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第一九章 「大海空戦 後編」

スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前7時12分 ゴルアス半島西方沖上空


 『――――南方管区空軍指揮所より全機へ、目標到達まであと5分』


 ローリダ空軍第一次攻撃隊指揮官 デネフ‐レ‐ダ‐ロジャス中佐は、乗機レデロ-1戦闘機のコックピットから臨む雲海に、込み上げてくる緊張の赴くままに目を細めた。飛行場を発ったときには文字通り海のように広がっていた雲々は、編隊を組み進むにつれ次第にその密度を薄め、離陸から40分が過ぎる頃には、その所々に空いた穴から海原の群青を見出すことができるまでになっていた。


 「総隊長機(グラン‐ディーレ)より全機へ、散開し攻撃態勢を取れ……!」


 直後、両側面を飛ぶ四機が一斉に主翼を傾け、雲海の只中へと離れていった。それらはこの日漸く顔を出し始めた冬の陽光を後退翼に吸い込み、夜空の流星のごとき煌きを放ちながらロジャス中佐の視界から消えた。

 この空一帯に展開する友軍機――――それらが自分自身の指揮下で動いていることに思いを馳せる内、ロジャス中佐から近い未来に対する漠然とした不安が消え、彼を任務への専念に駆り立てる。総数100機に喃々とする大編隊の先頭を切って飛ぶ身では、その規模だけ大きな戦果が約束されているように思えてくる。攻撃の主力たる新鋭のディガ-12攻撃機24機、爆装したギロ-18戦闘機48機、これをロジャス中佐直属のレデロ-1戦闘機16機、ギロ-18戦闘機12機が援護する。布陣だけならば、今彼が指揮している部隊は磐石そのものであるようにロジャス中佐ならずとも思えるはずだ。


 だが、これだけの大戦力を注ぎ込むに足る相手を、ロジャス中佐とその部下は水平線の向こうに未だ見出してはいない。その未知の相手に無敵を呼号した共和国植民地艦隊は敗北し、植民地艦隊を撃破したニホン艦隊は未だ健在なままこの海の何処かに存在しているのだ。その彼らの進撃を止めることに、今次の大規模な航空作戦の意義はあった。


 「…………」


 乗り換えてすでに七年……もはや自身の手足も同じとなった愛機の計器盤に目を凝らし、ロジャス中佐は一層に必勝の信念を募らせる。


 レデロ-1は、数的な面ではローリダ共和国空軍の実質上の主力戦闘機だ。エンジンを二基胴体内に装備し、固定武装として機関砲三基を機首に装備する。機首に吸気口を設けた円筒形の胴体に配された後退翼は、急上昇時の失速特性の悪化を孕む一方で良好な加速性能をもたらしていた。そのレデロ-1より一回り小柄なギロ-18はその前の主力機であり、典型的な単発戦闘機だが、レデロ-1が充足するにつれ退役及び練習機、攻撃機への転用が進んでいた。


 ロジャス中佐のレデロ-1も機関砲を搭載すると同時に、翼下に左右各一基ずつ増加燃料タンクと、空対空/空対地兼用ロケット弾8発の詰まったロケットポッドを吊下している。攻撃機編隊の突入援護こそが戦闘機隊の本分だが、折さえあればこちらも攻撃に加わり、ニホン人を血祭りに上げてやるつもりだった。


 今に見るがいい……ニホン人! 艦隊の仇はしっかりと取らせてもらうぞ!


 『――――目標到達まであと3分!』

 「総隊長機より命令。目標を捕捉し次第攻撃、攻撃せよ……!」


 瞬時に入れ替わる天海―――――背面の体勢から加速し、一気に降下する。急激に狭まる目標との距離。火器管制装置のスウィッチを入れ、1000ほど高度が下がった雲中で機体を水平に戻す。再び緩降下に入り、ロジャス中佐と彼の列機は雲を抜けた先―――――水平線のかなた――――に敵影と思しき黒点を見出す。併航するギロ-18爆装戦闘機四機が加速し、戦闘機隊の一歩先に出たその瞬間―――――


 「…………!?」


 不意に出現した火球に、中佐は我が目を疑った。攻撃位置に付こうとした4機が同時に爆発、四散するや、そこにはもはや痕跡すら残ってはいなかった。その4機だけではなかった。火球は空域一帯に拡大し、攻撃機を、戦闘機をその瞬きの数だけ呑み込んでいく。


 『――――こちら第1攻撃中隊! 隊長機がやられた!』

 『――――こちら3小隊2番機。ミサイルに追尾されている!……回避できない!』


 真白い軌道を惹き、前上方より振り下ろすように突っ込んできた光の矢が、正面から列機のヴァジェル大尉機と交差する。その直後、光弾の炸裂に片翼をもぎ取られたレデロ-1は漏れ出した航空燃料にジェットエンジンの噴射炎が引火。火は忽ち機体全体を包み込み、錐揉みに陥りながらに機体と操縦士とを紅蓮の懐に呑み込んでいく。続けざまにもう一機の列機、カレス中尉機もまたミサイルの直撃を受け四散し、後を追った。


 何だ!?……何が起こっている?


 事の全体を掴む余裕も、そして時間も、もはや中佐からは失われていた。彼の命令で攻撃態勢をとった直後に編隊は危機に陥り、それは現在進行形で味方を殲滅へと追い込んでいる。そして危機は、空を裂き音速で迫り来る白い軌条という形で中佐の足元にまで迫っていた。


 「…………!」


 蹴り上げるようにフットバーを踏む。急旋回に入った機体が重力の魔手を振り解こうと不機嫌に振動するのを感じる。フルフェイスのヘルメットに覆われた首は、その根元から折れんばかりのいびつな角度を取って迫り来る刺客のほうへ向けられ、驚愕を宿した目もまた大きく脅威に向けて見開かれている。中佐の希望を打ち砕くかのように、白い軌条は獲物を見出した蛇のように此方へ曲がり、鏃のような弾体すらはっきりと見える距離!……急旋回に続く失速から完全に速度を失った愛機の操縦席から、もはや目と鼻の先にまで迫ったそれを見出した瞬間、中佐は死を覚悟した――――そして覚悟した死は、やはり訪れた。


 「神様……!」


 スタンダードSM-2中距離艦対空誘導弾の弾体は敵の隊長機を貫き、そして跡形も無く粉砕した。



 『――――――SM-2、目標敵機56機撃墜。残余の目標44機、間も無く艦隊防空(エリアディフェンス)(ゾーン)を突破……個艦防空(ポイントディフェンス)(ゾーン)に入りました!』


 ヘリコプター搭載護衛艦DDH-181「ひゅうが」の戦闘情報室(CIC)で、「ひゅうが」艦長 嶋崎 譲 一等海佐は、刻々と入ってくるオペレーターの報告に、無言のまま耳を澄ます。先刻の海戦で、もはや護衛艦隊の全艦が敵への対処に自信を持っている。その自信が艦内の小気味良い応答となって、一層に総体としての護衛艦隊の戦闘能力を上げているように彼には思われた。


 『――――敵攻撃機編隊(マーク)距離(ディスタンス)30哩北(マイルノース)!』


 LSDの索敵情報表示端末に映し出された輝点は多かったが、レーダーに捕捉した当初に見出された編隊としての規則正しさと適切な間隔はとうの昔に失われていた。SAMの急襲を前に為す術も無く逃げ惑う輝点の一つ一つに、各機の速度及び高度までが数値化して表示されている。それを見て嶋崎は思った。敵は……自分達がこうして我々に探知され、捕捉から撃墜のその瞬間までに至る全てをモニターされていることを知っているのだろうか?


 『――――「たかなみ」、「さみだれ」SAM発射!……目標敵機14機撃墜! 目標なおも接近中!』

 「迎撃せよ! 本艦もSAM撃て!」

 『――――目標敵攻撃機、レーダーロックオン!……迎撃準備完了(リコメンドファイヤー)!』


 CICを埋めるLSDの一角、そこに映し出されたVLSのハッチが開け放たれるや。怒涛のごとき勢いで発展型シースパロー(ESSM)が吐き出される。程なくしてLSDの戦術情報表示端末は、矢継ぎ早に射出されたESSM 10基が、艦隊を指向する敵編隊の残存勢力へ殺到するさまを刻々と映し出していた。


 『――――命中(エンゲージ)!……7機撃墜、残余23機 距離(ディスタンス)15浬北(マイルノース)! 「はたかぜ」、「しまかぜ」スタンダードSM-1発射しました……!』


 DDH-181「ひゅうが」を始めとする海上打撃部隊から約10海里の距離を置き、上陸戦隊及びその直衛艦隊が展開している。直衛部隊に属するDDG-171「はたかぜ」、DDG-172「しまかぜ」の二隻がデータリングにより脅威の接近を感知し、援護の手を伸ばしてきたのだった。「ひゅうが」をはじめ打撃部隊の艦船も開け放ったVLSよりESSMを次々と撃ち上げ、汎用護衛艦(DD)の速射砲の砲声すら海原を遠雷のごとくに揺るがし始めていた。それらの迎撃が成功するたびにLSDに現れる撃墜(キル)の表示……緻密な艦隊防空網を前に敵機は攻撃態勢に入ることもできず、一機、また一機と戦術情報表示端末の矩形の中でその存在を消滅させていく。


 『――――SM-1命中!……4機撃墜!』

 『――――残存目標敵攻撃機、方位3-2-3へ離脱!……艦隊防空(エリアディフェンス)(ゾーン)より離脱します!』

 「終わったのか……?」


 CICの指揮シートの上で、嶋崎一佐は自問自答した。だが安堵を覚えるにはまだ早過ぎることを彼は知っていた。


 「追うな!……再度の敵機の来襲に備え、索敵を厳に……!」


 「ひゅうが」艦橋の指揮シートに陣取り、PKF海上自衛隊スロリア派遣部隊司令 島村 速人海将は声を荒げた。敵機の数は多く、しかも艦隊は敵空軍の行動範囲内。事実「ひゅうが」のフェイズド‐アレイ‐レーダーは、この敵編隊の迎撃に入ると同時に、第二波と思しき80機の機影を捉えている。


 さらには―――――LSDに映し出されたゴルアス半島北西に位置するノドコールの海岸線。そこから出現し、こちらへ向かい急速に南下を続けている複数の小型艦の艦影は、決して友軍のそれではなかった。その主力を失ってもなお、敵艦隊は残存するミサイル艇や魚雷艇といった高速艦艇を繰り出し、こちらに戦いを挑もうとしているのだ。護衛艦隊はまさに、海空からの絶え間無い反攻に晒されようとしている……!


 「…………!」


 舌打ちとともに島村海将は内線電話を取り、CICに陣取る嶋崎艦長に繋いだ。


 「艦長、予備の哨戒ヘリにヘルファイアを搭載させ、何時でも出せるよう待機させておけ。敵艦が来るぞ……!」

 『すでに待機の指示は出してあります。艦隊防衛(エリアディフェンス)(ゾーン)に接近し次第、発進させます』


 力強い返答に島村は頷いた。そこに、旗艦用司令部作戦室(FIC)からの新たな報告。


 『――――目標敵攻撃機第二波。艦隊防空(エリアディフェンス)(ゾーン)に到達……!』


 前方に向き直った彼の眼前から遥か遠方、「ひゅうが」前方を航走するDDG-173「こんごう」から勢い良く延びる幾条もの噴煙――――それこそが艦隊の盾たるイージス艦が、艦隊防空圏に到達した新手の敵機に対し、再び迎撃の咆哮を上げた瞬間だった。

 



 スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前七時二十分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊イージス護衛艦 DDG-173「こんごう」戦闘情報室(CIC)


 『発射(ファイア)ッ……!』


 指令の直後、解放された後甲板VLS区画が、瞬時にして吹き上がる火炎に包まれた。電子の矢は研ぎ澄まされた銛の如くVLSより飛び出し、ミサイルの一群は白い噴煙を棚引きながら、緩やかな軌道を成し蒼穹の高みへと昇って行く。


 それは一隻ではなかった。護衛艦隊の周囲を固めるイージス艦四隻は敵機が防空圏に到達すると同時に、一度に計九発のスタンダード艦対空ミサイルを空に放ったのだ。


 『―――ミサイル、慣性軌道に入りました』


 発射と同時に目標は捕捉されている。スタンダードミサイルは発射後慣性誘導により敵編隊に接近。敵機が発する艦の策敵電波の反射波を受信後にミサイル自らも識別波を発し、高い確率で目標に向かっていく。一度ミサイルの発射ボタンを押すや、オペレーターはミサイルの刻む航跡に目を凝らし、数値化されたそれらを読み上げるだけだ。


