第二四章 「烈火の攻勢」
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後7時21分 スロリア中北部
―――――高度32000。
地上と薄紫色の蒼空とを、分厚い雲海が隔てていた。ただ電子の目のみが、眼下の漆黒の奥底を捉えていた。
|多機能表示ディスプレイ《MFD》の地上探査レーダー画像は鮮明そのものだったが、それでも、ただ荒涼たる平原の地形を映し出しているのみだ。それは当然、偵察機を駆る搭乗員の求めるものではなかった。航空自衛隊第501飛行隊所属のRF-15DJ戦術偵察機は、ノイテラーネの基地を飛び立ちすでに三時間あまりを戦域の監視に費やしていた。
16日の本格的な戦闘開始と前後し、PKFは現在4機の戦術偵察機を戦域上空に放っている。そして現在、その内三機がスロリア中北部に指向されていた。現在に至るまで南下を続けているであろう敵地上軍の増援を探知すべく……
戦車と各種装甲車両を中心とする装甲野戦軍。それが予想される敵増援部隊の内実であり、現在戦況を有利に進めつつあるPKFにとっても決して気を抜けない相手となるはずであった。偵察機の任務はいち早くそれを発見し、G-STARS地上警戒管制機と協同し北上する陸自機甲旅団を的確な迎撃地点まで誘導することにある。
『ヒヨドリよりスカラベ――――周辺空域に脅威は存在しない。3-3-1へ針路を取り、監視を続行せよ。高度27000を維持――――』
「――――スカラベ、了解」
AWACSの指示に従い、押し下げた操縦桿。
加速――――HUDの高度数値が、勢いを増し下がっていく。
眼前にせり上がる雲を幾重も越え、慣性航法システムの導くまま、RF-15DJは緩やかな軌道を描き機首を転じた。
12月8日の作戦開始とその後に数度行われた航空戦の末、大損害を受けた敵空軍は今では完全に鳴りを潜めている。だが偵察衛星は、ノドコール地域内の主要基地に未だ少なからぬ数の作戦機が残っていることを教えていた。後方の健在な敵空軍基地を攻撃し、敵の航空作戦能力を完全に削ぐことは空自の悲願だったが、戦線拡大を望まない東京の政府と統合幕僚監部の意向を反映し、作戦を行う予定は今のところ存在していない。
RF-15DJの鷲のような機影が石柱の如く聳える層雲の傍を通り、その根元へと機首を転じかけたそのとき――――
『――――電波探知システムに反応!……策敵電波複数……!』
後席の兵装システム操作員 高野 司 一等空尉の報告に、機長 剣崎 久郎 一等空尉は、暗闇の支配する地上に視線を転じた。ELSはすでに地上から交錯する電波を感じ取り、耳障りな警報をコックピット一杯に鳴り響かせていた。
MFDのレーダー警戒ディスプレイに目を凝らす――――発信源は機体から10時の方向。
『ECM起動させますか?』
「待て……」
と言いかけた剣崎一尉の眼前を、複数の黄色い焔の花が咲いた。敵はこちらに気付いている……!? だが敵の打ち上げる高射砲は距離が足りず、こちらの眼下で炸裂するばかりだ……落ち着き払った声で、剣崎は言った。
「WSO、地上の様子がわかるか?」
『…………!』
一方で合成開口レーダーの探知精度を上げ、MFDに映し出された画像に、高野一尉は息を呑んだ。
『敵装甲車両多数。自走砲と思われる……30……いや50はいます!』
「スカラベよりG-STARSへ、大規模な敵機甲部隊を発見。我現在攻撃を受けつつあり、位置は―――――」
報告を続けながら、剣崎はゆっくりとRF-15DJの機首を上げた。HMDの高度数値が、再び急激な上昇に転じる―――――
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後7時24分 スロリア中北部 「グルヴァーデス」戦車連隊
天を突く自走高射砲の、長大な砲身から放たれる焔が、地平線を白銀に飾り立てていた。巨人の足音の如き発砲音は各所で次々と重なり、漆黒の蒼穹を炸裂弾の焔を以て飾り立てた。
否、高射砲弾だけではなかった。自走対空機関砲、対空榴弾、歩兵の機銃……凡そ対空に動員されうる全ての兵器が、連鎖的に白銀色の光弾を雲に覆われた夜空に投掛けていた。だが、その何れもが正確な命中など期していない。自軍の移動レーダーは高高度を高速で移動するニホン軍の攻撃機を捉えるには貧弱すぎ、対空砲火自体の精度もまた決して芳しいとは言えなかった。
スロリアのローリダ共和国国防軍将兵にとって、空の脅威はもはや本能的な恐怖となって浸透している。ニホン軍は昼夜の別無く作戦機を飛ばし、投下される爆弾は正確に味方上空に着弾。現在に至るまで味方に甚大な損害を与え続けている。赤竜騎兵団に実害は及んでいないものの、各地の戦線から上がってくる被害状況と、味方航空戦力の壊滅が、空の傘を持たない彼らを過敏にさせていた。
専用の指揮戦車の砲塔から上半身を出し、「グルヴァーデス」戦車連隊長 ロフガムス‐ド‐ガ‐ダーズ中佐は、苦虫を噛み潰したような表情で光芒に染まる夜空を睨んだ。炸裂弾の放つ光によって、只でさえ巌のように彫りの深い容貌が一層醜く鬼気を孕んだもののように照らし出された。
「何をうろたえているのか? 赤竜騎兵団は……!」
悪天候の下、敵機が幾ら強力な攻撃力を持つとはいえ、散開した陣形のこちらに効果的な攻撃などできるわけが無い。無分別な砲撃は、かえって敵にこちらの位置を暴露するだけではないか?
合流を果し、すでに二時間……植民地軍司令部直属の「グルヴァーデス」戦車連隊と本国軍司令部直轄の赤竜騎兵団との間は決して友好的なものにはなっていなかった。その両者が共に車両を連ね、植民地軍救援の任を帯びた本国軍の先頭を切って南下を続けているのは、ただ彼らにとっての戦場が同じ場所に存在し、その移動速度も拮抗しているからに過ぎない。共和国きっての勇猛な指揮官とされ、ニホン軍に対する8月の攻勢では機械化部隊を率いてその名声の健在なることを証明して見せたダーズ中佐にとって、戦況は今や予想外の方向へと進んでいる。
簡単に言えば、本来スロリア東部進攻の主軸として快進撃を約束されていたはずの、南方の味方主力は開戦からわずか二週間程度の内に一転し危機に瀕し、その命運はニホン軍の予想外の反撃を前に風前の灯である。その事実だけを取ってみても、ダーズが赤竜騎兵団に信頼を置いていない理由は十分に存在したのであった。
―――――赤竜騎兵団は何故、会戦勃発の時点で南下しなかったのか?
