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第二三章 「地獄の谷」

スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後2時5分 スロリア中部


 ―――――長い間、甘美な夢を見ていたような気がしたが、それが何か具体的には思い出せなかった。そして再び眼を開けたとき、ハーレンは油と火薬の臭いの充満する、じめじめした壕の中に身を横たえていた。


 「大尉殿、お目覚めですか?」


 傍らに付き添うアスズ‐ギラス准尉の声に、眼を開けたハーレンは応じようとしてやめた。不意に襲ってきた疼痛が、彼から一時的に思考の自由を奪ったのである。包帯を巻かれた頭を庇い、それでも何とか半身を起こそうとするハーレンを支えながら、准尉は湿布に覆われた痛々しい顔で笑いかけた。


 「准尉……派手にやられたな」

 「大尉殿の足元には及びませんよ」

 そのとき、ハーレンはあることを思い出し、顔から血色を失った。

 「私の中隊は?……ナガス中佐は!?」

 「…………」


 ハーレンの問い掛けに、ギラスは苦々しく頭を振るばかりだった。


 「大尉殿をお連れするだけで……精一杯でありました。申し訳ありません」

 「そうか……准尉が助けてくれたのか」


 砲声は、今だ遠い各所で轟いていた。准尉は自らの負傷も省みず人事不省になった自分を野戦病院に担ぎ込み、そして応急処置の後退院の手続まで取っていてくれたのである。


 「退院ぐらい、自分でやったのに……」

 と言うハーレンに、准尉は再び苦い顔をした。

 「野戦病院は生き延びる宛も無い重傷者ばかりで地獄も同然ですよ。せめて大尉殿が嫌なものを見ないうちにと思いまして……」

 「…………」


 悄然とするハーレンに、話があると准尉は言った。


 「臨時編成の増強旅団司令官が、大尉をお呼びです。回復したらすぐに出頭するようにと……」

 「増強旅団……?」

 「聞いて驚かないで下さい。あのセンカナス‐アルヴァク‐デ‐ロート大佐が指揮を取っているんです。そのロート大佐が、大尉を指揮下に加えたいと言って来たんですよ」

 「本当か……?」


 「名指揮官」としてのセンカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートの名は、ハーレンのような一前線指揮官でも知っている。


 その彼が、自分を呼んでいる?


 ――――そして准尉を連れ、向かった増強旅団の指揮所


 「第26師団、第二対戦車中隊長のハーレン大尉であります」


 指揮用の地形図に作図用ペンを走らせる手を止め、センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートは硬い微笑を浮べ、出頭してきた青年士官をまじまじと見詰めた。数刻の視線の交錯の後、ハーレンの目の前で、彼と数年しか年の違わない「雇われ旅団長」は、形ばかりの敬礼をしてみせる。


 「増強旅団の臨時司令官、ロート大佐だ。宜しく頼む」


 ロートはハーレンに椅子を勧めた。固辞するハーレンに無理強いをするまでもなく、ロートは再び指揮卓の地図へと向き直る。


 「情勢はどうなっているのでありますか?」

 「端的に話せば、厳しいな」

 「厳しい……?」

 「我が軍は後退し、戦線を整理して再び反攻に転じることになった」

 「後退……!」


 絶句……だがその判断に、内心で共感を覚えるハーレンもまた存在した。確かに、現在のままではニホン軍の圧倒的な攻勢を防ぎ止められるかどうか……かと言って、巧く戦線の整理を果たしたところで、戦闘を優勢に進められるという望みも殆ど無かったが……


 ペンを置くと、ロートはハーレンに顎を杓った。「外に出よう」の合図だとハーレンはすぐに察した。いち早く指揮所を出たロートに続き、ハーレンとギラスの他、ロートの従兵らしき一人の少年兵が三人の後に続いた。谷を見渡せる高台まで歩いたところで、ロートは前方に広がる丘陵を指差した。


