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第二〇章 「出撃! 白獅子艦隊」

ローリダ国内基準表示時刻12月13日 午前10時23分 首都アダロネス アダロネス港 海軍埠頭


 首都アダロネス市内と、市の中央部から北東にかけて流れるイヴェレ川で繋がっているアダロネス港の一角は、共和国黎明期の古くから海軍専用の埠頭として区画され、整備拡充が積み重ねられてきた場所であった。


 海軍専用の岸壁はもとより、海軍専用の造船所、補修及び補給施設、将兵の慰安施設、さらには将兵及びその家族の居住施設、そして工員の教育機関に至るまで、共和国海軍という自己完結型の集団を運用する上で必要な全ての設備がこの区画内に全て収容され、さながら一つの都市のような様相を呈していた。特に「軍港」アダロネスは、本土に計七つ存在する海軍外洋艦隊専用基地の中でも、特に広大な規模と充実した設備とを併せ持っていた。


 その真意は共和国ローリダの首都であり、共和国海軍全部隊を束ねる海軍本部の所在地であることもまた大きかったが、それ以上に大艦隊を収容するのに十分な広さを持つ湾内の四方をなだらかな山々に囲まれた区画は、内から守り易く外部より攻め難いという点において、海軍創設当初の未だ政治的な統一を果していなかった当時のローリダ共和国では優先的な造営の対象となっていたためである。事実山々の各所には共和政の黎明期より数多の軍港防衛用の砲台及び城砦の造営が積み重ねられ、この傾向は、現在に至るまで半ば慣例にも似た雰囲気の下で続いていたのであった。


 その日、普段ならば民間用埠頭のように見送りや出迎えの人々で賑わうことのない海軍埠頭は、その日に限り熱狂的なまでの喧騒に包まれていた。桟橋は盛装を身に纏い、共和国国旗や海軍旗をあしらった手旗を手にした人々で埋まり、出港に臨む海軍将兵の隊列に彼らの縁者を見出しては、弾けんばかりの激励の声を掛けていた。そこよりさらに目を凝らせば、埠頭や港内に停泊する海軍主力艦艇群の通例に増して多く群れている様子に、誰もが眼を疑ったことであろう。


 新たな「解放戦争」より三日が経過した現在、このアダロネスより3000リークを隔てたスロリアの戦況は思わしくない。


 市内の一有力紙が「政府関係者談話」という形で戦況の悪化を伝えて以来、競合関係にある各紙もまた政府や軍部との報道協定を破棄してそれに追従し、悪化しつつある戦況と前線の苦境は瞬く間に市内、ひいては本国に広まった。それ一方ではややもすれば前線に従軍する兵士の大半を供出している貧困層を刺激し、場合によっては彼らの大規模な反政府暴動の招来すら、その時点では元老院は覚悟せねばならなかった。


 だが戦況に責任を持つべき軍部を始め、政府や元老院は未だ自軍の優位なることを盛んに訴え、「転移」以来続く過去の戦役と戦勝とに馴れた国民は、こうした政府の言葉に未だ高い信頼を置いていた。 自軍の被害に関しても、政府や元老院は多くを黙して語らなかったが、共和国国防軍の精強なること、無敵なることを過去の戦役における実績と内外よりの宣伝により吹聴された国民の多くが、損害を彼らの許容しうる範囲であるように見做していたのである。したがって、国民は度重なる敗報にも意気消沈するどころか、敵に対し更なる気勢を上げ続けていた。


 「――――ニホンを倒せ! 何倍にもして蛮族に復讐せよ!」

 「――――スロリアに増援を……!」


 そうした国民の声に圧されたわけではなかったが、今日この日、元老院は数日前に下した軍事上の重要な決定を実行に移そうとしていた。


 それは悪逆なる敵手ニホンの命運を絶ち、戦局を一気に挽回するために必要な決断。


 元老院よりアダロネスの海軍本部を通じ、大型巡洋艦五隻、各種駆逐艦七隻から成る共和国海軍本国艦隊の主力に下令されたのは、日本近海に進出しての海上交通路封鎖任務と、迎撃に出るであろうニホン海軍の本国艦隊の捕捉撃滅であった。本国を進発した艦隊は途上の各植民地で補給と、現地で警備任務に就いている他の主力艦と合流を重ね、進発から約一週間後に最大で二十数隻もの大艦隊を形成し、ニホン本土の北東部近海に到達する見込みとなっていた。


 ――――その陣容はどうか?