 『―――命中まであと10秒……8、7、6……』


 刻まれ、そして迫り来る運命の刻―――――


 命中の直前、オペレーターは生唾を飲み込んだ。LSDの一角は、艦隊へ直進する敵編隊に、こちらが放った計36発のスタンダードが殺到する様子を表していたのだ。もはや回避は不可能に近かった。敵が逆探のようにミサイルの存在を察知し、ECMやチャフ及びフレアーのようにこれを回避する技術を持っていない事は明らかだった。


 『―――2……1……命中(エンゲージ)!』


 直後、LSDに映し出された敵機の輝点がミサイルの輝点と交差した瞬間。スクリーンから全ては消えた。

 ニホン艦隊撃滅の任を帯び、長駆ゴルアス半島西方まで進撃したローリダ空軍攻撃機編隊にとって、それは一瞬の出来事だった。突如眼下の雲海を裂きこちらへと向かってくる無数の光点。彼等がその最期の瞬間に目にしたのはただそれだけだった。それらはあたかも意志を持つ生き物のように、瞬く間に編隊に接近し、その直後多くの攻撃機パイロットをその乗機ごと四散させた。編隊は、文字通り一瞬で全滅した。


 『撃墜!……敵攻撃機32機撃墜しました……!』

 「本艦の命中弾は?」と、「こんごう」艦長 北沢一等海佐。

 『ハッ!……全弾命中……全弾、命中です』


 感情を一片も知らないかのように、北沢艦長は腕時計に視線を落とした……発射から命中まで僅か数分。ここまで迅速な対応が出来たのは艦の性能はもとより、日頃の猛訓練の賜だろう。


 イージス艦は、その誕生と同時に与えられた任務を何の瑕疵無く果たしている……と、北沢一佐は思った。


 艦隊周辺に接近する敵に対処する戦域防空(エリアディフェンス)は、イージス艦のその構想時よりの主任務であり、独壇場でもあった。敵機がこれを万が一乗り越え、艦に接近を果たしたとしても、今度は各汎用DDの搭載する発展型シースパロー(ESSM)個艦防御SAM、そして速射砲とCIWSの織り成す濃密な近接対空防御網が待っている。勝負は、戦う前から見えていたのだ。


 『――――SM-2第二波、順調に飛行中。命中まで一分……!』


 オペレーターの報告は続く。その余りに抑制の聞いた声と同じく、索敵機器、電子機器の発する以外の、無駄な光を悉く拭い去ったこの漆黒の空間に佇む内、あたかも此処だけ、外で繰り広げられている激戦から遠く切り離されているかのような感覚に襲われる。だがそのような感覚は次に飛び込んでくる「撃墜!」「命中」の報告を聴く内、忽ちに消え去ってしまう。


 『――――目標敵攻撃機第二波23機撃墜!……残存25機艦隊防空(エリアディフェンス)(ゾーン)突破……!』


 127㎜単装速射砲が旋回し、火器管制装置(FCS)の導くまま仰角を付けて打ち出された砲弾は敵編隊の針路上で炸裂、瞬時のうちに弾幕の壁を形成する。外周を固める各艦もまた短SAMを打ち上げ、同じく撃ち出される速射砲の咆哮が海原を揺るがし、朝方の空を黒煙と火焔の数珠で鮮やかに飾り立てた。ミサイルと弾幕とで形成された鋼鉄の壁の前に、此処まで到達した敵機は一機、また一機と絡め取られ、海に空にその無残な残骸を漂わせ、あるものは火球と化しまっしぐらに海面へと向かっていく。モニターからそれらの光景を把握し、北沢艦長が勝利を確信しかけたそのとき――――


 『――――敵攻撃機3機本艦に接近中!……方位(ヘディング)2-8-4。距離(ディスタンス)7(マイル)!』

 「何……!?」


 はっとして睨んだLSD。


 回頭に入った「こんごう」の左側面。


 そのごく至近にまで迫る、3基の輝点―――――




 スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前7時23分 ゴルアス半島西方沖上空


 「敵艦視認!……編隊長より全機へ、これ以上高度を下げるな……!」


 すでに自身に付き従う攻撃機は、2機にまで激減している。発進したときには8機だった部下は、目標まで30リークにまで迫ったところで突如飛来した敵艦のミサイルに立て続けに4機が撃墜され、そしてさらに一分前、もう1機が対空砲の直撃を受け四散して果てた。敵の対空防御はこちらの予想を超え濃密で、かつ精緻過ぎたのだ。敵艦を水平線の彼方に見出すまでも無く攻撃編隊は100機中の過半を失い、損害は未だに拡大を続けている。


 我々は暴風雨を乗り越えた船そのものだと、ディガ-12攻撃機中隊長 イグネス‐デ‐マ‐ロイズ少佐は思った。

 確かに、それはミサイルと対空砲の織り成す暴風雨だった。指揮官ドルヴァス中佐をはじめ、精鋭を呼号した首都圏航空軍団の大半があたかも海上の波浪に弄ばれる小船のように翻弄され、粉砕されていく姿を、少佐はすでに一生分の戦慄を以って目にしている。そして最悪なことには、喩えそれらを巧く乗り越えたとしても、その次に悠々たる海原が待っているという保証など何処にも無いのだった。


 この最新鋭のディガ-12を以ってしても、ニホン海軍の進撃を止められぬとは!……愛機の操縦桿を握りながら、少佐は歯噛みした。少佐機は増槽の他翼下に対地ロケット‐ポッドを左右各二基、そして胴体下に遅延信管かつ抵抗翼付の対艦爆弾二発を搭載している。これを目標から2リーク以内の距離で投下すれば、加速の付いた爆弾は海上を反跳し、敵艦の舷側を貫きそこで爆発するという寸法だった。だがこの惨状では、有効距離に接近するはるか前で被弾し、波濤に叩きつけられるのは確実だ。


 「…………!」


 距離はさらに詰まり、より明瞭に浮かび上がった波濤を裂き、白い航跡を引き摺る艦影に少佐は息を呑んだ。太く激しいその航跡は、敵艦が時速40リーク以上の快速で海を駆けていることを示していた。交差する弾幕とその炸裂はさらにその密度を増しているものの、ディガ-12にとって逃れるべき下はすでに失われている。そして、コックピットから覗く鉛色の海原は、すでに機体の原を接せんばかりの低空に迫っている。少しでも操縦桿の操作を誤れば、少佐機自体もまた海面に高速で叩きつけられ四散することだろう。


 付き従う一機が忽ち対空砲火の炸裂に捉えられ、バランスを崩した。損傷した主翼を傾け、その先端がぎらつく海面を微かに擦った直後、列機は凄まじい反動で尾部を跳ね上げ機首から瀑布のごとき飛沫を上げて突っ込んだ。


 「…………!?」


 絶句を覚える間も無く、もう一機も主翼より発火し鮮血のごとき炎を吹き上げる。至近距離で炸裂したミサイルの近接信管の餌食となったのだ。部下を全て失った瞬間、少佐から一切の正気が消え、彼は絶叫とともに獣のように血走った目で部下を殺した張本人を睨み付けた。


 『隊長!……まもなく有効射程に入ります!』


 と、後席の航法士エイヴァス中尉の報告。炸裂弾の破片がディガ-12の華奢な機体を打つ音は、急速にその数を増していた。

 信管起動……「爆弾投下準備完了」の表示が赤いランプとなって計器盤に出るのと同時に、投弾に適した速度に達するようスロットルを一気に落とし、揚力を稼ぐためにフラップを下げる。この高度でエアブレーキを開いては、利き過ぎて却って投弾タイミングを逃す上に、最悪失速して海面に叩きつけられる危険があった。


 なおも迫る艦影―――――


 測距レーダーと連動した照準機の中心には、敵艦の平面を多用した奇怪な艦橋。城郭のようなそれの、丈の高いマストを飾る信号旗の連なりが、陽光を吸い込み不気味なまでに輝いていた。

照準点に映える距離と進入角度とを示す光の環が、最適投弾点に迫るにつれ徐々に狭まりゆく。


 そして―――――


 「投下ッ……!」


 裂帛の気合。


 爆弾二発を切り離し、機首を上げた直後―――――


 「…………!?」


 眼前に飛び込んできた光。


 それに続く烈しい衝撃……!


 一瞬何が起こったのか、ロイズ少佐には計りかねた。次に気付いたときには火花を放つ計器類から割れた風防ガラス前面に到るまでの前方をどす黒い緋色が覆い、同時に意識が薄れ掛けていくのは何も急激な重力の掛かる上昇に転じたが故ではなかった。自身が被弾すると同時に、致命的なまでの傷を負ったということを、彼は知った。


 『ユリサ……!』


 結婚して四年になるうら若い妻の名を、少佐は声にならない声で唱えた。直後、胴体燃料タンクより生まれた紅蓮の烈風がコックピットに達し、イージス艦の直上で機を引き裂き、個々に爆発させた。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前7時25分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊イージス護衛艦 DDG-173「こんごう」戦闘情報室(CIC)


 ――――――投下された爆弾は二発。


 同時に水面に接するや、適切な落下角度を保ったそれらは表面張力の助けを借りて粒でのように跳ね上がり、少佐の意思が宿ったかのようにイージス護衛艦「こんごう」に向かって行く。CIWSが仕留めた最後の敵機がスクリーンから消えた一方で。それらはLSDの戦術情報表示端末に「脅威」として新たに表示される。


 「面舵一杯……!」


 「こんごう」CICでインカムを引っ掴み、北沢艦長は怒鳴った。反跳爆弾(スキップボミング)とは、敵も味なまねをする……!


 急旋回に転じた「こんごう」―――――


 白波が艦首右舷を乗り越え、艦首に圧し掛かる。


 艦体を揺るがすガスタービンの咆哮。


 艦尾CIWSバルカン砲の絹を裂くような射撃音。


 飛び散る薬莢。


 その発射速度は凄まじい、一瞬にして数百発の20mmタングステン弾を爆弾の針路上に展開させる。

針路上に投げかけられた光弾の数珠に、勢いを付けて跳ね上がった一発が捉えられ炸裂する。そして最後の一発が、「こんごう」の左舷に迫る―――――


 反跳――――「こんごう」左舷から十メートル手前に着水したどす黒い弾体は軽々と「こんごう」上甲板を飛び越え、向かい側の右舷より十数メートルの海面に着弾、そして爆発した―――――


 爆発――――海原を砕き、跳ね上がる怒涛は「こんごう」全体を包み込み、跳ね上がる飛沫が陽光を受け数多に煌いた。


 至近弾――――それはデータリンク回線上では即座に「被弾」と判定され、各艦のCICに伝達される。


 『――――「こんごう」被弾! 被弾しました!』


 絶叫にも似たオペレーターの報告に、「ひゅうが」CICで指揮を執っていた嶋崎艦長は、体中の血色が一気に失われる音を聞いたように思った。


 「被害状況は……!?」

 『「ひゅうが」より「こんごう」……損害状況知らせ。以上(オーバー)!』


 応答は即座で、そして簡潔だった。


 『――――われ「こんごう」、本艦損傷到って軽微。本艦依然戦闘航海継続中――――以上(オーバー)

 「…………」


 溜めていた息を、詰まりかけた胸から一気に吐き出し、嶋崎艦長はどっとシートに座り込んだ。その彼の眼前で、監視モニターに映し出された「こんごう」が、弾着で生じた海霧を縫い、何事も無かったかのように驀進を続けている。そして気付いたときにはCIC全体を埋め尽くしていた喧騒はすでに去り、異状とも思える静寂が辺りを支配していた。


 『――――敵残存戦力。防空圏より離脱中……現在艦隊の周囲に経空脅威は一切存在しません……いや待ってください』

 「…………?」

 『――――方位0-9-3より機影を確認!……これは……IFF照合完了。友軍機です!』


 LSDに映し出された東方からの機影は急速にその数を増し、やがてはゴルアス半島東岸に達した。機影の素性は、戦術情報表示端末に即座に反映され、機種、そして所属部隊までもが一斉にそこに表示される。F-15Jを主力とした味方編隊の勇姿を脳裏で想像はしても、これまで彼らの支援を受けられなかったこちらとしては苦笑を禁じえない。


 ―――――同じく静寂の戻った「ひゅうが」艦橋。


 時計を睨みながら、島村海将は言った。


 「……上陸作戦の予定に、遅延はないようだな」


 彼がここより遥か遠方の空で、何がなんだか判らないまま撃墜され散って行った敵空軍の戦士たちに哀悼の念を抱いたかどうかは、彼自身の表情から推し量ることは出来なかった。従兵にコーヒーを頼み、島村海将は背後を顧みる―――――

 

 『――――各艦、被害状況報せ』

 「対空及び対潜配置そのまま……後続の敵機に備えよ」


 艦橋での遣り取りの最中にも、ロルメス‐デロム‐ヴァフレムスは全身を震わす驚愕に只呆然と立ち尽くしていた。


 これが……彼らの戦い方なのか?