 「……あの山の中に、少なくとも一個大隊相当のニホン兵がいる。連中は空からやって来てあっという間に野戦陣地を形成してしまった」

 「……また、空ですか?」


 複雑な表情を隠さないハーレンに、ロートは苦笑した。

 「彼らと我々とでは装備も違えば戦争の仕方も違う。我々は正面火力を重視するが、ニホン人は機動力を以て我々に対抗している。それも、圧倒的な機動力だ」

 「ですが。今はその彼等が守る側、なわけですね」


 ハーレンの言葉に、ロートは頷いた。

 「彼等がいる限り効果的な後退など不可能に近い。谷を奪回し、退路を開く必要がある。やってくれるか?」

 「退路……?」

 「正面にいる部隊は、何時までニホン軍の攻撃に持ち堪えられるかわからない。彼らのことだ、機動力に優れた別働隊を北上させ、我々の増援部隊を待ち構えていることだろう。結局援軍は間に合わない……その短い間に、我々は全力を尽くす必要がある」


 勝算はない。だが、行うに足る意義を持つ任務であることをハーレンは知った。背を正し、彼の最後の上官にハーレンは敬礼した。


 「このハーレン、微力ながらお手伝いいたします」

 「すまない……大尉」


 敬礼……ロートのそれは、生を賭した者のみの持つ迫力を伴っていた。




スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後3時5分 スロリア中部 イル‐アム谷


 「信管調整よし……!」

 「榴弾装填……!」

 「――――照準よし……撃て!」


 断続的に轟き、広がっていく野砲の咆哮……そして丘陵の各所に土色の花が咲いた。

 土色の花はその周囲に破壊の環を撒き散らしながら拡大し、次々に丘陵の斜面を多い尽くしていく。それは一面では、切迫したローリダ共和国植民地軍の最後の抵抗を暗示しているかのようであった。

 だが退避壕から着弾の様子を見守り、直ぐにも下りるであろう前進命令を今か今かと待っている増強旅団の将兵の目には、攻勢に転じたことに起因する高揚感が宿っていた。それは防勢にあっては決して宿ることの無い勝利への執着の表れでもあるのだった。


 「突撃まであと30秒……!」


 既に将兵の全員が小銃に着剣し、分隊支援機関銃もまた何時でも持ち出せるよう準備がなされている。小隊指揮官は誰もが口に警笛を加え、時計の針が予定前進時刻に達するやいなや、即座に号令を出せるようにしていた。その彼らの背後で砲声はさらに勢いを増し、続々と釣瓶撃ちに砲弾の雨を敵陣へと注いでいる。


 ――――― 一方、急造陣地の退避壕の中で、PKFの隊員たちは野鼠のように蹲り、襲い来る爆風と振動に耐えていた。

 日頃の研鑽と訓練の賜物か、巧妙に構築された塹壕は、これまでのところ見事なまでに敵の砲弾を防いでいる。だが……それも何時まで、そしてどれくらい持つかこの場の多くの者には確証が持てないでいた。


 対砲レーダーがあれば……と、指揮壕に篭る佐々二佐ならずとも歯噛みを禁じえない。敵砲弾の速度及び軌道はもとより、その発射位置をも特定できる対砲レーダーを配置できれば、それらから得た情報を元に航空支援で敵砲兵を叩くことができる。だがそれはできない相談だった。対砲レーダーは重くて嵩張る上に、平坦さに乏しい地形では設置が困難だったのだ。この狭隘な地形では、小型の対人地上レーダー装置を隠匿配置するのがせいぜいだったのである。


 それでも多くの者が、これが一過性の暴風に過ぎないことを日頃の訓練から教えられていた。何れこの忌々しい砲撃は終わりを告げ、敵は真打を繰り出してくる。そのときこそ、自分達が何十倍にもして「お返し」をする時だと彼らの多くが信じていた。


 ―――――そして、沈黙が訪れた。


 陣地一帯を覆う濃い硝煙の霧。


 その中でも、対人レーダーは警笛とともに丘陵の麓に迫り来る敵兵の影を捉えていた。

 警笛―――――敵兵の前進を告げるそれは、銃を構えた先の遠方からは遠く、かつ儚い響きを持っていたが、それを聞く隊員たちにとって悪魔の角笛を聞くのにも似た圧迫感を以て迫ってきた。


 崩れかけた退避壕から這い出ると、俊二もまた警笛の鳴る方向―――――敵の駆け上ってくるであろう前方へと小銃を向けた。その傍らには、松中一士が顔を硬直させ同じく89式小銃を向けている。二人と同様に、丘陵に散開する隊員もまた銃を構え、濃霧とともに迫り来る攻勢に抗おうとしている。

目と鼻を劈く火薬の異臭など、近い未来のことを考えればもはやどうでも良くなっていた。火薬以上に心身に堪える鮮血の臭いを嗅ぐことになる、近い未来のことを考えれば―――――


 傍らに置いた対人指向性地雷の遠隔操作スウィッチに、俊二はさり気無く目を転じた。出来うれば、クレイモアは使いたくなかった。一度スウィッチのレバーを捻ったが最後、それは炸裂とともに700個の鉄球を高速で前方に撒き散らし、迫り来る敵兵を粉砕するのだ。その様を想像するだけで、陣地構築の疲れが癒えない身体には辛い。


 そのとき――――


 足音――――?