 「陸に赤竜騎兵団あらば、海に白獅子艦隊あり」


 とは、共和国国防軍軍人が自軍の戦備の堅固なることを誇る常套句のようなものであった。白い獅子の紋様を象った海軍旗の下、重武装の大型巡洋艦を主軸とする水上打撃部隊は、搭載する各種対艦ミサイル及び多連装ロケット砲による敵の攻撃圏外からの火力集中を基本的な戦術とし、そのように発展を遂げてきた。その思想を実証するかのように共和国艦隊は過去の戦役において、さながら洋上を進軍する重装歩兵の如く前進し、立ちはだかる敵艦隊を完膚なきまでに撃破していったのだ。結果として海軍首脳の誰もが自軍の戦略の正確なることを確信し、それが将来に至るまで確固たるものであるように捉えていたのである。


 さる10日の「ゴルアス半島沖海戦」により、植民地艦隊は遠路進撃してきたニホン艦隊と交戦、出撃戦力の大半を失い敗退した事実は、もはや海軍本部の幕僚の誰もが知るところとなっていたが、彼らはこれを以て海上戦における敗退が決したとは考えてはいなかった。


 今次の開戦の敗退を、海軍本部は指揮官たる植民地艦隊司令官ルトルス‐イ‐ラ‐ヴァン提督の無能に帰した。それはそれで正しい観測ではあったが、敵戦力を軽視した彼が植民地艦隊の全力をニホン艦隊の迎撃に投入しなかった点、対する日本艦隊がこちらの予想を超えて大部隊であった点、そして接近する敵艦隊に対する提督の無警戒ぶりを彼らは問題にした。逆の言い方をすれば、彼らは指揮官個人の資質に帰すこれらの悪条件さえ払拭されれば、自国の海軍は敵艦隊に対し未だ圧倒的な優位に立ち得ると考えていた節があった。


 そして当の海軍本部自身、ニホン海軍は少なからぬ主力艦をスロリア方面に割いており、本国の近海は手薄になっているはずだという半ば先入観にも似た観測に支配されていた。手薄になった日本近海に大艦隊を進出させ得れば日本側は驚愕し、スロリアの地上戦にも大きな齟齬を来たすことだろう。その時点ではスロリア方面の敵艦隊が彼らの本国に取って返すのにはもはや遅く、それに続く迎撃戦で彼らの本国艦隊を壊滅させるか大打撃を与えることができれば、ニホン本土はその周辺の海域で敵を迎撃するための一切の手段を失うことになる。


 海上交通路の断絶――――それは島国たる彼らにとって最大の悪夢であるはずだ。あの東方の蛮族は必ずや屈服し、共和国ローリダに跪いて慈悲を請うであろう。


 長駆ニホンの領域まで進出し、ニホン人を畏怖せしめる……海軍中将 ロヴトス‐デ‐ラ‐ヴァルミニウス提督はまさに、その栄えある任務にうってつけの人材だった。五十代も半ばに達した彼は、その年齢を感じさせないほどに鉄塔の如く延びた魁偉な長身と、瓶から顎先までをびっしりと覆う針金のような顎鬚を持っていた。大きな鷲鼻の鼻柱を、横に一閃するかのような傷痕は、「転移」前の隣国との領土争いに士官候補生として参加したとき、詰めていた駆逐艦の艦橋を敵艦の砲弾が直撃した際につけられたものであり、「歴戦の勇士」としての彼のトレードマークとでも言うべきものであった。まさに大昔の海洋冒険譚に出てくる老練な戦列艦の艦長そのままの容姿に違わず、彼の戦歴もまた、華麗さと勇壮さに彩られていたのである。


 そのヴァルミニウス提督と艦隊の幕僚たち、そして今回の壮行式典に参列する政財界、そして軍部の重鎮を乗せた公用車の車列が埠頭に差し掛かるや、見送りの群衆の熱狂は頂点に達した。


 軍の最高実力者たるカザルス‐ガーダ‐ドクグラム国防軍大将が、自らの妹をヴァルミニウスに嫁がせたのは政略上正解であったと言えるのかもしれない。何しろヴァルミニウスは勇将として、そして人格者として軍の青年士官はもとより国民の人気も高い。その彼を身内に取り込んでおけば、義兄にあたる彼自身の声価も上がると同時に、軍内はもとより元老院内の不満分子に対する牽制にもなるからだ。

 真っ先に公用車から降りたギリアクス‐レ‐カメシス第一執政官が、満面の笑みで同乗していたヴァルミニウスの手を取り、高々と持ち上げて見せた。波のうねりの如くに一層高まる群集の歓声に直面し、無骨な容貌の提督は、その固い微笑の奥に戸惑いを隠しているかのように見えた。そこに、場を斟酌しない報道記者の一団が、針山の如くマイクやカメラのレンズを向ける。