もし、ノドコール北東部に展開していた赤竜騎兵団がニホン軍の接近に呼応しいち早く動いていれば、戦闘に間に合ったはずではないのか? それなのに赤竜騎兵団は本国からの指令をタテに1リークも部隊を動かさず、徒に時を浪費したばかりか、植民地軍の主力が危機に陥った時点で初めて動き始めたのだ。あたかも味方の犠牲を踏み台に敵に消耗を強い、終局的な味方の危機に際し恩を売るかのごとくに……植民地軍司令部の命令一下、まる三昼夜を掛けノドコール中部より進軍し追及してきた「グルヴァーデス」戦車連隊とはまったく状況が違うのだ。
しかも、わずか40両程度の戦車しか持たないこちらとはまるで比較にならぬ圧倒的な陣容――――主力を構成する3個戦車連隊と、それに付随する多種多様な装甲砲兵と機械化歩兵部隊から成る強大な装甲野戦軍たる赤竜騎兵団と、それに随伴する三個師団とを主力とする本国軍がいち早く南下しニホン軍と激突していれば、現下の戦況にも少なからぬ変化が訪れたであろうことぐらい、幼年学校の生徒でも判るというものだ。
本土の連中は勝つ気があるのか!? 憤然とし、ダーズは自らの座乗する戦車を見下ろす。彼が乗り込んでいるのは、紛う事なき最新鋭のガルダーン戦車だったが、彼の指揮する「グルヴァーデス」連隊には8両しか配備されていない。それ以外は旧型で攻撃力も防御力も決して高いとは言えないガルド―7騎兵戦車。これだけ見ても、いかに本国がお膝元の部隊を優遇するあまり最前線の部隊に必要な最新の装備を回してこなかったか判るというものだ。
全軍に停止を命じ、ダーズは各級小隊長を呼び集めた。南西の林道沿いに迂回し、前線後背に出る旨を部下に告げる。
「赤竜騎兵団と協働しないのですか?」
という部下の問いに、ダーズは頭を振った。
「あやつらは独力でニホン軍に対することしか考えていない。従って我等はいち早く南方の主力を援護できる位置に展開しなければならん。それに、林道を行けばいくらか欺瞞も可能だろう」
「空軍は、一体何をやっているのでしょうか? 我々はこそ泥のように空の目を避けて進まねばならない羽目に陥っているというのに……!」
と吐き捨てるように言った部下の一人を、ダーズは睨み付けた。後方のノドコールで航空戦の指揮を取っているであろう親友エイダムス‐ディ‐バーヨの苦悩が思い出されたのだ……この時点で、親友たるバーヨが作戦失敗の責任を問われ事実上の謹慎状態に置かれていることなど、前線にいる彼には知る術も無かった。
――――出撃の間際、ダーズは電話でキビルにいるバーヨと会話を交わした。
『……すまんなロフガムス。こちらは支援を出せない。君らを丸裸で前線に送り出すのは正直辛いが、頑張ってくれ』
「何を言っているエイダムス……」
受話器の向こうで悄然とする親友を、ダーズは笑った。怯惰からではなく親友としての心遣いからエイダムスが話しかけていることをこの豪胆な男は知っていた。
「我々は丸裸ではない。しっかりと鎧を纏い、槍を前方へ構え、兵の過半を失おうと敵陣まで進撃するまでだ。それが共和国軍人というものだろう?」
『……ああ!』
「エイダムス」
『何だ……?』
「後方の守りを、しっかりと頼む。間違っても、こっちへ来るんじゃないぞ」
『……ロフガムス?』
「さもなくば、この俺に何かあったときに我々の戦いを語り継ぐ者がいなくなるじゃないか」
『…………』
受話器の向こうで、バーヨは笑った。若い、それでいて苦々しい笑いだった。
―――――植民地駐留軍に属する戦車の隊列は整然たる赤竜騎兵団より分離し、眼前の森へとその進行方向を転じようとしていた。先行する偵察用ハーフトラックの加速する砂埃が、星明りの下で微かな陰を作っていた。指揮官専用ガルダーン戦車の砲塔から、次第に遠ざかりゆくガルダーンの隊列を睨みながら、ダーズは呟いた。
「本国軍の大ばかどもめ、戦争は我々がやる。貴様らはそうやって身勝手な勝利とやらに拘っているがいい……!」
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後7時37分 スロリア中北部 赤竜騎兵団
『「グルヴァーデス」隊、離脱していきます……!』
偵察部隊が報告をもたらしてきたとき、赤竜騎兵団司令官 ヒダナス‐ル‐カ‐ファヴリリアス中将は大型トラックを改造した指揮通信車で、彼の幕僚たちと遅い夕食に興じていた。
「如何致しましょう……?」
困惑がちな連絡士官を、ファヴリリアス中将は忌々しげに見遣った。指揮官に疎まれたことを自覚し緊張する士官に、彼は顎をしゃくる。「黙って去れ」の合図だった。
平民は場を弁えず、折角の憩いの場に余計な茶々を入れてくる。貴族が生来備えているような国家の命運を掌るに相応しい品格と深慮に欠ける、と中将は思うのだった。貴族階層出身のこの若い将軍は、部下士官の出自の悉くを諳んじ、平民以下の階層出身者には露骨なまでの嫌悪感を示すことで有名だったのである。
ファヴリリアスは若かった。中将の身でありながら年の頃はまだ30代の前半でしかなかった。過去二名の執政官、三名の国防軍最高司令官を輩出した名門貴族の家に生まれた彼は国防軍幼年学校、士官学校ともに主席で卒業し、以後を共和国国防軍の中枢で栄達を重ねていった。その「中枢」に彼個人の軍人としての才幹が繁栄される機会も余地も、殆ど無きに等しかったが―――――
そして、彼が30代の若さで掴んだ将官の地位と共和国最強の戦闘集団たる赤竜騎兵団の司令官という顕職!……高貴な生まれの若き指揮官は、自らの出自と閨閥の効用によって手にした圧倒的なまでの破壊力を掌る喜びに、未だ酔っている観があった。
再びアヴァル鹿のローストにナイフを突き立てながら、そのファヴリリアスは言った。
「……その。『グルヴァーデス』隊の指揮官は貴族出身か?」
「いえ、地方の大地主の生まれらしいですが……」
「……さもあらん、田舎者は短慮なやつが多い。遺伝子の段階で欠陥があるのだろうな。我々に付いて来さえすれば、ニホン人の骨ぐらいは分けてやったものを……」
若き指揮官の軽口に、幕僚達は笑った。外部よりもれ伝わってくる状況の悪化にも拘らず、彼らは未だ戦況を楽観視していたのである。彼の指揮する大戦車部隊の重厚な布陣が、却ってその楽観を補強しているような観があった……この地上に赤竜騎兵団の向かうところ、我らを越える戦闘力を持つ敵など、果たして何処に存在するであろうか?
