一連射で数名のローリダ兵が斃れ。今なお生残っていたローリダ兵の応射に一名の隊員が倒された。


 「手榴弾……!」


 陸曹の声に、隊員によって伏せた姿勢から投げ放たれた手榴弾は、敵陣司令部の至近で炸裂した。その次には完全な沈黙が訪れた。木の燃える臭い、そして火薬の臭いの充満する一帯を、据銃の姿勢を崩さぬまま空挺隊員は地面を踏みしめ、確固とした歩調で前進した。散発的な抵抗こそあったが、それは即座に制圧される。


 同じく前進する橘たちの前に、瓦礫を払いのけ一人の大男が唐突に立ちはだかったのは、そのときだった。


 「…………!」


 一斉に向けられる小銃。それに臆することなく、爛々として目付きでロフガムスはニホン兵たちを睨み付けた。それが部下と戦う術の一切を失った彼の為し得る、唯一の抵抗だった。その巨体のローリダ人を睨み返しながら、橘は言った。


 「……降伏しろ。お前たちはもう十分に戦った」

 「…………」

 「どうだ?……これ以上人は殺したくない」

 「何を余迷い事を……!」


 ロフガムスは笑った。笑い、笑みの篭った視線のまま、彼は言った。


 「本官の軍人人生で最後の敵手が、貴官らであったことを本官は心から誇りに思う……!」

 「…………!」

 「ローリダ共和国に、栄光あれ……!」


 そう言うが早いが、ロフガムスは手にしたサーベルを振り上げた。


 「やめろ……!」


 橘の怒声。それに続く重複する銃声……それらを厚い胸板に受けてもなお、ロフガムスは立ち続けていた。勢い良く流れる鮮血をそのままに、ロフガムスは自身に銃弾を撃ち込んだニホン兵の一団をしばらく見詰め、やがて足元から崩れ落ちて果てた。


 「…………」


 苦渋の表情もそのままに腰を折ると、橘は手を延ばしてその巨体の持主の目を瞑らせた。そしてヘルメットを解き、ゆっくりと腰を上げた。


 「敬礼だ……不運ではあったが、勇敢な男だった」


 敬礼……最後のローリダ兵の死を看取った空挺隊員たちは、厳粛にその勝利を迎えた。


 午前九時二七分。指揮官を失い、その機甲戦力の過半を喪失した「グルヴァーデス旅団」は遂に撤退。


 この瞬間を以て北方からの本国軍救援は完全に失敗した。




スロリア地域内基準表示時刻12月17日 午前9時57分 スロリア中部 


 荒れ果てた地上を駆け抜ける乾いた風が、砂塵を運んできた。


 同時に冴え渡る各小隊長の号令。


 「突入20秒前……!」


 装着した銃剣が、射し込みはじめた陽光を受け、無機的に照り映えていた。

壕から上目遣いに見出した先は、敵の防衛線。


 今や攻守は転じ、それまでイル‐アムを守り抜いてきた空中機動旅団の隊員は、攻勢への闘志に胸を膨らませている。

 そう……戦況は、完全に逆転した。つい早朝まで、鬼気迫る勢いでこちらに押し寄せていた敵は今や完全に包囲され、PKFはスロリアの戦いに、文字通りの決着を付けようとしている。


 「突入10秒前!」


 各隊員に小銃を握る手に、力が篭った。

吐く息が荒くなり、研ぎ澄まされた聴覚にとって、その音は壕内に反響し、増幅して聞こえてくる。


 そして――――


 甲高い笛の音。その直後に陸曹の怒声が響いた。


 「突撃―――――っ!」

 「貴様ら遅れるなぁ――――!」


 普通科隊員は一斉に壕を抜け出し、機銃と擲弾発射銃の援護の下で駆け出した。


 沸き立つ土埃――――


 一斉に前方へ向けられた銃剣―――――


 ―――――それらは壕内で機銃を構え、敵襲を待ち受けるローリダ兵にとって、猛獣の剥き出した牙のように思えた。

 弾薬は残り少なく、壕内から銃を構える兵士には頭や手に包帯を巻き、負傷痕の生々しい者も数多い。それだけ人員は払底し、物資は底をついている。従って彼らは、迫り来るニホン兵を十分な至近距離まで引き寄せ、的確な射撃で仕留める必要があった。


 緑色の斑模様の甲冑を纏い、緑色の顔をしたニホン兵――――彼らは彼らにとってまさに「聖典」に出てくる悪鬼の軍勢だった。そして彼らはなんとしてもその悪鬼どもを排除し、生還への活路を開かねばならないのだ。