 「―――提督、ニホン艦隊との海戦に勝算は?」

 「提督には全国民に約束していただきたい。暴虐なニホン軍を撃破し、スロリアに平和を取り戻すと」

 「この海戦に勝利すれば、海軍本部長に就任するという話は事実ですか?」


 それらの質問に、ヴァルミニウスは鷲の様な眼をぎろりと記者団に向けた。根っからの武人として知られる彼は、寡黙で剛直な人柄の一方で、大の記者嫌いでも有名であったのだ。その迫力ある眼光に気圧され黙り込む記者団を暫く睨み付け、提督は再び歩き出した。彼が去った後を埋め、その場を執り成すように、海軍本部の報道官が記者に口を開いた。


 「提督は、今回の任務に並々ならぬ決意で望んでおられる。必ずやニホン海軍を撃滅し、スロリアの海の守護者たる我等共和国海軍の威光を世界中に轟かせることであろう……」


 貴賓が特設席に腰を下ろすのを見計らっていたかのように、軍楽隊が国政の最高権力者の来駕を知らせる「執政官行進曲」の高らかな戦慄を埠頭に奏で、群集の前に両手を掲げたカメシス執政官が壇上に進み出た。花束のように何本も立てられたマイクに向かい、秘書官が作成した壮行演説を滔々と述べるカメシスの遥か背後で、ルーガ‐ラ‐ナードラは湾内一帯を埋め尽くす海軍艦艇に目を細めていた。


 素人目から見れば、スロリアで苦戦を続けている陸空軍に対し、共和国海軍の主力は彼女の緑の瞳の前で戦前と何等代わり映えしない威容を誇っているかのように見える。ミサイル、ロケット弾、速射砲……高等文明の集大成と言えるこれらの各種近代装備に身を固めた艦艇が舳先を並べ、洋上を驀進する先に、如何なる敵が抗し得るであろうか?


 『――――その開闢以来、我が親愛なる共和国海軍は、数多くの名将、勇士を輩出しその光輝ある戦歴を彩ってきた。蛮族征伐の壮途に臨む海軍の勇者達に祝福を与えるにあたり、ここに私ギリアクス‐レ‐カメシスは断言したい。貴官らの上に立つロヴトス‐デ‐ラ‐ヴァルミニウスこそ、長き共和国海軍の歴史上最良の将にして、最高の勇士であることを……! 彼こそは必ずや我等共和国国民の期待に応え、共和国開闢以来最大の勝利を我が国にもたらすであろう!』


 執政官の演説と、語を次ぐ度に喚起される群衆の歓声には別段関心を示す風でも無く、そしてさり気無く、ナードラは貴賓席の隅に視線を移した。その先では彼女の友人が未亡人であることを示す黒い長衣に身を包み、ただ無心に俯いている。過日のスロリア沖海戦で良人を失ったディーナ‐ディ‐ロ‐テリア‐ヴァフレムスは、先日の告別式でこそ気丈に振舞っていたものの、その気丈さを先日の段階で殆ど使い果たしてしまっていたかのように見えた。


 ナードラとしてはこのような場で悄然とした彼女を目にしたくは無かったし、ディーナ自身、この場に身を置くことを望んではいなかったに違いない。だが、どこかのお節介が「良人を国に捧げた共和国の女性の鑑」たる彼女を勇気付けようという「下衆の勘繰り」の赴くまま、復仇の舞台としてのアダロネス港に彼女の姿を牽き出したのだ。ニホンに対する復仇を果すのは結構……だが、ここは愛する者を失った悲しみから立ち直れないでいる女性のいるべき場所ではなかった。



 『――――ヴァルミニウス提督っ……前へ!』


 カメシスの甲高い声と手招きが、副官を従えた提督の巨体を彼の傍へ引き寄せた。堂々とした歩調で壇上に歩み寄り、眼下で熱狂する群集を目の当たりにしても、その巌のような表情は些かも揺らぎを見せることはなく、それが彼自身の抑制された感情を、神的なものに接したかのような感動を伴って皆に知らしめる。


 偉人像のような感情に乏しい目付きで手や海軍旗を振る群集を睥睨すると、提督は割れ鐘のような声で壮途に臨む者としての第一声を放った。


 『勇猛無比たる共和国海軍将兵諸君!……聖断は下された。この上は祖国勝利の信念を持って、南へ……そして東へと舵を取り、勝利を得て再びここに還り着かねばならぬ』


 呼びかけにも似たヴァルミニウスの声に応じるかのように、将兵の隊列から喚声が上がった。それは一面では未だ見ぬ敵地海上で、未だ見ぬ敵艦隊を相手に圧倒的なまでの勝利を収めることを確定たらしめんとする固い決意の発露であった。決意と共に誰もが勝利を確信し、勲章や一時金、そして一時休暇を得て郷里に帰り着く自らの姿を思い浮かべたのに違いない。そして提督の口調には、その荒々しさの一方で乗艦の号令を待つ将兵に勝利と生還を信じさせるだけの自信と真摯さが篭っていた。