「賢明な判断でしょう。ポンコツ戦車が主体の連中では、我々の攻勢について来れまいに……」
「まあいいさ……これで近衛軍団の面目も立つというもの」
幕僚達の談笑を聞き流しながら、ファヴリリアスは何杯目かのワインを満たしたグラスを傾けた。本国を出立する間際、義父たるカザルス‐ガーダ‐ドクグラム国防相が出征の餞に差し入れてくれた最上級品だった。中将はおもむろに立ち上がると、ワイングラスの中で紅い液体を弄びながら窓辺に歩み寄った。
「諸君、あれを見ろ……!」
カーテンを開け放った窓から広がる、闇夜を蠢く戦車の群れを、ファヴリリアスは陶然と見詰めた。
「我々には文明の集大成とでも言うべき機甲軍団があるのだ。時は既に熟している。東方の蛮族如き、ガルダーン戦車の覆帯の錆にしてくれるわ」
一人の幕僚がワイングラスを掲げ、音頭を取った。
「赤竜騎兵団に、キズラサの神の加護あらんことを……!」
「暴戻なるニホン人に神の裁きを……!」
「我等共和国鉄騎兵団に、栄光あれ……!」
幕僚達の唱和は忽ち一座を埋め尽くし、場を静かなる熱狂へと染めていく。
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後8時54分 スロリア中北部
横隊の間隔は広く、その速度は怒涛という表現を用いるに相応しいものであるように思われた。戦車隊は目に見えぬ秩序に従い、50㎞/時前後の速力で平原を突き進んでいた。
土埃を上げて進む何れの車両も、視認性を抑えるべく照明を灯しているものは皆無だった。それでも余裕ある車間距離を保ったまま快速で前進を続けられるのは、九〇式戦車の搭載する高精度な前方赤外線監視装置(FLIR)の為せる業であった。
九〇式戦車は、「転移」より二十年近く前に制式採用され、配備が開始された陸上自衛隊の主力戦車である。日本を取り巻く周辺情勢の比較的平穏な時期に開発と配備が行われたため、その調達ペース、そして配備数ともに決して多くは無く、当初の定数を満たさぬ内に後進の一〇式に数の上での主力戦車の座を譲るに至っている。現在ではその全てが北部方面隊の第七師団に配備されているが、その性能は高く、後進の一〇式に比しても未だに第一級といってもよかった。一〇式に引き継がれたコンパクトかつ平低なフォルムはやはり列国の戦車に比して小振りだが、攻撃力且つ防御力もまた一〇式と同様に強固なものを持っていたのだ。
PKF陸上自衛隊第71機甲旅団に所属する第7偵察隊戦車中隊の九〇式戦車8両は前衛を兼ね、北上する機甲部隊の先頭を進んでいた。中隊長たる及川 伸 二等陸尉の指揮する九〇式戦車はその偵察中隊のほぼ中央に位置し、及川二尉は車長用のペリスコープを通じ、周囲に監視の視線を送っている。
「…………」
車長用のペリスコープは、平原の地平線を、流れるように広がる稜線を幻想的なまでの緑色の輪郭を成して映し出していた。パッシヴ式赤外線暗視装置は、こちらから赤外線を発することなく周囲の情景を掴むことを可能にし、九〇式戦車に昼間と変わらぬ策敵、交戦能力を付与するに至っている。策敵能力の向上は、突発的な遭遇戦においてこちらが先手を取られる事態を大きく減じさせることにも繋がり、その逆に敵に対し先制攻撃をかけることもまた可能であった。
……それに、こちらには上空からの「電子の目」も味方している。また、先行する偵察隊より後方2000mから本隊の第71戦車連隊が追及しており、いざ戦端を開いても迅速な介入が可能だった。
「トラ01よりG-STARSへ、送れ……」
ペリスコープの暗視カメラを通じ映し出されるモニター画像に目を凝らしながら、及川は上空のG-STARS地上警戒管制機を呼び出した。ややあって、明瞭な女性の声がイヤホンに入ってきた。
『――――こちらG-STARS、トラ01何か?』
「彼我の相対距離を報せられたい。周辺に依然敵影は認められない。我の針路は間違いないか? 送れ」
『―――彼我の距離7km、敵戦力は戦車17両に装甲車両12両。現在時速42kmで南東へ移動中。接触まであと3分』
「トラ01、了解した」
速度を上げ、及川の指揮する九〇式戦車は眼前の稜線を飛び越えた。油気圧式サスペンションは着地の衝撃を綿のように吸収し、九〇式戦車は駿馬の如く加速を続け一気に部隊の最前へと躍り出た。
そして―――――
「…………!」
見えた!……前方の広大な平地に点在する複数の青白い影に、及川二尉は一瞬我が目を疑った。
旧型の74式戦車のそれによく似た敵戦車の影。
ビューファインダーのボタンを押し、倍率を上げる――――
暗視装置はその球形の砲塔をはっきりと視認し、像は動悸とともに及川の網膜に迫ってくる。
それらはサーマルサイトの中で生き物の如くに蠢き、こちらとの距離を縮めてくる。
自ずと、出てくる報告―――――
「トラ01より師団本部へ、前方に敵影を視認。戦車8両……9両……敵車両依然増加中」
『師団本部了解―――――71戦連は直ちに現地に追及、状況を開始せよ――――』
『――――こちら71戦連了解……敵影を視認次第状況を開始する』
イヤホンに飛び込んでくる各級部隊の交信を聞き流しながら、及川は言った。
「砲手、第一目標敵戦車、前方一時に照準……わかってるだろうな?」
「初弾命中、でしょう?」
と、砲手の水谷陸士長が言った。幾多もの過酷な設定状況下で訓練を積み、実戦を潜ってきた勇士としての自信が、その口調には含まれていた。初弾命中は対戦車戦闘の帰趨を制する上で必須の条件だ。
「徹甲装填!」
「徹甲装填よし!」
水谷陸士長がボタンを操作し、九〇式戦車の自動装填装置は驚くほどスムーズな動作で弾倉より装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)を選び出し、120㎜滑腔砲内に送り込んだ。その間も九〇式戦車は全速で走行し、彼我の距離はさらに詰まっている。
「照準よし! 何時でも撃てます」
と、砲手用照準機を覗きながら水谷士長が声を上げた。レーザー測距装置により砲手はリアルタイムで敵との相対距離を掴み、そして前方監視赤外線と連動した照準装置は精密射撃に必要な諸元を自動的に射撃管制装置に入力し続けていた――――それも高速で行進しながらに……!