 あまりに圧倒的な彼我の格差を見せ付けられ、ロルメスは肩を振るわせた。あれほどの威容を誇った共和国の技術の粋を凝らした戦闘機や爆撃機が、只一発の爆弾も落とすことなく、只一発の機銃弾も放つことなく、呆気なくスロリアの空に消えたという事実は、彼ならずとも信じ難い光景であったのかもしれない。


 これは、何かの間違いではないのか?……キズラサの神は、我等をこの世界の支配民族とするべく、この世界の指導者と為すべく我等をこの世界に解き放ったのではなかったのか? これまでを多くのローリダ人の例に漏れず、民族の優秀性と信仰の正当なることを信じてきた若者ロルメスにとって、それはあまりに衝撃的な出来事だった。


 部下の報告を聞いていた島村海将が、ロルメスを振り向いた。その一瞥には何の感情も篭ってはいなかったが、谷底に突き落とされたのにも似た敗北感が、若者を攻撃的な振る舞いに走らせた。


 「こんなものは戦闘ではない……虐殺だ。私はローリダの共和制に責任を持つ者として、君たちニホン人の戦いに断固抗議する!」

 「批判は甘んじてお受けしましょう。だが本官には、部下の生命を守る義務があります。指揮官として部下を守るために、本官は正しいと信じた命令を下したまでです」

 「では提督、わが軍がまた来れば。同じ命令を下すのか?」

 「彼らの行動に拠ります」

 「…………」


 島村の言葉に、ロルメスは一気に肩の力が抜けていくのにも似た感情に襲われた。島村自身もまたそれを察する。


 「…………」


 沈黙する異国人の若者を、島村もまた無言の内に凝視していた。眼前の若者が利発で誠実な人間であり、愛国者であることを彼は知っている。だがそれ故に、青年の苦悩は彼が推し量れない程大きく、重いものであるのに違いない。


 ――――そして苦悩を解消する唯一の方法が、時間でしかないことをも島村は知っていた。


 『――――旗艦用司令部作戦室(FIC)より報告。友軍機F-15J 4機、「ひゅうが」直上通過!……戦闘空中警戒(CAP)に就きました』


 指揮シートの上から、島村は艦橋の天井を見上げる。

上空ではおそらく……否確実に上空警戒のF-15Jの曳く飛行機雲やベイパーに、蒼に染まりかけた広大なる空間は彩られていることだろう。

 



ローリダ領ノドコール植民地内基準表示時刻12月11日 午前7時36分 ロギノール空軍基地


 ロギノールの位置するノドコール中南部から、ゴルアス半島西海岸までをカヴァーしていた植民地空軍指揮所の戦況表示板より、味方の作戦機を示す輝点が消えて久しい。作戦開始時の熱狂はすでに潮のように引き、全作戦機の未帰還が確定した今では、ただ葬儀のような沈黙のみがローリダ植民地軍の航空作戦全般を統括するこの一室を支配していた。


 「…………!」


 総司令部参謀 エイダムス‐ディ‐バーヨ大佐は、地より湧き出る泉の如くに込み上げてくる驚愕と敗北感とに身を震わせながら、無言のうちに全てが終ったことを示し続けている戦況表示板を凝視していた。


 これは……どういうことなのだ?


 敵たるニホン人は確かにゴルアス半島西岸の制海権確保に成功し、西岸上陸すら伺う勢い。その一方で敵艦隊の迎撃に向かった攻撃編隊は二群とも当の敵艦隊の反撃を受け、文字通りに壊滅した。共和国空軍の敗退は紛れもない事実だ。


 だが……


 ニホン人は……一体どのような魔術を使ったというのか?


 状況から察する限りでは、攻撃編隊はいずれも攻撃目標たるニホン艦隊にかすり傷すら負わせることができず、自軍の攻撃圏内に達するより遥か外で、しかもごく短い時間の間に悉くが撃墜されてしまったものと思われた。言ってしまえば簡単なことだが、実際問題としてそれは可能なことなのだろうか? 

 バーヨは戦慄した。もはや海空の戦闘において、我が軍はニホン軍に対する有効な対抗手段を持っていないことになる。彼らの兵器の射程は長く、その命中精度は凄まじい。


 植民地空軍司令官 サルフ‐サラ‐ゴティアムス中将にいたっては、指揮所の最上段で椅子に凭れかかったまま身を震わせていた。ほんの二時間近く前に、自分が下した命令が如何なる結果を招いたのか今更のように思い知らされたかのようであった。彼が我に帰ったのは、通信士官に震える声で呼びかけられたときだ。


 「……司令官、アダロネスの空軍司令部よりお電話が入っております」


 電話を取った瞬間、聞き覚えがある声が入ってきた。それは彼にとって、絶対神の囁きにも等しい声。


 『……わしだ』


 と、空軍司令官 ル‐カーズ‐ディ‐リ‐ファン 次帥の低い、覇気の篭った声。


 「ファン閣下……!」

 『第一執政官閣下は、ニホン海軍撃退の報を心待ちにしておられる。報告を聞こうか……』

 「……それが、攻撃隊は全滅です。ニホン海軍は依然健在です」

 『第一次隊が駄目なら、第二次攻撃隊を出せばよい。陥ちぬ砦など、この世の何処にも存在せぬ』

 「ですが……!」


 声を荒げる中将の額には、うっすらと油汗すら浮かんでいた。


 『貴公は自分の隊のことだけを考えておればよいが、わしは空軍全体の名誉を考えねばならぬ。貴公の為すべきはその場その場で最善を尽くすことであろう? 貴公に選択の余地はないはずだ。違うか?』

 「……では、第三次攻撃を」

 『貴公の任務を果せ。全国民が貴公の決断に期待している』


 ……放心したように電話を置き、中将は言った。


 「第三次攻撃隊を出撃させる……準備を……」

 「第三次攻撃隊……!?」


 バーヨは驚愕に身を任せ中将を振り向いた。


 「何を考えているのですか閣下!……そのようなことをすれば地上軍の支援に割く戦力が失われてしまいます。残存の飛行隊を温存し、今後の地上戦に備えるべきです」

 「大佐、貴公はわかっておらんのだ。私には空軍と共和国に対する責任がある。その責任を負う限り、私は常に如何なる場合でも部下に出撃を命令するだろう」

 「喩えその出撃が、犬死にに等しいものであっても……ですか?」


 その言葉に中将がバーヨを睨んだそのとき……


 別の通信士官が、バーヨに元へ歩み寄った。


 「大佐殿、総司令部より電文です。読みます……総司令部参謀 エイダムス‐ディ‐バーヨ大佐の任を解き、本国に召還させしむ。即刻現地部隊の輸送航空便に便乗し、本国に帰還せよ……以上であります」

 「…………」


 予想していたことではあった。真実を伝えるためとはいえ、いわゆる「身内」ではない前線視察の元老院議員に前線の実相を漏らしたのだ。只で済むわけがない。それでもバーヨは思った。上層部は取り返しのつかない過ちを、今まさに侵そうとしている、と。


 否……それは今に始まったことではない。


 ニホン軍は、闘いが始まった最初から我が軍の先手を取り、未だに先手を取り続けている。対する我々は次第に彼らの攻勢に対し取り得る選択肢を奪われ、狭められていく。我が軍はニホン軍の実態すら知ろうともせずに先入観のみに突き動かされて戦いに臨み、彼らは明らかに我々の配置と動静の悉くを知り尽くし、満を持して報復に出たのだ。それは、去る7月に彼等が見せた怯惰と狼狽振りからは全く想像し難い展開だった。


 では、どうするのか?……逡巡するまでも無く意を決し、バーヨは再びゴティアムス中将を顧みた。


 「司令、小官に今しばらく猶予を下さい。小官自身の共和国軍人としての誇りにかけて、ニホン人に一矢報いたいのです」

 

 ゴティアムス中将は、まじまじとバーヨを見詰めた。


 「大佐……それは抗命だぞ」

 「罰はもとより覚悟の上。ゴルアスの空に散って行った同胞の苦しみを思えば、針で刺される程度でしかありません」


 数刻の沈黙の後、中将は気圧されたように口を開いた。


 「……わかった。好きなようにすればいい」


 将軍は眼前の若者の進言を、文字通り命を賭した意思の発露と捉えたのかもしれない。指揮所を出、待機するパイロットたちと第三次攻撃隊編成に関する事前打ち合わせを行うべく飛行場へ向かう途上、一人のパイロットが整備員たちと悶着を起こしているところにバーヨは行き当たる。


 「俺は行かなきゃならんのだ! そこを退け!」

 「大尉殿、後生ですから無茶を言わないでください!」

 「ガナスが、ゴンズが!……ルグラが!……みんな向こうにいるんだ。あいつらの仇を取るんだ! ニホンの奴らを叩き沈めてやる!」

 「大尉殿……!」

 「ええい……離せ!」


 自身を押さえ込む整備員たちに拳を振り上げる若者に、バーヨは目を細めた。


 「あのパイロットは……?」

 「もとは第一次攻撃隊の戦闘機隊員ですが、出撃前にエンジントラブルが分かりましてね。飛行を止められたんです。ツイているのかいないのか……」

 「…………」


 無言のまま、バーヨは揉み合いの方向へ歩を進めた。背後に回り、若者が振り上げた拳を掴み上げる。感情に任せた鉄拳を唐突に止められた若者は、驚愕を瞳に浮かべ背後に立った航空参謀を見詰めるのだった。


 「…………?」

 「拳を下ろせ……」


 上官に射竦められ、息を荒げる肩もそのままに若い大尉は拳を下ろした。大尉のフライトジャケットの襟を掴み上げ、バーヨは大尉の顔を引き寄せた。


 「仲間の仇を取りたいか?」


 若者は、頷いた。口は驚愕にぽかんと開かれてはいたが、その目は未だ獅子のごとき戦意を湛えているのをバーヨは見逃してはいなかった。


 バーヨは言った。


 「君の名を聞いておこうか」

 「空軍大尉、ギュルダー‐ジェスであります。参謀殿」

 「よし……!」


 バーヨは頷き、白い歯を見せ笑った。


 「貴官を第三次攻撃隊に加える。それまで体を休めておけ」




 スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前7時44分 ゴルアス半島西方沖


 海岸線が迫るにつれ、海原からは闖入者に対する刺々しさが消え、鏡のような平穏さを以って彼らを遇するようになる。


 『カウントダウン開始!……上陸開始時刻(ゼロアワー)まであと一分……!』


 上陸輸送艇(LCM)は上陸するPKF陸上自衛隊第2旅団の隊員を乗せ、ミズスマシのごとくに事前集積船の周囲で旋回を繰り返していた。戦いを見届け、すっかりと夜の装いが消した空には蒼が広がり、箱型のLCMの中に(ひしめ)く完全装備の男たちをその碧の(ねぐら)から見下ろしていた。


 その蒼穹を割くように延びる。真白い軌条―――――東の果てから投げ掛けられた日光はF-15Jイーグル要撃戦闘機の精悍な機影を照らし、急横転に入った翼端から延びた水蒸気が、さらに機影を飾り立てた。


 「イーグルだ……」


 第2旅団 第15普通科連隊隊員 成宮 覚 一等陸士は、上陸の先陣を切るLCMの船上から、日光を背に受けて上空を駆け抜けるイーグルの機影を、ただ呆然と見上げていた。そのイーグルよりさらに低い高度を、ローターを蹴立てて舞うUH-60Jの黒い機影が急旋回から水平に姿勢を転じ、真直ぐに海岸線へと向かっていく。揚陸艦「おおすみ」を発ったUH-60Jは、おそらく上陸前の事前偵察に赴く西部方面普通科連隊(WAIR)の隊員を乗せているのであろう。


 「フゥア―……ア」


 不意に込み上げてきた欠伸に、今年漸く二十歳を出たばかりの若い身体では抗うことができなかった。起こされたのは午前四時。その直後に起こった海空の戦闘を排水量だけは立派な、一切の武装を持たない事前集積船で震えながらやり過ごし、一睡どころではなかったところにさらには上陸準備に追われ、食事と乗船を果たし待機に転じた途端、LCMの揺れも相まってこれまで脇に追い遣られてきた眠気がどっと押し寄せてきたのだ。それを緊張感の無い所作だと感じたのであろう、近くからきっと自身を睨み付ける分隊長の厳しい視線に気付き、成宮一士は慌てて手で口元を覆った。