 『――――諸君!……諸君らは、この共和国海軍開闢以来の壮挙の一員たるべく選ばれた勇士である。この上はその栄えある称号を確実なものとせねばならぬ。そのためには我等は直ちに出港し、敵地奥深くまで進撃し、偉大なる共和国ローリダに身命を捧げ、悪魔を倒さねばならぬ。諸君らは勇士であり騎士である。困難多き海原を征し、東方に巣食う邪悪なる火竜を倒すことを宿命付けられた騎士たる誇りを持ち、課せられた任務を全うせよ。勇敢なる共和国海軍将兵に、キズラサの神の祝福あらんことを……!』


 「万歳! ローリダ共和国海軍万歳!」

 「共和国に栄光あれ! 共和国の敵に死を!」

 「蛮族を殲滅せよ! 一人として生かしておくな!」


 演説の対象たる海軍の将兵以上に、寧ろ彼らを取り巻く群衆の間に興奮と熱狂は高まっていた。それを冷静に見守るべき報道機関の人間もまた盛んに気勢を上げ、これ以上ない賞賛の修辞を連呼し熱狂を煽っているかのように見えた――――




ローリダ国内基準表示時刻12月13日 午前10時50分 首都アダロネス北西部 シェル‐トゥーレス女学校


 『――――皆様お聞き下さい。この熱狂を……この愛国的な気運の高まりを表現する言葉を私は知りません!……不覚にも私自身、枯れることなき感動に胸の張り裂けん思いであります……! 彼らは今まさに全国民の期待を背負い、悪逆なる敵を倒すべく壮途に付かんとしているのです。彼等勇敢なる海軍将兵にキズラサの神の御加護あらんことを……!』


 興奮を隠し切れない、否、隠すまでもないと言いたげなアナウンサーの実況を、ユウシナ‐レミ‐スラータは女学校の寄宿舎の談話室で聞いた。


 その日はたまたま学校の指定休であり、ユウシナたち女生徒は一日を安寧の内に過ごすことを許されていた。だが閉鎖された環境、縦横無尽に規則が幅を利かす環境に、遊び盛りの少女達の欲求を満たす娯楽など存在するはずが無い。

 外で運動に精を出す生徒もいたが、この寒い中で女生徒の多くはストーヴのある寄宿舎の談話室に集り、ここにしか置かれていない箪笥ほどの大きさを持つ年代物の真空管ラジオに、ある者は自習をし、またある者は読書をしながら耳を傾けていた。


 「リリナ先輩のお父様も、この艦隊に加わっているのでしょう?」

 「エギーラ先生のご主人も、駆逐艦に乗るんだって……」


 少女達の話に耳を欹てるまでもなく、戦争の影響はこの閉鎖された寄宿学校にまで及んでいた。生徒のうち幾人かは身内に軍人がいて、彼らの多くが、やはり遠く離れた前線で「暴虐な」ニホン軍と戦っている。その内幾人かはすでに……


 ……先日の文学の授業後に、教頭先生に呼び出された女教師が数分の後、両目を赤く腫らしながら戻ってきた光景をユウシナは思い出していた。空軍少佐の夫がスロリアで戦死したことを、ユリサという名のその教師は知らされたのである。


 彼女だけではなかった。上級生のクラス、そして他のクラスでは、胸に喪章を付けた生徒の姿がぼつぼつ目立ち始めている。


 「前の戦争ではそんなに人死には出なかったのに……おかしなものね」


 と、仲のいい校務員のおばさんはユウシナにそう教えてくれた。


 緒戦でニホン軍が共和国軍の基地を爆撃し、我が軍にも少なからぬ損害が出たことはユウシナも知っていたし、前線の陸軍がニホン軍の大軍を前に未だ苦戦を続けているということも新聞で知っていた。

その一方で政府や軍は自軍がいずれ苦境を脱し、反攻に出ることを盛んに伝えており、ユウシナの周囲の人間は誰もがそれを信じて疑ってはいなかったが、ユウシナの抱いた感情はまた違っていた。