 そして――――


 ――――遂に、敵の表情すら推し量れる至近。


 ――――機銃手は照準環へ目を凝らし、隊列の中央を駆ける指揮官と思しき男へ狙いを付ける。


 勝利を、機銃手は確信する――――


 引き金に、指が当たる――――


 「…………!?」


 上空より降り注いだ衝撃と愕然とともに、機銃手は装填手もろとも血塗れの肉塊と化した。その彼らの上空を駆け抜ける軽快なローター音!……唐突に降下してきた数機のUH-1Jが、上空よりミニガンの弾幕を降り注ぎ、ローリダ軍の防衛線は僅か数秒で壊乱した。同時に突入したOH-6偵察へリがロケット弾を放ち、立ち上る弾着の土柱は衝撃波を伴い防衛線の各所に穴を穿っていく。そこに、第二普通科連隊の隊員は銃剣を構えて殺到した。


 「――――連隊司令部より総司令部へ、送れ」


 隊員に混じり、制圧した壕に駆け込むと、佐々連隊長は無線機に声を荒げた。


 『――――連隊司令部、どうぞ?』

 「敵防衛線を制圧。これより前進を開始する。交信終わり!」


 9㎜機関拳銃を手に、佐々は立ち上がった。大山陸曹長を始め連隊司令部の部下達も彼に続く。すでに周囲では攻める陸自隊員と守るローリダ兵との間で銃撃戦が起こっている。その上空をヘリが旋回し、銃撃を加えている。折り重なる敵兵の死体を横目に足早に斜面を登り、確保した高地から再び通信を開き各小隊と連絡を取る。


 『―――こちら第二小隊。ヘリの支援を要請。目標位置は――――』

 『―――こちら第四小隊。敵の中隊指揮所を制圧。捕虜七名確保!……』

 『―――こちら第三小隊。有力な敵部隊と交戦中! 増援求む!……』

 「対戦車ヘリを呼び出せ、第三小隊の戦区だ」


 佐々の指示が実行された直後、二機のAH-1Sが低空で接近し、飛び去って行った。反攻はこれまでのところ順調に推移している。


 自らも9㎜機関拳銃の弾幕を前方にばら撒きながら、佐々は部下を顧みた。


 「西方からの進撃はどうなっている?」

 「敵の主力は北方に壊走したようです。ここの部隊とは寸断されたのではないかと……」

 「そうか……」


 地図に見入る佐々の前に、捕虜を連れた隊員が進み出た。怪訝な眼で項垂れる捕虜を見遣る佐々に、幹部は言った。

 

 「連隊長、気になる情報が……」

 「何だ? 言ってみろ」

 「この男によれば、敵の総司令部はすでに戦場から脱出したと……」

 「何……?」


 唖然として、佐々は大山と顔を見合わせる。




ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻12月17日  午後10時5分 旧首都キビル郊外 ノドコール駐留軍総司令部


 戦況表示盤は、両軍がスロリア西方で対峙したままの状況から少しも変化をみてはいなかった。

 だが、ミヒェール‐ルス‐ミレスにはもう判っている――――戦況が、もはやどうにも挽回しようにないことを。


 センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートの采配を以てしても、ニホン軍の怒涛の如き攻勢を押し止めることは不可能だった。


 謹慎の身を解かれ、苦境に陥った味方地上軍を支援すべく、選りすぐった戦闘機隊を率いて戦場の空に向かったエイダムス‐ディ‐バーヨ大佐とその部下たちは、帰投予定時刻をとうに過ぎた現在になっても戻って来ていない。スロリアの空、海、そして陸……そのいずれにおいてもニホン軍は強く。彼らの重囲に陥った友軍はもはや反攻も撤退も不可能なほどに消耗している。


 最大の衝撃は、反撃の切り札として期待をかけていた赤竜騎兵団の壊滅と、同じく援軍として投入された増援部隊の、立て続けの敗北だった。戦場によっては、ニホン軍は空から一軍を丸ごと投入して橋頭堡を形成し、支援に南下する途上で彼らと衝突した友軍の一隊が、ごく短時間で装備と人員の過半を喪失して敗走しているのだ。


 「…………」


 虚偽と虚飾とを並べ立てた戦況表示盤を、ミヒェールは肩を震わせながら見詰めていた。その彼女にしてからか、ここから数百リークを隔てた友軍の苦境を救う術をもはや持ち合わせてはいなかった。