「距離3000を切りました」
「ようし、撃てェッ!」
ドンッ……!
「命中ッ!」
必殺の行進間射撃!……放たれた装弾筒付翼安定徹甲弾は初弾でガルダーン戦車の砲塔を貫通し、炎上させた。その間にも及川二尉は車長用のペリスコープを巡らせ、すでに新たな目標を捉えている。九〇式戦車の砲手用照準機と車長用照準機は独立して存在し、砲手が目標を捕らえ続けている間、車長は第二の目標を策敵、照準することが可能なのだった。
「第二目標九時!……戦車!」
「徹甲装填よし!」
「照準よし!」
「ッてェッ……!」
ドォンッ……!
「命中ッ!」
勝利の感触は、もはや及川たちだけのものではなかった、偵察隊の九〇式戦車の何れもがすでにガルダーン戦車との交戦に入り、一方的な行進間射撃で敵戦車を撃破していた。各所で上がる着弾の炎、それに包まれる戦車の巨躯……何れもがローリダ共和国国防軍のガルダーン戦車のものだった。九〇式戦車はそれら火柱の間を縫うように駆け回り、射撃を続け、敵を次々と撃破していった。
ローリダ軍にしてみれば、陸自機甲部隊の攻撃は全くの奇襲に等しかった。闇の覆う前方より、それも自軍の射程外からいきなり攻撃され、赤竜騎兵団の先頭集団を形成する第208戦車連隊の各車は反撃する暇さえ許されずに次々と撃破されていったのだ。そこに後続の陸自第71戦車連隊が加わり、被害は比較級数的に増大していく。
戦闘開始より30分……赤竜騎兵団の先鋒たる第208戦車連隊は壊滅状態に陥ろうとしていた。
そして更なる脅威は第208戦車連隊の上空を飛び越え、後背に位置する第45戦車連隊に襲いかかろうとしている―――――
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後9時24分 スロリア中北部
重複するローター音の響きは夜の静寂に紛れ、そして吸い込まれたが故に拡散することはなかった。
攻撃ヘリの一群は丘陵のどす黒いうねりを眼下に、一糸乱れぬ編隊を崩さぬままに戦闘地域へと向かっていた。その飛行高度は低く、編隊を成す機体の大半が地上の暗闇に溶け込み、もはや夜の一部と化していた。
獲物を伺う豹の唸りの如く、地表スレスレに広がるローターの轟き――――――
『――――観測機より各機へ、まもなく戦闘地域上空――――』
―――――眼前に広がるのは、緑色のヴェールの掛かった地上の光景。
先行するOH-1観測ヘリコプターの報告に、PKF陸上自衛隊第3対戦車ヘリコプター隊所属のAH-64DJ ロングボウ‐アパッチ攻撃ヘリコプターの操縦士 村上 士郎 一等陸尉は統合ヘルメット表示照準システム(IHADSS)を通じ、肉眼に直に映し出された地表にその鷲のような眼を凝らすのだった。
IHADSSは、計器やHUDに頼らずとも、直にパイロットの網膜に昼間のように鮮明な画像を投掛けてくる。慣れるまでが大変だが、一旦手の内に入ればこれほど便利な装備は無かった。まるで機体と一体化し、機体を自らの身体として空を駆けているような錯覚に誘われる。
コックピット計器盤右側の、戦術情報表示用MFDにはデータリンクを通じ、G-STARSより刻々と送信される彼我の位置が地形も交え表示されていた。そのお陰で、攻撃ヘリ部隊はこちらから策敵レーダー波を出さずに低空飛行(LLF)に専念できる。
―――作戦では編隊は目標の側方に進出し、射点に付く。
―――彼我の距離、すでに20km。
―――MFDは、その彼我の間を隔てるようになだらかな山地が東西に伸びていることを示していた。
―――隠蔽には、絶好の位置。
『――――観測機より全機へ、我これよりレーダー策敵を開始する』
ロングボウ‐アパッチと同じく、OH-1もまた改装によりスタヴウイング下に策敵用ミリ波レーダーを搭載している。改良型OH-1はAH-64Dと同じくFLIR、TVセンサー、レーザー等を活用した目標捕捉及び指示照準システムを搭載し、他の攻撃ヘリが発射したAGM-114M「ヘルファイアⅡ」対戦車ミサイルを目標まで誘導できる。攻撃へリ隊の先頭を行くOH-1が収集した情報は、データリンクにより瞬時の内に攻撃ヘリ隊全機の共有するところとなり、より効率的な攻撃を可能とするのだ。
観測機上昇―――――そしてレーダー波走査完了まで、わずか6秒。
直後、村上機のMFDに、山の向かい側を進軍する敵機甲部隊の布陣が眩いばかりの輝点の連なりとなって浮かび上がった。火器管制システムは即座にそれらの情報を記憶し攻撃目標を選別、目標の優先度まで割り振ってしまう。
すごい……!