 道徳の時間を利用した現地軍将兵への激励の手紙作成、出征軍人の壮行会、学内の聖堂で行われる軍人の武運と生還を祈る集会……こうした戦争の余波に接する度、今は遠く離れた前線に身を置いているであろう従姉の言葉がユウシナの脳裏を過ぎるのだった。


 『……ユウシナ、ニホンにはね、きっとシュンジのように謙虚で、思慮深い人間がたくさんいるのよ。そんな国にローリダは戦争を挑もうとしている……それがどんなに大変なことかわかる?』


 従姉の言う「大変なこと」が、スロリアでいままさに起こっているのだと、ユウシナは思った。戦争開始直前まで盛んに行われていたスロリア現地軍関連の報道が今ではプッツリと途絶え、替わって現在では国内の軍部隊の動静があらゆる戦争関連報道の主を為しているという事実が、少女の想像に根拠を与えていた。


 一方でラジオの実況は、その興奮を最高潮にまで高めていた。


 『――――水兵たちが群集の歓呼の声を受け、今まさに艦に乗り込まんとしております。彼ら海軍勇士は家庭にあっては善き父であり、兄であり、弟であり、善き恋人であったことでしょう。しかし彼らは今この瞬間にそれらの平穏な暮らしを捨て、共和国の命運に身命を賭さんとしているのであります! 斯くの如き美しき献身が、果たして我等ローリダ人以外の如何なる種族に為し得るものでありましょうか? 我々はこの偉大な共和国に生を享けたことを、そして偉大なるローリダ人として生を享けたことを、神に感謝せねばなりません……!』


 読んでいた教養書を置き、ユウシナは頭を上げた。重厚な艦腹を埠頭に寄せた軍艦に、水兵たちの隊列が乗り込んでいく様を少女は想像した。視線を巡らせた先の窓のさらに向こうには、すっかりと葉を落とした木々が規則正しい列を為していた。


 北から吹き降ろす寒風に小刻みに震える枝――――


 少女はそれに、さらに大きな波乱の訪れを思う。




ローリダ国内基準表示時刻12月13日 午前11時10分 首都アダロネス アダロネス港 海軍埠頭


 進軍喇叭の如き汽笛が、湾内一帯に高らかな旋律を奏でる。出港が近い証だった。


 遠征艦隊各艦の主機関たる蒸気タービンでは、その始動までに少なからぬ時間を要する。その間を、カメシス第一執政官を始めとする壮行式典の来賓は主力艦の視察に要することとなっていた。

「レ‐バーゼ」級巡洋艦の一番艦にして、遠征艦隊の旗艦たる巡洋艦「レ‐バーゼ」は、艦隊を為す各艦に取り巻かれるようにして鏡の如き湾内にその巨大な容姿を横たえていた。湾内を蹴だてて進む大型艦載連絡艇の舳先からそれを眺めるカメシス第一執政官たちの目には、すでに熱いものが宿っていた。


 「レ‐バーゼ」級巡洋艦は、共和国海軍の保有する数ある巡洋艦の中でも最新鋭に属する。従来の艦との大きな違いは、本艦を本格的な艦隊旗艦たらしむべく充実された指揮通信設備もさることながら、対空機関砲を除く全ての武装をミサイルで統一されているという点にある。


 「来るべき新たな海戦に対応した電子戦艦!」


 と、本艦が就役したとき、海軍の報道官は取材に訪れた報道陣の前でそう言って胸を張ったという。確かに「レ‐バーゼ」級はその攻撃力、そして機能性の面で従来の巡洋艦を大きく引き離していた。最大で20隻の艦艇を一度に指揮することができ、状況に応じ敵発見からミサイル発射までの全てのリアクションが自動的に進行するよう各種システムが配置され、連携されている。


 「交戦距離の遠距離化、対処の迅速化」といった、海軍本部が予測した新しい形の海戦に対応するべく計画され、建造されたこの艦に匹敵する性能の持主は、この異世界の何処を探しても存在しないかのように思われた。また、「レ-バーゼ」級は艦中央部に回転翼機専用の格納庫及び発着甲板を持ち、連絡及び着弾観測用の回転翼機二機を搭載できるようになっている。これもまた従来と比較して大きな進歩だったが、エンジン出力の問題から回転翼機自体には兵装を搭載できず。さらには艦載機の指揮運用は空軍の管轄下にあった。


 「親愛なる第一執政官閣下におかれましては、本艦に足をお運び頂きますこと、まことに光栄の至り」


 と、先行しカメシスの乗艦を待ち受けていた海軍総司令官ディラガス‐ド‐ファ‐ロス元帥が、執銃する水兵の居並ぶ舷門で彼の最高司令官に敬礼する。その元帥に促され、一人の高級士官がカメシス一行の前に進み出た。海軍本部の技術参謀ラティナス‐ル‐ダ‐アイラスという大佐で、この艦の兵装管制システムの設計者でもあった。この日彼は、自分の設計した艦に「親愛なる第一執政官閣下」を案内するという栄誉を得たのである。