 それも多数。


 圧倒的に多数。


 銃の触れ合う硬質な響き――――?


 喊声――――!?


 眼前の硝煙が揺らぎ、次の瞬間には黒い壁がゆっくりとその姿を現す。


 黒い影はさらに次の瞬間には、こちらへ銃剣を構えた敵兵の緑衣の壁へとかわる。


 「…………!」


 すんでのところで押し止めた奥歯の震え。


 ダットサイトの輝点は、すでに眼前の影を捉えていた。


 しかし、肝心の指が、引き金に触れたまま震えていた。


 眼を細め、


 しがみ付くように、


 俊二は小銃のグリップを握り締め、誰かに祈る。


 必ず、生き抜けるように……



 雪崩の如き敵影が、防衛線各所に設置した対人レーダーに捉えられた瞬間、スクリーンを睨んでいた陸曹が叫んだ。


 「敵歩兵、第一防衛ラインに達しました」

 「撃てっ……!」


 直後、丘陵の斜面でこれまで鳴りを潜めてきた81㎜迫撃砲、そして頂上部に設置された120㎜迫撃砲が、自陣へと殺到する緑色の波目掛けて次々と咆哮を放った。砲撃に必要な諸元は、対人レーダー、そして普通科部隊とともに前線に突出している前進観測班(FO)によって巧緻なまでの精密さを以てもたらされている。あとは砲手が迫撃砲弾をその砲身に落とし込むばかりだった。


 滑空音―――――!


 ―――――敵前線に殺到するローリダ兵がそれを聞いたときには、全ては遅かった。


 「…………!」


 迫り来るローリダ兵が密集した隊列で斜面に一歩を記した直後、空を切るような滑空音とともに巨大な土柱が次々に立ち上る。突進する彼らは、雷の如く振り下ろされる迫撃砲の着弾に十数名単位で吹き飛び、昏倒を強いられた。


 それはローリダ兵にとってまさに洗礼にも等しかった。敵陣に打ち込む野砲や榴弾砲こそ持ってはいても、歩兵に向かい急激な上昇軌道を描いて直上から突っ込んでくる砲弾というものを、彼らはこれまで知らなかったのだ。しかもそれは豪雨の如く続々と着弾し、吹き上がる土柱を目の当たりにして前進はおろか後退すら不可能となった隊が続出した。そこを、新たな着弾が将兵の肉体を引き裂き、四散させてしまう。特に120㎜迫撃砲は射程の面で見劣りするものの、その威力は150㎜榴弾砲のそれに匹敵する。戦闘開始から数分も経たずして、いち早く敵の防衛線に達した複数の小隊が、迫撃砲の豪雨の如き集中砲火に捉えられ、瞬時にしてその継戦能力を喪失した。


 悲鳴と喚声、そして衛生兵の名を連呼する声が怨嗟の如く一帯に充満する。それでも少なからぬ数の兵士が、ある者は全力での疾駆の末、そしてまたある者はじりじりとにじり寄った末に迫撃砲の弾幕を突破し普通科隊員たちの篭る塹壕へと殺到した。



 照星の中には、銃剣を構えて駆け上がってくる緑色の人影がしっかりと収まっていた。


 それも一人ではない。


 その隣に一人、


 その背後にまた一人、


 隊列は圧倒的なまでの量感を持って、漣の如く丘へと押し寄せてくる。


 ハァ……ハァ……ハァ……ハァ


 気がつけば、次第に荒れてゆく自らの息遣いに喉を震わせる俊二がいた。それでも震える指で、彼は引き金の遊びを引いた。


 「まだだ……まだ……」


 自分に言い聞かせた直後、隣の松中一士の構える89式小銃が軽快なバースト射撃を放った。照星を睨み続ける俊二の遥か眼前で、一人の敵兵が前のめりに倒れた。


 「…………!」


 それが切欠だった。知らず、俊二の指に力が入り、フルオートで放たれた銃弾は忽ち二、三名の敵兵を俊二の眼前で昏倒させる。同時に、各塹壕に篭る隊員達が一斉に射撃を始め、89式小銃やMINIMIの弾幕を密集隊列に叩き込み、手榴弾を投げ込んだ。