MFDに映し出された画像に、村上ならずとも絶句したに違いない。山一つ隔てた敵の布陣は圧倒的ですらあった。この一戦で敵の撃滅を期していた村上達には、直後の戦闘が数的に辛い戦いになることが予想されたのだ。移動する敵はMFDの矩形の中で、さながら輝点の奔流となって蠢いていた。
不覚にも、奥歯がガチガチと震えた。
操縦桿とコレクティヴ‐レバーを握る手に、汗が滲んだ。
―――彼我の距離 7km。
『―――指揮官機より全機へ、敵の殲滅を期し、状況を開始せよ!』
攻撃隊指揮官の浅井三佐の命令が全機の通信網を駆け巡り、命令の赴くままにコレクティヴ‐レバーを握る手に力が篭った。
地上スレスレから脱し、山を見渡す高度まで上昇した瞬間。起動させたM-TADSが目標を捉え、ガナー席のMFDに敵影を映し出した。
「敵影、視認……!」
MFDに収まる一両の敵戦車の影。だがそれは影というにはあまりに鮮明だった。砲塔の輪郭はもとより、吹き上げる排煙まで野獣の息遣いのようにMFDの中で蠢いていた。改良型赤外線画像探知装置は闇夜という障害を廃して見事に敵影を捉え、ガナーの氷川准陸尉のイヤホンに電子音を鳴り響かせている。照準はロックされ、そこに攻撃を躊躇う理由などもはや無かった。
「発射ッ……!」
AH-64Dのスタヴウイングから飛び出す一条の火点。放たれたヘルファイア対戦車ミサイルは照射されたレーザーの誘導するまま飛翔し、目標へと突っ込んでいくだけだ。それは村上機だけではなかった。夜空を裂く火点の群れは一斉に地上を行く赤竜騎兵団第45戦車連隊の直上に殺到し、ほぼ同時に複数の目標を貫き、炎上させた。
「…………!?」
驚愕する間を、そしてその驚愕を克服する機会をも、地上のローリダ軍将兵は瞬時にして失った。第一撃で16両のガルダーン戦車が完全破壊され。その数秒後には18両がその後を追った。
「何だ? 何が起こったのだ!」
第45戦車連隊長 スルヴァキティス中佐もまた、状況を掴む術を永遠に失った。第三撃目で彼の座乗する指揮戦車は側面よりヘルファイアの直撃を受け、中佐は車両諸共四散してしまったのである。指揮官の戦死は、瞬く間に全軍の指揮系統に混乱をもたらし、破壊を増幅させた。
『敵戦車一両撃破ッ!』
戦術情報表示用MFDには、ヘルファイアの直撃を受け炎上する敵戦車の姿が、明瞭に映し出されていた。氷川准陸尉の弾んだ声に無感動さを保ったまま、村上一尉は機を旋回させ、混乱する敵部隊に接近させた。
「ガナー、策敵を継続せよ」
『……第五目標敵戦車。方位11時。ロックしました』
「発射!」
間を置かずして放たれる火矢。鮮やかな軌道を描き、ヘルファイアは再び一両の敵戦車を破壊した。操縦桿のスウィッチ操作によりMFDの画像をミリ波レーダーへと切り替える。かつては奔流のような輝点で埋まっていたであろうレーダー画像からは、もはやその大半が消えていた。
『――――こちら二番機、一両撃破!』
『――――三番機、攻撃を開始する……!』
『――――反撃を受けている。援護してくれっ!』
『――――こちら隊長機、離脱、離脱せよ。援護する』
MFDから視線を転じた外―――――そこからは、焔と共に立ち上る黒煙の輪郭を、肉眼でも朧げながら掴むことができた。その焔は一つではなく、見渡す限りの闇に覆われた一帯を飾り立てるように各所で瞬いていた。その光景に目を細めながら、村上は言葉を漏らした。
「まるで……墓標だな」
『え……?』
「……いや、なんでもない。兵装をロケット弾に切り換え、掃討に入る」
『……了解!』
機首を翻し、村上の駆るAH-64Dは、再び敵地上空へと降下していった。
大勢は、もはや決した。
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後10時37分 スロリア中北部
「だめです、通信が繋がりません……!」
苦渋に満ちた通信士官の報告に、赤竜騎兵団司令官 ヒダナス‐ル‐カ‐ファヴリリアス中将は狼狽の色を隠さずに地図に目を凝らすのだった。
いったい、何が起こっているのだ……!?
発端は、つい二時間ほど前だった。司令部中隊と第一戦車連隊から、南東に30リーク離れて展開していた第208戦車連隊を主力とする部隊が、『敵との遭遇』を示す通信を最後に、一切の送信を断ったのである。
それに続くこと一時間前、今度は南西23リークの距離に展開していた第45戦車連隊を基幹とする部隊が、『敵襲』を匂わせる電文を最後に、同じく消息を断った。
司令部直属部隊の左右に、戦車連隊を主軸とする機甲部隊を布陣させ、機動力と打撃力とを生かし敵軍を包囲殲滅する――――それが機甲軍団たる赤竜騎兵団の戦い方であり、事前の計画であった。だが現在、その基本戦術を揺るがす事態が起こりつつある?
両翼の部隊は壊滅したのか?……否、彼等がそう簡単に撃破されるわけが無い……では、両翼の部隊は何をやっているのか!? 混乱とも煩悶とも付かない感情に若き司令官は冒され、未だ見ぬ敵に内心で恐怖した。
「どうなさいますか?……閣下」
彼一人に集中させる視線の中に疑念と不安を隠さない幕僚達の「無責任さ」が、ファヴリリアスの癇に障った。いい気なものだ!……彼らは自分の思っていることを何の気兼ねも無く顔に出せるとは……!
一人の幕僚が、意を決しファヴリリアスに語りかけた。
「閣下、状況をキビルに報告すべきです。全軍が総崩れにならないうちに、キビルの連中にスロリア駐留軍を撤退させましょう。そうすれば我々の任務も自然消滅し、撤退の口実もできるというもの」
妙案に思えた……少なくとも、一人を除いては……その一人、ファヴリリアスは吐き捨てるように言った。
「バカな……だれがスロリア駐留軍を助けろと命令した。我等がアダロネスより課せられた任務はあくまで敵軍の撃破である。駐留軍の不始末は連中の手で片を付けるべきだろう?」
「…………!」
絶句する幕僚達には目もくれず、ファヴリリアスは言った。
「前進だ……敵の通信妨害など取るに足らん。左翼、そして右翼の部隊もまた前進を続けているはず。今一度、両翼の部隊に命令を徹底させよ」
「…………」
「どうした?……返事が無いぞ」
「ハッ……!」
軍団はその移動速度を増し、土煙を蹴立てて進むその様子は上空を行くOH-1の赤外線暗視装置にも捕えられていた。
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後10時39分 スロリア中北部
『――――――こちらアルファ、敵の大規模な戦車部隊の南下を視認。位置C-44、敵部隊の移動速度時速40キロ。依然南下中』
『こちら普通科教導連隊了解。直ちに伏撃態勢に入る』
「――――対戦車隊了解」
送信機のスウィッチを切ると、第72対戦車隊指揮官 宍道三等陸佐は、背後を振り返って声を荒げた。
「敵が来るぞ。迎撃準備急げ……!」