 後甲板に控えていた海軍軍楽隊の奏でる行進曲が甲板一帯に響き渡る。海軍の代表的な行進曲である「海軍勇士の歌」だ。その勇壮な旋律を胸に受けながら、観閲の一行は巨艦に歩を標すのだった。甲板を踏みしめる度、艦の各所に林立する各種ミサイル、そして艦体の中央部に沿って林立する各種アンテナやセンサー類を収めたドームが、見る者に科学の粋を凝らした最新鋭艦に身を委ねているという安心感を与えずにはいられなかった。歩を進める度、カメシス第一執政官は込上げてくる武者震いを止めずにはいられない。


 「これを目の当たりにするとニホン人に同情する。我等が斯くの如き巨艦を有していることも知らず、連中はスロリアで狼藉をはたらいておるのだからな……」

 「閣下……蛮族に憐憫など不要です。わが艦隊が隊列を成して大海を征くところ、如何なる敵が抗しえましょう」


 と、ドクグラムを差し置き、ロス元帥がカメシスに囁いた。こと艦上では、海軍のトップたるロスに主導権がある。


 「…………」


 カメシスから一歩引いた距離から、ドクグラム大将は最新鋭巡洋艦の全容に視線を巡らせた。


 「レ‐バーゼ」級はもとより海軍の主力艦艇に装備されているミサイルは、陸軍や空軍にはそれほど充足していない。「解放戦争」に必要な野戦用の火力の充足を優先させた結果として、陸軍は地対地ミサイルの導入を凍結している。また、地域防空用に開発された地対空ミサイルはその管轄を空軍と争った結果、その配備は首都近辺を中心とする固定的な、かつ試験的な配備に留まっている。


 もしそれらの装備が十分な数を以て対ニホンの戦いに投入されていたならば……今更ながら、ドクグラムは後悔にも似た感慨に襲われていた。我が軍は、ニホンに対し現在のような苦杯を舐めてはいないだろう。現在の苦戦の原因が、ニホン軍の強さというより身内の不協和音にあるのだと、彼は考えて始めていた。ドクグラムとて決して無能というわけではなく、彼が単に身内びいきに長けただけの人間ならば、今頃軍内において隠然たる権力を奮える立場にあるかどうかも疑わしい。


 大佐に先導され、隊列を成し栄誉礼を取る海軍将兵を観閲しながら進んだ先は、艦橋最上階の防空指揮所。艦隊指揮艦という性格上、「レ‐バーゼ」級の艦橋は他艦のそれよりも一回り大きく、十分な高さを持って作られていた。


 無言のまま、だが好々爺のそれとでも言うべき満面の笑みを浮べながら、カメシスは艦橋の窓から広がる湾内の全容を見回した。このとき、執政官は停泊し、出撃を待つ大小の海軍艦艇の取り囲む中心に、自らの座乗する「レ‐バーゼ」があることを初めて自覚する。


 「見事な艦隊だ!……これならば海戦の勝利は間違いあるまい。どうかなロス元帥?」


 ロスは頷いた。


 「執政官閣下。舳先を並べ海原を驀進するところ、我が海軍に敗北は御座いません。勝利は本官が保証しましょう」


 カメシスは闊達に笑った。


 「ニホン人どもの慌てふためく姿が眼に浮かぶわい。陸に戻ったら直ぐに戦勝祝賀会の準備に取り掛からねばならぬなドクグラム?」


 そう呼びかけられ、ドクグラムは頷いた。ヴァン植民地艦隊司令官は無能だったが、ヴァルミニウスはそうではない。スロリア沖でのようなミスは犯さないであろうことは容易に予測できた。


 「何処で戦うにしろ、蛮族どもに教訓を垂れてやらねばなりませんが、閣下には主戦場がニホン近海ではなくスロリアであることをお忘れなく」


 この言葉は、壮行式典を期に発言力の拡大を図りたい海軍に対する牽制であろう。ロス元帥が憮然としてドクグラムを睨み付けたのもそれを察したからこそだ。

行進曲の旋律は、その終章に近付こうとしていた。


 ―――― 一方、埠頭。


 壮途に赴く将兵を満載した連絡艇の一群が、波を蹴立ててそれぞれの乗艦へと向かっていく様を、ナードラとディーナは埠頭を埋め尽くす群集より一歩離れた場所から見守っていた。


