第二五章 「降り来たりし者」
日本国内基準表示時刻12月17日 午前0時21分 陸上自衛隊 習志野駐屯地
彼らは、倦んでいた。
12月8日の開戦以来、PKFは既にスロリア中部にまで快進撃を続けている。
それらは陸上自衛隊の最精鋭部隊を自負する彼らにとって、複雑な感情を以て迎えられた事実だった。何故なら開戦からずっと、地上戦闘は機械化部隊を主軸とする機動打撃戦を中心に推移し、兵種上は軽歩兵に等しい彼等が投入されるべき局面など一度として現出しなかったからである。
その迅速なる展開速度を生かし、敵地及び戦域深奥部の要衝にいち早く展開し、後続部隊が進出するまでに橋頭堡を確保する――――それが彼らの任務であり、彼等が「精鋭」という表現を以て称される明確な根拠であった。任務上、場合によっては敵の重囲下で小銃一丁、もしくはその肉体を武器に過酷な戦いを強いられることをも想定され、だからこそ彼らの列に名を連ねることは難しく、訓練は過酷。それは、この部隊に在籍する隊員の八割近くがレンジャー章保持者であるという事実が雄弁に物語っている。その彼らもまた、自分たちが乗り込んで来さえすれば、ローリダ軍を僭称する武装勢力など鎧袖一触何程かあらんという戦意に満ちていた。
だが、現状はどうか?……開戦以来、本来ならば真っ先に海外派遣の先頭を切るはずの彼らはひたすらに待機を強いられ、彼らの一兵たりとも駐屯地より出ることはなかった。彼らと並び証される精鋭部隊たる西部方面普通科連隊は、文字通りPKFの先鋒として敵飛行場占拠や偵察任務にと、八面六臂の活躍を見せているというのに……!
何故、我々は出動できないのか……!?
疑問はやがて不満となって隊員の上官を襲い、上官もまた部下に同調した。部隊を構成する各普通科大隊の隊長のある者は拳を震わせ、またある者は男泣きに泣いて指揮官たる団長に直談判し、彼らに情熱に突き動かされた団長もまた、その上の陸上幕僚長に直談判を続けた。それはまさに連日日参という表現がピッタリだった。
「後生であります。是非我々を出動させてください……!」
「…………」
かつては自らも身を置き、団長まで勤めた部隊……松岡 智 陸上幕僚長は、毎日のように執務室へ請願に訪れるかつての部下であった団長を前に、彼に劣らず悲痛な表情で頭を振り続けたものだった。
「そうは言うがな。君……」
「はっ……!」
「情勢は君らを必要としてはいない。だいいち君らの主任務は何か、落ち着いて考えてみてくれ」
「我々の主任務は国土を守り、敵を撃破することであります!」
「そうだ! では君らに与えられた任務を果せ。待機もまた立派な任務ではないか」
突き放すようにそう言われては、もはや食い下がる余地は無かった。スロリアの戦況はすでに佳境。これ以上の戦闘に部隊が関与する余地は残されていないことを、部隊の指揮官もまた悟り始めていた。
……だが、
彼らにとって、望むものは与えられた。
時に12月17日。午前零時未明。
非常呼集を告げる喇叭が、千葉県 陸上自衛隊習志野駐屯地に響き渡ったのは、多くの隊員が寝静まる一方で、今なお待機状態を解かない隊員が、テレビを通じて流れるスロリア情勢に目を凝らしていた最中のことだった。
「非常呼集! 営庭に集合! 急げ!」
「起床! 起床! 全員起床!!」
何事か?……疑問を無表情の内に押し殺したまま営庭に集合し、整列を終えた隊員たちの前に、団長 坂井 充 陸将補は、厳かに言い放った。
「統合幕僚監部より動員命令が下った。部隊は直ちに準備を整え、スロリアへと出動する……!」
…………!!
誰もが我が耳を疑った。このように意外な形で自らに出撃の命令が下るとまでは、彼らの誰もが考えていなかったのである。
坂井団長は続けた。
「出発は一時間後。隊はすぐさま入間に移動し、そこより空路スロリア中南部に進出する。先着している他部隊に遅れを取らぬよう、精鋭たる矜持を忘れぬよう各位は粉骨砕身せよ! 最後に……!」
―――――坂井陸将補が語を次いだそのとき、沈黙のみが彼への反応だった。
「諸君らに松岡陸上幕僚長より伝言である!……長い間諸君らはよく耐えた。但し決して楽な任務ではない。それでもよいというのならば、思う存分に暴れて来い!」
…………!
彼らの沈黙は、勇壮なる歓喜となった。
彼ら―――――その名は、第一空挺団。
ローリダ共和国国内基準表示時刻12月17日 午前1時29分 首都アダロネス郊外 ルーガ本家―――別名「椿閣」―――
眠りに就いていた豪奢な寝台の傍で、電報の受信を告げるベルが鳴った。
ローリダにおいては政界、経済界に身を置く富裕層ならば誰もが専用の事務所や私邸に電報の送受信機能を持っている。元老院議員の中で特に体面に拘らない活動的な者ならば、そうした機械を身近に置き常に最新の情報に接することができるよう気を配っているものだ。ルーガ‐ラ‐ナードラもまたそうした活動的な者の一人に含まれていた。
備え付けのテレグラフ受信機が電報を記した用紙を吐き出し、寝床から置き出したナードラが、テレグラフから用紙をもぎ取るように手に取るまで数分も掛からなかった。
一読の後、未だ日頃の公務の疲れを癒す眠りの余韻から抜け切れていなかったナードラの緑色の瞳から、一切の気だるさが消え、彼女は柳眉を顰め電報を再び読み返した。
「…………」
赤竜騎兵団の壊滅と北部戦線の崩壊――――国防軍傍の情報筋から独自のルートを経て送付された電報に、それは記されていた。眼前の電報の一字一句に至るまで何度か読み返したところで、ナードラは初めて電報を掴む手を震わせ、出すべき言葉をそこに失った。
『……信じられぬ。あの赤竜騎兵団が敗れるとは……』
ノックの後、寝間着の上にコートを羽織った乳母が燭台を片手に入ってきた。緊急電の到着は家令を通じ乳母にも報されるようになっている……但し、その内容は別だが。
「お嬢様……?」
「エリサ、外出の用意を……急いで」
乳母に対するに平静さを装おうとして、結局ナードラは失敗した。突風のごとくこみ上げてくる精神的衝撃に口を塞ぎ寝台に身を投げ出すナードラに、乳母は慌てて寄り添うようにした。
「お嬢様? どうかなされましたかお嬢様……!」
「いや……何でもない。少し疲れただけだ」
「では外出はお控えなさいませ」
「それはよい……早く用意を」
ナードラは立ち上がり、身繕いを始めた。乳母もまた足早に衣服の収納部屋へ向かう。自分の主が一度言い出せば聞かないことを、乳母は知っていた。元老院用の礼服を持ち出したとき、彼女の主はあらかた外出の準備を終えていた。
あの精強を呼号した赤竜騎兵団が敗れた!?……一体ニホン人は、どのような魔法を使ったというのか? 少なからぬ動揺と共に車の座席に身を沈め、ナードラは交錯する思考に身を任せるしかなかった。すでに車は、共和国国防軍総司令部の方向へ走り出していた。
車は閑散とした夜の街道を瞬く間に駆け巡り、やがては首都中枢、重厚な構えの国防省正門の衛兵詰所前で停まる。
「元老院議員代行職たるルーガ‐ラ‐ナードラである。ここを通さぬか」