 『――――上陸開始まであと30秒……』


 通信兵の背負う携帯無線機に入ってくる上陸管制官の声が、船に身を置く誰の耳にも明瞭に入ってくる。隊員によってはカウントダウンもそっちのけに、最初の実戦を前に高鳴る自身の鼓動に耳を澄ませた者もいたはずだ。ある者はカウントダウンに急かされるまま装備を点検する手を忙しげに動かし、またある者は一切口を閉ざし、自身がこれから赴くことになる海岸線に懸命に目を凝らすのだった。


 『――――上陸開始まで10秒……5、4、3、2、1……前進、前進、前進……!』

 「…………!」


 直後、成宮たちを乗せたLCMは大きく傾き、方向転換を終えたそれらは横隊を形成、鏡のごとき海原を一直線に駆け始める。事前集積船一隻に付きLCM5隻を積載、排水量25トンのLCMは1隻に付き20名の兵員、あるいは高機動車一両相当の重量物を積載可能だ。

 上陸第一陣は陸上自衛隊第2旅団戦闘団より280名、第13旅団戦闘団より220名、そして西部方面普通科連隊より100名の計600名から成る。彼らが協働して海岸線に橋頭堡を確保。あとはそれを拡大するべく兵員及び装備の移送を順調に進めていけばよい。もとより先程まで続いていた海空の戦闘の結果、西海岸線付近の制海、制空権はともにPKFの掌握するところである。


 成宮たちに先行し、すでに海岸線に殺到している奇怪な影に成宮一士は眼を凝らした。腰高なボートに覆帯を履かせたような形状の車体。迷彩したそれは、砂浜を駆け上るやその後部から続々と武装した隊員を吐き出していた。上陸第一陣を構成する西部方面普通科連隊、そして彼らを乗せて火力支援をも担当する水陸両用戦闘車だ。


 「海岸線まで200メートル切った……!」


 成宮一士の乗り込むLCM、操縦席付近から測距望遠鏡を覗き込む海士が声を張り上げた。剥き出しの甲板を叩く潮風は冷たく、艇体に割られた海面の散らす飛沫が、上陸を迎える将兵の頭に容赦なく降り掛かる。手袋をしているものの、手が(かじか)んでしょうがない。だが不思議と顔に当たる風圧はそれほど感じられない。おそらくは顔中に分厚く塗りたくったドーランのせいなのだろう。


 接岸上陸は、戦前に瀬戸内海や九州の宮崎海岸、そして硫黄島で海上自衛隊の運貨船と戦時急増型のLCMとを利用し何度も繰り返した通りだ。間違いなど起こりうるわけが無かった。LCMは基本的に艇長の海曹と操船等の補助を担当する二名の海士の計三名で運用されている。彼らもまた不測の事態に備えヘルメットと救命と防弾を兼ねた分厚いジャケットを纏い、64式小銃を肩から提げている。


 キイィィィィ……ン!


 烈しい金属音が驀進を続けるLCMに並び、それは圧倒的な量感を持つ巨体とともにすぐさま追い抜いていく。普通科部隊を援護するための戦闘車両を載せて「おおすみ」型揚陸艦より発進したエアクッション上陸艇(LCAC)だった。その搭載量が段違いなのは勿論、最大出力でも10ノット/時程度しか出ないLCMと比べ、ガスタービンエンジン装備で、かつ洋上を浮遊して航行するLCACは最大で40ノット/時は出せる。勢いを駆り、海浜に乗り上げたところで上陸を果たすつもりなのだろう。


 「海岸線まで100メートル!」


 すでに、船首からブルーに染まった白浜。その向こうに茂る木々をはっきりと見分けられる距離だった。すかさず、各分隊長の怒声が飛ぶ。


 「実包装填……! 敵の伏撃に備えろ!」


 このとき初めて、成宮たちは89式小銃の膏桿に触れることを許された。此処まではまさに訓練通り。実戦でも自衛隊の厳しい安全管理は変わらないことに、成宮は改めて苦笑を覚えるのだった。


 「海岸線まで10メートル……8、7……5、4、3、2、1……!」


 ブザーのなる音。


 前へ倒される船首扉。


 警笛の鋭い響き。


 土足で掻き乱される浅海。


 前方へ開かれた海浜へ、重武装の男たちは殺到する。


 「行け行け行け……!」

 「遅れるな! 走れぇ―――――……っ!」


 拘束を解かれ、LCACの前部より滑り出た10式戦車が、トーションバーの軋みもけたたましく軽快なスピードで海浜を乗り越えていく。それらから距離を置いて駆ける偵察バイクが、忽ち戦車を追い抜き、まだ見ぬ前方へと走り去っていった。隊員たちはLCMから溢れ出すように海浜を駆け抜け、そして散開し伏射の姿勢で展開を完了する。


 成宮もまた同じく伏せ、小銃を構えた。二脚架を立てて固定した銃の照門に目を凝らすうち、一切の気だるさが成宮の体から消え、青年の目は戦士の目へと変貌を遂げていた。だが、その眼前に狙いを付け撃ち倒すべき敵影は気配すら見せようとはしなかった。


 「前進――――――っ!」


 前方の安全を確かめるや、小隊長の二等陸尉が拳を上げ、命令は忽ち各級分隊長に伝播する。隊員たちは一斉に立ち上がり再び粒の細かい海浜を踏み締めて進んだ。兵士たちの傍らを天井部にMINIMI機関銃を構えた高機動車がゆっくりと走り、前進を援護する。


 「…………!?」


 林間を掻き分け突如眼前に出現した人影に、反射的に小銃を向ける。目深に被られたブーニーハット以外、こちらと殆ど同じ装備をした彼らには見覚えがあった。


 ―――――――西部方面普通科連隊……?


 「撃つな!……味方だ!」


 小隊長の声。据銃を解く隊員たちの前で、人影は駆け足でこちらに接近し、やはり前進偵察に赴いたレンジャー隊員の姿となった。気が付けば彼らの指揮官が小隊長に歩み寄り、二人は地図を片手に進撃路の検討に入っている。


 上空―――――気付いたときには機体側面にヘルファイアミサイルを搭載したSH-60K三機が、盛んに旋回を繰り返しているのを見る。予想し、あるいは覚悟していた敵の迎撃は、ここにはなかった。そして上空を舞うヘリコプターはその数を増して整然とした編隊となり、成宮たちのいる地点よりずっと内陸へと飛んでいった。前方を指差し、小隊長は言った。


 「あの森に応急陣地を構築する。昼飯前に終わらせろ」


 やれやれ……内心で成宮は嘆息する。今日一杯……否、ここ一週間は休む暇を与えられそうになかった。そしてその一週間を生きて過ごせるという確証もまた、彼の心中には存在してはいなかった。


 再び嘆息―――――


 上陸したときよりさらに、ずっしりと重くなった小銃を手に、成宮一等陸士は歩き出す――――――勝利の実感無き上陸。スロリアの、それも敵地の只中に上陸できたことを彼が感慨を以って自覚するのに、未だ長い時間が必要だった。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前8時9分 ゴルアス半島西方沖 PKF海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦DDH-181「ひゅうが」


 『――――前進部隊より報告。上陸地点に敵影を認めず……以上(オーバー)


 その報告を受ける頃には、島村海将は艦橋の外に出、飛行甲板上で離発着を続けるSH-60Kの様子を見守っていた。彼らの任務はいまやお決まりの対潜哨戒や対水上警戒だけではなく、今や上陸部隊の支援にその比重は移っている。


 島村は双眼鏡を構えた。レンズを向けた先は、今なお上陸作戦の続くゴルアス半島西岸。


 洋上を行き交うLCM、海浜に集積された装備や物資、上陸後即座に設営の成った通信塔及び指揮施設――――――双眼鏡の向こう側で広がる上陸の情景に、海将は暫し目を奪われる。


 だが……


 まだ脅威は消え去ったわけではなかった。イージス艦や「ひゅうが」のフェイズドアレイレーダーはノドコール方面より南下を続ける複数の船影を刻々と捉えており、今朝方に半島上空に進出を果たしたばかりの空中警戒管制機(AWACS)は、南部に存在する敵空軍飛行場の動静の未だ不穏なることを報告してきている。海空共同の同時攻撃こそ、島村海将をはじめとするPKF海上自衛隊指揮官の恐れるところだった。戦い抜いたからこそ言えることだが、此処まで来れたこと自体運が良かったのだ。イージス艦に代表される鉄壁の防御システムの有効性を、島村海将は無批判に信じているわけでは決してなかった。どのようなものであれ、人間が創り上げたものには必ず限界があり、そして綻びがあるものだ。我々だけが、どうして例外と言えようか?


 「…………」


 先刻の海戦、そして対空戦闘で、味方の一方的な敗退をその眼前で目の当たりにしたローリダ人青年の、絶望に打ちひしがれた顔を島村は思い浮かべた。ロルメスという名の、ローリダでも高い地位にあるという美青年は、今しがた彼の忠実な側近に付き添われ、島村が彼のために用意した士官室へと傷心の身を沈めていったのだった。彼が失意から立ち直り、こちらともう少し建設的な話ができるまでどれほどの時間が必要だろうか?……否、ひょっとすれば、今次の戦いは若い彼の胸に、我々への拭い難い敵愾心と復讐心とを宿すことになったのかもしれなかった。


 「ローリダ艦の乗員たちはどうしている?」


 と、島村海将は幕僚に聞いた。


 「内火艇を使い速やかに輸送船に移乗させ、作戦終了後厳重な監視の下後送することになっていますが、どうかなさいましたか?」


 島村は顔を曇らせ、形のいい顎を摘んだ。


 「そうか……警備指揮官にはなるべく、彼らを丁重に扱うように言っておいてくれ」

 「はっ……念を押しておきましょう」


 朝方、乗員には戦闘食の配付が始まり、乗員は配置に付いたまま給養員心尽くしの弁当を頬張っていた。副官が島村の傍に立ち、この朝何杯目かのコーヒーを差し出した。


 「……司令も、お食事をなさって下さい」

 「後で頂くよ」と、熱いコーヒーを取り、島村は笑みを浮べる。コーヒーを手に艦橋の外へと出、見上げた先には、上空直援の空自機が曳く幾重もの飛行機雲や水蒸気が縦横無尽に交差し、空域一帯に広がっていた。


 「きれいだな……」


 呟くと同時に、2機のF-15J要撃戦闘機が「ひゅうが」艦橋スレスレを高速で航過し、再び雲一枚を隔てた上空へと機首を向けて行った。危うく振り落とされかける艦内帽を庇いながら、島村は友軍機の勇姿に目を細めるのだった。連絡幹部が小走りに彼の許に駆け寄り、敬礼した。


 「司令、至急FICまでおいでください。統幕が司令に途中経過に関する説明を求めておられます」

 「あいわかった」


 踵を返し、海将はもと来た道を引き返し始めた。




ローリダ国内基準表示時刻12月11日 午前10時31分 首都アダロネス 第一執政官官邸


 ギリアクス‐レ‐カメシス第一執政官は、その居城と言っても過言ではない第一執政官官邸で、国防相カザルス‐ガーダ‐ドクグラム大将の報告に、頬と肩を交互に震わせながら聞き入っていた。


 「植民地艦隊が……壊滅しただとぉ……?」


 その一言を振り絞るまでに、少なからぬ沈黙が必要だった。近来にない、あまりに歴然とした敗北に、カメシスならずとも言葉を失ったことであろう。その一方で入室から報告の終りまで、表面上は平静を保っているドクグラムが、激昂を抑えるのに難渋している彼の上司に比して鮮やかなまでの対照さを為していた。


 「貴公はよくも平然とした顔をしている。わしが魔法の壷でも擦ればいくらでも艦隊や兵士が湧いて出るとでも思っておるのか?」

 「現在空軍が全力を上げゴルアス半島に出撃し、上陸作戦を進行中のニホン艦隊を攻撃しております。空軍は必ずやニホン艦隊を撃退し、ゴルアス半島を奪回することでありましょう」

 「それは、希望的観測というものではないのか? 海軍はともかく、空軍にニホン艦隊を撃滅する目算はあるのか?」

 「ファン次帥を通じ、現地部隊を督励させております。必要とあれば、増援を送る用意もあります。ご安心ください」

 「しかしニホン人め……ここまでやるとは!」


 カメシスは毒付いた。艦隊壊滅の報は今のところ、いわゆる文民の間ではカメシスにしか知らされていない。彼らの秘密主義が元老院であれほどの反発を巻き起こしたのにも拘らず、戦況に関する詳細の一切は未だカメシスと軍部の掌中にあった。