すでに展開を終えていた隊員が、命令一下各所に巧妙に擬装された機材の操作を始める。有事に際して応急的に編成された72対戦は、通常の対戦車隊に比してその装備を格段に増強されている。装備の主力は87式対戦車誘導弾を16基、そして96式多目的誘導弾を8基だ。全て73式小型トラックや高機動車に積載でき、従って機動力は他の装甲部隊に比してはるかに高い。
協働する普通科教導連隊はG-STARSと偵察ヘリの偵察情報に基づき、現時点でこれより接触するであろう敵戦車部隊の右側面を突くべく、全力で迂回機動中だ。普通科教導連隊の主装備は89式装甲戦闘車で、これは35㎜機関砲を積むと同時に79式対舟艇対戦車誘導弾をも搭載し、装甲車クラスならば瞬時に撃破できることは勿論、限定的ながら対戦車戦闘能力も持っている。また、所属する普通科分隊にも01式軽対戦車誘導弾が充足しており、これほどの陣容ならば敵の戦車軍団相手に一戦交えることは十分に可能だ。
72対戦が敵の前進を食い止め、その間隙を突いて普通科教導連隊が敵の側面を突く―――――上空はるか彼方より戦域を鳥瞰するG-STARSは、携帯用戦術情報表示ディスプレイを通じ、地上の彼らにそれをなさしめるだけの十分な情報を与えていた。
高機動車の、96式多目的誘導弾六発を収めたコンテナが一斉に競り上がる。その周囲を発射機の操作員、そして警戒の普通科隊員が小銃を肩に提げて固唾を呑み見守っている。複数の通信回線もまた各所に隠蔽され、分散配置された87式対戦車誘導弾が配置を完了したことを緊張した声で伝えてくる。
『――――アルファより72対戦へ、彼我の距離3000まで接近、敵部隊依然南下中』
ヘリからの情報と期を同じくして、前面に分散展開した87式装備の各小隊より、続々と敵部隊視認の報告が上がってくる。小隊によっては射撃許可を求めるものもあった。それらを制しつつ、宍道は軽装甲機動車を改造した指揮通信車据え付けの戦術情報表示端末を凝視し、敵がさらに接近するのを待つばかりだ。一斉射撃で、かつ同時弾着が攻撃の形態としては望ましい。そうすれば敵の損害と混乱を一層に増幅できる。
「指揮官より全隊へ、彼我の距離2000を切るまで待て」
抑制された声で命令し、さらに戦術情報表示端末に目を凝らす。敵戦車を示す赤い×点の連なりはさらに接近を続け、味方部隊を示す黄色い×点はその数が疎らながらも南下してくる敵を半包囲する形になっていた。
距離2000を切った……反射的に暗視双眼鏡を構える。覗いた画像の先に、平原を蠢く敵戦車の山のような影が幾つもディーゼル煙を巻き上げ蠢いていた。
「MPMS発射用意。各小隊にも伝達急げ」
『初弾発射用意。目標敵戦車、撃発は全車両。着弾地点A3……初弾発射始め!』
空気を震わせ、ガス圧によりコンテナより投射されたMPMSは各両に付き一発。虚空に投げ出された直後、安定翼を展開したMPMSは瞬時にしてロケットエンジンに点火し、夜空へと向かっていった。MPMSは赤外線画像誘導方式であり、先端部のシーカーの捉えた画像は光ファイバー通信で誘導車に送信され、誘導車からの遠隔操作により目標まで誘導されるのだ。
『目標確認、命中まで五秒……三、二……』
宍道三佐は無線機に声を荒げた。
「各小隊は各個に敵戦車を捕捉、これを撃破せよ!」
『だんちゃぁ――――く……今!』
直後、平原の各所に眩い光が生まれ、それは次の瞬間には紅蓮の炎となった。MPMSが投射された槍宜しく正確に敵戦車の上部装甲を貫き、炎上させたのだ。ほぼ同時に平原の各所から飛び出す赤い光弾、それはバリバリと空気を震わせながら、レーザー照射機の誘導に従い凄まじい速度で敵戦車へと向かっていく。各所で伏撃体勢を取っていた87式対戦車誘導弾の小隊が一斉に攻撃を開始したのだ。光弾が敵戦車の側面や砲塔に吸い込まれた直後、同時に数両の敵戦車が焔の塊と化した。
「引き続き次弾発射を継続せよ……!」
命令を下すまでもなかった。続々と打ち出されるMPMSは夜空を切り裂き、無防備な上空から次々に敵戦車に襲い掛かる、87式対戦車誘導弾もまた巧妙な陣地変換を続け、相互に援護しながら続々と敵戦車を撃破していく。
伏撃に直面した形となったローリダ軍第1戦車連隊は混乱した。それはもはや収拾不可能な混乱だった。第一撃で中隊~小隊指揮官クラスが多数戦死、各隊は指揮系統を寸断され、混乱は醜悪な同士討ちさえも生み、破壊をさらに増幅させた。
――――そこに、迂回機動を終えた普通科教導連隊が参入した。
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後10時37分 スロリア中北部
普通科教導連隊、その内実は装甲歩兵連隊である。戦車との戦闘をも可能にした装甲戦闘車に援護された歩兵部隊。それは普通科教導連隊の他には第71機甲旅団に属する第11普通科連隊があるのみだ。
普通科教導連隊に属する89式装甲戦闘車の一群は枯草を蹴立て、そして巻き上げながら敵戦車軍団の側面へと展開を終えていた。その中の一両――――竹崎陸曹長の指揮する一両は全速で平原を駆けながらも、その赤外線監視装置の中に回避行動中の一両の敵戦車を捕らえていた。攻撃を躊躇う理由などなかった。
「ぅてぇっ!」
砲塔を震わす振動!……裂帛の気合と共に放たれた79式対舟艇対戦車誘導弾は、赤い噴煙を引き摺りながら敵戦車に向かっていた。赤外線探知と有線誘導併用の79式は、後進の87式や01式に比していささか時代遅れの観があったが、それでも上陸用舟艇への攻撃も想定されているという点では、一発辺りの威力は両者よりも遥かに大きい。
命中!……その瞬間、天を突くような黒煙が上がる。敵戦車は跡形もなく吹き飛び、赤外線監視装置の中で無残な残骸と化していた。小隊の各車がそれに続き、矢継ぎ早に誘導弾を放っていく。
『―――こちら二号車、一両撃破!』
『―――命中、一両撃破した!』
『―――第二小隊長より全車へ、隊員を降車させ、戦果を拡大せよ』
竹崎の指揮する車両も、二発目の79式誘導弾でさらに一両の戦車を撃破した。撃破を確認し、竹崎は搭乗する普通科隊員に降車を命じた。ブザーの鳴ると同時に、普通科隊員は一斉に装甲戦闘車の周辺に散開し、各個に対装甲戦闘を開始する。彼らを89式装甲戦闘車は35㎜機関砲と7.62㎜機銃で援護する。
「……敵装甲車っ! 二時方向!」
指示一下、機関砲手の西嶋二等陸曹が迅速に反応し、照準をつける間も無く35㎜機関砲をぶっ放した。接眼式サイトを通じ夜間に浮かび上がる箱型の車体、その図体に二発、三発と機関砲弾が吸い込まれていく。僅か数発で敵の装甲車は爆発の焔に包まれ、内部より火達磨になった搭乗員を吐き出した。
「……一〇時方向、敵自走砲! しっかり狙え!」
「りょっ了解!」
サイトを転じた先、無蓋の自走砲と思しき車影が粉塵を巻き上げながら回避を続けていた。その鈍重な図体を、赤外線監視装置を備えた照星はすでに捉えていた。機関砲を単射から連射モードに切り替え、西嶋二曹は発射ボタンを押した。
ドンドンドンドンドンッ……!