 そしてミヒェールは、改めて知る――――


 ――――ニホン人の戦争は、我々の知るそれとは根本的に異なる。


 彼らの戦争は、我々のそれよりも遥かに先を行っている。


 我々はそれに全く対応できず、徒に損害を拡大し続けている。


 気が付いてみれば、それは最早、取り返しの付かない損害――――


 「そうか……うまく行ったか!」

 「…………?」


 あまりに場違いな、弾んだ声に、ミヒェールは反射的に声の主を睨み付けた。そこには彼女の最高位の上司たるナタール‐ル‐ファ‐グラス大将が、電話の送受話器を手に、盛んに顔を頷かせていた。電話機を置き、グラスは彼の幕僚を省みた。


 「前線司令部は戦場脱出に成功した……本国に具申だ。センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートを少将に昇格させ、現地軍の指揮権一切を委任させる」

 「ハッ……!」

 「…………!」


 その遣り取りに接した時、ミヒェールは全てを察し、同時に白皙の顔からは血の気が引いた。それは衝撃というよりもむしろ烈しい怒りによるものであった。理性ではなくこれまで胸中に圧殺していた何か特別な感性を解き放つかのように、ミヒェールは自身より八階級も上の彼女の上司に強烈な一喝を叩き付けた。


 「この卑劣漢!」

 「…………?」

 「あなた方はこの期に及んで、そのような矮小なる浅慮に身をやつしておられたのか!?」

 「口を慎め中尉! 戦争は政治でもある。貴官の如き一青年士官が口を差し挟むべきことではない!」


 参謀長 ノイアス‐ディ‐ファティナス中将が嗜めるように言った。


 「ミレス中尉、ジョルフス中将を始め各師団の将官はいずれも国防軍の顕職にあった者ばかりだぞ。彼らをニホン軍の捕虜にするわけにはいかないだろう」

 「ロート大佐を身代りにした件は、既定のことだったのですか?」

 「それは……」

 「これまで共和国に十分過ぎるほど貢献してこられたロート大佐なら、敵に引渡すに足る人材であると……?」


 ホージ保安参謀がせせら笑う。


 「引渡す?……光輝ある共和国国防軍は、捕虜を認めぬ」

 「…………!?」

 「ロートには、その最後の一兵まで戦い、共和国国防軍の名誉を飾ってもらうことになろう。本人もまたそれが本望であろうよ……」

 「そんな……!」


 グラス大将の言葉は、無形の銛となってミヒェールの胸を貫いた。




スロリア地域内基準表示時刻12月17日 午前9時57分 スロリア中部 


 ズウゥゥゥゥ……ン……!


 不意の弾着に、壕の天井が揺れた。


 味方の砲撃ではない。


 だがそれにももう馴れた。


 布を殆ど量の無くなった消毒薬を瓶の底まで浸し――――否、擦り付け、殆ど千切れかけた肩に宛てる――――それがもはや此処で為し得る最善の手当てとなっていた。矢継ぎ早に担架に載せられて医務区画にやって来る想像を越えた凄惨を前に看護兵たちの感性は鈍化し、一方で焦燥と絶望感もまた人知れずの内に募ってくる。


 タナもまた、そのような沈鬱した空気の一片を為す「要素」の一つと成り果てて久しかった。

寝食を忘れて――――否、休養の内に惨状を思い返すことを恐れるあまり――――にタナは休息を拒否して負傷者の手当てに没頭し続けたのだ。そのような中で、外で巡っている戦局は忘れ去られ、薄暗く広大な地下壕では異なる時間が流れているかのようであった。


 「皆さんにお伝えしたいことがあります……」


 先立つこと一時間前、軍医と看護兵を一手に預かる軍医長は、タナたちを集め悄然として告げた。


 「我々医務隊に、撤退命令が出ました。ニホン軍が迫る前に此処を脱出し、安全な地域まで退避します……」

 「患者は……負傷者はどうなるのです?」


 婦長たるロー‐ル-スラの言葉に、軍医は力なく頭を振った。その途端、絶句にも似た空気がその場を流れるのをタナは感じた。


 「動けない者には自裁の機会と手段を与え、高等文明の担い手たるローリダ人に相応しい最後を迎えさせよ……それが総司令部の命令です」

 「…………!」


 表記し難い呻き声を上げ、両手で顔を覆いながらその場にしゃがみこんだのはレイミ‐グラ‐レヒスだった。彼女だけではない。列のあちこちから漏れる嗚咽……タナもまた、ともすれば胸を裂いて溢れ出そうな感情の昂ぶりに、必死で耐えていた。