 だが……それも何時まで続くか判らない。その端緒はすでに現れている。



 秘書官が現れ、カメシスに来客を告げた。


 「ナードラ女史には、見目麗しく何より……」


 数秒を経て彼に伴われて現れたのは、ルーガ‐ラ‐ナードラだった。彼女に対する執政官の挨拶の内容は、傍目から見れば事実ではあったが、口に出したカメシスはそれが心にもない言葉であることを自覚していた。一方で、突如第一執政官官邸に召喚されたナードラ自身もまた、国政の最高権力者を前にしても、その厳しい眼光を些かも緩めることは無かった。


 「用件は、何で御座いましょう? 第一執政官閣下」


 口調こそ疑問形ではあったが、彼女は自分がここに呼び出された理由を知っていた。それはあの元老院特別会以来、彼女が市井で為してしまったことに起因する。


 憮然として一枚の新聞紙を、カメシスはナードラの眼前に投げ出した。最高権力者にあからさまな隔意を示され常人なら萎縮するところを、彼女は何等表情を見せずに新聞紙を見遣るだけだ。


 『ニホン軍奇襲攻撃 スロリア前線部隊壊滅 死者12000名』


 と、一面にでかでかと載せられた活字。この日、ルーガ財閥に連なる日刊紙に載せられたスロリア戦線の詳報は、今や津波の如き勢いで首都アダロネスの市井は勿論、各地をも席巻し、国民に動揺をもたらしている。


 「賢明な行為とは思えぬ……そなたは、自らの為したことがわかっているのか?」

 「第一執政官閣下、ローリダは民主国家で御座います。民衆には政府と軍が戦役に際し何を為しているかを知る権利がある」


 口調は淡々としていたが、その裏側には静謐なまでの怒りがあった。それは秘密を作り、国民に真実を伝えない政府に対する怒り。


 「だが、そなたが為しておるのは国内に徒に混乱と動揺を誘い、国民の結束に皹を入れるが如き暴挙だ。そうではないか!?」

 「そのような敗報で揺らぐほどに、共和国の国民は惰弱では御座いませぬ」

 「何だと……?」と、ドクグラムが呻いた。入室以来、自分と一度も目を合わせようとしない彼女の非礼に対する怒りもあったのかもしれない。


 ナードラは立ち上がった。そして浮き上がるような歩調で執務室の窓辺に歩み寄った。窓辺から見える外を一瞥し、彼女は微笑と共に執政官を省みた。


 「執政官閣下……こちらへ」


 ナードラは手招きした。国家への貢献者とはいえ一介の議員に過ぎないナードラは、カメシスから見れば明らかな格下ではあったが、その仕草と声には何故か逆らえないものがあった。促されるまま窓辺のテラスに進み出たカメシスの眼前に、驚くべき光景が広がる――――――


 「これは……!」


 ――――ローリダ民族の仇敵 ニホンを倒せ!


 ――――ニホン人に死を……!


 ――――ニホン殲滅こそ、我が共和国の大義!


 連呼される声は、まさに敵意と戦意の奔流であった。壮麗な第一執政官官邸の執務室。そのテラスから臨める限りの一帯を、何処からとも無く集ってきた群衆が埋め尽くし、口々に戦争の大義と宿敵に対する報復を叫んでいたのだ。


 「御覧になりましたか? 執政官閣下」

 「…………」


 ナードラの囁きにも拘らず、執政官は自分の眼前で起こっていることが未だに信じられないかのように、大きく見開かれた目の焦点を揺るがせていた。ドクグラムに至っては目から一筋の涙を零し、只感動の赴くまま、無心に眼下の熱狂に見入っている。

ナードラはその花弁のような唇を執政官の耳元に寄せ、さらに囁いた。


 「……敗報もまた使いようです。敗北には報復を以て今後の指針と為せば民はそちらに靡きます。新聞以外の媒体でも、これは為されるべきです」

 「わかった……! ニホン軍の奇襲の悪辣なること、我が軍を襲った悲劇を強調し、国民に訴えればよいのだな?」


 カメシスの言葉に、ナードラは頷いた。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午後0時12分 ゴルアス半島西方沖 PKF海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦DDH-181「ひゅうが」


 上陸作業の合間に醸成された束の間の平穏は、CICの甲高い警報音に瞬時にして霧散せしめられた。


 『―――――武装舟艇の接近を確認!……魚雷艇及びミサイル艇による快速機動部隊と思われます』

 「来たか……!」


 CICの指揮シートの上で、「ひゅうが」艦長 嶋崎一佐は臍を噛み締めた。敵はやはり諦めてはいなかったのだ。言い換えれば、必死なのだ。そして未だ上陸作業を続け、動けない輸送船や補給艦を沿岸部に抱えている我々は、鬼気迫る敵の襲撃から是が非でもこれらの船舶を守りきらねばならない。


 「機動打撃群の全艦へ連絡、第三戦速で北上、散開し防衛線(ピケットライン)を敷くぞ」


 命令し、そして内線電話を取り上げる。繋いだ先は「ひゅうが」飛行長直江 光四郎 二等海佐。


 「哨戒ヘリを全機上げろ。前面に展開させる」

 『――――了解!』


 直江飛行長の弾んだ声に、嶋崎艦長は高い戦意の程を感じ取る。そしてLSDの青い光の中で、PKF機動打撃群8隻は加速を続けながらも見事な雁行陣を形成していた。その中に、新たに加わる8基の光点―――――それはAGM-114Mヘルファイア対艦ミサイルを搭載したSH-60Kが展開を終え、艦隊直援のために前進を開始した瞬間だった。


 『――――目標敵舟艇(マーク)、数27、方位(ヘディング)3-4-2。距離(レンジ)100(マイル)速力(ベクター)27ノットで依然南下中!……艦隊防衛線(ディフェンスライン)到達まであと2時間……!』

 「全艦に下令、距離100を切ったら攻撃を開始する!」


 敵艦の射程外からのSSM一斉射撃。嶋崎艦長を始め、CIC要員の中にはこの瞬間に勝利を確信した者もいたかもしれない。


 ……だが、それは未だ早すぎた。


 『――――レーダーに感! 敵攻撃機編隊第三波接近中!……距離150浬!』

 「…………!」


 LSDに映し出された新たな輝点の連なり。北方からLSDの画面を侵食するかのように現れたそれは海を駆ける輝点よりもずっと動きが早く、その勢力の拡大を続けることはあっても縮小することは決してなかった。仄かに生じた未来への楽観は、この瞬間まさに土足で踏み潰される。


 そして――――


 更なる報告は、艦長の愁眉を開かせた。


 『――――方位1-2-7より機影接近!……友軍機です!』


 来たか……航空自衛隊。


 LSDに目を凝らした先、急速に艦隊上空を指向し、到達しつつある複数の機影に彼は目を細めた。その数は敵編隊に比して決して多くは無かったが、海にあって煉獄に身を晒す者たちにとって、この上ない救いであるように思えたのだ。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午後0時16分 ゴルアス半島西方沖上空


 ――――虚空を劈く、抑制された女性の声。


 「――――ハヤブサ‐リーダーより全機へ、戦闘空域に入った。ACM準備(スタンバイ)……!」


 全周を見渡す限りに広がる雲海は、戦闘海域の上であたかも一つの大陸を為していた。

 後方に三十度角度を付けられたF-2A支援戦闘機のコックピット座席に、長い間腰を下ろしていると、その隼の嘴を思わせる鋭い機首に、身一つで括り付けられているような感覚を覚えるものだ。


 PKF航空自衛隊スロリア派遣航空団 第306飛行隊飛行班長 来栖 美智(みさと) 三等空佐は、その胸の高鳴りの任せるままに乗機F-2Aを左バンクに入れ、眼前の層雲を避ける針路を取った。通常の装備の上、両翼と胴体中心線に重い増槽を抱いてはいたが、圧力感知式の操縦桿はほんの少し手先に力を込めるだけで、機を忽ち望み通りの方向へと導くことが出来る。


 来栖三佐の背後には同じく7機のF-2Aが付き従い、梯団を組んで蒼穹の戦場を突き進んでいた。30000フィートを越える上空では容易に延びる飛行機雲が、天空の蒼を背景に幾何学的に延び、そして絡み合い、それらはあたかも天空の一点に起った烽火を思わせた。


 さらに視線を転じれば、その先にもやはり飛行機雲は延び、広がっていた。F-15Jイーグル装備の第203飛行隊に所属する8機だった。今回の任務はどちらかと言えば要撃専門のF-15Jの仕事だが、他戦線にも要撃機を充足させる必要から対地/対艦攻撃専門のFS飛行隊にもお鉢が回ってきた形となったのだ。だが上空の制空権確保という至上命題を果たすべく、パイロットにはいずれも総飛行時間2000以上のベテランを厳選している。


 ゴルアス半島西岸の制空権を確保せよ……!


 西岸上陸作戦に呼応し、PKF空自部隊は戦力の一部を緒戦で制圧の成ったゴルアス半島東部の敵飛行場に進出。作戦発起と同時に作戦機を発進させ上陸部隊を空から援護する手筈になっていた。だが設営作業の遅延から展開が遅れたことと、そして敵空軍の対応が予想以上に早かったことが災いし、上空進出は七時と少なからず遅れることとなったのだ。


 だが……その借りは倍にして返す!―――――それを来栖三佐ならずとも、飛行場より発進し上空で編隊を組んだ瞬間から心に期していた。


 『――――イヌワシより全機へ、敵攻撃機編隊(バンディッツ)、護衛艦隊上空に接近中。方位(ヘディング)3-1-1。彼我の距離(ディスタンス)140……機数41と確認』


 AWACSからの通信に導かれるかのようにスロットルレバーのスウィッチを押し、レーダーを遠距離策敵モードに変換した。探知までは未だ間がある……だが、こちらのレーダーに入るまで数時も要しないだろう。F-2Aの広角HUDヘッドアップディスプレイには既にデータリンクを通し、AWACSが探知した敵機の方向が矢印となって表示されている。


 来栖三佐は、翼端部ハードポイントに搭載されたAAM-3短距離空対空誘導弾に目を凝らした。F-2Aは空対空装備としてAAM-3四発とAIM-7F中距離空対空ミサイル四発を搭載している。また、操縦系統に電気制御方式を導入しただけあってF-2Aの運動性は高く、戦闘機として完成されたF-15Jのそれを凌駕することはもとより(加速、上昇力の点ではまだF-15Jの方に分があったが……)、精緻を究めた飛行制御プログラムの導入は、水平姿勢を維持したままの上下運動や左右に機首を向けたままの直線飛行など通常では考えられないトリッキーな機動を可能としているのだった。


 ――――その間、来栖三佐は機体の高度を徐々に落とし、機はやがて下層雲に腹を接せんばかりの高度を飛ぶまでになっていた。そしてそのまま、F-2Aは雲を抜け護衛艦隊の上空へと出る。


 見晴らしの良いコックピットからは蛇行を繰り返し上空や海中に目を光らせる味方護衛艦の他、「しもきた」、「くにさき」の二隻の揚陸艦を発進したLCACが、鏡のような波間を割りまっしぐらに沿岸へと向かっていく姿を鳥のように眺めることが出来た。


 漲る決意――――彼らを、必ず守り抜いてみせる……!