「フォレマータ総司令官閣下の命により、如何なる身分の方であれここはお通しできません」
「…………?」
釈然としない内心をその嶮しい眼差しに篭め、ナードラは恐縮しきりの衛兵を見据えた。だが一衛兵に聞いたところで、何等疑念を晴らせるわけがないことも彼女は弁えていた。
「お嬢様……?」
「仕方がない……」
行く先を転じた車は、そのまま市の中央から離れ、程無くして市郊外に広がる、壮麗を極めた豪邸の前で停まった。執政官官邸に勝るとも劣らぬ規模と調度を誇ることで有名な邸の主には、ナードラは十分過ぎるほど面識がある。予定表にない訪問者に対し慌しく応対に出た家令を前に、ナードラは言った。
「至急の用である。コトステノン卿にお取次ぎ願いたい」
「このような夜分に珍しいなナードラ。ひょっとしてカディスが死んだのか?」
ジョークと呼ぶには少し危うげな表現で、クルセレス‐ド‐ラ‐コトステノンは、唐突に訪問してきた親友の孫娘を自ら巨体を揺すりつつ迎えた。寝間着ではないことから、夜更けにも拘らず彼が未だ就寝していないことを一目で察することが出来た。そしてクルセレス自身も、ナードラの眼差しから彼女が抱える事態の只ならぬことを一目で察する。ナードラを広大な応接間に通し、クルセレスは聞いた。
「……どうした?」
「赤竜騎兵団が、ニホン軍に敗北いたしました」
「かような耳障りの悪いことは聞きたくない……と言いたいところだが、そうも行くまいな。で、国防省はどう言っている?」
「……それが、総司令部が情報を渡さぬのです」
その瞬間、富豪はその知人の来訪の理由を察する。手を貸すのに、逡巡は無かった。
そして、巨体を包むように重厚なソファーに身を横たえたまま、クルセレスは一考―――――そして彼は眼を開け、腰を上げた。
「……よし、待っておれ」
数刻の後、再び応接間に戻ってきたクルセレスは、悪戯っぽい笑みを待っていたナードラに向ける。
「ナードラや、もう一度国防省に行って見るがいい。さすれば道は開けよう。わしに出来るのはそれだけだ」
「ご高配、痛み入ります。クルセレス小父……」
そのままクルセレス邸を辞し、再び向かった国防軍総司令部の正門。そこでは何処からか結集し、怒声を張り上げる群集と驚愕する衛兵との間で、暴動にも似た騒乱が始まっていた。その群集がクルセレス子飼いの無産階層であることを、ナードラは一瞥で察する。
「お嬢様……あれは……!」
「クルセレス小父には、あらためて礼を言っておかねば……」
絶句する乳母を他所に、ナードラはその緑の瞳の先で繰り広げられる騒乱を微笑ましく見遣る。
正門の混乱を利用して足を踏み入れた総司令部の庁舎内は、すでに混乱と狂騒に占拠されていた。司令部付きの高級士官が足繁く行き交う廊下を足早に縫い、最高度の警戒レベルが支配する指揮所区画に足を踏み入れたナードラの前に、今度は司令部の幕僚と思しき高級士官が立ちはだかる。
「そこを退け。フォレマータ元帥閣下に用がある」
「公僕たる元老院議員とはいえ、司令官閣下の許可なくしてこれ以上の進入は認められません」
「貴公の原則論は、負け戦を隠すための方便としか聞こえぬ」
「何と言われようと、法規に抵触する行為は認められません。ご了承頂きたい」
「では何故公式発表が無い? 我が国は何時から秘密主義となったのだ? 勝利を偽り、前線の不都合を何の臆面も無く隠す軍隊を養ってきた覚えなど私には無い」
「…………」
「これは執政官閣下に報告するぞ。中佐」
「事態はすでに、執政官閣下の知るところとなっております。議員……」
「何……?」
胸中を駆け抜ける荒涼たる突風に、内心を揺らがせるナードラの背後が、俄かに慌しくなった。ゆっくりと背後へ巡らされたナードラの眼が、幕僚達に取り巻かれ、こちらへと近付いてくる一人の人影で止まった。同時に人影もまた、国防の要たる場に不似合いな美女の佇みを認め、そこで歩を停めた。
「……これはこれはナードラ女史。ご機嫌麗しそうで何より」
「ドクグラム大将……」
「夜分に、それもお立場も弁えずかのようにお立ち回りになられるとは……精勤に過ぎるのは却って身体に毒ですぞ。程々になされよ」
言葉こそ丁重だったが、国防相カザルス‐ガーダ‐ドクグラム大将の口調には毒があった。言葉を投掛けた口元には笑みこそ湛えていたが、ナードラを見遣る眼差しは鷲の如くに嶮しい。
「…………」
しばしの視線の対峙―――――最初に口を開いたのはドクグラムの方であった。同時にその顔からは笑顔が、潮の退くように消えて行く。
「誰の手を借りたかは知らぬが、此処まで来られたからには、隠し立ては出来まいて……」
「官邸へ行ったのですね。報告に……」
「…………」
無言――――それがドクグラムの答えだった。佇むナードラを他所に一斉に指揮所区画へと歩を進めるドクグラムとその幕僚。ドクグラム自身がそこに足を踏み入れたとき、再び彼の足が停まる。
「私とともに来るか? ルーガ‐ラ‐ナードラ大尉」
ただ一言の後、返事など期待しないかのように、ドクグラムは再び歩き出した。かつての自分の部下が拒否などしないことを、この将軍は知っていた。
そして現在のナードラには、拒否という選択肢を取り得ない自分自身がもどかしく、そして悔しい。
日本国内基準表示時刻12月17日 午前1時54分 航空自衛隊入間基地
「―――――状況を説明する……」
照明を落とされた漆黒の空間に、幕僚の冷たい声が響き渡る。
輸送トラックで移動を果たした先、航空自衛隊入間基地の集会所において、空挺隊員たちは任務の概要を知らされた。
「現在一個旅団相当の敵機甲部隊が北方より南下中。30分前に収集された空自機の偵察情報によれば、その先頭集団はイル‐アム東北200kmにまで進出し、毎時30kmの速度で依然移動中である。空挺団の任務は、敵機甲部隊がイル-アムに到達する前に敵部隊の予定進撃地点を制圧し、第七師団の戦場進出までに双方の連携を遮断することにある」
プロジェクターによりスクリーンに投影された地形図を食い入るように見詰めている隊員たち表情もまた硬く、一切の感情の動きを感取ることが出来なかった。それがまた、前線ではないこの場を流れる空気を一層冷たく、張り詰めたものに変えていく……
「降下地点の風向は340度、風速は予定降下高度の240メートルで5メートル、地上では3メートルである。輸送機は160度方向から予定降下地点に進入、我々は追い風に乗る形で降下する。目標をオーバーしないよう、細心の注意を払って降下せよ」
そこまで言って、幕僚は急に口を噤むようにした。空挺団を送り出すブリーフィングが終わりに近いことを誰もが悟ったが、当の彼はそれを表情にも出さなかった。その代わり一度生唾を飲むように喉を鳴らし、幕僚はかつて彼も所属していた部隊の隊員たちに声を振り絞る。
「スロリアにおける全作戦の成否は諸君らにかかっている。諸君らは精強無比の名に相応しく、最善を尽くし橋頭堡を死守せよ!……それでは幸運を祈る―――――」
―――――そして、入間飛行場。
キイィィィ……ィィィン……!