 

 「わたし……そんなのいや」


 俯いたまま、冴えきった蒼い瞳もそのままにタナは言った。決して大きな声ではなかったが、それでもその場の全員の注意を曳くのには十分だった。軍医長が目を見開き、言葉の主を見据えた。


 「きみ……今何と?」

 「わたし……ここに残ります。此処に残って、最後までみんなの面倒を見ます」

 「いかん……!」

 「タナ……!?」


 軍医は声を荒げ、ローは唖然としてタナを見詰めた。それらを無視するかのように、タナは強い口調で続けた。


 「わたし……人間を信じます。彼らにだって……ニホン人にだって、人間の心はあるわ……きっと。だからきっとみんなを助けてくれる」

 「何を言ってるのタナ!」

 「ここで皆をみすみす死なせるのが、文明人のやることなの!?」


 きっとした目で、タナはローを睨み付けた。その眼光は鋭く、年長であるはずのローや軍医を怯ませた。


 ――――そして一時間。


 軍医たちは去り、あとにはタナとロー、レイミが残された。離脱を渋るレイミを、二人は叱責とともに一旦送り出したのだが、ほどなくして彼女はタナのもとへ戻ってきた。それを咎める気概をタナとローはもはや持っていなかった。


 治療をする手もそのままに、タナは傍で同じく黙々と治療に励むローをまじまじと見詰めた。


 「婦長……」

 「勘違いしないでね、タナ……」


 ローは淡々とした表情で言い、続ける。


 「私はお目付け役なの。万が一のときに、あなたたちがローリダ人らしい最後を迎えるための……」

 「お目付け役……?」


 言葉を失うタナとレイミに、ローは頷いた。


 「軍医長と約束したの……そのときが来たら、あなたたちを殺して私も死にます」

 「そう……」


 ローの言葉には、タナとレイミを納得させる響きを持っていた。


 「こんな勝手なことをして……あなた達のご家族、さぞ悲しむでしょうね」

 「婦長は、ご家族は……」

 「いない……私ね、元々身寄りがないから、戦場に来たのよ」

 「…………」

 「……でも、こうしてあなた達に出会えた。だからもう思い残すことは何も無いわ……だからもう駄目なときには、一思いにあなたたちを天国へ送ってあげる……大丈夫、わたしも後から来るから」


 そのとき、ローが肩から拳銃の収まったホルスターを提げていることに、タナは今更ながら気付いた。それを目の当たりにし、作り笑いとともに、タナは言った。


 「……大丈夫、みんな死にませんよ。きっと三人揃って国に帰れます」

 「その自信は何処から来るのかしら。タナ?」

 「ニホン人はみんなが思っているように乱暴で、非情な人たちじゃないから……だから喩え捕まっても、事情を話せばここにいる皆を助けてくれる……私はそう信じてる」

 「わたし、噂に聞いたけど……タナさんって、ニホン人にじかに会ったことがあるって、本当?」

 「…………」


 無言のまま、タナは頷いた。


 「飛び切りかっこよくて、優しいニホン人に……ね」



 勢い良く開け放たれた鉄製のドア――――反射的に身構える三人の異なる色の瞳の先には、硝煙と土埃に薄汚れた野戦服を着込んだ青年が息を弾ませていた。


 「ネスラス……」

 「タナ!」


 共和国国防軍少尉 オイシール‐ネスラス‐ハズラントスはタナを見据え、声を荒げた。


 「まだ道は残っている。ニホン軍に封鎖される前に脱出するんだ!」

 「彼らを捨てて逃げられない!」

 「ニホン軍が迫っているんだぞ!」

 「…………!」

 「もうじき此処も抜かれる。後生だから……もう終わりだ!」


 ネスラスは手を延ばした。頭を振り、タナは声を張り上げた。


 「大丈夫、私もあとから行くから!……先に逃げて!」


 だが―――――直後の彼の反応は、タナたちの想像を越えていた。


 タナに突きつけられた拳銃の、黒光りする銃口。


 それが幼馴染に対し眼を血走らせた青年の答えだった。


 「ぼくと来るんだ……タナ!」

 「そんな……」


 かくして、選択の自由は失われた――――




 隘路で繋がれた陣地の各区画を巡り、死闘は続いていた。


 ダットサイトの中心に飛び出した敵兵を捉え、89式小銃が咆哮する。三点バーストで放たれた射弾は全部敵兵の胸板を貫き、敵兵は構えていたマシンガンを宙に向けてぶっ放しながら昏倒し、そのまま動かなくなった。


「装填……!」


 低い声とともに弾倉を交換し、新たな弾丸を薬室に叩き込む。隘路の角を目指して小走りに駆け、その陰から狙いを済ませ再び撃つ、撃つ、撃つ。その調子ですでに何人の敵兵を葬ったのか、高良俊二にはもはや判らなくなっていた。


ドンッドンッ……ドン!