 「彼等が還って来るのは、何時になるのかしら……?」

 「……年を越しそうね」

 

 ナードラは淡々とした口調で言った。


 二人が観閲に参加しなかったのは、良人を失って以来体調を崩しがちなディーナを、ナードラが気遣ってのことだ。ナードラ自身もまた、愛する者を失った人間の気持ちを彼女なりに解していたつもりだったが、自分のように立ち直りの早い女性が極少数派に属することを、ディーナの意気消沈振りから今更のように思い知らされるのだった。


 ディーナの肩を抱き、ナードラは囁いた。


 「大丈夫……彼らならやるわよ」

 「そうじゃないの、ナードラ……」

 「…………?」


 怪訝な顔を隠さず、ナードラはディーナの顔を覗き込むようにした。肩を震わせ、ディーナは声を絞り出した。


 「今更だけど、あの人が、戦争に反対していた本当の理由がわかるような気がする……」

 「ディーナ……?」


 ディーナの言う「あの人」が彼女の良人を指すことぐらい、容易に察することができた。目を見張り、ナードラはディーナの横顔を凝視する。


 「あの人……お義母様や、ナードラや、今の私のような女性を作りたくなかったのよ」

 「…………」


 ロルメス‐デロム‐ヴァフレムスは過去に戦争で父を失い、ルーガ‐ラ‐ナードラは良人を失った。そして現在、ディーナ‐ディ‐ロ‐テリア‐ヴァフレムスもまた、良人ロルメスを失ったのだ。そのディーナはディーナなりに、愛する者の秘めた思いを汲むことで、彼を失った悲しみを今まさに乗り越えようとしていることをナードラは悟った。


 「彼らを見て……ディーナ」


 ナードラの囁きに促され、ディーナが頭を下げたずっと先では、観閲を受ける各艦の乗員が舷部に列を無し、埠頭に向かい敬礼を送っていた。


 「彼らにも妻や子はいるわ……彼らは、その妻や子を守るために戦地に赴こうとしている……」

 「妻や子を守るための方法なら、戦争以外にあるはずよ……ロルメスはずっと、そればかりを考えていた。ナードラ、あなたも政治家なら、何故それを考えないの? 貴方だけではなくみんなもそう。勿論、解放とか教化のために戦争は必要でしょうけど、他に方法はないの?……誰も傷付かずに済むような」

 「…………」


 ディーナの切実な言葉に対し、対すべき言葉を失っている自分に、ナードラは気付いた。それでも彼女なりの真摯さを以て、ディーナを納得させられるような言葉を汲み上げようとしたそのとき――――――


 「―――――ヴァフレムス夫人! 愛する者を暴虐なニホン人の魔手により失った一人として、そして夫を国家に捧げた愛国女子の鑑として、復仇の壮途に赴く将兵に是非餞のお言葉をお聞かせ願いたい……!」


 何時の間にか二人は、美談仕立てへの打算を丸出しにした報道陣にその周囲を囲まれていた。驚愕に目を丸くし、後退りするディーナの前にナードラは進み出た。場と取材の対象への配慮を弁えない彼らに向けるべき表情を、ナードラは持たなかった。


 「退がれ下衆!……夫人は疲れておられる。貴公らも公器の端くれなら、尋ねるべき言葉と場を選ばぬか……!」


 言葉は決して大きくは無かったが、緑の眼光とともに彼らをたじろがせるのには十分だった。




日本国内基準表示時刻12月13日 午後〇時四五分 東京 防衛省中央指揮所


 海上幕僚長 藤堂 義雄 海将が防衛省情報本部長 (わたり) 祥司 陸将を伴い、詰めていた海上幕僚監部より指揮所に入った時には、すでに昼をだいぶ回っていた。


 「珍しいな。向こうで何か起きたか?」


 と、指揮所で二人を迎えた植草 紘之 統合幕僚長は、何時ものように平静な表情で二人を迎えた。藤堂、そして亙の両名とも、開戦以来植草の詰めている中央指揮所とは違うそれぞれの部署で隷下部隊の指揮を執っている。海自、情報機関ともそれぞれの担当する作戦そのものが順調に推移しているが故に、それらの長たる両名が、この場所に頻繁に顔を出す必要もまたないはずであった。二人が来るとすれば、よほどの事情だろう。