 銃撃!……手榴弾の炸裂! 普通科隊員の眼前で全身を貫かれ斜面を転げ落ちる敵兵、絶叫と共に顔面を押さえその場に蹲る敵兵、地面に伏せ味方の死体を盾に銃で応戦する敵兵……烈しい十字砲火を前に隊列は大きく乱れ、突撃の勢いを削がれながらも、ローリダ軍の闘志はなおも衰えてはいないかのようだった。物陰に敷設された分隊支援機関銃の援護を受けながら、緑色の軍服は餓えた蟻のごとくに尚もにじり寄って来る。


 ―――――期を同じくして、ゴルアス半島方面より増援されてきた西部方面普通科連隊の守る一角にも、ローリダ軍の攻勢は殺到していた。


 ドンッドンッドンッ……!


 89式小銃の最後の数発を撃ち尽くすのと、迫り来る一人の敵兵を倒すのと同時だった。


 「装填っ……!」


 怒声にも似た号令と共に、城 士長は箱のような弾倉を機銃に叩き込む。そして撃つ、撃つ……撃つ!


 その城の傍らでは長田 一士がMINIMIを構え、途切れることの無い射撃音を響かせていた。ベルト給弾式のMINIMI分隊支援機関銃は、閃光の瞬きの如くに弾丸を吐き出し、怒涛のごとく向かい来る敵兵を薙ぎ倒していく。


 その射撃音が、一発を吐き出した直後に止まった。異状に気付き振り返った城の傍らで、長田は蒼白な顔で機銃の機関部を弄くっていた。


 「どうした長田!?」

 「先輩っ……ジャムった!」

 「このバカッ!」


 自分の顔からも血の気の引く音を聞きながら、城は再び前線を省みた。迫撃砲や擲弾銃に勢いを削がれながらも、銃剣を向け突進する敵兵はその数を増し、こちらへ雪崩れ込もうかという勢いだ。防御網に開いた穴を、連中は見逃さず目ざとく襲ってくる。それだけ必死なのだろう。


 血相を欠いた顔をそのままに、城 士長はクレイモアの遠隔操作スウィッチを取り出した。


 その一瞬――――銃剣を振り上げ飛び掛らんとする敵兵の充血した目と、城の目が合ったとき、城は思わず叫んだ。


 「神の敵に死を……!」

 「クタバレ糞野郎共!」


 そして――――


 勢いをつけて摘みを捻った―――――



 ボンッ……!


 ――――――発火装置の摘みを捻った直後、前方に真空が生まれたのを見たように、高津 三曹には思われた。

 発火とともに広がる血と火薬の臭い、そしてかつては敵兵だった肉片が、飛び散る金属球に切り刻まれて地面に落ち、ぶちまけられる生々しい音……凄惨という言葉を具現化したような光景が視覚と嗅覚、そして聴覚から男達を責め立てた。敵兵の立て篭もる塹壕を眼前にして彼の一捻りに斃れた敵兵は、明らかに十名を越えていた。


 予想外。


 ただ予想外……


 戦況を語るに、これ以外、そしてこれ以上の言葉を高津は持っていなかった。


 敵はこちらが谷を封鎖したと見るや、すぐさま襲ってきた。それも、これまで経験したことのない闘志を剥き出しにして、全力を上げて向かってきたのだ。しかもこちらは本来拠点確保のための軽歩兵部隊として編成された西部方面普通科連隊。彼らの任務は一時的な拠点確保と敵性勢力の制圧にあっても、その逆に本格的な拠点防衛など想定していない。


 だが、前線に立たされる隊員たちにとって、圧倒的な敵の攻勢を前にそんなことはどうでもよくなっていた。このような恐慌状態下で少しでも理性的になろうと勤めれば、それだけ敵の浸透を許してしまう。