発射の度に吐き出される空薬莢が、西嶋と竹崎の足元で山を作っていた。車内に充満するむせ返るような火薬の臭いに、西嶋は自分が鼻血を出していることに気付かなかった。
「命中!」
弾んだ声を上げる西嶋の覗く接眼サイトのはるか先で、炎上し停止した敵自走砲の、断末魔の姿があった。それを竹崎が確認した時、イヤホンに命令が入ってきた。
『――――連隊長より全小隊へ……敵は退却する模様、普通科教導連隊は只今よりこれを追撃に入る』
終ったか……竹崎はハッチを開け砲塔から半身を乗り出した。夜風の運んでくる草原の匂いに混じり、燃料と金属の燃える臭い、そして血の臭いが何処からともなく漂ってきた。草原の向こう、勢いよく沸き起こる焔を背景に、降車したばかりの普通科分隊の指揮官が握り拳を掲げ、部下隊員に前進を促すのが見えた。
『――――こちら第72戦連。間も無く戦域に合流――――』
別働の第72機甲旅団が敵部隊を既に撃破したことを、通信から竹崎は知った。
『――――こちら11普連、72戦連の参入を歓迎する。追撃戦に加わってくれ』
『――――72戦連、了解』
「前進だ……うちの指揮官がよしというまでな」
汗ばんだ頬に冷たい夜風を感じながら、竹崎は操縦士に指示を下した。その上空を、AH-64DJの編隊が新たな獲物を見出すべく低空で通過して行く。
戦いは、これからが佳境―――――
スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後11時20分 スロリア中北部
かつては威風堂々と戦域を驀進していた大戦車軍団は、いまや敗残兵の列と成り下がっていた。
司令部直属の第一戦車連隊だけでも、指揮下の戦車の総数はすでに60両を切っていた。その内戦闘に堪えられるものは僅かその半分。あとは戦闘能力の過半を喪失し、実質装甲を纏った棺桶にも等しかった。赤竜騎兵団にはガルダーン戦車以外に対戦車戦闘能力を有する車両もあるにはあったが、その数は戦車同様忽ち撃ち減らされ、いまや些細な勢力を保っているのに過ぎない。
それでもなお、この機甲部隊は南下を続けていた。それは任務達成への苛烈なまでの意思のなせる業ではなく、単に惰性の導く結果にも等しい。
「撤退などできるか……!」
前線指揮官専用の指揮車の中で、ファヴリリアス中将は屈辱と敗北感とに肩を震わせていた。彼専用の豪奢な指揮車は既に敵の発射したミサイルの至近弾により大破横転し、命からがらに脱出した彼は指揮車を変えていたのだ。乱れたままの軍服と、頭に巻いた血に染まった包帯は、その敗残の証のようなものだった。
それは信じられない光景だった。無敵を呼号した赤竜騎兵団が伏撃を受け、一方的に撃破されるとは……!
ニホン軍は事前にこちらの出方を知り、待ち構えていた。それも我々の知らない、恐るべき兵器を以て――――
彼らの放つミサイルは一弾一弾があたかも意志を持つ生き物のように飛翔し、一撃でわが軍のガルダーン戦車をいとも容易く撃破してしまったのだ。僅か30分余りの交戦で赤竜騎兵団第一戦車連隊を主力とする機甲部隊は戦意と継戦能力を同時に喪失し、若き指揮官はなおも交戦中の部下将兵を置き去りに真っ先に戦線を離脱した。
「おのれ蛮族め……!」
不意に沸き起こった激発に任せるまま、ファヴリリアスはテーブル上の地図とワイングラスを弾き飛ばした。その指令室の隅では、生き残った彼の幕僚たちが、蒼白な顔を浮べ立ち尽くしていた。だが、意を決し一人の幕僚が彼より若い総司令官の前に進み出た。
「閣下、後退するべきです。一旦後退して態勢を立て直し、残存戦力を糾合し反攻に打って出るべきでしょう」
「蛮族相手に後退などできるか!」
鬼気を孕んだその目付きに、幕僚は後退りした。それに追い打ちをかけるように、ファヴリリアスは声を荒げた。
「何と言えばいい?……何と申し開きすればいいのだ!?……元老院に、軍に……ドクグラム義父上に!」
「…………!」
幕僚達の視線がファヴリリアスに集中した。彼らの若い司令官にとって、彼自身を総司令官と仰いで死んでいった部下のこと、この部隊のこと、そして今後の戦局のことなど考慮の外であることを幕僚達の多くが悟った。それは彼らにとって晴天の霹靂であり、横暴な司令官に対する圧縮された不満を爆発寸前までに追い込むに等しいものであった。
「閣下!……御気を確かにお持ち下さい。戦いは未だ終ったわけではありません。安全域まで後退し、態勢を整えれば勝機はいくらでもございましょう」
もはや勝機があると本気で考えている者など、この場には誰もいなかった。だが如何なる手段を使っても司令官を押し留めなければ、彼等自身、ひいては部隊全体の命運にも関わるというものである。それが幕僚達を諌言へと駆り立てたのだった。
「私は栄えあるローリダ共和国国防軍軍人だ。敗者でこそあれその場から尻尾を巻いて逃げるような卑怯者では無い……卑怯者になることなど……私にはできぬ!」
「閣下……!」
ドン……!
その轟音は微かではあったが、空気も重さも手伝ってか体の芯まで震わす不気味さを以てその場の全員に聞こえてきた。轟音の後に訪れた沈黙。異変に気付いた一人の幕僚が窓へと視線を転じかけた直後―――――――
各所で上がる着弾の火柱!……丘陵を越え交差する火線は残存の各装甲車両を次々と炎上させ、瞬時にして部隊を停止させた。
「何事だ?……敵襲か!?」
「どうやら……そのようです」
恐る恐る外へと出た一人の幕僚が、すぐさま司令室へ戻ってきた。顔を蒼白にさせて……
「……我が軍は、たった今壊滅しました……!」
それは同時射撃だった。PKF第71機甲旅団に属する第71、第2の両戦車連隊がG-STARSによる誘導の下敵の針路上で待ちうけ、戦車の砲列による包囲網を敷いていたのである。各車に搭載されたデータリング戦闘指揮システムは、いち早く敵部隊を発見したOH-1偵察ヘリの収集した各種情報を、即座に各車の戦術情報表示ディスプレイに反映させ、無線に拠る調整に頼らない誤差コンマ0.1秒以下の同時射撃を可能とした。従来なら複数に重複して聞こえるはずの射撃音が一発しか聞こえなかったのは、そのためだったのだ。
我が軍は、完全に敵に包囲されている?……だが、その事実をファヴリリアスが受け入れるのは不可能に近かった。そのとき、通信士官が声を上げた。
「入電……敵軍からです」
「何だと……?」
即座に、幕僚が電文を読むよう通信士官を促した。
「読みます……我、貴軍に降伏を勧告す。貴軍の装甲部隊はその過半をすでに我が軍により撃破されたり。貴軍すでに継戦能力の過半を喪失するに至り。我が方同情の念を禁ぜざるところなり。貴軍よく戦いたり。我、貴軍勇士の貴重なる生命の、これ以上に蕩尽されたるを哀惜の情を持って悔いんとするものなり。貴軍には願わくば些末なる矜持を捨て、我が軍門に来たらんことを望むものなり。我人道と寛大なる処遇とを以て貴軍勇士諸君に報いんとす」
「…………!」
心なしか、晴れやかな表情と共に幕僚達は互いの顔を見合わせた。ニホン軍は降伏を認めず、ひたすらに自軍を殲滅するまで攻勢をかけてくるものと彼らは考えていたのである。その彼らに、無駄な戦を避け降伏を申し出る理性があったとは……!