 「出してくれ」


 開口一番、亙はオペレーターに指示を発した。必要な資料はすでにデータ化して情報端末に表示できるようにしているあたり、彼の用意の良さが伺えた。


 ややあって、会議区画に付随する情報端末に映し出されたのは、衛星軌道から俯瞰した港湾の写真だった。それも二枚。


 「……右を御覧下さい。これは今から15分ほど前に偵察衛星が撮影した敵本土の主要港です」


 一瞥した途端、植草の顔が怪訝さに歪む。


 「空っぽじゃないか……どういうことだ?」

 「つい先日まで、この港には敵海軍の主力艦と思しき大小一二隻の艦艇が停泊しておりました。これが先日の画像です」


 と、亙はポインターで左の写真を指し示した。今度は同じ地形の港湾の中を、目を見張らんばかりに大小の艦艇が埋め尽くしていた。同時に、植草の脳裏で何かが点滅する。


 「……行き先は、スロリアか?」

 「そう考えるのが自然ですが、我々海幕としては、別方向への展開に備えたものではないかと考えております」と、藤堂が言った。

 「……まさか、日本本土だとは言わないだろうな?」と、植草。

 「ご明察の通りです。いささか突飛な推測ですが、敵艦隊の意図は、日本の周辺海域に展開し海上交通網を封鎖することにあるのではないかと……」

 「陸幕はどう見ている?」

 「敵本土の通信傍受によれば、敵の民間放送と思しき通信から判断するに、明らかにその意図を持っているようです。彼らの民間通信は、これを壮挙と言って自画自賛しておるようですが……」

 「指揮官は、どんな人間だ?」

 「何でも、ヴァルミニウスとか言う提督で、彼らの間では英雄として相応の人気があるようです。少なくとも、海自がスロリアで戦った敵の海軍指揮官より有能なことは確かでしょう」


 「スロリアの艦隊を呼び戻すか……」と、植草は藤堂に向き直った。

 「彼我の位置関係からして、洋上決戦を仕掛けるには間に合いません。しかし我々の判断では、本土の部隊だけで十分対応可能と踏んでおります」

 「できれば空自の一個FS飛行隊でも呼び戻したいが、どうか?」


 と、植草は傍らに控える航空幕僚を顧みる。支援戦闘機(FS)部隊の主任務は航空自衛隊開設以来、航空支援よりもむしろ日本近海に接近する侵略勢力の水上部隊攻撃に重点が置かれている。敵艦隊の接近に備えたFS部隊の再配置は、当然の対処とも言えた。


 「……それは、現実的な対処ですか? それとも国内への配慮ですか?」と、航空幕僚。

 「両方だ」


 幕僚は顔を曇らせた。


 「結論を申し上げれば、それは無理と言うものです。スロリア方面の支援戦闘機隊は現時点でもオーバーワークを強いられています。はっきり言って現状の戦力では不足です。この先、さらに地上戦が本格化する中に貴重な航空支援能力を引き抜くというのは……どうかと」

 「制空権はすでに確保したことだし……F-15に爆装させるというのは?」と、陸上幕僚。

 「それは技術的には可能ですが、要撃戦闘機隊のパイロットは皆無とは言わぬまでも爆撃の訓練を積んではおりません。命中精度の方は余り期待できないでしょう」


 植草は海上幕僚に向き直った。


 「海上幕僚、推測でいい、敵の本国艦隊が我が国近海に接近するとして、到達予定は何時ごろか?」

 「そのまま寄り道をせず、全速で真っ直ぐに南下していくとすれば……おそらく今週中には我が国近海に入るでしょう。問題は……領海外の我が国近海で迎撃するか、領海内まで引き込み迎撃するか……我々が何れの対応策を執るかです」


 植草は頷いた。


 「よろしい、隊ごとではなくFS部隊で既定の出撃回数に達した乗員から本土に呼び戻そう。F-15Jの爆装に関する件はこれを承認し、FS部隊に勤務経験のある者から早速任務に付かせたい。桐原空幕長にその旨伝えてくれ。それで海幕長……」

 「はっ……?」

 「敵艦隊撃滅の信念は、未だ変わっていないか?」

 「勿論です、幕僚長」

 「では……本土の護衛艦隊だけで敵艦隊を邀撃できるか?」


 藤堂の目が、光沢を増した。


 「彼ら一人として、日本本土に指一本触れさせません」

 「海上自衛隊は我が国領海内まで敵艦隊を誘導し、その総力を上げ、侵攻する敵艦隊を撃破せよ……これは、命令だ」

 「わかりました。航空集団及び潜水艦隊司令部に命じ、北海道近海より本州北西海域の哨戒網を密にさせます。水上艦はもとより、潜水艦の浸透にも備えを厳にしましょう」

 「……それでいい」


 植草は頷いた。二人を迎えた当初の柔和な目付きは、すでに彼の表情から消えていた。




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