 乾いた射撃音。味方が未だ抵抗を続ける敵陣に向かい擲弾発射機を撃っている音だった。見上げた先、上空をヘリコプターが旋回し、銃手が地上へ向け盛んにミニガンを撃ち込んでいるのが見えた。

 先頭を進む村田一等陸士が突き当りのドアを蹴飛ばし、手榴弾を放り込んだ。反射的にゴーグルを下ろし、爆風と粉塵に備える。間を置いて部屋からは烈しい破裂音とともに砂塵が噴出し、直後に隊員はドアから一斉に陣地内に雪崩れ込んだ。敵の抵抗は無かった。


 薄暗い通路を駆け抜けた先は、開けた平地だった。その遥か先の土塀からは、先に進撃していた味方の分隊から数十メートルの短距離を隔て、少なからぬ敵兵が今なお抵抗を続けていた。


「軽MAT! 軽MAT持って来い!」


 分隊指揮官と思しき古参陸曹が怒声を飛ばす。01式軽対戦車誘導弾を抱えた隊員が建物の窓から身を乗り出し、普通科隊員の援護の下で狙いを付けた。


「うてぇっ!」


 空気の抜けるような発射音。充満する噴煙……光弾は敵兵の陣取る一角を見事に粉砕し、土壁を崩壊させた。MINIMIがけたたましい射撃音を立て、複数の弾列が敵陣へとばら撒かれる。それに敵兵が怯んだ隙を見逃さず、俊二たちは銃を構えた姿勢で駆け込んだ。

 フルオートで放った二連射が敵兵を至近距離で撃ち倒し、更なる一連射で一人を倒した。敵の最後の防衛線とは目と鼻の先、もはや手榴弾の届く位置だった。ピンを引き抜き、村田一士の援護を受けそれを投擲する。投擲された向こう側では焔と衝撃波をもろに受け、敵は完全に沈黙した。銃を構え、ゆっくりと歩み寄った先……


 「撃つな! 降伏する。おまえたちに降伏する!」


 手を挙げ、進み出た兵士は四名。そのいずれも傷付き、服はぼろぼろだった。村田一士は有無を言わさずその一人を押し倒し、満身の力を込め締め上げた。


 「やめろ村田!」


 驚愕し、俊二は村田を引き離した。突然の凶行に怯える敵兵を一瞥し、俊二は逆に村田を押し退けるようにした。


 「こいつらは捕虜だ。敵じゃない……!」


 興奮で息を弾ませる村田を宥め透かし、後続の隊員が捕虜を一箇所に集める最中、無線は状況の変化を刻々と告げ始めていた。


 『――――敵の残存部隊が逃走を図る模様。指示を請う――――』

 『――――可能な限り追撃し、これを撃破せよ。増援を手配する――――』


 小隊長の三等陸尉が声を上げた。


 「掃討は終了。聞いての通りだ。増援を抽出する。お前と、お前……そしてお前だ」


 その増援に、俊二も指名された。


 何処からとも無く近付いて来るローター音……それは俊二の眼前で攻撃ヘリの機影となり、今なお戦闘の続いている場所へと機首を転じ、航過していく―――――



 ―――――特徴ある、回転翼の轟音。


 ―――――ニホン軍が来る!……そう感じた瞬間、敵機の放ったロケット弾が至近に佇む櫓を直撃し、烈しい衝撃とともに押し倒した。


 ―――――そこに、タナがネスラスの腕を振り解く好機が生まれた。


 「タナ!」


 ネスラスの制止など、もと来た途を駆け出したタナには何の効果も持たなかった。そして当のネスラスたち近衛騎兵連隊の生き残りにも、たった一人の看護兵の行く末に構っていられないほどに、危機は直に迫っていた。