駐機場で離陸隊形を組み、始動を始めたジェットエンジンの轟音が、闇夜を支配する静寂に抗うかのように広大な飛行場一帯を覆いつくした。
投入されるC-2輸送機は5機。これが、その保有する輸送機の半数をすでに前線に送り出していた入間の輸送飛行隊が、この時一度に投入しうる最大の戦力だった。一機につきそれぞれ60名の完全装備の空挺隊員が搭乗する……つまり、一度に作戦に投入されうる隊員は約300名でしかない。
それら以外にも、前線に近いスロリアの航空基地から、六機のC-2が参加する。これらのC-2には降下部隊を支援する軽装甲機動車と重火器、そして補給物資を載せる。輸送機隊はスロリア上空で合流、さらに戦闘機隊の護衛を受け戦闘地域上空に進出するのだ。
航空機用格納庫に移動した空挺隊員は、休む間も無くその装備の装着に取り掛かる。背中に主傘、さらに救命胴衣、携行袋、胸に予備傘、そして梱包された小銃……これらの装備を隣の隊員と助け合いながら着用し、最終的には降下のベテランたる降下長による点検を受けることになる。
「――――顎紐よし! 肩部離脱器よし! V字調整管よし! 胸帯よし! 携行袋よし! 離脱器安全栓よし! 腹帯吊りフックよし! 予備傘外形よし! 封印よし!……」
二十以上に上る装備のチェック……声を上げる降下長の号令こそ震えていたが、選りすぐられた精鋭だけあって、その装着に不備を呈した者は皆無であった。その一方で、誰もが装着を終えて初めて、前線へと向かうのだという感を強くする。待機を続けるC-2輸送機の後部ハッチはすでに開き、何時でも300名の精鋭を迎え入れる用意を終えていた。
――――そして、装着を終えた空挺隊員たちは足を延ばして着座し、降下長の事前注意と指揮官の訓辞を待つ。陸曹長の階級章を付けた先任降下長が進み出、声を張り上げた。
「そのままで聞け! 我々はこれより戦闘地域に展開する。車両及び物資の投下の五分後に人員降下を予定している。降着後は周辺に注意し行動せよ。また追い風に流され、着地地点を越えて降着した者はすぐに至近の遮蔽物に潜伏し、南下して本隊への合流をはかれ。ぐずぐずしていると前進してくる敵と鉢合わせすることになるぞ。降下地点に留まり単独で戦端を開くことはなるべく避けろ」
簡潔な注意の後、進み出たスロリア派遣空挺部隊指揮官 橘 行人 三等陸佐は、その鋭い目つきもそのままに彼の部下達を凝視すると、先ほどの降下長とは打って変わり、静かな、語りかけるような口調で口を開いた。
「この期に及んで言うことは何もない。我々は只今よりスロリアへ進出し、敵を倒す……只それだけである。相手にとって不足はない。空挺団の伝統と勇名を辱めることのないよう、各員は一層努力奮励し、全員ここに生きて帰還せよ。貴官らの一人たりとも本官は死ぬことは許さない。搭乗……!」
「…………」
巌の如き無表情――――その場の誰も、これより彼等が命を預けることになる指揮官の言葉に対する感慨をその表情には表してはいなかった。だが指揮官の言葉を、少なからぬ数の隊員が自らの足となる輸送機の機内で、これから戦場へと赴く五時間以上に渡りじっくりと噛み締めるのかもしれなかった。
搭乗――――
列を作り、続々と輸送機に乗り込んでいく空挺隊員――――
その何れも無言。
踏みしめる軍靴の絶え間無き響き。
装備の触れ合う音。
彼らの吐く息は白く、その間隔は短い。
その姿は闇夜の中、広大な飛行場の只中で、重厚な人影の連なりとなって明瞭なまでに浮かび上がっていく――――
スロリア地域内基準表示時刻12月17日 午前4時10分 スロリア中部 イル‐アム谷。
周囲は、すでに闇。
眼は、すでに夜に馴れていた。
光はその一切が制限されている。
敵にこちらの動静を探らせないためだ。
個人用の壕にほぼ全身を埋めながら、城 士長は硝煙更けやらぬ星空をぼんやりと眺めていた。
夕方の戦闘を経て、一時壕の防備を交替して仮眠も取ったし、食事もまた、暖める間も無いながらも腹八分目に携帯口糧をスポーツドリンクとともに胃袋に詰め込んだ。だが……
十分過ぎる休養を取ったはずなのに、気が付けば戦闘終了直後のような焦燥に、未だ身を任せている自分がいる。
こんなに辛い思いをするのは、レンジャー訓練課程以来だと、城 士長は思った。肉邸的には決して辛いというわけではない。だが喩え敵であれ、人間を屠り続けることで知らず知らずの内に蓄積された精神的な打撃への耐性に、限界を感じ始めている彼がいたのだ。だが全体的に見れば、彼の状況は未だましな方なのかもしれない。
限界の片鱗は、他の隊員の間にも現れ始めていた。
虚ろな目もそのままに、放心したように壕に座り込む者。
蓄積された緊張から、収縮しきった胃が食事を受け付けず、ちびちびと水だけを呷る者。
彼らもまた、一旦敵の襲撃を目の当たりにすれば、再び銃を執って生を賭さねばならない。
「…………」
さり気無く、士長は隣に視線を転じた。
その彼の視線の先で、相棒の長田 一等陸士は彼とは打って変わり、壕の底に腰を下ろしたまま、只淡々と愛用のMINIMIの手入れをしている。その挙動は落ち着いたものだ。兵士としての適性は、自分よりも彼のほうに軍配が上がるようだ。
一方、敵はどうだろう……?
夕刻の戦闘で、こちらは少なくとも500名のローリダ兵を殺し、それに倍する数を負傷させた。それらから試算をめぐらせば、そろそろ敵の攻略部隊にも底が見え始める頃だろう。
一方で、死者こそ出なかったものの、こちらも30名近くの負傷者を出している。重傷者は全て味方のヘリにより後送されたが、物資の補給こそあってもそれに対する補充は期待できる状況には無かった。城 士長たち二人ですら本来は他の隊員と交替し、位置的により安全な配置についているはずが、補充兵の不足が彼に未だに真っ先に敵の攻勢の矢面に晒される場所の死守を強いている。
そう……当の陸自ですら、すでに戦力投入に限界が見え始めている。
『前進観測所より第一防衛線へ、送れ――――――』
「こちら防衛線、どうぞ?」
『――――小隊規模の敵影がそちらに接近してくるのを視認。防衛線、視認できるか?……交信終わり』
まどろみかけた眼は、「敵影」の一言だけで朝方のごとくに醒め切ってしまう。折畳んだ暗視装置を起動させ、緑のファインダー越しに広がる夜の大地に、城 士長は獲物を探す鷹のように目を細めた。
――――そして、衝撃は唐突に訪れる。
「…………!」
絶句とともに、城 士長は無線機の送信スウィッチを入れた。暗視装置が闇夜を貫き、視界の先の丘陵を上ろうと散開し広がる多数の人影。その歩調こそ緩慢だったが、寧ろそれ故に、見事なまでに夜の静寂さに溶け込んでいる。
敵兵……!