 傍らの山崎 一士は、ただひたすらに89式小銃をセミオートの状態で撃ちまくっている。素早く狙いをつけて二発放ったかと思うと、他の壕を援護すべく側方に三発……そして再び前方に四発……その度に敵は倒され、停滞を余儀なくされている。


 高津もまた撃った。バースト射撃で二回……そのうち一発が前進した敵の指揮官格の眉間を貫いた。同時に、山崎が高津の肩を叩いて叫んだ。


 「高津三曹、あれを……!」


 蒼空の一点。ローター音を蹴立てて近付いてくる複数の機影、それは紛れもなく友軍のヘリコプター編隊だった。その中でも一際痩身の機影より成る編隊が、急激に高度を下げて敵軍上空へ機首を転じていくのを、二人は見た。



 ゆっくりと下げたコレクティブ‐レバー。


 傾けた機体――――


 コブラのコックピットから臨む戦場は、まさに混迷の度合いを深めようとしているように思われた。操縦席から臨む地上には、見渡す限りに敵兵が展開していた。


 「――――隊長機より各機へ、只今より掃射を開始する」

 『――――ツー、了解』

 『―――スリー了解!』

 『―――フォー了解した』


 陸上自衛隊西部方面隊 第4対戦車ヘリコプター隊に所属するAH-1S四機は、編隊長 森本明彦 一等陸尉の指示の下一斉に編隊を解き、地上へと突っ込んで行った。


 新鋭のAH-64DJ ロングボウ‐アパッチと比べるべくも無いとはいえ、AH-1Sコブラも対地攻撃に十分すぎるほどの重武装を持っている。機首下方のターレットには三連装20㎜機関砲を搭載、機体側面のスタブウイングにも左右各四基のTOW対戦車ミサイル及びロケット弾を搭載することができる。操縦席はタンデム方式であり、前席に銃手が座り、後席に操縦士が座るようになっている。前述の装備に加え、陸上自衛隊のコブラはレーダー及び赤外線警報装置及び夜間暗視装置、さらには超低空飛行を可能にする自律航法装置すら装備していた。


 目標は―――――イル‐アム谷に殺到する敵地上軍。


 森本機の銃手 川崎二等陸尉の睨むHUDに、銃を構え前進を続ける敵兵の一団が広がっていた。もはや目標を選り好みできるような状況ではないことは明白だ。


 「攻撃開始……!」

 「攻撃開始します!」


 間髪入れず、トリガーを握る手に力が篭った。


 ドドドドドドドッ……機関砲の鈍い発射音の連続。放物線を描いて敵兵に突っ込んで行く赤い曳光弾の束が地上で土柱を上げ、敵兵を昏倒させる。そこに追い撃ちのロケット弾も加わり、破壊と殺戮を拡大していく。突然の空からの急襲に混乱する敵軍の上空を、コブラは舐めるように航過し上昇、体勢を整えて再び機首を巡らせ、機関砲及びロケット弾を撃ち込む。


 それはローリダ軍にとって、青天の霹靂にも等しかった。降り注ぐ機関砲弾が兵士の身体を引き裂き、ロケット弾の着弾が面単位で兵士を焼き尽くした。緒戦を生残った各部隊の残存戦力を糾合したのに過ぎない攻略部隊に、まともな対空戦闘能力など期待するべくも無かった。生残った敵兵が小銃で応戦を量るものの、それはまさに徒労と言うにも等しかった。



 空からの攻撃は元々断絶寸前だった隊列と指揮系統の混乱に一層の拍車を掛け、それは数刻を経ずして指揮所のロートの知るところとなる。


 『第三小隊より本部へ、増援を求む、至急増援を……!』

 『――――こちら第二中隊、中隊長戦死。死傷者急増により戦闘継続不能! 後退を許可されたし。繰り返す!……』

 『―――こちら第五小隊、生存者は本官以下二名、戦闘続行不能。指示を請う……!』

 「大佐……?」


 通信機より続々と入ってくる前線からの報告に、ハーレンは蒼白な顔をそのままに彼の指揮官を省みた。外面では平静を装っていたロートは黙したまま嘆息し、指示を出した。


 「撤退だ……一時撤退させろ」

 「しかし……司令部が……」

 「これは私の部隊だ。私以外の誰の意向を汲む必要があるか?」


 ハーレンは呆然とし、やがて納得したように頷いた。


 「……わかりました。撤退を指示します」


 ニホン軍は、強い……!