 「ニホン軍が来たぞ!」


 誰かがそう叫んだときには、壕や通路の合間から姿を現した緑衣の敵兵に対する応射が始まっていた。騎兵銃を構え直しながら、ネスラスは敵愾心溢れる眼光を敵兵に占められた背後へと向けた。これまでの戦闘で、突如戦域西方に橋頭堡を築いたニホン軍に対する攻勢の一翼を担うべく南下を続けていた近衛騎兵連隊は、現在では連隊長デナクルス‐イ‐ファ‐タナス大佐以下兵力の過半を失い、ただ近衛という名のみ先行する敗残の兵と化していた。度重なる空爆の上に、北方より味方火砲の射程を遥かに超えた長距離から飛来してきた敵のロケット弾攻撃が苛烈を極め、連隊はニホンの地上軍と本格的に戦う前からその弾着にまさに面単位で制圧され、装備と兵力の大半を喪失していたのだ。


 ……そしてネスラスたちは、辛うじて主戦域に辿り着いた数少ない生き残りだった。


 「配置に付け、急げ!」


 連隊長、副長と戦死が相次いだ結果、指揮を継承するに至った先任士官の号令が荒野に響き渡る。生き残りの将兵には、僅かな装備と精鋭としての矜持しかもはや残されてはいなかった。ある者は薄汚れた騎兵銃に、またある者は拳銃に数少ない弾丸を篭め、それすら適わない者は死者の銃を執るか唯一残った白兵戦用の武器たるサーベルを握り締めて激突の刻を待つ――――



 完全に廃墟と化した陣地を、タナは駆け続けた。


 急がないと!……予感の促すまま、タナは走った。


 予感が黒雲のようにタナの精神の地平より湧き、覆い尽くそうとしていた。流れ弾の交差する道を駆け抜け、折り重なった死体、投げ捨てられた銃器を傍目に漸くで達した救護所。硬く閉ざされた鉄扉の前に、タナは肩で息をして立ち尽くした。


 僅かな逡巡を擲ち、タナは決心したように扉を開けた――――


 「…………!?」


 拳銃を片手に呆然と立ち尽くすロー婦長。その足元にはレイミが胸から鮮血を噴出し、変わり果てた姿を横たえていた。そして同じく床に散乱する毒薬の瓶と注射器――――それらの存在とこの場で息をしている人間が眼前のローだけであるのを察した瞬間、恐慌の一歩手前まで追い込まれるタナがいた。


 虚ろな目でタナを見遣ると、ローは力なく声を震わせた。


 「どうして戻ってきたの?……タナ!」


 歩み寄ろうとするタナに、次の瞬間ローは眼を剥き、拳銃を向けた。


 「来ないで……!」

 「お願い……考え直して!」

 「…………」


 タナの哀願に、ローは無感動だった。そして無感動を保ったまま、ローは言った。


 「ここから出て行きなさい。タナ」

 「どうして……!」

 「ここには生きている人間は居てはいけないの!……だからあなたはここに居てはいけないの」


 拳銃を向けた手もそのままに、ローはタナに歩み寄った。気圧されるように後退りするタナ……そしてタナが部屋の外まで押し出されたのを見計らい、ローは勢い良く鉄扉を閉め、鍵を掛けた。


 「…………」


 呆然の内に隔絶されたことを悟った瞬間。タナは声を荒げ鉄扉に拳を打ちつけた。何度も、何度も……


 「お願い開けて!……開けて!」


 パン……!


 乾いた、一発の銃声―――――それが婦長の、最後の返事だった。破壊的なその余韻に打ちのめされ、タナはその場にへたり込んだ。


 失われる言葉―――――


 感情の暴発――――


 絶叫―――――


 「イヤァァァァァ―――――――ッ!」


 ―――――タナの叫びは、もう誰にも聞こえなかった。



 騎兵連隊にとって、最後の防衛線は脆くも破られた。


 PKFは普通科部隊を後方より援護すべく、平地に装甲車に載せた迫撃砲を前進させ、直接に陣地を狙ったのである。がら空きとなった上空から降り注ぐ砲弾の炸裂に陣地は混乱し、将兵は遮蔽物すら満足に用を成さない前線の中で、壕もろとも吹き飛ばされ肉片を散らしていく。


 「前進――――――っ!」


 銃剣を煌かせ普通科隊員が一斉に斜面を駆け上る。それに対すべき機銃座も、銃手も、銃撃戦と砲撃とですでに失われている。自然、迎え撃つ側の対処もマントゥーマンの白兵へと傾斜していく。元来が騎兵、それも日頃から武技を欠かすことの無い名門名流の子弟ばかりを選りすぐった近衛騎兵連隊の若手士官にとって、それは願っても無い最後の反攻の好機にも思えた。