迫る人影の壁から、ローリダ兵特有の輪郭を見出したのと、無線機に声を上げたのと同時――――
「――――こちら防衛線。送れ……!」
『――――こちらFO、報告せよ。送れ』
「敵兵と思しき影が多数接近中……数は……100、いや300はいる……!」
報告を続ける城 士長の傍らを数条の火線が通り過ぎていった。同じく監視要請を受け、敵兵の接近を察知した他の壕が射撃を始めたのだ。それが呼び水であるかのように撃ち出される曳光弾は忽ちその量と交差を増し、再び動に支配された闇夜の向こうから上がる悲鳴もまた、比較級数的に増大する。
長田 一士もまた射撃を始めていた。MINIMIが軽快な射撃音を立て、吐き出される曳光弾がカーヴを描いて濃い闇を裂く。暗視照準による正確な射撃は、昼間と変わらない精度を以てローリダ兵を薙ぎ倒し、その前進を停滞させていく―――――
ヒュゥゥゥゥゥゥゥ……
「…………!?」
背後に花火の上がるような音を聞いた瞬間、城 士長は頭に掛けていた暗視鏡を払い除けた。そして傍らの長田にも怒鳴った。
「照明弾だ!……眼鏡を外せ!」
長田 士長を押し倒し、スコープを取り上げた直後。城はその背中越しに光の生まれ、広がるのを感じた。
敵陣より放たれ、イル‐アム谷の遥か上空で炸裂した照明弾は複数。それらは彼らの陣地と歩を早めそれに殺到するローリダ兵を、不気味なまでの圧迫感とともに照らし出すのに十分な量だった―――――
――――谷は、再び地獄となった。
臨時編成のイル‐アム攻略部隊の指揮官センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロート自身が立案し、深夜を狙って下令した作戦は、次の通りである。
まず、攻略部隊を二陣に分け、第一陣を複数の小隊単位の小兵力に分散、再編成させ闇夜に紛れて敵陣に接近、防御の薄い箇所を狙って浸透させる。敵の配置については、ローリダ軍は夕刻の攻勢で多数の損害と引き換えにその概要を掴んでいる。従って、判明している適所にまず攻勢を集中させ、そこから敵陣の奥深くまで前進できる限り部隊を前進させる。その後で敵陣内の連絡を遮断し、分断した敵陣を各個に包囲制圧していけばよい。
……そして、攻勢第二陣。
主力は二個大隊1000名。浸透部隊の投入一時間後に、前進を始めるこの部隊が文字通りの主攻であり、「ロート旅団」が投入しうる最後の戦力であった。第一陣の攻勢で分断され、混乱した敵前線に対し、砂利道にローラーを掛けるが如く一度に大兵力を投入し、夜明けまでに勝負をつける―――――言い換えればこの日の夜明けが、スロリア中部で未だ抵抗を続けているローリダ軍全軍を無事にノドコールへ脱出させられるタイムリミットだったのである。それ以上を過ぎれば、ニホン人は遂に自軍の前線を突破し、今度は我が軍がその重囲下に置かれることになるだろう。
ロートの真意は多数の小部隊を全戦線にわたり浸透させることで敵陣間の連携を切断し、局地的、かつ同時多発的に敵を孤立させることにあった。連絡を絶たれた敵は混乱し、その分対処も容易になるという計算も働いているというわけで、そうした発想をし、即座に対処するあたり、ロートは戦術家としてはやはり非凡であった。
―――――だが、ロートの作戦は敵があくまで自軍と対等の装備を持ち、かつ自軍と同じ思考を持つ相手だからこそ成り立つ作戦と言えないでもなかった。そして彼にとっては不幸なことに、PKFはその条件に適合する敵ではなかったのだ。さらには当のロート自身、実はそのことを薄々と感じながらも、作戦を下令せねばならなかったところにもやはり、彼の不幸があった。
「…………!」
照明弾を上げた直後に、双眼鏡に飛び込んできた味方の苦境を目の当たりにした瞬間、ロートはその目元に苦渋の皺を浮べる。敵が此方に不意を突かれたのではなく、此方を待ち構えていたことを、彼は瞬時の内に悟った。
敵は我が軍の接近を察知していた!……それはロートにとって、予期された驚愕であったのかもしれない。だからこそ、眼前に繰り広げられる現実に失望を覚えても、絶望するような彼ではなかった。
無線機は、続々とロートが身を置いていない前線の状況を伝え始めていた。そのいずれも、予期した通り―――――
『――――こちらダル小隊、指揮官戦死、本官が指揮を継承し、前進を継続します……!』
『――――こちらウェルス小隊、敵の抵抗が烈しい、前進は不可能……指示を請う!――――』
だが―――――
『――――こちらハーレン小隊、敵前線を突破!――――』
「…………」
予期しない、だが待ち侘びていた交信を聞いた瞬間、ロートは愁眉を開き、無線機の送話機に手を掛ける―――――
敵襲の報告を、第二普通科連隊長 佐々 英彰二等陸佐は、手空きの部下を集めて開いた今後の対処法の検討会の最中に聞いた。
『―――――ポイント‐カヤギに敵歩兵多数!』
敵は部隊を小集団ごとに分割し、相互に連携して攻勢をかけているという詳報に接したとき、佐々二佐はほぼ瞬時の内に敵の意図を察した。
「浸透戦術か……味な真似をする」
「ですが悪い手ではありません……」と上総二尉、彼自身前線指揮官として夕刻の敵攻勢を先頭に立って防ぎ、土と埃に塗れた身体からは、未だ血と硝煙の臭いを漂わせていた。
「……実際、我々には彼らの浸透を完全に防ぎとめるだけの兵力が無い」
イル‐アム谷を守る自衛隊員は245名。その数はあまりに少なく、彼らの守るべき範囲は決して狭くは無い。さらには夕刻の防戦の結果、防衛線の間隔は一層に広がり、それだけ敵の侵入を許す結果になるかもしれない。
地形図に眼を細めながら、佐々二佐は言った。
「今夜だけだ。今夜耐えれば我々の勝利は確定する」
将来の展望に関しては希望が無いわけでもなかった。昨夜未明に勃発したスロリア中西部において友軍の第七師団が敵の大規模な機甲部隊を捕捉し、完膚なきまでに撃滅、現在主戦線に合流するべく急速に南下中であるという。司令部からの詳報によれば機甲師団が展開し、包囲網が完成するのは0652。あと三時間此処で頑張れば道は開ける。
「……生きて朝を迎えたいものですね」
自身の担当する防衛線にとって返す間際の、独白にも似た上総二尉の言葉に、佐々は笑い掛けた。
「ああ……今日こそはまともな朝飯を食いたいよ」
――――そのとき、人員の不足により無人となった前線の一部が突破され、敵兵が雪崩れ込んだことを彼らは知らされた……彼らの思惑通りに―――――
無人と化した防衛線を乗り越え、緑衣の軍服の群れは開けた地形に達していた。
隊を率いるグラノス‐ディリ‐ハーレン大尉とて、決して無思慮ではない。敵がすんなりと前線の突破を許すとは考えてはいなかった。拳銃を握る手と喉奥からの声とを張り上げ、ハーレンは部下兵士に停止を命じた。
「前進やめ! 直ちに拠点を確保せよ」
同時にハーレンの意を汲んだギラス准尉が矢継ぎ早に指示を下し、怒声は忽ちのうちに隊の下士官や古参兵へと伝播する。
「壕を掘れ!……急がんと敵が攻撃してくるぞ!」
「機銃を設置しろ。そこの窪地だ」
「もっと頭を下げろ、敵兵に狙われるぞ」
随伴する通信兵の背負う無線機から送受話器をひったくると、ハーレンは司令部を呼び出した。
「こちらハーレン、司令部どうぞ―――――」
『―――ロートだ。前線突破の報は聞いた。ただちに増援を送る』
直後に着弾――――交信を切るや否や、空を切る滑空音を経てハーレンよりそう遠くない距離に火柱が上がった。
「…………!?」
愕然とするハーレンの周囲で火柱はその数を増し、彼の指揮下の将兵をその衝撃と火焔とを以て翻弄し薙ぎ倒していった。その上に四方より高速で飛び交い交差するつぶでの様な弾幕が加わり、弾着の度暗黒の地に悲鳴や怒声が満ち溢れる。
これはどういうことだ!?