 作戦の当事者となって初めて、ロートはそれを思い知った。


 ニホン軍は攻めでも強いが、守りに入っても強い。


 ……否、むしろ守りに入ったニホン軍は、そうでないときよりも遥かに強固だ。


 誤算だった……敵を小兵力と侮り、力押しでイル―アムへと迫ったのが間違いだったのだ。

 だが……この借りは直ぐに返す。


 そのための目算を、ロートは既に立てていた。


 「攻撃は直ぐに再開する。負傷者の後送と各隊の再編を……」

 「ハッ、直ちに行います……」


 そう言いかけて、ハーレンは怪訝な顔をした。それに気付いたロートが、ハーレンに発言を促した。


 「言いたいことは……?」

 「再攻勢の発起は、何時になりますか?」

 「……それは今日中だ」

 「今日……?」

 「彼らは夜に地上戦の口火を切った。今度は我々も、彼らのやり方に倣うとしよう」




スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後5時2分 スロリア中部 イル‐アム谷


 UH-60のキャビンから臨む戦場は、すでに激戦の彩りに染まっていた。


 開け放たれたドアには銃手が陣取り、74式機銃の黒光りする銃身を荒涼の支配する台地へ向けていた。報道カメラマンの木佐慎一郎もまたキャビンから身を乗り出し、望遠レンズを向けて何度もシャッターを切っていた。

 

 敵の防空網に捉えられるのを避けるべく低空を行くヘリコプター編隊からは、地上の様子をかなりの鮮明さを持って捉えることができる。迫撃砲の弾着痕。折り重なるように倒れる敵兵……それらにフィルム一本を丸々使いきったところでキャビンに視線を移す。彼の眼前では、今まさに前線へ赴こうとしている増援の隊員たちが、ドーランに覆われた顔から、緊張に満ちた目を眼下の戦場にぎらつかせていた。

 

 それは木佐に、陸上自衛官時代に経験したレンジャー課程の、あの過酷な野外訓練の最終想定の雰囲気を思い起こさせる。事実便乗する隊員の中には正真正銘のレンジャー章保有者もいたが、彼らにしてからか、これから敵中に降り立つという緊張感に、一切の表情を奪われているかのように思われた。


 『――――間も無く着陸地点(LZ)に入る』


 インカムにより響き渡る機長の声……先行したヘリコプターは、未だ戦火の余韻の醒めぬ中を続々と急造の着陸地点に進入を果していた。

 

 増援及び物資の輸送と重傷者の後送、戦闘集団においてヘリの課せられる任務は多岐に渡る。そうしたヘリを多数擁する空中機動旅団にとって、ヘリは文字通りに馬匹にも等しい。だがその馬匹は馬以上に多くの物資を積み、馬以上の長距離を瞬く間に移動するのだ。


 一機が原野を切り開いた平地に着陸するや、武装した普通科隊員が続々と降り、割り当てられた持ち場へと早足で向かっていく。彼らと入れ替るように、担架に乗せられた負傷者が次々とキャビンに担ぎこまれ、負傷者を満載したヘリは素早く上昇し、戦場を離れていくのだった。

木佐の乗ったUH-60もまた、


 「オラオラッ、てめえらさっさと降りろ!」

 「貴様ら気を抜くな。ここが戦場だ!」


 分隊長の怒声一下、完全武装の普通科隊員がUH-60のキャビンより一斉に降着する。迷彩服に身を包み、顔すらどす黒いドーランに覆った厳しい集団に急きたてられるように、木佐はヘリからイル‐アムの地に第一歩を標した。


 「…………!?」


 ヘリから降りた途端、唐突に嗅覚に飛び込んでくる異臭に、木佐は口元を手で覆うようにした。それと同じ臭いを木佐は知っていたが、何度接したところで、それが慣れようはずの無いものであることをも彼は知っていた。そして今回ばかりは、臭いは酷すぎる。


 相当死んだな……そう感じざるを得ないほど一帯に漂ってくる死臭に、佐々は愕然とする。問題は、その死臭が味方から発されるものか、それとも敵から発されるものであるのかどうか、だ。