 だが――――その宛ては外れた。


 斜面を駆け上った直後、待ち構えていた敵兵の突き出した銃剣を、俊二は銃剣で鮮やかに払いのけ、返す一撃で銃床を敵兵の顔面に叩きつけた。銃剣で敵兵の胸を貫き、至近距離から小銃弾を打ち込み、襲い来る敵兵を鮮やかな払い腰で投げ飛ばす――――それらの主体の多くがPKFの隊員によってなされ、精鋭たる騎兵といえど彼らの練達した格闘技術に翻弄され、制圧されていった。ケブラー製の防弾衣も威力を発揮し、彼らの銃剣やサーベルの一閃を悉く弾き返し、生き残りの将兵を確実に追い詰めていく。


 そのような中―――――


 不利な体勢から強いられた格闘の最中―――――自身を組み伏せようと両腕で銃身を突き出したニホン兵の胴ががら空きになったのを、ネスラスは見逃さなかった。


 「…………!」


 咄嗟に胴に充てられる拳銃の銃口。


 このような至近距離では防弾衣も防ぎようが無い。


 引き金が引かれ、そのニホン兵は崩れ落ちた。


 「村田……!」


 糸の切れた人形のごとく昏倒した戦友を目の当たりにした瞬間、俊二から一切の理性は失せた。

そして二人は眦に殺気を篭め、ほぼ同じ動作をした。


 相互に向けられた小銃と拳銃―――――同時に狙いは付けられ、同時に放たれた射弾はネスラスの手から拳銃を叩き落とし、俊二の小銃を破損させた。


 「…………!」


 先手を取ったのはネスラスだった。腰から引き抜かれたサーベルが陽光を吸い込み、踊りかかるネスラスの長躯とともに振り下ろされる。小銃の応戦も間に合わず、数合いでネスラスのサーベルは俊二の手から銃剣を叩き落とし、上腕を掠った。


 「…………!」


 腕を灼く疼痛に顔をゆがめる俊二。そこに隙が生まれ、突きに転じたネスラスの刀身は、俊二の胸板を捉えた。満身の力を込めサーベルは突き上げられた。


 ――――勝利を確信するネスラス。


 ――――俊二を襲う驚愕。


 金属の弾ける乾いた音―――― 一瞬、何が起こったのか判らず、ネスラスは変わり果てた自身のサーベルに目を見張った。柄から見事なまでに折れた刀身。そこから別たれた尖端は、ニホン兵の胸甲に深々とその刃を立てていた。そして刃は、敵兵に何等致命傷を与えていない。


 「…………!?」

 「…………!」


 俊二にしてからか、ケブラーの防弾服が敵刃を防いだのは意外ですらあった。だがその意外さを幸運とともに噛み締める暇を、俊二は咄嗟に捨てネスラスに踊りかかった。


 「……ウッ!」


 松中一士直伝の正拳突きが、ネスラスの顎を捉えた。怯むネスラスが背を屈めた瞬間に延びた前蹴りはローリダ兵の胸を打ち、組み付くや否や叩き出された大外刈りは、均衡を失ったネスラスの長身を派手に弾き飛ばし、転倒させた。


 そのとき、転倒した先に投げ捨てられた小銃を見出し、ネスラスはそれを反射的に握り立ち上がった。烈しい敵愾心と共に自身に向けられる銃口を見出した瞬間、俊二は自身の敗北を覚悟する―――――


 だが――――


 不意に生まれる爆発……否、着弾の衝撃!


 迫撃砲の至近弾は対峙する二人の至近で着弾し、二人の趣の異なる体躯をほぼ同時に昏倒させた。その後には断絶した意識と静寂が訪れた。


 そして――――静寂は薄れ行く。


 あれ……?


 死んじゃいない……


 おれ……動けるのか?


 意識して開いた眼。


 微動する指の感覚。


 なおも地面に響き渡る銃声と鬨の声。


 体中が痛い。


 灼けるように痛む。


 脚が……右脚に力が入らない。


 うつ伏せのまま、右足に手を触れる……間髪入れず伝わる、ぬるりとした感触。


 血だと思った。


 それも量が多い。


 そして俊二は思い出す。


 自身が「戦闘中」の身であるということに。


 動かなきゃ……


 指に力を入れ。


 感覚の残る左足に力を入れた。


 そして半身を擡げ、前方を見た。


 ついさっきまで戦っていた敵のいた前方――――


 「…………!」


 呆然―――――


 「眼が!……眼がぁ!」


 顔を両手で覆いながら、絶叫しながら地面をのた打ち回る男には、見覚えがあった。


 敵?―――――


 そうだ、ぼくはついさっきまで、あいつと戦っていたんだった。


 あいつは敵。


 ぼくの掛け替えの無い戦友の命を奪った敵。


 だから……殺す!