自問の後、ハーレンは悟った―――――我々は陽動され、包囲された……?
「こちらハーレン、司令部応答願います」
『――――こちら司令部、状況報せ――――』
「敵に包囲された。これは陽動だ。増援の前進を停止されたし、繰り返す――――」
それは人為的に穿たれた間隙だった。イル‐アム谷のPKFは、むしろ人員不足なることを逆手に取り、ハーレン隊の展開先にキルゾーンを形成していたのである。前進の結果、前方と左右を丘陵――――それも、敵陣――――に塞がれた形となったハーレン隊と後続の部隊は、忽ちの内に機銃と迫撃砲から成る十字砲火に晒されることとなったのだ。
送受話器に声を荒げるハーレンの耳元に、銃弾の空を切る音が次第に近づいてくる――――
――――前進させた司令部よりハーレン隊の苦境を察した瞬間、ロートの腹は決まった。
「総攻撃だ。第二陣を予備も含め全て投入せよ」
並みの前線指揮官ならば、ハーレン隊の危機を全軍の危機と認識し、ハーレン隊を救出するべく一方面に兵力を集中させた結果として累積的に損害を拡大させることとなったかもしれない。ロートに将たる資質があるとすれば、その戦略的才幹はもとより、戦術面での勘の鋭さと思い切りの良さであろう。彼にとってキルゾーンの形成は、裏を返せば全面攻勢に対する正面火力の減殺を意味し、その洞察は正しかった。ロートは一瞬の内にPKFの内情を看破し、陽動に乗せられたハーレン隊を敵の火力と注意を惹き付ける囮と化したのである。
「撃て……!」
鳴りを潜めていた支援部隊の砲撃が、一斉に破壊の轟音を奏で始める。野砲は驟雨の如き勢いでPKFの防衛線にその照準を集中し、弾幕を注ぎ込んだ――――
夜空を裂く滑空音。それも多数―――――!
「…………!」
……見えない。
だが重々しい、空を切る音の近付いた瞬間、兵士がやるべきことは決まっている。それが耳に飛び込んでくるのと同時に、高良 俊二は頭から押さえつけられたように身を屈め、壕にその体躯を埋めた。
砲撃……!
そう認識するのと、着弾とまた同時―――――PKFの守る前線の各所から弾着の焔が上がり、それは加速度的に数と轟音を増大させていった。攻勢部隊へのPKFの応戦は、結果的に敵に火点を暴露することに繋がっており、それが夜間にも拘らず、ローリダ軍砲兵に正確な砲撃を行うことを可能とさせたのだ。砲撃の時間こそ短かったが、砲火の量と間隔は、短くかつ手早く、そして大量に集中し、昼間よりも多くの目標を破壊し、将兵を圧倒していく。
「衛生兵!……来てくれ!」
「前線より指揮所へ、砲撃が烈しく敵情を確認できない。そちらから敵情を測れないか? 送れ……」
――――砲撃は、すぐに止んだ。
――――静寂。
――――視界は、闇と吹き上げられた土煙とに完全に塞がれていた。
それでも光を得ようと再び取り出した暗視装置を目の当たりにし、俊二は愕然とする――――砲撃の衝撃
で、レンズの破損したスコープを目の当たりにして。
……そしてもう一つ、自らを取り巻く異質な沈黙の存在に気付き、俊二は周囲へ眼を凝らした。
「松中?――――」
「…………」
「松中一士……?」
「…………」
「松中……!」
声を荒げた俊二の眼前で、松中一等陸士が血塗れになった片足を抑え、その身を横たえていた。弾着と同時に四散した砲弾の破片が脚に命中したのだと俊二はさとった。額に油汗を浮べ、歯を食い縛って苦痛に耐える松中を、俊二は抱き起こした。
「歩けるか?」
「大丈夫です……!」
作り笑いを浮べながら、松中は前方を指差した。未だ土煙に閉ざされた敵の方向で、何かが蠢くのを俊二はその目に感じた。松中が銃を取り、壕で身体を支えながら、震える手で銃を構えなおした。
「高良士長……?」
「…………?」
「支えきれなくなったら……士長は自分を置いて真っ先に逃げてください」
「……ばか、格好付けてる場合かよ」
そう吐き捨てつつも、俊二もまた銃を構える。
覗いた照星の遥か先で、多数の蠢く気配は急速に迫っている――――
「来るぞ……」
「来てますね……」
夕刻と違い、眼前の闇に向かい銃を構えるのには格段の緊張が伴う。ややもすれば絶叫を上げMINIMIの引き金を引き絞りたい衝動に、長田 一等陸士は必死で耐えていた。見えない目を闇夜に凝らし、物音を近付きつつある気配とともに聞きながら……
その傍ら、小声で、城 士長は無線機に声を細めた。
「こちら防衛線。敵の全容を知りたい。いますぐに照明弾を上げてくれ。送れ……!」
『――――了解』
彼らの遥か後方より、空気の抜けるような音が二条――――――
程無くしてそれは上空で強烈な光を発し、彼等の周囲を、彼らを俯瞰する高さから照らし出す―――――
「…………!」
二人が絶句するより先に、同時に引き金を引くのが早かった。
敵は彼らのすぐ近くにいた。それも目と鼻の先に……!
闇夜でありながら、互いの階級章すら識別できる至近……!
さらには浸透を果たした当の敵ですら、自らを照らし出されるまで彼我の位置に気付かなかった……!