 さらに上昇に転じたところに、再びAWACSの報告。


 『―――彼我の距離(ディスタンス)100哩……全機、警戒を厳に……!』

 「了解(ラジャー)全機増槽落とせ(ドロップタンク)。高度24000まで上昇(エンジェル24)


 残燃料の白い糸を曳きながら翼下から離れていく二本の増槽……軽快さを増した機体は忽ち鱗状の雲海を駆け上り、両軍の距離はさらに詰った。そして策敵モードのHUDに、狐火の如く複数の矩形のシーカーが浮かび上がる。空対空策敵モードに変換したF-2Aのフェイズド‐アレイ‐レーダーが敵機を捕捉した証だった。


 敵の高度は22000フィート、ボクシングで言えば敵の顎下に拳を突き上げ、アッパーカットを食らわせようかという位置関係だ。そして敵は、こちらが前下方から接近していることに全く気付いていない様子だった。さら言えばいち早く上昇した第203飛行隊のF-15Jが側上方から敵編隊を包囲し、こちらが攻撃をかけるのと同時に敵編隊を攻撃する手筈になっている。


 シーカーの一つに三角形のシュートキーが浮かび上がった。同時に来栖の瞳の奥で何かが弾けた。


 「隊長機(リード)……中距離空対空誘導弾発射(フォックスワン)!」


 コール一下、反射的に放ったスパローは二発。


 それは一発が外れた場合の備えの他、命中後すぐさま別の目標に二本目を指向させるという意図もあった。それは個別の目標を捕捉、追尾し得るアクティヴ-フェイズド-アレイ-レーダーを搭載するF-2Aだからこそ可能となる芸当。僚機もまた次々とスパローを放ち、それらはさながら蒼穹に投掛けられた投網のごとくにそれぞれの獲物へと向かっていく。


 HUDは放ったスパローが狙った獲物に到達する時間まで、パイロットの眼前で数値化して示してくれる。その数値は急速に縮まることはあっても、決して増えることは無かった。


 命中まで10秒…9……6……4…3…2……命中!……来栖三佐の眼前で小さな赤い炎の花が咲く。ほぼ時を同じくして炎の瞬きは連鎖的に広がり、かつては敵の戦闘機だった銀色の破片を空高くに撒き散らしていくのだった。二発目もまた瞬間的に捕捉した別目標の戦闘機に突っ込んで片翼をもぎ取り、そこで爆発した。


 「こちら隊長機(リード)……命中を確認(ブルズアイ)!……二機撃墜(スプラッシュツー)

 『ツー、一機撃墜(スプラッシュワン)!』

 『スリー……命中を確認(ブルズアイ)


 景気のいい報告が、次々にヘルメットのイヤホンに飛び込んでくる。距離はさらに詰まり、翼端からベイパーを曳きながら鮮やかな横転に入った来栖の眼前に、未だ健在な敵編隊の機影が明確な輪郭を以って迫ってきた。


 煌く眦――――もはや中距離空対空ミサイルが用を成す距離ではない。


 あとは近接格闘戦(ドッグファイト)で勝負を付けるのみだ。



 

 スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午後0時17分 ゴルアス半島西方沖上空


 「…………!?」


 絶句すると同時に、ギュルダー‐ジェス大尉は彼の列機全てを失った。矢のような光と味方の機影との交差、それが全てだった。あるものは主翼や胴体を引き裂かれ、またあるものは火の玉と化して雲海の彼方へその代わり果てた姿を沈めていった。おそらく操縦していた仲間たちも、自分の身に何が起こったのか知る術も無かったのに違いない。そして惨状はギュルダーと彼の同僚がそれを衝撃として意識する間も無く拡大し、ローリダ空軍第三次攻撃隊は一瞬にしてその戦力50機中の半数を失った。


 敵機の追尾を必死に回避しようと愛機レデロ-1の機体を傾けながら、ギュルダーは後悔にも似た感情に囚われていた。わが空軍は、出撃するべきではなかったのだ!……と。もしくは、攻撃は海軍と協同して同時に行うべきだった。そうすれば敵の海軍は海上と上空から迫る我々の対処に手を焼き、我々が付け込む隙も出来ようというものだったろう。そしてそれは、我が方が未だ十分な戦力を有している段階で行われるべきであった。


 だが……もう遅い。効果的なそれをなすべき戦力は、ここ数時間の戦闘で完全に払底してしまっている……!


 ジェスは思いを巡らせた。第一次攻撃編隊が突然消息を絶った時点で、全ては決まっていたのだ。ニホン軍は我々の及びもつかない新兵器を持っていて、彼らは戦況を報ずる間も与えられずに、その餌食となったのに違いない。そしてまた、我が隊もその敵の新兵器に遭遇する前の段階で、いきなり出現してきた敵空軍を前に壊滅しようとしている……!


 敵空軍がこちらの視界の及ばない長距離から相手を攻撃する兵器―――長距離空対空ミサイル―――を実用化しているという噂は、やはり本当だった。眼下から迫り来るミサイルの存在に気付いた時には、直援隊のレデロ-1 20中17機が墜とされ、少なくとも編隊を構成する半分の作戦機がその瞬間に失われたのだ。


 ジェスに至っては、まさに間一髪でミサイルの追尾より免れ、その直後には筆舌に尽くし難い混乱がやって来た。四周より突っ込んでくるニホンの戦闘機。為す術を失い狼に追われる羊の群れの如くに爆弾を投棄し逃げ惑う味方機……ジェスと彼の愛機もまた、その混乱を織り成す風景の一部と成り果てていた。


 味方の戦術的な過誤も然ることながら、ギュルダーは敵艦隊の圧倒的な防御力に内心で舌を巻く思いだった……ニホンの奴らは、一体どんな魔法を使って無敵を呼号した我が艦隊を、そして我々の仲間を消し去ったというのか?


 だが元々……ニホンはこのような戦力を有していない筈ではなかったのか? 

だからこそ我が国はニホンを追い詰め、彼らを戦争に志操したのではなかったのか?


 「…………!」


 回避機動を取る一機のレデロ-1、その後背から追い縋る敵戦闘機の姿に、ギュルダーは目を見張った。

 鷲のように幅の広い主翼、嘴の如く先に伸びた機首、海の蒼をそのまま写し取ったような群青に全身を覆ったそいつは、レデロの急上昇など物ともしないかのようにぐんぐん距離を詰め、空を滑るような姿勢から機銃を放った。飛び散る破片が銀色に輝き、直後に機体から炎を噴出したレデロはそのまま自転に陥り、直後に爆発した。敵の戦術の巧妙なることも然ることながら、彼我の機体には圧倒的な性能差がある。


 ……にもかかわらず、次の瞬間にはギュルダーは勝ち誇ったかのように離脱に転じる敵機を追尾していた。戦闘機乗りとしての本能を前に、性能差などもはや何の瑕疵にもならなかった。怒りとそれに増幅された烈しい戦意が彼を突き動かし、勝ち目の無い戦いに駆り立てる―――――



 『――――ハヤブサ‐リーダー、追尾されている(チェック‐シックス)回避せよ(ブレイク)!』

 「…………!」


 首も折れよという程の急角度で傾けた視線の先、全周囲の視界を確保されたバブルキャノピーから映える一点に、鮫の口のようなインテークが印象的な敵戦闘機の姿が背後に迫っていた。AWACSの指示は的確だ。新たな敵機の姿を認めるや、来栖三佐はフットバーを踏み込みジョイスティックに力を込める。


 急激に引き下げられたスロットルレバー。


 そしてエアブレーキ!……急減速の反動と圧し掛かる加速度に浮き上がりかける躯を、ハーネスが骨も砕けよと締め付ける。急減速の激しい振動が機体を、そして躯を襲う。だが強化炭素複合材を多用したF-2の機体と来栖三佐の鍛え上げられた肉体はそれに十分耐えた。


 そして――――


 黒いヴェールの下り掛けた視界の先に、追尾に失敗しオーバーシュートした敵機を、彼女は見逃さない――――


 「…………!?」


 しまった!……驚愕とも焦燥とも区別の付きかねる表情で、ギュルダー‐ジェスは背後を見遣った。


 その視線の先、突き立てられた刃のような敵機の正面が、しっかりと愛機レデロ-1の背後に食い付いていた。もとよりスロットルは全開にしているが、そのような子供騙しが通用しない相手であることぐらい空戦に入る前から思い知らされている。


 ギュルダーは即座に理解する―――――性能がいいだけではない。


 ニホンのパイロットは、腕もいい。


 自分を追う敵が距離を詰めてこないのは、そのミサイルを撃つためだということをジェスは知っていた。共和国空軍でも最新鋭のゼラ‐ラーガは、その自慢のレーダー誘導ミサイルを撃つためには、目標に対しある程度の距離を取って置く必要があるという話を聞かされていたからだ。奴らの戦闘機もまた、ミサイルを撃つべくこちらと距離を置こうとしているのだろう。


 速度を稼ぐために、ジェスは一気に機首を下げた。もしくは自暴自棄に陥ったのかもしれない。

同時にジェスは、敵が発射したミサイルが愛機の尻に食い付く姿を脳裏で想像する―――――


 「…………?」


 降下を続けること数分が過ぎたように感じられた。そして不意に襲ってきた静寂に、ジェスは襲い来る衝撃に備え下げていた頭を再び上げた。その彼の眼前で、複数の航跡が青い海面に幾何学的な白い紋様を作っていた。再び背後を顧みた先に、あの敵機の姿はいなかった。


 敵艦隊……!?


 さらに目を凝らした海面、雁行状に連なる敵艦隊の、堂々たる布陣を眼にしたその瞬間、ジェスは自分達の作戦の失敗を悟った。


 このままだと海軍の突入は失敗する――――――同時に沸き起こる怒りに、ジェスは食い縛った白い歯を剥き出した。


 どうせ負け戦なら、あの連中を道連れに俺の死に花を飾ってやる……!


 「…………!?」


 そのとき、機体を襲った烈しい衝撃に、ジェスは握っていた操縦桿が軽くなるのを感じた。瞬間的に、彼は愛機の操縦系が破壊されたことを直感する。そして見渡す限りの主翼一面に穿たれた、外板を引っぺがしたかのような穴に、ジェスは愕然として目を見張った。彼一機に指向された速射砲の一斉射がジェスのレデロ-1の至近で炸裂し、撒き散らされた破片が機体を貫いたことを、彼は攻撃を受けるそのときまで知らなかったが、彼が脳裏に「脱出」の二文字を引き出すのに数秒と掛からなかった。


 「…………!」


 手を延ばして非常開閉レバーを引く。一瞬で作動した火薬はバブルキャノピーを枠ごと吹飛ばし、襲い来る烈しい風圧に耐えながらジェスは緊急脱出レバーを引いた。数刻のタイムラグを置き、噴出した噴煙は烈しい加速を伴って彼をレデロ-1の座席ごと蒼空の高みへと解放した。

 



スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午後0時25分 ゴルアス半島西方沖上空


 『――――イヌワシよりハヤブサ‐リーダーへ、上空監視は304が引き継ぐ。安全空域まで移動し、空中給油を受けよ。次の飛行任務は追って指示する』

 「……ハヤブサ‐リーダー、了解(ロジャー)


 空戦の終了を告げる声の次に、溜めていた息が酸素マスクの中で反響する音を聞く。


 残り少なくなった燃料を減らさないよう、来栖三佐は愛機F-2Aをゆっくりと右旋回させた。もっとも、F-2Aのセントラル-コンピューターはその時その時の状況に合わせ、操縦系及び火器管制、そして燃料系等パイロットが操縦操作そのものに集中できるようあらゆる気配りを見せてくれる。これを技術の進歩と呼ぶのか、はたまたパイロットの堕落を招く元と見做すのかどうかは、判断する基準を彼女は持たなかった。


 「隊長機(リード)より全機へ、40000フィートまで上昇(エンジェル40)。帰投針路を取る」


 『了解』と、列機から次々に上がる声……空戦で2機が被弾したが飛行に支障なし、一方でこちらは40機を墜とした。近来に無い大戦果……空自は時間にしてわずか20分あまりの空戦で、護衛艦隊迎撃に発進して来た敵戦闘機群を全滅させ、護衛艦隊と上陸部隊を守りきることに成功したのだ。

隊長の彼女もまた二機を撃墜した―――――本当なら三機目を墜とすところを、三番目に追った敵機は護衛艦隊の守備範囲まで逃げ延びたため、やむなく追尾を断念したが……。


 高度40000フィート。この高度まで上れば、燃料消費を格段に抑えることが出来る。見晴らしのいい操縦席から視線を廻らせば、こちらと同じ高度を擦れ違うかのように、新たな飛行機雲の連なりが戦闘空域へと向かっているのが見えた。304飛行隊のF-15J、そして302飛行隊のF-2Aだ。


 来栖三佐たちの空戦は、終った。彼女達と入れ替るように戦闘空域へ向かった彼らが、新たな空戦の機会を得られるという保証はすでに無くなっていた。


 そして―――――


 空を舞うもののいなくなった海に、最後の戦いが繰り広げられようとしていた。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午後0時30分 ゴルアス半島西方沖上空


 『――――レーダーに感(コンタクト)方位(ヘディング)3-3-0。距離(レンジ)30。速力(ベクター)30に増加―――――』 


 すっかり明るさの戻った機内に、航空士の報告が冷徹なまでに響く。


 愛機の水平姿勢を保ったまま、ヘリコプター護衛艦 DDH-143「しらね」搭載SH―60K哨戒ヘリコプター機長 上総 栄一郎 三等海佐は密雲の掻き消えた水平線の彼方に目を凝らした。今回のフライトで飛行隊長を務める彼の背後には7機のSH-60Kが展開し、ホバリングの姿勢を保ったまま攻撃開始命令を今か今かと待ち構えている。すでに搭載するAGM-114ヘルファイア対艦誘導弾の射程に入ってはいるが、上総三佐は命中率を高めるべくさらに距離を詰めさせる。


 目標の確実な撃破こそ、ヘリ部隊の何よりの使命。


 その一方で、MFDのレーダー画像に映し出された敵影を、複雑な感情で見詰める上総がいた。

すでに空の傘を失った一方で、なおも南下を続ける敵艦隊。


 例えこちらの攻撃を潜り抜けたとしても、やはり護衛艦隊の織り成す電子と鋼鉄の槍衾が待ち構えている。


 敵艦隊とて、すでにそれを理解しているはずだ。


 彼らを突き動かしているものは使命感か、勝利への目算か、それとも……?