 陸曹に案内され、木佐は擬装網(パラキューダ)で天井を覆った指揮所の入り口を潜った。そこでは一人の陸佐が地形図を睨みながらトランシーバーを片手に防衛線と会話を交わしていた。陸佐は頭を上げ、この場で唯一の民間人をまじまじと見詰める。


 「誰だ、君は?」

 「おれ……こういう者です」


 差し出された名刺に、陸佐――――佐々 英彰 二等陸佐は久しぶりで文明に接した遭難者のように目を細めるのだった。


 「遠路遥々ご苦労さん、と言いたいところだが、ここは戦闘地域だ。戦える者以外の人間なんて正直お呼びじゃない。それに戦闘はこれから益々烈しくなる。すぐにここを出て後方に戻れと言っても……無理だろうな」


 その言葉に、木佐は内心で感銘を覚えた。陸佐の正直さに、信頼にも似た感情を覚えたのだ。


 「おれは、ちゃんと司令部の許可を取ってますし、誓約書も書いてます」

 「誓約書?……何を誓約したんだ?」


 木佐はジャケットのポケットを弄った。ややあって、皺くちゃになった用紙の写しを取り出し、佐々に差し出した。


 「なるほど……」


 一読し、佐々は苦笑する。写しの内容は、前線に赴き生命の危険に晒されても、当局は一切の責任を負うことは無いというものだった。佐々は傍に控えていた先任陸曹の大山 寿信 陸曹長に写しを渡し、発言を促した。


 大山は言った。


 「で……観覧席は何処が望みだ?」

 「まずそれより、戦況をお伺いしたいのですが……」

 「戦況は、わが方依然不利……だ」

 「不利……ですか?」

 「敵の第一次攻撃は撃退したが、未だ次があるだろう。来るとすれば……今夜だろうな。我々の任務はあくまで敵の攻勢に持ち堪え、主力の到着を待つことにある」

 「つまり……ここにいる皆にとって、今日が人生で一番重要な夜になるかも知れないということですか?」

 「まあ、そういうことだろうな。今夜を生き抜けば、誰しも望みはある」



 最前線の塹壕までは、一人の士長が案内をした。


 「あれをどうぞ」


 と、高良 俊二 陸士長が指差した先に、木佐は我が目を疑った。


 「あれは……!」


 丘陵の形が変わるかと思われるほどに積み重なり合う死体、死体、また死体……それが、木佐が初めて直に目にしたローリダ兵だった。気付いた時には木佐はカメラを上げ、本能の赴くままに死体の山へとシャッターを切っていた。


 「すごいでしょう……あれ」


 俊二は淡々と言った。戦果を誇るような素振りでは、決してなかった。


 「ああ……ひどいね」


 目を背けるように視線を転じた先―――――ひと三人がやっと入れる程度の蛸壺のような塹壕では、一人の隊員が一心に小銃の手入れをしていた。そこから距離を置いて掘られた塹壕では、増援の隊員がいままさに穴の奥底に下半身を埋めようとしている。


 「向こうの壕ね、二人とも後送されちゃって……」


 と、俊二は唇を噛んだ。緒戦を戦い抜いた者が決して多くないことを、木佐は知った。


 上空を行き交うUH-1ヘリコプターの機影。それは回を追うごとにせわしさを増し、ローターの風圧が辺りに漂う煙とも霧とも区別のつかない空気を巻き上げ、視界を妨げた。さらにはヘリコプターの爆音に混じり、遠方の空より近付いてくる金属的な響き――――――


 「…………?」


 それが空自の戦闘機隊であることに木佐は気付いた。そして木佐の目の前でジェットの爆音は四機のF-15EJとなり、F-15EJは緩やかな水蒸気の軌条を描いて敵陣上空へと向かって行った。




スロリア地域内基準表示時刻12月16日 午後5時45分 スロリア中部


 トラックの車列が止まると、近付いてくるジェット機の爆音が一層よく聞こえてくる。それはトラックの荷台で身を寄せ合うタナたちにとって悪魔の襲来を告げる角笛にも等しかった。


 混乱はすでに荷台の外で始まっていた。逃げ場を求めて走り回る兵士、対空機銃座に駆け寄る兵士……ニホン軍はとうとう、反攻の拠点たるこの場所を嗅ぎ付け、空襲を加えてきたのだ。