「…………!?」
突然に至近距離から撃ち込まれた射弾に倒される敵兵―――――
突発的に起こったフルオートの嵐は、暗闇のベールを暴かれた敵影を薙ぎ倒し、そこに阿鼻叫喚の巷が生まれる。だが銃火のみで攻め、そして守るのには、もはや彼我の位置はあまりに近すぎた。
「…………!」
被弾しながらもローリダ兵が絶叫とともに突き出した銃剣が、間一髪でそれをかわした長田一士の肩アーマーを抉り、長田の反射的に振り上げた円匙がローリダ兵の顔面を強かにヒットした。持ち替えられた円匙の切先が、転倒したローリダ兵の、がら空きになった首筋といわず胸板といわずに振り下ろされる傍らで、城士長は文字通りのゼロ距離から89式小銃を撃ちまくり、周囲を疾駆する敵兵を標的のごとくに薙ぎ倒していく。それはもはや、二人だけを取り巻く状況ではなかった。各所で沸き起こる怒声、銃声、そして絶叫……取っ組み合いの接近戦まで周囲では起こり、彼我の境界はこの瞬間にその意味を失っていた。
「死んでたまるかぁ―――――っ!」
怒声とともに吐き出される銃火。だが運命は全弾を撃ち尽くした直後に、敵兵によって至近距離から撃ち込まれた銃弾という形で城士長を襲った。ケプラーの防弾アーマーは至近で命中した7.62㎜弾三発を防ぎ止める事ができず、一発が腹部を貫通して背後のアーマーで止まり、二発が腹部を裂きその中で止まったのだ。
「…………!」
傍らの異変に長田一士が気付いたときには、彼の先輩は前屈みにひざを崩し、壕の底で無言のまま倒れ込んでいた。MINIMIの引き金を引く指もそのままに、長田は声を荒げた。
「先輩……!?」
驚きのあまり、銃を放り出し助け起こそうとした後輩を、城は薄れゆく意識の中、慢心の力を篭めて怒鳴りつけた。
「バカヤロウ!……射撃を止めるな!」
「ですがぁっ……!」
「……敵が来てるんだぞ!」
咄嗟に襲い来る喊声。反射的に腰を上げ構えたMINIMIの咆哮が、銃剣を振り翳し突入を果たそうとした敵兵数名を倒し、その後にはさらなる敵兵……応急処置を施す間も無く、長田は再び防戦の渦に引き込まれていく。
「死ねこの野郎ぉ――――!」
もはや死に瀕した同僚のことは、彼の意識から消え、青年はただひたすらに、目に見える限りの敵兵にMINIMIを揮い続けた―――――
「装填っ!」
吊光弾の瞬きの下、敵影を認めてわずか五秒で、高津 三等陸曹は小銃の弾倉を一本使い切った。
その一本で、彼は一個分隊相当の敵兵を殺した。素早い手付きで弾倉を交換し、息つく暇もなく彼は89式小銃を撃ちまくった。その高津三曹の傍らで小銃を構えていた山崎一等陸士が、その眼前にあるものを認め顔を強張らせた。
「三曹……!」
「…………?」
山崎に促され、その眼前にロケット弾を構えた敵兵と装填手のにじり寄るのを認めた瞬間、高津は声を荒げた。
「山崎! ここから逃げるぞ!」
「はい!」
二人が這うように壕から出た直後、放たれた焔の矢は一直線に壕へと命中し、火柱を吹き上げる―――――業火からは逃れえたものの、爆風は彼らを見逃さなかった。二人の身体は軽々と舞い上がり、二メートル離れた地面に叩きつけられる――――
「…………」
――――次に高津三曹が目を開けたときには、周囲の闇には硝煙の強烈な臭いが地面に漂っていた。地面を揺るがす敵兵の足音が迫るのに気付き、体中に感じながら気配を殺す。敵兵は進撃に夢中なあまりこちらが生きていることには気付いていないようだった。流し目気味に巡らせた視線の片隅に、彼と同じく横たわり微動だにしない相棒を見出し、高津は声を潜めた。
「山崎……生きてるか?」
「はい……なんとか」
「まだ動くなよ……機を見て味方の壕に逃げ込む。いいな?」
「了解……」
周囲から敵の気配が消えたのを見計らい、高津は身体を起こして山崎の方へにじり寄った。同じく匍匐の姿勢で高津へ近づく山崎の顔が、高津の光背にあるものを認め引き攣った。
「先輩……!」
「…………!?」
振り返り、銃を構え背後から迫り来る敵兵の影を認め、高津は驚愕する。
敵はこちらの生存に気付き、二人の手からはそれに対抗する武器はすでに失われていた――――
―――――攻勢開始から一時間。佐々二佐たちのいる指揮所も、もはや安住の地ではなくなっていた。
MINIMIの、そして89式小銃の軽快な射撃音が、山麓の各所で立て続けに響き渡る。そして至近でも、一際重厚な射撃音を立て、指揮所に隣接する壕に据え置かれたM2重機関銃が、闇夜に向かい破壊の光を投掛け始めていた。各所の防衛線との交信回数もうなぎ上りに増え、指揮官である佐々自身の決断を促さねばならないような局面も飛躍的に、かつ予想外に数を増している。
そのような中、上総二尉の戦死を佐々は知った。圧倒的な敵の猛攻を前に敢闘の末、佐々の承認を得て後退を命令し、彼自身も負傷した部下を肩に担ぎ退避する途上、背後から撃ちかけられた数発の敵弾が胸部と腹部に同時に命中。7.62㎜口径の弾丸はケブラー製の防弾ジャケットを容易く貫き、彼をほぼ瞬間的に絶命させたのだ。彼の他、戦線を担う幹部クラスや曹の間にも死傷者が続出している―――――それだけ、敵の攻勢は必死さを増している。
暗闇へ向け応射を続ける隊員たちを無感動に見遣りつつ、佐々は周囲を見回した。
冷たい空気を歪め、佐々の強靭な精神すら締め付けようとする何者かの接近―――――これまで感じることの無かった趣の異なる存在の接近を、佐々は感じていたのだ。敵が迫っている証拠だった。
「…………」
無言のまま、肩に下げた9㎜機関拳銃の安全装置を、佐々はさり気無く外した。
「連隊長……!」
部下の絶叫!……反射的に機関拳銃の銃身を翻し、唐突に眼前に入ってきた人影に佐々は機銃の引き金を引いた。布を裂くような射撃音の一閃で二名のローリダ兵が斃れ。急変に気付いた部下の応戦でさらに数名が昏倒した。防衛線を突破した一部の敵が、指揮所に銃剣突撃を図ろうとしたのだ。
拳銃の野太い射撃音! 大山陸曹長が放ったコルト‐ガバメントが三名の敵兵を倒し、返すもう一発でさらに一人を打ち倒した。
咄嗟に戻る静寂―――――苛立つ顔をそのままに、佐々は再び周囲を見回した。指揮所にとって―――あるいは連隊にとって―――当面の脅威は去ったが、永久に去ったわけではなかった。指揮系統は辛うじて維持されてはいるものの、それもまたごく近い将来には崩壊するであろう。
――――それを考えたとき、佐々は決断する。
「……通信手、ブロークン‐アローだ」
「は……?」
唖然とし、通信手は彼の指揮官を見返した。その通信手を省み、佐々は鬼気迫る形相で只一言、声を荒げた。
「ブロークン‐アロー」
「…………!」
絶句……そして通信手は、震える声で上級司令部へ交信する。
「ツチグモよりポートピアへ、送れ!……」
『――――こちらポートピア、状況報せ』