 思考を廻らせる内、上総から敵に対する迷いが醒め始める。


 そして――――


 『―――指揮官機(リード)へ、武器の使用(アーミング)を許可する(オールグリーン)』と、旗艦よりの力強い返事。


 吐き出される溜めた息。


 操縦桿のミサイル発射ボタンのロックを、上総は指先で払った。そこに航空士 柘植一等海曹の報告。


 『機長……画像出ました!』


 探知モードを変換した直後のMFDの画像に、上総の眼は釘付けになった。レーダーはその暗灰色の像の中に、見事なまでに洋上を此方へ向かい驀進する敵艦の艦影を映し出していた。


 ―――――その瞬間、上総の腹は決まる。


 シーカー起動ボタンを押し、目標をロックオンさせる。MFDの中央に現れた照準ピパーは、しっかりとこちらに舳先を向ける敵艦の艦橋部を捉えていた。


 イヤホンに奔る「ジー……」という電子音は、発射可能を告げる福音。期せずして哨戒機間のデータリンク機構は、彼の指揮する全機が、一斉に個々の目標をその火器管制装置に捉えたことをMFDに表示する。


 『目標……ロックオンしました!』と、柘植一曹。

 「発射(ファイア)ッ……!」


 直後、上総は発射ボタンを押した。


 最初に火焔が生まれ、火焔は炎の矢となってヘルファイアの弾体を虚空へ解き放った。そして延びた火焔は、二発目も続き数十キロ離れたローリダ共和国海軍ミサイル艇「バロテーク7」の艦橋を直撃し、急報を報告する間も与えず32名の乗員とともに海底へと沈めたのだ。


 『命中……!』

 「引き続き残弾を発射する!―――――」

 『レーダー、ロックオン!』

 「第二弾発射(ファイア)!」


 着弾は連鎖的に拡大し、ローリダ海軍植民地艦隊遊撃戦隊は、一斉射にしてその戦力の過半を喪失した―――――




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午後0時37分 ゴルアス半島西方沖 PKF海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦DDH-181「ひゅうが」


 『―――――目標敵舟艇、全艦撃破。この海域における脅威は全て消滅しました』

 「そうか……」


 島村海将の顔に宿っていたものは、決して勝利の余韻ではなかった。むしろ彼のそれは、敗北を喫したのと同じ苦渋の表情。滲み出る苦渋に任せるまま、彼は哨戒ヘリからの送信によりLSDに映し出された敵艦の画像に見入るのだった。その艦体の過半を水面下に没し、濛々と黒煙を噴き上げる敵艦の姿。それは決して一隻だけではない。黒煙は見渡す限りの各所から上がり、艦によっては爆発に伴う紅蓮の焔すら上がっていた。


 自軍が、単に技術や練度のみによって勝利を得たのではないことを、島村は知っていた。

 もし敵がこちらの戦力を正当に評価し、十分な戦力を投入できた当初から海空連合の同時攻勢をかけてきたならば、以後の状況は大きく変わっていたかもしれない。イージスシステムやデータリンクといえど、時として圧倒的な数的優位の前には常に万能の存在ではない。「こんごう」の至近弾がそれを証明している。そして敵が自軍の過誤に気付き戦法を転換したときには、それを有効ならしめる数的優位は完全に失われていたのだ。


 結果的にはPKFは、敵のミスにも救われた。


 日が昇り、それを吸い込んで青みを増した海原、かつては敵艦の存在した痕跡の周囲に漂う、艦の一部を為していた資材や金属板、そして漂っていたのは無機物だけではなかった。九死に一生を得て漂う複数の生者をその中に見出したとき、島村は突き動かされたように艦内電話を取っていた。


 「嶋崎艦長……敵艦の生存者が見えるか?」

 『―――――はい司令……救助ですね?』

 「ああ……」


 力なく、島村は頷いた。敗北に瀕した敵を前に、艦長が自分と同じ感慨を抱いていたことに、島村は内心で安堵する。


 『―――――ご安心下さい。すぐにヘリを向かわせます』


 ……通話を終え、島村は指揮シートに凭れ掛かった。


 この戦いは決して対等な戦いではない。


 むしろ虐殺だ。


 自分は戦闘ではなく、虐殺の指揮を執ったも同じではないのか?


 だがやはり……これは祖国のために必要な戦いだったのだろう。


 一人の先人のことを、島村は脳裏に思い浮かべた。


 かの「転移」前の日露戦争。大国ロシアを前に未曾有の総力戦に臨むこととなった草創間もない日本海軍において、日本海海戦の歴史的勝利を演出し、名参謀と称された秋山真之は、後にその勝利ゆえ多くの敵軍将兵を死に至らしめたことを深く痛惜し、その後一生を焦燥に苛まれ続けたという。今次の戦いを経、島村はその秋山参謀の心情の一端を理解できたように思えた。


 焦燥――――― 一軍の将たる自分は、戦が続く限り、あるいは一生この焦燥に耐えねばならないのだ……自衛官たるを志した以上、それは仕方の無いことなのかもしれない。


 『―――――上陸部隊司令部より入電。揚陸部隊の展開を完了。護衛艦隊の支援に感謝する……以上です』


 全ての終わりを告げる報告に、島村は無言のまま頷いた。


 敵は全てを失った。


 我々もまた、何かを失った。




 スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午後1時48分 ゴルアス半島西方沖 PKF上陸地点近海。


―――――――――――――――――――――――――

 日本国内基準表示時刻12月11日 午後1時43分 SNNサンケイニュースネットワークスタジオ


 「―――――この時間は予定を変更し、スロリア有事関連の報道特別番組をお送りしております。えー……今さっき情報が入りました。防衛省、統合幕僚部発表 現地時間午後0時45分、PKFは今日12月11日未明より開始したゴルアス半島西岸上陸作戦を終了。その際の武装勢力の反撃を、多大な損害を与えて撃退した……とのことです。


 え?……繋がりましたか? 


 えー……たった今現地にいる間宮特派員との通信が回復いたしました。それでは上陸地点にいる間宮さぁーん? 間宮さん?―――――」


 (空電音……)


 『―――――ハイッ間宮です。私は今、上陸作戦に同行するPKF陸上自衛隊後方支援部隊の一員として、上陸輸送艇より中継を行っています! ご覧下さい!……作戦に必要な物資を積んだ大小の舟艇が近海を移動し、上空は航空自衛隊の戦闘機が警戒任務に当たっています。海上自衛隊及び航空自衛隊は既に付近一帯の制海、制空権を掌握、ゴルアス半島は完全にPKFの勢力圏に入り、上陸地点は後続の地上部隊を迎え入れる準備に追われています……!』

 「間宮さん? PKFの、今後の行動予定をお聞かせ願いますか?」

 『―――――それは未だ発表されておりません』

 「……送信して頂いた映像情報を見る限りでは、早朝の戦闘はかなり烈しかったようですが、間近で直に見た感想はどうでしょう?」

 『―――――早朝の戦闘ですが、私の見た限りでは文字通りの激戦でした。護衛艦隊及び輸送船団に損害の生じなかったのが不思議なくらいです。ただし武装勢力にしてみれば、自衛隊のハイテク兵器の優越を間近で見せ付けられた形となりました。彼ら……ローリダ人の側に限って見れば、今回の戦闘はあまりにも一方的な敗退だったと言えます』

 『―――――上陸部隊に、強制収容所から逃れた現地種族が保護されたという防衛省発表がありましたが、詳細についてお聞かせ願えませんか?』

 「えー……その事ですが、彼らは収容所の監視が手薄になったところを見計らい暴動を起こした後、武装勢力の車両を奪って逃走に成功したとのことです。なおこれは未確認の情報ですが、その収容所の収容者の中には8月の武装勢力侵攻の際、行方不明になった現地在留の日本人も多数含まれていた模様です……それ以外の詳細は未だ掴めておりません」

 「ハイッ……現地からの中継ありがとうございました。次は防衛省――――――」


―――――――――――――――――――――――――


 「ふぅ―――――……」


 安堵の溜息とともに、頭の上半分を覆うフリッツヘルメットの顎を解こうとする間宮真弓を、LCMを操船していた古参海曹が叱りつけた。


 「ヘルメットは脱がないでください。どこから弾が飛んでくるかわかりませんよ?」

 「はぁー……い」


 渋々、ヘルメットの顎を締め直した真弓。窮屈なのは頭だけではなかった。ヘルメットと同じく、首から胴にかけてを覆う分厚く重い防弾ベストに、真弓は更なる幻滅を覚える。安全のためとはいえ、疲れる上に不恰好この上ない。


 「間宮さん、似合ってますよ。それ……」


 冷やかし半分に笑いかけるカメラクルーを、真弓はきっと睨み付けた。本人としては世辞のつもりが、彼女には堪え難い誹謗に聞こえたのであろう。それ以来むっつりと黙り込み、真弓は舷側から外に眼差しを向けた。未だ遠方に展開する護衛艦隊。その中でひときわ印象的な平甲板型の3隻に真弓は改めて目を見張る。


 揚陸艦「しもきた」「くにさき」、そして護衛艦「ひゅうが」……それらはまるで本物の空母であるかのような、圧倒的な威容を持って真弓の瞳に迫っている。事実3隻はその飛行甲板からひっきりなしに搭載機を離発着させ、今では洋上に浮かぶ重要拠点と化していた。


 「すごいですね。間宮さん」


 と、3隻の威容に目を凝らし、一人のカメラクルーが声を弾ませた。だがこの時の真弓の顔が晴れなかったのは、容姿をからかわれたが故ではなかった。

不機嫌そうに、真弓は声にならない声で呟いた。


 「この戦争……どうやって終わらせるつもりなんだろう?」


 


 日本国内基準表示時刻12月11日 午後1時50分 東京 防衛省中央指揮所


 西岸上陸部隊司令部の最終報告により、上陸が成功裏に終ったことを知らされた直後、安堵が低気圧となって一気に沈滞してきたような雰囲気に、広大な指揮所は包まれたかのようであった。


 「安心はまだ早い」


 歓喜と安堵とにどよめく指揮所の幕僚を制し、統合幕僚長 植草 紘之は言った。


 「まだ敵の抵抗を完全に排除できたわけではないし、未だPKFには、残された最も重大な任務がある。今次の上陸作戦と敵海空軍の撃滅は、その重大な任務に繋げるための、あくまで副次的なものに過ぎない」


 「……敵野戦軍主力の、撃滅」と、上座の桃井 仄 防衛大臣が呟く。


 植草は頷いた。


 「増援を含む敵の主力は四個師団相当の兵力より構成され、うち一個は機甲師団相当の戦力を有している。それらの戦力は今なお後方のノドコールに温存され、反攻の機会を伺っているものと思われる。我々の最終的な任務はこの部隊を決戦に引き摺り出し、これを撃破。敵の反攻の芽を立ち、敵に和平への気運を促すことにある」


 桃井が顎を撫で、神妙な表情で言った。


 「問題はそこにあります。我々の奪回する目標はあくまで日本のPKO業務の及ぶ範囲のスロリアであって、敵がノドコールから出てこず、未だ十分な戦力を残したまま持久防衛体制を取るとなると話はまた別です。我が方は戦略目標を果たした一方で、絶えず彼らの反攻の危機に晒されることになる……」


 桃井の危惧には明確なまでの根拠があった。スロリア奪回は最重要の課題だが、単に奪回を果たしただけでは長期的には問題を解決したことにはならない。武装勢力を撃退するにしても、何としても敵地上軍主力をスロリア中部に誘い出し、彼らに攻勢を断念させるだけの打撃を与えておく必要があった。