 本能にも似た決心とともに、俊二は既に事切れた村田一士の傍まで這い寄った。そして彼の小銃を握り、立ち上がって構えた。


 照星の先には、光を失った敵――――彼に対するにそれ以外の表現を、俊二の意識は持たなかった。

これで終る……これで、ぼくの戦いは終る!


 引き金に充たる指。


 力を入れようとしたそのとき―――――


 側面からぶつかってきた烈しい衝撃―――――それが抗えるものであることを察知した瞬間。俊二は銃床を振り上げ、自身に組み付いたか細い人影を弾き飛ばした。


 「お願い!……殺さないで……!」

 「…………!?」


 哀願するその声には、聞き覚えがあった。


 忘れよう筈も無かった。


 地面に叩き付けられながらも、緑のコートを纏った人影は、長い金髪を振り乱してなおも蹲る敵兵に這い寄り、彼を庇うようにした。


 同時に、俊二は人影の主を知った。


 戦場の風に乱れた金髪。


 対象を真っ直ぐに見据える蒼い瞳。


 大きく広げられた手。


 突き出された小さな胸。


 その頬は硝煙と土に汚れてはいたが、凛とした清純さを漂わせていた。


 彼女を、忘れよう筈も無かった。



 ――――絶望と共に来た道を再び辿った先で、ネスラスはいままさに生命を奪われようとしていた。


 絶句―――――


 何故、自分がそのような行動をとったのか、判らない。


 気がついたときにはタナはネスラスを殺そうと銃を構えるニホン兵に突進し、直後に弾き飛ばされた。


 「…………」


 あとは――――ただ無我夢中。


 傷付いたネスラスの前に立ちはだかったまま。タナは自分を狙うニホン兵を見据えた。大昔の重装兵のような甲冑に身を包み、ただ黙々と銃を構えるニホン人。緑色の迷彩に彩られた顔もまたゴーグルとヘルメットに覆われ、その表情を推し量ることは出来なかった。


 ネスラスと同じく、そのニホン兵も酷く傷付いていた。


 何故なら彼の足元で、ひたひたと流れ落ちる血が小さな池を造っていたから―――――


 だが……タナは、その傷付いたニホン兵を、前に何処かで見たことがあるような気がした。

そしてお互いの意識がそれぞれの経路を辿り、機を同じくして同じ記憶の在処へと辿り着いた時―――――


 二人は、同時に言葉を失う――――



 「…………!」

 「…………?」


 二人は呆然として、互いを見詰め合った。


 胸の奥から込み上げて来るものは、決して不快なものではなかった。


 「……嘘、だろ?」

 「……シュンジなの?」


 互いの素性を完全に察するに至ったとき、二人は再び沈黙する。


 戦場の真っ只中ではあったが、二人の間だけ、異なる時間が流れを刻み始める――――


 「シュンジ……」

 「タナ……」


 タナの瞳から溢れるもの――――――それに促されるまま、タナは言葉を刻む。


 「……この人を、殺さないで」

 「…………」

 「この人は……この人は、私の婚約者なの」

 「…………!」

 「わたしはこの人を愛しているの……だからお願い……この人を見逃して!……殺さないで」


 哀願―――――


 衝撃―――――


 それに対する混乱―――――それに押しつぶされるように、俊二は膝を屈した。傷は、もはや俊二に戦うことも立つことも許さなかった。


 汚れたゴーグルを湿らせる湿ったもの――――仲間の仇を討てない悔しさか、愛する女性を失おうとしている絶望か……俊二にはもう判らなかった。


 「行けよ……!」

 「シュンジ……?」

 「はやく!……ぼくの気が変らないうちに此処から消えろ!」


 満身の力を振り絞り放たれた声は、ついには俊二から立つ力を奪った。


 脱力―――――


 地面の感触。


 地面に溢れ出す血。


 それらを感じながら、その意識の消え行くまで俊二はうつ伏したまま泣き続けた。



 ――――ときにスロリア地域内基準表示時刻12月17日 午前11時11分


 スロリア方面のPKF前線総司令部は、地上戦における完全勝利を宣言。


 PKFはスロリア西部の「武装勢力」主力を掃滅し、その完全掃討を完了したのである。




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― 新着の感想 ―
[一言] 技術的にここまで差があるのに、敵の方が早くこちらを補足し先制攻撃を仕掛けることは可能なんでしょうか…?
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