「蛮族に降伏などできるか……!」
テーブルを打つ拳とともに叩き付ける様に出た司令官の言葉が、幕僚達を忽ち現実へと引き戻した。ファヴリリアスは血走った眼差しを周囲に巡らせ、隅に固まるように立つ幕僚達を睨み付けた。
「降伏など認めぬ。この上はあくまで戦い、共和国軍人の誇りを祖国と眼前の蛮族どもに示すのだ!」
そう呻くように言い放ち、ファヴリリアスは通信士官に向き直った。
「通信士官、やつらに返電しろ。我武人の名誉の何たるかを知り、汝武人の道を弁えず。この上は最後の一兵卒に至るまで敢闘し、共和国軍人の名誉を汝らに知らしめん……以上だ!」
「…………!」
騒然とする幕僚達を他所に、ファヴリリアスは声を荒げた。
「何を恐れることがある? 本国の連中に一度蛮族の捕虜になったと知れてみろ。貴様らはもとより本官のアダロネスにおける立場はどうなる!?」
一人の幕僚が、意を決して彼の前に進み出たのは、そのときだった。
「ヒダナス‐ル‐カ‐ファヴリリアス中将閣下、共和国国防軍軍規第107条23項に基づき、現時点を以て貴官の赤竜騎兵団総司令官の権限一切を剥奪し、身柄を拘束いたします」
精神的錯乱や指揮能力の喪失を理由とする、緊急避難的な指揮官の権限制限及び剥奪は軍規で認められている。だが、今になってそれを持ち出すとは!……当のファヴリリアスの顔に浮かんだのは、驚愕というより嘲弄の念だった。
「貴様! 自分の言っていることがわかっているのか?……衛兵、直ちにこやつを射殺しろ。抗命罪だ!」
だが一歩を踏み出したものの、衛兵は動かなかった。岐路に立つ自らの生命と司令官の命令……その何れを脳裏で天秤に掛け、彼らは量りかねているのかのようであった。業を煮やしたファヴリリアスが自らの拳銃を引き抜き、幕僚に向けた瞬間――――――
複数の乾いた銃声が、狭い司令室内を交錯した……その後には糸の切れた木偶のように、不自然な姿勢で斃れた総司令官の射殺体が残された。
ファヴリリアスに向けられた拳銃は四丁、その何れもかつては彼に仕えていた幕僚の腰に提げられていたものであった。自らの司令官を葬った幕僚達は互いに顔を見合わせ、ほぼ同時に同じ表情をする。
進言した幕僚が、あまりのことに愕然としたまま動かない通信士官に言った。
「……通信士官返電しろ、総司令官閣下は自決。貴軍の降伏勧告を受諾すると」
「はっ……!」
通信士官の了解する口調に、安堵の響きが含まれていたのは、決して気のせいではなかった。
――――その瞬間、無敵を呼号したローリダ共和国陸軍 赤竜騎兵団はスロリアの原野に消滅し、ローリダ軍は反攻の主力を失った。
日本国内基準表示時刻12月17日 午前0時9分 東京 防衛省中央指揮所
『―――――PKF司令部より報告。第71、72の両機甲旅団は敵機甲部隊を撃破。引き続き第11旅団及び空自の航空支援の下、後続の敵地上軍の機動打撃に移行し、所定の任務を終了し次第南下、中南部戦線に復帰するとのことです』
オペレーターからの報告の直後、薄暗い部屋中の空気が安堵となって昇華していくように、この場の少なからぬ人間に思われた。
地上戦における最大の関門――――――敵機甲部隊の撃破は成功裏に完遂された。それも演習でも考えられない鮮やかな展開で。昨日の2039の状況開始から現在に至るまで、防衛省中央指揮所の戦術情報表示スクリーン上で展開されていたのは、空地一体となった典型的な機動打撃戦及び包囲殲滅戦のコラボレーションであったのだ。
「やりましたね。幕僚長」
色めき立つ幕僚達の弾んだ声にも、統合幕僚長 植草 紘之の顔からは、一切の表情の変化を窺い知ることはできなかった。戦術表示モニターの青いスクリーンに険しい視線を注ぎ、無言のまま受話器を取ると、植草は朝霞の陸上幕僚監部を呼び出した。
「……松岡君に繋いでくれ」
松岡陸幕長を呼び出すと、植草は切り出した。
「イル‐アム方面の戦況だが、どうも思わしくない。それに機甲旅団の攻勢を逃れた少なからぬ規模の機械化部隊が密林を縫って浸透しようとしている兆候がある。君はどう思うか?」
『同感です。ですがその方面に回す予備兵力が足りません。こちらは不動のオーダーですし、その大半を南部戦線に貼付けにされております。このまま放って置けば前線の崩壊にも直結するでしょう』
「防御もしくは遅滞目的でいい、可及的速やかに……厳密には五時間以内にイル‐アム方面に中規模の兵力を投入する方法はないか?」
『あるといえば……あります』
「何だ?」
『ですがそれには防衛大臣の許可を頂きませんと……』
植草の脳裏で、何かが弾けた。
「それか……!」
『幕僚長……連中の行く先は地獄ですが、連中は泣いて喜ぶでしょう』
「……よし、わかった」
会話を終え、植草は受話器を置く――――
沈思に似た瞑目――――それに続く少しの沈黙
――――そして目を開け、植草は幕僚に言った。
「……追加派遣だ。すぐに該当駐屯地に動員命令を出せ」
「該当駐屯地といいますと……」
植草の目が、一層に険しさを増した。
「決まっている……習志野駐屯地だ」