「こちらツチグモ、防衛線を突破された。至急ブロークン‐アローを要請。繰り返す。ブロークン‐アロー!―――――」
スロリア地域内基準表示時刻12月17日 午前五時〇四分 スロリア中部
『――――ブロークン‐アロー!』
その一言は瞬く間にPKFの通信回線を駆け巡り、航空支援要請に備え戦域上空で待機中の航空自衛隊支援戦闘機隊に、攻撃命令の形でもたらされた。
「ブロークン‐アロー」――――それは敵の攻勢を前に、味方防衛線が破綻した際に非常手段としてとられる無差別の航空攻撃を要請する暗号コードだった。起死回生の手段たる一方でそれは、イル‐アム谷を巡る味方の危機的状況を、現地司令部はもとより東京の司令部もまた、その一言によって知ることになったと言っても過言ではなかった。
東京の中央指揮所において、植草幕僚長は戦術情報表示端末を前に、端正な容貌を崩しかけるほどに声を荒げた。
「主戦線はどうなっている? 第七師団は?」
『第10師団が敵戦線を突破し、橋頭堡を形成しました。機甲旅団の展開まであと二時間……!』
「機甲旅団の南下を急がせろ……これでは機動戦の意味が無いではないか……!」
苦渋の表情をそのままに、植草は戦術表示端末の画面を睨み続けるしかなかった。さらに困難なことには、国民にこちらの苦境が知られ、厭戦気運が蔓延することだ。マスコミの一部は、すでにスロリア方面のPKFの作戦が頓挫しかけていることを報じ始めている。本土は本土でまた、別の戦いが始まっていたのだった。
――――そして、前線司令部。
阪田 勲PKF総司令官は、部隊統制の困難から前進速度の増加を渋る第71、72の両機甲旅団長を色を為して怒鳴りつけた。
「何のための機甲旅団だ。貴様らの戦車は張りぼてか!? 可能な隊から先行させ、順次投入させればよいではないか! 決戦兵力たる貴様らが戦闘に参加せんでどうする!」
――――再び、イル‐アム谷。
司令部が動揺する一方で、前線では非常事態を告げる暗号が発令されてわずか五分で手は下されようとしていた。それも、航空支援という形で……
「…………!」
疾駆する死神のごとく低空を駆け抜けるジェット機の爆音を聞いた次の瞬間、長田 一等陸士はMINIMIを撃つ手を止め、見えざる手に押し込まれたかのように壕内に潜り込んだ。大地を揺るがす着弾の振動を至近に聞いたのはその直後だった。正座したかのように蹲ったまま動かない城 士長を庇う様に覆い被さりながら、長田は爆風に飲み込まれ、焼き尽くされていく敵兵の姿を想像した。
着弾―――――長田の、戦慄を伴った想像は正しかった。
最初にイル‐アム上空に到達した攻撃機はF-2二機。赤外線照準により二機の投下したクラスター爆弾は突破されたばかりの前方防衛線上で炸裂し、爆竹をばら撒いたかのような爆弾の煌きは、後続するローリダ軍予備隊を一瞬にして殲滅してしまったのだ。
「…………!」
友軍機の航過により唐突に大地に生じた紅蓮の炎の壁が、こちらに向かい銃を構えた敵兵の一群の背後から瞬く間に広がり、追いつきそして飲み込んでいくのを、高津三曹と山崎一士は驚愕とともに見守った。全身を炎に包まれ、飲み込まれていく敵兵の影また影……だが、それはごく至近の将来に待つ彼ら二人の姿であった。
同時にそのことに思い当たったとき、意を決し二人は味方前線へと駆け出した。拡大する着弾の炎に追われるように走り、二人は前方に見出した交通壕に頭から飛び込んだ。
「…………!?」
壕内で歯を食いしばり、頭を抱えて蹲る二人の直上を、爆発的な炎の広がりは貪欲なまでに飛び越えていった。第一波に続き次にイル‐アム上空に進入を果たしたのはナパーム弾を装備したF-2四機。前線を突破し、最終防衛線に殺到しかけたローリダ兵が彼らの目標となった。
投下されたナパーム弾は着弾した瞬間に紅蓮の炎を吹き上げ、炎は一帯を覆いつくし、その場にいた全ての生命体を焼き尽くす―――――
勝利を確信し、破られた前線に殺到したローリダ兵にとって、死は唐突に始まり、彼らの知らない内に過ぎ去った。断続的な子爆弾の炸裂は鉄と焔の奔流となって地上を圧する軍服の流れを押し止め、そして押し流した。それらに続く一機につき四発。計八発のクラスター爆弾の投下により、300名のローリダ兵の生命と肉体が一瞬にして消え去った。
「…………!」
夜空を裂くジェットエンジンの轟音、それに続く百雷の如き爆発と衝撃の連鎖――――敵中に孤立した戦線において、それがグラノス‐ディリ‐ハーレンと彼の部下の見た全てだった。信じがたいことに、敵は自軍の戦線内に爆弾を落とし、味方諸共ローリダ軍を殲滅してしまったのだ。各所から沸き起こる火柱と衝撃の連なり。続けて生まれる焔に為す術も無く飲み込まれてゆく友軍を目の当たりに瞬間、自軍の勝利と自分の率いる隊の生き延びる望みが潰えたことを、若き指揮官は悟った。
「ロート旅団」は、一夜にしてその投入しうる全兵力の過半数を失った。
「…………」
自身の率いた将兵が、鋼鉄の旋風に為す術も無く飲み込まれ、無と化していく様子を、センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートは無言のまま、驚愕を顕にした眼差しで見詰めていた……否、呆然と見詰めるしかなかった。青年の蒼白と化した頬を、戦場の業火はかなりの距離にも拘わらずに、容赦なく照らし出すのだった。
「神よ……!」
自ずと落ちゆく肩……ともすればそのまま足元から崩れ、跪きかけようかという無力感に、若い指揮官は必死で耐えていた。彼以上に不安の色を浮かべた顔もそのままに、指揮官の様子を見守る幕僚達を省み、ロートは震える声で言った。
「司令部に報告だ……これ以上の攻勢は不可能。総退却を具申する……」
ロートの決断は正しい。全てのオプションが失われた今、彼に出来る唯一のことは、敗北を認め矛を収めることでこれ以上の損害拡大を防ぐことでしかなかった。だが、無線機に取り付いた通信兵は数刻の後、困惑したような表情を浮かべ彼の指揮官に呼び掛けた。
「旅団長!……無線が繋がりません」
直後、指揮所に駆け込んできた偵察隊のもたらした報告が、ロートの顔から血色を奪った――――――
「閣下……司令部が存在しません。すでに退去したものと思われます……!」
「何……?」
スロリア地域内基準表示時刻12月17日 午前5時54分 スロリア中部
「――――先輩?……先輩?」
前方に敵の気配の消えた壕内で、長田 一士はすでに血色を失った城 士長に目を腫らしていた。
何度呼びかけたところで、刻が元に戻ろうはずも無かった。戦闘の最中に壕の底に溜まった鮮血の池は、彼がもはや誰にも手の尽くしようのないことを沈黙の内にも雄弁に物語っていた。敵を撃退したことに対する自覚が沸かない内に、受け容れられない現実を突きつけられた若者の手は、それでも死者の首元に伸び、やがて鈍い光沢を放つ認識票を取り出した。