 語を次ぎ、桃井は植草に聞いた。


 「統幕としては、今後の敵の動向に関し、対応策を考えていますか?」


 植草は咳払いし、桃井に向き直る。


 「まず、今後の敵の意図は二通り考えられます……」


 第一に、敵が地上軍の主力をノドコール本土まで後退させ、前線に展開させている部隊を以てPKF地上軍に消耗を強い、ノドコール本土もしくはその至近に達したところで決戦を挑むという選択肢である。あるいはこちらがノドコール本土に到達したところを、PKFの攻勢限界点と見て一気に反攻に入る腹積もりと考えることも出来る。


 そして第二の選択肢としては、敵のノドコールに対する固執は、ゴルアス半島方面より迫るPKFに対する備えとも取ることが出来る。この場合、もし敵に積極的な反撃への意欲があれば、ノドコールを進発した主力は南進し、距離が近く兵力も少ないゴルアス半島方面部隊を殲滅に掛かるだろう。その返す刀で、東方より迫るPKF主力との決戦に入ることも考えられる。つまり典型的な各個撃破を指向するに違いない。


 前者で指摘されている通り、PKFの進撃には確かに限界がある。PKFの奪回目標は紛争勃発前のPKOの活動範囲までであり、それ以西―――つまりノドコール方面―――の作戦行動は政治的判断から認められていない。それに、ノイテラーネを策源とするPKFが継戦可能な補給網を確保できるのは、事実ノドコールとスロリア東部の中間地域ぐらいまででしかない。政治的制約はもとより、補給の確保できる範囲内で敵を捕捉し、撃破しなければならないという物理的制約がPKFには課せられているのだった。


 後者に関しては、制空権が完全にこちらに握られている以上、敵の反撃が効果を上げるとは植草ならずとも考えていない。それに、過去の戦闘から彼我の装備、練度が絶対的なまでに隔絶していることは明白である。敵の試みは、その用兵上の努力にかかわらず徒に損害を増すのみであろう……だからこそ、敵主力が出てくればこれを捕捉、撃滅する公算は十分に立つ。だが……


 「……最大の問題は、その主力が出てくるかどうかです」


 戦前の予測に拠れば、敵はこちらの東南よりの攻勢に呼応し、その策源たるノドコールより続々と戦力を投入するものと考えられてきた。こちらはそれを待ち構え、連携を生かしてノドコール領域の手前でそれらを撃破していけばよい。


 ……だが現在、緒戦の航空作戦と地上軍の進撃、そして今次の上陸作戦の鮮やか過ぎる成功が、統幕の見方を逆に慎重にさせていた。こちらの勢いを前に、敵の動きもまた消極的になってはいないか?……と。


 「敵主力の前進を誘発すべく、こちらが積極的な方策を採るというオプションは?」


 という桃井の問いに、植草は頷いた。


 「純軍事的な観点から、現段階で考えられるものとしては、ノドコール本土への航空打撃以外に存在しません……ですが、それを為してしまった際に生起し得る事態を、桃井閣下はご存知のはずです」


 植草の言葉に、桃井は視線をテーブルに移した。彼の言わんとしていることを、彼女は十分に理解している。

 植草の言う「生起し得る事態」とは、最悪の事態だった。要するに、攻勢の手を敵領内まで伸した結果としての戦線の拡大、そして戦闘の長期化である。PKFの消耗、そして戦争の占める国内への負担増を考慮する上で、これは避けるべき事態だった。だが、敵が前述の持久防衛策を採ったとしても、こちらが敵の反攻に備え大兵力をスロリアに張り付けざるを得なくなるという点で、どの途同じ結果を辿る恐れは十分にあった。


 「……敵の動きに、期待するしかないというわけね」


 苦笑気味な溜息が、桃井の口から漏れた。

 



ローリダ領ノドコール植民地内基準表示時刻12月11日 午後1時57分 ロギノール空軍基地


 作戦が開始された早朝には、時刻に似つかわしくない活況に満ちていた植民地空軍指揮所は、いまや顔を蒼白にさせた海空軍の士官たちがただ愕然と立ち尽くしているばかりとなっていた。三時間前―――――海空連合の攻撃作戦が開始されようとしたところで配置の止まった巨大な戦況表示盤が、敗勢の虚しさをただ無心に映し出していた。


 圧倒的……ただ圧倒的な敗北―――――それ以外に、今次の作戦の末にもたらされたものを表現する術を誰もが持たなかった。わずか10時間、たったそれだけの時間で共和国海軍植民地艦隊、五個飛行師団相当の空軍戦力……高等文明の粋を凝らしたはずの一大兵力がゴルアス半島の波間に消え、スロリアのローリダ共和国海空軍はその保有戦力の大半を失ったのだ。それはもはや、取り返しの付かない損害であった。


 「そんな馬鹿な……」

 「これから、どうするのだ」


 呆然とした表情もそのままに、士官たちは語り合った。語り合ったところでニホン軍の進撃を止められるわけでもなければ、当の昔に失った兵力が戻ってくるわけでもなかった。それでも彼らは無い兵力を駆使し、今後のニホン軍の侵攻に備えねばならないのだ。


 ―――――そこに、矛盾に直面したのにも似た彼らの苦渋があった。


 エイダムス‐ディ‐バーヨは言った。


 「……本国に連絡だ。我が海空軍は事実上壊滅したと……」

 「ですが……」

 「これは事実なのだ……事実は、公にされねばならぬ」


 幕僚たちは押し黙った。事実の公表が必要であることに異存を唱える者は誰もいない。だがそれが言葉どおりに公にされれば、本国の震撼の度合いはこれまでになく大きなものとなるであろう。誰もがそれを恐れたからこそ、一言も発せられずにいたのだ。


 植民地空軍司令官 サルフ‐サラ‐ゴティアムス中将が言った。


 「また増援を要請するのか? 大佐」


 バーヨは頭を振った。


 「……貴重な操縦士を、むざむざ死地に追い遣るような真似はできません。閣下」


 そのとき、通信士官が強張った表情もそのままに内容を告げた。


 「バーヨ大佐、本国の空軍司令部が報告を求めておられます」


 取り上げた受話器の向こう側では、本国司令部の空軍主席参謀ダマスケス中将の詰問が待っていた。それに萎縮するようなバーヨでは、もちろんなかった。


 『―――――釈明を聞こうか。大佐』

 「作戦は完全な失敗です。もはや空軍の作戦行動は不可能です」

 『―――――そのようなことは聞いていない。大佐』

 「は……?」


 一瞬、バーヨは参謀の真意を測りかねる。だが一瞬の後、本国の人間が今回の敗退以上に彼自身の作戦指導を問題にしていることに気付き、愕然とする。


 『―――――貴公は独断で部隊を動かし、友軍を危機に頻ぜせしめた。この罪は重いぞ。エイダムス‐ディ‐バーヨ大佐』

 「…………!」

 『―――――聞いているのか大佐? 何故抗命した?……この痴れ者めがっ!』

 「……小官は、総司令部の思し召すままに作戦を継続しただけです」

 『―――――我々はそのようなことは、命令していない』

 「…………!」

 『―――――名誉回復の機会はいずれ与えられよう。それまで現地で謹慎でもしているがいい……!』


 通話は、それで切られた。直後に入室してきた保安部隊の隊員二名がバーヨの傍らに立ち、言った。


 「エイダムス‐ディ‐バーヨ大佐、共和国国防軍軍規第89条7項に基づき貴官の任及び権限一切を剥奪し、別命あるまで貴官の身柄を保安局の監督下に置くものとします。ご同行願えますか?」

 「わかった……」


 力なく、バーヨは頷いた。


 栄達へと続く扉が、今まさに閉じられようとしている光景―――――それを彼は、直に見たように思った。




ローリダ国内基準表示時刻12月11日 午後2時1分 首都アダロネス


 ローリダの冬は、そこに存在する有形無形のあらゆるものから潤いと暖かさを奪う――――――


 公用車の車窓から広がる整然とした街並みが、木々や地面の草原から一切の緑の消えた郊外へと変貌するのに、二時間近くの行程が必要だった。そして普段万事に当たり果断なる事で知られるルーガ‐ラ‐ナードラが、この重い行程に赴くのを決意するのに、優に一時間近くの(とき)が必要だった。


 ――――執政官との対話を終え、第一執政官官邸を出たとき、ナードラには一つの仕事が与えられていた。


 それは彼女にとって気の進まない仕事だった。親友にその伴侶の死を伝えることは、誰ならずとも躊躇を強いる使命であるはずだ。ナードラに与えられたのは、前線視察の途上で海戦に巻き込まれ、ニホン軍の「襲撃」を受けて乗艦ともどもスロリアの海に沈んだ民生保護局長官 ロルメス‐デロム‐ヴァフレムスの死を、彼の妻たるディーナ‐ディ‐ロ‐テリア‐ヴァフレムスに伝えることであった。

 首都アダロネス郊外の緑地帯の、ほぼ中央に佇むヴァフレムス家の邸宅は、それなりの広大さを持ってはいたが、一族の華々しい業績と経歴に拘わらずその造りは意外なほど簡素であった。そして、共和国軍士官学校以来の親友の突然の訪問を、ディーナは胸底からの微笑で迎えたのだった。


 「今からお茶を淹れるわね。お義母様は、ロルメスがいないときは私とお茶を飲んでくれないから……淋しくって」


 ディーナの義母―――つまり、ロルメスの母―――は名門貴族の出で、得てしてそういう階層の人間に在りがちな分別を弁えない倣岸さと、成人した息子に対する拭い難い執心とを併せ持っていた。そのような義母の下で、未だ跡継ぎたる男子を得ていないディーナが気苦労を強いられるのは仕方がないことと見るべきか……それとも、不幸なことと見るべきだろうか? だが……もはや論評の時期は過ぎていた。


 居間の隅に控える乳児を抱いた乳母に、ディーナは目を細めた。


 「エルダももう笑うようになったのよ。笑顔はロルメスにそっくり……」


 乳母の手の中で、ヴァフレムス家の長女は深い安寧を眠りにして、ひたすらに貪っていた。その満ち足りた寝顔を目の当たりにして、ナードラは自分がこれから告げようとしていることの重大さに、胸を締め付けられるような思いに囚われてしまう。


 「……ディーナ」


 そう呼びかけ、自分を凝視するナードラの視線の只ならぬことに気付き、ディーナは乳母に目配せした。彼女が奥に下がったのを見計らい、再びナードラに向き直ったとき、ディーナの端正な顔からは一切の明るさが消えていた。


 「ナードラ……?」

 「…………」


 喉までは出掛かっていたが、親友の真摯な眼差しを前にそれを口に出せない自分の臆病さを、ナードラは心から呪う。


 「……ロルメスが、死んだのね?」

 「ディーナ……」


 ディーナの顔は一人の女性の顔ではなく、すでに元老院議員の妻の顔であり、愛国者の妻の顔であった。ディーナは俯き、そのまま口元で何かを呟いた。そして再び顔を上げたとき、ディーナの両の瞳には湿ったものを湛えていたが、その凛とした顔立ちには些かの崩れも見出すことができなかった。


 「正式な公示が出るまでに、未だ時間はあるのでしょう? 心の準備をする時間を与えてくれて、感謝するわ……」

 「言って置くけどディーナ。あの人が死んだところを、誰も見ていないわ」


 ……だから希望を持って、という言葉を、ナードラは胸の奥に飲み込んだ。自らの希望を押し付けるには、ディーナという女性は芯が強すぎた、良人が生きていてもいなくとも、彼女は只一人で毅然と凶報に耐えただろう。親友の知られざる一面―――否、愛する者との夫婦生活で培われた新たな側面――――に今更のように思い当たり、ナードラは感銘の度を深くするのだった。


 去り際、見送りに出た玄関でディーナは言った。


 「ナードラ……あなたも、こういう風に耐えたのね。私は判っているつもりだった……」


 今は亡きナードラの良人のことを、ディーナは口にした。だがそれを言われると、ナードラとしては正直辛い。


 「あなたが結婚したときに、言おうと思っていたけれど……」


 語を次ぎ、ナードラはディーナを見詰めた。


 「良人を得た女性は、彼への愛と引き換えに耐えねばならないの。妻であることに、そしてやがては妻であったことに……」

 「ナードラ……あなたは、強い女ね」


 そのとき、初めてディーナは泣いた。嗚咽こそ漏らさなかったが、両手で顔を覆ったまま親友の胸に縋り、彼女は大粒の涙を流し続けた。


 無言で身を委ねた親友を抱きながら、ナードラは空を仰いだ。緑色の瞳の先で、鉛色の空は無情なまでの冷厳さを以て暗い雲を広げていた。


 そうだ、戦争は無情なのだ……


 ……だからこそ、戦争には勝たねばならない。




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