 だが、その光景を前にしても、タナたちは未経験故に戦場の現実に対し半信半疑だった。それでもどうにか現実に即した対応を取れたのは、外から野戦病院の面々に呼びかける将校や下士官の怒声あってのことだ。


 「早く降りろ! ニホン軍の戦闘機がやってくるぞ!」

 「荷物を下ろせ! 吹き飛ばされる前に早く!」


 従軍看護婦は我先に駆け降り、先任者の指示に従って荷物を下ろし始めた。医療器具に医薬品……これらはすでに前線では圧倒的に不足しているものだった。だから誰もが必死だった。荷物を下ろす人間には前線の兵士も加わり、手に手に物資を安全な壕へと放り込んでいった。


 着弾!……それは車列から近かった。遠方の弾薬集積所が火柱を上げ、炎は内部の弾薬や燃料を巻き込み連鎖的に黒々とした煙を噴き上げていた。焔の熱気を頬に感じながら、タナもまた胸に医薬品の詰った箱を抱え壕へと駆けた。


 「タナ! 早くっ……早く!」


 レイミ‐グラ‐レヒスが、声を上げ壕の入り口から手招きしていた。迫り繰る空を切る金属音に追い立てられるかのように、タナが息せき切って駆け込んだ直後、タナの背後一帯が紅蓮の光に包まれる。上空で分離したクラスター爆弾の、小爆弾の内数発が乗り捨てられたトラックの車列に飛び込み、そこで爆発したのだ。


 「トラックが……!」


 タナの胸に抱かれながら、レイミは外の惨状に目を奪われていた。タナも、そして他の将兵もまた、余りに早く苛烈な敵の攻撃に呆然としているしかなかなかった。


 これが……前線!?


 それは、タナが想像するそれとは明らかに趣の異なる前線。彼我の格差は圧倒的なまでに大きく、ニホン人は陸を、そして空を縦横無尽に動き回りローリダ軍を翻弄し、今現在に至るまで多大な損害を与えている。


 ―――――タナたちは、そんな前線にいた。


 空襲が過ぎ去り、同じ壕にいたロー‐ル‐スラ婦長が一人の士官に聞いた。


 「あのう、救護所はどちらでしょうか?」

 「救護所なら……」


 と、頭に包帯を巻いたその士官は顔を曇らせる。壕を出て、教えられた通りの道を歩いて進む途中、タナたちは前線の更なる惨状を垣間見ることができた。


 壕の何れもが、前線から命からがら後退してきた将兵で溢れている。彼らの多くが武器を捨て、文字通り着の身着のままで後退してきたが故に戦闘能力の殆どを喪失していた。ただ宛も無く形ばかりの配置に付き、毛布や襤褸切れを軍服の上から被って壕に身を潜めるばかりだ。暖を取るべき燃料、戦闘に使用すべき車両、通信所、そして補給物資など、凡そ戦闘に必要な全ては戦う前からニホン軍の空襲で悉く破壊され、部隊によっては戦う前からその戦力の過半を喪失しているものも多かった。


 ―――――そして、辿り着いた地下救護所。


 「あんたたち、どこほっつき歩いてたの!?」


 入り口を潜った途端に、彼女たちに血走った眼を向けた前線部隊所属の婦長の怒声など、タナたちはもはや聞いていなかった。入り口に足を踏み入れた瞬間に飛び込んできた異臭と、眼前の光景が、一瞬にして少女たちから言葉を奪ったのだ。


 「これは……!」


 絶句するタナの傍らで、ローは明らかに肩を震わせていた。

レイミが入り口の縁にもたれるようにして、足元から崩れ落ちた。


 「ひどい……!」


 決して狭いとは言えない救護所は、それこそ負傷者、重傷者で溢れかえっていた。その内三分の二は手の尽くしようの無い瀕死の状態であることぐらい、一目見ただけで医療に明るくない者でもわかる。それ程、救護所は看護士たちにとっての過酷な戦場と化していた。


 「ホラッ……そこに突っ立ってないで早くこっちに来て手伝いなさい!」


 と、一人の看護婦がタナを指差した。瞳は驚愕に揺れてはいても、無言のまま、鮮血に染まった救護所の床をタナは意を決して踏みしめる。自分にとっての戦いが、今始まったばかりであることを、タナは確信した。




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― 新着の感想 ―
[一言] 単射でもバーストでもなく連射って人道的じゃないですね
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