「…………!」
虚ろな目に躊躇と嗚咽を浮かべつつも、長田は満身の力を篭め、それを引き千切った―――――
「――――山崎……生きてるか?」
「はい……なんとか」
壕内で凭れあい、高津 三曹と山崎 一士の二人は、だいぶ闇の薄れた空を仰いだ。どっと押し寄せる疲労、それらを振り払い、戦い抜いたというより生き残ったという感慨の込み上げるまま、高津は壕から頭を出し、そして驚愕する。
「…………!」
彼らが戦い、そして敵から逃れてきた方向の大地を染める黒……また黒。戦線一帯にばら撒かれたナパーム弾の爪痕であることぐらい、すぐに判った。そして、それらに飲み込まれたはずの敵兵は、死体はおろかもはや痕跡すら其処には留めていなかった。ナパームの匂いと、それ以外の何かが焼け続ける嫌な臭いが交互に感じられ、一層に生存者たちの焦燥を深めていくのだった。
「地獄って……こういうことを言うんだな」
「え……?」
高津の呟きは、疲労に抗えず、壕の底で腰を下ろしたままの山崎には聞こえなかった。
―――――静寂。
全身に土の感触を得つつ、俊二は静かに眼を開けた。
鼻を突く油脂の臭い……または得体の知れない刺激臭……殆ど崩れかかった壕の土を払いのけるようにして、俊二はゆっくりと腰を上げた。
頭が重い……そう思ったとき、俊二はケブラー素材の剥げ掛かったヘルメットをかなぐり捨てた。
……身体中が、軋みを立てて痛みを発する。
……身体中が、焼けるように熱い。
上空をジェット機が航過し、敵兵の迫り来る眼前に焔が生まれた瞬間、俊二もまた他の多くの隊員と同じく何が起こったのかを悟り、迫り来る破局を避けるべく為すべきことをした。負傷した松中一士を庇って壕に身を隠すのとほぼ同時に、破局は焔の烈風となって俊二たちの真上を荒れ狂い、そして過ぎ去っていったのだ。
「松中……!」
眼を閉じたまま微動だにしない松中一士の頬を、俊二は軽く二三度叩いた。俊二の腕の中で眼を開けた松中は半身を起こすと、周囲の静寂に煩わしげに目を凝らし、ぽつりと呟いた。
「おれたち、助かったのかな……?」
「さあ……」
松中は俊二の顔をまじまじと見詰め、そして微かに笑った。
「それにしても分隊長……酷い顔だぁ」
「ああ……お前もな」
……気がつけば、一面に緑の萌えていたはずの丘陵は、見渡す限りの禿山と化していた。その丘陵の一面に折り重なる彼我兵士の死体。ローリダ兵と思しきそれが圧倒的に多かったが、それは俊二に勝利を連想させるものでは、決してなかった。
「おーい……生きてるかぁ――――っ!」
何処からとも無く聞こえてきた誰何の声は、すぐに一帯に広がり、それに応える声もまた加わり、殺伐の色を次第に薄れさせていく……だが、それによって蓄積された虚無感を拭い去るには、味方の声はあまりに頼りなさ過ぎた。
荒廃、ただ荒廃……ただそれだけが、これまでの戦いの、唯一の結果であるように俊二には思えた。
俊二は、さり気無く前方の山際へと眼を凝らした。
「日……?」
低い山間を縫い、暗がりを紅く染めゆく光……量感を増しつつあるそれは、隊員たちの、闇に凍った心を次第に溶かしていく。その一方で彼等が待ち望んでいた日は、その赤い光の触手を以て、戦場で彼等が行った全てを白日の下に晒そうとしていた。
そのとき、何処からか、再びジェットの金属音が轟くのを聞いたのは、俊二だけではなかった。
轟音の源は、兵士たちの遥か上空―――――
『――――降下予定地点まで、あと五分』
高度を落とし、減圧を完了した輸送機のキャビンから明かりが消え、機窓から差し込む柔らかな光が、ドーランに彩られた空挺隊員たちの頬を照らし出した。その瞬間、陸上自衛隊第一空挺団の隊員は、その誰もが戦場に到達したという感を強くする。
速度を落とし、フラップを下ろしてさらに減速した結果、失速の予兆としての振動を立て始めた輸送機のキャビンで、一人の隊員が、未だ拭えぬ暗がりに閉ざされた天井を見上げた。その彼の遥か上空では、護衛のF-15J要撃戦闘機が精鋭を乗せた輸送機に迫る何者かに対し、電子の眼を光らせているはずであった。本土より発進した人員降下用の五機。スロリアより発進し、二時間前に合流した装備及び物資投下用の六機。それがF-15Jの守るべき対象であり、これよりスロリア奥深くに迫ろうとしている空挺部隊の陣容であった。
「降下準備。総員整列せよ」
降下長の厳かな声に、空挺隊員たちは立ち上がった。着け慣れた装備は彼らにとって決して苦になるものではなかったが、この日だけは一層に重く、そして繊細なものに感じられた。輸送機の機上整備員が、ゆっくりと、慎重な手付きで機体側面のドアをスライドさせ、スロリアの冷たい朝風を男達の頬に感じさせた。
「本当に……来たんだ」
誰かが、ポツリと言った。
外は未だ薄暗く。そして彼らの舞い降りるべき大地は見えなかった。
――――だが、この遥か下の大地では、我々の仲間が侵略者に対し烈しい戦いを続けている。
――――だからこそ、我々は此処に来た。
『―――――こちらアルファ。降下予定地点に到達。装備の投下を開始する―――――』
先行する降下第一陣四機は、一列になり予定地点上空に到達。車両及び弾薬を投下する。
続けて進入した第二陣は二機、これらは迫撃砲、対戦車砲、そして重機関銃といった重火器を投下。
……最後に、人員を乗せた第三陣五機が続く。
『―――――こちらブラヴォ、只今より物資を投下―――――』
「…………」
人員を乗せた各機のドアより身を乗り出す形で、先頭を切る隊員の一人は、まじまじと姿を現しかけた戦地を見詰めていた。
「どうだ……いけるか?」
傍に立つ降下長が、彼に囁く。隊員は大きく頷くと、声を張り上げた。
「行かせて下さい!」
『―――――こちらチャーリー、降下一分前――――』
―――――沈黙。
『――――降下30秒前――――』
―――――少なからぬ人間によって飲まれる固唾。
『――――降下まで10秒。8、7……』
―――――決意と諦観。
―――――そして、犀は投げられる。
『――――3、2、1……降下、降下、降下……!』
――――連続するブザー。
――――安全灯の赤が、緑に変わる。
その直後、白みかけた空、輸送機の周囲に幾重もの白く丸い落下傘が瞬間的に生まれ、浮かんだ。落下傘は纏った規模を維持しながら朝空を漂い、緑の大地に降り立ち、そして躍動する兵士の姿となった―――――
――――後に、ローリダ共和国国防委員会公刊戦史は、この時の状況を以下のように表現している。
『――――12月17日、スロリア中南部。最後のニホン兵は空から降り来たった。これを以てニホン軍の我が軍に対する包囲網は完成するに至ったのである……』




